2015年01月15日

連載小説「龍の道」 第146回




第146回  A L A S K A (15)



「しまった・・・」

 フィリップを機外に出すことに夢中になっていて気付かなかったが、いつの間にか体がすっかり冷たくなって動き難くなっている。これでは指も利かなくなるはずだ。

「さて、どうするか────────────」

 水の冷たさに、宏隆はふと、小さいころ川遊びをした時のことを思い出した。

 護国神社から山の方へ1キロほど上がって行った所に、カナディアン・ダムと呼ばれる、杣谷(そまだに)の堰堤(えんてい)がある。
 夏の間、宏隆は友達を引き連れて毎日のようにそこで泳いだ。学校のプールよりも山中のダムの方が面白く、近くの外人の子供たちも大勢そこで遊んでいて、片言の英語と日本語、そして様々な見知らぬ国の言葉が飛び交った。
 六甲山の清冽な湧水が注ぐダムは夏でも冷たく、よくウォームアップしてからでないと、とても泳げない。ゴロゴロと石が転がっている河原を走り回って体を散々温め、高さが5メートルもあるダムの上から、奇声を上げて飛び込むのである。

 いつか、そのダムで遊んでいる時に、いつの間にか体温が下がって動きにくくなり、飛び込んで底まで潜ったものの、頭上に水面が見えているのに中々上って行けず、ドキリとしたことがあった。脚の感覚が麻痺して、思うように動けなかったのだ。
 結局、手で藻掻くようにして何とか上がってきたが、体が冷えるという事がこれほど危険なことなのだと、宏隆はそのとき初めて認識した。

 小学生のころ、ヨットの操縦を父から教わった時にも、体調が100%でないときには決して乗艇しないよう、厳しく言われた。疲れているとき、睡眠不足や飲酒、薬の影響があると思われるときには絶対に単独で海に出てはならないのである。
 玄洋會でのタクティカル・トレーニングでも、空腹、寝不足、アルコールの摂取などは、判断力、決断力、判断や反応の速さ、筋力、集中力や注意力を鈍らせ、低体温症に陥りやすく、共に行動する仲間まで危険な状況に陥れる、ということを叩き込まれる。
 それらの教育のお陰で、宏隆にはこんなときの心構えが素地としてあった。


 この場合は大地への激突を免れるための窮余の着水であった。それがフロートを装着した水上飛行機であったことも、水場を探して降りる連想を容易にさせていた。
 実は水上機の方がイザという時の着陸は難しい。タイヤの代わりであるフロートは正常に水の上に着水するには向いているが、万が一、地面に着陸しなければならない場合はタイヤ付きの脚の方がショックが少なくて済む。当然ながらフロートでは衝撃が緩和しない。今の場合も、機体が水の上で何度ももんどり打って転がったのは、フロートが水面に激突した、その反動であった。
 難しく激しい着水となったが、幸いにも身体は強いショックを受けただけで済んだ。もしこれが水の上でなかったら、機体は瞬時にバラバラになっていたかもしれない。もちろん、乗員の死亡もほぼ確実であった。
 そして、運良く助かったものの、初めての飛行機の操縦、しかも墜落するかしないかのバランスを失った状況を立て直すことに必死で、アラスカの水の冷たさまでは、実際に水に浸かるまで少しも頭になかった。

 低体温症で体が動かなくなった場合は、動かないに越したことはない。普通は体幹をできるだけ水から出して救助を待つのが常道である。
 しかし、此処でじっとしていても発見されるまでには相当な時間が掛かるだろうし、深い森の中にある名も無い湖沼では都合よく発見されるかどうかも分からない。それに、このままじっと水に浸かっていたら、1時間も経たないうちに二人とも低体温症で死んでしまうに違いない。やはりここは、墜落機の上で宛のない救助を待つよりも、何とか自力で岸まで辿り着くしかない──────────宏隆はそう思った。


