2014年10月11日

歩々是道場 「螺旋の構造 その11」

   「纏絲の構造 その4」
                    by のら
(一般・武藝クラス所属)



ハラを回せば纏絲勁

猛王烈:のらさぁ〜ん!、また前回から、かなり時間が経ってしまいましたけど・・・

の ら:ゴメンなさい。なにせ今年は太極武藝館の創立二十周年にあたるので、いろいろとオーモーレツに忙しくって。

猛王烈:ご苦労さまです。自分も何かお手伝いさせていただきます。 
 ・・で、早速この前の続きなんスけど、「纏絲勁については、私は大いに疑問を感じているのよ」って言われましたよね。その ”疑問” って、何がギモンなんスか?

の ら:私が思うには、たとえば日本に纏絲勁が紹介されて、かれこれ三,四十年も経つというのに、纏絲勁の原理を学術的・科学的に正しく説明したものは全くと言って良いほど見当たらないし、原理どおりの真正な太極拳の勁を用いることができる指導者さえ余りにも少ないと思えるのは一体どういうワケか、という素朴な疑問よ。

猛王烈:うーん・・まあ、太極拳の原理は武術の秘伝なんスから、それを広く学術的に発表するのは、やっぱしマズいというコトで、誰も公開しないンじゃないスかねぇ?

の ら:それは事情としては分かるけど、どうして未だにその原理が「丹田」や「気」にあると主張して止まないのか、というのも疑問ね。それが科学的な態度だとは私にはどうしても思えないのよ。丹田や気は非科学的なのではなく、現在の科学にそれを解明できるだけの力が無いから科学の進歩を待つしかない、などという意見もあるようだけど、ちょっと詭弁のように聞こえるわね。

猛王烈:ううむ・・・確かに、改めて考えてみると、それは不思議なコトですよね。
「自然体で内気を溜め、その気の力で相手を崩す」とか、「下盤を安定させ、全身の気を足に集中させれば強い力でも制御できる」「丹田から出た力は腰に行き、上下に分かれて手足に伝わる」「丹田に陰陽が生じてそれが回転する」などと、様々に解説されてましたけど、正直なところ、自分にはそれらの表現の仕方は決して ”科学的” とは思えないっスね。

の ら:それに、四正推手でも発勁でもそうなんだけれど、なぜかその説明には「纏絲勁」という言葉が出てこないものが多いのよ。太極拳は「纏絲の法」だから、纏絲勁原理によって全てが為されるはずなのに、「自然体」「内気」「丹田」などという事ばかりで、なかなか太極拳の核心である「纏絲」という表現が出てこないというのはどういうワケかしら?

猛王烈:オレの友人が所属している団体では「ハラを動かすことが纏絲勁の訓練」と説いているんだそうですが────────

の ら:お腹を動かす、って?・・・一体どんなふうに動かすの?

猛王烈:それが、その友人も、他の人たちもよく分からないらしいんですが、ともかく老師が言うのだからと、ひたすらハラを動かしたり回したりする工夫をしているそうです。

の ら:まあ!、それはとても興味深いわねぇ!!

猛王烈:ね、スゴイでしょう?、纏絲勁の形を練習しながら、そこでハラがグルグル回って動くようになれば纏絲勁になるってコトらしいですが。やっぱりハラと言えば「丹田」ですからね。ハラを動かすというのも丹田に通じそうで、なかなか意味が深そうですよ。

の ら:ふむふむ、鳴歩道・・(あれ?、うつっちゃった)。けど、猛くんは、どこかで耳にしてきた「太極拳はハラをグルグル回すのだ」というコトをどう思うの?、それが立派な練功で、秘伝だとか言われたら・・・

猛王烈:そっりゃぁ〜もぉ、その日からお腹をグ〜ルグル、グ〜ルグルと回す練習にはげむに決まってるじゃないっスか、がははははっっ!!

の ら:バアッッシィイイイイッッッ〜〜〜〜〜!!

猛王烈:痛(つ)ううううっっっっ・・・!!

の ら:もぉ!、ウチじゃぁそんなコトやれって言われてないでしょぉ〜がぁ〜っっ!!
だいたい、腹をグールグルって、太極拳はネットの検索じゃないンだからねっ!

