2017年03月26日

練拳Diary #78「武術的な強さとは その20」

               by 玄門太極后嗣・範士   円 山 玄 花



 「武術的な強さとは」について書き始めてから、もう20回目となります。
 読み返してみると、自分のことについてこんなにも書いたのか?、と驚くほど自分の想いや考え方を率直に、その時々の言葉で綴っていました。
 練拳ダイアリーだから何を書いても良いのでしょうが、今振り返ると少々恥ずかしさを覚えるような拙い表現などもあり、改めて文章として書き残すことの重大性を感じざるを得ません。

 第1回目は約2年前の投稿で、「強さ」とひと言で言っても実際には様々な種類の強さがあり、とりわけ私たちが求める “武術的な強さ” がどのようなものであるのか、一般的にはもちろんのこと、私たち自身も明確に認識してないのではないかという疑問からこのタイトルが生まれました。
 内容としては、試合と実戦の相違点に着目することから始め、勝てる強さではなく負けない強さ、即ち「生き残れること」を軸に様々な角度から光を当てて述べてきましたが、当初自分で考えていたよりも話が広がっていくこととなり、その分新しい発見も多く毎回勉強できたことが大きな実りでした。
 この第20回目を機会に、武術的な強さについて纏めてみたいと思います。


 さて、生き残るためには自分を鍛えなければならず、負けないためにはただ筋力や打撃力を増強するだけでは無意味です。なぜなら、30歳を過ぎれば誰でも実感するように、体力筋力は年々衰え身体の回復が遅くなります。
 太極武藝館に入門してくる格闘技出身の人たちが言うには、現役で動けるのは精々頑張っても30代後半までということで、自分が年を重ねても若い人に負けずに動くことが出来て戦うことも出来る、そういう男になりたいという理由で入門する人が大勢居ました。
 彼らから聞いた話では、普通は何をどのようにして鍛えていくのかが曖昧であったり、その方法に極端に偏りがあるもので、概ね指導者の経験から得られた方法を教わるようです。しかし、もしその結果身体が故障したり、それが武術として使えない身体を造ってしまう原因になってしまっては何にもなりません。

 太極武藝館の門人は、入門から1年も経つと例外なく姿勢が良くなり、多くの人が「健康診断で身長が伸びた」と言います。60歳を過ぎた人がそのような報告をしてくるとさすがに驚かされますが、実際に体つきや顔色が変わって動作も機敏になってくるので、練功に対する正しい取り組みの重要性を否応なしに実感させられます。何十年もサラリーマン生活をしてきた70歳を越えようという人が、師父に大きく投げられて綺麗に受身を取って立ち上がる姿は感動ものです。
 何をどのようにして鍛えていくのか。それこそが “秘伝” と呼べるものだと思いますし、それ無しに套路を何種類も覚えたり秘技絶招をどれほど習ったところで、武術的にどのくらい役に立つのかは甚だ疑問です。

 先日、幸運にも軍隊のトレーニングを間近に見る機会がありました。
 一般市民に公開展示するようなイベントではない本物の訓練であり、部隊名やトレーニング内容の詳細を明かすことはできませんが、室内で行われていたそのトレーニングは多くの一般人が想像する軍隊のトレーニングとは全く異なるもので、とりわけ印象的だったのは訓練の最初に行われていたエクササイズです。
 それは床に寝転んだ状態から始められていましたが、驚いたことに太極武藝館のセミナーで行われた内容とほとんど同じものだったのです。まさか、自分が何年も前にセミナーで受講した内容が、そのまま実際の軍隊のトレーニングで行われているなど、まったく想像も及ばぬことでした。
 広い訓練棟で戦闘服に身を包んだ訓練兵士が教官に指導を受けている様子には一切の一般的な戦闘イメージはなく、反対に深く静かに自分自身をみつめて精神的な自己制御のシステムを養っているように見えました。しかも、そこから始められた3つのトレーニングは、私たちが道場で指導されていることやCQC特別講習クラスで教授されていることと、驚くほどピッタリと一致していたのです。
 師父は、道場での稽古指導に於いては、滅多にその練功がどのような種類のものなのか、それを稽古することでどのような成果が出るかを説明されることはありません。そしてそれ故に、私たちは教わる内容を、まるで太極拳の学習としては当たり前の、どこの太極拳でも教授されているものだと考えがちです。
 ところが、そのとき軍隊で教官が説明していたのは、“軍人にとって欠かせない特殊な意識訓練” であること、そして “体力筋力を養うと同時に脳を鍛えること” だったのです。
 もちろん、そこで行われていたトレーニングは静的なものだけではなく徐々に動的なものへと移行し、更には素早い動きの中で複雑な指示を的確にこなしていくというものまで行われていたことを付け加えておきます。

