2015年02月15日

連載小説「龍の道」 第148回




第148回  A L A S K A (17)



「ここは──────────────ここは、何処だ?」

 少し体を起こして、フィリップが辺りを見回した。

「飛行機が墜落して、あんな風にひっくり返ったから、ここまで泳いできたんだよ」

 そう言って、宏隆が顔を向けた湖の真ん中には、墜落した水上機が、フロートの片脚を上げた無惨な恰好で浮かんでいる。フィリップは、ようやく自分がどこに居るかを覚った。

「俺は─────ずっと気を失っていたのか?」

「ああ、墜落のショックが大きかったからな、無理もないさ・・・」

 焚き木を焼(く)べ直して、少し火を大きくする。
 フィリップの顔に、紅い焰(ほむら)が温かく映え始めた。

「うう・・・くくっ・・・・」

「まだ動かない方がいい。大きな出血こそ無いが、あちこち打撲しているから、骨くらいは折れているかも知れないぞ────────頭は、痛くはないか?」

「うぅむ、少し痛いが・・・お前が、ここまで、俺を連れてきてくれたのか?」

「そうだよ。僕はたまたま打ち所が良かったらしく、少しばかりの打撲だけで済んだから、ライフジャケットを筏(いかだ)代わりにして、お前を曳(ひ)いてきたんだ」

「なぜ、オレを助けた──────────?」

 それが如何に大変か、ということは、フィリップにもよく分かる。
 広い湖の真ん中に浮かんでいる水上機から、秋の冷たい湖水に浸かりながら、ここまで自分を曳いて泳いでくるという行為に、どれほどの体力と忍耐を必要とするか、訓練を積んだ人間なら、容易に想像がつくのだ。

 そして、宏隆がそんな大変な思いをしてまで、罠にかけ、拉致をした敵であるこの身を、助ける理由がどこにあるのか─────そのことが、フィリップには不思議でならない。

「さあ、僕にも分からないが・・」

 さらりと、宏隆が言った。

「気絶しているお前を、機内にそのままにしておいたら、間違いなく低体温症で死んでしまうと思って───────ただ、それだけだ。他に何も考えていなかった」

「俺はお前をチョソン(北朝鮮)に連れ去ろうとした張本人だぞ。バリーの娘を拉致して、それをネタに恐喝し、助手のジェイムスを買収し、お前を巧妙なワナに掛けて・・」

「ああ、そうだな。まんまと罠に嵌まってしまった──────でも、お前も命令されてやっていることで、個人的に僕が憎いってワケじゃないだろう?」

「それは、そうだが・・」

「目の前の死にそうな人間を、岸まで引っ張ってきた─────それだけのことだよ。相手がお前じゃなくても、きっとそうしたと思う」

「日本人は、みんな、そうなのか?」

「みんなって、何が?」

「俺は、日本人ほど極悪非道な民族は居ないと、就学前教育(幼稚園)の頃から教わった。初等・中等教育を終えて軍隊に入ると、日本がいかに悪辣な民族であるか、多くの具体例を引いて教わり、そんなウジ虫のような民族など、この地球上から抹殺したって、他の民族に喜ばれこそすれ、何ら悪いことはない、と思うようになった」

(註:北朝鮮では中学卒業(17才)の直前に徴兵検査があり、男子は卒業後全員が13年間の兵役義務を負う。2003年からは10年間に短縮されたが、いずれも世界最長である。
 2014年からは満17才以上の全ての女子に7年間の兵役が義務づけられた。女性の徴兵制は珍しいが、イスラエルにも2年間の兵役義務がある)

「ああ、知っているよ。お前の国や中国、韓国なんかも、国家を挙げて、徹底した日帝残滓の排除と反日教育を、小さい頃から国民に施しているからな」

(註:「日帝残滓=にっていざんし」とは、朝鮮統治時代に日本から朝鮮に伝わった文物を一方的に ”残滓=残りカス” と呼び、排除すべき物として忌み嫌う反日思想。
 南北朝鮮には、治山治水や鉄道敷設のため測量で打った多くの鉄の杭を、朝鮮民族が信仰する風水の地脈を断ち切る為に打ち込んだと見る ”日帝風水謀略説” や、在韓国日本大使館の建物が首都ソウルの気の流れを遮断しているなどといった ”風水侵略論” まで存在する。
 同じ統治時代の文物に感謝する台湾などのアジア諸国とは全く対照的である)

