2016年06月15日

連載小説「龍の道」 第179回




第179回  SURVIVAL (11)



 ヘレンが宏隆に語って聞かせた話は、およそ以下のようなものである。
 少々長くなるが、「ユダヤ」というものを理解する為に、私たちもしばし旧約聖書の物語に入って行きたい。


 ───────ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通の始祖であり、ノアの洪水後、神による救済の出発点として選ばれ、祝福された最初の預言者であるアブラハムと、その父であるテラは、ユーフラテス川の下流、ペルシャ湾まで百数十キロほどの所にあるカルデアのウルという土地に住んでいたが、テラが息子のアブラハムを伴って、ユーフラテス川を遡った上流のハランという所に移住し、205歳で没するまでそこで暮らした。

 テラの死後、アブラハムは神の命に従って、妻である姪のサラと、甥のロトと共にハランからカナンに移住した。
 このとき神はアブラハムに『あなたの生れ故郷、あなたの父の家を出て、私が示す地に行きなさい。そうすれば私はあなたを大いなる民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の全ての民族は、あなたによって祝福される』と告げた。
 
 アブラハムの一行がいよいよカナンの地に到着すると、目前に神が現れて『あなたの子孫に私はこの土地を与える』とアブラハムに告げた。
 しかし、そのカナンは聖書に描かれる ”乳と密の流れる所” であるどころか、大飢饉に見舞われた不毛の土地であったので、行き先をエジプトに変更し、エジプトで食糧を得て再びカナンに戻ってきた。
 「約束の地」カナンは、古代エジプト王朝の州名にも出てくる古い土地であり、その領域は地中海を西の境として、北はレバノンのハマト、東はヨルダン川、南は死海からガザまでを含んだ辺りの地域とされる。

 アブラハムは85歳になるまで子宝に恵まれなかったが、正妻であるサラの勧めによって、サラの女奴隷であったハガルを側室にして、イシュマエルという名の子供を設けることができた。しかし、やがて90歳になった正妻のサラが身ごもりイサクを出産すると、庶子であるイシュマエルと側室のハガルが邪魔になり、ある日ハガルとイシュマエルがイサクをからかった事をきっかけに、母子は砂漠へと追放されてしまう。
 母子は長く荒野を彷徨い歩き、食料も水も尽きてしまったが、天使がハガルに井戸のある場所を教え、二人は生き延びることができた。その後、母子はシナイ半島に暮らし、イシュマエルはエジプト人の妻を迎えて、シナイ半島からヨルダン南部に到る地域に住む人々の祖となったという。ユダヤやイスラムの世界では、イシュマエルは全てのアラブ人の祖先と見なされている。

 アブラハムの正妻サラの子であるイサクには、双子の息子であるエサウとヤコブがいた。兄のエサウは力自慢で狩猟の名人、弟のヤコブは世話好きで頭が良かった。
 ある日、ヤコブが家で食事をしているとエサウが腹を減らして帰ってきた。そこでヤコブは自分に長子の相続権を譲ってくれたらこの食事をあげようと言った。空腹のエサウはつい軽い気持ちでそれを承諾してしまう。
 この頃のユダヤ人の主食は大麦を粗く挽いた粉で作ったパンであり、聖書の創世記には、この時にヤコブが兄に示した食事はひと碗の羹(あつもの)であると書かれている。これはレンズ豆のスープのようなものであるが、エサウはそのスープ欲しさのあまり家督権をヤコブに譲ってしまったことになる。

 やがて父のイサクが歳を取って、目があまり見えなくなってきた頃、後継ぎを兄のエサウに与えるため、エサウが獲物をとって自分の為に料理をしてくれたら祝福を与えようと言ったが、それを聞いた母のリベカはヤコブと謀って、エサウが狩りに出ている間にヤコブがエサウの振りをして祝福を受けられるように仕向けた。エサウは毛深く、ヤコブは毛深くなかったので、ヤコブは見破られないように山羊の毛皮を腕に巻き、目がよく見えない父親を欺いて祝福を受け、まんまと長子権を獲得してしまう。

 戻ってきた兄のエサウはそれを聞いて激怒し、そのためにヤコブは兄から命を狙われることになり、母リベカの故郷で暮らしている叔父ラバンの元へ逃亡する。 
 逃亡の途上、ヤコブは夢を見る。「ヤコブの夢」として知られるこの夢は、地上から天まで光の階段が輝いて掛かり、多くの天使が往き来していた。ヤコブの傍に神が立ち、この土地をお前とお前の子孫に与える、お前の子孫は偉大な民族になる、という啓示を受ける。

