2014年06月15日

連載小説「龍の道」 第135回




第135回  A L A S K A (4)



 マッキンリーを目前に仰ぐ、デナリでアラスカ鉄道を降りて、ヘレンと別れた。

 終点のフェアバンクスまで乗るつもりだったので、ヘレンが不思議そうな顔をしたが、これ以上一緒に居るのも億劫(おっくう)だし、組織の人間だとはいえ、自分の行動を見知らぬ他人に把握されることほど怖いことはない。独りアラスカで旅を楽しむためにも、デナリで途中下車することにしたのである。

 デナリでは居心地の良さそうなロッジ風のホテルを見つけ、そこに数日間滞在しながら、 *Tundra Wilderness Tour(ツンドラ・ウィルダネス・ツアー)で国立公園を巡ったり、マッキンリー上空、高度6,500mの遊覧飛行を楽しんだりして、自分だけの夏休み、独りだけのアラスカをじっくりと味わっていた。
(*註:Tundra Wilderness Tour=広大な国立公園をムース、カリブー、グリズリーなど野生の哺乳動物や百種類以上の野鳥を観察しながらバスで回り、自然と触れ合うツアー)


「そうだ、せっかくアラスカに来たんだから、この際、北極圏まで行ってやろう!」

 ふと思い付いて、ホテルで顔見知りになった、シカゴから来てリタイア後の旅行を楽しんでいる老夫婦のクルマに乗せてもらい、朝からドライブすること四時間、午後早くにはフェアバンクスに到着して、さっそくホテルからフライトの予約をした。
 北極圏内にある、コールドフット(Coldfoot)という小さな町に行くためである。

 8月のアラスカは、まだ日照時間が長い。
 朝の5時ごろに日が昇ってきて、日の入りは22時にもなる。
 夏至の6月21日をピークとする白夜の時期には、フェアバンクスでは日の出が2時57分、日の入りが24時47分。北極に近いのだから当たり前だが、日照時間が22時間もある。
 その白夜ほどではないにせよ、8月にはまだまだ長い夜が続き、街中には夜が更けても人が絶えない。慣れないうちは、時計を見るたびに空の明るさが不思議に思えるのである。

 翌朝フェアバンクス空港へ行くと、国際空港には全く相応しくない、驚くほどちっぽけな4人乗りの小型飛行機が待っていた。乗客の多い時は8人乗りを使うというが、いずれもタクシーのような小型機だ。広大なアラスカでは、実際に飛行機や水上機を自家用車のように使う人も多いという。

 目的地までの所要時間は約1時間、乗客は宏隆と、韓国人らしき風貌のアジア人の二人だけである。ベルトを締め、ヘッドセットを装着すると、大型旅客機とは違ってあっけないほど気軽に離陸し、北緯67度15分にある北極圏の町へと向かって行く。

「Welcome aboard !、ダイレクト・ノンストップ・エアーへようこそ。
 私はマイケル・フォレスト。コールドフットまで、これから約1時間のフライトだ。
 左手の広い敷地はアラスカ大学、下に見えてきたのがフェアバンクス・ステーション。
アラスカ鉄道にはもう乗ったかい?、冬はやたらとフラッグストップで停まるから、やめた方が良いけどな、あははは────────────」

 たった二人の乗客に向けてパイロットから気さくなアナウンスが入る。
 Direct Nonstop Air という社名を聞いて少し可笑しかったが、そう言えばフェアバンクスまで来ていながら、自分が入学する学校がどこにあるのか全く気にしていなかったなと、アラスカ大学を見下ろしながら宏隆は苦笑した。

「・・まあ、どうせ彼処(あそこ)でしばらく暮らすのだから、慌てなくてもいい」

 マッキンリーの上空を巡った時もそうだったが、飛行機に乗ると、面積が日本の四倍半もある、眼下に広がるアラスカの巨きさに少なからずショックを受ける。
 宏隆にとってはキャンパスを見るよりも、先ずはその大自然のスケールをたっぷりと味わうことが最も大切なことに思えていた。

「今日は天気が良いので、オレのベイビー(愛機)もとても機嫌が良い。乗客も少ないし、きっといつもより早く到着すると思うよ!」

 パイロットが陽気に言って笑う。乗り込む時に、ボディに洒落た文字で CLARA(クララ)と書かれていたのを見たが、多分それが愛機の名前なのだろう。
 年齢的にも、離陸の腕前を見ても、かなりベテランのパイロットであろう。喋り方やちょっとした仕草が元軍人のようにも思える。軍のパイロットだった人が民間航空会社で働くというケースはよくあるので、そうかもしれないと思った。

