2014年04月15日

連載小説「龍の道」 第131回




 第131回 春  陽 (はるひ)(4)



 坂道をゆっくりと下りながら、宏隆は滔々と自分の想いを話した。
 それは、以前からずっと珠乃に伝えておきたかったことでもあった。

 中山手の通りに出て、西に折れて歩いて行くと、やがて海側に生田の森(いくたのもり)が見えてくる。神功皇后元年(西暦201年)にこの地に鎮座して以来、千八百年以上にわたって人々の崇敬を集めてきた生田神社の鎮守の杜である。


「ねぇ、ちょっとお参りして行かない────────?」

 ずっと静かに宏隆の話に耳を傾けていた珠乃がそう言った。

「そうだな。近ごろはお不動さまにも、すっかりご無沙汰してしまっているし・・」

 宏隆にしてみれば、仏教の不動明王も、生田神社の祭神も、あまり区別がない。
 信仰の対象や宗派が何であるかが問題ではなく、敬神崇仏、神仏や聖なるものを受容する感性や信心する心、そのような高い宗教性こそが大切だということを、小さい頃から誰に教えられるわけでもなく、深いところでそれを知っていた。

 生田警察の横を下っていくと、すぐに西北門と書かれた立派な門が見える。ここを入れば拝殿はすぐそこだが、この二人は神仏に詣でる際に近道を選んだりはしない。
 生田神社の「一の鳥居」は、さらに海側に行った阪急の線路の南側、生田ロードの先のビルの谷間に堂々とそびえ立っていて、初詣などは、そこから本殿まで何万もの人の波で埋まる。宏隆たちも流石にそこまでは足を運ばないが、もう少し坂道を下ったところにある、ふだん人々が参拝するときの入口である「二の鳥居」を潜った。
 
 鳥居を潜るたびに、その手前で立ち止まって一礼をする。これを「一揖(いちゆう)」と言う。揖(ゆう)とは、束帯を着用する際の、笏(しゃく)を持って上体を傾けて礼をする形を指している。現在では神社に詣でる際にそのような礼を取る人は極めて少ないが、それは宏隆や珠乃の家では、祭神へ詣る礼として家族が皆ごく当たり前にそうしていることであった。
 また、参道を通る時には道の真中を歩いたりもしない。参道の中央は「正中」と言って、神々の通る道とされており、本来は世人俗衆の歩くべき処ではない。茶道には供された茶碗の正面を避けて茶を喫する礼儀があるが、それと同じこころなのである。
 手水舎で柄杓に水を汲み、左右の手と口を漱ぎ、使った柄杓の柄に水を流して元に返すという、やはり茶道にもそのまま取り入れられている正しい作法で手水を取り、身を清めて拝殿に向かうことなども、小さい頃からそう教えられたことであった。

 宗教として分類されているとはいえ、日本の神道には決まった教祖もなければ、明確な教義も経典もない。あるのはただ、古事記や日本書紀を中心とする古典と、森羅万象に八百万の神々が宿るという考え方と、天津神・国津神(あまつかみ・くにつかみ)という神話に登場する神々、つまり高天原から天降ってきた神々と、ヤマト王権下の人々がそれまでに信仰していた神々を祀るという、民俗信仰であり自然信仰なのである。
 その、至ってシンプルな信仰の形が、古代より皇室や豪族による政治体制と関わりながら徐々に成立して、日本という「世界最古」の国家の形成において、その根本となる大きな影響を与え続けてきた。

 ついでながら、日本がそのような「世界最古の国家」であることを、当の日本人ほど知らないというのは実に皮肉という他はない。小学生ならまだしも、大学生に「日本はいつどのようにクニが出来たのか」と訊ねても、スラスラと答えられる学生は滅多にいない。大学院生でも同様の為体(ていたらく)である。
 果たして、アメリカの学生が米国建国の経緯や初代大統領を知らず、フランスの学生がフランス革命を知らず、中国の学生が毛沢東を知らないようなことがあるだろうか。自分の国の建国や歴史について、大学生でさえよく知らないという珍妙な現象は、世界でもわが日本にだけ見られることである。