 逃亡先の叔父ラバンの許には、レアとラケルという二人の娘が居て、ヤコブは妹のラケルに心を惹かれ、それを叔父ラバンに打ち明けると、七年間叔父の許で働けばラケルを嫁にやると言った。ヤコブは七年間懸命に働き、叔父の牧場はずいぶん豊かになった。
 七年後、念願どおりラケルと結ばれたが、夜が明けてみると一夜を共にした妻の顔は姉のレアであった。驚いて叔父に詰問すると、姉より先に妹を嫁に出すことはできないなどと言い訳をして、もう七年間働いてくれたら望みどおりラケルも妻にさせると言われ、仕方なくヤコブはそれに従う。

 さらに七年が経ち、合計14年の年季が明けると、ヤコブは妹のラケルを二人目の妻として娶り、ようやく父イサクの居るカナンの地へと帰途に就く。しかし帰路の途中の宿営地で、闇の中で何者かが凄まじい力で掴みかかり、激しく争って朝まで格闘することになった。
 相手がヤコブの腿を激しく打ったので関節が外れてしまったが、それでもヤコブは決して相手を放さず、ついには相手の方が「もう帰らせてくれ、夜が明けてしまう」と言ったが、ヤコブは、「いいえ、祝福して頂くまでは絶対に放しません」と言った。
 お前の名は何というのかと訊かれ、ヤコブであると答えると「お前は今後イスラエルと呼ばれることになる、神と闘って勝った人だからだ、今後はあらゆる人と戦って勝つだろう」と言ってヤコブを祝福した。
 この「ヤコブと天使の闘い」は多くの画家によって同じテーマで描かれている。
 また、イスラエルとは「 yisra-el:イシャラー(勝者)・エル(神)」のことで、神に勝つ者という意味である。これが後にイスラエル国名の由来となった。

 カナンの地に戻ったヤコブには12人の息子が居た。後にイスラエル12支族の基礎となる息子たちであるが、ヤコブはとりわけ最愛の妻ラケルの子供であるヨセフとベニヤミンを溺愛した。ヨセフは11番目の息子、ベニヤミンは12番目の末っ子であり、現在でも英語圏ではベニヤミンの英語読みであるベンジャミンを末の息子の名前に付けることが多い。
 ヨセフは頭脳明晰で、父のヤコブも将来を期待していたので兄たちから妬まれ、17歳の時に兄たちの陰謀によって奴隷商人に売られエジプトに送られてしまう。兄たちは父ヤコブにはヨセフが野獣に襲われて死んだと報告し、ヨセフの服に山羊の血を着けて見せる。ヤコブはそれを見て本当だと思い込み、悲しみに暮れた。

 ヨセフが奴隷に売られた先の主人は、エジプト王の侍従長であるポテファルであった。
 しかし、誠実で賢明なヨセフは間もなくポテファルにその能力を買われ、奴隷の身から彼の家の管理を任せられるまでに出世する。
 ある夜、ポテファルの妻がヨセフを誘惑するがヨセフは断り、逆恨みをした妻はヨセフに襲われたと夫に偽りを告げたので、無実の罪で牢に入れられることになる。
 しかし監獄の中でもヨセフは優れた能力を発揮し、信頼できる囚人として監獄の所長から認められ、副官のような立場になった。

 ヨセフは、獄中で親しくなった元王宮の役人だった囚人に、彼が見た夢を解き明かしてやったことがあったが、その2年後に、エジプト王が不気味な夢を見て不安に駆られ、賢者たちにその夢を解き明かすよう命じたが、満足する解答は得られなかった。
 刑期を終えて復職をしていたその男が、ヨセフが夢見を解いた能力を王に告げると、王は興味を持って自分の夢を解析させた。ヨセフはその夢を見事に解き明かし、来たるべき七年間の大豊作と、その後に続く七年間の大凶作を予言し、それに対する準備や具体的な対策まで提言をした。
 エジプト王や側近の高官たちはヨセフの優れた能力と知性の高さを認めざるを得ず、その夢占いから新たな経済政策を立てたお陰で、飢饉にも充分に対処できる食料の備蓄をしたので、大凶作の年でもエジプトは飢饉にならなかった。
 王はヨセフを可愛がって宰相の地位を与え、自分の副官的な権限を持つ側近として大切にし、以後ヨセフは名宰相ぶりを発揮してエジプトを栄えさせた。

