2015年06月01日

連載小説「龍の道」 第155回




第155回  BOOT CAMP (4)



 午後の訓練場は、陽射しが暖かい。
 その芝生に車座になって、思い思いに ドリルサージャント(教官の軍曹)を取り巻いた新兵たちが、野外講義に静かに耳を傾けている。

「Soldiers!(兵士諸君)、軍人と一般人の違いが何であるか、分かるか?──────────誰でもいいから、思ったことを自由に述べてみろ」

「超人的な戦闘能力!」

「国家と国民を守るという義務と誇り─────」

「英雄の精神!」

「規律正しい行動─────」

「死を覚悟できる精神性─────」

「数々の武器を扱えるスペシャリスト─────!!」

「♬ More PT, We love it !! Make us sweat. Make us sweat !! (もっと強化訓練をさせて下さい、もっと汗をかかせて下さい/訓練中に歌わされる唄の一つ)」

「Ha ha ha ha・・・!! 」

「キツい労働に見合わない安い報酬!!─────」

「Ha ha…Awesome !! (オーサム=素晴らしい・最高、の意。米国でよく使われる) 」

 兵士の唄と、安い報酬のふたつには皆がドッと笑い、教官も苦笑いした。

 明らかに日本人とは違うな、と宏隆が思えるのは、彼らが周りの目を気にせず、臆することなく、常に自分の意見を明確に言えるということだ。名指しされたわけでもなく、順に答えよと言われたわけでもないのに、兵士の卵である若い学生たちは、教官の問いかけに思うところを自然に答えて行くのである。

「残念ながらどれも違う────────端的に言えば、それは冷静さと忍耐力だ。
 普通の人間の八割方が不平不満を言い始め、終(つい)には耐えられずにパニックに陥ってしまうような厳しいシチュエーションの中でも、正しい軍事訓練を受けた者は冷静にそれを耐え抜くことができ、しかも判断力が衰えない。
 如何なる場合にも、冷静さと忍耐を失わずに居られること・・・それこそが Battle Field(戦場)を生き抜くために必要な能力であり、Extreme Situation(極限状況)に於いても自分の実力を発揮できるための条件なのだ」

 教官の言葉に、皆がシーンと静まり返った。

「─────では、ROTC(予備役将校訓練課程)の訓練や、その最中に設けられる、このようなブートキャンプは、いったい何のために行われるか、分かるか?」

「いま言われた ”冷静さと忍耐力” を養うためです!」

「本番になって慌てないよう、厳しい状況をあらかじめ体験させておく・・」

「戦場で生き抜くためのテクニックを十分に習得する」

 次々に、学生たちが答えていく。

「なるほど・・・だが、何れも的を射ていない。誰か他に意見はないか?」

「──────────────」

「兵士として不適格な人間を見出し、ふるい落とすことです」

 淡々と、宏隆が答えた。

「そのとおりだ─────お前は、ヒロタカ・ケイトー、いや、カトーだったな。
 この中の一人でも、それを自覚している者が居るというのは大変喜ばしいものだ。それを知りながら訓練をするのと、そうでないのとでは、ここでの成果が格段に違ってくる。
 例えば、もうすぐ行われる野外演習では、交代で ”Sentry(歩哨)” という役割を担う。歩哨と聞くと、君たちは何を想像するだろうか?」

「Standing still!(ずっと立ったまま) 」

「─── with his eyes wide open.(それも、目を大きく開けて)」

「Waiting patiently for my shift over.(交代を辛抱強く待つこと)」

「Scarecrow, still standing patiently in his corner, waiting for her.(案山子は辛抱強く立って彼女を待っていました/The Wonderful Wizard of Oz)」

「You!、Go and stand in the hallway !!(そこのお前!、廊下に立ってろ!)」

「Ha ha ha ha ha ha・・!!」

「And wait, and wait, and wait・・・(待って、待って、ただひたすら待つのだった/映画・カサブランカの冒頭ナレーション)」

「Here's looking at you, kid!(君の瞳に乾杯=映画カサブランカの名台詞)」

 相変わらず、学生たちは口々に好きなことを言う。
 果たして、日本の大学や自衛隊で、学生や新兵がこんな風に答えるだろうか。
 だが、彼らは至って真面目な顔で答えとしての冗談を言っているのであり、ふざけて脱線したり、悪乗りしているようなエネルギーは感じられない。
 普段は鬼のように思える教官もまた、それに対して目くじらを立てるわけでもなく、微笑んでいるのであり、そんな雰囲気で良い場合と、ひたすら真面目に、課業と直面しなくてはならない時が、自ずと区別されているのだと言える。

