2017年05月22日

門人随想 「今日も稽古で日が暮れる」 その31

   「 くう ねる いきる」

                   by 太郎冠者
(拳学研究会所属)



何気ない日常生活を送っていると、ふと気がつくと、自分が生きている実感がほとんど伴っていない、ということがあります。
 
武術とは非日常の世界であり、生き残るための技法である…。
 
そういう気持ちで取り組んでいるはずの、高度な武術の稽古の裏側で、実際に多くの時間を過ごしているのはふだんの生活です。
仕事をし、家に帰り、稽古に行き、また帰ってくる。
もう何年も続いている、日常生活の中で、なぜ生きている実感を感じられない瞬間があるのでしょうか。
 
それは単に寝不足で疲れていたり、なにか悩みがあったりとか、そういった些細なことの積み重ねで、ほんの少しずつ歯車がずれてしまっていると感じている、そういうことでしかないのかもしれません。
 
けど、自分に限らず多くの現代人の生活を見てみると、生きることとは一見無関係にも思えるような仕事に取り組み、生活の糧を得ているはずです。
必要なものがあればコンビニやスーパーで買いそろえ、インターネットで注文すればたいていのものが手に入る時代です。
もちろん、それは否定しません。
ですが自分自身のこととして、生きるために何が必要なのか、そこのところがまったくわからなくなってしまっているようでした。
 
 
今年に入り、研究会では特別稽古として、数回の野外訓練を行いました。
研究会の野外訓練! というと一般門人の方の中には、
「相当特別なすごいことをやっているに違いない…!」
と、内容を聞いてこられた方もいますが、実際には、まだふつうのキャンプを行いながら、野外での活動に慣れるといったことと、それにプラスして少しずつ課題が増やされ、野外での体の使い方を学習していくといったものです。
野外での体の使い方とは、師父から教示される軍隊の訓練に準じたものや、太極武藝館独自の学習体系に沿った訓練などです。
 
野外での訓練といっても、そこは太極武藝館の稽古ですから、食事まで徹底的に抜かりなく、素晴らしいものをいただくことになるわけです。
前回の訓練では、師父お手製の特製カレーをふるまっていただき、おいしく味わわせていただきました。
特別に参加していた一般門人のI(アイ)くんは、
「普段の食事より豪華な物を食べている」「こんな御馳走は味わったことがない」
と言い、何回もおかわりをもらっていました。
本当においしかったです。
 
 
しかし、研究会のメンバーはただ食事にありつけるということはなく、ちゃんと課題を与えられていました。
それは、カレーは師父の御好意で用意していただけるので、ご飯は自分で炊く、というものでした。
いくつか条件があり、
 
 1、使って良い火は焚火のみ
 
 2、火口(ほくち)は現地調達出来るものだけ
 
 3、着火具はメタルマッチ(ファイヤースターター)で
 
あとから知ったところでは、ウッドストーブ(註:ガスやアルコールなどの燃料を使わず、小枝などを燃やして使うキャンプ用コンロ)は使用可能だったそうですが、自分は持っていなかったので関係がなかったのでした…。
 
とにかく、そういった条件が出揃い、脳裏をよぎったのは数年前に行われた最初の野外訓練での課題でした。
 
雨が降ったあと、新聞紙とマッチだけで焚火をするというものです。
それはもう、いまだに語り草になるほど散々な結果でした…。
条件がそれほど悪かったわけではありません。ただ、自分のスキルのなさが痛感させられたのです。
 
火をおこし、ご飯が炊けなければ食べるものはない。
昔だったら、ごく当たり前の話だったはずです。ただ、現代ではそれ以外の手段がいくらでもとれるため、たったそれだけのことで食事にありつけないということがないわけです。
 
今回のキャンプ事前の天気予報では、その日は雨が降るかもしれない、ということでした。
これは非常にまずいです。慣れた人からすれば「なんだそんなことくらいで」と思うかもしれません。
そうなのです。自分が「なんだそんなことくらい」と思えるようになる為の訓練なのです。その時の自分にとっては、一大事だったのでした。
 
