2017年09月25日

門人随想 「今日も稽古で日が暮れる」 その32

   「 しなやかな強さ」

                   by 太郎冠者
(拳学研究会所属)



 道場には色々な年代の人が通ってきていますが、特に自分より年上の人たちと比べて、
自分はとても意志薄弱で、なにかを意識的に続けていくことが出来ない弱さがある、と感じていました。
 
 それが自分の弱さだと、師父には時折指摘をして頂いていたのですが、ではどうしたらいいのだろうかと見当もつかず、本物の強さとはなんだろうと思いながら、漠然と日々を過ごしていました。 
 それが、ここ最近の出来事を通じて、強くなれたとは言わないものの、自分の弱さを克服していける方法を勉強できる機会を得たと思うところがあったので、少し書いてみようかと思います。
 
 
 ものの強さには種類があって、変化に対して脆いもの、変化にたいして強いもの、と大きく分けることが出来ると思います。
  変化に対して強いものもさらに分けることが出来て、ある程度の変化に耐えられるような強さのものと、変化があればあるほどどんどん強くなっていくもの、といえると思います。

  頑なに強いものと、しなやかに強いものと言えるでしょうか。 
 この、しなやかな強さということに対して、もっと目を向けなければいけないと思うのです。

 自然界において最大の強さは、決して負けることなく生き残っていく強さです。
 この自然界で、人間にかぎらず、あらゆるものが持っているべき、決して負けてはいけないときに持っているべき強さであり、ストレスや逆境にあったときに、それに立ち向かうことのできる種類のものです。
 
 この地球上で発生した生命が、さまざまな天災や困難に見舞われながらもまだ生き残り、かつ多種多様に反映しているのは、逆境があればあるほどより適応し、より強くなって生き残っていける強さがあったからです。
 言ってみれば、それは進化の仕組みそのものと言えるでしょうか。
 
 人間という大きさで見れば、かつて多くの英雄たちが神話において語られてきたように、自分の前に現れた困難を克服していける姿を生き方として示したようなものでしょうか。
 よし、やってやる!という決意の強さとでもいうもので、物事に対して柔軟に対応していけるようなやわらかさを持った強さなのではないかと思うのです。
 
 
 武術のことに関してはまだまだからっきしですが、自分を害そうとする敵を前にして、技術云々以前に、まずは生き残るという意志を持つ。そうしなければ生き残れないのではないかと思うのです。
 頑なに変化を拒むのではなく、かといって変化に流されていくのでもなく、第3の状態、変化を受け入れてそれによって自分が変わり適応していくことで、強くなれる。
適者生存の原理、それこそが本物の強さなのではないかと思うのです。
 
 一般的な強さとは、格闘技などでは特に、自分がどれだけ頑丈になれるか、相手に侵害されずに、相手を屠ることが出来るかという強さが求められているように思います。
 それは、まさに人工的な強さに他なりません。
 
 一度出来あがってしまったものは、自ら変化することはありません。ただ、物事が起きた事にどれだけ耐えれるかという、強度だけがためされます。
 しかし、時間の変化や物事に対して不変のものなど存在しません。いつかは、壊れてしまうはずです。
 どれだけ自分を貫けるかという、固い強さになってしまっていると、これは自分より強い相手に出会ったとき、また、柔軟に変化する相手には簡単に負けてしまうものです。
 
 出来ないことに、対応していける、取り組んでいこうとする気持ち。まずは、それに対して弱い気持ちにならず、やってみようとしなければなりません。
 そして、ただ頑なになって取り組んでいっても、状態は変わっていないので、結果もともなわないものです。
 
 
 たとえば、自分にとっては太極武藝館名物のひとつ、「起き上がり腹筋」がそうでした。
 入門して十年も経つのに、まともに出来たことがありませんでした。
 そして、それを自分の中で、出来なくても仕方ない、いまの自分には出来そうもない、と理由をつけて避けていたわけです。
 
 なかなかその状態を変えられなかったのですが、師という、きっかけを与えてくれる存在が居ることが大きかったです。

 「期日までに出来るようにすること」と言われたのが、そのきっかけでした。
 
 本当は、それも自分でそこまで持って行って出来るようにしなければいけないのですが、なかなかそうは出来なかったのです。
 
 とにかく、そう言われたからにはやるしかない、弱音を吐いている暇はなくなってしまいました。
 
 それでも最初のうちは、まったく進歩が見られず、とてもできる気がしませんでした。
 出来るようになっていくためには、なんで出来ないかを考えなければなりません。
 ネガティブ・フィードバックをしていくしかないのです。
 一足飛びに変わることは出来ないので、自分の中にある、弱い部分を少しずつ変えていくしかないと気付かされるのでした。
 