「ははは・・知らないから無理もないし、冗談を言える余裕があるのは今だけだから、まあ言わせておいてやるが、歩哨というのは ”オズの魔法使い” のカカシのようなわけにはいかない。先ずは訓練中の肉体的な消耗に加えて、睡眠時間が大幅に削られるのだ。
 人間にとって最も辛く苦しい拷問は、眠らせて貰えないことだ。空腹や渇き、苦痛となる痛みを与えられることよりも、眠りたいのに眠れないことほど大きな苦痛はないと言われている。訓練は拷問ではないから、やがて交代の時間が来るが、普段と同じ時間には眠れず、疲れているのに十分な睡眠が取れないのは、やがて精神に異常を来す原因にもなる」

「──────────────」

「だから非日常性が貫かれる野外演習では、大抵二日目かそこらになると、誰もが殺気立ってくる。そんな時は必ず自我が出てきて、勝手気儘な言動が目立ちはじめ、普段よりも感情のコントロールが出来なくなり、自分だけ楽をしよう、巧くやろうと、上手に立ち回るような者が少なからず出てくるのだ」

 学生兵士たちは、みな黙って聞いている。いざその立場になったらどうなるか。自分だけは決してそんな事はない、と誰もが思いたいが、実際にその時が来れば、どうなるかは分からない。何しろ、宏隆を除いては、誰もが初めて経験することなのである。

「訓練を指導する私たち教官は、そこのところを観ている。元気で頑張れるときの君たちはどうでも良い。どうしようも無くなってきた時の君たちがどうするかと言うことを観て、誰が兵士として、士官として卒業するに相応しいかを見極めて行こうというわけだ」

「──────────────」

「どうだ、分かったか─────?!」

「イエッサー!!」

「よし、それでは次の課題に入る。今から Gas Chamber(ガス室)の訓練だ!!」

「ガス室────────?!」

 誰も皆、その訓練のウワサを聞いたことがあった。
 総勢約20名ほどの小隊は、俄(にわか)に騒めき立った。

 ガス室とは、戦場で化学兵器が使われた場合の対処を訓練するために行われ、防護マスクへの信頼と、如何なる場合もパニックに陥らない心構えや、極端な非日常性を体験させ、実際の戦場をイメージすることに役立てるという意味も含まれる。

「キミたちは午前中に、すでにM17(ガスマスク)の性能と、使用する際の注意を学んだ。今度はそれを実際に使用する訓練を行う。各チーム(班)ごとにマスクを配布するので、外観検査とベルト調整を各自の責任で行うこと!!」

「イエッサー!!」

 ガスマスクには、マスクの本体と装着ベルト、キャニスターと呼ぶ有毒ガスを吸収濾過するフィルター入りの缶が付けられている。キャニスター側には吸気弁があり、息を吸うときに開き、吐くときには開かない。吐く息は排気口内側の排気弁を通じて、吐くときだけ開いて外に出されるようになっている。
 ここに出てくる ”M17” は1960年代から米軍が採用し、マイナーチェンジを繰り返しながら約30年間ほど使われ続けた、兵士には馴染み深いものである。
 最近の新しいガスマスク(M40、M50など)は重量も軽く、フィルターは容量が増えて息がし易く、CQB(Close Quarteers Battle=近接戦闘/分隊が25m以内で敵と遭遇した場合の戦闘)に於いてはライフルを左構えで撃つこともあるので、左右どちらにも取付けられるようになった。
 また、有効期限が切れるとフィルターの色が変わるようになっており、安心して使える。化学兵器はもちろん、核で汚染された環境でも24時間使えるように設計されていて、装着したままストローで水を飲めるようにアダプターを付けたり、互いの声を聞き取りやすいようにボイスエミッター(音声増幅装置)を取付けることもできる。


「マスクの装着準備はできたか?──────────」

「C-Team(Cチーム)、準備よし!」

「A-Team、準備できました!」

「B-Team、全員準備完了!」

「よろしい。各チームごとに整列っ!!」

「休めっ!!」

「Listen to me carefully, Kids.(お前たち、みんなよく聴くんだ)────────
 何度も言うが、ガス室の訓練は辛く厳しい。しかし、その気になれば大した事はないし、体験してしまえば別にどうということもないものだ。大切なことは、決してパニックを起こさないようにすることだ─────分かるな?」