 
幸いにも(不幸にもというべきでしょうか)、キャンプ当日は雨も降らず、焚火を行うためのコンディションは悪くない状態でした。
やらなければならないことは、テント・タープの設営、メインとなる焚火・かまどの設営、そこで使うための薪集め、それから自分用の焚火と薪の用意でした。
 
もたもたしていては日が暮れてしまいます。
効率よく動くためにはどうしたらいいか、自分だけでなくまわりの人の状況もみながら動く必要があります。
何回かキャンプをしてきたぶんは、どうしたらいいかが分かってきているようにも感じました。
反省点はまだまだあるので、次回以降に生かしていきたいと思います。
 
 
焚火をするうえで一番の課題だったのが、一番最初に火をつける火口がないというところでした。麻紐をほぐしたものを試してみよう!とお気楽に考えていた自分が本当に憎らしいものです。
 
道具は現地で調達出来るものだけ、あと頼れるのは自分のみ、です。
落ちていた木を細かく削ってみるものの、先日までの雨で木は湿っており、簡単には火がついてくれません。
そうしているうちにあたりは暗くなり始め、何かを探しに行く時間もなくなっていきます。
どうにかしないとご飯が食べられません。
ささいなことですが、目の前に差し迫った危機のひとつではあります。
 
幸い、杉の木や枝はそこらじゅうに転がっており、おもな燃料として集めてありました。
なので、事前に勉強してあった方法を試してみることにしました。
 
「備えよ常に!」
 
まさにサバイバルとは知識ですね。
知識だけではダメですが、それを使えるようになっていれば、実に役に立つものです。
 
まず、出来るだけ乾いている杉の枝から皮をナイフではぎ取ります。
皮がある程度集まったら、それを手のひらでひたすら揉みます。
しばらく揉んでいると、杉の皮が繊維状にばらばらになり、ふわふわした綿状になってきたら火口の完成です。
試そうと思っていた麻紐ほどではありませんが、それでも十分に使えそうな状態にはなりました。
 
かまどは事前に、石を積み上げて作っておきました。
ご飯を炊き始めたら、火力が調整出来るように動かせる…というふうに作った(つもりの)ものです。
 
そこに薪、小枝、焚き付け、それからいま作った火口を用意し、火をつけます。
 
一発で点火!となったらよかったのですが、なかなかうまくいきません。
「やばーい! 火がつかない!」
などと散々騒いでいた記憶があります。それも野外の楽しみです(?)。
火口の状態がよくなかったようで、新たに作り直します。
手のひらいっぱいくらいの量で、最初よりももっとこまかくほぐします。
最終的に、それでうまくいってくれました。
 
メタルマッチから飛び出した火花が火口につき、そこから火が燃え上がります。
あわてて消してしまわないように、少しずつ小枝から大きな木へと火を移していきます。
火の状態を見ながら対話していきます。稽古と同じです。
 
ようやく焚火が安定してきたら、本題である炊飯へとうつります。
事前に水に浸してあった米を火にかけ、調理開始です。
 
少しアクシデントはあったものの(ふつうのクッカーでは蓋が吹っ飛びました…)、上手に炊き上げることができました。
家でガスの火で試したときよりも上手においしく炊けたのには驚きでした。
 
自分で焚火で炊いたご飯で、師父の手作りカレーをいただく。
なんという贅沢な時間でしょうか。
 
 
翌日の朝食と昼食も、研究会は自分で焚火を起こして調理をしました。
自分は簡単なコンソメスープと、パスタをつくりました。
 
師父のカレーのことを思うと、次回はもう少し、料理のバリエーションを増やさないといけないな、と思いました。何事も勉強です。
 
 
キャンプでは新調した一人用のテントを使ったのですが、もうテント泊はおしまいです。
「一回しか使ってないのに?」
とツッコまれながらも、次はタープ泊だ、とかたく心に決めたのです。
 
