2014年03月09日
歩々是道場 「螺旋の構造 その8」
「纏絲の構造 その1」
by のら (一般・武藝クラス所属)
纏絲ケイが知りたいッス〜!!
猛王烈:のらさあ〜ん!・・・ガハハッ、ついに捕まえたぞお〜!
の ら:あ〜ら猛くん、なにを銭形警部みたいなコト言ってるの?
猛王烈:またぁ、トボケちゃって。纏絲勁の話をしてくれるって約束したでしょう?!
の ら:え、何のこと?
猛王烈:無責任だなぁ、もう。「私が知ってる程度なら、いくらでも話してあげるワよ」なんて、チョーシいいこと言ってたじゃないスか!
の ら:そんなコト言ったかなぁ・・?
猛王烈:前回の「螺旋の構造・その7」ですよっ、去年の5月28日の火曜日っ!!
の ら:That's so long ago, I don't remember. ──────────────
ハぁ、そんな昔ンこと憶えちゃインに。
(日本標準語訳:もう、そんな昔のことはおぼえていないワ)
猛王烈:また、カサブランカみたいなセリフを言っちゃって。しかも、しぞーか弁だに!!
の ら:猛くん、遠州・しぞーかをバっカにしてるら?
(編集部註:地元では静岡を ”しぞぉか” と発音し、よく ”しぞーか” と表記される)
猛王烈:そんなことないっスよぉ。オレはウナギだって、桜エビだって大好きだし、休みの日にはわざわざ静岡の ”青葉横町” まで行って「しぞーかおでん」を食べるほどッスから。
富士山が世界遺産になった時なんか、女房と三保の松原で万歳三唱をしましたからね。
その日の夕食は桜エビのかき揚げと、どでかい金目鯛の煮付け。もちろんお酒は、由比の純米大吟醸「正雪」と 焼酎の ”しぞーか割り” っスよ!!
(編集部註:しぞーか割り=焼酎を静岡産の濃い緑茶で割ったもの)
の ら:ふぅ〜ん・・猛くんって、しぞぉかを愛してるんだね。ちょっと見直したな・・・
猛王烈:あはは、いやぁ、それほどでも────────
あ・・そ、そうじゃなくって、纏絲勁の話を聞きに来たんですよ、テンシケイっ!!
の ら:あ、はいはい、テンシ勁ね・・で、何を聞きたいの?
猛王烈:オレみたいに、ごくフツーに太極拳をやっている人間が「纏絲勁」と聞いてまず想像するのは、グルグルと手足や体にツルを巻き付けたみたいな、あの不思議な絵なんスよ。
『陳氏太極拳入門』みたいなタイトルの本には、大抵そんな絵が紹介されてますよね。
の ら:あのツルを巻いたような図は、陳鑫先生の『陳氏太極拳図説』に書かれていたものが元になってるのよネ。けれど、纏絲勁が螺旋のチカラだと聞いてイラストのイメージを取り入れる前に、そもそも纏絲勁とは何か、それをきちんと確認した方が良いわね。
猛王烈:そのとおりですね。師父はいつも「太極拳は科学だ、学問だ」と仰ってますから。
の ら:陳鑫先生は『太極拳纏絲精論』や『太極拳纏絲法詩』などで、纏絲勁について詳しく述べておられるわね。
猛王烈:へぇー、さすがはのらさん。”武藝館の歩くIQ” と言われることはありますね!!
の ら:あら、それじゃモーくんは、武藝館の ”歩くアイキョー” かしら?
猛王烈:あはは、上手いこと言いますね。確かに、愛嬌なら負けませんよ。
の ら:さてと・・まず「纏絲勁」というのは太極拳における「十勁」、つまり十種類の主なチカラのひとつなんだ、ということを認識しなきゃいけないわね。
ウチではこれを「勁十論」と呼んで、門人の学習に役立てているワケよね。
猛王烈:その十種類のチカラってぇのは、どんなものなんスか?
の ら:あら、「十勁」はウチのホームページにも紹介されているわよ・・!