猛王烈:ひいぃっ・・そ、それは「Google」っスよ。ちなみにグーグルさんは、中華人民共和国は民主主義・資本主義社会における極めて一般的な常識がまったく通用しない国家であるという理由で、2010年に中国から全面的に撤退しましたです、ハイ。

の ら:まったく厄介な国ねー、もうヤメなチャイナ、って言いたいわ!!
 ま、そっちは措いといて・・・猛くんは「纏絲勁は腹をグルグル回すんです」という説明をされて「すごく分かりやすい」とか「とても科学的だ」と思えるの?
 「科学的」であるというのは、ある理論に基づいて体系づけられた知識と研究方法が存在してこそ、はじめて科学的と言えるものよ。もし「丹田が回る」「ハラを動かす」というのが太極拳の原理だと言うのなら、それはそれで結構だと私は思うのよ。
 けれども、それならまず「丹田」が何であるのか、それはどこに、どのように存在して、何によってハラが回転し、ハラの回転によって何が生じ、その結果何がどのように得られるのか。
 そして、丹田やハラの回転と纏絲勁はどのような関係にあって、ハラの回転が纏絲勁を生むということが学術的に証明され、さらに、それを学ぶ人が明確に理解でき、納得できるように説明されなくては、お世辞にも科学や学問とは言えないんじゃないかしら?
 そもそも猛くんは「丹田やハラが回ること」が自覚できるの?、自分のお腹がどうやったら回るのか・・説明できるモンなら、キチンと説明してごらんなさいなっ!!

猛王烈:わおおおぉっ!、またそんなデスラー総統みたいな顔をして・・・相変わらず立て板に水、師父直伝の「よくシャベ〜ル」、イッキに500文字っスよ!!

の ら:誤解されると困るけど、私は別に「お腹を回す・ハラを動かす」ことを否定しているワケではないのよ。むしろ、そんなふうに表現したい気持ちはよく分かるわ。

猛王烈:えっ?、ちょっと意外ですね。気持ちが分かるって、どういうコトっすか?

の ら:纏絲勁は、「まるでお腹が回っているように見える」ことかもしれないからよ。

猛王烈:ううーむむむ、ふ、深い・・・・・

の ら:あら、珍しく神妙な顔をして。猛くんも少しはジワ〜ッと来たかしら?

猛王烈:ええ、久々に────────でも、それって結局どういうコトなんスか?

の ら:(ガクッ!)・・つまりね、ニワトリが先か卵が先かのジレンマじゃないけれど、「腹を回せば纏絲勁になる」というのと「纏絲勁は腹が回っているかのように見える」ということは、そもそも異なるコトでしょ?
 纏絲勁を理解した人が太極拳を行えば、まるで腹が動いているように見えるのかも知れないけれど、反対に、腹を動かして回す訓練をすれば纏絲勁が出来るようになるのかしら?
 だから、単に「丹田が回るから纏絲勁」「お腹を動かす練習をする」というのではダメだと思うのよ。そこに学問的な根拠と論理的な体系が無ければ、太極拳の真髄である纏絲勁が泣くってモンでしょ。

猛王烈:むむぅ・・話が少々シモダカゲキですが、確かにそれは「正論」ですね。

の ら:それにね、もう少し言わせてもらえば──────────────

猛王烈:え・・まだ言い足りないんスか?

の ら:私の知る限り、現存する拳経資料には「纏絲勁は丹田から発する内勁である」とは書かれていても、「纏絲勁イコール丹田を動かす・回すこと」を示唆するようなものは何処にも存在していないのよ。

猛王烈:ぐむむっっ!!・・そ、それはマコトっすか?

の ら:例えば、かの陳鑫先生は、『太極拳を練るにあたっては纏絲勁を明らかにしなければならない。纏絲は ”中気” を運ぶための方法であり、これが明らかでなければ、すなわち拳そのものが明らかではないということになる』と書かれているわ。

猛王烈:チューキって?・・あの、脳卒中の後遺症のこと?

