2014年04月25日

歩々是道場 「螺旋の構造 その10」

   「纏絲の構造 その3」
                    by のら
(一般・武藝クラス所属)



「ふれあい」こそ太極拳の真髄?

猛王烈:のらさぁ〜ん!、ずいぶんお早い原稿アップですね〜、わははは・・・

の ら:むっ・・本音を言うことだけが、ヒトの付き合い方じゃないわよ。

猛王烈:確かに、太極拳は相手と触れ合ってこそ、接触してこそ戦えるんでしょうから。
たとえカタキのような人であっても、「ふれあい」を大事にしないとイケませんよね。
 ♬ か〜な〜し〜み〜にぃ、出会うたびぃ〜、あ〜の〜ひ〜と〜を、思い出すぅ〜
  (註:「ふれあい」'74年に中村雅俊が歌ったヒット曲)

の ら:あーら、カタキのような人って、誰のことよ? だいたい、ウチでは相手と接触していないと戦えない、なんて教えていないでしょ?

猛王烈:でも、中国の推手だと、まず塔手してグルグルやってから、いきなり相撲やレスリングみたいな組み技に入ったり、柔道のような足払いや関節技をかけたりしますからね。

の ら:そう言えば、「太極拳は相撲のように戦う」と言った研究家もいたわね。

猛王烈:相撲なら「張り手」がありますが、太極拳で顔面を打ち合っているのを見たことがないっスね。海外に教えに行ってる老師たちも、手で顎を突き上げるコトさえ滅多にやらないです。
 結局、太極拳が戦うときには、相手に手を絡ませて触れていないと戦えないし、その研究家が言うように、相撲のように組んで戦うというコトなんでしょうか?

の ら:そんなこと無いわ。陳家溝の若手が出ている試合では、顔面を禁じ手にしてキョクシン・スタイルで戦っている映像もあるし。そこには回し蹴りやローキック、プロレス並みのバックドロップまで出て、文革後の太極拳の研究としても、とても興味深いわね。
 ウチの師父は、接触での間合いも、離れた間合いの戦闘も、イヤというほど示して下さるでしょう? 研究会では顔面もボカスカ打つし。あれが相撲に見える?

猛王烈:いや、師父の戦い方は相撲とも違うし、フルコンスタイルにもほど遠いっスね。
あの間合いの取り方というか、あんな風にされると攻撃も防御もどうにもならないんスよ。避けてもいないのに、ローキックひとつ当たらないんっスから、実際・・

の ら:ウチの対練は、推手はもちろんだけど、相撲のように「四つ身」に組んだり、馬歩で肩や腕を組んでお互いに崩し合ったりするものもあるわよね。

猛王烈:そうそう、あれが不思議なんスよね。師父や玄花さんと組むと、まるで自転車の後輪が突然スタンドに載せられて空転させられたみたいに、いつの間にかチカラがスカスカに入らなくなって、氷の上で滑ったみたいに、その場で足を掬われて投げられるんスよ。

の ら:それこそが、本来の「纏絲勁」の特徴なのよ──────────

猛王烈:えっ?、纏絲勁ってのは、豪快にバッコーンと吹っ飛ばしたり、凄まじい発勁で相手が悶絶してしまうようなモノじゃないんですか?

の ら:もちろん、そういうコトも含まれるんでしょうけど、纏絲勁の本質は「敵を思いどおりに随わせること」にあって、それによって「化勁」も「捨己従人」も可能となるのよ。

猛王烈:「捨己従人」ってのは、出家した人のような清廉な気持ちになって、ジガを捨て、全面的にヒトを受け容れることじゃないんスか?

の ら:太極拳の本質は「敵を思い通りに随わせる技術」なのよ。敵と戦えてこその武術なんだから。出家したいんなら、アタマを剃って少林寺にでも行きなさいっ!