 低体温症とは、ヒトの中心温度が35℃以下に低下した場合に生じる様々な症状の総称である。凍死とは低体温症による死亡のことをいう。
 ヒトを始めとする恒温動物の体温は恒常性(ホメオスタシス)によって、外気温に拘わらず常に一定の範囲に保たれているが、何らかの原因によって自律的な体温調節の限界を超えて体温保持能力が低下すると身体機能に様々な支障が生じる。これが低体温症である。
 軽度であれば自力で回復出来るが、自律神経の働きが損なわれている場合や、重度以上の場合には死に至ってしまう。

 ヒトの身体の中心温度はおよそ37℃前後で、直腸の温度が最もそれに近い。
 肛門に体温計を挿入して計測する直腸温は、外気の影響を受けにくく正確性が高いので、生命に危険があるような場合は直腸温を測定する。
 因みに、普通は体温は腋下や舌下で測定するが、健康への意識が高い北欧などでは日頃から直腸での体温測定が一般的で、個人で専用の体温計を持っていることが多い。

 直腸温が35〜33℃は「軽度」の低体温症で、まだ意識は正常である。
 33〜30℃は「中度」で、無関心や無反応の意識症状が見られる。
 30〜25℃は「重度」で、錯乱や幻覚を発症する。
 25〜20℃は「重篤」の状態で、筋硬直が起こり、昏睡や仮死が起こる。
 20℃以下になると、ほぼ「仮死状態」になる。

 また、低体温症は体内の生化学反応を破壊してしまう。ヒトの体内の酵素*には至適温度が40℃前後のものが多いが、低体温では様々な酵素の働きが低下し、ブドウ糖を酸化分解しエネルギーとして使用されるATP(adenosine triphosphate=アデノシン三燐酸)というリン酸化合物を生成する過程が狂わされ、その生産力が低下し、筋肉、神経、内臓などの生命活動部位への供給が滞り、致命的な問題に発展するのである。
 (註*:酵素は生体で起こる化学反応に対して触媒として機能する分子で、生物における消化、吸収、輸送、代謝、排泄に至る、ありとあらゆる過程に大きく関与している)


「教わったとおりだ。じきに体中が動かなくなる。それまでに何とか岸まで泳いで、フィリップを引き上げなくては・・・・」

 まだ体の深部までは冷えていないことが宏隆には感じられるが、すでに指が痺れ始め、墜落して逆さまの恰好になった機体のフロート部分を抱えるようにしている腕も、どんどん感覚が低下してきている。

「やるなら今だ。おそらくチャンスは一回しかない。しかし、向こうの岸までは千メートルはあるな。日本の夏ならともかく、こんな状況で、果たして無事に泳ぎ着けるだろうか?」

 冷水の中では水泳能力は著しく減少する。水が冷たければ冷たいほど、水泳能力は容易に低下して行く。そしてそれは、中心体温が下がる前から確実に作用してくる。それを知っている宏隆は、やはり慎重にならざるを得ない。

 幸いにも、宏隆の服装はこのような場合に適したものであった。
 宏隆は訓練によって、何か行動を起こす前には必ずリスク・アセスメントを行う習慣が身に付いている。リスク・アセスメント(risk assessment)とは、事前にその行動にどのようなリスク(危険度)があるかを自問し、評価査定することである。

 例えば、宏隆はコールドフットを出る際に、こう考えたかも知れない。
 現在の気温と予想最低気温、冷たい雨の天候と、取るべき行動に合わせた最適な服装とは何か、装備は何が必要か・・・種類と大きさの異なるナイフ数丁、細いロープ、フラッシュライト、小さなナイフを中に隠せるブーツ、緊急用のホイッスル、包帯やマフラーにもなる大判のバンダナ、どんな状況でも火を熾せるファイアースターター、ホテルの売店にあったナッツ入りのチョコレートバーとクッキー・・・
 目的地の途中に危険な場所はあるか、誰かが待ち伏せている可能性は無いか、目的地でバリーが捕らわれている場合にはどのような行動を取るか、その行動パターンはいくつ用意するか・・また、自分がそこに行くことは誰も知らないので、何の目的でそこへ行き、いつ戻ってくる予定かを、誰にどのように知らせておくか・・
 そのようなことを自問し、どのくらいのリスクがあるかを予め認識し、準備を整えておくのである。