 とにかく期日までになんとかしなければ!というプレッシャーが、逆に人間に強さを与えてくれる、と、今となっては思います。それに対応、適応しなければ生き残れない!という重圧が(ちょっと大げさかもしれませんが)、人に成長する糧を与えてくれるのです。
 
 
 技術的なことを言えば、体の柔らかさや、勢いを利用した方法では、正しい「起き上がり腹筋」とは言えません。
 そもそも自分の体では柔らかさでは出来ないし、勢いだけではとてもではないですが、元の位置に戻ってこられないことは明白でした。
 
 ではどうするか? 一番のやり方は、ただ正しいやり方をやろうとするしかないということでした。
 それもただ盲目的に、漫然と行うのではダメで、創意工夫をしながら正しく挑戦するしかない、というものです。
 
 最初のうちは、全く出来ませんでした。以前はいくらか上がってきていたものが、恥ずかしながら以前よりも上がらなくなり、お尻が着いたまま上体を起こしてくるだけで、立ちあがることのできる気配など全くありませんでした。
 
 少しずつ改善していくしかありません。
 始まるときの立ち方、下りていくときの体の使われ方、下りてきてからの体の状態、見直すべき点はいくらでもありました。
 それをひとつひとつチェックしながら、少しずつ変えていくのです。
 変化としては本当に微々たるものの連続で、さっきより少し体が動くようになったとか、そういった程度のものです。
 しかし、なかなか体が起き上がってくるまでには到りませんでした。
 
 
 それでもあきらめずに続けていくと(もしかしたらそのころには、まわりのほうがあきらめムードになっているかもしれませんが…)、だんだんと自分の中で変化していっているのを感じることが出来るようになります。
 
 ほとんどやみくもに近かったチャレンジが、こうしたらいいんじゃないか、と改善点と因果関係を正しく結び始めるようになり、それに見合った結果が伴ってくるようになります。
 同じように出来ないにしても、それまでとは違ったものになってくるのです。
 
 そこまでやってくると、あきらめる必要はもう殆ど無いように感じられてきています。
 出来ない、けれど、もう少しで何かがつかめそうだ。
 起き上がり腹筋の場合は、根気よく補助をしてくれるパートナーが必須でした。
 道場の仲間というのは、本当にありがたいものです。
 
 最後の壁は、それまでやってきたものを総動員して、とにかくやってやる、という気持ちで行うことでなんとか超えることができました。
 ある日の稽古で、次の練功に移るという最後の一回のチャンスで、ようやく、立ちあがることが出来たのです。
 
 稽古中だというのに、思わずガッツポーズと声が出てしまいました。
 
 
 それと、起き上がり腹筋と前後して、個人的に、師父から体質改善の命を受けてチャレンジを続けていました。
 それも普通にはちょっと無理なのでは?と思うような課題だったのですが、とにかくやるしかない、と奮起して取り組んできました。
 
 それと併せて、前々から「走るように」と言われていたのですが、それもまた、やり方を改めることとなりました。
 
 ただ疲れるだけで効果が出ない、悪くすれば武術的に悪影響を与えかねないやり方から、
もっと正しい走り方を出来るように、少しずつ改善していったのです。
 
 「最初は早く走らなくてもいいから、走り方を見直すように」というアドバイスも頂き、見直しを重ねていきました。
 最初は、数百メートルも連続して走れなかったものが、練習を続けていく間に、ようやく10キロ走っても平気な体になってきました。
 これもまた、以前の自分からは考えられないことです。
 
 
 「起き上がり腹筋」でようやく立ち上がってこられたこと。
 おそらく、どれかひとつのことだけにチャレンジしていたのでは出来なかったと思うのですが、同時に取り組んでいたいくつかのことが自分の中で、確実に実を結んでいったことの結果なのではないかと思います。
 
 人には得意不得意があるので、ある人には簡単に出来ることが自分には難しく、またその逆もあると思います。
 それと、誰もが難しいと感じてしまうようなことも、当然あります。
 
 観方を変えれば、取り組んだことがないことを目の前にしたとき、最初から出来なくても当たり前のことだといえます。
 そうなったときに、あきらめてしまわずに、とにかく取り組んでみることが大切なのだと思うようになりました。
 