猛王烈:えっ?・・そ、そうでしたっケイ────────?
の ら:シャレてる場合?、門人のクセに、よくホームページを読まなきゃダメでしょう!
師父が書かれた「太極拳の訓練体系」の 「勁を練るための訓練」にちゃんとあるじゃない。
門外の人でも、それをコピーしてまで勉強する人がたくさん居られるというのに、ウチの門人がそんなんじゃダメじゃないの、モォ〜・・・
猛王烈:あ、そういやぁ、確かそんな文章を見たような、見ないような・・・ハハ・・
の ら:むわぁったく、調子がいいんだから。
猛王烈:そんじゃ、纏絲勁ってのは、「らんま2分の1」ならぬ「勁力10分の1」みたいなもん、てコトですよね?
の ら:むっ!・・水かけパンダのマンガと一緒にするんじゃないっ!!
猛王烈:す、すンません!・・その「纏絲勁」ってのは、結局何なンでしょうね?
纏絲勁はふたつでひとつ
の ら:最もきちんと認識すべきことは、纏絲勁には「内外ふたつの働き」があって、それがひとつになって纏絲勁として成り立っている、というコトよ。
猛王烈:ナイガイ?・・オレは「ナイスガイ」っスけどね、がはははっ!
の ら:バッシィーッッ!!───────ウチとソトの ”内外” だろおがああっっ!!
猛王烈:ひいっ!、のらさん、ケイがきいてるなぁ。(こりゃ ”五郎くん” の再現っスね)
の ら:纏絲勁には、内には「意・気・神」で導かれる内纏(nei-chan=ないてん)という運行があって、外には「筋・肉・骨」に由来した外繞(wai-rao=がいじょう)という螺旋の動きが生じている、ということなのよ。
猛王烈:へえ〜っ、そんなコト初めて聞きましたよ。
の ら:だから、もっとホームページをよく読みなさいってば、モッタイナイ。
そもそも、陳氏は家伝の拳術について著したものが非常に少ないのよ──────────
書籍として世に残した人は陳鑫と17世の陳子明、それに18世の陳績甫の、わずか三人だけ。
それも陳鑫以外の二人は理論面ではすべて「図説」から採用しているから、少ないと言うよりも、拳学の理論を著述したのは、実際には陳鑫先生だけと言ってもいいでしょうね。
猛王烈:鳴歩道ぉ・・じゃ、そこに書かれた一言一言は、とても貴重だということですね。
の ら:そういうコト。(あて字でしゃべるの、やめなよね)
猛王烈:・・で、その「ネ〜チャン」とか「ワイらよ」つうのは、ナンですか?
の ら:ネイチャン(内纏)と、ワイラオ(外繞)でしょ──────!!
そんなこと、仮に私が知ってたって安易に口に出来ることじゃないわよ。纏絲勁の真相は、たとえ拝師弟子であろうと、後継者として後世に正しく伝える力を持った信頼に足りる弟子にしか伝えないと、師父もハッキリ言われているんだから。
猛王烈:そうかァ───────そんじゃ、末席を汚すチャランポランなオレなんかにゃぁ〜、絶対に教えて貰えるワケがないっスよね・・・(しょぼーん)
の ら:まあ、そう嘆くこともないわよ。師父はいつも、太極拳の原理は非常にシンプルで誰でも理解出来るものだと仰っているでしょ。それに、原理を解き明かすための練功を毎回の稽古でたっぷりと教わっているんだから、その気になれば私たちにだって太極拳の核心を解明して行けるはずよ。
猛王烈:そうか、よぉし、頑張るぞっ!、のらさん、もっと纏絲勁について教えて下さい。
の ら:いえ、私だってそんなによく分かっていないし、何よりも、まだ纏絲勁が実際に体に現れてこない状態なのよ。だけどね・・・
猛王烈:だけど─────────?
