2014年05月15日

連載小説「龍の道」 第133回




第133回  A L A S K A (2)



 北米大陸の最高峰である、標高6,168mのマッキンリーは、エベレストよりも大きな山体と比高を持つことでも知られる。エベレストの標高はマッキンリーよりも2,700m高いが、麓のチベット高原からの比高は3,700mほどに過ぎない。マッキンリーは、麓の標高がわずか600mほどしかないので、そこからの比高は5,500mにもなる。
 つまり、チベット高原から見上げるエベレストは富士山くらいの高さしかないが、デナリ国立公園から見上げたマッキンリーは、富士山の上にさらに1,800m級の山を重ねたように高く聳え立っている。麓から見上げたときに世界で最も高い山は、このマッキンリーなのである。

 マッキンリーは高緯度に位置しているため、エベレストの2倍ほども気温が低く、酸素量も少ないことから高山病のリスクも高く、登山家にはエベレストよりも難易度が高いとする人も多い。事実、この山で遭難する人は後を絶たない。世界的に有名な登山家・冒険家であった日本人の植村直己も、1970年に五大陸最高峰の世界初登頂(マッキンリーは単独登頂)を成し遂げたあと、1984年に世界初の冬季単独初登頂を果たしたが、下山時に遭難し行方不明となった。


「うーん、見事な眺めだなぁ──────────────」

 宏隆が思わずそう言って呻ると、

「本当にね、何度見ても心が洗われるみたい・・・」

 ヘレンも目を細めながらそう呟いた。
 
 遠く原野の彼方に望む、雪を戴いたデナリの峰々はとても美しい。
 その神々しさは、かつて人を容易には寄せ付けぬ高い山には神々が住まうと信じられたことがよく実感できる。アラスカにやって来た旅人の誰もが、崇高なまでのデナリの佇まいに心を打たれるのだ。

 列車は、ほどなくタルキートナ(Talkeetna)駅に到着した。
 駅と言っても都会のようなプラットホームはなく、小さな駅舎の前に、まるでバスか路面電車のように列車が停まると、駅員が各車両の出口に踏み台を置いて回り、乗客はそのまま地面に降りていく。
 この駅はマッキンリーの登山口であり、広大なデナリ国立公園の入口でもあるので、線路の側には何台かのバスが止まって、観光客が列車から降りてくるのを待ち受けている。
 三分の一近くの人たちがこの駅で降りていったので車内が随分空くと思ったが、ほぼ同じ数だけ新たな乗客が乗り込んでくる。

 ここからフェアバンクスまでの区間こそがアラスカ鉄道のハイライトであり、車窓からはアラスカらしい大自然の風景を満喫できます、と誇らしげにガイドブックに書かれている。
 確かに、これまでとはガラリと風景が変わってきた。タルキートナを出発すると、列車はさらに針葉樹林帯を抜けながら、氷河が溶けて白く濁った水が流れる川に沿って北上して行く。

 ヘレンと食堂車でコーヒーを飲んでいると、車掌がランチの予約を取りにやって来る。 
 食堂車は一車両しかないので、乗客は予約をして順番に昼食を取ることになる。今日の乗客はそれほど多くはないが、それでも客の大半が予約をするので、全員のランチを一回につき45分、二回転でこなさなくてはならないと言う。宏隆は二回転目の時間に席を予約するとヘレンと客車に戻り、車窓の景色を楽しむことにした。

 
 284マイル(457km)の地点を過ぎると、目の前に大渓谷が現れてくる。
 ハリケーン渓谷(Hurricane Gulch)と呼ばれる、クネクネと大蛇のように蛇行して流れるその渓谷には、高さ90m、長さ280mの巨大な鉄橋が架かっている。車掌がやってきて、乗客へのサービスとして鉄橋の真ん中で一旦停車します、と説明をして回っている。
 日本一と言われる宮崎県の高千穂橋梁と張り合えるほどの立派な鉄橋だが、もちろん囲いなどあるわけが無い。強い風でも吹けば谷底に落ちてしまいそうな気がするのは欧米人も同じであるらしく、誰もがちょっと心もとない表情をしている。