 ともあれ、コールドフットの寒い雨の夜に、フィリップの部屋やバリーの家を確認しに行くために、リスク・アセスメントによって、きちんと防寒と防雨の服装を充分に整えていたのがここでも幸いした。
 具体的には、宏隆は綿の丸首のTシャツの上に長袖のフランネルのシャツを着て、丸首のセーターを被り、さらにその上には軍用のレインパーカを着ている。
 セーターは台湾海軍に貰ったウールのコマンドセーターで、初めてこれを着たときには、どうしてこんなに窮屈な造りにするのかと不思議に思ったが、「アラスカではいつもこれを着なさい、危機に遭遇したらその価値が分かるよ」と真顔で宗少尉に言われた。実際に危機に直面している今は、その意味がよく理解できる。

 水の中では少しでも厚着をしている方が生存率が高い。衣服はキッチリと身体にフィットした緩くないものが ”動かない水の層” をつくり、体温が奪われるのを防ぐ。密着した窮屈なウールのセーターは、万一落水した際にも動きやすく、かつ身体を的確に保温するための海軍の知恵であったのだ。勿論その保温性能から、陸軍でも愛用されている。
 加えて、やはりウールの厚手の長い靴下に8インチのブーツ、手袋、そしてウールのワッチキャップ(watch cap=水兵の見張り用防寒帽)─────────実はこのような状況では、帽子が有ると無いとでは大きな差が出てくる。異説もあるが、もと英国軍人の、冷水からのサヴァイバルを解説した著書には、頭部からの熱損失は50%にも及ぶと書かれている。 

 これらの服装は、より体温を保つことに非常に都合が良い。フィリップも軍用の迷彩服とパーカーに身を固めているから、保温レベルは宏隆と同じくらいだろう。

 しかし、時間は限られている──────────────


「水温は、5℃か・・・気温はたぶん10℃を切るくらいだろうな」

 だいぶ動き難くなっている手で、ポケットから温度計を取り出して見る。登山用の小さな温度計はベルトループから細いコードで結ばれていて、手が悴(かじか)んでいても落とす心配がない。

「幸い、風はそんなに吹いていないし、水の流れもなさそうだ・・・自分とフィリップの服装と、5℃の水温と、この気温で判断すれば、生存可能推定時間は・・・まあ1時間以内、というところだな、よしっ───────────!!」

 5℃という低い水温では、生存が脅かされるどころではないが、窮すれば通ず、とはよく言ったもので、窮地に立たされたことで、何かより良い方法を思いついたのか、宏隆は新たな行動を取り始めた。

「先ずは、こうして、と─────────────────」 

 パーカの襟からフードを引っ張り出して頭に被り、アゴで紐を締めると、フィリップのパーカからもフードを出して同じように頭に被せた。体熱の放出を少しでも軽減するためである。
 次に、フィリップを出来るだけ墜落機体の上に押し挙げて水に浸かる部分を減らし、自分も空いた所によじ登って水から体を出した。幸い、まだ機体は片足と腹の一部を出して浮いている。
 水中では空気中の25〜30倍の速さで体熱が奪われていく。外気がどれほど寒く感じられても、時には水中の方が温かいと錯覚することさえあるが、できる限り水から身体を出した方が生存率は遥かに高くなる。

 普通は、岸まで泳ぐなら体力のあるうちに早く行けば良いのに、と思うかもしれないが、宏隆はなぜかそうしない。それどころか、ポケットからチョコレートバーを取り出して、それにかじり付いた。ずぶ濡れになっているが、何とか中身までは濡れていない。
 一気に食べ終わると、今度は胎児の姿勢(fetal position)を取り、呼吸を整えることに集中した。胎児の姿勢とは、胸の前で腕を交差させ、肘を脇に付けたまま、膝を出来るだけ胸の方に引き寄せた姿勢で、これにより熱損失のリスクが高い胴体の前側、腋下部、鼠蹊部および胸部のプロテクションが可能となる。