の ら:いつだったか、師父の後ろについて套路をやった時に・・・そう、初めの金剛搗碓の終わりから懶扎衣 (ランチャーイー)までを詳しく教授されたときに、師父の真似をして動いていたら、突然自分の体が、ササッ、ササッと・・・コシやハラを中心に、腿や脚が、まるで忽雷架のように、勝手に動いたことがあったのよ。
猛王烈:おおっ、コツライカ────────!!
突然、雷光が閃いたように動くという忽雷架式ですね。あんなふうにササッ、ササッと動くのはエラいことですよ。師父はコトも無げにやって見せてくれますけど、オレたちが真似すると足で蹴るしかないし、片脚しか動かないんです。
師父はすごく滑りにくいマットの上でも両足が同時に動いていて、脚が水に浮かんでいるようにさえ見えますよね。あの動きって・・アレが纏絲勁ってコトなんスか?!
の ら:いい質問ね。けど、あのような動きは忽雷架独自の動きだから、陳氏太極拳とはぜんぜん関係ない、なんて言う人もいるけど、モーくんもそう思う?
猛王烈:いいえ、オレは師父が見せて下さるものは、何であれ全部ホンモノの太極拳の精髄だと思ってますし、それに、忽雷架だろうが、騰梛架だろうが、代理架だろうが、どう見たってアレは、小架の套路そのものじゃないか、と思えるんですが。
の ら:そう、ホームページの「歴史と伝承 Page5」に書かれているように、忽雷架は、天才・陳清萍が考案した「代理・忽雷・騰梛・領落」の四つの架式の内の一つよね。
それは元々ひとつの套路を「四つの練法」に分けたものと考えられるから、小架式を修めたウチの師父が、その中のひとつの架式を表現できても、ちっとも不思議はないのよ。
猛王烈:その系統を汲んでいれば、直接「忽雷架」を学んでいなくても表現可能だと?
の ら:そういうコト。現に師父は忽雷架をご存知なくても、身体が自然とあんなふうに動くでしょ。それは、太極拳の原理を身に着けた人なら誰でも「その構造」で動ける、ということを意味してるんじゃないかしら。それに──────────────
猛王烈:それに・・なんスか?
の ら:こんなこと、言っていいのかどうか分からないけれど・・・
猛王烈:珍しくモッタイぶりますねー、隠しゴトは良くないっスよ。
の ら:現在、太極武藝館で指導されている套路は、玄門架と呼ぶべき小架の拳套だけれど、以前、師父が見せて下さった、古い陳子明系の套路は────────
猛王烈:えっ?、えっ?・・そ、それを見たことがあるんですか?(オレも見たいよぉ!)
で、その古い套路というのは、どんな套路だったんですか?
の ら:それはね、まるで陳清萍が創った、代理架や騰梛架のような動きだったのよ!!
猛王烈:え”えええぇ〜っっっ────────────!!
の ら:驚いたみたいね?(「え」が濁音になってるニ・・)
猛王烈:驚きますよ!、オレなんか、小架と言えば陳伯祥、陳立靖、陳瑞華などの各老師、あるいは日本在住の陳沛山先生などがすぐに頭に浮かんできますけど、そこに趙堡系の雰囲気なんかはカケラも見られなかったスよ・・・
の ら:けれども、陳子明の父・陳復元は陳仲生(陳鑫の父)に小架と大槍を学び、陳耕耘(陳長興の子)からは老架と春秋大刀を、そして陳清萍には趙堡を学んだのよ。
息子の陳子明は幼少期から家伝の拳術を学び、十数歳の頃から陳鑫に学んだというから、はじめに身体に染み込んだ套路には、陳清萍の太極拳の占める割合が三割以上はあったと言うことよね。
猛王烈:うわぁ、歴史ってスゴイんスね。それじゃ陳子明先生の『陳氏世傳太極拳術』の中身には、陳復元と陳有本と陳清萍の套路がミックスして入っているってコトなんですか?