の ら:もぉ・・そンなわけないでしょ!、日本語じゃそんな意味になるけど、太極拳では「人が天から授かった本来の元気」のことで『勢が成り、心が落ち着いて気が穏やかであれば中気は丹田に収まっている』とか、『中気が丹田にあるという考え方に執着する必要はなく、ただ気を臍下に降ろしてくればそれで良い』などと説かれているのよ。

猛王烈:えーっと、素朴なギモンなんスけど・・・のらさんが気や丹田の概念を非科学的で非学問的だと思うんだったら、そういう陳鑫先生の書かれた内容なんかも全部否定することになるんじゃないんスか?

の ら:いい機会だからこの際ハッキリさせておくけど、私は決して「気」や「丹田」を否定しているワケではないのよ。師父も稽古でいつもそう仰っているし。 
 ただ、それらの概念が作られたのは随分昔のことであって、21世紀の現在となっても未だにそれを科学的・学問的に解明しようとしない姿勢ではイケナイ、オカシイ、カナシイのではないか・・と思っているワケ。

猛王烈:鳴歩道・・・だからウチの師父は、中国で言われるように「丹田をドウコウする」という表現をされることが一切なくって、〇◎の△▼や、〇△▢▼の動きの機能について、「昔の人はこのような状態を、”丹田” や ”気” という言葉で表わしたのだ」という言い方をされるんですね。

の ら:丸や三角ばっかりで、マルで分からないけれど・・・ま、そのとおりネ。

猛王烈:えへへ、いつかオレも「伏せ字」を使ってみたかったんスよ。


気が気になって気が気ではなく気が咎められて気が重く気が抜ける気がするのは気のせいか気になり気もそぞろで気が滅入るが気落ちせず気儘に気晴らしをする・・・

猛王烈:ずいぶん長い小見出しですね、気が遠くなりそうです。

の ら:そうね、この「気」ひとつを取りあげてみても、古代中国思想から、道教、儒教、中医学、中国武術、そして日本語として用いられる「気」まで含めて、実は統一された概念が何ひとつなく、各分野ごとに概念が異なった、極めて曖昧なものであるということが言えるし、中医学の分野でさえ、漢方医学における気と気功治療における気には大きな隔たりがあるのよ。

猛王烈:えっ、そうなんですか?、オレは「気」というのは中国四千年の歴史の中で育まれてきた、気ッチリした概念を持つものとばかり思っていました。

の ら:残念ながら、そうではないわ。それが中国武術になると、各門派ごとに異なる気の概念がゴチャ混ぜに使われている傾向さえ見られるのよ。

猛王烈:意外ですね、そうだったんですか────────でも、よくテレビ番組で中国から有名な気功師を呼んで、気を「科学的に測定」することがありますよね。アレを観ていると、ああ、やっぱり「気」ってスゴいんだなぁって思いますけど。

の ら:まあ、あれは大概はテレビ局が視聴率を上げるための方策で、「番組」としては成功しても「学問」として満足のいく結果は何も出ていないし、実際に科学的な手法で解析された学術的な論文などは、本家の中国でさえ未だに皆無であるという歴然とした事実があるのよ。

猛王烈:うーん。こうしてお話を聞いていると、オレなんかは、ただ「気」とか「丹田」という言葉の神秘性や喧伝に惑わされて、それを学問的に科学的な目で追い求める気持ちが全くと言って良いほどなかったと、あらためて思いますね。
 けれど、気や丹田については、「まだ解明されていない科学」とか「公開できない秘伝」などとしている人も居るみたいですね。

の ら:たとえそうだとしても、学問的には事実上放置したままという姿勢に変わりがないのだから、ちょっと頂けないわね。
 それに、もし「秘伝」だから説明できないと言うのなら、少なくとも拝師弟子にはそれを科学的・学問的に伝えているという表明くらいはあっても良さそうなものだけれど、その立場からは、さらに輪をかけて非科学的な説明をしている人さえ居るようにも思えるし・・

猛王烈:「気」と言えば、そういえば最近の中国では、公園で「気功」をやっている人をあまり見かけなくなりましたね・・・

の ら:「法輪功」の弾圧事件(1999年)以来、そうなってしまったのよ・・・・

猛王烈:ああ、そんな事件がありましたね。法輪功という、集団で気功をする気功団体の人たちが一斉に逮捕・投獄され、3,000人以上が死亡したという、有名な弾圧・迫害事件。
十五年経った現在でも、中国国内では「法輪功」とネットで検索しただけでも、取り締まりの対象として公安警察に引っ張られるそうです。