「イエッサー!!」

「ここで使われるガスは致死性の有毒ガスではない。警察が暴動の鎮圧用に使う Tear Gas(催涙ガス)とほとんど同じで、女性が防犯用に携帯するのと似たような物だ。将来、もし君たちが女性を襲う暴漢になったら─────今日の経験が、きっと役に立つことだろう」

「Ha ha ha ha ────────」

 教官のジョークに、皆が笑う。

「I say agein, Don't freak out.(もう一度言う、決してパニックを起こすなよ)」

 いよいよ実際にガス室を体験することが始められた。

 6〜7人で編成されたチームごとに、教官と共にガス室の中に入る。
 室内は、濃い霧が掛かったときのように、真っ白にぼやけている。
 少しばかりドキドキするが、防毒マスクを着けているので、普通に息はできるし、周りに居る者の人影も認識できる。

 宏隆は、神戸の南京町で催涙ガスを実際に喰らったこともあるし、台湾の夜市で宗少尉が使うのを間近で見たこともある。もちろん玄洋會の訓練でも既に体験済みなので、およそこれから何が起こるか、どのような心構えで居れば良いかを知っている。
 アメリカ軍と言っても、ガス室の訓練はそれほど変わらないはずだと思える。決して安心しているわけではないが、特に慌てる必要もなかった。

 宏隆のすぐ傍で「こんなこと、どうってことは無いじゃないか・・」と誰かが呟いた。
 確かに、さっき教官の言ったとおり、パニックにさえならなければ、今の段階ではそれほど大した訓練には思えないだろう。

 だが、その直後に教官が、たった今「どうってこと無い」と言ったばかりの学生兵士の肩を叩き、おもむろにこう言ったのだ。

「OK, I want you to remove the mask!(よし、マスクを外せ!)」

「What? … Pardon me?(え?・・もういちど言って下さい)」

「マスクを外すんだ。これも訓練のひとつだ。マスクを外したらお前の名前と*社会保障番号を私に告げ、その後でもう一度マスクを着ける。午前中に練習したマスククリアの技術を使って、再度装着するんだ─────分かったか?」

 社会保障番号(SSN=Social Security Number)とは、年金を受ける為の納税者番号である。戸籍のないアメリカでは個人を特定する唯一の方法。
 米軍では1974年から認識番号に代わってSSNをドッグタグに刻印している。

 この日の午前中に、その訓練をしたばかりだというのに、いざ、濛々(もうもう)と立ち篭める催涙ガスの充満する室内でそれをやれ、という事になると、頭が真っ白になって、何をどうやれば良いのか、まったく思い出せない。

「落ち着け。まず深く呼吸をしてから、マスクを外すんだ──────」

 そう告げるドリルサージャントも防毒マスクをしているので、声が籠もってよく聞こえない。まるでロボットのように無機的な声に聞こえ、薄暗いガス室の不気味な雰囲気をさらに高めている。

 その学生は深く息を吸い込むと、眼を固くつぶって、恐る恐るマスクを外した。

「よし、キミの姓名と社会保障番号は─────?」

「John Dilinger, SSN is 190-319-340 」

「よし、マスク・クリアをして装着しろ!」

 眼を閉じたままマスクを被り直し、マスクと顔面の間に残っている催涙ガスを、残りの息を強く吐いてマスクと顔の間から外に出す。それ以上に吐く息は残っていないので、失敗したら目も当てられないことになる。

「Whew… !!(ふぅ・・・)」

 どうやら彼は上手くいったらしく、マスクの下で息をつき直し、ホッとしている。

 このマスククリアというテクニックは、スキューバダイビングでも同じ要領で行われる。水中でマスクを外し、再び装着し直して、鼻から息を吐いてマスクから水を出すのである。
 ベテランダイバーは、空気の泡を全く外に漏らすことなく、これをやってのける。


「次はキミだ。さあ、やってみようか・・・・」

 教官が次の学生のところに行き、同じことを告げ、同じようにやらせている。
 だが、彼はマスククリアで大失敗をしてしまった。マスクと顔の隙間に残ったガスをきちんと排出できず、そのまま再び呼吸を始めてしまったのである。肺にガスを吸い込んだら、ちょっと厳しい。

「Ahhhhhhhh────────!!(うわわわぁーっっ)」

 彼はパニック状態になり、マスクを取ろうとして、必死でもがいている。
 他の者たちも、それを見てオロオロするが、どうしてやれば良いのかも分からない。

「Clear the mask!、Clear the mask !!(マスククリアをしろ、やるんだ!)」

 けれども、一旦パニックになった者は、そう簡単には元に戻らない。
 案の定、彼は教官の言うことに耳を貸さず、脱兎の如く出口に向かって突っ走り、勝手にドアを開けて外に出て行ってしまった。