「この辺りでは、今でも Flag stop(フラッグ・ストップ)があるのよ────────」

 深い渓谷を覗き込みながら、ヘレンが言った。

「フラッグ・ストップ・・・?」

 フラッグ・ストップというのは、駅のない鉄道区間内で、まるでタクシーでも停めるように、沿線で白い旗を振ればどこでも列車が停まって客を乗せ、また何処でも希望する場所で降ろしてくれるという、何とも大らかな自由停車サービスのことである。
 このアラスカ鉄道には、今でもそんな昔ながらの習慣が残されているのだと、ヘレンが説明してくれる。

 フラッグ・ストップは、その昔はアメリカの各地に多く存在していたが、今ではアラスカ鉄道にしかなく、それも10月から5月までの間、タルキートナとハリケーンの区間だけに限られている。
 鉄道なのだから一応の目安として時刻表は存在するが、区間内のどこで何回人が乗り降りするかは、運転士も車掌も、誰にも分からないので、当然ながら列車の運行は時刻表とはあまり関係なく、その日の停車回数によって各駅への到着時間が大きく変わってくる。
 真夏の観光シーズンと違って、その期間は車両の編成も二両から四両しかない。旅行客はキャンパーなどがこれを楽しみに乗り降りをするが、地元の人はバスのような感覚で、自宅が近づけば車掌に合図をして、果たしてこんな所に家があるのかと思えるような原野の真ん中で列車が停まり、町で買い出してきた山ほどの荷物を持って降りて行く姿が見られる。
 また、雪で埋もれた森から迷彩服のハンターが出てきて白い旗を振って列車を停め、獲物のムースを解体して幾つもの袋にも分けたのを貨物車両に積み込み、猟銃を担いだまま乗ってくることも珍しくない。生々しい光景を見て観光客は珍しがったり驚いたりするが、アラスカの大自然の中では狩猟は道楽ではなく歴とした職業であり、ムースの角や毛皮、肉などは、それを売ることで彼らの家族を養うための貴重な現金収入となる。


「へえ、そいつはすごいね!、僕もキャンプ道具を担いで、フラッグストップをやってみたいなぁ───────」

「アラスカ大学の学生は、休日によくこの辺りにキャンプに来るのよ。フィッシングをしたり、カヌーやゴムボートでダウンストリーム(河下り)を楽しんだり・・」

「実は僕も、フラッグストップの経験があるんだよ」

「あら、どこで?」

「小さい頃、父と散歩をしている時に、ストップ(停留所)ではない所で、父が手を挙げてトラム(tram=市電・路面電車)を停めて乗ったことがあった。僕はそれがとても気に入ってしまって、一人で歩いている時に、父の真似をしてサッと手を挙げてみたんだけど、電車はただ警笛を鳴らしながら通り過ぎて行ってしまった・・・」

「お父様は、どうしてトラムを停めることができたの?」

「父は僕の町では結構顔が利く人で、その時もかつて仕事の世話をした運転士が父の姿を見かけてスピードを落として近づいてきたので、父も挨拶で手を挙げたら、そのまま停車してしまって、どうぞ乗って下さい、と言うことになったらしい」

「それを見て、手を挙げればトラムが停まると思って、幼いヒロタカが真似をしたのね?」

「そういうコト。でも、見事に失敗してしまった────────────」

「あはははは・・・・・」

「はははは・・・・・」



 やがてランチの時間となり、宏隆はヘレンと共に食堂車に向かった。

 先にスープとミニサラダが出てくる。スープはクラッカーが付いたバッファロー・チリ。
バッファロー・チリとは、バッファローの肉が入ったチリコンカン・スープである。
 ミニサラダの皿は大きく、どこがミニかと思えるほど野菜がたっぷりと盛られている。

 このスープのバッファロー肉は野生ではなく、肉牛として牧場で育てられているものだとウエイターが説明をしてくれる。それを聞いて、宏隆はふとアメリカの歴史を想った。

 バッファローは水牛の種類で、アメリカバイソンとも呼ばれる。
 かつて北米大陸に7,000万頭も生息していたバッファローは、白人の西部開拓に伴う乱獲によって、最後にはわずか数百頭ばかりを残すまでに激減してしまった。
 インディアンの土地を奪いながら次々と鉄道を敷いて町を作り、彼らの生活の糧でもあったバッファローを手当たり次第に乱獲し、毛皮や食料として売りさばきながら、彼らの言う 新世界(New World)の開拓を強引に押し進めて行ったのである。