の ら:「金盾(Jin-dun=Golden Sield)」と呼ばれる、ネット検閲システムのことね。
法輪功だけじゃなく「民主化」「天安門事件」「ダライラマ」「ウイグル」「言論の自由」等のキーワードや、それらにまつわるページも全てブロックの対象となる最新鋭の検閲ソフトで、中国人民が情報を得られないように取り締まっているのよ。
 中国で自由に閲覧できないサイトはグーグルだけじゃなくて、YouTube、ニコニコ動画、Wikipedia、Yahooブログ、Twitter、Facebookもダメ。もちろんNew York Timesも。グーグルの中国撤退は、この「金盾」に強い抗議の意志を示してのことね。
 この事件の顛末や現在も進行中の弾圧については、中国武術である太極拳を学ぶ人間なら誰もがきちんと理解しておくべきことだと、私は思うわ。

猛王烈:公園で人々が気功をしているのは、佳き中国の風景だったのになぁ・・・

の ら:中国では法輪功の大弾圧事件以来、「郭林気功」などの一部の公認団体を除いて集団で気功をすることが禁止され、省単位で登録制によってのみ許可されるものとなったの。
 けれど、統制され監視された気功団体などに寄りつく庶民なんか居ないし、個人的にこれまでの気功をやろうとする人もほとんど居ない。そんな弾圧ムードの中で気功をすることは共産党政権に公然と歯向かう意思表示をするようなものだからね。北京などでは市民がすっかり怯えてしまって、「気功(チーゴン)」という言葉さえ使おうとしない有りさまだったのよ。

 共産党政府は、新たに公認の「医療気功」と「健身気功」を作って共産党への反発を緩和しようとしているけれど、すっかり冷めてしまった人民の間にはちっとも流行しない。
 そうこうしているうちに都市経済が発展し、庶民の所得も倍増してきた・・・中国に金権の時代が到来して、追い打ちを掛けられるように気功は衰退していったワケよね。

 でも、共産党政府としては「中国四千年の神秘」である「気功」が自国の人民の間で衰退していることを世界に知られたくはない。そこで、世界に気功をアピールし続けるために、太極拳を中心とする諸外国から中国武術を学びに来る人たちに、「気」のチカラや偉大さを速成でも即席でも、何でも良いから教え込んで海外に輸出する、という政策をとっているのよ。太極拳の指導に日本にやって来る中国人老師がやたらと「気」を強調するのも、その政策のせいかも知れないわね。

 ま、中国の政治について話し始めると「纏絲勁」とはあまりにもズレてしまうので、そっちの方面に詳しいカスガさんにでも、いずれ語ってもらうことにしましょうか。

猛王烈:わぁ、楽しみっスね!、宏隆くんのアラスカ修行やアクション映画顔負けのストーリーもいいけれど、日本ではなかなか報道されない今の中国の姿なんかも、じっくり書いてもらえたら嬉しいス。

の ら:いずれ、そんな事も小説に登場するかも知れないわね。

猛王烈:さて、今回も字数が一杯になってしまいましたが、次回のお話は?

の ら:そうね──────────纏絲勁について、もう少し突っ込んだ話をしたいわ。

猛王烈:・・と、言いますと?

の ら:纏絲勁は、なぜ「リキまない」のか、どうして「拙力」では有り得ないのか・・・というオハナシ。

猛王烈:はぁ・・・・?

の ら:纏絲勁は、筋肉運動とは直接何の関係もない、という話よ。

猛王烈:うおおっっ・・またそんな「誰も書かなかった太極拳」みたいなコトをっ・・!!