男は、つねにワイルドに生きなければならない生き物なのです。
 
そういうわけで、ゴールデンウィーク中の某日、稽古はお休みだったので個人的に、ゲリラキャンプもしくは野営というと聞こえはいいですが、いうなれば野宿へと強行スケジュールで出かけました。
場所は事前に決めてあったダム湖に隣接された公園です。
用意していったのはグリーンシート(ODカラーのブルーシート)とポンチョ(これは簡易タープにもなる便利なものです)、それからシュラフです。
 
休日が取れなかったので、夕方まで仕事をしてから、夜に出掛けるというスケジュールになってしまいました。なので、本当に寝て帰るだけとなりました。
 
バイクで走ること数十分、目的地に到着です。
 
心配していた雨も降りそうになく、最終的にはタープを張る手間もはぶいてしまい、グリーンシートを簡易シェルター代わりにして眠りました。
さえぎるものが何もなく、天上に広がる星が良く見えて綺麗でした。
 
もはやタープ泊でもなんでもありません。
ただ、緑のシートにくるまった人間が寝てるだけです。
気温は暖かく快適に眠れました。
ただ、明け方になると自分から出た水分でシート内が結露し、シュラフが濡れてきてしまいました。改善の余地ありです。
 
夜が明けると即座に片付けをし、簡単な朝食を食べて撤収しました。
 
季節が季節なので、寒くて命を落とすということはないですが、もっと事前に準備をしないといけない、と痛感しました。
 
 
今年になってから特に、野外で宿泊するという機会が増えました。
時間で言えばわずかなものですが、その一回一回が、大きな学びの機会となっているように思います。
 
今も、次にいつキャンプに行こうか、そこでは何をしようか、そのために何が必要か、と着実に準備を行っています。
言ってみれば、ハマってしまったわけですが、それまでの自分には考えられなかったことだと思います。
野外で活動することの楽しさにはまってしまうと、家の中でゆっくりしているのがだんだんともどかしく感じられ、どこでもいいから出掛けたくなってきます。
 
それはおそらく、キャンプでも焚火でもなんでもいいですが、それらがすべて、代わりの利かない本番だからではないか、と思うようになりました。
そしてそれらは、食べること、眠ることなど、生きていくことの本質に直接的に関わってきます。
ただ一晩眠れない、一食食べられないというだけでは、危機は命にまでは及びませんが、自分が不利になることだけは確かです。
ちょっとした判断ミスのひとつ、失敗のひとつが自身の能力をそこなう可能性を秘めているので、そういった気持ちを持って物事に取り組む必要が必然的に出てきます。
 
まわりの状況を見て、手元にあるものを最大限使い、自分の出来ることをフルに行わなければなりません。
その上で、十分な休息をとり、また次に備えなければなりません。
一回一回がリハーサルのない本番だからこそ、そこで得られたものは、成功であれ、失敗であれ、確実に次につながっていく糧として、自分の中に残っていきます。
 
生きることと自分の間に余計なことがない。
そのことが、楽しいことなのだと思いますし、そこに充実感があります。
 
野外でシートに包まって一回寝るだけで、屋根のあるところは、たとえテントでも贅沢なのだなと思い知ることが出来ました。本当に大したことではありません。ただどこにでもあるシートと寝袋を引っ張り出して外に出ただけで、そういう経験をすることが出来ました。
次はどうしようか考えるだけで、楽しくてしかたありませんね。
一応、良い子は真似しないでね、と言っておきますが。
 
翻って、それまでの普段の生活のことを考えてみると自分はどうだったでしょうか。
衣食住の心配もなく、それらがあることが当たり前であるという上で、他のことにかかずらって思い悩んでいたように感じます。
 
稽古をしていても、はっとさせられました。
果たして自分がどれだけ、一回の稽古を本番として取り組めていただろうか、ということにです。
毎回毎回真剣に行っていたつもりでも、どこかでは「これは練習だ」と思っていたのではないだろうかと。
稽古を本当の危機だと思えていたかというと、全く自信が持てません。
それほどまでに、感覚が鈍ってしまっていたのだと思います。
 
その点、師父に相手をしていただくと、一回の対練が代用の利かない本番であるという実感がはっきりと感じられます。それは、師父がそのように取り組んでいることの証だと思います。
それを自分はその瞬間、味わわせてもらっているのだと感じます。
 
