2015年07月15日

連載小説「龍の道」 第158回




第158回  BOOT CAMP (7)



「ダンッ────────、ダンッッ────────!!」

 慎重に、次の十発を撃ってゆく。

 Prone(プロゥン=伏射・寝撃ち)は、最も安定した狙撃姿勢であり、同時に敵からは撃たれにくいので、戦場では状況の許す限り、極力この姿勢で狙撃が行われる。軍隊で兵士が最初に学ぶライフルの射撃姿勢は、世界共通で必ずこの伏射からなのである。
 
 伏射は、銃の軸線(射撃ライン)に対し、体軸を30〜40度の角度に開いて構える。右利きの場合、銃を支える左肘は、なるべく銃の真下に来るようにすると良いが、体を捻ってまでそうする必要はない。銃器を扱う際には特に体の捻りや拗れがあってはならない。それによって銃弾は狙った所へは飛ばず、自分の身体にも支障を来すからである。

 Prone(プロゥン=伏射)の姿勢を真横から見ると、左右の前腕がほぼ平行に位置するようになる。また、銃を構えた正面から見ると、両肩両肘が綺麗な平行四辺形になり、さらに体軸正中線の正面から見れば、肩肘を結んだ線は整った台形となる。
 このように、射撃姿勢における身体の構造は、最も安定するように、最も命中するように工夫されているが、そのような身体構造の整え方は武器の有無に関わらず、どのような徒手空拳の闘争術にあっても同じことが言える。

 この頃ようやく人口に膾炙され始め、入門書なども盛んに出版されるようになった太極拳では、纏絲勁が身体の捻りによって行われると論ずる人も居る、という事を宏隆は耳にしたことがある。木ネジやドリルの形状が強力であるように、捻って出される力こそが纏絲の真骨頂であると、真しやかに説かれているらしいのである。

 しかし、ライフルを構える際の身体の整え方を見ても分かるように、体を捻って造られたものは構造が脆くなり、決して大きな力を生み出せはしない。日常的に重い物を持ち上げたり移動したりする場合でも、人は決して体を捻って力を出そうとはしない筈である。
 木ネジやドリルを見れば、確かに螺旋は強い力を生む形状ではあるが、そもそもヒトの身体はドリルのような形には造られておらず、ドリルの真似をして相手に力を発しても、どうにもならない。纏絲勁は螺旋の形に身体を動かして得られるチカラではないのである。


「ライフルは、味わい深いな・・・・」

 ふと、纏絲勁のことを想いながら、ポツリと宏隆がつぶやいた。

「当てることに固執すれば、中らない。心を安定させ、体軸を安定させて、ただひたすら、静かに銃弾がターゲットに向かうことを許すのみだ───────────」

 ライフルの訓練は玄洋會でも行われたが、百メートル以上の射撃場は神戸の湾岸訓練場にも無く、宏隆が主に訓練したものは近距離でのライフルとハンドガン(拳銃)だった。
 驚くほど広い地下の訓練場とは言え、やはり室内の訓練場で出来ることには限りが有る。このアラスカでは、何を憚ることなく、思う存分ライフルの訓練ができる。宏隆にはそれが嬉しかった。

 それに、訓練で撃てる銃弾の数も、かなり多い。

「日本の自衛隊員にも、必要充分な訓練をやらせてあげたいものだ────────」

 宏隆は陳中尉から、日本の自衛隊の射撃訓練の内容を詳しく聞いていたので、このROTC(予備役将校訓練課程)で学生に撃たせるライフル弾の数が、一日に軽く数百発にもなる事に本当に驚かされてしまう。
 戦後アメリカから押し付けられた現在の平和憲法下では、自衛隊は違憲とさえ見なされていて、国防予算も極端に少ない。結果、隊員が訓練するための銃弾の数も、非常に限られてしまっているのである。