「ははは、大丈夫だ。他の教官がヤツの面倒をみるから心配ない。それよりも、残ったお前たち・・・全員マスクを外せっ!!」

「ええっ────────?!」

「は、外す────────?」

「ただ外すだけじゃない。オレも外すから、皆で一緒に唄を歌うんだ、イイから外せ!!」

 宏隆以外は、何故そんなとんでもないことを言い出すのか、と誰もが思ったが、軍隊では上官の命令は絶対であるから、しぶしぶ皆がマスクを外す。

「よぅし、外したな。さあ、一緒に大合唱をするぞ、ついて来い!!」

 だがもう既に、辺りでは激しい咳と、涙と鼻水が止まらない症状が始まっている。


「Momma, Momma, can't you see
 What the Army has done to me
 Used to date a beauty queen
 Now I hug my M-16 !!

 ママ、ママ、見てくれよ
 陸軍がぼくにやったことを
 以前はカワイコチャンとデートしていたというのに
 いまぼくが抱いているのは M-16 ライフルだ!」


 教官が、例の行進歌のひとつを唄い始めた。
 一行ごとに教官について同じ歌詞を唄うのだが、よく見れば、辛うじて唄っているのは宏隆と、もう一人の体格の良い学生だけである。
 だがそれも、涙と鼻水にまみれながら、まるで細かい金属片が目に突き刺さったり、喉に吸い込んでしまったような激しい痛みを伴うので、全く歌になどなっていない。

 やがて、誰もがその痛みや苦しみに耐えきれなくなってきた。
 もちろん、教官も、である。

 そのとき────────入口のドアが開き、外の光が明るく差し込んだ。

「よしっ、全員外に出ろ!!」

 大声で教官が命じ、みな一斉に、一目散にドアの外へ飛び出して行く。

「深く息をしろ!、決して目をこするな!!」

「目を開けろ、目を開けて、大きく息をするんだ!!」

 皆、ゲホゲホと咳をしながら、苦しそうな顔をしているが、毒ガスと違って、催涙ガスは一過性であり、時間とともにその効果は無くなる。大きく目を開けて、深く呼吸をすればするほど、瞼や肺の中のガスの成分が空気に触れ、その効果がどんどん消えていくのである。

 不思議なもので、すでに午前中に学習した内容だというのに、改めてその場で説明を受けるだけで、ずいぶん気が楽になってくる。

 一緒にガス室に入った教官は、この訓練を何度も繰り返してきているだけあって、誰よりも先に回復して、もうケロリとして笑っている。

 その教官が、最後まで行進歌を唄おうと努力していた宏隆と、もう一人の学生のところにやって来て、こう言った。

「Hey, you are ”GO” at this station !(おい、お前たちは、この訓練に合格だ!)」



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )




 *編集部註:”Go(ゴー)”は元は製造現場で使われる特殊な言葉で、Go/No-Go Gauge(通り・止まりゲージ)と呼ばれる、通過した物を合格品、通過しない物を不合格品と判定する器具(ゲージ)を指す。軍隊ではこれを、Go(合格)、No-Go(不合格)として、兵士の良否・合否の判定に用いている。





  *次回、連載小説「龍の道」 第156回の掲載は、6月15日(月)の予定です


taka_kasuga at 23:52コメント(19)連載小説:龍の道 | *第151回 〜 第160回 

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2015年06月04日 00:30
ガス室の訓練こそ、
”冷静さと忍耐力” が即座に問われる試練なのですね。