それは言われて頭で分かるものでなければ、技術や体力をどれだけ向上させても、決して理解できる質のものではないように感じます。
 
 
それが分かっただけでも、自分には大きな収穫です。
 
もちろん、それで全てが一度に変化するわけではないとしても、自分の中に付いた火種は、最初はなかなか燃え上がらなくても、適切に育てていけば、きっと大きな炎になるはずです。
 
それがどうなるかはわかりませんが、自分の中に生まれた感覚を、大切にしていきたいと思います。
 

                                (了)




*次回、「今日も稽古で日が暮れる(その32)」の掲載は、7月22日(土)の予定です


disciples at 21:13コメント(18)門人随想 | 今日も稽古で日が暮れる 

コメント一覧

1. Posted by マルコビッチ   2017年05月26日 00:45
太郎冠者さん、良い経験をされたんですね。
新しい経験は、今までの見方や考え方を変えてくれる事がありますよね。
世界が広がりましたね。
前回の野外訓練に、私も初めて参加させて頂きました。
家族も参加ということで、特別にコンロを使ってもよいというご配慮を頂き、楽しいキャンプを行う事が出来ました。
久しぶりに使う道具は、メンテナンスはしていったものの、途中で不具合が生じ、別のものを使いました。
道具は、いつでも確実に使えるようにしておかなくてはいけないとつくづく思いました。
今回のキャンプで思った事、感じた事はいろいろありましたが、ひとつは、キャンプで行っていた事は生きていく基本であったことです。
休む場所(身を守れるスペース)の確保、火をおこす事、食事を作る事、その事に全ての時間を費やしていたのです。
今や現代人が省略していっていることを、丁寧に大事に行っているのです。
生きていく根源を感じました。
それから、師父が作って下さったカレーですが、何日も前から準備してくださっていて、最良のスパイスを取り寄せ、師父オリジナルにミックスしたそうです。
キャンプ地で少しお手伝いをさせていただきましたが、タマネギを炒めるのにも絶対に妥協はありませんでした。
美味しくないはずが無い完璧なカレー!
美味しい以上に大切な何かを振る舞って頂いたのだと思います。
 
2. Posted by まっつ   2017年05月27日 00:58
野生を呼び覚ます感覚は、
日々の生活で見失いがちな、原点的な何かを思い出させてくれますね。
便利な現代社会の中で鈍りきってしまった感受性が研ぎ澄まされる「あの」感覚は、
一度経験するとやみつきになる魅力があります。
人間も身体を有した生き物であるからには、
自然や野生から全く離れてしまう事はできないのだと感じています。

師父のキャンプカレーは、かつて味わった事がない複雑華麗な風味で、
私の人生で最も高級なカレーとして記憶に刻まれました...
 
3. Posted by ユーカリ   2017年05月27日 03:33
私も念願の野外訓練に、家族でご一緒させていただく機会を得ました。この経験は、自分にとって、また家族にとって、とてもとても勉強になりました。

自然の中に身を置き、今回の課題に取り組む中で、私の中で最も衝撃を受けたのが、「個」と「全体」の関わりに対する、自分の認識でした。
「個」と「全体」を完全に別のものであると捉えていたのだと思います。自分の作業をしながらも、周りを気遣い、それを当たり前のようにやっている皆さんの中で、我を捨てきれずに壁を作る自分が、とてもちっぽけで、陳腐なものに思えました。
そこに流れていたものに身を任せきれずにいた部分が次第に心地悪くなり、少しずつ少しずつ変化していた自分を観察するとこもでき、面白かったです。

師父が妥協を許さず、丁寧に丁寧に作ってくださったカレーを自分たちが炊いたご飯にかけて頂く・・・本当に贅沢で美味しい、実り多き夕食・キャンプでした。

その一回が常に本番であるという意識も、欠如していたので、日々の生活でその意識を持ち続けたいです。
家族でもまたキャンプをして、互いに磨き合えたらと思います。
 
4. Posted by ランフォリンクスの尾   2017年05月27日 21:20
恥も外聞もなくドカ食いしてしまいましたが、素晴らしく美味しかったですねぇ、野外で食べる師父のカレー。
普段なるべく手間のかからないものばかり作って食べている私は、考えさせられることが多かったです。