の ら:そのとおり。それらを統合して創られた独自の拳と言えるでしょうね。
その拳架は「引蒙入路」、入門に導く套路と呼ばれているの。そこには陳氏太極拳の精髄がそこかしこにちりばめられているというワケね。
猛王烈:なるほどなぁ。師父が散手であれだけ繊細に動けるのは、そんな複合的な套路をずっと訓練して来られたからなのかも知れないっスね。
の ら:そうね。そして、さらにそれが玄門に伝わることで、実際に軍隊で使われるほどのレベルにまで高められ、武術としてより実戦的な構造になっていったのだと思うわ。
猛王烈:構造?・・・ああ、また「構造」が出てきましたね!!
の ら:纏絲勁は、「纏絲の構造」と言い換えれば、もっと分かり易くなるでしょう?
纏絲の構造
猛王烈:纏絲の構造・・・・うわぁ、何だかものすごく新鮮な響きっスね!!
この螺旋シリーズの「その3」でも、運動と構造の違いについて語られていたけれど、オレは纏絲勁というのが「運動」や「チカラ」のことだとばかり思っていましたね。纏絲勁とはいったいどう ”動かす” のか、どうやって、どんなふうに ”動かして” 力を発するのだろうかって・・・
の ら:よく陳家太極拳の入門書などには、「纏絲勁は螺旋のネジリをともなった動き」であり、「それによって働く力を纏絲勁という」などと定義されているわね────────
猛王烈:日本じゃ、そういう考え方が「纏絲勁とは何か」をイメージする代表的なものになった、という感じがしますけど。
の ら:そうでしょうね。でもそれは多分日本だけじゃなくて、今の中国でも、そういう認識が大部分を占めてきているんじゃないかしら。ある本には、こうも書かれているわ・・・
『纏絲は、ただ手のみをねじるものではなく、足・膝・腿・体などが協調して行われるものであり、纏絲によって強大な力(勁)が十分に発揮できるのである』
猛王烈:・・ってコトはつまり、手だけじゃなくて体ごと協調してヒネル、ネジル。それが纏絲であり、それによって強い勁力が出る、という意味なんでしょうか?
の ら:そう解釈できるわね。つまり一般的には、纏絲勁は基本的に「ヒネル」「ネジル」ものと考えられている、ということになるのかしらね。
猛王烈:それを体中で協調して行うと、モーレツな纏絲勁の発勁になる、と?
の ら:まあ、普通にはそう信じられているんでしょうね。
猛王烈:でも、ウチの師父の発勁は、体をヒネってもいないし、ネジってもいない・・・
の ら:そういうコトよね・・
猛王烈:つぅーことは、つまり・・・・
の ら:そう、つまり、それは・・・?
猛王烈:つまり、それは───────────────
” ウ チ の 師 父 が 全 面 的 に 間 違 っ て い る ” ・・・と!!
の ら:ブゥワァアアアアッシィイイイ〜〜ッッッッッッ────────!!
猛王烈:痛(つ)ううううっっ!!(ま、またしてもモーレツなケイが・・)
の ら:アホか!、弟子のクセに、オドレの師匠が信じられンで、どオするンじゃいっ!!
猛王烈:ひ、ひぃっ、す、すンません、つ、つい・・・・
でも、「螺旋の構造・その3」以来、それが疑問で仕方ないんスよ。そこからパラレルとかスパイラルなんて、スキーのターンみたいな話になって、いくらハイハイをしても分からなかったんですよぉ。「新タイ爺歩き」なんか、ますます混乱するばかりだったし────────
(のらさん、今度は広島弁じゃけぇ・・いびせえ(怖い)のォ・・)
(つづく)
by のら (一般・武藝クラス所属)
纏絲ケイが知りたいッス〜!!
猛王烈:のらさあ〜ん!・・・ガハハッ、ついに捕まえたぞお〜!
の ら:あ〜ら猛くん、なにを銭形警部みたいなコト言ってるの?
猛王烈:またぁ、トボケちゃって。纏絲勁の話をしてくれるって約束したでしょう?!
の ら:え、何のこと?