 その姿勢を取りながら、宏隆は眼を閉じてじっとしている。
 王老師に教わった ”意功” を始めたのだ。

 末端部の手足から始まり、首、腋、鼠蹊部、腹、腰、そして身体の中心まで、順に次第に暖まって行くイメージを持つのである。
 この意功は1932年にドイツの精神科医シュルツ(Johannes Heinrich Schultz)によって創始された「自律訓練法(Autogenes Training)」の自己催眠のメソッドとよく似ているが、意功とは早い話が意識による身体統御の方法であり、自律訓練法もひとつの意功だと言える。

 そして、あっという間に─────────────────わずか数十秒で、宏隆の身体各部は、それまでとは比べものにならないほど暖まってきた。顔色が紅くなってきているのが自分でも分かるほどなのである。

 現代人は、寒ければすぐに厚着をし、暖房に頼り、外出時は使い捨てカイロなどに頼ってしまうが、ヒトは本来、寒ければ温かく、暑ければ涼しくする術を自分の中に持っていると言える。
 因みに、使い捨てカイロの原型は旭化成の「アッタカサン」という物で、1975年にすでに市販されていたが、製品の参考となったのは米軍のフットウオーマー(foot warmer)で、もとは野営時の寒さを緩和するための軍用品であった。
 米軍のものは発熱が急激で難があったが、旭化成は内容物に工夫を凝らして発熱を緩やかにし、快適に使用できるようにした。日本の使い捨てカイロは現在世界一のシェアを誇る。
 ともあれ、もし米軍兵士が宏隆のような意功を知っていたら、そんな日本の使い捨てカイロも生まれなかったかも知れない。


「よし、行くぞ─────────────────」

 あらん限りの知恵で体を温めた宏隆は、再び水に浸かって泳ぎ始めた。



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第147回の掲載は、2月1日(日)の予定です

taka_kasuga at 23:47コメント(15)連載小説:龍の道 | *第141回 〜 第150回 

コメント一覧

1. Posted by マルコビッチ   2015年01月19日 21:03
いつもの事ながら知らないことが沢山で、画面の前で ”へぇ〜へぇ〜” 言ってます。知識欲が駆り立てられます。

最近、低体温の若い女性が増えているらしいですが、食生活の乱れと運動量の減少が起因しているのかと思われます。
そればかりではないのかもしれませんが・・・酵素を摂取すると良いのでしょうか?

「意功」、意の力とは・・改めて人体の不思議を感じます。
玄花后嗣が小学生の頃、スキー場でリフトに乗っているとき、この方法で冷たかった手足が温かくなったというお話をお聞きしたことがあります。
真剣に「自律訓練法」やろうかと思います。
 
2. Posted by 太郎冠者   2015年01月19日 23:56
ウールのセーターなんて水に濡れたら体温を奪ってしまいそうな気がしますが、そうではないんですね。
>衣服はキッチリと身体にフィットした緩くないものが ”動かない水の層” をつくり、体温が奪われるのを防ぐ
そういえば、ウェットスーツは体に密着するようになってますね。なるほど。

武術家は体を冷やしてはいけない!
と道場ではよく言われます。
若い女性なんかは、ファッションのためなら寒い格好もいとわない!と気合でミニスカをはいてるようですが〜・・・

それも一種の ”意功”なんでしょうか(笑)
 
3. Posted by まっつ   2015年01月20日 00:06
危機の只中に在っても、
先ずリスクアセスメントから始められるとは感銘するしかありません。
危機管理が身に付いていないと、
反射的な行動が先走り、軽挙妄動に陥ってしまいがちなので・・・(遠い目)。
体系的な訓練の重要性を痛感する次第です。
 
4. Posted by ユーカリ   2015年01月20日 01:53
宏隆君が今までどんなに窮地に追い込まれても、助かってきたのは、ただ運が良いというのではなく、学んだことをひたすら大切にし、感覚を研ぎ澄ませて、自分を挟まずその通りを実践しようとしているからなのだと思いました。

それにしても、アラスカの冷たい水に浸かり、指の痺れ・感覚の低下が生じているにも拘らず、意功により数十秒で体全体が温まり、顔が紅潮してくるとは、意志の強さと意識の高さに驚きます!

