2017年01月26日

練拳Diary #76「教示されていること」

               by 玄門太極后嗣・範士   円 山 玄 花



 私たちはよく、稽古時間が長いことについて驚かれることがあります。
 自分たちでははそれほど気にしていませんでしたが、確かに一般武藝クラスでは1回4時間強、健康を目的とする人が集まる健康クラスでも2時間から2時間半程度行われ、研究会ともなると1日10時間前後に及ぶ稽古が行われています。
 もちろん、稽古時間は長ければ良いということではなく、そのクオリティが問題であるということは、常日頃より師父からご指導を戴いているところです。

 トップアスリートのトレーニング方法にしても、巷では「長時間の練習は身体を壊す」とか「一流と二流の違いは、練習と休息のスケジューリングの違いにある」など、様々なことが言われていますが、彼らの普段の練習量と生活スタイルを見てみれば一概に長いとダメだというわけでもなく、まさに三人三様であることが分かりますし、結局のところ成績を残しているプロの人たちは、ジャンルを問わず食事と練習量と身体の回復に重点を置きつつ、自分に合ったトレーニング方法を確立しているわけです。そして、それは国を守る任務にある軍人であっても同様です。

 さて、今回私が述べたいのは稽古時間の長さの話ではなく、その長い稽古で行われている中身についてです。
 稽古では、歩くことだけで2時間が過ぎるということも珍しくありません。それも、ただ延々と同じことを繰り返すのではなく、太極拳という武術に必要とされる歩法とは一体どのようなものであるのか、その歩法が戦闘時にどのような役割を持つのか、正しく歩くために身体をどのように整える必要があるのか、という説明に始まり、そのためのトレーニングを入れながら、日常生活ではさほど気にしていなかった「歩く」ということについて、じっくりと取り組み、学んでゆくのです。
 ときには師父と一緒に歩いて動きを比べ、ときには障害物を設けて歩くなど、様々な方向から歩法を検証する中では、私たちはその人間の理に適った歩法のシステムに驚き、感動させられます。更にはそれが歩法だけに留まらず、基本功や対練へと繋げていけることに、太極拳の学習体系の大きさと厚みを感じずにはいられません。
 最も驚くべきことは、その歩法の集大成が直接戦闘技術に結びついている点です。
 いきなり「散手」とはいかなくとも、対練で相手が攻撃してくるものはもちろん、組みついて倒しに来るものまで、その歩法の理論を知っているのと知らないのとでは、結果に雲泥の差が出てきます。それこそ、勁力と拙力の違いと言いましょうか、相手への影響の現れ方やチカラの種類が明らかに異なってくるのです。
 つまり、私たちが教わる「歩法」とは、単なる一般的な歩き方や足の使い方とは異なり、太極拳の構造から生じる高度な身体操作そのものであり、それが相手にとっては非常に戦いにくく、制しにくい状態を生み出します。

 ところが、私たち門人にとっては無論のこと、太極学を学問として研究するための材料としてみてもたいへん貴重なその指導内容は、師父から見ればご自身が学び修得され、さらに長い年月を掛けて研究発展させてきた全伝の内容からみて、僅か5%にも満たないものだと言われます。
 私たちが普段の稽古で教示され、これこそが太極拳の深奥であると歓喜し感動しているものが、実はわずかに5%であったとは誰が推測できたでしょうか。
 そして、その5%からは、とても全体の100%を想像することはできません。一体どのような内容がそこに内包されているのか、どれほど考えてみても、すでに我々の想像の範疇を遥かに超えてしまっているように感じられます。

 しかし、幸いにも私は、普段教示されている5%以外のほんのささやかな数%を指導されたことがあります。ひとつは対練に於ける要点について。もうひとつは、この新年早々に行われた、正式弟子特別稽古でのことです。
 当然ながら、その稽古内容について此処で書くことは許されておりませんが、普段から一般門人とは異なる高度な内容を教わっている彼らが何に驚き、感動したかということについて、書いてみることにします。

 特別稽古は、普通なら誰もが期待するような派手な吹っ飛ばし方や、高度な纏絲勁理論の教授、套路の第何段階目を稽古する・・といった内容ではありませんでした。むしろ地味で静かな感覚を覚えるような、じっくりと太極拳そのものに自分を浸して染め上げていくような稽古であると言えます。
 稽古が進められる中で何度となく繰り返し聞こえてくるのは、彼らの「すごい!」という言葉でした。何がそんなに凄いのかと言えば、その指導の仕方が通常の稽古とは異なり、ある練功では先ず示されたことをその通りに行い、その中で新たな感覚が生じてきたときに、初めてその感覚が何であるのか、その時に生じた現象が太極拳での何にあたるのかを説明されます。
 それは最初から説明されるものではなく、恐らくそれが稽古中に生じることがなければ、その後も一切説明されなかったのではないかと思われます。つまり、取るも逃すも自分次第だという緊張感をリアルに感じさせるものだったのです。その点だけを取り出しても、まさに「生きた稽古」と言える、伝承というものが決して紙に書かれた秘伝書の受け渡しなどでは為し得ないことを感じました。