 場合によっては、既に出来る人から見れば幼稚なレベルにしか見えないかもしれません。また、自分の中の、何か「出来ること」と比較して、あまりにちっぽけすぎて、なんの意味もなさないように感じるかもしれません。
 
 けれど、そこであきらめずに、やり続ければ、変化は確実に自分の中に蓄積されていきます。それまでのやり方を自分の中に持ったままにしてしまうと、おそらくその小さな変化が見過ごされてしまうのだと思います。
 そうすれば、それはいつまでたっても出来ないままで、だんだんと続けるのが嫌になってしまうのだと思います。
 
 戸惑いの中にあっても、とにかく続けていくこと。
 それがある瞬間、ぱっと違った世界に連れて行ってくれるのだと思います。
 
 一般的に難しいのは、何かに取り組むときに、体系的に段階を踏んで挑戦していくことなのだと思います。
 自分の経験から、改めて振り返ってみると、太極拳というのは、少しずつ登っていける階段が用意されている、すさまじい学習体系なのだと感じさせられました。
 
 自身をふりかえってみると失敗のもとは、早く強くなりたいという思いから、一足飛びに上を目指そうとしてしまっていたところ、といえるでしょうか。
 本当は目の前に次の一歩があるというのに、そこを無視して進もうとしては、いずれ壁にぶつかってしまいます。
 
 地道にコツコツと。
 そうして得られるものが、本当に自分の中に根付いていく功夫なのだという気がします。
 

 体質改善の命令は今も挑戦中なのですが、その中で、自分は変わっていけるのだという、確かな手ごたえを感じることが出来るようになりました。
 
 そのチャレンジが終わっても、また次に、今度は自分で立てた目標に向かって、少しずつ続けていこうかと思っています。
 それが楽しみなのは、いままでになかった感覚で、自分自身にとって一番驚きの変化でしょうか。 

                                 (了)





*次回、「今日も稽古で日が暮れる/ その33」の掲載は、11月22日(水)の予定です


disciples at 21:12コメント(14)今日も稽古で日が暮れる  

コメント一覧

1. Posted by たそがれの単身赴任者   2017年09月27日 12:43
「起き上がり腹筋」、太極拳の理にかなって動かないと立ち上がれないこの稽古は、私にとっては重い意味があります。ウン十年前に、硬い硬い自分の股関節に無茶な負荷をかけ、痛めてひどい疼痛となり放置、入門まではその問題は「日常生活には支障ないから」という理由で放置しおりました。したがって起き上がり腹筋などとてもできるからだではありませんでした。

縁あって武藝館様に入門させていただき、このことが自分の体にとって大きなデメリットであることをおしえていただき、愕然となりました。師父、玄花先生のお話でやっと「歩けていない。立ち方がおかしい」フレームが曲がった車みたいなことに気づかされました。「今からなんとかなるのか・・・太極拳以前にこれは大ごとだ」と文字通り腰がひけました。

ここで太郎冠者様のブログを拝見しました。起き上がり腹筋のためにいろいろ勉強をされ、衣食住すべてをそのことの解決につぎ込む姿勢をみせていただきました。それでいてあっさり「やるだけやらなきゃ」とおっしゃっておられました。
太郎冠者様の2倍もの年齢のわたしは自分の弱腰をとても恥ずかしく感じます。
この爺、いくら恥をかいても「寿命のあるうちはやるだけやる」しかありません。
 
2. Posted by マルコビッチ   2017年09月28日 21:56
努力をしたことにたいして、何か良い変化を得ると、人は「もっと頑張ってみよう」という良い循環が生まれますが、そのサイクルの小さな波に乗るまでの勇気と諦めない気持ちを持つ事が大変ですよね。
太郎冠者さん、頑張りましたね!
私はうん十年生きてきて、未だに自分の弱さと頑なな強さにてこずり辟易としています。
「しなやかな強さ」を持った人間になれるよう、勇気と諦めない気持ちを持って、自分自身を見つめ磨いていかなければと思いました。
 
3. Posted by ユーカリ   2017年09月30日 00:11
>道場の仲間というのは、本当にありがたいものです。

この言葉に大きくうなずいてしまいました。
目的はそれぞれですが、師父が示してくださる太極拳の神髄を目指して集う仲間のお陰で、互いを認め合い、自らを高め合うために日々努力を続けてゆけるのだと思います。門人のお一人お一人が、なくてはならない存在です。
太郎冠者さんが苦手を克服し、目標達成に日々努力されている姿は、それぞれの励みになり、道標になります。ありがとうございます。