 バッファローは先住民族であるインディアンの生活に深く係わっていた。
 特に合衆国本土の六分の一もの面積を占める広大なグレート・プレーンズの大平原に住むラコタ族、シャイアン族、クロウ族などにとっては、バッファローは食料としては無論のこと、武器、装身具、外套、テント、燃料など、あらゆる面で生活には無くてはならない存在だった。だからインディアンが自らバッファローを乱獲することは決して無く、バッファロー狩りは年に一回、年老いた雄だけを捕獲するという掟があった。
 白人たちはインディアンの生活がバッファローと深く関わりがある事を知ると、バッファローの数を減らすことで、西部開拓の邪魔者であるインディアンにより深い打撃を与えられると考え、さらに乱獲に励んだのである。

 ついでながら、これはイルカ漁を含む日本の「捕鯨」の比ではない。
 産業革命から19世紀半ばまで、クジラから採れる油だけを産業利用するために(欧米人は鯨の肉を食べない)世界で一番乱獲捕鯨をしていたのは紛れもなく欧米列強の白人たちであり、ひと昔前のアメリカは世界最大の捕鯨国であったのである。
 近ごろのケネディ駐日大使の発言ではないが、「日本のイルカ漁は非人道的」などと声高に叫んでも、かつて欧米人の乱獲の結果、クジラが一気に絶滅寸前まで追い込まれたという事実が消えるわけではない。



「このバッファローの肉は────────────」

 ヘレンに向かって、ウエイターが付け加えて言った。

「牛肉よりも、脂肪も、カロリーも、コレステロールも少ないのですが、その代わりにタンパク質は40%も多いので、とてもヘルシーなんですよ」

「なるほど・・・」

 西部開拓の歴史はさて措き、武術を志す者としては好い食べ物だと、宏隆は思った。

 スープが終わると、大皿に載った BLTT が出てくる。
 BLTT というのは、Bacon, Lettuce, Tomato, and Turkey のことで、日本人にもよく知られる BLT(ベーコン、レタス、トマト)に、さらにターキー(七面鳥)のハムを加えたボリューム満点のサンドイッチである。


「どうかしら、お味はいかが・・?」

口いっぱいにサンドイッチを頬張った宏隆を見て、ヘレンが笑っている。

「うーん・・日本じゃ、なかなかこのボリュームにはお目に掛かれない」

「そう、気に入ったみたいで、よかったわ!」

「まあ、味はそれほどでもないけれど。とにかくお腹が空いているので・・・」

「Oh, An army marches on its stomach!」

「An army marches・・軍隊は胃の上で行進する・・・ああ、つまり、腹が減っては戦が出来ぬ、ってコトか。なるほど、英語ではそんな風に言うんだね」

「食後のデザートは何がいいかしら?」

「そうそう、フランス系は食後に必ずデザートを食べないと気が済まないんだったね」

「私の名前の由来といい、フランスのことをよく知っているのね」

「フランスは何度か行ったことがあるし、イタリアと共に、とても興味のある国だからね。
 仕事で長期滞在している父を訪ねて家族でフランスに行ったときには、いつものオテル・リッツではなく、普通のアパルトマンを借りて路地裏の小さなレストランに行ったり、生活の臭いのするそこらのマルシェ(屋内外の市場。パリには90ヶ所もマルシェがある)でパンやチーズ、惣菜を買って食べたりしたんだ。その時はとても楽しかったなぁ・・」

「ワォ、Hotel Ritz Paris!、あなたのファミリーは由緒正しい資産家だからね・・・」

「え・・どうしてそんな事を知っているの?」

「あ・・い、いえ・・・・オテル・リッツ・パリの名前が出たから、ただ、そんな気がしただけのことよ。・・そ、そうだ、カフェ・オレと、クッキーに、アイスクリームなんていうのはいかがかしら?、チーズや果物がないのは残念だけれど!」

「あ・・ああ、いいね・・・そうしようか・・・・」

 ふと、宏隆はヘレンの言葉が気になったが────────異なる文化、異なる言語のアヤかもしれないし、まあ、それほど気にすることもないかと思い、デザートを食べた。

「カフェオレと言っても、アラスカ鉄道にそんなものは無いけれど、ところが・・ほーら、こうして温かいミルクとコーヒーを半分ずつ注いで入れれば、それが Cafe au lait!」