 また、太極拳の学習に必要なひとつのことを理解するために、様々な方向からアプローチをしていくことは一般の稽古でも行われていますが、そのひとつひとつが普段とは比べものにならないほど細かいものでした。
 その中には、

 『なぜ站椿で立つ必要があるのか』
 
 『太極拳に必要な身体とはどのようなものか』
 
 『套路とは、何を練るものなのか』

 ということも含まれていました。

 対練でも、最初の対練から次の対練、そしてまたもうひとつの対練へと、架式やスタイルを変えて行われる稽古は、全て段階的に繋がったものとして実感することができます。そのために、相手を如何に遠くまで飛ばすか、などということではなく、なぜ「四両撥千斤」が可能になるのか、なぜ「用意不用力」を理解しなくてはならないのか、その大元を辿ることができるのです。

 特別稽古で行われた稽古内容が、全伝の何パーセントにあたるのかは皆目見当がつきませんが、その日の稽古の始めと終わりとでは彼らの立ち姿も変わり、軸は強くしなやかなものに変容したと感じられました。そして何より、各自の太極拳に対する考え方がより鮮明になってきたと感じられたことが、印象的でした。
 ──────これは、教わらなければ絶対に分からない。套路の形を覚え、推手の数をこなすようになっても、太極拳を教わったことにはならないし、ましてや太極拳を知ったことにはならない。そんな感想を覚えました。


 今年に入ってから、稽古の指導内容がより繊細に、よりダイナミックにパワーアップしているように感じられます。
 それは、一般武藝クラスで指導されていることが研究会レベルに近いものだったりすることが多々見受けられ、その度に研究会に所属する門人は目を丸くして話を聴いていますし、平日の稽古で行われたことを正式弟子に伝えると、その内容の高度さに仰天するのです。
 師父が凄いことを仰ったときには、決してその場で騒がない。それは私たちの中でいつしか秘密を守るためのルールとして根付いたようですが、それでもやはり隠しきれずに、表情や仕草に動揺が現れてしまいます。

 太極武藝館では「健康太極拳クラス」の高齢者でも二十代の若者を軽々と飛ばしてしまいますが、太極拳のすごさは、誰もが容易に相手を飛ばせるようになることではなく、その戦闘方法をトータルに理解するための学習システムが精密に整備されていることにあると、私は思います。
 確かに、その詳細は師父について順序よく教わらなければ理解できませんし、伝承の性質上、正式弟子のための特別稽古と一般門人のクラスを同じ内容で行うことは出来ません。
 けれども、示される形も質も、説明される言葉さえも一切そのシステムを外れたものではなく、それは正に太極拳そのものなのです。つまり、私たちが注意深く耳を傾け、示されることを正しく観ることができれば、それは初めからすでに目の前に在ったということが分かるはずです。

 新年も早くもひと月が過ぎようとしていますが、一段と高度になった稽古内容や、それに伴う門下生の成長の様子を見ても、今年は色々な意味でとても楽しみな年となりそうです。

 皆様にとって、実り多き良い年となりますように。

                                 (了)


xuanhua at 20:12コメント(16)練拳 Diary | *#71〜#80 

コメント一覧

1. Posted by マルコビッチ   2017年01月31日 01:04
5%・・・ですか・・・
想像以上に奥深いものですね・・・
しかし、ひとつでも何か理解が起きると、まるで世界を手にしたかのような気持ちになり、それがたとえ0.001%に満たないような事でも嬉しさでいっぱいになります。
師父にご指導頂くとき、私の足りないところを的確に見抜いて、それを直接的にご指摘するのではなく、自分で繋げて広げていくように促して頂けるようなヒントをくださることがあります。
そんなとき、師父の偉大さと大きな愛を感じます。

先日、玄花后嗣に「また、変わりましたね。」と、対練で受ける感覚が変わったことをお伝えした時、「・・何かを掴みにいくのではなく、より繊細に研ぎすませていったらこうなったのです・・」と話して下さいました。

師父からご指導頂くことが、たとえ全体の0.001%に満たないことでも、それを自分に浸透させ繊細に研ぎすませていくことの積み重ねなのだと思います。
そうしていって1%の理解に達することが出来れば、それはまた次へと繋がっていくのかなと思いました。