猛王烈:よぉし・・ハァッ!、ハァッ!、ハッ、ハッ!!(馬歩で少林寺の真似っス ♪)



ヒネらないコトには、もっと意味がアル

の ら:さて、そろそろ本題の「纏絲」に話を戻しましょうか。「纏」という字にはそもそも、ヒネる、ネジるという意味はなかった、というお話だったわね。

猛王烈:やっぱり「ヒネル」は出てこないんスね?、水道が「ヒネルトジャー」なら笑って済みますけど、纏絲ケイが「ヒネらないんじゃぁ?」となったら、太極拳界じゃぁ、やっぱり、それどころジャーないんジャーないんスかね?

の ら:それどころか、harass, enmesh, vex, なんて訳語まで出てくるんジャーよ。

猛王烈:うわぁ・・オヤジギャグの応酬にしてはムツカシイ内容じゃぁ・・?

の ら:harass は「しつこく悩ます・困らす・攻撃の繰り返しで敵を悩ます・苦しめる」という意味。よくハラスメントって言うでしょ。
enmesh は「罠に掛ける・困難に陥れる」。vex は「イライラさせて怒らせる・肉体的苦痛を与える」などという意味ね。

猛王烈:えっ、纏絲勁の「纏」と「繞」に、そんな意味が?!

の ら:あはは、ちょっと驚いた?

猛王烈:驚きますよ、誰だって。こんなオカシなコト言い出すのはキョービ、すげー館の、ブゲーカンくらいのモンでしょう?

の ら:何もオカシなことじゃないわよ。中国人の学者が編纂した「中英辞典」に載っているんだから。「纏絲」の意味を知るなら、先ずその文字の意味を紐解くことが第一でしょ。
 つまり、なぜこの字を「勁力」にあてたのか、ということ。漢字はそのモノゴト自体を表した表意文字や表語文字、つまり「絵」なんだからね。それをきちんと探らなきゃ、仮にも漢字を発明したという国に失礼ってモンでしょ。

猛王烈:仮にも、って・・のらさん、中国はレッキとした漢字を発明した国っスよ。

の ら:けれど、現在の中国で使われている漢語の70%は、明治時代の日本から輸入されたもので、西洋の概念などはすべて日本人が漢語に翻訳したものなのよ。政治、革命、政府、資本、主義、封建、共和、共産、共産党、幹部、市場、経済、指導・・・共産党政権が好んで使っているこれらの語は、みんな日本人が作った言葉。もしそれがなかったら、毛沢東も「毛沢東思想」を書けなかったはずよ。オマケに、現在では本字を無視して意味なく簡略化してしまったので、漢字の文化なんか、すでに崩壊してしまっているし。

猛王烈:まるで春日さんみたいな、カゲキなことを言いますねー

の ら:戦後の偏向教育で、日本人は仏教文化と共に漢字が中国から伝わってきて、日本人がそれをありがた〜く使うようになったのだと信じ込まされているけれど・・・

猛王烈:だって、そのとおりじゃないスか。

の ら:ふふふ・・だけど、もし漢字の起源が「日本の古代文字」であったら、どうする?

猛王烈:ええええっっ──────────?!

の ら:私はね、日本の真の建国は「縄文時代前期」にあったと考えているのよ。
 縄文時代というのは、学校で教え込まれたような、原始人が毛皮を着て裸足で獣を追っていたような中石器時代の文化ではなく、すでにヤマトコトバの原点となる言語を持ち、固有の文字を持った文明国だった、と──────────
 つまり、中国が漢字を発明するよりも遥か以前に、既に日本は独自の文字を持っていて、それを中国が真似た可能性もある、ということを探ってみたいのよ。

猛王烈:そ、それじゃぁ「漢字」の起源は、この日本にある、と・・?!
と、いうか・・日本の文字が中国に渡って、それがまた漢字に発展して日本に入ってきて、さらにそれをまた、日本が多くの言葉を作ったのを中国人が持ち帰って、ってコトですか?