「だからオレは、お前を拉致することも、場合によっては射殺することも、別に何とも思わなかったんだ」

「そうだろうな────────」

「だが、いまのお前を見ていると、はたして日本人は本当にそんな極悪な人間たちなのか、と疑問に思えてきた」

「お前を曳いて泳いで、助けたから、憎悪の気持ちが変わったのかい?」

「このアメリカにも、戦争中に日本兵に助けられたという人がたくさん居る。東南アジアに派遣されている仲間たちも、かつての戦争で日本兵の悪口を言う人間はほとんど居ないと言って、みな不思議な顔をする。学校や軍隊で教えられた事とは正反対なのだ」

「ふむ・・・」

「ブシドーというのか・・・日本人は、敵であっても、同じ人間として思い遣り、慈しみ、情けをかけるという豊かな心を持っており、それが朝鮮民族や白人たちよりも遥かに強い、と言うのが正直な感想だ」

「そうだな。戦争という状況では、もちろんお互いに理不尽なことも沢山起こるだろうが。アメリカ人も、何もリメンバー・パールハーバーと怒鳴る人ばかりじゃないだろうし、アジア諸国の多くは、先の戦争で自分たちが欧米の支配から解放されたことを日本のお陰だと実感している。なぜか日本では、そんな教育や報道はまったく行われないけれどね」

「日本を滅ぼすべきだと、俺たちは教えられている。我々とチャイナと、どちらが先に日本を獲(と)れるかという、そんな話もよく出る。中共はすでに日本の有力な政治家を落として味方に付け、メディアや企業を支配する方策を打ち出している」

「そのようだな。だから僕も、ただ単に武術の修行だけに励んではいられない。もっと強くなって、少しでも祖国の役に立てるように、アラスカ大学に入ったんだ」

「ROTC(Reserve Officers' Training Corps=予備役将校訓練課程)だな。だが、そこで学ぼうというお前が、自分を拉致しようとした反日国家の工作員の命を助けるというのが、どうにも理解できないのだ」

「人間は、極限の状況では、恨みも憎しみも、どこかへ消え去るのかもしれない。
 日本文学に、”恩讐の彼方に” という、世代を超えて読み継がれている小説がある。
 家名取潰しの原因となった父親の仇敵を探し、長年かけて遂に見つけ出したその相手が、今では自らの罪業を怖れ、僧形となって世のため人の為に、多くの犠牲者を生む難所を通行できる洞門を体を張って直向きに彫り続ける姿に打たれ、仇も恨みも罪業も超えて大慈大悲に目覚め、ついには互いを赦(ゆる)し合う、という話だが─────────」

「互いを・・赦し合う、か・・・・・」

「日本には古の昔から、神仏を尊ぶという美しい風習がある。それは、自分の利益のために神仏に祈るのではなく、自らの行いや考えを見つめ直し、身も心も浄め、大いなる教えに帰依することで、自らの成長と他人の幸福を祈ろうとする・・・・大自然と、神仏と人間性が一体となった考え方なのだ」

「うーむ・・俺が教わった日本や日本人とは随分イメージが違っている────────
 俺はアメリカに潜伏する要員として、この国で一般市民に紛れ溶け込むように訓練を受けてきた。CIAに睨まれないように、普通の学校に行き、普通の仕事をし、普通のコリアン・アメリカンとして働きながら、祖国の役に立つ日を待ち望んでいたのだが・・・」