 今日の世界には200近い国が存在しているが、世界史が示しているのはどの国も相次ぐ王朝がひたすら滅亡の歴史を繰り返しをしてきたという事実であり、いずれの国も数十年からせいぜいが百年ほどの間に成立と滅亡を繰り返してきたことが分かる。
 しかし、そのような世界の歴史の中で、この日本だけが建国から約2674年にもわたって綿々と125代も続く王朝を守り、21世紀の今日でもなお存在し続けている。その事実は人類史上ほとんど奇跡とさえ思えるし、実際に世界の人は日本がそのような世界最古の歴史を持つ優れた民族であり、そのような国家であることを日本人よりもよく知っている。

 ちなみに、日本の次に歴史が古い国はイタリア半島の中東部にあるサンマリノ共和国で、人口わずか32,000人、世界で五番目に小さな国である。イタリア共和国に囲まれたこのちいさな内陸国は建国が西暦301年、1700年の歴史を持ち、国連にも加盟している。
 第三位はデンマークで、十世紀前半にバイキングを統合した初代国王ゴームが建国した。現国王はその子孫で、その歴史は1300年ほどである。
 お馴染みのイギリスは、初代国王のウィリアム一世がフランスから海を渡って押し寄せ、ブリテン島を征服したのが九百数十年前、現エリザベス女王はその子孫である。
 アメリカは独立戦争で1776年にイギリス本国(Kingdom of Great Britain)と戦い独立して240年足らず。フランスは1789年のバスチーユ牢獄襲撃による政治犯開放でフランス革命が始まった年が建国。ロシアもソビエト崩壊によって主権宣言をした1991年が建国。 
 オーストラリアなどは1788年に最初の移民団がシドニーに上陸した日をオーストラリア・ディとしており、建国記念日は無い。
 中国については、すでにこの物語の中で、彼らが称する四千年・五千年という長い歴史の国ではないことを詳しく述べたが、現在の中華人民共和国は、1949年(昭和24年)に毛沢東が天安門で建国宣言をしたことに始まる。

 戦後の教育では、このような自国の歴史や文化、国民が誇りとする心を奪う努力が長年にわたって周到になされ続けてきた。占領国アメリカや国内の反日勢力は、日本の正史である日本書紀をただの「神話」として捨て去り、国民に建国への興味を失わせる努力を惜しまなかったのである。


「ああ、何だか清々しい気持ちになるなぁ────────」

 拝殿の前で軽く一礼をし、鈴を鳴らして賽銭を投じ、二拝二拍手一拝、作法どおりに二人で柏手を打って拝殿に深々と頭(こうべ)を垂れたあとで、宏隆がしみじみと言った。

「本当にそうね。神社にお参りをすると、いつも心の垢がきれいに落ちていくような気がするわ。日本の神道は、自分の罪や穢れを清めて心身を清浄にし、大自然と自己とが一体になって、その実感の中で、与えられた生命を大切に生きる、という精神で貫かれているのでしょうね────────」

「珠乃、寒くないか・・?」

「ううん、大丈夫よ、ありがとう」

 珈琲を飲んでいる間に六甲颪(ろっこうおろし)が止んでくれたとは言え、やはり一月の夜は寒さが深深と身にこたえて寒い。もともと女性は身体が冷えやすいということを知っているのか、少し寒そうに見える珠乃を宏隆が気遣った。