また今年も、ブログの記事でも勉強させて頂きたいと思います。
よろしくお願い致します。
 
2. Posted by とび猿   2017年01月31日 22:42
武藝館で稽古していると、常に示されていることは一つの方向を向いているのだけれど、その日、その時に教わることのできるものは、その瞬間を逃してしまったら、二度と教わることができないのではないかという緊張感があります。
そして、その瞬間に居合わせることができるかどうかは各自の問題であり、各自が受け取る準備ができて、いよいよそのチャンスが与えられるのではないかと、最近思います。

より高度なクラスにいる門人は、ただより高度な教えを受けることができるというのではなく、高度なことを受け取ることができるよう、より自分を整え、肥やしていくことが必要なのだと実感します。

なにやら今年は昨年にも増して、大変な一年になっていくような気がしてきます。
本年も宜しくお願い致します。
 
3. Posted by ユーカリ   2017年01月31日 23:45
毎回の稽古で、意識・身体・精神が日常の自分では到底触れることのないものに触れ、覚醒するような感覚を覚えます。今まで私は、その稽古を、糸を紡いだり、機織りをしたりするようだなと思っていました。が、
>じっくりと太極拳そのものに自分を浸して染め上げていくような稽古であると言えます。
とても感動し、意識が変わりました。「自分を浸して染め上げる」ことの中には、自分を挟む余地はないですものね。
稽古にもっともっと純粋に関わって、示して頂いていることを少しでも多く受け取れたらいいなと思います。
 
4. Posted by タイ爺   2017年02月03日 09:43
入門当初は「何で歩いてばかりなんだ?」とそれはもう頭の中が「?」ばかりでした。
しかもそのバリエーションの多いこと多いこと。
しかしそれは決して馴染みのないものではなく普段から練習していたりネット等で見たことのある良く知ったものでした。
ところが師父の後について歩いてみると何かが違い、動作が合わない。そのうち足がパンパンに張って来きて足が重く辛く為ってくる。でも師父はまるで鼻歌でも歌ってるのではないか、と思えるほど軽やかにダイナミックに動かれる。
この時に「太極拳」という深さをつくづく感じた気がしました。文中にあるとおり套路と推手を習って太極拳を知った気になっていた自分を後悔です。

5. Posted by まっつ   2017年02月04日 02:33
確かに芸事の伝承とは、蝋燭の火を移すように、
直接に手を取らせて頂く事でしか適わないと思います。
絵に描いた火を眺めても、火の無い所で念じても、
分かりえないものだと感じています。
そのような縁に恵まれた事に感謝しなくてはと思います。
 
6. Posted by ハイネケン   2017年02月04日 09:28
稽古中、重要な内容を聞いたと感じた時に恥ずかしながらワクワクしてしまいます・・・。
(身に着けなければ意味がないのですが)
さて教示されている内容が5%、その内の何%を理解しつつあるのか?と考えると本当に気が遠くなります。
そんな中、稽古で示された事が理解できず、ブログを見返してみたり、公開動画を見たり。
答えとヒントがある事に感謝しております。

今日は稽古日ですね
 
7. Posted by スーパードライ   2017年02月06日 17:33
初めて稽古をつけて頂いた時には、ただひたすら歩くこと、聞きなれたやり慣れた架式をとることも全くできない状態でした。どうして動けないのか、できないのか意気消沈していました。

こんなに自分は・・・・と心の中で打ち砕かされました。その時の内容は、私にとって100%以上の教えであり、とてもついていける動きではありませんでした。

あれから3年経ちましたが、できない、わからない、もうだめだと自己都合に悩まされながらも、いつの間にか浸されてきてるのかなと実感しています。
5%まで理解できるように浸され続けていきます。

また毎回ダイアリーは、自分が見失っているところを正しく導いて頂けるので感謝しております。

今年もご指導よろしくお願いいたします。
 
8. Posted by 太郎冠者   2017年02月06日 22:41
>トップアスリートのトレーニング方法
ボクシングの元世界王者、マイクタイソンは強さと派手な逸話にばかり注目が集まっていますが、
彼の普段の練習量を知って度肝を抜かれたことがあります。
常人はもちろん、並のアスリートにはこなせそうもない練習を毎日週7日間やり続けることで、あの強靭な肉体を作り上げていたようです。

もちろん、太極拳のような内家拳の発想とは全く異なる鍛え方なのですが、単純な練習量の多さ、一日の睡眠と食事以外はほとんどずっとトレーニングをしているほどボクシングにのめりこんでいる姿・・・
そういったものがひ弱な少年だったというマイクタイソンを世界王者にしたのだと思うと、いろいろと考えさせられることがありました。

我々には太極拳という道が示されていて、すばらしい師に教えを請うことが出来る。
そこまで用意された環境で、あとは育つことが出来るかどうかは、本当に自分自身の取り組み方にかかっているのだと思います。
精進したいと思います。
 