 プロの戦闘要員育成トレーニングが、私たちの稽古内容と一致する。────────それは、激動の時代を生き抜いてきた太極拳の歴史を見れば何の不思議もないことですが、現代太極拳の練習内容を見聞する限り、まるで肝心な “武術的要素” がスッポリ抜け落ちてしまったかのように思えてしまいます。つまり、たとえ勁力などの非日常的なチカラが存在していたとしても、その使用方法となる戦い方は明確に示されていないのです。多くの発勁動画を観てもあまり武術的な脅威を感じないのは、その辺りの理由からかも知れません。
 軍隊で武器(力)を正しく扱える知識と身体を養うように、武術家にも同等の過程が必要なはずで、その過程を経ることによって、ただの強さではない “武術的な強さ” が身に付くのだと思います。

 軍隊式トレーニングが筋力体力を頼みにするものではなく、ましてや単なる格闘訓練や銃火器訓練だけでもなく、もっと根本的な自己統御から行われているということは、彼らのその統率された集団行動や命令系統の確立からも納得できると同時に、武器の有無に関係なく戦うことが出来るし、たとえ最後のひとりとなっても為すべき事を為しながら戦い続けることが出来るという、そのような人間を育成していることがはっきりと分かります。

 研究会の稽古で時々道場を離れて山に入って特別訓練を行うのも、同じ目的であると感じられます。
 特別訓練と言っても、いきなり山中に放り出すような荒っぽいやり方は(今のところは)せずに、まずは非日常の環境に身を置いて寝床を作り、火を熾し、食事を作るという、ごくありふれた野外生活を経験させられます。
 慣れ親しんだ日常から一歩離れた非日常の中では、自分が行ったことが全て自分に還ってきます。その時に自分は何をどのように考え、問題にどのように向き合うのか。また、自分独りなら何とかなったことが、仲間と共に行動しているために一手間も二手間も掛かるように感じられることも多々あって、一致団結のためには誰もが自分から率先して動く必要が出てきます。
 そうして少しずつ、太極拳という武術に向き合う自分自身の根本的な問題──────危機感の欠落、ご都合主義でコンビニエンスな考え方など──────と直面し、大袈裟でなく一個の生命としての活動に目覚め始めるのです。

 常に危険や危機と隣り合わせの状態では、否応なく武術的な強さが希求されます。それは理屈ではなく、頭で考える暇もなく唯々生き残るために全身全霊で求めるのです。
 危険と言っても、たとえば岩がゴロゴロしている川原を歩くということでも充分危険な状況です。そこで正しい考え方と歩き方を教わり様々な変化応用を伴って縦横無尽に行き来する、たったそれだけでも不思議と軸が整った立ち姿に変わり、身体はいつの間にか柔らかくしなやかに動き、足元は自然と軽くなります。
 言い換えれば、人間はそれ程までに “危機” に対して頭も身体も鈍感になっているということです。