「歩いていると、けっこう暖かいから・・」

「そうか、それなら良いけれど」

 拝殿から、もと来た方に参道を下がらず、右手の方に歩いて行くと、水鴨(みかも)が浮き寝をしている小さな池がある。
 
「夜だと、ちょっと寒々しいけれど、鎌倉の頃にはここで多くの人が歌を詠んだのよ」

 そぞろに池畔を巡りながら、ちょっと夜空を見上げるようにして、珠乃が言った。

「へえ、珠乃はそんなことにも詳しいんだね」

「母が和歌をたしなむので、そんな話をよく聞いて育ったのよ」

「どんな歌があるの?」

「しぐれ行く 生田のもりのこがらしに 池のみ草も色かはる頃」

 姿勢を正すように背筋を伸ばして、静かに珠乃が詠じた。

「うーん、しみじみとした佳い歌だね。この寒空にもピッタリ。それは誰が詠んだの?」

「ご存じ、藤原定家さんよ」

「ああ、なるほど、さすがは定家だね、美しいなぁ・・」

「まだあるのよ────────人住まば さらにや問はむ津の国の 生田の池の秋の月影」

「今度は、だれの歌?」

「順徳院。鎌倉時代の順徳天皇のことよ。小倉百人一首の第百番に、ももしきや 古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり、という歌があるでしょう?」

「ああ、その歌を作った人か、それなら僕もよく知っている」

「父の後鳥羽上皇が鎌倉倒幕の兵を挙げた ”承久(じょうきゅう)の乱” に参画したことで佐渡に配流、在島21年の後に佐渡で崩御された、ということよ」

「うぅーん、人の世は、本当にいろいろとあるんだなぁ・・・」

「若いクセに、何だか達観した老人みたいなことを言うわね。でも、宏隆ならきっとそんな人生にはならないでしょうね」

「いや、そうでもないさ。頼朝といろいろモメたら、僕だって挙兵したかもしれない」

「そうかしら。あなたの甲冑姿を想像すると可笑しいわね、あははは・・・・」

 そう言って笑う珠乃は、しかしどこか寂しげで、おそらく誰が見てもただの空元気と映るに違いない。宏隆は、珠乃がそうして明るく笑うほど、反対にその寂しさを強く感じて辛い気持ちになった。


 生田の池から本殿の裏手に上がると、清少納言が枕草子に「杜は生田」と記した生田の森に出る。鎌倉や室町のころ、ここには生田川をひかえた大森林が広がっていたと伝えられ、源範頼と平知盛、楠木正成と新田義貞、織田信長と荒木村重の軍勢が争うなど、しばしば合戦の舞台にもなったという。

「────────この森のことは、歌に詠まれていないの?」

「やはり順徳院が一首・・秋風に 又こそとはめ津の国の 生田の杜の春のあけぼの、と詠まれているわ」

「うぅむ・・・敵わないな。とても僕には、そんな美しい歌は詠めない」

「あら、初めて聞くわね。宏隆も歌を詠むの?」

「いや、和歌は祖父が読んだものがたくさん残っているので、何となく自分にも出来そうな気がして遊んでみるんだけれど、どこをヒネってもなかなか出てこない────────」

「あはは、それはそうよ。やるのなら、きちんと勉強をしないと」

「そうだね・・・・」

 カサ、カサと、敷き詰められた落葉を踏んで歩く森の中は、樹齢数百年ほどにもなる立派な楠(くすのき)も多く、昼間でも鬱蒼として薄暗い。
 珠乃は、こんな夜更けに生田の森を歩いたことは無かったが、もうあと何回、宏隆と一緒に歩けるのかと思うと、たとえひと晩中でもこうして歩いていたい、という気持ちになる。
 宏隆もまた、意気込んで独りアメリカに留学する決意を固めたものの、それを告げたあとの珠乃の辛そうな顔を見てからは、ようやく自分も同じ寂しさを覚えはじめていた。

 控えめに照らされた遊歩道の外灯に二人の影が映る。人気(ひとけ)のない夜の森に仲良く並んだ二つの影を見て、珠乃は少し面映ゆい気持ちになったが、それよりも、自分たち二人は、この影のようにいつまでも寄り添って歩いて行けるのか、それとも、いつの日か何かが起こり、ある日突然それが根こそぎ失われてしまうのか、そんな思いに囚われて、心配でならなかった。