「そこへ、ヒョッコリ僕が舞い込んできた、ということだな?」

「そうだ。お前は日帝富裕階級の生き残りである良家の御曹司で、台湾の秘密結社に入り、我々の同朋の多くを葬り去った、若年ながら腕利きの工作員だ、と聞いた」

「おいおい、後半はずいぶん勝手な作り話だぞ。確かに、台湾で拉致された時には相手をひどい目に遭わせたが、僕は誰も殺してはいない。殺されそうになったのは僕の方だよ。
 船で自爆した徐さんや、僕が倒したために、円山大飯店を仲間と一緒に脱出できず、その場で始末されてしまった隊員には、本当に気の毒なことだったと思う。
 それは長い間、僕の心の傷になったが、そもそも拉致を企てた故の結果なのだから、仕方がないことだと、ずっと自分に言い聞かせていたんだ」

「そうだったのか───────台湾の海で殉職した徐少尉は、俺の隊長の友人だ。お前を容赦なく拉致できるように、俺に対してそんな風に表現したんだろう」

「うむ・・・」

 パチパチと火が爆(は)ぜて、傍らの宏隆の袖に飛んだ。 
 
「だいぶ服が乾いてきた、やはり軍用は乾きが早いな。少しは体が温まったかい?」

「ヒロタカ─────────────」

「ん・・何だい?」

「オレは、お前に助けられて・・・何かこう、ずいぶんスッキリしたような気がするんだ。上手く言えないが、凍えた身体が、こうして焚火の炎でだんだん解れていくように、俺の中で、なにかが解れて、溶けてきたような気がする」

「・・ほう、何がほぐれてきたんだい?」

「何というか、うまく言い表せないが・・・お前を拉致して連れて帰るという任務が、もうどうでもよくなってしまった」

「そんなことをしたら、お前に厳しい罰が与えられるんじゃないのか?」

「確かに、任務に失敗したとして、何らかの処罰を喰らうだろう・・だが、それでもいい。こんな気持ちになってしまったら、もうお前と争う気持ちが起こらないんだ」

「そうか・・・・」

「そう言っても、すぐには信じてもらえないだろうが────────俺はお前を騙して、いや、お前だけじゃない、バリーの娘を拉致して、バリーを脅してまで、お前をチョソンに連れて行こうとしたんだ。そんな俺の言うことを信じて貰えるとは思えない。だが、これは本当の気持ちなんだ」

「その言葉を、信じるよ──────────────」

「え・・・」

「生きるということは、それ自体が罪深いことなのだと、禅寺の和尚に言われた事がある。
 多かれ少なかれ、誰もが自己を正当化して、他人を恨み、呪う。だが、人間の罪障宿業は誰もが等しく背負っていて、誰が悪い、誰は正しいというのは、どんな場合にも当て嵌まらないのだと・・・大事なことは、その罪業に目覚めて、他を赦し、それに躍起になっていた自分を赦せるか、ということなのだと、そう教えられたのだ。そうする事でしか、人は大きく成長していけないのだと──────────
 この度の成り行きは、僕が台湾に行ってからずっと続いている事だ。いや、多分それ以前から、お互いにまつわる多くの物事が重なって、その結果として、それらの事が廻(めぐ)り廻って起こってきたのだろうと思う。だから、そもそもお前を恨んだって仕方がない。
 フィリップ、お前の、その心を信じるよ。これからは、友達だ───────────」

 言い終わると、宏隆はフィリップに手を差し伸べた。

「ありがとう、ヒロタカ───────こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだ」

 フィリップは、目頭を熱くして、立ち上がって宏隆の手を握った。



 常識的に考えれば、奇妙な友情かも知れない。
 だが、今のフィリップの心情を裏付けるようなエピソードは、たくさんある。
 いささか長くなるが、よく知られた逸話があるので、ここに述べておきたい。


 【My Lucky Life 〜 In War, Revolution, Peace and Diplomacy】という本がある。
元英国海軍少尉、Sir Samuel Falle(サミュエル・フォール卿)の戦争体験記である。