 やがて、何も無い原野に、二本の線が延々と続いているのが見えてくる。

「何だろう、あれは・・・?」

「下に見えているのはトランス・アラスカ・パイプライン。北極海に面したプルドー・ベイから、アラスカ湾に面したバルディーズまで、アラスカ州の南北を貫いて造られた、総延長が795マイル(1,280km)、アメリカ最大の Prudhoe Bay Oil Field(プルドーベイ油田)から石油を送っている、アメリカ最大のパイプラインだ」

 パイロットが誇らしげにそう言い、パイプラインを見やすいように、少し高度を下げて飛んでくれる。

 石油のパイプと並んで、油田開発のために造られた道が、地平線の彼方まで、どこまでも並んで続いている。高速道路を造る時に工事用の側道を設けるのと同じ理屈だ。
 パイプラインは直径48インチ(122cm)のパイプが剥き出しのままアラスカの大地を這っている。それにしても、1,280kmと言えば青森から九州までの距離に等しい。狭い国土に暮らす日本人にはちょっと想像も付かない、何とも豪快な国だと宏隆は感心した。

 実際に、現在のアラスカではこのパイプラインが観光スポットになっている。側道が一般に開放されてからは、観光客がパイプの前で写真を撮るようになった。パイプによじ登るような不心得者もいるらしく、「PLEASE DON'T CLIMB ON THE PIPELINE」というステッカーがあちこちに貼られ、重要な部分は金網と鉄条網で囲われている。

「途中には11個のポンプステーションが設けてあって、そのポンプで石油を送っている。
 パイプの支柱には、生態系の保護と永久凍土が溶けるのを防ぐために、パイプの熱を上に拡散する装置が付いているんだ。凍土の厚さは数メートルから数百メートルもあるんだよ。 
 もちろんパイプ自体も断熱パイプを使っている。地球が温暖化になったら凍土が溶けて、アラスカは全部沼地になっちまうかもしれないけどな、あははは・・・・」

 少しインディアンの血が入ったような顔をしたパイロットは、とてもフレンドリーで、時々冗談を言ったり、鼻歌を歌ったりもする。ファミリーネームがフォレスト(Forest)という、インディアン系によく見られる名前だから、多分そうかもしれない。

 ついでながら、アメリカにはインディアンの血を引いた白人がたくさん居て、よく知られた有名人の中にも数多く存在している。
 たとえば、ジョニー・デップの父親はチェロキー族の血を引き、母方の曾祖母も純血のチェロキー族。アンジェリーナ・ジョリーの母親はイロコイ族の血を引いている。
 また、ケビン・コスナーの父親はチェロキー族とのハーフであり、エルビス・プレスリーは四代前の祖母がチェロキー族。空手家としても有名なチャック・ノリスは祖母がチェロキー族のインディアンである。
 どの顔も、思い出してみれば、なるほどそうかと頷けるが、アメリカには私たちの想像を遥かに超えてインディアンの血を引く人がたくさん居るに違いない。


「あの大きな河がユーコン川だ。全長が3,700kmあって、ベーリング海まで流れて行く。
 冬は結氷して歩いて渡れるんだよ。この河を越えたら、もうすぐ北極圏──────────
 ハイウエイを走っていると、ここから北極圏ですって看板が立っていたり、ドライブインでは北極圏のステッカーを売っているけれど、空の上にはそんなものは無いからね。
 世界中どこでも、北緯66度33分を超えたら、そこは Arctic Circle(北極圏)!、冬至に太陽が昇らず、夏至には太陽が沈まない北極圏だ!、ワハハハハ・・・・」

 北極圏に入って少し飛び続けていると、かなり広い範囲に亘って大地から濛々と煙が立ち上っていて、所々に紅い炎のようなものが見え隠れしているのが見えた。

「あれは・・・山火事じゃないか?!」

 宏隆が気づいたのと同時に、パイロットからアナウンスが入る。

「あれが有名なアラスカの Forest Fire(山火事)だよ。飛行機で飛んでいると、時々あちこち大地が茶色く焦げているのが見えるだろう、あれはみんな山火事の跡なんだ。
 このアラスカじゃ、山火事は、あまり珍しくない────────────」