季節の変わり目など、お天気や気温からの判断がつきかね、妙に薄着をして風邪をひいた…などという事がありましたが、常日頃から、自分の状態と環境の変化を察知して、自己管理と家族の体調管理を怠らないようにしたいと思います。
 
5. Posted by MIB(▼_▼¬   2015年01月20日 05:56
夏の低山でも疲労から低体温症で無くなる方がいますから、
人間の体は温度変化にはかなり脆弱なんでしょうね。
夜中にコンビニの駐車場にうずくまっている猫を見ると
あんな冷たいアスファルトにべったり触れていて良く平気だなと思います。
猫なりに意功があるのでしょうか。

何かにつけ備えておくというのはとても大事だと感じます。
ありそうな状況を想定して対処を考えておくことで、
予想外の状況下で行動の優先順位を素早く決められるのかなと思います。
そういう意味では低体温からの脱出のような野外救急は、対人でこそありませんが、
まさに戦うということそのものだと思います。

ところで岸まで1000mもあるんですね…。
 
6. Posted by 円山玄花   2015年01月20日 18:16
いつ如何なる時にも平常心で臨めることの重要性を感じます。
平常心が失われていると、折角の心構えやリスク・アセスメントも、その時の自分に都合の良いように考えられてしまいますね。
私が訓練を受けているときに痛感したことの一つが、「急がば回れ」でした。
緊急時など、その時に最も早い行動が選べたとしても、後から「あの時にやっておけばよかった」と後悔することが数え切れないほどあったからです。

さて宏隆くん、5度の水温で1000メートルを泳ぐということは、一体どうなるのでしょうか?
次回も楽しみにしています!
 
7. Posted by とび猿   2015年01月20日 22:57
今回の龍の道を読んでいると、人間というものはとても微妙なバランスでできていて、一面脆くもあり、また、そのバランスを取る為の強い力と知恵を持っているものなのだと思います。
また、宏隆君の考え方や行動は、宏隆君自身の才もあるのでしょうが、緻密な訓練と経験の賜物であり、このような力は程度の差こそあれ誰もが持っていて、身に着けることができるものなのだとも思えてきます。
いずれも安穏とした生活の中ではなかなか感じることのできないものだと思います。
 
8. Posted by taka_kasga   2015年01月21日 21:18
☆マルコビッチさん

>酵素を摂取すると良いのでしょうか?

よく知られてはいますが、復習の意味で書いておきましょう。

戦後の日本にもたらされた西洋医学・栄養学では、炭水化物、タンパク質、脂肪の三大栄養素が必要とされ、後に炭水化物だけではエネルギー代謝が機能しないということで、ビタミンとミネラルが加わって「五大栄養素」となった経緯があります。
また、さらに後になって食物繊維が第六の栄養素として加わりました。

これらの栄養素は大事ですが、実際にはビタミンやミネラルは、それだけでは体内で十分機能しません。それらは「酵素」の存在があってこそ、体内で働くことが出来るのです。
サプリメントや栄養ドリンクがあまり効かない人は、この「酵素」の存在をよく分かっていないからだと思います。

酵素には大きく分けて、体内でつくられる潜在酵素である「消化酵素」と「代謝酵素」、そして体外から得られる「食物酵素」があります。

消化酵素には、良く知られたデンプンをブドウ糖に分解するアミラーゼや脂肪を脂肪酸に分解するリパーゼなどがあり、代謝酵素の役割は吸収した栄養を各細胞に有効に届ける「新陳代謝」、汗や尿に「毒素を排出」する働き、「自然治癒力や免疫力を高める」働きがある事がよく知られていますね。
また、「食物酵素」は、生野菜、生の果物、生肉、生魚などや、味噌、納豆、糠漬けなどの発酵食品に入っています。
 