今年に入って2回も野外訓練に参加させていただけたことは、私にとって学ぶことの多い経験でした。終われるように過ぎ去って行く毎日ですが、生きるということはそれだけで奥深いことでもあるのだと思いました。

火起こしはうまくいかず、ようやく火がついたかと思えば買ったばかりのコッヘルは煤で真っ黒、柄のゴムはボロボロ……
こういう苦労する経験も大事にしようと思います。

日帰りの山歩きなら私は年に数回やるのですが、キャンプはこれまであまり経験してこなかったのですよね。

今後の野外訓練も期待しております。
 
5. Posted by とび猿   2017年05月28日 00:56
整備された環境では、暮らしやすい分、すべてに於いて鈍いままでいられてしまうように思います。

少し前に、近所の里山に登ってきました。
たとえ里山といっても、そこは動物たちの生活の場なので、普段よりは危険も多くなるし、もちろんコンビニもない(笑)
そこでは、自分のひとつひとつの選択や行動が、直に自分に帰ってきて、必然的に、自分の軸が磨かれるように感じました。

そして、頂上で飲んだコーヒーのうまいこと。
套路の気持ち良いこと(笑)
日常生活から一旦離れ、自分と向かい合うことで、少しは繊細になれたように感じました。
 
6. Posted by 円山玄花   2017年05月28日 01:15
>1回の対練が代用の利かない本番

まさに、この認識があるかないかで、
ありとあらゆる状況から「生き残れるか」が決まると思います。

野外で火を熾したりご飯の準備をしていると、1回限りということがよく分かります。
反対に、家があり、ガスがあり、電気がある生活は、そのことを忘れて、
まるで永遠にそこに在るもののような錯覚を覚えさせますね。
人間が便利さを求めた結果が、脳みそを使わなくなるようなことだと分かっていたら、
過去の発明家たちは同じように発明したでしょうか。

私たちは、発明された便利なモノに胡座をかくことなく、
それを使いこなし、さらに自分たちの発展のために進化させていかなければ、
甘んじて使う資格は無いのだと思います。
それは同様に、太極拳でも同じことが言えると思います。

世界を知り、自分自身を知る。
その為の野外訓練ですから、
また行いたいですね。
 
7. Posted by タイ爺   2017年06月01日 14:44
今年の冬にひょんなことから家に入れなくなり、
マイナス10度以下の外に数時間さまよう羽目になりました。
時間は夜中の1時。
就寝中の家族に電話をしようが携帯に掛けようがラインをしようが全くの反応なし。
じっとしていると冷えてくるので町内を一周しては携帯で連絡することを繰り返していましたが、その携帯のバッテリーも寒さのせいで急速に減り、とうとう電源が落ちてしまいました。
自宅が町中だから「交番に駆け込む」「コンビニに駆け込む」などと選択肢はありましたが、
バッテリー切れになった時には「凍死」というものを身近に感じました。
今まで気づかなかっただけで「死」というものは案外近くに居て、
ほんの些細な判断のミスでいつでもどこでも誰にでも降りかかるものだと感じた次第です。
人生観が変わった数時間でした。
 
8. Posted by さすらいの単身赴任者   2017年06月05日 05:46
キャンプに必須のライター、懐中電灯がなく、タープのみの野営であったら、たちまち人間はたちまち「お手軽キャンプ」などではない世界に入ってしまうのですね。そこは非日常の世界ですね。むかし(20代後半)、ほんの春先にオフシーズンでだれもいない本栖湖湖畔で野営しようとしたところ、車中泊で3シーズン用シュラフ1枚と毛布では足元から忍び寄る冷気で凍えまくって一睡もできませんでした。まだ某真理教のサティアンなどない時代でした。自然を甘くみていました。皆様の野外訓練の厳しさが増していくこと、たいへんと実感しました。稽古も非日常の気持ちで取り組むこと、極端にいえば毎日がその日は二度と帰ってこない、必死で取らなければでなければならないのですね。自分は日々戦場にいるという山本五十六元帥の心境に到達できるのはいつになるのでしょう。
 