不意に心身を襲う痛苦の中でも自分を保てるという事は、
普段から自らを律する事の重要性を認識し、
「それ」をこそ鍛えてきたからだろうと思います。

自分や仲間の生死が秤に乗ればこそ、
その集中力も喚起され研ぎ澄まされていくのだと思います。
本質的な強さは環境によって磨かれるのだと納得しました。
 
2. Posted by MIB(▼_▼¬   2015年06月04日 03:16
軍隊とは言わず仕事の上でも、肉体的精神的に辛くなってきた時に、人によって反応に違いがあって興味深いです。
怒りっぽくなり他人に強圧的になる人、ぼーっとして反応が薄くなる人、
比較的冷静なように装いつつも浮ついてしまう人など、色々なタイプがいますね。
冷静な時の外面とはちょっと違っていて、普段頼りない人が辛い状況でも自分を保っていたり、
逆に普段しっかりして見える人が早々にお荷物になる場合があって、面白いと思います。
自分の場合、辛くなってくるとイライラする部分を押さえつけるのに意識の大部分を振り向けたり、考えの選択肢の幅が狭まってくるのに気付かなかったり、
だんだんパニックになっていくのを興味深く見ている自分がいたりします。
知人には自分よりも忍耐力の有る人も無い人も色々いて、忍耐力を分ける本質的な違いというのはまだよく分からないのですが、
忍耐力に優れた人たちを見ていると、基礎体力と場数を踏むことは最低限必要、
あと、行進歌のようなバカバカしいことってこういう時に本当に大事だなあと感じます。
 
3. Posted by タイ爺   2015年06月04日 16:00
冷静さと忍耐力。
中国の武術家が「1に胆力」という言葉で表現していましたね。
軍隊においてはチームワークなので特に重要視されるような気がします。
ガス室訓練でマスクをとって歌を歌うなんてなんて乱暴な、と一瞬考えましたが実は色々な意味で合理的なのかもしれません。
パニックにならないように歌を歌い続け、歌うことで忍耐力も確認できます。また過緊張に至らないので症状も比較的穏やかに済むのしれません。でもつらいっすね。
 
4. Posted by 円山玄花   2015年06月05日 03:20
「冷静さと忍耐力」は、どこの軍隊でも指導されるのですね。
私はそれを先ず座学で教えられたことに驚きました。
軍隊が体力と根性だけの世界ではないのだと認識したのも、この時です。
面白かったのは、『結果を評価されてきた人間は忍耐が養われにくく、過程を評価されてきた人間は忍耐が養われやすい。君たちは結果の評価を気にせずに、自分の取り組みを自分で評価できるようになれ』と言われたことです。
本当に強い人間を育てる機関は、どこも同じであると思いました。
 
5. Posted by ユーカリ   2015年06月05日 15:56
>誰でもいいから、思ったことを自由に述べてみろ
このような課題を与えられると、その場から逃げ出したくなる自分がいます。
「どのタイミングで、どんなことを言えばいいのだろう?」
「こんな事を言ったら笑われるんじゃないか。」
「『これでは間違えている!』と烙印を押されるのではないか。」
とそちらにばかり、気を取られてびくついてしまうのです。
「自分はどう思うのか。どう考えているのか。」は二の次三の次どころか、そのことは、頭からすっ飛んでいる状態です。

評価や失敗を恐れて、自分が思っていることを口にするのを避けていると、いざ、それを説明しようとした時に説明ができない=理解できていない事実に直面し、つーっと血の気が引くのを感じます。言葉にするという事は、非常に責任もあるし、勇気のいる事だけれど、そこを曖昧にしていては、今後生きていく上でも、支障が出てくるなと思いました。
 
6. Posted by 太郎冠者   2015年06月05日 16:59
極端な話、武器の性能がどんどん進化して、だれでも撃てて絶対に命中し、当たれば倒せるような時がくるのかもしれません。
そうなれば、戦闘を決定づけるのは力や技術ではなく、その戦う人間の精神性、のような気がします。

現在、すでにそれに近いような世界になってると思いますし。ほとんどSFみたいなものです。
今回書かれているような冷静さと忍耐力が違いというのは、腑に落ちるものがあります。

>ママ、ママ、見てくれよ
 武藝館がぼくにやったことを
 以前はカワイコチャンの手を握っていたというのに
 いまぼくが握ってるのはトレーニングナイフだ!

青春の日々を武術に費やす、それもまた男の人生であります。
 
7. Posted by とび猿   2015年06月06日 12:26
未知の経験、例えそれが頭では分かっているものでも、初めてのことは、冷静さを保つことは大変なことだと思います。

自分の場合、そこにほんの少しでも恐怖があると、その恐怖の対象がどれほどくだらないものであっても、途端に冷静さを欠くように感じますし、逆に恐怖など全く感じないほどのめり込んでいる時は、頭の中が、自分でもまるで別人になったのではないかと思うほどスッキリしていて、比較的冷静であったと思います。
このことは、以前スキューバダイビングを体験した時に感じました。