 同じ頃、父のヤコブや兄弟たちの居るカナンの地も長い年月に亘って大凶作に見舞われ、ヨセフの兄たちがエジプトに救いを求めてやって来た。ヨセフは彼らに自分が弟であることを明かし、王の許しを得て一族を救済するためにエジプトに呼び寄せ、父ヤコブも他の兄たちも、ヨセフが王の信頼篤い宰相として采配を振るうエジプトの地で暮らし、一族はその後モーセの時代まで約四百年間をエジプトに定住して過ごした。
 ユダヤ人である古代ヘブライ人を厚遇した王朝は、紀元前1730〜1580年頃のヒクソス王朝であり、迫害したのは第19王朝ラムセス2世の時代であると言われている。
 このヨセフの四代後に生まれてくるのが、出エジプト記に登場する、あのモーセである。

 古代ヘブライ人であるユダヤ人がエジプトに増えすぎたことを懸念したファラオは、ヘブライ人の男児を全て殺すように命じたので、隠しきれなくなった親はパピルスの籠に乗せてナイル川に流す。たまたま水浴びをしていたファラオの王女がそれを拾い上げ、自分の子として育てることになり、モーセの姉の機転で実母が乳母として雇われる。

 成長したモーセは、ヘブライ人が虐待されているのを見兼ねてエジプト人を殺害するが、それが元で出生の秘密を知られ、王に追われることになり、アラビア半島に逃れて羊飼いとして暮らす。ある日燃える柴の中から神に語りかけられ、ユダヤ人を約束の地へ導くよう命じられる。
 モーセはエジプトに戻り、ファラオにユダヤ人を解放するよう求めたが許されず、そのために「十の災厄」がエジプトに降り掛かり、終には十番目の災いとして、人間から家畜に到るまで、ファラオの息子を含む全てのエジプトの長子が無差別に殺害された。
 このとき神は、目印の無い家には災いを与えるとモーセに告げ、ユダヤ人たちはその印しとして戸口に仔羊の血を塗って災厄を逃れた。
 このとき、死を運ぶ天使が目印の付いた家だけは過ぎ越して行ったことから、現在でもユダヤ教ではこれを「ペサハ(過ぎ越し)」と呼んで、春分の日を過ぎた最初の満月の日に、三大祝祭のひとつとして盛大に祝う。
 ユダヤ教ではエジプトでの奴隷時代の苦しみと、出エジプトに際して起こった出来事を忘れぬよう、祭りの日には雄の仔羊を屠殺してその血を戸口の両側の柱と梁に塗り、夜にはその肉を焼いて、酵母を入れないパンに苦ヨモギを添えて食べ、子供たちに出エジプト記の物語を朗読して聞かせるのである。

 十番目の災厄が来るに到って、ついにファラオはユダヤ人がエジプトから出て行くことを認め、モーセはユダヤ人たちを無事に出国させ、シナイ山で「十戒」を神から授けられる。
 しかし、約束の地カナンに居た先住民を撃破することができず、その後40年間も荒野を彷徨い歩いた末に、死海の東岸にあるモアブのネボ山に登り、カナンの地を遠望してネボ山で没する。ネボ山は現在のヨルダン西部にある海抜817mの山で、晴れた日は46km離れたエルサレムのオリーブ山も見えるところである。

 モーセの後を継いだヨシュアはユダヤの全支族を引き連れ、東方の荒野からヨルダン川を越え、カナンに攻め入って征服し、クジで各支族に各々の領地を割与えた。
 それ以後はユダヤ人がカナンの地を支配するようになり、やがて紀元前995年頃、ダビデが「イスラエル統一王国」を築き、ダビデの死後はその子ソロモンが王国を継いで諸外国との交易を盛んにし、王国はかつてない栄華を誇り、エルサレムに大神殿が建った。
 しかしソロモンの死後には王国の統一体制が崩れ、やがて10支族がイスラエル王国(北王国)として独立し、エルサレムを中心とするユダ王国(南王国)と分離した。両国は互いに争い続け、そのために国力が衰えた。

 やがて紀元前721年、アッシリアに攻め入られ、イスラエルの首都サマリアが陥落して、ここにイスラエル王国は滅亡する。このときにイスラエルを離れて行った者たちは、その行方が知られていない故に、後に「失われた10支族」と呼ばれる。
 一方、南のユダ王国は、貢納(こんのう)を条件にアッシリアと和議を結び、独立を保った。やがて紀元前612年にアッシリアがバビロニアに滅ぼされたため、かつての北王国の領土が開放され、ユダ王国の王ヨシヤはユダヤ教の改革を通じて国家の再建を図った。