 ちなみに、自衛隊の小銃兵(普通科)は年間十数回の実弾訓練があり、総計千発程度。
 戦車部隊(機甲科)や工兵部隊(施設科)など、小銃(ライフル)を専門に扱わない隊員は年間数回、合計500発程度の実弾訓練でしかない。また、通信兵や後方支援兵になると、わずか年間1回、合計20〜30発を撃つだけの訓練であるという。

 ────────こんな軍隊は、世界でも本当に珍しい。

 それでも、最前線に立つ精鋭隊員の年間訓練射撃数は公開されていない。公開すると兵士(隊員)の能力が容易に他国に推察されてしまうからである。特殊作戦群ともなると、その情報は絶対的に非開示となる。かつて「対人狙撃銃射撃教育訓練の使用弾数の開示」を巡って国会で議論になった事があったが、さすがに防衛庁は断固として開示を拒否し続けた。

 日本では、国家防衛や特定秘密の漏洩防止、テロ防止等の法律を造ろうとすると、途端に「反日勢力」が総力を挙げてそれを阻止しようとする。平和を願って軍備廃止を叫び、外国に自衛隊を派遣することに反対し、国家機密が漏洩することを防止する方策に反対するのである。この「反日勢力」は戦後、日本国内で急成長を遂げ、官公庁からマスコミまで、あらゆる方面で大きな力を持ってこの国に広く潜在している。

 しかし、国会議事堂や議員会館の前で、あるいは沖縄の米軍基地前に駆けつけてさえも、大音量でヘイトスピーチ(憎悪を煽る表現)や〇〇反対と奇声を上げる反日勢力のデモ隊、自称・市民活動家たちの行動は、見方を変えればその本質は「テロ行為」と何ら変わるものではない。つまり、時と場合によれば、彼らはテロ活動にスウィッチできる素質を十分に持つ人たちであると言えなくもない。

 筆者が聞いた米軍普天間基地前のオスプレイ配備反対デモなどは、もはやデモ(思想や要求を示威する運動)というレベルではなく、そこまで細かい報道がされないのを好いことに行われる、極端で悪質なヘイトクライム(Hate Crime=人種偏見の憎しみに基づく憎悪犯罪)であって、とても同じ日本人の行為とは思えない類いのものであった。


「ダンッッ──────────────!!」

 規定の十発を撃ち終えて、伏射の姿勢から起ち上がり、再びシューティング・ターゲットの所までスコアを確認しに行く。ボタンを押すだけで標的が手許まで戻って来るような室内射撃訓練場とは違い、野外のライフルの射撃場では、その都度ターゲットのところまで歩かなくてはならない。

「ほう・・こいつは、すごいぞ!!」

 宏隆のターゲット用紙を見て、ドリルサージャントが声を上げた。

「君たちも見てみろ、これだけ命中する学生は、そう滅多にいないぞ!」

 確かに、教官が指差した宏隆の標的は、見事な銃弾の穴が空いている。

 紙製のターゲットは、正式には Paper Shooting Targets と呼ばれる。
 少し厚めの US レターサイズ(215.7mm×279.4mm)の紙の中央に、長さ12cm ほどの黒い人形(ヒトガタ)が描かれており、更にその中央の胸の辺りに、約3cmの白い円が示されている。用紙は全体に方眼の枡目が引かれているので、自分の撃った銃弾がどこに命中しているのか一目瞭然である。

 初歩の訓練では80フィート、つまり約25メートルの距離から、この小さなターゲットを狙って撃つ。25メートルはそれほど遠くはないが、わずか12センチばかりの標的と、さらにその中心にある3センチの円に命中させるのは至難の業であると、誰もが想像できるはずだ。