「宏隆─────────────」

 急に心細くなって立ち止まり、何か言いかけたが、

「珠乃・・・とても自分勝手だとは思うけど、今の僕は、アメリカに行きたいという想いでいっぱいなんだ」

 珠乃よりも先に、宏隆が言った。

「わかるわ・・・あなたが何をやりたくて、どうしてそうしたいのか・・・なぜ強くなりたいのか、ということも・・・・」

「分かってくれるのか───────────」

「うん、わかるわ・・・わかるけれど・・・・」

「けど・・?」

「けれど・・・離れて、ずっと会えなくなってしまうなんて・・・」

「・・・・・・・」

「いいえ、あなたの邪魔はしない、そんなつもりはないのよ、ただ・・ただ、あなたと一緒に居たいのに、それが叶わない私の気持ちを・・・その気持ちを、少しでもいいから、宏隆にも、分かってほしいの」

「そ、それは・・それくらいは、この僕にだって、分かる・・・・」

「ほんとうに・・・?」

「ほんとうさ、ぼくだって・・珠乃と一緒にいたい・・・ずっと一緒に、こうして笑って、話をして、お茶を飲んで、神戸の海を見ながら、いつも二人で歩いていたい。
 小学校からずっと・・楽しいときも、辛いときも、挫けそうになったときも、ふと気づいたら、いつも珠乃が側に居た、いつもお前と一緒にいたんだなって・・・わかったんだ」

「今ごろ、気がついたの・・?」

「そう・・・あ、いや、ずっと前から分かっていたはずなんだけど、つくづくそう思うようになったのは、つい最近、アメリカに行こうと思ってからだ」

「あはは、あなたは正直な人ね、アメリ・・」

「珠乃───────────────!」

「あ・・・」


 自分でも、どうしてそうしたのか、分からない。

 気がついたら、珠乃の言葉を遮るように、その肩を自分の方へ引き寄せていた。

 もう言葉はいらない、と宏隆は思った。

 肩に置いた手から伝わってくる珠乃の息吹は、人の結びつきにはどんな理屈も、何の保障も要らないことを物語っている。宏隆は、ただそこにあるものを理屈抜きに信じられ、珠乃がいま、同じものを、同じように感じていることがわかった。

 ほのかな外灯の光に並んでいたふたつの影は、やがてひとつに寄り添って、いつまでもそのまま動こうとはしなかった。



                                (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第132回の掲載は、5月1日(木)の予定です

noriko630 at 23:52コメント(14)連載小説:龍の道 | *第131回 〜 第140回 

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2014年04月17日 00:16
日本人の宗教観の原型である神道の風景は、
2千年を閲しても変わらない原風景を伝えています。
それは律法や啓典では伝えられない、
風景そのものである点に意味深さを感じます。
初詣に参る多くの人達を見るにつけ、
現代の日常の中でも、
日本の原風景は生き続けているのだと感じます。
流動化する今日の世界の中で生き抜いていくには、
日本人はその起源から立ち位置を見直す事こそが大事なのだと、
直観的に感じています。
 
2. Posted by マルコビッチ   2014年04月18日 00:13
長い歴史を持つ素晴らしい国に生まれながら、恥ずかしくなるほどいろいろなことを知らない私ですが、神社にお参りをすると、清々しい気持ちになり、何か崇高なものと繋がったような気持ちになるのは、やはり日本人としての血なのかと思います。
最近触れることの無かった和歌も、久しぶりに目にすると今まで感じたことのない美しさを感じ、改めて日本人は大変レベルの高い民族だということが分かります。
日本人としての心を大切にしたいと思いました。