 そう言うと、ヘレンはコーヒーの大きなポットとミルクの小さなポットを同時に傾けて、上手にカップに注いで見せた。

「なるほど。カフェ・オレの発音も、さすがに綺麗だね」

「パリの味とはだいぶ違うけれど、まあ、無いよりマシね!」

「イタリアのカッフェ・ラッテは三分の一のエスプレッソと、三分の二のスチームミルクを混ぜたものだよね。同じミルクとコーヒーでも、トコロ、カワレバ、シナ、カワル・・」

「トコロ、カワレバ・・?」

「えーと、So many countries, so many customs.(国の数だけ習わしがある)って、そんなふうな意味だよ」

「Oh、なるほど──────────プラヴァーブ(proverb=ことわざ)の勉強もいいけれど、こんなやり方は、アメリカやイタリアにも無いでしょう?」

 そう言うと、ヘレンがチョコチップスの入った大きなアメリカン・クッキーを、いきなりコーヒーカップの中に浸して食べた。

「ああ、それはフランス人がよくやる!、えーっと soak(浸す)はフレンチでは何て言うのかな?」

「Tremper ──────── 」

「そうそう、トンペイ、だ・・・パリでは、カフェでトンペイをせずに、クッキーやパンをそのまま食べていると、回りの人たちから不思議そうな顔をして見られるね」

「カナダでも、フランス系はみんなそうして食べるのよ」

「ぼくは日本人だけど、小さい頃からそうして食べるのが好きで、よく行儀が悪いと怒られたけどね」

「それこそ、トコロ、カワレバ、ね。ヒロタカは、ちょっと日本人から外れているのかもしれないわ!」

「確かに、そうかもしれないな、あははは・・・」

「あはははは・・・・」


 ちょうどそのときに、斜め後ろの席で食事をしていた男性が、こちらを振り返って声を掛けた。

「ヘレン? ──────────── ヘーイ、やっぱりヘレンじゃないか!」

「あ、ジョセフ・・・Oh・・ハーイ・・・」

 男性は、席を立って宏隆たちのところまでやってきた。

「どうも声が似ていると思ったんだ。でも、なぜアラスカ鉄道なんかに乗っているの?
夏はカナダに帰るって言ってたから、とっくに向こうに居ると思っていたのに・・・・
もしかして、また特別なサバイバル訓練でもあるのかい?」



                               (つづく)





                                   
【 ハリケーン・ブリッジの上で停車中のアラスカ鉄道 】
       



【 フラッグ・ストップで下車する地元の乗客たち 】

         



  *次回、連載小説「龍の道」 第134回の掲載は、6月1日(日)の予定です

taka_kasuga at 23:56コメント(17)連載小説:龍の道 | *第131回 〜 第140回 

コメント一覧

1. Posted by 円山玄花   2014年05月17日 12:15
ヘレンさんがうっかり口を滑らせましたね。
人間、なかなか計画通りには行かないものです。

おまけにジョセフという、おそらくヘレンさんにとっては厄介者まで出てきて・・。
宏隆くん以外、正体は分からないものの、既にお互いの「戦略」は始まっているようですね。
何も迷彩服着て、森に潜むだけが戦闘ではナイということでしょうか(^^)
こういう展開、ワクワクします。

次回も楽しみにしています!
 
2. Posted by マルコビッチ   2014年05月19日 01:28
ム、ム、ム・・・怪しい・・ヘレン・・アヤシイ・・
なんだ? 何者だ??
うーん、またまた面白い展開になってきましたね〜!
想像がふくらみます。

バッファロー・チリも食べてみたいけど、パン好きの私は、BLTT食べてみた〜い!
むかし、職場の方のお家で、船のコックをやっていたという方にターキーの料理(中に詰め物をして丸焼きにしたもの)を作っていただき食べたことがありますが、BLTTこれぜったい美味しいと思います。
それから、カフェ・オレも大好物!!
パリには、ベルギーに研修旅行に行ったついでに、1日だけの観光だったので、本場のカフェ・オレもドゴール空港でしか飲むことが出来ませんでした。(職場の団体行動だったので・・)それでも、とても美味しかったのを覚えています。
いや〜旅はいいですね〜。
どこか行きたくなります。
 