 紀元前609年、エジプトのファラオ・ネカウ2世は、崩壊していたアッシリア王国を支援してバビロニアを撃退するため、メソポタミアに遠征した。
 途中、ユダ王国を通過する必要があるために、ユダ王ヨシアにエジプト軍の通行を要請するが、ヨシアはエジプト軍が一方的に領土に侵入したとしてネカウの要請を無視してメギドの地で闘いを挑み、エジプト軍の圧倒的勢力の前に敗北し戦死した。「メギドの戦い」として知られるこの戦いによってユダ王国の独立は再び失われ、エジプトの従属国となった。

 紀元前597年、新バビロニアがエルサレムに侵攻し、ヨヤキン王を含めた約一万人のユダヤ人をバビロンに連れ去って捕虜とした。これを「第一の捕囚」と呼ぶ。
 その後、ユダ王国は新バビロニアの貢納国となり、十年後にゼデキア王が独立を試みるが翌年には再びバビロニアに攻められ、エルサレムの城壁や神殿が破壊され、ここにユダ王国は滅亡する。この時にも多くが捕虜としてバビロンに捕囚として連行された。これは「第二の捕囚」と呼ばれる。

 ユダヤの捕囚たちは、戦乱で荒廃したバビロニアの減少した人口を補うため、灌漑用運河の側に移住させられ、独自の居留地を形成することを許された。また職人などはバビロン市に移住させ、建設事業に従事することになった。ユダヤ捕囚たちは決して劣悪な奴隷の扱いを受けていたわけではなく、自由にそこでの生活を満喫していた。
 歳月が流れ、ユダヤ人は徐々にバビロニアの文化に染まり、かつての王族でさえバビロニア風の名前を孫につけたりする現象が見られた。文字も旧来の古代ヘブル文字に代わってアラム文字の草書体が使用されるようになった。
 しかし、一方では宗教的な繋がりを深め、神殿の無い代わりに律法が心の拠り所とされ、ヤハウェの神はユダヤ教に限った神ではなく、世界を創造した唯一神であると定義されるようになった。バビロニアの神話に対抗するために「天地創造」の物語が新たに書き加えられていったのも、この時代のことである。

 新バビロニアは、ペルシアのアケメネス王朝によって滅ぼされ、キュロス王は紀元前538年にユダヤ人捕囚を解放して故国の再建を許した。しかしエルサレムに帰ったユダヤ人はわずかに2〜3割ほどで、多くはバビロニアに留まった。
 ペルシア王の下でエルサレムの神殿が再建され、その後もユダヤ教の祭司エズラの指導のもとで集団帰還が行われ、国家の整備とユダヤ教の確立が行われた。ユダヤ人が他の民族との結婚を禁じるようになったのもこの時からである。

 やがてヘレニズム時代を経てローマ時代になり、紀元前1世紀頃にはローマの属州となり「ユダヤ地方」と呼ばれるようになった。ユダヤ地方はその後も度々ローマに反抗を続け、手を灼かせ続けたが、紀元135年にコクバという者が率いる反乱を鎮圧したローマ皇帝は、幾度も反乱を繰り返すユダヤ民族を弾圧するために、それまで属州だったユダヤ地方の名を廃し、新たにシリア・パレスチナ属州と改名した。この地がパレスチナと呼ばれるようになったのはこの時以来である。

 間もなくユダヤ人はローマ帝国中に散らばって行き、神が与えたはずのカナンの地からあっけなく胡散霧消してしまった。ユダヤ人がカナンに定住していたのはローマ時代までの千数百年間のみであり、それ以前もそれ以後も、彼らが約束の地であるカナンに居たことは無かった。
 その後、西ローマ帝国が滅亡し、ゲルマン人の国家が建国され、キリスト教が広まるにつれて、ユダヤ人も民族として形成されていった──────────

 

「・・と、まあ、ここまでは一般常識的な聖書のお話ね」

「ふぅん・・・・」

「あら、ちょっと話が分かりにくかったかしら?」

「いや、改めて聖書の物語を聞くと、何ともまあ、オドロオドロしい話ばかりでゾッとするなぁと・・これじゃナザレのイエスじゃなくても、人々に愛を説きたくなってくる」

「あはは、入院していても、ヒロタカ節は健在ね!」

「でも、旧約聖書なんかじゃ、あまりにも古い時代の話だから、ユダヤが何であるのか今ひとつピンと来ないな。何かもっと、現在のユダヤのことまで理解できるような、そんな確かでリアルな情報が欲しくなってくる」