宏隆くんと珠乃さんは二人ともひたむきで美しいです。
遙か遠い青春の、ドキドキするような切ない瞬間が蘇るようです。
 
3. Posted by 太郎冠者   2014年04月19日 01:31
どのようなきっかけだったのかはわかりませんが、
昔の人間のほうが、いまよりも「ヒト」のことが分かる文化を
営んでいたと感じることがあります。懐古趣味ではないですが・・・。

現代のようにあくせくとした時間ではなく、もっと違ったスケールで
モノを見ていたのだと思います。

>ふたつの影は、やがてひとつに寄り添って
これもまた、人の営みですねぇ・・・若いってスバラシイ。
おかげで感想が吹っ飛んじゃいました(笑)
 
4. Posted by 円山玄花   2014年04月19日 01:52
学校では、極力日本という国に興味を持たないような勉強の仕方を教わり、私たちの頭から、
自国の文化や歴史がどれ程豊かなものであるのかが、完全に消し去られてしまったようですね。

その策略にまんまと乗せられた自分も悔しいですが、恐いのは大人になってからも、
「勉強する・学ぶ」ということを自分から積極的に出来なくなってしまうことだと思います。
自分の目で見て観察し、吸収して、理解する。
そのような感性を磨くことで、自分が何をしていても、どのような武術を学んでいても、
それ自体がどのようなものであるのかを、本当に理解できるようになるのだと思います。

宏隆くん、いよいよアメリカですか。
やっぱりクマとは、やりませんよね!?
次回も楽しみにしています!
 
5. Posted by とび猿   2014年04月19日 07:34
神社の鳥居を潜ると、長い年月をかけて育まれてきた日本人のDNAのためか、
とても清々しく澄んだような空気を感じます。
しかし、教育が変わり、生活習慣が変わり、恐らく、家族や人との関わり方も変わり、
日本人の心も変わってきてしまっているものとも思えてきます。
今、自分がいる所にも長い歴史があるはず。
この先、宏隆君と珠乃さんも、どうなっていくのでしょう。
 
6. Posted by ユーカリ   2014年04月20日 06:57
ひとつひとつの意味を解り、丁寧にそれらと関わり、省略をしない生き方。
それが、安易に手に入るわけではなく、こつこつと血の滲むような努力を積み重ねによるものであること。

情けなく、とても恥ずかしいのですが、それ無くして、欲しいものが手に入ると、40年以上も思って生きてきてしまいました。
「生きる」ことの意味が随分薄っぺらで、覚悟がないと思います。

日本は2674年もの間、王朝が存続していて、第二位のサンマリノ共和国とは1000年程の差がある事、英米仏露豪などとは比べ物にならない程である事に驚きました。

時を経て、同じ場所で和歌を詠じ、当時に思いを馳せ、その美しさを共有できる豊かさや愉しさを味わえるような二人との、人生の密度が違いすぎます。
 
7. Posted by MIB(▼_▼¬   2014年04月20日 11:53
同じものを、同じように感じていることがわかった

っていうのがいいですね。素敵ですねえ。

飛躍しますが、相手がどう感じているか、特に推手の時に伝わって来るように思いますが、人と人との関わり方を教えてくれるところが太極拳の魅力だと感じています。
 
8. Posted by taka_kasga   2014年04月23日 17:15
☆まっつさん

国民の39%しか宗教を信じていないのに、
90%以上もの人たちが神社に行くという事実は、
外国人たちが最も理解に苦しむところのようです。

私たちにとって神道が「原風景」であり続けているのは、
それが、自らを嫉妬深い神と称する唯一神から与えられたモーセの律法や、
信仰を貫けば死後に天国で72人の処女と関係を持つことが出来るなどと教える、
アッラーフの啓典などとはまったく異なる、
万物に神性が宿ると実感できる豊饒な文化性を持つ民族によって育まれた、
自然崇拝を基底とする信仰心であるからに違いありません。