9. Posted by taka_kasga   2015年01月21日 21:19
☆マルコビッチさん(承前)

ヒトが体内で酵素を作る能力は各個人で異なり、その能力にも限りが有ります。
また、消化酵素も代謝酵素も、体内というひとつの製造所で造られるので、どれかを使い過ぎると当然ながら他のものが不足してきます。

よく言われる例ですが、
例えば、酵素を作る能力が「20」ある人が焼き魚を食べるときに、
その焼き魚を消化するためには「10」程度の酵素の力を必要とするとします。
焼き魚には消化を助ける大根おろしが付いていたので、その食物酵素の力を「2」とすると、
その焼き魚を消化するためには差し引き「8」を体が負担することになり、
「20」のうち、残った「12」は代謝酵素の働きに回されます。

ところが、同じ人が同じ焼き魚を二匹、一度に食べたとします。
そしてそれには「大根おろし」も付けられていません。
こうなると、体内の酵素は消化のために「20」すべてが使われ、
代謝酵素に充てることが出来なくなってしまいます。

代謝酵素は上に書いたように、免疫力や自然治癒力、新陳代謝の働きに使われる酵素ですから、それが不足すれば、ウイルスの侵入を防げなかったり、医者へ行っても治りが悪かったりし、様々な病気にかかりやすくなります。
病気になったときにはトンカツやラーメン、すき焼きなどの油っこいものを食べたくない、お粥や柔らかいうどんを食べたくなるのは、消化に負担の掛かるものを極力排除して、免疫力や治癒力を高めようとする、自然治癒力の為せるワザだということです。

酵素の摂取を心掛けている人は、イザという時に強いでしょうね。
因みに、私は「大高酵素」を愛用しております・・(^_^)v
 

10. Posted by taka_kasga   2015年01月21日 21:21
☆太郎冠者さん

>なるほど

ユルユル、だぶだぶの戦闘服を着た兵士なんか居ないのも、頷けますね。
武術家は、身体や腹がどれほど大きくとも、ユルユルタポタポしていてはイカンのです。
さぁ〜、今日からだいえつとだああああ・・・!!

>気合いでミニスカ

アホの見本のような人が増えましたね。
木枯らしが吹きすさぶ街で、白い足を出して寒そうに歩く女性を見ていると、
可哀想を通り越して、ちょっとナ二かがタリナイのでは?、と思ってしまいます。

♬ こんな文化に、誰がした・・・
 
11. Posted by taka_kasga   2015年01月21日 21:22
☆まっつさん

前戦の兵士たちは、必ず瞬間々々にリスクアセスメントをしています。
そうしなければ、とても無事に生還できません。

格闘技なら、相手の試合のビデオを見てジックリと作戦を練ったりする事も出来ますが、
実際の戦闘では相手が未知数であることが殆どなので、その瞬間毎に自問し査定することが求められるわけです。

稽古でも、その人の考え方によって、のんびりとある一つのことだけを確認していくようなスタイルを見受けることがありますが、稽古でそれでは、実戦では瞬時にやられてしまいます。
玄門太極武藝館の訓練が「体系的」であるのは、それらが単体では存在せず、単体の訓練をどれほど遣り込んでも何ひとつ実を結ばないからです。
 
12. Posted by taka_kasga   2015年01月21日 21:24
☆ユーカリさん

>学んだことをひたすら大切に・・・自分を夾まず・・・

これが出来たら、人生も卒業ですね。

人は皆、学んだことを自分なりに解釈し、自分の眼鏡の色に変え、自分好みの味を付け、自分にピッタリフィットするものに仕立て直して、それを「学んだこと」にしたがるものです。

それは元々、私たちが生きるために必要な能力でもありますが、
同時にそれは、私たちの真の理解を阻む、諸刃の剣であるわけです。

理解すべきは、そのような生のシステムを全体として受け取る用意があるかということで、
どのようにすれば出来るのか、どのようにすることが正しいのか、
というような単純なことでは無い、ということです。
 