 そこには、 1942年(昭和17年)に、インドネシアのジャワ沖で、アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアの連合国艦隊と日本海軍が激突した「スラバヤ沖海戦」で撃沈され、重油が浮かぶ海を約24時間漂流していたイギリス駆逐艦「エンカウンター」と、巡洋艦「エクゼター」の乗組員422名を、付近を哨戒していた日本の駆逐艦「雷(いかずち)」が全員を救助した際のエピソードが詳しく書かれている。

 この海域には、日本の船舶に対し、連合国軍による無制限攻撃命令が出ており、いつ何どき潜水艦に狙われるかも知れぬ、日本同士の救助さえ命懸けの状況であり、実際にその日に日本の輸送船が撃沈されたほどであった。
 また、救助した兵士たちが反乱を起こす危険性もあった。駆逐艦・雷の乗組員は150名、救助した兵士たちの人数は、それより遥かに勝っていたのである。
 しかし、駆逐艦・雷の艦長・工藤俊作少佐は「戦いが終われば敵も味方もない、敵とて同じ人間、死線を彷徨う人を救わずにフェアな戦いはできない、それが日本の武士道である。全員救助せよ」と総員に命じた。

 そして、自力で縄ばしごを上れない兵士にラッタル(大型の階段。友軍の救助にも使用が禁じられている)を降ろし、衰弱して動けない者は日本兵が飛び込んで抱きかかえ、力尽きて次々と沈んで行く者たちは潜って助け上げ、次々と艦に引き上げ、重油と汚物で汚れた兵士の服を脱がせて体を真水で洗い、衣服・温かいミルク・肉の缶詰め・乾パンなどを提供して手篤くもてなした。
 さらに工藤艦長は、潮流で流された兵士を捜し求めて終日行動し、たとえ遠くに一人の漂流者を見つけても、そこまで艦を進め、何度も停船して救助に当たらせた。
 「石油の一滴は血の一滴」と言われた戦時中にあって、工藤艦長は敵兵を救うために貴重なガソリンと真水を惜しげもなく使用させたのである。

 救助された英国兵士たちが落ち着くと、工藤艦長は士官以上の者を集めた。彼らは始めはどうなることかと非常に緊張していたが、やがて艦橋から工藤艦長が降りてきて、彼らに対して端整な姿勢で敬礼をすると、流暢な英語でこう言った。
「You have fought bravely. Now, you are the guests of the Imperial Japanese
Navy. I respect for the English Navy.(貴官たちは勇敢に戦われた。貴官たちは大日本帝国海軍の名誉あるゲストです。私は英国海軍に敬意を表します)」
 そして心づくしのディナーを振る舞い、翌日はボルネオの港に立ち寄って、オランダの病院船に全員を引き渡した。

 救助された英国海軍の兵士たちは、まるで夢でも見ている心地であったが、その人間的な行為に大いに心を打たれたのは言うまでもない。
 当時の英国海軍の規定では、危険海域に於いては、たとえ友軍でも救助活動をする義務を持たないとされていた。それが敵兵である自分たちに、危険を顧みず全員を救助し、衣服や食料はおろか、自艦の兵士たちの靴や寝床まで提供して、手篤く看護したのである。

 長い年月が流れ、その救助された英兵の一人であった、サー・サミュエル・フォールが、 1996年に「My Lucky Life」という本を出版した。その冒頭には、『この本を、私の人生に運を与えてくれた家族、そして、私の人生を救ってくれた大日本帝国海軍・工藤俊作中佐に捧げます』と書かれている。

 このエピソードは、2007年にテレビの「アンビリバボー」で『ザ・ラスト・サムライ』というタイトルで放映され、大きな反響を得た。
 また、『敵兵を救助せよ(惠隆之介著・草思社)』をはじめ、多くの本、雑誌、DVDが出版され、小中高の学生の道徳教育の教材にもなっている。
 