 アラスカの山野火災は、そのほとんどが落雷による自然発火だが、強風による樹々の摩擦で発火したり、時には人為的なものもある。
 タイガと呼ばれる、自然のまま手つかずの広大な森林は、最終氷期に分布したエゾマツの変種である針葉樹のトウヒが多いが、この樹は生木の枝葉でも火に投じるとあっという間に燃えるほどで、非常に火災を起こしやすい。

「ちょっと大きいな。ああなったら、もう手の着けようが無い。Fire Fighter(消防士)も出動するが、大きくなると自然に消えるのを待つしかないんだよ。近くに民家がある場合は避難勧告をするし、火の回りが早い時は救出したりもする・・・」

 アラスカの森林は、およそ150年から200年のサイクルで自然に火災が発生するという学術的な報告がある。山火事が鎮火した後は、焦土をあっという間にピンク色に染めてしまうヤナギランの花が咲き誇り、数年後には低木類がぐんぐんと顔を出し始め、数十年の歳月をかけてシラカバやトウヒの森へと徐々に再生を遂げてゆく。
 それは大自然が生きている証拠であり、このような山野火災でさえ、自然が自ら望んで、滅んではまた誕生しようとする循環の営みなのかもしれなかった。

「人は自然だけでは生きていけないし、文明が造り出した営みだけでも生きてはいけない。
 循環することが大自然の営みなのだとしたら、人もまた、その循環を学ぶ必要がある。
 太極拳は ”循環の芸術” なのだと、王老師は仰っていた───────────」

 燃えさかる山火事を眼下に見ながら、宏隆は王老師の言葉を思い出した。


「さあ、もうすぐ到着するから、シートベルトを確認して・・・ところで、お客さんたち、今から降りる ”コールドフット” っていう土地の名前の意味を知ってるかい?」

 宏隆が首を振り、もう一人のアジア人も、手のひらを返して肩をすくめている。

「コールドフットは、文字どおり ”冷たい足” という意味だけど、同時に、怖じ気づくとか尻込みするという意味がある。1900年代初めのゴールドラッシュから、一攫千金目当ての人たちがここに移り住むようになって、最盛期にはカジノやバーまで作られていたんだ。
今じゃ、冬の人口は十数人、夏でも三十人くらいしか住んじゃ居ないけどね。
 以前はスレート・クリークという地名だったんだが、金鉱を掘る仕事をしていると余りにも ”足が冷える” ので、"怖じ気づいて" 去って行った人が多く、それが村の名前になったというワケだね。金が採れなくなると山師(鉱山労働者)たちは皆この村を去って行き、1912年頃にはすっかりゴーストタウンになってしまった。人間ってのは、ホントに欲のカタマリだな。オレは一生、こうして飛んでいるだけでゴキゲンだけどね・・・・」


 やがて小型飛行機は、コールドフット・エアポートに向けて徐々に高度を下げ始めた。
 大きな川のすぐ側に、滑走路らしきものが見えてくる。

「今日の Coldfoot はちょいと風が強いから、ランディング(着陸)はウデの見せどころだな!、あとはベイビーの機嫌次第。Baby, Do your stuff!(ベイビー、頼んだぜ!)」

 強風で翼を左右に振りながら、小型機は見事に着陸した。

「Yeah!・・Here, We are!!」

「Nice landing!、Thank you captain. 」

「Thank you, Enjoy the Arctic regions!(まあ北極圏を楽しんでくれ)」

 ───────だが、荷物を手に機外へ一歩踏み出してみると、そこは見事に何も無かった。

「これが、飛行場・・なのか・・・?」

 ただの広場のような滑走路が南北に伸びているだけで、他に何も無い。

 乗ってきた小型飛行機以外には他に一機も停まっていないし、駐機場も、空港らしき建物も、出迎える人も、飛行機を待つ人も、何処にも何も見当たらない。
 宏隆は、いつか宗少尉に連れて行かれた、鶉野(うずらの)の飛行場を思い出した。
 (註:鶉野飛行場=詳しくは第84回・龍淵7を参照)
 