 宏隆の弾痕は、十発のうち四発が、その白い円の中央部に集中している。
 それ以外の銃弾も、円のすぐ近くに命中し、黒い人形からは一発も外れていない。

「WOW ! ! 、こいつぁ、スゲーや!!」

「Oh, That's Great !!」

「天才シューター、久々にアラスカ大学から出現、か・・!!」

「ははは、まぐれだよ、マグレ!、ブッダに瞑想するような気持ちでトリガーを引いたら、偶然こうなったんだ。この次はきっと散々な結果かも知れない」

「Oh, ブッダ・・・メディテーションのチカラ・・・・」

 みんなが賞めそやすので、思わずブッダや瞑想の話で煙に巻いたつもりが、白人たちにはかえって神秘に映ったようで、宏隆は顔をしかめた。

「カトー、このまま好成績が続けば、卒業する頃にはスナイパー(狙撃兵)として推薦できるかもしれないぞ!」

「・・・ありがとうございます」

 教官が真面目な顔で言うが、ここは、ただそう答えて返すしかない。

 射撃の成績が良い兵士は ”狙撃小隊” に抜擢される、ということは宏隆も知っている。
 訓練中に抜群の成績を上げる者が時々出現するが、軍隊では待ってましたとばかりに狙撃兵を専門に鍛え上げる小隊に入れる。その中で努力精進をした成績の良い兵士を更にテストして篩(ふるい)に掛け、ミリタリー・スナイパーというスペシャリストが育ってゆくのである。

 狙撃兵(狙撃手)とは、標的から距離を隔てて狙撃銃で精密射撃を行う専門要員である。
 2001年に公開の「Enemy at the Gates(邦題:スターリングラード)」や、2006年の「Shooter(ザ・シューター)」あるいは「プライベート・ライアン」を超える興行収入と実話の内容で近ごろ大きな話題となった「アメリカン・スナイパー」などといった映画をご存知の読者なら、スナイパーという特別な役割を担う兵士の存在をご存知であろう。
 また軍隊のみならず、1972年のミュンヘンオリンピック事件(イスラエル選手たち人質11名全員殺害)からは警察にも専門の狙撃手を置く必要が出てきて、警察に対テロ特殊部隊が設立されることになり、以来、旧西ドイツだけではなく各国もそれに倣うようになった。

 Millitary Sniper(軍隊の狙撃手)には一般狙撃兵と前哨狙撃兵の二種類があり、一般狙撃兵が遠距離目標を狙撃する任務を主とするのに対し、前哨狙撃兵(Scout Sniper)は文字どおり偵察部隊に所属して、狙撃だけではなく、日本の忍者のように隠密行動で最前線に入り、目標への接近、観測、偵察、斥候、狙撃を行うもので、砲弾の着弾観測員としての任務も兼ねている。

 前哨狙撃兵は肉体の持久力、精神的重圧への耐久力が重視され、兵士の健康、体力、精神力の低下を招くため喫煙なども完全に禁止されるほどである。

 狙撃手は一般の兵士よりも上級の兵種であり、特別な手当てや技能給を支給されており、一旦任務に就けば、その殆どが「狙撃章」を授与されるほどのエリートたちで、一般兵士からの羨望や嫉妬の念が絶えない孤高の存在である。

 軍隊では、そのような素質を有する兵士を常に探し求めている。
 宏隆のように類い稀な射撃を見せる者は、軍隊が放っておくはずがないのだ。


「─────よし、全員ターゲットを確認したな。ではもう一度戻って撃つんだ。今度は全員、カトーのように見事に命中させてみろ」

 ドリルサージャントは、自分の教えた学生が、将来立派なスナイパーに成長して行くことを夢見るような顔つきで、ニコニコしながら宏隆を見ていた。


 だが、そのとき・・・・

「バン────────ッッ!!」

 遠くで聞こえた銃声とほとんど同時に、宏隆のすぐ足もと近くに銃弾が跳ねた。
 教官や他の学生たちはそのまま身構えて固く立ちすくんだが、宏隆だけは反射的にその場を飛び退って素早く身を伏せた。

「・・・だ、誰だぁっっ!!」

 ドリルサージャントが、ついさっきまで皆が伏射をしていた所を振り返って、大声で怒鳴るが、誰も応答しない。
 当然のことながら、射撃訓練では兵士たちは一斉に撃ち始め、一斉に撃ち方を止め、一斉に銃を置いて、一斉にターゲットを確認しに行く。この場所に銃弾が飛んでくること自体、有ってはならないことであった。