「さて、と──────────先ずは、どうやってこの原生林から生還するかを、考えなくっちゃいけないな」

 辺りを見渡して、宏隆が言った。

「そうだ、まだ雨が降るかも知れない、夜になる前に、ここに簡単な屋根を拵(こしら)えて、夜露を凌ぐことにしよう」

「持ってきたロープが、リゾートハウスの屋根作りに役に立つな。ここに居る目印に、もう少し焚火の煙が出るようにしておこう。アラスカは水は豊富だが、食料はどうする?」

「俺のポケットにサバイバル用の釣りのセットが入っている。アラスカはどこで釣り針を垂れても、レインボートラウトやレイクトラウト、ドリーバーデン・・上手く行けば24インチ(約60cm)ぐらいの陸封型のサーモンが掛かるかも知れない」

「ははは、日本じゃそういうのを、 Catch your raccoon dog before you sell its skin.(獲らぬ狸の皮算用)と言うんだ。そんな、ちっぽけな釣りのセットで、サーモンが釣れるものか!」

「そりゃぁ、もっともな意見だな。でも、このアラスカじゃ、Raccoon dog(狸) じゃなくて、 Caribou(カリブー) って言うべきだろうけどな、あははは・・・・」

「ははは・・それじゃ、大分シャツも乾いたので、僕は水場を探してこよう。フィリップは釣り糸でも垂れて、デカいサーモンでも釣っていてくれ!」

「ははは、OK!・・あ、そうだ、ヒロタカ・・・」

「なんだい?」

「これを持って行け、灰色グマにでも行き合ったら大変だからな」

 フィリップが拳銃を取り出し、グリップ(銃把)を宏隆の方に向けて手を伸ばした。

「お前は、この銃さえ、俺から取り上げようとしなかった・・」

「ああ・・・でも、大丈夫だよ。そんなに遠くへは行かないし、周りをよく注意するから。まだあまり動けないんだから、お前が銃を持っていた方が良い」

「そうか、わかった─────────」



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第148回の掲載は、3月1日(日)の予定です

taka_kasuga at 22:05コメント(17)連載小説:龍の道 | *第141回 〜 第150回 

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2015年02月18日 23:48
不倶戴天と断じた敵でも、
直感に従って助け、赦す事が出来るとは、
「自分」を越えた境地に立っているのですね。

人工的な光が氾濫する街中では、
星を見つける事が難しいように、
日常の生の中では、自分も人も赦す事は困難に感じます。

極限の生死の狭間を彷徨し、自らを律するに至ってこそ、
彼方にある地平の先に星を見つけられるように、
自分を越え、敵と和す奇跡にも辿り着けるのだと思いました。
 
2. Posted by 円山玄花   2015年02月19日 18:02
実は、フィリップが目覚めてからの二人の行動が気になっていました。
人が何かに目覚め、変容する様は、美しく清々しく感じられます。
自分を顧みれば、敵を助けたその後とか、アレやコレやと考えてしまいそうで情けないですね。
まだまだ「自分が大事」なのだと思います。
稽古では「自分で決めないこと」が最も難しく感じられるのも、同じ課題なのでしょう。
太極、大宇宙の法則を理解するしかない、と思います。
 
3. Posted by 太郎冠者   2015年02月19日 21:35
なんというか、こういう決着のつき方ですごく安心しました。
もちろん、現実的にはまだまだ乗り越えなければならない障害がたくさんあるのでしょうが(まぁ、小説なんですが)、
二人に友情というか、心の安寧が訪れたのが何よりも良かったと思います。

>今のフィリップの心情を裏付けるようなエピソード
素晴らしい話ですね。
こういうことが現実に起こった、と知るだけでも勇気づけられる気がします。

>「戦いが終われば敵も味方もない、敵とて同じ人間、死線を彷徨う人を救わずにフェアな戦いはできない、それが日本の武士道である。全員救助せよ」
こういった心意気を持ち、実際に行動できる人間になりたいです。
そのためには、何より修行、修行、ですね。
 