の ら:そう、まさに歴史は繰り返す。まあ、それを語るのは別の機会に譲るとして・・
まずは、ならず者のように日本の尖閣の海でウロウロするのをヤメてもらわなきゃね!!

猛王烈:うーん、話がだんだん、シモダカゲキ風にソレてきましたけど・・・

の ら:あんなカラフル・モモヒキのおじさんと一緒にしないでよ。

猛王烈:モモヒキじゃなくて、レギンスと称してますけど、本人は・・・
 今度はオレが話を戻しますけど、それじゃ、纏絲の「纏」は、日本語にはどう訳されているのか。それは「中日辞典」には何と訳されているんですか?
もしかして、日本語訳だったら「ヒネル」とか「ネジル」って出てくるんじゃ?

の ら:良いところに気付いたわね、でも残念でした───────手元の「中日辞典」には、「纏」はクルクルと巻く、巻き付ける、つきまとう、絡みつく、まつわる、あしらう、相手にする、手こずらせる、などと説明されているわ。
 ついでに「漢和辞典」には、まとう、まつわる、からまる、とあるわね・・・
 そうそう、昔の中国の習慣の、布で脚をグルグル巻きにして足を大きくしないようにする纏足(てんそく)というのにも、この「纏」という字が使われているでしょ。もしヒネったり、ネジったりして纏足にしたら、足が大変なことになるんじゃない?

猛王烈:なるほど。そうなると、半纏(はんてん)なんてのは、普通の着物が身体に巻き付けるように着るのに対して、羽織るように着るので「半分纏った状態」という意味で、半纏と呼んでいるのでしょうかね・・そんなこと、今まで考えもしなかったっスけど。

の ら:サエてるわね、猛くん。

猛王烈:ちなみに、纏絲勁の「纏」は、英語にはどう訳されているのか、もっと詳しく教えてもらえませんか?

の ら:ホイ、よくぞ聞いてくれました。「纏」の英語訳は、
 wind=螺旋状に進む、曲がりくねる、巻く、巻かれる、包む、囲む、巻き付ける。
 tangle=もつれさせる、からませる、妨げる、巻き込む、おとしいれる、争う。
 wrap=包む、巻く、相手を巻き込む、衣服をまとう、本当の考えを隠す、包み込む。
 coil=螺旋状にグルグル巻き付ける、とぐろを巻く、渦を巻く、クネクネ曲がる。
 tie up=提携する、協力する、繋がる、連結、関わり合う、縛り上げる、拘束する・・

猛王烈:うわわっ────────わっ、わっ、わぁあ、ワがみっつぅ!!

の ら:それくらいでアワ食ってちゃ、月のマークに負けてしまうニ。

猛王烈:まだそれ以上、他の意味があるンスか?!(それ、しぞーか弁だニ)

の ら:ふふふ、きっと驚くわよぉ・・・
 bother=悩ます、狼狽させる、面倒をかける、やっかいなこと。
 annoy=悩ます、苦しめる、困らせる、煩わしい。
 pester=苦しめる、困らせる、物をくれとねだる、せがむ。
 involve=(必然として)絡む、巻き込む、巻き添えにする、関わらせる、関係する・・・

猛王烈:・・す、すごい内容ですね。それって、本当に纏絲の「纏」の意味なんですか?、
それだけでも「纏絲」のイメージが根本からひっくり返ってしまいます・・っていうか、こんなに武術性の高い意味を含んだ文字だったとは!!、でも、どうして「中日辞典」には、そう訳されていないんでしょうか?

の ら:ある程度は訳されているけれど、一般的な「中英辞典」と比べても、それほど細かく訳されているとは思えないわね。理由はよく分からないけど。
 これらはすべて、師父から伺ったお話をもとに、私が改めて研究をしてみたコトよ。
 でもね、「纏絲勁」については、私は大いに疑問を感じているのよ─────────

猛王烈:疑問って、なにが疑問なんスか・・・?