 かつてない種類の激動の時代に入っている現代では、誰もが危機に対して敏感になり、どのような危機に対してもきちんと対応してそれを乗り越えられるだけの知識と身体が必要になると思えます。その場合には武術学習の有無は関係なく、誰もが日常生活の中で “武術的な強さ” を求めて生活することで、敵の思うがままにおめおめとは遣られない意識と精神力とが養われるものと思います。
 僅かばかりの油断が悪いとは言いません。そのささやかな油断にさえ意識的に気付ける自分で居られることこそが、「武術的な強さ」を理解するために欠かせない重要なヒントになるはずです。

 20回をかけて述べてきた「武術的な強さとは」については、今回で一応の区切りとすることにします。武術的な強さとは何であるのか、ここに明確な回答が得られたわけではありませんが、それを確実に手繰り寄せて行けるだけの実感が両掌に感じられます。

 この記事が武術を道とする皆様の、また日々を武術性の追究に向けられている方々のささやかなお役に立てて頂ければ望外の幸せです。

                                  (了)


xuanhua at 11:42コメント(18)練拳 Diary | *#71〜#80 

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2017年03月31日 00:51
最近、改めて「危機」について考えてみましたが、
スマホやコンビニのような便利な道具やインフラが発展し、
水や公衆衛生や治安が意識されないレベルで整備された今日では、
食べ物や寝る所の心配が意識に登る事は無くなり、
日々の金策や、身近な人間関係の機微こそが、
リアリティのある「危機」として実感されているように見えます。
一昔前と比較しても、世の中の世界観はシフトし続けていると感じています。
それらも一面の真実ではあると思いますが、
自分も含めて、生き物としては弱くなりつつある点は気になります。
武術に向き合ったり、野外に出たりと、身体で「危機」を実感する経験は、
生きる力/野生を呼び覚ましてくれます。
人間は、身体から、野生から、離れない事が、
強さを保つ鍵なのだと感じています。

練拳ダイアリーを拝見しつつコメントを考える事は、
小生にとっても自分に向き合う良い機会でありました。
ありがとうございました。
引き続き楽しみにしています。
 
2. Posted by 太郎冠者   2017年03月31日 01:39
「強さ」が、ただ敵を屠るためのものだとしたら、
行きつく先は核兵器で敵を根絶やしにすればいいということになり、
そんなことになったら、人類はとっくに(何回も)絶滅してしまっていたはずです。

軍事的トレーニングが太極武藝館の稽古と一致するというのは驚きですが、
戦闘で生き残るための技術をつきつめていくと、
やはり共通してくるところがあるということでしょうか。

世の中の変化は複雑で流動的で、その中でしっかりと生きていくには、
変化に対応できる柔軟さがありながら、それに流されない軸を持たないといけないと感じます。
どんな状況でも頭をクリアにし、心身ともに自在に働かせられる自分であるか、
そういうことにこそ、武術に限らず、本当の強さがあるように思いました。
 
3. Posted by マルコビッチ   2017年03月31日 02:27
歳を取ってくると自分でも気づかないうちに頭の回転も身体の動きも鈍くなってくると、話には聞いていたけど、本当にその通りで、あらゆるところで衰えを感じざるを得ません。それは自然なことでもあるのかもしれません。
しかし、現実を受け止めて、精神を立て、気力を前に向けていくと、衰えの速度が遅くなるというか、前に戻るような状態になるのですね。
それは、武藝館で師父や玄花后嗣のご指導のもと、「出来るようになりたい!」という思いで稽古を重ねていく中で、教えて下さったことです。
そのように精神を鍛えていくこと、身体を鍛えていくことは、おのずと考え方が変わり、人を強くしていくのだと思います。
”強い人”は全然弱いところが無いのかというのではなくて、きっと自分の弱い部分をきちんと知っている人なのだろうと思います。
そんな基本的な自分自身との向き合いが、腐ったような世の中でも自分を失わずに、真実を追えるのだと思います。
こんなふうに、武術の稽古の流れの中で、精神の鍛錬の大切さを諭して下さるところは他にはあまり無いのではないかと思います。