 呆然としてしばらく辺りを見回していると、二人の乗客を残して、乗ってきた飛行機があっという間に飛び去って行った。

「静かで、とても良いところだね、アラスカは────────────」

 同乗してきたアジア人が、初めて宏隆に声を掛けた。

「ああ、そうだね。しかし襟裳岬じゃないけど、本当に何も無いところなんだな・・・」

「エリモ?・・・・ところで、今夜はどこに泊まるんだい?」

「コールドフットには宿泊施設が一ヶ所しか無いらしい。他には数軒の民家があるだけだというから、たとえどんなホテルでも、そこに泊まるしかないだろうね」

「オー、やっぱりキミもそうか。ぼくもその一軒しかないホテルに泊まるんだ・・・
No road is long with good company.(旅は道連れ)と言うけど、一緒に行かないか?」

「ああ・・だけど誰も迎えに来てないし、タクシーも無いから、探しながら歩いて行くしかないかな。滑走路の外れに小さな建物が見える。そこに誰か居たら訊ねてみようか・・」

「それはグッド・アイディアだね────────」

 距離は2キロ近くはあるだろうか、宏隆が見つけた、滑走路の外れに見える小さな建物に向かって二人で歩き始めた。

「ぼくは Philip Jaisohn(フィリップ・ジェイソン)、初めまして」

「ヒロタカ・カトウだ、よろしく・・・」

「さすがは北極圏だ。真夏の8月だというのに、顔に当たる風が冷たいね!」

「ああ、そうだね・・・」

 コリアン・アメリカン(韓国系アメリカ人)だろうか。年齢は宏隆とそう変わらない。
 初対面だというのに、さらりと、フレンドリーに接してくる。

 友好的なのは結構なことだが、フィリップと名乗るこの男には、さっきのパイロットのような人間的な気持ちの良さがあまり感じられない。フレンドリーと言うよりは、ある一定の距離を保ちながらも、敢えて馴れ馴れしく関わってくるような、そんな違和感がどこかに感じられるのである。

 それに、気のせいだと言えばそれまでの事だが、この男はわざわざ宏隆の右側に立つことを選んで歩いている。カップルが並んで歩く時にも、普通は男が右側になる。これは女性を守るために、男は利き腕である右手を空けておくという本能的なものでもある。
 この場合、宏隆が初めから右を歩いていたにも拘わらず、敢えてそれよりもさらに右側に出たいというのは、そこに何か別の意志が働いていることも考えられる。

 宏隆はごく自然にその男を右側に歩かせ、何気なく右の肩に荷物を担ぎなおした。

 在米韓国人か、大韓民国が成立する以前の朝鮮からの移民か、或いは中国内の朝鮮族か、北朝鮮からの亡命者か、はたまた脱走者か・・・・それは分からないが、宏隆は朝鮮系にはあまり良い想い出がない。

「一応、用心をするに越したことはない──────────────」

 そう思いながら、だんだん北風が強くなってきた、だだっ広い滑走路を歩いた。



                               (つづく)




  *次回、連載小説「龍の道」 第136回の掲載は、7月1日(火)の予定です


noriko630 at 23:35コメント(18)連載小説:龍の道 | *第131回 〜 第140回 

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2014年06月17日 00:20
北極圏という語感には、人の営みの最果て感があります。
美しくも厳しい自然の力が圧倒的で、
生きる為に人が試される大地・・・というイメージがあります。

文明から遠く離れ、あまりに何も無い風景の中では、
人間が独りである事をこの上なく実感させられると思います。

独りで立って生きられる事は根本的な強さだと思います。
だから自分を試したい人は、自分を独りに追いやるのだと思います。

とは言え、自然を相手にするだけでも大変なのに、
心を許せそうにもない同行者もありとは、
宏隆君の試練はいつも多難なのですね・・・
 
2. Posted by MIB(▼_▼¬   2014年06月17日 00:59
気持ちのいいパイロットですね!
こんな人とタクシーサイズの飛行機で飛んだら、もう最高ですね。
他とは違う特徴のある土地、特に厳しい土地に生きてきた人からは、風土がそのまま人格の出発点になったような、根っこに個人を超えた広がりを持っているような、そんな印象を受けるように思います。最初に関わった相手が大地だったというような。
程よく温かく、程よく涼しく、暮らしやすい土地で育った人間とは違う気がしますね。
ロマンチックに考え過ぎているのかも知れませんが。
 
3. Posted by 太郎冠者   2014年06月17日 17:10
>自然が自ら望んで、滅んではまた誕生しようとする循環の営みなのかもしれなかった
木材伐採のために単種で作られた人工林は、循環、バランスがとれなくてあっという間にダメになってしまうという話を聞きます。