この記事から、どのような最期を迎えたいかを描き、そのために20年後・10年後・5年後・1年後…までに何をどう取り組んでゆけばいいのかをより具体的に目に見える形で明確に設定することはとても大切だと感じました。
それを、自分独りでなく、家族皆を重ね合わせて、互いを尊重しながら歩んでいけるといいなと思います。
 
4. Posted by ランフォリンクスの尾   2017年09月30日 00:41
起き上がり腹筋が曲がりなりにも出来るようになってから、私もまだ一年も経っていないのですが、本当に面白い補助訓練だと思います。

力みで上がってくることもできないわけではないが、他の練功でも指導されていることを一つずつきちんと守ってコツコツ取り組むほうがはるかに簡単ですよね。
私の場合はそのような小さな成功体験としての意味もあり、できるようになって以後は、より強く太極拳を信じることができるようになったと思います。段階的な学習体系が用意されているとの確信が深まった体験でした。

それからランニングについては私も昨年夏ごろから取り組んでおり、先日はようやくフルマラソンを完走しました。が、少しやりすぎたみたいです。太極拳のおかげか外科的故障には無縁なのですが、二十年来の悩みであるスポーツ貧血が再発する兆しが出てきてしまいました。

少し面白かったのはフルを走る4ヶ月ほど前にハーフを走っていたことです。何が面白かったのかといえば試合後の身体へのダメージはフルの時のほうがはるかに軽かったことです。それだけの期間で走るときの身体の使い方が上達したのだと思うのですよ。

マラソンのトレーニング本を読んでみたこともあるのですが、「頭のてっぺんからまっすぐに髪の毛を引っ張られるようなつもりで姿勢を整える」「足が地面から離れる際に力強く蹴ってはいけない」等々、その要訣(?)には武術と重なるものがあると感じました。
ランニングは正しく取り組めば武術にとってもプラスに働くものだと思いました。

しなやかな強さ、正しく養いたいものですね。
 
5. Posted by まっつ   2017年09月30日 23:25
稽古に限らず何かを追究する中で、
最も重要な事は「続ける」事だと思います。
何かに打ち込む過程では厳しい局面も出てきます。
其処で諦めずに続ける事が一番の大事だと思います。
仮に内外ともにボロボロに感じられて、
全く自分に自信が持てないような状態であっても、
踏み込んで自分に向き合い続ける事でしか、
自分の中の時間を前に進める事は出来ないと思います。
小さくても大きな一歩に最大限の敬意を捧げます!
 
6. Posted by タイ爺   2017年10月03日 08:34
私も起き上がり腹筋は苦労しています。
柔道で傷めた左腰の古傷で可動範囲が狭くなりそれが原因だと思います。
いまは日々正常な可動性を訓練しつつ起き上がり腹筋の稽古をしています。
漠然とそのうちできるだろう、という考えは全く通用せず、太郎冠者さんのいうとおり「何時までできるようにする」という明確な目標が必要なのだと思い知らされました。
模索し続け動き続けることが前へ進む方法なのかもしれません。
今回のコラムを読ませていただいて勇気が出ました。
 
7. Posted by 円山玄花   2017年10月03日 11:52
コメントが遅くなり、申し訳ありません。
太郎冠者さんのチャレンジは、「やればできる」の見本のようですね。
勉強になる記事をありがとうございます。

私の場合は、何かを諦めたくなるときもあれば、一瞬でそんな気持ちが微塵も感じられなくなったりします。もちろんその反対もある。きっかけは何れもささやかでアホみたいなことなのですが、どうしてなかなか制御できないのです。やはり、最大の敵は自分自身だと再認識します。

自分の中で右に左にと忙しく変わる様子に翻弄されるのではなく、もっと大きな流れに乗れるように、そしてそれを感じられる自分で在りたいと思います。
 
8. Posted by 太郎冠者   2017年10月16日 21:59
☆たそがれの単身赴任者さん
コメント返信遅くなってすいませんでした。

体というものは非常に不思議なもので、状況に合わせて変化していってくれますね。
努力をしていけば少しずつ反映してくれますし、逆に、怠けていればそれに応じた体になっていきます。
誰でもいきなりは太極拳が出来る体というわけではないので、コツコツ続けていくのが一番かと思います。

>太郎冠者様の2倍もの年齢のわたしは自分の弱腰をとても恥ずかしく感じます
いやいやそんな、お恥ずかしいかぎりです。
むしろ自分のほうこそ、人生の先輩である皆さまに負けないように頑張らなければ!
といつも思わされているのです。
お互いにこれからも、頑張っていきましょう!
 