                                (つづく)

noriko630 at 20:21コメント(16)歩々是道場  

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2014年10月13日 22:46
格闘技時代にも丹田で打てとか、
腰で蹴れとの指導を受けた記憶があります。
当時はそれ以上の具体的な情報が無く、
インパクトの瞬間の打点の衝撃を腰腹部で受けるイメージと解釈して、
自己流の稽古をしていたように思います。
指導者から示された動きを「感覚的」に取る事、
またそこに自身の創意工夫や解釈を載せていく事が稽古なのだと、
ごく自然に考えていました。
ただし、自分の感覚に頼る稽古では、
上達が早晩頭打ちになる事は明白で、
時間を経るごとに悩みが深くなっていった記憶があります。
 
2. Posted by MIB(▼_▼¬   2014年10月14日 05:09
師弟のコミュニケーションがよく取れている中で
「ハラを動かす」「気がどうの」のようなイメージを
稽古する上でのヒントとして一時的に使うのはありうるのではないかと思いますが、
それを原理として追求すれば何も得られないと思います。
それではベリーダンスと纏絲勁の違いを説明できないのではないでしょうか。

振り返って自分を見てみれば、
太極拳で身体が動くということの定義を何ら説明できません。
これは違う、あれも違うというのは段々と見えるようになりますが、
はっきりこうだと言えるものはありません。
結局、言い方を変えて「ハラを動かせ」と同じ命令を身体に送っているに過ぎず、
他派を悪くは言えないと反省しています。
 
3. Posted by 太郎冠者   2014年10月15日 01:11
纏絲勁と関係ないですが、米国のFBI長官がテレビ番組で、
「米国の大企業には2種類ある。ひとつは、中国にハッキングされた企業で、
 もうひとつは、中国にハッキングされたことに気付いていない企業だ」
と語っていたそうです。

一方では最先端のサイバー攻撃に尽力し、
一方では「中国四千年の神秘」を世界に広めようとする。
なんというか、はっきり言ってバ〇としか思えないのですが、
本気でやってるというのがどうしようもないです。

共産党勢力下の人間が「気」「丹田」なんていうものを本気で解明しようとするわけがありません。そんなことやってる暇があったら、絶対ネットやってるはずですから。

実体のない、得体のしれない、おまけに結果がついてくるかわからない「ハラをグーるグル」をやってるより、いまだったらネットを使って良い師を探したほうが百倍マシだと思います。
 
4. Posted by マルコビッチ   2014年10月16日 17:40
久しぶりに軽快なテンポの掛け合いが小気味よいですが、油断しているとまたまた大切なことを見逃してしまいそうです。
もし、私が太極武藝館に出会っていなかったら、どこかで腹をグルグルしていたかもしれません。
そのお陰で便秘知らず・・・っと失礼しました。
しかし、武藝館で論理的な説明を受けながらどっぷり稽古を重ねている今となっては、気とか丹田といった不確かなものでは、纏絲勁は難しいということが分かります。
腹が回っているように見えたから、腹を回すことから始めよう・・という考え方は、私たちが常に戒めなければならない「自分なりの考え」と同じだと思います。
私も「気」や「丹田」を否定しませんが、もし、纏絲勁を取りたくて10年腹を回し続けていて、纏絲勁が何なのか一つも分からず、確信を持てないのだったら、これほどもったいない事はありません。
 
5. Posted by 円山玄花   2014年10月16日 18:05
今回もまた、ツッコミの激しい記事となりましたね(^^;)
忙しい中をご苦労様です。

「気」や「丹田」が定義されていなくても、それに対して自分の態度を曖昧にせず、また周囲の尤もな意見に流されずに解き明かしていく姿勢を貫く。どの様な分野であっても、それが学習者・研究者としてのあるべき姿勢だと思います。それは、「勁力」とか「発勁」というものでも同じだと思います。
世の中の太極拳学習者が全員そのような態度で研究していけば、きっとすごいことが解明される・・・ような気がします。
 
6. Posted by とび猿   2014年10月16日 21:22
以前読んだことのある本には、纏絲勁はまるで一つの独立したものであるかのように書かれていたり、各種の練功との関係性がなかったり、曖昧なものばかりであったと記憶しています。
また、特に一般の人達には、『太極拳=気功法』や『太極拳=呼吸法』というイメージを持った人が多かったように思います。
そもそも、これだけ多くの人が『太極拳』という名前を知っていることも異常だと思いますが、太極拳に対してこのような様々なイメージや解釈が付いてしまうのは、如何なものかと思います。
 