「さっき、バビロニアがペルシアに滅ぼされた話をしたけれど─────」

「ああ、捕囚として連れて行かれた割には、何だか待遇が良かったみたいだね」

「だけど、それからわずか五十年ほどでバビロニアは滅んでしまった」

「ペルシアが侵攻してきたんだったよね」

「けれども、ペルシアのキュロス王は、自分がバビロニアを滅ぼせるほどの十分な軍事力を持っていない事をよく知っていたのよ」

「えっ?・・それじゃ、どうやってバビロンを攻めることが出来たの?」

「驚いたことに、バビロニアに住むユダヤ人の密使がキュロス王のもとを訪れ、ペルシアが攻めて来るなら喜んで城門を内側から開く、と申し出たのよ」

「な、なんと・・・!!」

「ペルシアは当初その申し出をワナだと思ったけど、ユダヤは結局キュロス王を納得させ、見返りとしてかつてのイスラエルの土地をユダヤ人に返還するよう約束を取り付けた」

「・・そ、それで?」

「内側から城門を開けられたために、呆気ないほど難なく制圧が成し遂げられ、バビロンの町は戦わずして落ちたのよ」

「それじゃ、攻め入ったと言っても、バビロンの攻防戦などは全く無かったんだ!」

「そういうコト。そしてペルシアの支配となってもユダヤ人の多くが故地に帰らなかったのは、バビロンの住民から何でも略奪することを許されたからよ。さらに、キュロス王がペルシアに持ち帰らなかった物は全てユダヤ人の財産になった。その結果、ユダヤ人はバビロンの裕福な支配層の階級を手に入れたと言うワケ。彼らはその地にじっくりと住み着き、1626年間にもわたって統治を行った。かつての捕囚の地は、こうしてユダヤ人自身による統治の地となったの。そして・・・・」

「おいおい、何かもっとスゴイことを言い出しそうな顔だな・・」

「マックス・レイディン(Max Radin/1880~1950)は、"The Jews Among the Greeks and Romans"(ギリシャ人とローマ人の中のユダヤ人)という本にこう書いているわ。
 『ペルシア時代には事実上の自治が行われたので、ソフェリーム、すなわち ”律法学者” という、よく組織が整った僧官支配階級の発展を許した。しかし律法学者とは法典を学んだ者のことであり、僧官としての明確な機能を果たしたわけではない』」

「なるほど。つまり著者が言いたいのは、この律法学者たちが僧官ではなく、ユダヤ自治共同体の支配者だった、ということだね」

「そのとおりよ、そして後にイエスキリストを十字架に磔刑(はりつけ)にする宣言をした者たちこそ、この律法学者たちだった、というわけ──────────」



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第180回の掲載は、7月1日(金)の予定です

taka_kasuga at 23:45コメント(20)連載小説:龍の道 | *第171回 〜 第180回 

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2016年06月17日 01:16
旧約聖書的な世界観は、
現代日本人の感覚からすると殺伐にすぎる印象ですが、
大陸世界で繰り返されてきた戦乱と殺戮の歴史を見ると、
教訓的にも見えてくるのが不思議な所です。
印象としては周囲全てが潜在的な敵だという危機感の中で、
選民思想をもって民族意識の求心力としてきたとも理解されます。

一般的にはユダヤ人とは、
離散の辛酸を舐めてきた民族とのイメージですが、
ちゃっかりと時の権力機構の懐に入り込みつつ、
強かにサバイバルしていたようですね。

サバイバルから動機を発したのだとしても、
正直な所、ユダヤ人の行動原理の本質は理解し難いです。
歴史を多面的に読み解く中にヒントがあれば、と思います。
 
2. Posted by マルコビッチ   2016年06月20日 17:26
今回も頭の中が ♯へのへのもへじ☆ でやんす。。
3,380億冊も売れた旧約聖書には触れた事もなく、仮想世界の物語だと思っていました。
こうして、少しでもこの物語に触れる事によって、現在に至るまでのこの地球上の時間の流れを感じます。
しかし、進化したのは文明であり、人間自体はあまり進化していないのかもしれませんね。
嫉妬、怒り、欲望・・が人間の進化を阻むのでしょうか。
己の利益の為ならどんな事でもする人たちは、ある種の能力には優れていても、紀元前から変わらないなんてDNAに障害があるのではないかと思ってしまいます。