9. Posted by 太郎冠者   2017年10月16日 22:02
☆マルコビッチさん
ようやく人並みの状態になりつつあるだけなので、頑張ったといえるのかわからず、なんだか恥ずかしい限りなのですね…(笑)

ともあれ、少しずつでも続けたことは、自分に還ってくるということは、確かに実感できたように感じます。

やったからといってすべてに結果が伴うわけではないとは思うのですが、それでもやらないよりはいい、というわけで、少しずつこれからもチャレンジしていこうかと思います。
勁草のようにしなやかで強くありたい。自分もそう思います。
 
10. Posted by 太郎冠者   2017年10月16日 22:07
☆ユーカリさん
>門人のお一人お一人が、なくてはならない存在です
本当にそう思います。
僕も、なんだかんだ言って「負けてたまるか!」
と根性を出してなんとかなった面があるので。
負けん気も大事ですね。

現実は不確かで、未来は誰にもわからないものです。
なので今回のことも、計画通りに行ったというよりは、とにかく立てた目標をどうにかしなければ!
と、悪く言えば場当たり的に、どうにかクリアした感じがあります。

物事は予定通りに行かないことのほうが多いので、そうなった場合の代替プランがしっかりしているのも、「備えよ常に」の精神にのっとっている気がしますね。
状況に応じて変化できるのもまた、強さですよね!
 
11. Posted by 太郎冠者   2017年10月16日 22:12
☆ランフォリンクスの尾さん
太極拳の練習体系は、きちんと段階を踏んでいけば、正しい構造が手に入り、太極拳として本当の強さが得られるように出来ている、気がします。

実際には、その正しい体系を知らないか、あるいは教わっていても正しくは練習できていないかで、結果が伴わないということが出てくるように思います。
どのようなことも、正しい指導を得、正しく練習していくことが大事ですね。

いまの自分にはフルマラソンはとうてい走れそうにありません。コツコツ練習すればいけると思うのですが、現状の目的ではないのでとりあえず保留、といった感じでしょうか。
疲れずに動き続ける必要がある、という点では、武術と共通する要素も出てくるのでしょうね。
確かに、興味深いものはありますね。
 
12. Posted by 太郎冠者   2017年10月16日 22:17
☆まっつさん
定めた目標に向かって取り組んでいると、不思議とそれまで悩んでいたことなども、スパっと振り切ってしまっていたような感覚がありました。

一心不乱だったといえばそうかもしれませんが、悩みの多くはまだ見ない未来のことに多くの要素があって、それは目的のために取り組んでいる、いま目の前の変化とは相いれないものだったからなのかもしれません。

何かが大きく変わったわけではないものの、取り組みかたの変化からか、考えることもまた、大きく変わってきたように感じます。
少しずつ今出来ることに取り組むことで、前身していけるのだということが実感できました。
ありがとうございます。
 
13. Posted by 太郎冠者   2017年10月16日 22:22
☆タイ爺さん
自分の場合は、古傷などでは全く無かったのですが、
出来ない理由は自分の中にいくつも持っていました。

それをある時、師父に「とにかくやるんだよ」
と発破をかけていただき、はっとしました。

出来ない理由は誰しもいくつもあるかもしれませんが、出来るためにはとにかくやるしかない、と、それはひとつで共通していると思います。
なので、やるしかないのです。

根性論で言っているのではなく、合理的かつ論理的な方法です。
とにかくやる、なんという力強い言葉でしょう。
 
14. Posted by 太郎冠者   2017年10月16日 22:30
☆玄花さん
>「やればできる」の見本のようですね。
上にも書きましたが、とにかくやる。やった上で、
出来れば出来る。文字にするとなにか変ですが、そんな感じでした。

個人的な体質改善も、おかげさまでなんとか目標はクリア出来ましたが、
師父に目標を提示して頂いたときに、正式弟子のSさんやNさんなら一カ月でやる、と言われたことをいまでも覚えています。

それもあって、よし負けてたまるか!とやってきたのですが、結果的に自分は目標クリアまで、期限内とはいえ2カ月とちょっとかかりました。
まぁ、それが培われてきた実力の違いかな、と思いつつ、いまも変化は継続させている最中です。

人間の凄いところは、勉強法そのものを勉強出来ることだと思うので、そうして実力を培っていければどこまででも行けそうな気がしますね!
別に、誰かと競争しているわけではないのですが、負けん気はやっぱり大事ですね。
最大の敵が自分自身だとしても。
 

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

  • ライブドアブログ