7. Posted by ユーカリ   2014年10月16日 23:53
原理や在り方から外れて、表面的な動きを真似ようとしてみても、まるで違ったものとして映ります。
なかなか自分が成長出来ないのは、未だに解らないことや面倒なことを避けたり、自分勝手な解釈をしたりすることを、選んでいるからだと思いました。
 
8. Posted by タイ爺   2014年10月17日 08:49
のらさぁ〜ん!

そんなこと言ったって、俺、中国の先生に丹田から動けっていわれたんっスよー。
で、俺頑張って動かしたんスよー。
でもね、随分動く様になってきたんで運手で横移動したときに全然動けないんですー。
てっきり自分の腹の動かし方がまずいとばかり思っていました・・
だって腹から動かすと脚が挙がらないんです。
無駄な練習してたんですね・・・。
 
9. Posted by のら   2014年10月23日 21:40
☆まっつさん

丹田で打つのも、腰で蹴るのも結構だと思うのですが、
問題はそれを感覚だけではなく、何故そうしなくてはならないのかを、
「科学」として指導されるかどうかが問題ですね。

科学としての学習体系がない限りは、所詮は感覚に頼る稽古となり、
その結果「自分勝手に解釈する」という問題が生まれるのだと思います。
というか、自分勝手な解釈をするしかないような指導だと言うことでしょうね。

太極武藝館の稽古では、丹田や気という概念は一切使われておらず、
代わりに現実的・物理的な「構造」で太極拳という武術が説かれます。
おそらく、こんな指導は他所には滅多に存在しないと思われます。
こんなチャンスを逃すテはないっスよね・・・!!
 
10. Posted by のら   2014年10月23日 21:42
☆MIB(▼_▼¬  さん

>ベリーダンスと纏絲勁

たしかにそうですね。「ハラを回せ」と教えている指導者は、
ベリーダンスと纏絲勁の違いを明確に説明できないかも知れません。

>他派を悪くは言えないと反省しています

気持ちはよく分かります。
原理を理解できないうちは、所詮は同じ穴のムジナなのかもしれませんが。

たとえば、その武術の原理をトータルに理解している人に「ハラを回せ」と教わるのと、
原理を知らない人からそう教わるのとでは、指導される側の理解が全く違ってきますね。
それは、自転車にしか乗ったことがない人から車の運転を教わるようなもので、
仮令どうにか車を動かせるようになったとしても、実際に街に出て走るのは難しい訳です。

原理を知る人からは、それは自転車の運転の仕方だよ!、と教えて貰えるので、
「車を運転すること」がだんだん理解できてくるはずです。
つまり、少なくとも私たちは、たとえ「ハラを回せ」と指導されても、
それが真正なの太極拳原理に行き着くことのできるものだと言えるでしょう。

「本当のこと」は、拝師正式弟子にならなければ指導して頂けませんし、
その拝師弟子でさえ、全員が全伝を許されるわけではなく、
さらにその中から選ばれた人だけが「本当のこと」を伝えられるのです。
ゆえに、仮に一般門人がそれを日常的に教わったとしても、
とても容易には理解できるものではないはずです。
「真実」を知り、修得するには、真諦を提示されさえすれば済むのではなく、
それを修得していくための大きな覚悟と資質が必要になる、ということでしょうね。
 
11. Posted by のら   2014年10月23日 21:42
☆太郎冠者さん

共産党政府は「中国四千年の神秘」が本当に存在しているなんて、カケラも思っていないでしょうね。それは単に対外的なポーズに過ぎません。
かつてはその「神秘」どころか「伝統武術」さえ完全に否定し、肯定する者には生涯の強制労働または死を与え、拳譜資料を全て焼き尽くし、その「古くさいもの」を排除するために躍起になっていたのですから。

日本に来る(居る)中国人老師の中にも、レッキとした「共産党員」が多く存在するそうですね。結社、宗教、思想の自由が保障されている平和な日本人は、そう聞いても、
「だから何なのヨ?、別にいいンじゃない?、オレっちはソーカ学会だけどサ」なんて思ってしまいますが、中国の共産党員というのは、「共産党政府の政策を実現するために働いている人」なワケで、当然ながら、「社会のトップに立つエリート」として中国の社会に・・じゃなくて「中国共産党」に認められた人です。