いつの世も、愛と真実を説く人は消されてしまう・・・
そうだったんですね・・・

武藝館で学んでいる太極拳は、人としての進化の道かもしれませんね。
次回もよろしくお願い致します。
 
3. Posted by 太郎冠者   2016年06月20日 21:10
なんというか、かなり破天荒な生き方をしておりますね・・・。
ちょっと関係ないですが、旧約聖書って人名にヤコブやらヨセフやらが多すぎて混乱してきますね。
「あんたどこのヨセフさん? ああ、ヤコブさんとこね。
って、どこのヤコブさん?(以下繰り返し)」

ところで、ちょうどいま貨幣に関する歴史の本を読んでいるのですが、そこに、
「ギリシアやインドや中国で貨幣が発明された頃、ピタゴラスやブッダや孔子などの指導者には弟子の集団が従うようになった」と書いてありました。

貨幣が使用されるようになり、市場や経済が拡大すると、例外なく人の心が乱れ始め、宗教的な思想を持つ人物が現れ、お金に囚われないことを説くようになるみたいです。
実際、宗教にはお金に関する注意がかなり書かれていますからね。

いつの時代も、金は人を狂わせるのでしょうか?

人が人としてよりよく生きていくためには、もっと違った精神性が必要なように感じます。
そういったことにも、太極拳は通じているように感じます。
非常に面白いです。
 
4. Posted by 円山玄花   2016年06月20日 23:42
いやはや、これが旧約聖書の世界なのですね。
彼らの辞書には因果応報という言葉は無いのでしょうか。
まるで、人間はこれほどまでに強かだから、自分たちは必ずその上を行くように心しなさい、
と説かれているかのようです。
けれども、旧約聖書を彼らの考え方として読み解くことで、
何らかの対抗策を練られるかも知れませんね。

私たちが学ぶ武術は、現代では希な自己成長の道であると同時に、
自分たちの仲間や生活を脅かす悪党を打ち砕けるだけの力があるはずです。
魔性の悪党に祝福の鉄槌を振り下ろすことには、一切の抵抗を覚えません。

次回も楽しみにしています!
 
5. Posted by とび猿   2016年06月20日 23:50
ここまで読んでくると、国というものに囚われていない民族であるという事が見えてくるような気がします。

それにしても、ユダヤ人は逞しいというか、なんというか・・・
以前は、ユダヤ人は虐げられてきた民族というイメージが強かったのですが、実はそれも隠れ蓑のように作り上げてきた部分が大きいという事が見えてきました。
しかし、そのような考え方でも強かに生き抜き、存続することができるものなのですね・・・
その方が驚異的に思えます。
 
6. Posted by ユーカリ   2016年06月20日 23:59
親も子も無闇に信じられないような時代の中で、今の私たちとはとても考えられない精神状態での生活だったのでしょう。
ユダヤ人は、支配下に置かれながらも、相手の懐に入り込み、生きてゆくために強かに動き続け、自分達が囚われた地を、1600年以上に渡り、統治していたとは驚きました。
ここのところ、「合わせる」ということへの認識が変わり、何事も、立体的に捉え、色々な角度から関わってゆきたいと思えるようになりました。
歴史はそれぞれの背景の中で、人々が色々な箇所で繋がりを持って編まれてきたのだと思うととても面白く、今生かして頂いていることへの感謝が湧いてきます。
 
7. Posted by ランフォリンクスの尾   2016年06月23日 01:20
今回も面白い記事をありがとうございます。

現在では仏教徒を自称している私ですが、子どもの頃の宗教環境はキリスト教寄りでした。旧約聖書の物語は中学生のころに一度自力で整理したことを覚えています。そのため今回の記事を読んで少し懐かしい気分になりました。

しかし実際にユダヤ人に会ってみると宗教的な人はそんなに多くないのですよね。最初の頃は「現実はこんなもんかァ」とややがっかりしたような気分になったものです。


少し話がそれますが、"Sapiens: A Brief History of Humankind"という本があります。2011年に出版されてたものが2014年に英訳されて売れたのだそうです。ヘブライ語から英訳されてベストセラー化したという物珍しさに惹かれ私は昨年それを購入しました。
内容は人類史全体を概観するようなものなのですが、著者の立場が歴史学者として一貫しています。その点ではジャレド・ダイアモンド先生の著書と比べると話についていきやすいです。