その原風景、つまり人々の心の奥にある、二千年経っても変わらぬその原初風景は、
これから何千年経っても変わることなく、日本人の心の中に生き続けることでしょう。
もしそれが失われることがあるとすれば、
間違いなくその時は、日本が日本でなくなる時なのだと思います。
 
9. Posted by taka_kasga   2014年04月23日 17:16
☆マルコビッチさん

神社に行くと気持ちが良いのは外国人でも同じなのか、
アメリカにもハワイにも日本の神社があります。
シアトルにはアメリカ人の神主の神社があって茅の輪くぐりまでしてますし、
ハワイには金刀比羅神社(コンピラさん)や太宰府天満宮、
出雲大社まであるからビックリです。
御守りも授けていて、デザインが「星条旗」になっているので二度ビックリ!!
 
10. Posted by taka_kasga   2014年04月23日 17:16
☆太郎冠者さん

>若いってスバラシイ。

人は、誰かを愛することで、ようやく自己の本質に気付くのだと思います。
そして、その人を守るためなら、自己犠牲も厭わない。

その崇高な精神で祖国防衛に命を捧げた人たちを祀る靖国神社に、
他国がいちいち難癖を付けるのは、本当に許し難いことです。
 
11. Posted by taka_kasga   2014年04月23日 17:17
☆玄花さん

確かに、「学べない」「どうやって学ぶのか分からない」「学ぶ意義がわからない」
という人が増えてきたように思います。
当たり前のことを、当たり前のこととして理解できないのは、
当たり前の生活や、当たり前の考え方が社会に無いからで、
戦後の日本が、民族の「核」となる処を、意図的に滅茶苦茶に破壊されてきた所以です。

>クマ
いよいよアラスカに行って、熊と勝負っ!!
・・なんて、空手バカ一代のような真似はいたしません。ハイ。
 
12. Posted by taka_kasga   2014年04月23日 17:17
☆とび猿さん

日本人と諸外国の同年代の人を比較すると、
特に高度経済成長期に少年少女時代を過ごした人に、
他国の人には見られない、自律のできない潜在的な「甘え」が見え隠れします。
「豊かさ」というものを、大自然や人の真心ではなく、
「物質」へと価値観を置き換えてしまった結果かも知れませんが、
そのような国では、自然な信仰心も、男らしさも、女らしさも、
大和心も、武士道精神も、どこかへ姿を消してしまうのは必然だと思います。
 
13. Posted by taka_kasga   2014年04月23日 17:18
☆ユーカリさん

>それ無くして、欲しいものが手に入ると・・・

人が「欲しいもの」には、そのレベルがいろいろとあります。

「それ無くして、欲しいものが手に入る」と思えたのは、
「それ無くしても手に入るもの」を求めていたということで、
逆に言えば、「それ無くしても手に入るもの」とは、
「それが無くても手に入るレベルのもの」であった、ということです。

「容易に手に入らないもの」を手にするには、ある「覚悟」が必要です。
それは、「本物」を手にしようとする自分もまた、常に「本物」であり続ける、
という覚悟です。

そこには、必ずしも「血の滲むような努力の積み重ね」が必要だとは限りません。
何故ならそれは、その努力自体が「悦びに満ちた楽しいこと」だからです。
「本物」を、「真実」を手にすることを上回るような至福があるでしょうか。
そこには、何の深刻さも、苦悶も、強迫観念も存在しません。
本当に素晴らしいものを手にするための努力は、
血と汗に滲み、苦痛に満ち、心身共にボロボロに傷つきながら行うものではなく、
どのような場合も、歓喜に満ちた悦楽であるに違いないのです。

そして、もし、そうでない場合は、
手に入れたい対象自体が「本物」では無いか、
それを希求する人の「覚悟」が本物では無いかの、どちらかだという事になるでしょう。
 
14. Posted by taka_kasga   2014年04月23日 17:26
☆MIB(▼_▼¬  さん

太極拳の技藝の深奥は、

「(相手と)同じものを、同じように感じられること」

かもしれませんね。
 

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