党員になるには厳格な審査があり、一般人民は容易に入党できません。
学業優秀、一芸に秀でていることは無論、共産党の輝かしい歴史と理念に賛同すると誓約した人が入れるのです。
入党には共産党への従属と奉仕の誓約をさせられる事はもちろん、敵国へ移住し、敵国人と結婚してスパイのような活動までさせられるケースも珍しくはありません。
そして、それによって自国での地位や名誉、報酬が決まってくるわけです。

ちなみに、中国は日本、アメリカ、台湾を「敵国」と見ていますね。

あ、そう言えば、国際連合憲章で「第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国」
について言及している三ヶ条があったっけ・・
あの条項は、まだ生きてますよね、たしか。
最後に「奥の手」として、いずれそれを出してくるかも知れません。
 
12. Posted by のら   2014年10月23日 21:43
☆マルコビッチさん

>便秘知らず・・

・・お、便秘に効くグールグル。
困ってる人に教えてあーげよ。 _〆ヾ( ̄(エ) ̄ メモメモ・・・

>気とか丹田といった不確かなものでは、纏絲勁は難しい
>10年間腹を回し続けていて・・

ホント、そうですね。科学的・論理的な指導ができる人というのは、
「そのもの」を明確に「知っている」ということの証しだと思います。

知らない人は、やはり多かれ少なかれ気とか丹田といった曖昧な表現に頼るしかないのでしょうし、触れずに人を崩したり、ほんの少しのチカラで吹っ飛ばしたりするのを、
「ヤラセ」「馴れ合い」「感応」などという表現で括るしかないのでしょうね。

これもまた、「知る人は言わない」「言う人は知らない」という事でしょうか。
 
13. Posted by のら   2014年10月23日 21:43
☆玄花さん

>忙しい中を・・

いやいや、こんなアホな表現してると、なにか心が癒されて・・・・(^^;)

>定義されていなくても・・

そのとおりですね。
文化というものは常に進歩発展をしてゆくものですから、
単に大切に保護され、表面的な形を踏襲していくことであるワケがない。
より深い処を学び、研究し、解明していく姿勢こそが求められるべきだと思います。
 
14. Posted by のら   2014年10月23日 21:43
☆とび猿さん

纏絲勁を知らない人が、纏絲勁を知らない人に、纏絲勁はこうだと教わると、
纏絲勁を知らない人たちに、纏絲勁はこうなのですと伝えるようになり、
それを伝えられた人たちは、纏絲勁はこうなのだと思い込むようになるわけです。
その内容は、本物の纏絲勁を知る人から見れば、
じつは纏絲勁の「構造」が何ひとつ説明されていない、
ただの想像の産物であることがわかります。

誰かが「本当のこと」を示さなければ、
そのナンセンスは永遠に続くに違いありません。
 
15. Posted by のら   2014年10月23日 21:44
☆ユーカリさん

人はみな、「ほんとうのこと」を知りたがらないのかもしれません。

「ほんとうのこと」は、必ず面倒なことが付き纏いますし、
自分勝手に解釈する余地が入らないからです。

だから、尤もらしいことを如何にも真実のように言えて、
動作が中国拳法のように見えるポイントを押さえた、
目つきも顔つきも動作のスタイルもカッコいい老師が、
何も知らない一般大衆には、一番ウケるのでしょう。

ですが、それは紛れもなく「ニセモノ」ですね。
「ほんとうのこと」を知ろうとする勇気を持てる人だけが、
自我や面倒くささの壁を乗り越えて、「ホンモノ」に行き着くのだと思います。
 
16. Posted by のら   2014年10月23日 21:44
☆タイ爺さん

あらま・・・
それは大変でしたね〜

でも、その「無駄な練習」を重ねてきたおかげで、
「本物」との違いが明確に理解できるようになったのでしょうから、
それは無駄なコトではなく、成長に必要なプロセスだったのかもしれませんネ。

しかし、ハラをグールグルやってると雲手ができなくなるって・・?
アシが挙がらない・・?
それを教えているセンセが雲手をどうやってるのか、見てみたいっスね〜!!

 \( ̄(エ)\) ウンショ・ウンショ・ヨッコイショ (/(エ) ̄)/
 

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