人間もまた自然の一部として、その在り方や関わり方を考えていかないと、自然との循環できる共存は難しいのでしょうね。

広大な大地、むき出しのパイプライン、インディアンの血をひく人々・・・日本には全くない景色ですばらしいですね。ぜひ訪れてみたいです。

>飛行機や水上機を自家用車のように使う
コレ、北海道〜静岡の往復に便利そうですね(笑)
そんな生活、してみたいものです(憧)
 
4. Posted by taka_kasga   2014年06月17日 17:55
☆まっつさん

>独りである事をこの上なく実感させられると・・

人間は本来独りぼっちなのだ、ということを認識した人は強いですね。
それを厳しく実感させてくれる状況を選んでしまうのは、人に与えられた本能でしょうか。
面白いのは、孤独であったために犯罪者になる人も居れば、
それ故に人類に貢献できるような優れた業績を残す人も居るということです。
何ごとも、本人がそれをどう捉えたかに因るのだと思います。

>宏隆くんの試練はいつも多難・・・

試練というのは、
 「信仰や決心の固さ、実力などを厳しく試すこと」
 「また、その時に受ける苦難」
という意味ですから、
つまりは、その人の「決心の大きさ」に応じて生じるものであり、
その決心が本物かどうか、それをやり抜けるかどうか、
苦難を以て、その人のチカラを天に試される、と言うことです。

宏隆くんは「太極拳を通じて武術を極める・人間として立派に成長する」
という一大決心をし、自ら求めてその道を歩み始めているわけですから、
天から「多難」が与えられることは当たり前なのです。
 
5. Posted by taka_kasga   2014年06月17日 17:56
☆MIB(▼_▼¬  さん

毎年台風の被害に遭う九州の人たちは、概して温厚な人柄で他人の面倒見がよく、
厳しい寒さの東北や北海道の人たちは、物事に立ち向かう根性や独立心に優れていると言います。
上の↑話ではないですが、やはり人間は試練を与えられる事で大きく成長するのでしょう。

師父は、文化レベルが高く、気候的にもたいへん暮らしやすい神戸市で誕生されましたが、
後に日本や世界を独りで旅したり、日本有数の豪雪地に13年間を過ごしながら、
ご自分の太極拳を極めようとされてきたということです。

ちゃらんぽらんなボクなんかは、試練を求めて、
風光明媚なシドニーじゃなくて、サソリがアリのように居る砂漠か、
ワニがキッチンに出没する、アデレードみたいな所に暮らさなきゃダメかもです。
サッポロなんか、クマが地下鉄の入口で切符を買っているそうですね。
札幌稽古会の人は、それだけでも試練ですね〜

ちなみに、オーストラリアの川では、至る所にワニの絵のサインボードがあって、
「遊泳禁止。命を粗末にするな!、デカいワニが潜んでいるぞ!」
なんて書いてあります。
淡水に居るのがアリゲーター、塩水もOKアルよ、というのがクロコダイル。
いずれにしても、アリゲータくは無いですが。( ̄(エ) ̄;)
 
6. Posted by taka_kasga   2014年06月17日 17:58
☆太郎冠者さん

アラスカもいいですが、

日本の20倍の面積を持つ広大な大陸。
土壌の栄養が極めて乏しく、塩害が多く、降雨量が少なく、
森林が19%、砂漠が38%、非居住地域が40%という超過酷な自然環境。
広い土地の一部をアメリカに売って、そこで何か秘密の実験をされている不思議な国。
そして、国家元首はクイーンエリザベス。
もちろん小型飛行機もうじゃうじゃ居ます。

ぜひ一度、オーストラリアの旅を、どうぞ!!
 
7. Posted by 円山玄花   2014年06月18日 03:22
「循環の芸術」とはすごい言葉ですね。
何と言いましょうか、とても圧倒的な力を感じます。
自分がその世界を見るために太極拳を始めたと思うと、何だか力が湧いてきます。

圧倒的と言えば、北海道の原生林を見ていると、猛々しい強烈なエネルギーを感じますが、
そこに一切の勝手気儘な乱れがなく、厳しくも美しい秩序の存在が感じられます。
今度は遠くに眺めるだけではなく、その土を自分の足で踏んでみたいと思いました。

宏隆くん、楽しいひとり旅もここまででしょうか。
独りだと普段よりも自分のアンテナが長く伸びているのが実感出来ますが、
アンテナで感知できるということと、感知したことに対して対応できることとは、
やっぱり違いますね(笑)
次回も楽しみにしています!
 