9. Posted by ハイネケン   2017年06月08日 13:18

〉毎回毎回真剣に行っていたつもりでも、どこかでは「これは練習だ」と思っていたのではないだろうかと。

私も、慣れたつもりか一回一回の大切さが見えなくなっておりました。
認識出来てない、自分の奥底にある考え方に気付く良い機会になりました。
ありがとうございます。

〉ただ、緑のシートにくるまった人間が寝てるだけです。

ワイルドで羨ましいですが、夜中に見かけたら、ちょっと、いやかな〜りビックリしますね。
悪い子ですらマネしないと思います。
(笑)
 
10. Posted by 太郎冠者   2017年06月09日 02:15
☆マルコビッチさん
道具はメンテナンスはもちろんのこと、使い方がわかっていないといけないですね。

自分は、キャンプに行っておきながら基本的なロープワークさえ出来なかったものですから、
テントやタープがあってもいざ張ろうとしても出来ない!
なんてことも冗談じゃなく起こってしまうわけで…。
ロープの結び方を知っていれば、自在金具がなくてもどうにでもなります。
正しい知識があれば、道具はなくても別のことで補完できるわけですね。
使える道具があるにこしたことはないのですが。

>師父が作って下さったカレー
そうだったんですね!
それでは、おいしくないわけがないですね。素晴らしいです。
 
11. Posted by 太郎冠者   2017年06月09日 02:19
☆まっつさん
自然の中で二泊三日も過ごせば、狂っていた体内時計が自然のリズムに戻るそうです。
そういった意味も含めて、野生に戻ることが出来るのだという気がしますね。

便利になった世の中が一度になくなってしまうと、
世紀末的破滅への道まっしぐらなのでさすがにちょっと遠慮願いたいですが、
それでも大事な感覚を思い出せる機会は、きちっと味わっていかないといけない気がします。

うだうだ悩んで考えてる暇があったら、
「そんなことより焚火やろうぜ!」
と言えるような大人になりたいものです。
 
12. Posted by 太郎冠者   2017年06月09日 02:25
☆ユーカリさん
>「個」と「全体」の関わり
一緒に参加していた子供たちが、いろんな人のところに話をしにいったり、遊びに行っていたのが印象的でした。
彼女たちには、壁などというものは全く無かったかのようでした。

それと、自分など、自信のことで手いっぱいだったのですが、
拝師弟子のS先輩などは、初めて参加した人たちのことまで気に掛けながら、
「大変だ、まだ準備してないよ」
と口では言いつつテキパキと準備をこなし、食事の用意をしていたので、流石だと思いました。

自分のことはちゃんとこなし、回りのことも気に掛ける。
そして子供と遊ぶ余裕もある、そんな大人に私もなりたいものです。
 
13. Posted by 太郎冠者   2017年06月09日 02:30
☆ランフォリンクスの尾さん
カレーおいしかったですねぇ。
三種類あって、僕は全部食べたので、最低2回はおかわりしているわけですね。

自分も最近まったく料理をしていないので、この機会に何かちゃんとしたものを作れるようにならねば、と思いました。
食べられればそれでいい、と無頓着なところがあったのですが、体を作る上でも、また豊かさを養うという点でも、もっと取り組んでいかないといけませんね。

自分のコッヘルも煤で真っ黒になりました。
あとで知ったのですが、ゴムの柄はとってしまえばいいみたいです。
焚火で使うには、昔ながらのビリー缶がいいんですかね。
ちょっと憧れます。
 
14. Posted by 太郎冠者   2017年06月09日 02:38
☆とび猿さん
我が家の近くの山、僕が小さかった頃の遊び場はあらかた削られて住宅地になってしまいました。
もともと山と言えるほどのものではなかったのですが、それでも、そういう環境が最初から味わえない今の子供たちが少し可愛そうに思います。