4. Posted by MIB(▼_▼¬   2015年02月20日 00:36
赦すというのは大変なことですね。
こんな命のやり取りでは無い些細なことでも、長々と感情を引きずることが少なからずありますが、他人も赦せないし、それを根に持っている自分も赦せないまま時間が積もってしまいます。
なんとなく風化して忘れるのを待つというのも違うと感じます。
年ばかりとって、まだ大人になっていないと言えばそれまでなのですが・・・。
フィリップのように、他人に助けられることを自分に許す(まあ寝ていては他にどうしようもないが)という経験が、大きな意味を持つことが実際にあるなあと思いますね。

ところで、とばっちりで一人娘を拉致されて無理やり協力させられたのに、首謀者に勝手に改心されて、もうどうでもよくなったとか言われてしまうバリー夫妻が不憫です。
アンジェラが無事戻ってくるまでフィリップが責任取ってくれることを期待しています。
 
5. Posted by マルコビッチ   2015年02月20日 01:28
同じような訓練を受けていても、目的や志が違うだけで発揮できる能力も違ってきてしまうんですね。
恨みや妬み、支配が目的になると、その行動はどこかでねじ曲がり、歪みを生んでしまうのだと感じます。
しかし、目覚めたフィリップが宏隆に心を開くことが出来たのも、もちろん宏隆くんの敵を敵と思わず助けるという、真っ直ぐな行為に衝撃を受けたこともあるのでしょうが、彼が厳しい訓練を行ってきた証ではないかとも思います。
 
6. Posted by とび猿   2015年02月20日 20:59
極限状態を乗り越えると、この様な不思議な友情も芽生えるのでしょうか。
お互い立場やこれまでの経緯等を考えていたら、打ち解けることは難しいように思えますが、
今の二人からはそのような考えから離れて、もっと深いところで繋がったように感じられ、
そうなるとそのような考えは、とてもちっぽけなものに思えてきます。
したたかな相手でしたが、なんだか良いコンビになりそうな気がします。
 
7. Posted by ユーカリ   2015年02月20日 23:19
>ただ、それだけだ。他に何も考えていなかった
何にとらわれることなく、感情に流されることなく今に至る宏隆君。
人の醜さや卑劣さを嫌というほど味わい、その中に身を置いて生きてきたフィリップの心をも溶かしてしまったのですね。

自分の思うようにいかないことに腹を立て、感情的な振る舞いをして悔いる事を繰り返してしまう自分…。
子供たちのまっすぐで純粋な心は、いつも赦して包んでくれると感じます。
ねじ曲がって、都合や言い訳で自分の鎧を厚くしてゆくと、その純粋さやまっすぐさを、自分のいいように捻じ曲げて解釈し、更に感情的になってしまう悪循環…本当にたちが悪いです。
状況は、やはり、自分の在り方が導くものですね。
反省です。
 
8. Posted by タイ爺   2015年02月25日 09:25
やれやれ一先ず危機脱出でよかったです。
自分は宏隆君のような行動がとれるかはとても自信がありません。
しかし戦いの場において宏隆君や工藤館長のような冷静沈着な思考、透明で清々しい精神こそが求められるのだろうと感じました。恨みや憎しみから起こす行動は破壊的な結末しかもたらさらないかも知れない。
絶体絶命を乗り切るには偏らずこだわらない太極の状態こそ必要なのでしょう。
 
9. Posted by taka_kasga   2015年03月04日 19:33
☆みなさま

コメントバックがたいへん遅くなり、申し訳ありません。
近頃ずぅ〜っと忙しくて、どうにも手が回りませんでした。m(_ _)m

また次の原稿が出ておりますが、どうか読んでやって下さいませ。
 
10. Posted by taka_kasga   2015年03月04日 19:35
☆まっつさん

他人を赦せる人というのは、何よりも先ず、自分を赦せた人なのだと思います。
自分を赦すというのは、ある意味で単に他人(ひと)を赦すよりも遥かに難しく、
本当に自分の内の内に、その奥の奥まで入っていかないと、中々赦せません。