「武術的な強さとは」・・・まだまだ考えの足りないところばかりだということは分かります。
これからもよろしくお願いいたします。
 
4. Posted by とび猿   2017年03月31日 22:26
非日常の環境に身を置くと、それまでに得た、利便性を求めた小手先のテクニックなど通用せず、各自の本当の力が試され、実感し、鍛えられると思います。
武術を練る者ならば、漫然と強さにあこがれ鍛えるのではなく、武術的な強さとは何かという問題に関わり、意識的に心身を鍛えていく事で、唯一本当の強さを手に入れることが出来るのだと思います。
その道に終わりはなく、新たな発見があり、たくさんの失敗はあるけれども、たとえ少しでも成長を重ねていけたらと思っています。

武術的な強さとは、武術を練る者にとって欠かす事のできないものですが、ごく平凡な日常生活を送っていては、気付きにくいものであると思います。
ありがとうございました。
 
5. Posted by ユーカリ   2017年03月31日 23:39
「生き残ること」と最初いわれた時には、「自分独り」を想定していましたが、現在は「周りの人たちと一致団結して生き残れるには」に変化していると感じています。その為には、コツコツと鍛え自分が自律していなければならないと思うようになりました。

ただ、日常生活や道場での稽古では、「どうしたらいいんだろう。こうかな?ああかな?うまくできないな。うまくいったぞ。」などなど、頭で考える余裕を持ちたくなり、生死を掛けるような精神状態には至りません。教授されていることはすべて、生き残るための事であるのに、それをそれとして受け止めていなかったのだと思います。
「自分を挟まない」ことの訓練は「生き残ること」の訓練そのものなのだな、とその重要性を改めて嚙み締めております。
 
6. Posted by 円山玄花   2017年04月03日 20:11
☆まっつさん

確かに、野外活動を始めてからの方が、武術的危機感に目覚め、
日本の国家的危機にも目を向けるようになりましたね。

何というか、やはり与えられ、現状に懸案事項がないことを吹き込まれると、
人間は危機感を忘れ、自分で動かなくなります。
問題は、誰が何の目的で何を与えたのか、ということなのですが・・

ちょっとコメント内容が逸れますが、
戦後、私たちが生まれる前に行われたGHQによる7年間の『日本占領政策』は、
まさに「日本弱体化計画」や「洗脳統治」と呼べるもので、その基本原則にはご存知の通り、
《3R・5D・3S 政策》がありました。
この中の、3Rのトップが “Revenge(復讐)” であることを再認識するだけでも、
日本人としての危機感が大きく変わると思います。
また、この日本改造基本原則の他にも、テレビを使った洗脳計画《パネルDジャパン》など、
自分も含めて、現代日本人がなぜここまで国家や政治への関心を持たなくなってしまったのか、
よく分かるものがあります。
敗戦国として、日本がどのような占領政策を受けたのか、
私たち日本人は誰もが知っていなければならないと思います。

彼らに都合よく改造されてしまった日本国が、彼らの思惑通りの “Revive(復活)” ではなく、
誠の大和魂で立ち上がり、真の復活を成し遂げる日が来るようにしたいですね。
 
7. Posted by 円山玄花   2017年04月03日 20:17
☆太郎冠者さん

>どんな状況でも頭をクリアにし、心身ともに自在に働かせられる自分であるか

まあ、これが出来れば、生き残れる確率は高いでしょうね。
そのような自分の状態を可能にするのは、ハードなトレーニングやキャンプではなく、
ごくありふれた日常を、如何に意識的に生活できるかどうか、その積み重ねに掛かっています。

本当は、トレーニングやキャンプもその意識が無いとできませんが、
自分の現状で何が足りないのか、どのような意識が必要なのかを身を以て分からせてくれる
ものでもあるので、稽古にはとても有効なのだと思います。
 