懐かしがっていても仕方がないので、いま遊べる場所はどこかないかと、懸命に探している最中です(笑)
近くに登っていけるような山があるとは、うらやましいかぎりです。

ただ歩く、走るにしても、舗装された道か山道では得られるものが全く違いますね。
>套路の気持ち良いこと(笑)
実はそれはまだしたことがないので、今度人目に付かない場所でやってみようと思います。
 
15. Posted by 太郎冠者   2017年06月09日 02:46
☆玄花さん
コアラはユーカリの葉を食べる生活を選んだことで、
体を動かすことが少なくなり、なんと脳が縮んだそうです。
コアラにとってはユーカリがコンビニであり、他にすることがないと脳は退化するという、良い例なのかもしれません。

人間、そうなってしまってはおしまいかな、とも思います。
今のところは、新しく現れた技術を扱うために必死に脳を使っているので、縮んでいってはいないと思うのですが、それでも体を使う機会は確実に減っているので、人類も危ないかもしれないですね。
笑えないですが(笑)

>過去の発明家たちは同じように発明したでしょうか
発明家は発明するために頭を使ってるはずなので、
そこまで考えないかもしれないですね。
 
16. Posted by 太郎冠者   2017年06月09日 02:58
☆タイ爺さん
>マイナス10度以下
それは災難でしたね。袋井ではそこまで下がることはないと思うので、なかなか味わえないピンチです。

携帯は便利ですが、連絡が取れずにバッテリーもダメになったらアウトですね。
火を熾すための火花がバッテリーから飛び散るアプリでも作ったらいいかもしれません。
一回でスマホはおしゃかになるとは思うのですが、その一回で命が助かるのならば、安いものだと思います。

その前にコンビニがあるんだったら、コンビニで温まる、ライターなど火をおこすための道具を買う、といった手段が取れるかもしれません。
財布がなくても、スマホでピッと決済出来る世の中です。
実に便利になったものです。

すみません、8割冗談で書いてます(笑)
冷静になれば選択肢は見えるものですが、
いざ危機を目の前にするとなかなかそうはいきませんね。
難しいものですね。
 
17. Posted by 太郎冠者   2017年06月09日 03:08
☆さすらいの単身赴任者さん
「備えよ常に」
とあるように、持っていける道具だったら出来る限り準備はしておきたいものですが、
キャンプに行くのにあまり道具を持ち込みすぎても、
ただ外に家の生活を持っていくだけになってしまうので、そこの線引はうまくしたいですね。

先日の野外訓練以降、購入したタープを何度か外で張ってみたのですが、
いろいろな張り方が出来、テントより持ち運びもコンパクトで非常に便利で面白いです。
まだ野営するのには使えていないのですが、機会を作って試してみようと思います。

野外という、室内よりは厳しい状況でも、ただ耐えるのではなく、知恵を使っていかに快適に過ごしていくか。
戦いという極限の状態で、いかにファンソン出来るかという、太極拳に通じるものがどこかにあるのかな?
なんて思ったりしています。

ただどこでもゆっくりしたい怠けモノなだけかもしれませんが。
 
18. Posted by 太郎冠者   2017年06月09日 03:16
☆ハイネケンさん
ロープを結ぶにしても火をつけるにしても、ふだんはやらないことなので、その中で発見出来ることはたくさんあります。
その上で、次はこうしようという工夫もどんどんわいてきたのですが、
その感覚が、果たして自分自身、稽古の中であっただろうか?
とはっと気づいたのが、そもそも今回の記事を書いた発端でした。

キャンプで試したときのように、一回一回の稽古の中で、もっと創意工夫して発展させていくことが出来るのでは。
もしそうだとしたら、自分自身、なんてもったいない稽古をしていたのだろう、と大いに反省したものです。
それで即座に変化が出たわけではないのですが、
毎回の取り組み方を見直すというきっかけになったと思いました。
もし、何かしら記事を読んで感じていただけたのだとしたら、幸いです。
ありがとうございます。

>夜中に見かけたら
一応、人が来ない場所と時間帯を選んでやりましたので、大丈夫でしたよ!

それに、次からはもっと上手に、場所も選んでやるので大丈夫、…です。
 

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