「だ、誰だっ!、どこのバカが撃ったんだ、いまの銃弾は・・?!」

 怒鳴っているうちに、教官の腰に付けられた無線器が鳴った。

「ああ、オレだ、どうした・・・?!」

「・・なにぃ・・・そんな事があっては困るぞ、よくよく注意してくれないと・・・
そうだ、そのとおりだ・・・何と言っても、実弾なんだからな・・・えっ?・・・そうか、ああ、よし、わかった・・この連中によく言っておく、オレからも謝っておくよ」

 無線の話を終えた教官が言うには──────────

 ふたつ向こうのEチームが標的を確認し終えて、射撃位置の後方にある準備位置に戻って来たが、学生の一人が教官に、実は自分のライフルがジャミング(弾丸詰まり)をしたままです、と報告したので、教官が自分の確認不足だと思い、その学生にジャミング解除の方法を確認させていた。もちろん安全装置を確認してのことだったが、なかなか詰まりが抜けないので色々とやらせていると、その最中に暴発してしまったというのである。
 普通は滅多にその様なことは有り得ず、他の教官も首を傾げている、という・・・

「・・そういうワケだ。まだターゲット付近に人が居るのに、安易に銃を触らせてしまった教官も問題だが、いつもの弾丸詰まりだ、すぐに直ると、軽く考えてしまったのだろう。
 危険な目に遭わせて申し訳なかったが、ジャミングにはこういう危険性もあるということだ、君たちも十分注意してほしい」

「イエッサー・・・」

 だれもが一瞬、冷や汗をかいた。

 訓練用の銃は、初心者が使うという事もあって、特にマガジン(弾倉)などは落下させたり、ガチャガチャと無理に押し込んだりと、マガジンリップ(弾倉上部のクチの部分)などが歪んで正しく銃弾が送れず、往々にして不具合が生じる場合がある。
 火薬量を減らした Simunition のFX弾(プラスチック弾頭の実射訓練用ペイント弾)ならともかく、訓練中の学生に実弾がヒットしたら目も当てられない大ごとになる。
 銃器の扱いには十分すぎるということはない、思いもよらない事故が起こり得るのだと、誰もが認識を新たにした。

 だが、ただひとり─────宏隆だけは、この銃弾が単なる事故ではないと直感していた。



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第159回の掲載は、8月1日(土)の予定です

taka_kasuga at 23:51コメント(16)連載小説:龍の道 | *第151回 〜 第160回 

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2015年07月18日 01:48
>静かに銃弾がターゲットに向かうことを許すのみだ・・・
との表現からも、射撃が単にテクニカルな面のみでは、
語れないという事が察せられます。

弾丸すら自分の指先のように感じられる領域もあるのだと思います。
それだけ人間の能力には拡張できる余地があり、
何であれその可能性の扉を開く事が人としての進化なのだと思います。

芸事を極めようとする事、
それはただ生きるだけでは無く、
先に進む事を、進化する事を尊いと信じているからだと思います。

自分にとっては太極拳に出逢えた事は大変な幸運でした。
 
2. Posted by 円山玄花   2015年07月20日 17:51
狙撃兵の訓練では、最初から800メートル先の標的を狙って行われると聞きました。
また、プロの狙撃手は、敵が人間に思えなくなるといいます。
私たち武術家も、相手は人間。狙撃兵と同じ精神力や耐久力が必要であると思えます。

宏隆くん、事件ですね!
先日サーフィンの大会中に鮫に襲われて撃退したサーファーの映像を観ましたが、
肉体的ダメージは無かったものの、直後はかなり精神的ダメージをうけているようでした。
自分の足もとに銃弾が跳ねてもいつも通りに動けるように、心身を鍛えたいと思います。
 