                               (つづく)

noriko630 at 19:00コメント(14)歩々是道場  

コメント一覧

1. Posted by MIB(▼_▼¬   2014年04月26日 02:27
太極拳にバックドロップがあるとは・・・!
そのうちに華麗な空中殺法が登場するかもしれませんね。

太極拳は相撲のように・・・とありますが、昔の相撲は今とはきっと違っていて、もしかしたら太極拳のようだったのかも、と思いました。
漢字の話もそうですが、時代が移れば変わっていくものとはいえ、精緻な文化が忘れ去られていくのは悲しいですね。まして、わざわざ壊されていくならなおの事。
 
2. Posted by まっつ   2014年04月28日 19:37
外国語の内在的な意味を理解するには、
単に母国語の訳語辞典を引くのみならず、
第三国の辞典でも意味を検証する事が重要であると、
インテリジェントの専門家が書いていた事を思い出しました。
複眼的、多面的な光の当て方は、
理解を立体化し、全体像の把握を助けてくれます。
そのようにして見ると、
漢字とはそもそも立体的な概念体なのだなと、改めて認識されます。
それ故に、より豊かな心象空間の表現も、
より深い抽象空間の描写も可能になるのでしょう。
当に人間は言葉と共に進化してきたのだと思いました。
 
3. Posted by マルコビッチ   2014年04月28日 22:00
「纏」という字の英訳が面白いですね。
”相手を巻き込む”とか”おとしいれる”と言う意味があるのに、
”提携する”とか”協力する”という意味もあるんですね。
何かとても興味深いです。
どうしてこれが、「ヒネル」「ネジル」と言うことになってしまったのでしょう?!
人の考え方は、やはり自分の想像や考えたい方向に向かっていくものなのでしょうか・・・
物事をきちんと知るためには、自分の考えを入れずに、物事を物事として捉える習慣が必要かもしれませんね。
 
4. Posted by 太郎冠者   2014年04月28日 23:59
「纏」の漢字たった一文字に、それだけ多くの英訳があるとは知りませんでした。

それほどの意図があってつけられた漢字が、よもや現代で「ヒネルコト」だ!と画一的に定義されているとは、なんだか悲しい話でもあります。

そもそも人間の体についてちょっとでも調べれば、どれだけひねってねじったところで力なんて出るわけがないとわかりそうなものなのに・・・(ブツブツ)

そういった認識は、ここらで一度スパッときれいにしてしまわないとダメですね。
この続きも楽しみにしています。
 
5. Posted by 円山玄花   2014年04月29日 02:21
私もかつて「纏絲勁」とは、まるで纏絲型の力がバッコーンと相手に飛んでいくものだと思っていました(汗)。 けれども、道場で纏絲が説かれていく度に、そもそも自分の認識自体が間違っていたのだと、頭でも身体でも、まさに身を以て実感させられます(大汗)。

それにしても、纏絲勁は奥が深いですね。
なぜ太極拳は、そのチカラも戦い方も、こうまで歪められて認識されるようになったのか、
非常に興味があります。
 
6. Posted by とび猿   2014年04月29日 22:04
纏という字の英語訳は、面白いですね。
この字を見るだけでも、太極拳の恐ろしさが見えてくるようです。
師父と対練をさせて頂くと、豪快に吹っ飛ばされる時も、
優しく崩される時も、こちらはどうすることもできません。
そもそも、まともに近付くこともできず、
まるで、こちらから崩れに行っているようで、大変に困ります。
恐ろしい、武術だと思います。
 
7. Posted by ユーカリ    2014年05月04日 05:25
「纏足」や「半纏」をイメージすると、「纏」が「ひねる」「ねじる」という意味ではない事が、明確になります。
師父や玄花后嗣の前に立った時、関わりが深いと感じ、すでに崩されているので、困ってしまい、気づくと吹っ飛んでいたり、転がされていたり、「纏」の英訳にすっぽりと当てはまります。