8. Posted by 円山玄花   2017年04月03日 20:23
☆マルコビッチさん

私も、先輩方のコワい体験談を聞いていると、自分が同じ年齢になった時のことを考えて
ゾッとしたりしますが、反対に、年を重ねるごとに熟達し、様々に研ぎ澄まされていく人も
大勢いるので、自分を高めていくことに終わりはないと心に刻み、頑張ろうと思います。

なにより、マルコさんのように自分の壁を乗り越えていく人の存在は、
私たちのように後に続く人間にとってはとてもとても励みになります。
師父をはじめ、居るだけで勉強になる人たちが大勢いらっしゃる。
そんな道場に通える私たちは幸せだと思います。
 
9. Posted by 円山玄花   2017年04月03日 20:38
☆とび猿さん

私も、日頃から考えていたことをこうして文章にする機会を頂き、
また毎回皆さんからたくさんのコメントも頂き、大変勉強になりました。

ごく平凡な日常生活を与えられるままに送っていたなら、武術的な強さどころか、
きっとあっという間に年を取って、趣味もなく、やりたいこともなく、
何の興味も湧かずに平々凡々と過ごす毎日になるのでしょうね。
・・う〜ん、考えただけでヘドロに首まで浸かった気分になります。

平凡な日常生活を、意識的に、非日常的に過ごすこと。
その積み重ねは、武術に限らず、全て発見と気付きの連続に変えられるのだと思います。
 
10. Posted by 円山玄花   2017年04月03日 20:55
☆ユーカリさん

>生死を懸けるような精神状態

そうですね、炎天下の厳しい軍事訓練でも、やはり頭の片隅には次の水分補給のことが
浮かんでいたりしますから、そもそも滅多にそのような精神状態にならないように、
脳が仕組まれているのかも知れない、とも思えます。

たとえば、空調の効いた静かな室内で、ナイフや銃、爆薬などを実際に扱うような
状況の方が、よほどそのような精神状態になれるような気がします。
或いは、吊り橋からロープ一本でぶら下がる・・という状況では、
その時自分に必要な知識や技術の吸収が、普段とは大違いであることが想像できますよね。
今後、そんな特別訓練が行われないとも限りませんよ!
 
11. Posted by ハイネケン   2017年04月17日 07:32
「武術的な強さとは?」と言いつつ、火を熾す物語、テーブルでの皿の音、スープカレーの話、カヌーの話、コーラスの練習・・・一見すると遠い様な「え〜?」となるキーワードから展開されていました。
読んでみるとあれあれ? 相変わらず自分が思い違いをしていたり、勝手なイメージをしていたり。

漠然とした話ではなく、危機意識や目の前にある状況や流れ、環境判断といった総合的な見方が無ければ生き延びる可能性すら少なくなる。
戦略と戦術は別物かと考えていた自分の浅はかさ、ヘドロに浸かったヌルさを感じます。
読み返すと当時よりも今だから自分に響く文に出会います。
もう一度、読んでみます。
 
12. Posted by スーパードライ   2017年04月17日 18:46
以前は、武術の技術を習得することが目的であり、それが強さを得ることであり、それで良いと思っていました。

武藝館に入門してからは、その目的以前に自分の弱さやその原因を知らしめて頂きました。
今では強さ得るよりも弱さが再認識され、それを克服しいくことで強さを得る準備が整えられていくのだなと深く感じております。

そして色々な危機に対応できる遣られない意識、精神力、身体の強さを得るためには、もっと大きく自分自身に向き合わなければならないと思います。

ダイアリーでは、稽古の考え方、捉え方の教えとなり自分を見つめなおす時間ともなりました。ありがとうございます。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 
13. Posted by タイ爺   2017年04月18日 09:05