自分を赦すとは、自分の長所も短所も、有りの儘に認めるということです。
人は「自分はこうあるべきだ」とか「こうであってはならない」と思い込んでいるので、
自分の有りの儘の姿を認められずにいるわけです。
そして自分の有りの儘を認められない人は、当然、他人の有りの儘の姿も認められない。
実は、その有りの儘の自分から、すべてが始まるのだと理解できれば、
他人の在り方も、その人の有りの儘の姿で受容できるのだと思います。

そしてお互いに、その「受け容れられる精神状態」であれば、
互いの長所も短所も、そのままに認め合うことが出来るので、
そこに争いは起こりようがなく、信じ合い、扶け合い、高め合うことができる─────
そう思います。

こう言ってしまうのは簡単ですが、
潜在意識は過去に起こったすべての感情を覚えており、
そこに刷り込まれたマイナス感情の全てを赦すのは容易ではありません。
自分の内側の、精神世界のシステムがどうなっているか、
それをよく理解する必要があります。

その理解は、太極拳の構造システムを理解するのと全く同じことで、
人間であれば誰もが同じその構造をもつのだ、という認識と、
自分の内側がどうなっているのかを探求し、解明していくという作業を
コツコツとやっていくことに価値を見出せるかが問題となります。

優れた本物の武術が、人を優れた精神性に導くと言われる所以です。
 
11. Posted by taka_kasga   2015年03月04日 19:35
☆玄花さん

普通なら、敵を助けたら、まず自分に危害が加えられないように武器を奪うべきでしょうね。
宏隆君は、フィリップの拳銃さえ奪っておかなかった。
けれども、相手が誰でも、どんな場合でも、そうしたかどうかは分かりません。

あくまでも、この場合、宏隆はそうした。
つまり、「汝の敵を愛せ」と思ったからそうした、
それが正しいことだと教わったからそうした、と言うようなことではなく、
宏隆がそのときに、そう感じられたからそうした、ということで、
場合によっては、気絶している相手を冷たい湖水の中に置いてくることも、
墜落しそうな飛行機のなかで隙を見て射殺してしまうことも、また有り得たと思います。

ヒューマニズムは普遍的な人間性を説く理念ですが、
それを標榜する人がすべて慈愛に満ちているわけではありません。
すべての宗教と、真の宗教性とは内容が全く異なるように、
人間性を大切にするところから、真の愛が理解されるわけではなく、
真の愛が理解される「質」から、人間性が理解されるわけです。

この順序を間違えると、他人を見かけの外郭で判断し、本当の姿が見えてこない。
それは取りも直さず、「自分自身を観る」ということに関心がなく、
他人の短所をエサに、自己の攻撃性を正当化するだけに終わり、
結局はただ、己のエゴを容認していたいだけに過ぎません。

奧深く自分を観れば、自分は醜悪な他人と何も変わらないことが分かる。
人が人として生まれ持ってきているものは、誰もみな、等しく同じであった。
そう思えたとき、人は自分を赦し、他人をも赦すことが出来るのだと思います。

そして、大宇宙の法則は、その「赦せるところ」にこそ、あるのだと─────
 
12. Posted by taka_kasga   2015年03月04日 19:36
☆太郎冠者さん

ふたりに友情が生まれたのは、今にも墜落するという同じ飛行機の中で、
同じ立場、同じ生存の確率、同じ生命の危機に立たされ、
同じ想いで潜在意識が死を直感し、自分の生を振り返ったからだと思います。

宏隆がフィリップのことを、こいつは自分を拉致して行こうとした奴だから、
墜落したらコイツだけ死んで、僕だけが助かるべきだ、とか
フィリップが、俺はもう宏隆をあきらめるから、どうか自分の命だけは無事でいたい、
などとお互いに考えていたら、友情は生まれなかったことでしょう。

>全員救助せよ

立派な行いだと思います。
ただ、それとは全く反対のことも戦争で起こったではないか、
と反論する人も、世の中にはたくさん居ますね。

戦争なのだから、非人道的なこともお互いに沢山あったに違いありませんが、
問題は、何に光を当てて観るか、ということで、
否定のための否定が続くうちは、理解も友情も生まれず、
人間が救われる「法則」は見つからないと思います。
 
13. Posted by taka_kasga ⊂( ̄(工) ̄)⊃   2015年03月04日 19:37
>首謀者に勝手に改心されて・・不憫です

まあ、しかし、改心さえもされない状態だったら、もっと不憫な状況だったわけで。

宏隆の拉致事件には、多くの見ず知らずの人が関わっているので、
果たしてそれらは、いったいどうなって行くのでしょうか・・・
(なんて、他人事みたいに・・作者ダローが!!)
 