3. Posted by ユーカリ   2015年07月20日 23:02
何やら、また雲行きが怪しくなってきましたね。
ドキドキします…が楽しみです!

伏射の整った姿勢を、いろいろな位置から見ると、見え方がそれぞれに違い、どの位置からも整って見える事から、改めて整った構造の大切さ・強さを感じます。
昨日の稽古で、自分の物の見方の偏り、考え方の偏り、に気づく事がありました。
自分で、「ここの角度から見たい。」と最もそうな理屈を捏ね、ある一定の場所からしか、前で示して下さっている方の姿を見ようとしていなかったのです。
場所を変えて観ると、普段見ていたものとは、まるで違う体の動きや、細部の角度、ボリュームを感じました。
学ぶ身でありながら、随分と傲りがあったのだと省みました。
日頃から、「いろいろな角度から見なさい」「立体的に見なさい」とご指導いただいている事の真の意味を理解せず、いいように解釈し、自分の尺度で見ていたのだと思います。
自分の姿も然りで、自らを立体的に見ない事には、示して頂いている事の限定されたものにしか合わせられない=ずれている、のですね。
平面的な見方だと、そのずれに気付けないから、怖いです。
 
4. Posted by マルコビッチ   2015年07月20日 23:03
またまた事件の臭いが・・・・・
もしこれが故意にだとしたら、相手は一人ではないような気がするけど・・・
と、つい想像してしまいました。

前回の「龍の道」で、宏隆くんの射撃に対する姿勢が書かれていましたが、その結果、このようにすごい命中率になるということは、”メディテーションの力”と言っても嘘にはならないような気がします。
ただし、白人たちが感じたような神秘ではなく、呼吸さえも統御できるほど深く自分の中に入っていき、”銃弾がターゲットに向かうことを許す”という境地まで広げていける。
これは禅でいう瞑想の境地と同じであり、そして、それは神秘でも特別なことでもないんだということがよく分かります。
武藝館で太極拳を学ぶ上でも、突き詰めていけばここに行き着くと思っています。
 
5. Posted by 太郎冠者   2015年07月20日 23:07
>体の捻りや拗れ
武術に限らずとも、身体をねじった状態で力を掛けてみると、どれだけ身体に付加が掛るか、簡単に分かる気がするのですが・・・。

重たいものを持ち上げるのに腰をねじってたら、すぐに腰痛になってしまいそうなものです。
そういったごく常識的なことが通用せず、武術的技法だなんだとして流通してしまうというのが、すごく不思議に感じますね。

シールズの元スナイパーが書いた本を読んだことがあるのですが、彼らは軍隊から選ばれたエリート中のエリート、その中のさらにエリートくらいのとんでもない人々、というように書かれていました。
その訓練内容は肉体的にハードなのはもちろんのこと、精神も試され、また同時に頭も使う必要のあるようなすさまじいものでした。

その中で、若い隊員に混じって60歳手前のベテラン隊員が、体力でも若い人に負けずに障害物走でひょいひょいと勝っていくという描写があるのですが、師父の姿を拝見しているとさもありなん、といったところでしょうか。
げに恐るべきは戦闘に適した頭と身体、です。
 
6. Posted by とび猿   2015年07月20日 23:54
道具を使ったり、重いものを運んだりすると、捻られた体の効率の悪さを感じます。
武器の稽古をすると、そのことがよりはっきりと感じられますが、ライフルを構えた軍人の画像を見て、体を捻らず、余分な力みのないきれいな立ち方で構えていて驚いたことがありました。
もし、昔の陳家溝にライフルがあったら、同じように捻じらない構造の訓練をしていたのではないかと思えてきます。
また、太極拳の稽古が無極椿から始まったり、日本の柔術の稽古が座取りから始まるのも、とても面白く思います。

それにしても、自衛隊の実弾訓練の弾数の少なさには驚きます。
足りない分を工夫して訓練しているのでしょうが、これだけの数ではたして身に付くものなのだろうかと、心配になります。
 