この恐怖を、興味や感動など自分にとってポジティブなものに変えていくことが、自分には必要なのだと思います。

・・・ちなみにマスククリアの練習はもたついてしまいましたが。
 
8. Posted by マルコビッチ   2015年06月06日 17:48

>兵士として不適格な人間を見出し、ふるい落とすこと・・

一見厳しい言葉に聞こえますが、考えれば当然のことで、不適格な人間を情け心で置いておいたら、全滅の危機に直面しますよね。
(「龍の道」を読んでいれば分かりますとも!)
さて、ではどうしたらふるい落とされないのでしょう。
軍隊に限らず、一般社会でも”この世は戦場じゃ!”などと言って、ふるい落とされないように皆必死です。
どう必死なのか・・・媚びを売ったり、計算したり、話を合わせたり、上手く立ち回ったり、不器用な人は一生懸命ひたすら働く・・などかしら・・
軍隊や武術の世界はまるっきり方向が逆ですね。
”冷静さと忍耐力”は自分自身に目が向いていないと養えないと思いますし、太極拳も自分を見ていないと得ることは難しいでしょう。
常に自分を見つめて、自分と直面する事は大変な事だと感じています。
外に目を向けるか、内に目を向けるか、厳しさの次元が違いますね。
 
9. Posted by bamboo   2015年06月08日 23:22
元気で頑張れるときの君たちはどうでも良い…> 確かに、「眠いから…」「疲れたで…」「怒れちゃう」「雨で嫌ぁね(晴れの日は「暑いでいかん」)など、周囲の方たちの病にも「〜だからつい…」という類のものが目立つように感じます。
そして…そうしたことは自分自身にも常に有って、そこは皆同じなんですね。入門当初、私はこれを観ることがとても辛く、怖く、抱えている膨大な問題を感じるだけでも、途方に暮れてしまうか、悶々とするか、一瞬だけ頑張って後で羽目を外す、等々…今でもお恥ずかしいことがたくさんありますが、懐かしんで苦笑できるほど、こんな私を破門せずに育てて下さった当門の懐の深さに感謝しております。
生死や自他に真正面から向かい合う、そんな機会を常に観させて下さる道場なんて…いやぁ…本当にあるんですね(笑)!!
…こんな自分がいちいちアタマとキモチでやれる程度の学習より、今では“自分をぶっ壊す” “己を殺す”くらいが丁度いいのかも… いや、(そうでなければ間に合わないのかもしれない…。「できない生き方」と「できる生き方」、お前はどちらがよいのか?) よくそう感じます。 稽古という“篩”のなかで、私という小さな人間がどんどん磨かれていく…催涙ガスは未経験ですが、今の自分には、いろいろと楽しめそうな気がいたします。
ハァ…将校も当門の先輩も…やはりカッコイイです。憧れます。
 
10. Posted by taka_kasga   2015年06月17日 17:28
☆みなさま

忙しくて、コメントバックが遅くなり、申し訳ありません。
龍の道の第156回も出ていますので、どうぞご覧ください。

なぜか近ごろ、涼しい所に行きたくて仕方がありません。
お馴染みのギネスやビーミッシュ、マーフィーズなど、
ビールの美味いアイルランドのダブリンは夏が涼しくて、
夏の気温はだいたい20度、高くても25度くらいなので、久々に行きたいなぁ、と・・

ダブリンと言えば、「Once〜ダブリンの街角で」という映画がありました。
地元のストリートミュージシャンとチェコ系移民の女性が、
音楽を通じてだんだん心を通わせていく、というラブストーリーです。

音楽の映画だけあって、なかなか曲が良くて、
じんわりとハートに染み込んできます。
サウンドトラックは全米で2位になりました。

機会があったら、ぜひ観てみてださい。
 
11. Posted by taka_kasga   2015年06月17日 17:28
☆まっつさん

ガス室の訓練は、ぜひ一度体験して欲しいものですね。
ここで紹介した様子は、自衛隊を始め、どこの軍隊でもやるものですが、
まあ「冷静さと忍耐力が即座に問われる」と言うほど、大したことでもありません。
軍隊に身を置くことを望んでいながらパニックになるような人は、
よほど日頃から平和安全に浸りきっている人だと思います。

稽古でもよく、平和に浸りきっている日本人のアラが見られる、と言われますが、
たとえどんな些細なことでも、それが必要なら絶対にそれが出来るようにする、
条件が整わなければ、その条件を満たせるように工夫し努力する、
という精神が、平和で物が溢れかえった便利な現代の日本に暮らす人たちに、
最も足りないことのひとつのように思えます。
 