玄花后嗣のこのコラムはともすれば攻防のやり取りが武術と勘違いしてしまう自分を再確認しました。
敵と遭うのは平らな場所とは限らず、階段かもしれなくひょっとしたら川の中かもしれない。もっと条件が悪い場所ということもありうる。試合のための技など有りうるわけはなく、どんな条件であろうと稽古と同じように動けなければなりません。
太極武藝館で何気なく稽古されているものが何時、いかなる場所でも自分の身を守るための技術であり心構えであると強く感じました。
レスが遅くなり申し訳ありません。腕立て伏せしてきます。
 
14. Posted by さすらいの単身赴任者   2017年04月23日 14:02
自分の本当にごくわずかな修行経験から、武術は筋力という呪縛に長く捕われてまいりました。ウォームアップとして1000本突き、100本蹴り、屈伸しての突き蹴り、拳立て伏せ、腹筋、いったい何だったのでしょう。最近始まったドラマ西島秀俊主演「クライシス」を視聴しての対ナイフの場面、とてもかっこいいんですが・・・固めて防ぐ、固めて打つは絵空事であると武芸館で心底思い知らされました。生きている人間はかくも複雑で変化に富むのだ、なんと想定外なものなのだと思い知りました。
人間というものがもっとわからないと武術の深遠の入り口にすら立てないのですね。やっと目がさめ、これから寿命の限り教えをいただきたいと考えています。よろしくお願いいたします。
 
15. Posted by 円山玄花   2017年04月24日 23:52
☆ハイネケンさん

武術団体のブログに日常の出来事が書かれるのは、
私たちが趣味の太極拳ではなく、武術家の人生として太極拳に取り組んでいるからです。
そして有難いことに、太極武藝館には人生を懸けて取り組むだけの価値があると思えます。
それは、対象が音楽であっても絵画でも、陶芸でもきっと変わらないことでしょう。
だから、と言うと少々こじつけになるかもしれませんが、相手が素手でも武器を持っていても、
此方は何も変わらずに対応できるのだと思います。

>もう一度、読んでみます。

ぜひまた感想を聞かせてくださいね。
 
16. Posted by 円山玄花   2017年04月24日 23:54
☆スーパードライさん

>稽古の考え方、捉え方

悩みは自分から生じ、解決は稽古によって起こる・・と、私は思っています。
私自身が弱い人間なので、右往左往することも間々ありますが、
”悩んでいる暇があったら、稽古する” というルールを設けているおかげで、
割と悩みっぱなしではなくなりました(笑)
やはり、大いなる規矩を持つものは偉大だと感じます。

次回の稽古を楽しみにしています。
 
17. Posted by 円山玄花   2017年04月24日 23:57
☆タイ爺さん

普通は、襲撃は夜に遠くから飛び道具で狙い、
直接の攻撃なら必ず武器所持で複数人数だと思った方が良いですね。
すれ違い際にナイフでザクリということも、十分有り得ます。

このように自分が襲われる側の立場として考えてみると、
日頃からの隙の無い立ち居振る舞いや意識訓練が如何に重要であるか、見えてきます。
当然のことながら、私たちに与えられる課題の全てはその為にあり、
自覚の有無は本人次第、となりましょうか。

やはり最大の敵は、隣国の特殊部隊や通り魔ではなく、
吹雪でもなければ早い時間に就寝した家族でもなく、ひたすら「自分自身」なのですね。

>腕立て伏せ

( ̄ー ̄)ニヤリ・・
 
18. Posted by 円山玄花   2017年04月25日 00:00
☆さすらいの単身赴任者さん

ナイフの扱いも銃の撃ち方も、想像したり聞いたりしたものと実際に教わるのとでは、
まさに天と地ほどの違いがあります。
自分がプロになるためには、その道のプロに正しく教わるしかありません。

武術の修行は、そのまま人間修行の道であると、
今回の野外訓練でもたくさんの勉強をさせて頂きました。
ぜひ今度は一緒に訓練しましょう!
 

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