7. Posted by bamboo   2015年07月22日 00:08
自衛隊の苦労は、知れば知るほど頭が下がります。長い年月をかけ、色々ありながらもここまで発展できたところが凄いと思います。落としたナイフを大部隊で探すとか「空母じゃありません、護衛艦です」とか…関係者の苦笑が聞こえてきそうです。
Hate Crime> このような呼び方があるのですね。ヘイトスピーチ「Hate speech」やネット上の差別的・偏見に満ちた活動などは存じておりましたが、実際に戦争を経験された方ですら慎むようなことを、知らない世代が平気でやってしまうのを見ると、なんだか悲しくなります。沖縄の「活動家」は地元の方々も迷惑していると聞いたことがあります。ただ、彼らの存在が、日本人の誇り高い姿を多くの人々に反面教師的に考えさせてくれるといいな…とは思います。

しかし…宏隆君の覚悟は凄いですね、ライフルでも真剣でも、武人に必要な何かがすでに養われているのですね。思えば工作船や飛行機で殺し合ったりする時点で、それが無ければ自分や大切なものを守れないですよね…。
 
8. Posted by タイ爺   2015年07月22日 15:41
>「当てることに固執すれば、中らない。・・・・」
うーむ、言葉は違えど同じようなことを対練の時に言われたことがあります。対練の時に「崩してやろう」「とばしてやろう」と思った時こそ体が固まり相手に影響が出ないどころが自分が崩れてしまいます。ひたすら合わせ続けることの難しいことよのう。

色々な先生の纏絲勁の説明を実際、あるいは動画で見ましたが腕の捻りの説明であったり、もしくは丹田の動きが手に伝わって云々という説明であったりしました。当時はなんの疑問も持たずにいましたが、考え見れば「纏」と「捻る」は漢字としても全く意味が違い、あまり関連性もありませんね。
そういえば某有名老師よりこっそり習ったと称する方が「私に伝わった套路は他より纏絲が多い」とおっしゃり、やたらグルグル腕を回していましたなあ。
正月のようで目出度かったです。
 
9. Posted by taka_kasga   2015年07月30日 12:28
☆まっつさん

>弾丸すら自分の指先のように感じられる領域もあるのだと

そのとおりです。
スナイパーは、中る前から中ることが分かるわけで、
中ることが分かる人は、敵の銃弾が自分に中るかどうかも分かる・・
それは高度な武術で、敵の攻撃が絶対に当たらないことや、
自分の攻撃が絶対に当たることが分かるのと似ていますね。

>進化することを尊いと信じているからだと思います

大切なことは、本当に進化していくことです。

進化とは、物事が進歩発展することですが、
中でも最も重要な定義とされるのは「変化」です。
つまり、ある状態や性質が、他の状態や性質に変わること。
もとの自分が、何かの条件や過程を経て真新しくなることです。

Self Identity を失うまいとするがあまりに、
人は「進化」を怖れ、遠ざけるものですが、
モグラやコウモリの眼が「退化」したのが、彼らにとっては実は進化であったように、
進化に於いては、自分で失うまいとしがみついていたものは「変化して新しくなる」ワケで、
それが解る人にとっては、もはや「失うモノ」は何も無く、
晴れ晴れと、堂々と、前向きに、ひたすら進化していけるわけです。

太極拳は、そのための法則を教えてくれます。
 
10. Posted by taka_kasga   2015年07月30日 12:29
☆玄花さん

「いちおう」銃弾を撃ったことがある人は結構居ても、
銃を自分に向けられた人、実際に敵の銃弾の中を走ったことのある人となると、
日本には殆ど存在しないと思われます。

傭兵上がりでもない限り、多くの自衛隊員も、
敵の銃弾が飛び交う中に身を置いたことは無いでしょうし、
たとえFX(Simnition) のようなペイント弾を使用した訓練でも、
その危機感を経験するとしないとでは、イザ実戦の際に雲泥の差があります。

私は旧型のペイント弾(青と赤に分かれます)で撃たれたことがありますが、
それでも相当な緊迫感と、遣られたときには結構痛みもあり、
模擬訓練とは言え、実戦さながらに緊張したものです。
ある国のスラムで実弾で撃たれたときには、さすがに死ぬかと思いましたが、
どっこい、まだ生きています。