9. Posted by 円山玄花   2017年02月18日 01:05
☆マルコビッチさん

ひとつの理解はとても尊いものであり、嬉しいことですよね。
それはきっと、たとえ0.001%であっても、太極拳という全体の中の、
或いは師父の教え全体の0.001%なので、その理解は全体の一部であり、
そのものでもあるからだと思います。

今年もよろしくお願いいたします。
 
10. Posted by 円山玄花   2017年02月18日 01:08
☆とび猿さん
今年もよろしくお願いいたします。

師父に「秘伝は隠されているのではなく、当たり前のようにそこに在る」
・・と、言われたことがあります。
気がつくのも通り過ぎるのも、自分次第ですね。

まずは、教えられていることが高度なことだと認識できるかどうかで、
ちょっと話は飛躍しますが、日常に於ける危機の認識も同様のはずです。
同じ危機に対しても、ある人は危機と感じるけれど、ある人は全く危機だと感じない。
そんなことは、日常に山ほどあります。
つまり、対象が何であれ認識できるかどうかは自分のセンサーにかかっていて、
そのセンサーをきちんと働かせるカギが、自律とその人の精神性なのだと思います。
 
11. Posted by 円山玄花   2017年02月18日 01:09
☆ユーカリさん

さてさて、みごと染め上がった自分はどんな色合いになるのでしょうね?
楽しみではありませんか(^^)
 
12. Posted by 円山玄花   2017年02月18日 01:11
☆タイ爺さん

>「何で歩いてばかりなんだ?」

実際に、入門数ヶ月の門人が「いつまで歩くんですか?」という質問をしてきたことがあります。

きっと上級者になるほど、歩法の凄さや面白さが実感され、
たとえ10時間全て歩法の稽古となっても、むしろ嬉しく感じるのではないでしょうか。
そのくらい、歩法には太極拳の凄さが詰まりに詰まっています。

歩法なしに套路は理解できないと思えますし、推手ともなると、歩法がなければそのシステムをどのように紐解いたら良いのか、大きな手がかりを失うことになりますね。
まったく、知れば知るほどよくできた武術だと思います。
 
13. Posted by 円山玄花   2017年02月18日 01:40
☆まっつさん

私たちは訓練キャンプに出掛けたときでも、「火の熾し方」ではなく「火が熾きる法則」を
示していただけます。これはとことん法則を突き詰めた人にしか出来ないことだと思いますし、
ひとつの法則を知る人は、全ての法則に通じるものを持っているように感じられます。
太極拳という武術を学ぶ私たちにとっては、とても有り難いことですね。
 
14. Posted by 円山玄花   2017年02月18日 01:45
☆ハイネケンさん

>今日は稽古日ですね

・・えー、2月4日は研究会で訓練キャンプに行ってきました。
何も特殊なことは(今のところは)せずに、各々テントを設営し、薪を集め、火を熾し、
美味しい食事をいただきました。
夜は月が美しく、気温はマイナス3度を超え、すぐ背後では辺り一面に霜が降りていましたが、
火を囲み師父から美味しいウィスキーを頂いた私たちには、寒さも近寄ってはきませんでした。

それこそ、稽古で示されていても理解できないことについて、
野外訓練では沢山のヒントを得ることができたと感じます。
何というか、大自然の中では自分の存在と直面せざるを得ず、
唯々謙虚な気持ちになります。

自分が薪を割るなんて、おこがましい。
自分が火を熾すだなんて、とんでもない。

そう思えたときに初めて、師父が仰った、
『自分が拳を打とうとしているうちは、相手に当たらない』
という言葉の意味が、見えた気がします。

またぜひ機会を作って、皆で訓練しましょう!
 
15. Posted by 円山玄花   2017年02月18日 01:51
☆スーパードライさん

>いつの間にか浸されてきている

とても良い感じだと思います。
稽古に関して意気消沈することやもうダメだと思うことについては、
出来るだけたくさんの門人と稽古をし、話をする機会を作ることが大切だと思います。
入門してまだ数年の人も、十数年を経た人も、ひとりとしてそのように感じずに来た人は
いないはずです。彼らは、どのようにしてそこを越えてきたのでしょうか。
本部の稽古で、待っています。
 
16. Posted by 円山玄花   2017年02月18日 02:02
☆太郎冠者さん

人知れずハードなトレーニングをこなしている人はたくさんいるでしょうね。
ジャンルに関係なく、弱いものを強く、下手なものを上手にするには、
やはりそれなりの訓練を知的に課す必要があります。
あとは本人の必要性の度合いでしょうか。

誰にとっても、言うは易し行うは難し。
「不言実行」を心に、精進したいと思います。
 

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