12. Posted by taka_kasga   2015年06月17日 17:28
☆MIB(▼_▼¬  さん

誰にでも心身には好不調の波があるので、
お互いに喜怒哀楽を他に向けてしまうのは已む無いことです。

ただ、人間とはそういうものだという、その事実を理解しているか居ないかで、
意識的で居られるか、居られないかが決まってきて、
武藝館ではよく言われるように、
それが出来る人はオトナで、出来ない人はコドモだということになりますね。

それは稽古でも同じことで、
指導されたことについて、自分の感情や考え方を夾むことなく、
きちんと「モノゴトを物事として、ただ観て、ただ受け容れる」ということの出来る人は、
分別あるオトナであり、能力を十全に発揮できることが期待できる人だと判断されます。

意外に思われるかもしれませんが、
感情的なタイプであるとか無いとか、忍耐力とか、基礎体力の有無などというものは、
軍隊のような所では、実際にはあまり関係ありません。

本当の冷静さというのは、自分を離れて自分を観ることの出来る意識に基づくものですし、
同様に忍耐力も、その対象がどのようなものであるかを観ることができるゆえに、
忍耐をする価値があるかどうかを自分で判断しているわけですから、
結局は、本人の「意識レベルの高さ」の問題になるわけです。

>行進歌

第三者から見ると、それ自体はとても「バカバカしい」ものですが、
実地体験した人間にとっては、心身の疲労を軽減し、士気を高めてくれる、
非常に効果的な、科学的訓練法だと思えるものです。
 
13. Posted by taka_kasga   2015年06月17日 17:29
☆タイ爺さん

>一に胆力

中国人はよくこの言葉を使いますね。
ぼくはこれを、「危機に直面しても心身の能力が低下しない精神性」と解釈しています。

路上、戦場に関わらず、突然に襲われたりするとアタマが真っ白になって、
普通はまったく何の対処も出来ないものですが、
訓練によってきちんと反応して対処することが出来るようになります。
つまり、軍隊や武術道場では「胆力」を練っているわけですね。

近ごろの若者は、何でも「条件」が整わないと出来ないと思い込んでいて、
その要素が少しでも不足していると、まだ何もしないうちから諦めてしまうそうです。
勇気を持って立ち向かい、あらん限りの知恵を振り絞って工夫を重ね、
不可能と思えることに敢然と挑んでいく、というような、
師父やタイ爺さんの世代なら当り前のことであった精神は、
もはや日本人の若者には無くなってしまったのかと、残念に思います。

ガス室の訓練は、戦闘の初心者が胆力を練るには適したものです。
宏隆くんは、この程度なら大したプレッシャーもありませんが、
まだ経験したことのない、とんでもない様々な経験によって、
ますます胆力が養われるような機会が待ち受けていると思います。
 
14. Posted by taka_kasga   2015年06月17日 17:30
☆玄花さん

悪い結果を評価された人間は、卑屈になります。
良い結果であれば、賞められて良い気になるか、更なるやる気が出て来るかも知れません。
しかし所詮は結果は評価されざるを得ないものです。

過程がきちんと評価されることは滅多にありません。
過程が大切だと思える人は、他人が辿ってきた過程も大切に思えますが、
大方は結果で評価されてきている人が多いので、
評価する側もされる側も、過程の大切さに気付けないのだと思います。

太極武藝館では、結果を気にせず、取り組む過程にもっと意識的になるよう指導されます。
「できる稽古ではなく、分かる稽古を求める」と常々言われるのも、同じことです。
真の強さが理解できる人から指導された人は、本当の強さのDNAを持っています。
それが使われ得るかどうかは、またその人の問題ですが。
 
15. Posted by taka_kasga   2015年06月17日 17:30
☆ユーカリさん

>今後生きていく上でも、支障が出てくるなと思いました

いやいや、今後ではなくて、逃げ出したくなったり、血の気が引いたりするのだから、
それは今現在、レキとした「支障」となっているわけです。

評価や失敗を怖れる自分も、その理由も、そのままではいけないと思える自分も居るのに、
どうしてそれが解決できないのか────────

それは、そうしている事こそ自分に必要だと、本人が確信しているからです。

人間の想いや行動は、すべて自己の脳の判断によって、
自分に最も都合が良いと思われることを選んで、決定しています。

その決定を、こんなことではダメだと思えるのも、また自分に他なりませんが、
最終決定でそれをどうしているのかが、その人の人格になっていきます。

人格とは、その人の固有の、人間としての在り方=人間性です。
『人は自分が想っているとおりの人間になる』とは、よく言われることですが、
自分はこのような人間で良いのだ、それは仕方がないのだ、それで都合が良いのだ、
と思っていれば、当然それ以上のことは起こりません。