3. Posted by マルコビッチ   2014年05月19日 01:31
コメントの文字数が多すぎて一回で入らなかったので、続きをもう一度!

ケネディ駐日大使の発言はあまりに単純だと思います。
私自信イルカに夢中になった時期があり、イルカ関係の本を読みあさったことがあります。 
きっかけは、私がめちゃくちゃ悩み苦しんでいたとき、一冊のイルカの本に出会い、考え方を180度変えられたことからでした。
ニュージーランドやオーストラリアでは、イルカが溺れている人を助けたり、方向を見失った船を誘導したりという話があり、自閉症のセラピーにも使われたりしています。
しかし、それは他の動物にも似たような話はあり、一面的な見方だと思います。
やれ「癒し」だとか「かわいい」だとかは個人の見解であり、古くからイルカ猟を生活の糧にしてきた人々にはまったく違った世界だと思います。
ヒンドゥー教徒は牛を神の化身として食べませんが、だからといって他の牛を食べる人々を非難することはないでしょう。
なぜ日本ばかりを非難するのか、その前に自国のしてきたこと、していることにもっと目を向けるべき。
特に上に立つものは、感情で物事を考えるのではなく、もっと科学的な考え方をしてほしいものです!

何だか久しぶりに長いコメントになってしまいました m(__)m
次回も楽しみにしています。
 
4. Posted by 太郎冠者   2014年05月19日 02:26
おっと、思いがけず急な展開になりそうですね。

それにしても宏隆くんのまわりに集まってくる女性って・・・
やはり類は友を呼ぶと言いますか、なにかこう、惹かれあう縁みたいなものがあるのでしょうかねぇ(笑)
いやはやあやかりたいような、ごめんこうむりたいような(笑)

>「日本のイルカ漁は非人道的」
まぁ、何を持って非人道的かと言うか定義を問いたいところですが。
少なくとも、オーストラリアであったカンガルーの虐殺について調べると、とくにオーストラリア人がそれを言うのはまったくもって疑問に感じます。
 
5. Posted by タイ爺   2014年05月19日 09:54
うむむ、キャーナダのヘレン怪しいですね。敵か味方か??

他国の文化風習はその土地の生きるための知恵と密接な関係があるので、よそ者の印象だけで批判するべきではないと思います。
欧米がいかにたくさんの種を金儲けのために絶滅してきたことか・・・。

トンペイといえば札幌の門人のなかにあの「日本一食べづらいお菓子」をさらに牛乳にトンペイするつわものがいます。
いやはや・・・。
 
6. Posted by まっつ   2014年05月19日 23:06
雄大な自然の中を行くアラスカ鉄道の旅ですか・・・
未知の世界から最大限の刺激を受けられるという経験は、
若い人達の特権ですね。
何も持っていないという特権は、
最大に吸収できる、その時を楽しめるという事ですから。
翻って考えれば、何も持たない事ができれば、
若きにも立ち戻れるという事で、
持たない事の豊かさについて、ふと、着想を得られました。
 
7. Posted by MIB(▼_▼¬   2014年05月20日 00:13
アラスカ鉄道の旅は本当に素敵ですね。
現代日本だと、システムの一部として運行されきっちり時間通りにちゃんとした駅に止まるのが鉄道だと感じますが、アラスカ鉄道は逞しくも心細いというか、原野の中で何か事あらば乗ってる人たちでなんとかせにゃならんというような印象を持ちました。

ヘレンさんはあっさりボロを出すあたり悪い人では無さそうですね(笑)。味方になることを祈っています。
 
8. Posted by ユーカリ   2014年05月20日 13:49
むむっ、またしても、面白い展開になりそうな気配ですね!

「エベレストは世界一高い」と単純に思っていましたが、いろいろな角度から、他の山と比べてみると、実際はどうか・具体的にどうかが明らかになってゆくのですね。
日頃、いかに一方向からのアプローチや思い込みで過ごしているかを感じます。

フラッグストップで乗り降りする人々の描写や写真で、荷物の多さや、生きることに密着している様子に驚きました。そこには、時間の流れ、生きる事への向かい方、他人との関わり等々、想像のつかないことが溢れているのだろうと思います。
道場での稽古を大切にし、示して頂いているそのものをそっくりそのままとろうとする意識を鍛えて、日々の生活や、旅先でも多くを吸収できるようでありたいと思います。
 