ともかく、この時も無神論的な語り口が気になったのですよね。宗教や神もお金や人権や企業や国家と同列に、人類が共有している空想すなわち神話であると著者は語っています。
で、調べてわかったのですがイスラエル本国では信仰の自由が認められています。イスラエル育ちの人がイスラエルで出版した本が無神論的であることに何の不自然さもないらしいです。
 
8. Posted by たそがれの単身赴任者   2016年06月23日 17:27
いつも世界史の秘密、奥の深いお話をありがとうございます。すさまじい生存競争を生き抜いてきたユダヤ人の起源がよくわかります。
以下時折目を通している週刊新潮のキャノングローバル戦略研究研究員宮家邦彦氏の「国際問題」というコラムより書いています。アメリカには全米ユダヤ委員会AJCという1906年設立のユダヤ弁護団体の組織があり、国内および世界での様々な差別や人権侵害行為に対して監視をしているといいいます。その差別や人権侵害がユダヤ人に対しても行われることを危惧しているようです。たとえばインドのユダヤ系はイスラエルの敵(イスラム過激派)を養成するパキスタンを支援する中国に脅威を感じているというように、中東問題をユーラシア大陸全体に関わる問題としてグローバルな脅威としてとらえています。
その危機意識の先見性、全世界的戦略的視野の広さには驚嘆しました。ユダヤの民は常に滅亡のふちにたたされているという自覚がなせるわざでしょう。げにおそるべし。
 
9. Posted by bamboo   2016年06月25日 17:37
もう子も親兄弟も殺したり殺されたり、追ったり追われたり、嘘も不倫も裏切りも…。ラムチョップは大好きですし、十戒それ自体は今の世の中とずいぶん違って慎ましい印象を受けましたが、普通なら食欲の無くなるような物語ですね…。
龍の道を拝読した後で映画「十戒」を初めて観た私には、あまりにも強い違和感が残っています。監督のスピーチ、物凄いスケールの撮影、アン・バクスターの美貌(笑)
あのような映画を観せられて何も知らずにそのまま育つ子供達の未来が気がかりです。
 
10. Posted by タイ爺   2016年06月28日 12:30
転んでもタダでは起きない民族ということですね。
キリスト教がいう神とはイメージがずいぶん違います。
むしろ自分たちの言葉を神の言葉にしようとしているのでしょうか?
もともと技術者集団で彼らがいなければ世界が動けない状況をエジプト時代から築き上げていったのでしょうか。
「神の前では平等」と唱えるイエスはアナーキーなトンデモ野郎としか映らなかったのかもしれません。
それにしてもドロドロな世界だと思っていたのが実は目くらましだったのですね。
 
11. Posted by taka_kasga   2016年06月30日 05:02
☆まっつさん

ユダヤ人をひと言で言い表すことはできませんが、
日本人は欧米人と比べると「何も知らない」に等しいことは確かです。

ユダヤ人とは何か、ユダヤ人とは誰のことか、
それについては、この物語できっちりと明らかにして行きます。

ほとんどの日本人が知らない「ユダヤ」を、
私たちも宏隆くんと共に学んで行ければと思います。
 
12. Posted by taka_kasga   2016年06月30日 05:03
☆マルコビッチさん

>いつの世も

バグワンも、アメリカの都合によって殺されましたね。

武術に限らず、「道」と名の付くものはすべて、
ヒトの進化成長を促すものです。

私たち門人は真の武術としての太極拳を追求することで、
人間の真理を得ようとするものですから、
歴史を振り返りつつ、人間社会の出来事を学ばなくてはならないわけですね。

今後も頑張って書いて行きます。
どうぞご愛読を。
 
13. Posted by taka_kasga   2016年06月30日 05:03
☆太郎冠者さん

>あんたどこのヨセフさん?・・

ははは、面白いですね。
中国ならさしずめ、王、李、張、陳、といったところでしょうか。

陳家溝などはほとんど陳さんなので、名前で呼ぶしかないでしょうね。
その点はシドニーと似ているかもです。(^_^;

>いつの時代も、カネが人を狂わせる

正しくは「ヒトがカネに狂ってしまう」んでしょうね。
人を狂わせるだけのチカラは、本来カネには無いんじゃないカネー・・?