8. Posted by とび猿   2014年06月18日 23:55
これまで紹介されてきた風景も含め、広大なアラスカの描写には、
読んでいるだけで圧倒されそうです。

>太極拳は ”循環の芸術” なのだ
循環の中で生きながら、いつの間にか循環の発想が持てない、または、
気が付けないことが多くあります。
そもそも、太極武藝館に入門するまで、循環ということを考えたことなど、
ほぼありませんでした。
その循環というものが、ただの概念ではなく、はっきりと表れる太極拳というものは
凄いと思うと同時に、その発想が持てなければ、欠片も理解できないものだと思います。
 
9. Posted by bamboo   2014年06月19日 07:38
同じものを体験していても、人によって感じるものや得られるものがずいぶん変わってくるのだと、改めてそう感じます。。
また、「アラスカにたった独りで暮らし学ぶことを選択する(けっこう楽しんでいる…?)」「英語で普通にコミュニケーションが取れる」「警戒しつつも緊張や気疲れでヘトヘトにならずに済む在り方が身に付いている」

ヒジョーに強く憧れます!! 想えば珈琲やカップ、パスタや家の清掃など、龍の道の御蔭でわたしの暮らしもずいぶん変わりました…。つい最近まで、時折湧いてくる無茶や遠出の衝動に振り回されていたのに、最近は練功の後に味わう一杯の珈琲や鳥の鳴き声、朝の光など、なんとも言えない喜びに包まれることが多くなり…あぁ、ちょっと味わってきます^^
 
10. Posted by タイ爺   2014年06月19日 18:34
おお、ユーコン川!釣りをする者として垂涎の川ですね。この川にはグレイリング、和名はカワヒメマスが生息しています。
北海道の支笏湖にいるヒメマスとは違い背びれが大きく・・・・
いけない、脱線してしまいました。でも一日カヌーで釣りを楽しみたいものです。

>循環の芸術・・・
うーむ、太極図そのものですね。
 
11. Posted by マルコビッチ   2014年06月19日 21:35
上空から見るアラスカの大地。
日照時間の長い北極圏の世界。
壮大な自然の世界に出くわすと、地球、宇宙を感じる一方、自分の存在というものをも感じてしまう。
文章って不思議ですね。
その場にいるわけではないので、リアルに感じることは出来ないけれど、今までの経験の中で感じた感覚を思い出したり、いろいろなことを考えさせられたりします。
小説の面白さですね。

”循環”ということをちょっと考えただけでも、あまりに大きな課題だと言うことに気が付いて呆然とします。
自然界は循環しながら成長しているのか、循環が成長なのか・・・
太極拳の奥深さを痛感させられます。
 
12. Posted by ユーカリ   2014年06月20日 14:07
広大な土地と、自然環境は、想像を超えています。
一日の日照時間が22時間とは、体内時計はどうなってしまうのだろうかと思います。
そこに暮し、自然を受け入れ、環境に身を委ねつつも自らの足で、当たり前のこととして着実に一歩一歩進んでゆく人々の大きさ、逞しさ、凄いです。

王老師のお言葉、常に我が身に問い続けたいと思いました。
太極拳を学ばなければ、陽の部分に気を取られやすく、好んでそれだけを受け入れようとする、常の自分に気づくこともなかったことと思います。
もっと、生活の中でも繊細に物事と関わり、法則を感じられる状態でありたいと思います。

>Direct Nonstop Air…
何だか、私もくすっ(^v^)と笑ってしまいました。
 
13. Posted by taka_kasga   2014年06月20日 17:07
☆玄花さん

「循環」とは、美しい言葉ですね。
どこか遠くへ行くのではなく、ひと巡りして、また元に戻ってくること、
それを繰り返すことを循環というわけですが、
血液でもリンパ液でも、雲や雨や太陽でも、惑星でも銀河でも、
それは、ずっと同じものが延々と循環しているわけではなく、
巡るたびに新たに、また新たに、もっと新たになっていくものだと思います。

同じもの、同じところ、同じ道でありながら、
決して同じではない、常に真新しい旅────────────

世界を知るために、わざわざ世界中を歩く必要はない、と禅のマスターは言います。
すべての世界は、すでに御身のうちに存在しているのだ、と。
太極拳は己が宇宙そのものであることを、比喩ではなく実感として教えてくれる、
最も優れた武術かもしれません。
 