9. Posted by とび猿   2014年05月21日 23:58
自然は時に美しく、雄大で厳しくもあり、変化に富んでいて、多くの人に感動を与えますが、
受け取り手次第でどうとでもなるものなのだと、この頃思います。
現に、自分自身、毎日変わっていく自然の風景を見ているはずなのに、いつの間にか、
無感動に、いつも見ている風景であると処理してしまっていることが多くあります。
これはそのまま、普段見ていること、体験していることにも、言えると思います。

フラッグ・ストップというのは面白いですね。
普段電車も使いますが、私の乗っている路線では、電車が2〜3分遅れただけで、
車内アナウンスが沢山流れます。
 
10. Posted by 春日敬之   2014年05月26日 22:50
☆玄花さん

そう、何も迷彩服着て森に潜むことだけが「戦い」ではありませんね。
ちょっと以前までは、「男は敷居を跨げば七人の敵あり」なんていう言葉がありましたが、
今ではもうほとんど死語になっているみたいです。
「七人の敵」は、仏教の「七難」から来ているのかもしれません。
人生には「七難」に加えて「八苦」なんていうものまであります。
山中鹿之助が三日月に祈った「七難八苦を与え給え」というヤツですね。
色白が隠してくれる「七難」とは、また違ったコトなのでしょうが。

Anyway、人生とは「戦い」の連続だと言うことは確かですし、
「強くなりたい」と思うのは、人間として当然のことだと思います。
太極拳の「考え方」で、人生の戦いを乗りきりたいものです。
 
11. Posted by 春日敬之   2014年05月26日 22:51
☆マルコビッチさん

ターキーは日本ではあまり馴染みがないですが、
欧米ではクリスマスや祝日のご馳走として必ず食べますし、
七面鳥のハムはスーパーには必ず並んでいるポピュラーなデリカです。

>詰め物をして丸焼きに・・

ターキーのお腹に、みじん切りの玉葱、セロリ、人参などをオリーブオイルで炒めて塩胡椒し、
刻んだ食パンと合わせてコンソメスープを加えて七面鳥に詰め、オーブン焼きしたものですね。
ウマい!、私も大好きです。

>本場のカフェオレ

いやぁ、やっぱり本場は美味しいんでしょうね・・

って、どっかで聞いたセリフがあったような・・ (^_^;)
 
12. Posted by 春日敬之   2014年05月26日 22:51
☆太郎冠者さん

>あやかりたいような、ごめんこうむりたいような

決してお勧めはしませんデスが・・(^_^;)

まあ、帆柱に自分を括り付けてサイレンの海峡を渡ったオデッセイの話もありますし。
選択は自分次第、ということに。
 
13. Posted by 春日敬之   2014年05月26日 22:51
☆タイ爺さん

おっ!、久々のご登場っスね、ありがとうございます。

>日本一食べづらいお菓子

ウワサは聞いております。
私は偏屈でヘソ曲がりの新し物好きですから、ぜひソイツをやってみたいと思いますね。

でも、それをミルクでトンペーするような人って、札幌のドナタなんでしょうか?
いちど会ってみたいなぁ・・
 
14. Posted by 春日敬之   2014年05月26日 22:52
☆まっつさん

たしかに、「何も持たないこと」は、とても豊かなことです。
しかし、その意味を本当に味わったり、理解することの出来る人は希だと思います。

「何も」持たないことというのは、いったい「何を」持たないことなのか?
若いころ、私はずいぶんその事について悩みました。

余分な事で雁字搦めになっていた(今でも、か・・)私は、
自分という「容れ物」を空っぽにしなければ、真実は注ぎ入れようがない、
という禅の公案に出会って、すでにその容れ物に入っている「モノ」が何であるかを、
真の武術を得るために、出来る限り検証していく努力をしたものです。

太極拳を追求する旅は、そのまま自分を追求してゆく旅です。
本当の自分を探して、本当の自分と出会えれば、余分なことは勝手に落ちていき、
人生の真実や、太極拳の真実とも出会えるのだと、
今になってようやく確信が持てるようになりました。
 