ヒトはカネだけではなく、いろんな物に狂う傾向がありますナ。
 
14. Posted by taka_kasga   2016年06月30日 05:03
☆玄花さん

新旧の聖書もまた、ヒトが書いたものであって、
決して神によって書かれたものではありません。

神がこう言った、
神にこうせよと言われた、
神が私たちを導いたのダ、
インシャラー、なのダ!!
(カミを冒涜し、信仰を侮辱しているワケではございませんが)

そうそう、
ユダヤの格言に面白いのがあります

「善と悪を区別できるだけでは、まだ賢者とは言えない
 二つの悪の中から小さい方の悪を選ぶことが出来る者こそ賢者である」

「金持ちになる方法がひとつある
 明日やる仕事を今日やり、今日食べる物を明日に食べるのだ」

「朝食は王のように食べ、昼食は労働者のように、そして夕食は乞食のように食べなさい」

「商人になったらこの言葉をよく覚えておきなさい
 ”私はあなたのことを完全に信頼しています。だから現金で支払って下さい” 」
 
15. Posted by taka_kasga   2016年06月30日 05:04
☆とび猿さん

そう、ユダヤ人は強かで逞しく、国家というものに興味がありません。

何故そうであるのかは、この物語で追い追いに明かして行きます。
 
16. Posted by taka_kasga   2016年06月30日 05:04
☆ユーカリさん

学校で教えてくれない本当の歴史を知ると、誰もが驚き、認識を新たにします。
ということは、つまり、学校で教えている歴史は、
誰かの意図によって、その認識が得られないようにするためのものだとも言えます。
世界中の教科書は、そのような意図によって創られているのでしょう。

日本の戦後は、欧米による支配と偏向教育の歴史でした。
彼らの意図するように、私たちは学んできたわけです。
私たちは本当の歴史を知る努力を怠ってはならないと思います。
 
17. Posted by taka_kasga   2016年06月30日 05:05
☆ランフォリンクスの尾さん

>宗教的な人はそんなに多くない

そうですね、彼らは全然宗教的なんかじゃないです。(笑)
現実はそんなモノです。

私個人としては、「宗教的」というのは
毎日食事のたびに祈り、寝る前に祈り、聖書を良く読み、
きちんと教会やモスクに行ったりすることではなく、
ひたすらヒトとしての「宗教性」が有るか無いか、
そのことが理解され、実践できるかどうかに尽きる、と思います。

>無神論的
>イスラエル育ちが

ニーチェが神は死んだと言ってから随分経ちます。
そう言えば、ニーチェもプロイセン王国の生まれでした。

イスラエルは、
 「全世界に同情されながら滅亡するよりも、全世界を敵に回して戦ってでも生き残る」
ということを国是としており、実際には他の宗教にも共通する旧約聖書ではなく、
モーセの口伝律法である「タルムード」を宗教の柱としているわけです。
ルターも書いていますが、タルムードの中身は反聖書的と言うよりも非常に卑俗低俗で、
宗教性の臭いが全くと言って良いほど感じられませんね。
 
18. Posted by taka_kasga   2016年06月30日 05:05
☆たそがれの単身赴任者さん

CIGSのサイトは、私も時々見ています。
ベテラン外交官の宮家邦彦さんは色々な意味で危険な存在である「中国」についても造詣が深く、
現在の中国指導部が統治の正統性を維持するために、民族主義・愛国主義に依存するようになったという主張は、正にそのとおりだと思います。嫌中・嫌韓のムードに流されない独自の中韓論は、戦略を持つ外交官としての手腕が感じられますね。

最近出たPHPの「世界史の大転換(佐藤優 共著)」は是非読んでみたいと思います。

できれば、ユダヤについても書いて頂きたいものですが。
 
19. Posted by taka_kasga   2016年06月30日 05:05
☆ bamboo さん

映画「十戒」が作られた頃は、イエスキリストが本来ユダヤ人である、
とする動きが強くなっていた時期だと思います。
現在のイスラエルはロシア移民の所為か、クリスマスの風習まで静かなブームとなっていますね。
日本人は相変わらずキリストはユダヤ人だと思い込んでいる人が圧倒的多数らしいです。
 
20. Posted by taka_kasga   2016年06月30日 05:06
☆タイ爺さん

旧約のエホバと、キリストが説く人間愛とはかなり掛け離れていますね。
アナーキーなイエスは、ユダヤ人の前では正に「JESUS CHRIST!!」、
つまり「何てこった、ユダヤ教の神が滅ぼされてしまう」、
と思えるような邪魔者だったに違いありません。

伊勢神宮の参道にある灯籠の六芒星や各地の三鳥居などから、
「日ユ同祖説」などもマコトしやかに語られ、つい信じさせられそうになりますが、
きちんと調べれば調べるほど、日本とユダヤでは、考え方が全く違っていることが分かります。
 

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