自分自身に深く関わり、自身の状態をきちんとわかる事、それを受け止めようとする事で、自ずと問題点がはっきりとしてきます。また、相手とも深く関わろうとすれば、自分自身の問題が浮き上がってきます。
まだまだ関わり方が浅くて不充分ではありますが、それを、避けていては、決して前進してゆけないと、おぼろげながら感じています。

一つの漢字でも、真の意味をわかろうと、丁寧にいろいろな角度で関わる事で、これほどまでに、立体的に意味が見えてくるなんて、すごいと思いました。今まで自分が味わおうとしたことのない世界です。
のらさんの、疑問…?!次回の記事も楽しみにしています。

度々、コメントが遅れ、申し訳ありませんでした。 
 
8. Posted by のら   2014年05月07日 23:28
☆MIB(▼_▼¬  さん

バックドロップもどきの技を使うのはご本人の勝手としても、
その技が「纏絲勁」をどのように使ってなされたのか、訊いてみたいところです。
陳家溝の若手はローキックやハイキック、後ろ回し蹴りまで盛んに使いますが、
陳氏太極拳の何という技に相当するのかも併せて伺いたいですね。
そんな技が山ほど出て来る大会の映像では、選手の親や師匠である有名老師が、
それらの試合を微笑みながら観ている場面もあります。

精緻な文化は大切に保存し、なおかつ発展させていかなければ、
本当に価値のあるものとしては遺りません。
太極拳を文化遺産として遺すためには、
まずは科学的・学問的に解明されていなくてはならないと、強く感じます。
 
9. Posted by のら   2014年05月07日 23:29
☆まっつさん

物事に多面的な取り組みをするのは、学問・科学の基本ですね。
人間は言葉と共に進化してきた一面がありますが、
私たちを含めて、「太極拳に伝えられている言葉」を大切にしていないのは、
とても勿体ないことだと思います。

陳鑫の図説、太極拳各派に伝わる拳譜、そして陳氏が最も重んじた三三拳譜、
それらの研究が本家中国でさえ疎かにされているという事実は、
何を物語っているのでしょうか。
 
10. Posted by のら   2014年05月07日 23:29
☆マルコビッチさん

物事を、ただモノゴトとして正しく捉える、
というのは、日頃から師父が盛んに仰っていることです。
纏絲勁が「ヒネル」「ネジル」ことだとと教えられた人は、
そう思い込んだ人に教えられたのですから、
ハンニンはいったい誰か、ということになりますね。
 
11. Posted by のら   2014年05月07日 23:30
☆太郎冠者さん

纏絲勁がヒネるコトだと認識されてしまったことの裏には、
ヒネるコト以外に、何も考えられなかったという、悲しい事実があると思います。
本当の纏絲勁の構造はどのようにあるのか、
それを誰かがきちんと言わなければならない時期に来ているのかもしれません。
 
12. Posted by のら   2014年05月07日 23:31
☆玄花さん

>バッコーンと・・・・

もしかすると、多くの老師たちも、
そのように考えていた(いる?)のかもしれませんが。(笑)
 
13. Posted by のら   2014年05月07日 23:32
☆とび猿さん

太極拳は恐ろしい武術であり、
纏絲勁はその太極拳の核心です。
と、いうことは、つまり、
纏絲勁を得られない人は太極拳を学んだことにはならず、
纏絲勁を追求していない人も、太極門の人ではないということになります。

けれども、数ある門派や道場、教室で、
それほどまでに纏絲勁を学問的に追求している所がどれほどあるのかは、
非常に疑問です。
 
14. Posted by のら   2014年05月07日 23:37
☆ユーカリさん

自分と深く関われば、自分が見たくない真の自分が現れてきますし、
相手と深く関わっても、それまで見えなかった相手の真の姿はもちろんのこと、
自分が見たくない自分まで見えてきてしまいますね。

いずれにしても、逃げたり避けたりしていては、
問題は何も解決せず、自分が前進して行けないことがよくわかります。

人間関係を理解することも、やはり科学であるのだと、
この頃つくづく思います。
 

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