15. Posted by 春日敬之   2014年05月26日 22:52
☆MIB(▼_▼¬  さん

文明というのは、非常に危なっかしい、いつ壊れても不思議のないモノですし、
私たちが住んでいる地球自体も、いつ崩壊するかもしれない、
実際に地球の磁場がどんどん弱くなってきていて、
遠くない未来に太陽エネルギーで破壊されるのは免れようがないとNASAの報告にもありますが、生きていること自体、危なっかしくて何の保障もないことなんですよね。

だからこそ、人はみな「安全と平和」を求めたがるのかもしれません。
たとえそれが仮初めの、何の保障もない夢物語であっても。

私たちの太極拳は、夢物語性のカケラもなく、ただひたすら、科学的で学術的なもので、
気、中気、丹田、心、神、内勁などといった、一般的には科学として説明されないものまでが、
きちんと科学的に説かれていきます。

千載一遇の好機 ────────────
こんな機会を、逃すテはありませんね。
 
16. Posted by 春日敬之   2014年05月26日 22:52
☆ユーカリさん

人が旅に心惹かれるのは、それが未知な土地、未知な人たち、
未知の経験と出会うことであるからに違いありません。
自分の常識や経験では測れないモノゴトとの出会いこそが自分を高揚させ、
真の悦びを与え、自分を成長させてくれる唯一の材料であることを、
人はみな、心の奥底で知っているのだと思います。

旅から帰ってくると、皆それぞれの生活に戻ります。
同じ家、同じ夫、同じ妻、同じ母親、同じ子供の顔がそこにあり、
単調で退屈な、何も変わらない決まり切った同じ生活が待ちうけています。
多くの人は悟ります、旅は単なる桃源郷の疑似体験に過ぎなかった、
旅先で出会った人や物事は単なる夢に過ぎなかった、
あの高揚感はもうどこにも無い、
あの心躍る体験は決してこの生活には起こらない、と。

けれども、普段の生活を、まるで「旅のように」生きることは出来ます。
毎日の日々を新たに、初めて体験することのように、
本当にそう思えるほど、新鮮に生活することが、実際に出来るのです。

昔の人は、それを「道」と呼びました。
道はひたすら目的地に向かって歩むためのルートとして存在しています。
「道」には、歩くために邪魔になるものや、余分な物は一切置かれておらず、
その途上で手に入るような価値ある魅力的なものは何もありませんが、
寄り道をしなければ、道を歩くことの実感が得られ、
道自体から直接、多くの貴重な「体験」と「理解」を得られます。

「道」が、それ自体が「ゴール」であると言われる所以です。
 
17. Posted by 春日敬之   2014年05月26日 22:53
☆とび猿さん

そのとおりですね。
感動とは、ひたすらその「受け取る側」によるものです。

ファーブルは、指先に乗るほどの小さな生物に感動し、
エジソンは、自分の研究室が炎に包まれて灰になったことに感動し、
オデッセイは、美しい歌で船人を惑わし、暗礁に難破させて人を食べるという怪物に酔い痴れ、
宏隆くんは、軽く触れられただけで天井まで飛ばされる太極拳の功夫に感動しました。

もし彼らが、昆虫を食べられないから価値のないものだとか、
燃えてしまったら何も残らないと嘆き悲しみ、
恐ろしい海峡には近寄らないことが何よりの知恵だと考え、
天井まで飛ばされる功夫を、天才だけが出来る特別なことだと考えていたら、
世の中は、もっと貧しくて生彩のない、面白くない世界になっていたことでしょう。

公園にある小さな噴水に感動する人は滅多にいないでしょうが、
世界最大のイグアスの滝なら、誰がその前に立っても感動せざるを得ません。
決してその滝が、人に感動を与えているわけではなく、
見ている人が、その滝に感動しているのです。
素晴らしい世界や、素晴らしい物事は、
それを「素晴らしい」と感じられる人によって、
その素晴らしさがもたらされている、というわけですね。

太極拳の凄さ、素晴らしさというのも、
その道を行く人、極めようとする人によって、
その素晴らしさが認識され、感動されてこそ、
何百年、何千年の未来にまで、その道の後を続く人たちに、
大きな感動と、さらなる求道への情熱を与えるものになるのだと思います。
 

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