「龍の道」を書かなきゃいけない使命があったのかも知れません。(^_^;)
 
11. Posted by taka_kasga   2015年07月30日 12:30
☆ユーカリさん

稽古で示範の際には、
「自由に動いて良いから、色々な角度・観点から見るように」と言われているはずですが、
人はやはり、自分の好きなように、見たいことだけを、見たいだけ、観るものですね。

稽古だけならともかく、自分自身のモノの見方を知らず、
自分が見えているものだけが「世界」であると思い込むことの恐怖を
未だ知らない人は、幸せなのか、不幸なのか、分かりませんが・・
 
12. Posted by taka_kasga   2015年07月30日 12:30
☆マルコビッチさん

そのとおりですね。
宏隆くんにとっては、軍事ライフル射撃も「武術の訓練」です。
それは禅や瞑想、太極拳にも通じる、ひとつの精神的な境地でもあります。
本物のライフルで遠くのターゲットを撃った経験のある人なら、
そのコトが少し分かるかも知れません。
武藝館で学んでいる武術の真髄も、日本人が精神の成長の拠り所とした武藝、
弓や刀、槍や柔術などの道と変わらぬ、同じ「道」であると思います。

ちなみに「禅」は、字義的には「壇を設けて天地を祀ること」で、
元は「ゆずる」という意味があり、クニを治める人が、世襲ではなくその地位を
他人に譲り与えること(禅譲)でした。
そこから「授ける、伝える」といった意味も出てきて、
大いなる天地自然を祀り、それによって煩悩を浄め、自己をゆずり渡して
正しい物事の道筋を自分のものにする=悟りを開く、という意味になりました。

座禅などで長い時間姿勢を正しくして悟りを開こうとするのは、
私たちが姿勢を厳しく指導されることと同じ意味であると思います。
 
13. Posted by taka_kasga   2015年07月30日 12:31
☆太郎冠者さん

>げに恐るべきは戦闘に適したアタマと身体

いやいや、

斯界で、ゲに怖るべきは

「ビデオや本が大いに売れるコトに適した顔とコスチューム」

ではなかったか、と・・・(^_^;)
 
14. Posted by taka_kasga   2015年07月30日 12:32
☆とび猿さん

>昔の陳家溝にライフルがあったら・・

ははは、そしたらきっと、誰も太極拳なんかやらなかったかもしれませんね。(^_^;)

だって、フルコン空手を知り始めただけで
太極拳の試合で後ろ回し蹴りやローキックを平気でやるんですから。

ドロップキックもやってたみたいだから、
彼の地ではようやくプロレスも知られ始めたってことカイナ・・・?
 
15. Posted by taka_kasga   2015年07月30日 12:32
☆ bamboo さん

武藝館本部にも自衛隊関係者が何名か居られますが、
隊員の苦労話を耳にすると本当に頭が下がります。

日本が軍隊を持つことは国際国家として当たり前の話で、
平和だの戦争の放棄だのと、寝言をほざいている間に
日本を盗ろうとしている連中が、国の内外で着々と準備を重ねてきたわけです。

ヤツらにしてみれば「国盗り物語」は百年の計。
数年の単位で眺めていると、やがてこっぴどい目に遭わされるのは必然ですね。
 
16. Posted by taka_kasga   2015年07月30日 12:33
☆タイ爺さん

崩してやろう・飛ばしてやろう=不用意用力

ひたすら合わせ続けること=用意不用力

難しいことよのう=詠嘆の気持を込めた用意。終助詞「よ」+終助詞「のう」の連語。

・・っすね。(^_^;)


>正月のようで目出度かったです

いつか、その方もきっと、

「目出度さも ちゅうくらいなり オラが勁」

なんて、悟られるかも、です。

♬ ああ風流だなんて〜、ひとつ俳句でもヒネって〜
 

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