14. Posted by taka_kasga   2014年06月20日 17:09
☆とび猿さん

太極拳を修めるための「循環の発想」を持つためには、
まず自分自身の中にある循環を感じ取り、正しく理解する必要があります。

なぜなら、「太極拳の循環」は、自分自身の中に起こるからであり、
それを起こす要素も、原理も、メカニズムも、
すべての人が、自分の中にすでに有している事だからです。

循環の発想は誰にでも出来ることですが、
循環を実際に体現することは容易ではありません。
なぜなら、私たちはそれが無くとも何不自由なく生きていけるからであり、
一般日常的な生活の中では、むしろそれは余分なことにさえ思える事だからです。

それが何であるかが分からなければ、人は決してそれを食べようとはしません。
同じように、真実を得たいと思うなら、
まず自分自身が真実に目覚める必要があるのです。
 
15. Posted by taka_kasga   2014年06月20日 17:09
☆ bamboo さん

体験や学びというものは、すべて、
その人の準備が整えられた時に、向こうからやってくるものだと思います。
その人にとっては突然であったり、厳しかったり、辛かったり、
嬉しかったり、不思議だったりすることでも、
その時々に、その人が必要とすることを、必要な時として与えられているのだと、
僕はそう思ってきました。

人事を尽くして天命を待つ、という言葉がありますが、
その人の望んだものが、望んだ分だけ与えられるというのが、
天の、循環の法則なのかもしれません。
 
16. Posted by taka_kasga   2014年06月20日 17:09
☆タイ爺さん

僕は釣りはしませんが、ユーコン川は釣りやカヌーを楽しむよりも、
先ずは黒雲のように容赦なく襲ってくる蚊の大群をどうするか、という問題があります。
同じように、砂漠の戦場では、如何にライフルの銃身に砂が入らないようにするかが課題であり、
熱帯のジャングルでは、泥と水にまみれ、あっという間に錆びついてしまう銃を、
最前線で何時どのように手入れすれば良いのか、ということが課題となり、
状況に即した「循環」を自分で生み出せる能力の有無が、生死を分けます。
その能力こそ、真の武術性であると、僕は思います。

因みに、ライフルの問題は、米軍では兵士各自が抱腹絶倒の工夫をして乗り切りますが、
わが自衛隊の小銃には専用のキャップが付属しています。
寒冷地の結露防止用に、キャップ先端には小さな穴まで空いています。スゴイっ!!

透明度の高い支笏湖は(寒いけど)とても良いところですね。
近くの神秘的なオコタンペ湖も好きです。
支笏湖は奥潭(オコタン)野営場でキャンプしたことがありますが、
ユーコンのように、蚊の大群に襲われることはありませんでした。
 
17. Posted by taka_kasga   2014年06月20日 17:10
☆マルコビッチさん

太極拳はとても奧深いですね。
考えてみると、同じ物事を深く感じ取れるのも、浅く感じ取るのもまた、
自分の中の循環が生み出した「結果」であるわけです。

ひとつ前向きになれれば、ひとつ誠実になれば、
ひと巡りしてきたものが、ひとつ成長している。
ひとつ理解しようと努力すれば、ひとつ直向きに懸命になれれば、
次の循環では、必ずそれまでよりも大きな理解が生じてくる。

循環の世界では、それが循環である故に、決してすぐには結果が出ませんが、
いずれ巡って還ってくるものは、その時々の自分の姿勢そのものであったのだと、
この歳になって、ようやく実感できます。

そして、その実感もまた、どこかに巡り巡って何かの形になって現れ、
自分自身に還元されていくのだと思います。
太極拳は、それを身を以て体験させてくれる優れた武術です。
 
18. Posted by taka_kasga   2014年06月20日 17:11
☆ユーカリさん

自然環境の厳しい辺境の地に限らず、
そこに暮らし、その状況を受け容れ、身を委ねつつ、自らの足で当たり前のこととして
着実に一歩一歩を進んで行こうとする事こそ、人に与えられた営みに他なりません。
人はみな、与えられた試練に屈することなく、大きく、逞しく生きていこうとすることに
人生の意味があるのだと思います。

>Direct Nonstop Air

今はどうか知りませんが、私の頃には本当にこんな名前の会社がありました。
これがアメリカなんだろうなぁと、その時に思いましたが、
日本も田舎に行くと、とんでもない名前の会社やカフェがあって驚かされます。
文明・文化の Frontier Area というトコロでしょうか。
 

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