太極拳的に言えば、『こうすれば、こうなる』という法則があり、
「こうすれば」のところを自分が選択した結果が、「こうなる」わけです。
その「選択」を変えれば、「こうなる」は、やがて変わってきます。
 
16. Posted by taka_kasga   2015年06月17日 17:31
☆太郎冠者さん

>ほとんどSFみたいなものです

ある意味では、太極拳の用意不用力も、四両撥千斤も、SFみたいなものですね。
ほとんど誰もがフィクションだと思えるところの、その「科学」は、
本当に情熱と執念を持って、それを丁寧に紐解いて行った人にしか理解できない、
そして、見ることのできないものだと思います。
Because it is there.(そこにエベレストがあるからだ)と、
そう言える人間だけが目にすることのできる世界が、そこにあります。

 ママ、ママ、見てくれよ
 中国共産党政府が伝統武術にやったことを
 以前は多くの人に「四両撥千斤」ができたのに
 いま彼らが推奨しているのはただの健康体操か
 フルコン空手もどきのものだ

 ママ、ママ、見てくれよ
 中国共産党政府が伝統武術にやったことを
 牙を抜かれ飼い慣らされた虎や
 ダムで干上がった谷底で瀕死になった龍たちが
 輝ける武術文化の終焉を告げている
 
17. Posted by taka_kasga   2015年06月17日 17:31
☆とび猿さん

恐怖は、誰にでもあります。
問題は、その恐怖と、どう向かい合ったかです。

400戦無敗だったヒクソングレイシーは、「試合前は怖くて仕方がなかった」と言い、
「そこに居るはずのないライオンの咆吼さえ聞こえる時がある」と告白しています。

ヒクソンがプロデビューした、レイ・ズールとの試合を語ったインタビューがあります。
相手のレイ・ズールは、その時バーリトゥードで150連勝の真っ最中で、
ヒクソンが生涯のうちで最も苦しんだ試合だと言われています。


 恐怖心を持たない者は、愚か者だ
 私は、恐怖心は自分の味方だと思っている
 恐怖心がなかったら、自分をここまで磨く事もなかっただろう

 プロデビューをした、レイ・ズールとの一戦でのことだ
 1ラウンド目にスタミナが切れて、私はすごく疲れてしまった
 自分は勝つことができるだろうかと、不安がよぎった

 1ラウンドが終わったインターバルの時、父親(エリオ・グレイシー)に
 「もうリングに戻りたくない、限界だ」と告げた
 父は「お前なら行ける、大丈夫だ」と励ましてくれたが
 それでも私は「本当に限界なんだ、無理だ」と言った

 その瞬間、父は私の頭に、氷がたっぷり入ったバケツの水をかけた
 私はそれで目が覚め、そして最終的には、私は勝つことができた

 あの試合で、自分のいちばんの敵は、自分の心だということに気付いた
 そこでは「勝てないのではないか」という不安が、自分のいちばんの敵だった
 そのことがあって私は、「決して自分をあきらめない」と誓った

 (日本経済新聞 2013.11.25)
 
18. Posted by taka_kasga   2015年06月17日 17:35
☆マルコビッチさん

>この世は戦場ぢゃ!

♬ この街は〜、戦場ォだからァ〜、オトコはみんな、傷を負った戦士ぃ〜

嗚呼・・小さな子供の昔に返って、熱い胸に甘えて〜

なんて、言ってくれるヒトが居たらなぁ・・・:*:・(*´エ`*)ウットリ・:*:
 
19. Posted by taka_kasga   2015年06月17日 17:36
☆ bamboo さん

>稽古という ”篩” のなかで・・・

そうですね。
稽古というのは、出来る人と出来ない人を分けるためのフルイではなく、
稽古という非日常的な場に臨んで、自分自身と向かい合って、
自分の中にある傲慢さや身勝手な考え方といった、
学ぶための条件や基準に合わないものを篩い落とすためにあるわけです。

その中で、人はどんどん磨かれていって、
どんどん太極拳を、そして自分自身を理解していく────────

すげー館の「技術」だけをチョコッと盗んだら、
あとはそれを取り入れて、自分でやって行けば結構強くなれるハズ・・・
などという考えを持つフトドキモノは、本部でも支部でも、みな辞めて行きます。

稽古とは、やはり ”篩” に他なりません。

フルイヤツだとお思いでしょうが・・・(^_^;)
 

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