13. Posted by taka_kasga   2015年01月21日 21:27
☆玄花さん

”急がば回れ” という諺は、「もののふの 矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」という、
室町時代後期の連歌師・宗長が詠んだ歌がその由来ですね。
駿河国島田、つまり袋井からほど近い島田市の出身で、態々大徳寺の真珠庵近くに住んで、一休宗純に参禅していたと言いますから、中々の人物だったのでしょう。
東海道草津宿から大津を抜けて京に向かうのに、草津の矢橋から大津の石場まで、比叡颪で危険が伴う琵琶湖横断の船のルート(一里半)よりも、瀬田の唐橋から琵琶湖をぐるりと回る陸路(三里)を行く方が安全であるという意味の歌です。

新兵の訓練では、とても間に合いそうもないような時間の状況で兵士に何かをやらせる事が多いのですが、それは「急がば回れ」を痛感させるために他なりません。
何故なら、あらゆる戦略には「ショートカット」はあってはならない事だからです。
「ショートカット=近道」は、即ち個人の勝手な都合による選択です。
たとえどれほど時間が掛かろうと、それを定められた時間内に正しく熟そうとする努力こそが、正しい戦略=勝利・成功・帰還に結びつくわけです。

稽古で教えられることも同じで、練功の全ては「急がば回れ」、
ショートカットの無い「学び方」こそ、戦闘で相手を自在に制御でき、
その人を根底から成長させるのだと思います。
 
14. Posted by taka_kasga   2015年01月21日 21:27
☆MIB(▼_▼¬  さん

>猫なりに意功があるのでしょうか

餅論ですとも!!
ネコは太古の昔より、意功の達人(達ネコ?)でした。
コンビニで寝そべって背中を搔いている野良猫でも、
そこらのカンフーマスター以上の意功を持っている、と思えるほどです。

ヨーロッパには長靴を履いて貴族になったネコさえ居ますし、
日本でも「妙術」を使う古ネコが秘伝の剣術書のモデルになったりもします。
酒乱の男が殺してしまった飼い猫とそっくりなネコに追い詰められていく怖〜い話も・・

それらは精妙な「意功」の修得なしには不可能と思える話ばかりです。
・・あ、中には農作業や工事現場の一輪車になったヤツまで居ましたね。

そんなネコどもも、水にだけは弱いんですね。
あらゆるネコは、水を掛けられることを極端に嫌います。
これは、彼らの祖先であるリビアヤマネコが砂漠の出身で、
濡れたまま夜を迎えると、砂漠の寒暖差で、気化熱が体温を奪って命取りになる、
という遠い記憶に支配されているからです。

夜中のコンビニ・パーキングなら何とかなっても、
アラスカの湖に墜落したら、流石にその意功も使えないかも知れません。


>ところで岸まで1000mも・・

ニャーゴ・・・~(=`ェ´=)
 
15. Posted by taka_kasga   2015年01月21日 21:28
☆とび猿さん

・・・さて、その「このような力」を、どうやって身に着ければ良いのでしょうか。

自分の過去のアプローチを思い出しても、随分と見当外れなことばかりしていたと思います。
それは本質を取るための努力ではなく、本質を渇望しながらも、その本質自体を怖がっていたのだと、今では明確に振り返ることが出来ます。

人は皆、真実に出会うことを怖れ、真実の目前まで来た途端にそっぽを向いて引き返します。
それは本当の意味での「真実」が途方もなく巨きく、未知で、不安で、とても自分の手には負えないと、潜在意識が否定してしまうからです。

それが「人間性の真実」であろうと、「恋愛の真実」であろうと、
「太極拳の真実」や「纏絲勁の真実」であろうと、何でも同じことです。

要は、自分にそれを受け取るだけの覚悟があるかどうか、
それを受け容れるだけの準備が整っているかどうか、に懸かっています。

そして、それが未だ整っていないのであれば・・・・
諦めるしかありません。
そのときには、自分にやって来るものはすべて、凡俗で他愛のないものに過ぎません。
本当は自分がそれを望んでいるからです。

いずれにしても、日々の生活を安穏として送ることを前提としている限り、
どれほどの努力精進を重ねようと、それは決して手に入らないことは確かです。
 

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