14. Posted by taka_kasga   2015年03月04日 19:39
☆マルコビッチさん

>同じような訓練を受けていても・・

そうですね。
人はみな、それぞれで─────

同じような、悲惨な境遇を生きてきた人でも、
それゆえに、限りなく人に優しく、慈悲深くなれた人と、
反対に、人を呪い、怨み、復讐するエネルギーを使って生きる人もいます。

他のコメントバックでも書いてきましたが、
人間の構造は、太極拳で言われるものだけではなく、
感情の構造も、思考の構造も、基本は同じなわけで、
自分でそれを認められるところに・・・
つまり、自分を赦せるところに、他を赦すという心が出てくるわけで、
何よりも先ず自分を赦し、そして他人を赦せるようになって、
ようやく人は、人間として成長できるのだと思います。
 
15. Posted by taka_kasga   2015年03月04日 19:39
☆とび猿さん

「恩讐の彼方に」の例もありますね。
人はみな、各々が持ち合わせているエゴを超える何かに触れたときに、
ようやく大切なものに目覚めるのだと思います。

太極拳の原理構造も、また然り────────
 
16. Posted by taka_kasga   2015年03月04日 19:41
☆ユーカリさん

>本当にたちが悪いです・・

それは、ユーカリさんの「たち」ではなくて、
太古の昔から育まれてきた、世界人類に共通の「タチ」です。

誰もが悩まされ、誰もが利用し、誰もが傷ついてきた、大いなるタチで、
あなたがそれをぶつけた相手もまた、その同じタチを持っていて、
あなたを恨み、呪い、憎しむことを、あなたと同じように繰り返すタチがあります。

その永遠の悪循環を絶つ方法は、ただひとつ、
「自分を深く観て、赦すこと」なのだと思います。

そして、自分を導くことの出来る「在り方」とは、
自分が思う、「理想とすべき在り方」ではなく、
現在の自分の有りの儘の在り方を、
何ら脚色せずに、「ただ観る」ことのできる在り方です。

その「本当のこと」を観て、ようやく、
人は本当に反省(自分を赦すこと)ができるようになります。
 
17. Posted by taka_kasga   2015年03月04日 19:42
☆タイ爺さん

>絶体絶命を乗り切るには・・・

私の知っている、ある軍隊の大尉が、こんな事を言っていました─────

 いざ敵に向かってライフルを撃つときに、敵が憎いなんて、
 これっぽっちも思っていないことに、ふと気が付いて、自分で驚いた。
 私はてっきり、憎ければ、迷わず敵兵を撃てるのだと思っていたのだ。

 その反面、弾丸が当たったら可哀想だ、人を撃つのは非人間的だと、
 心のどこかで思っていたが、実際の戦闘ではそうではなかった。
 本当の戦いに、そんな感情が入る余地などない。
 おそらく、感情が入ったときには、自分が撃たれてしまうのだと思えた。


ウチの師父も、こんな事を言われていました─────

 ある時から、相手をどうしてやろうという気持ちが全く無くなってしまった。
 ただ相手にきちんと合わせているだけで、相手が勝手に吹っ飛んでいく。
 こうすれば崩れるとか、こうすればパンチが当たるとか、
 こうしていたら相手にやられてしまうとか、そんなことを全然思わなくなった。

 そして、これこそが原理なのだと、初めて分かったね。
 それが出来るようになったのは、
 自分がどうしようもなく弱い人間で、武術も下手クソだと、
 心の底からそう思えて、そんな自分を受け容れてからのことだよ。
  

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