猛王烈:無責任だなぁ、もう。「私が知ってる程度なら、いくらでも話してあげるワよ」なんて、チョーシいいこと言ってたじゃないスか!
の ら:そんなコト言ったかなぁ・・?
猛王烈:前回の「螺旋の構造・その7」ですよっ、去年の5月28日の火曜日っ!!
の ら:That's so long ago, I don't remember. ──────────────
ハぁ、そんな昔ンこと憶えちゃインに。
(日本標準語訳:もう、そんな昔のことはおぼえていないワ)
猛王烈:また、カサブランカみたいなセリフを言っちゃって。しかも、しぞーか弁だに!!
の ら:猛くん、遠州・しぞーかをバっカにしてるら?
(編集部註:地元では静岡を ”しぞぉか” と発音し、よく ”しぞーか” と表記される)
猛王烈:そんなことないっスよぉ。オレはウナギだって、桜エビだって大好きだし、休みの日にはわざわざ静岡の ”青葉横町” まで行って「しぞーかおでん」を食べるほどッスから。
富士山が世界遺産になった時なんか、女房と三保の松原で万歳三唱をしましたからね。
その日の夕食は桜エビのかき揚げと、どでかい金目鯛の煮付け。もちろんお酒は、由比の純米大吟醸「正雪」と 焼酎の ”しぞーか割り” っスよ!!
(編集部註:しぞーか割り=焼酎を静岡産の濃い緑茶で割ったもの)
の ら:ふぅ〜ん・・猛くんって、しぞぉかを愛してるんだね。ちょっと見直したな・・・
猛王烈:あはは、いやぁ、それほどでも────────
あ・・そ、そうじゃなくって、纏絲勁の話を聞きに来たんですよ、テンシケイっ!!
の ら:あ、はいはい、テンシ勁ね・・で、何を聞きたいの?
猛王烈:オレみたいに、ごくフツーに太極拳をやっている人間が「纏絲勁」と聞いてまず想像するのは、グルグルと手足や体にツルを巻き付けたみたいな、あの不思議な絵なんスよ。
『陳氏太極拳入門』みたいなタイトルの本には、大抵そんな絵が紹介されてますよね。
の ら:あのツルを巻いたような図は、陳鑫先生の『陳氏太極拳図説』に書かれていたものが元になってるのよネ。けれど、纏絲勁が螺旋のチカラだと聞いてイラストのイメージを取り入れる前に、そもそも纏絲勁とは何か、それをきちんと確認した方が良いわね。
猛王烈:そのとおりですね。師父はいつも「太極拳は科学だ、学問だ」と仰ってますから。
の ら:陳鑫先生は『太極拳纏絲精論』や『太極拳纏絲法詩』などで、纏絲勁について詳しく述べておられるわね。
猛王烈:へぇー、さすがはのらさん。”武藝館の歩くIQ” と言われることはありますね!!
の ら:あら、それじゃモーくんは、武藝館の ”歩くアイキョー” かしら?
猛王烈:あはは、上手いこと言いますね。確かに、愛嬌なら負けませんよ。
の ら:さてと・・まず「纏絲勁」というのは太極拳における「十勁」、つまり十種類の主なチカラのひとつなんだ、ということを認識しなきゃいけないわね。
ウチではこれを「勁十論」と呼んで、門人の学習に役立てているワケよね。
猛王烈:その十種類のチカラってぇのは、どんなものなんスか?
の ら:あら、「十勁」はウチのホームページにも紹介されているわよ・・!
猛王烈:えっ?・・そ、そうでしたっケイ────────?
の ら:シャレてる場合?、門人のクセに、よくホームページを読まなきゃダメでしょう!
師父が書かれた「太極拳の訓練体系」の 「勁を練るための訓練」にちゃんとあるじゃない。
門外の人でも、それをコピーしてまで勉強する人がたくさん居られるというのに、ウチの門人がそんなんじゃダメじゃないの、モォ〜・・・
猛王烈:あ、そういやぁ、確かそんな文章を見たような、見ないような・・・ハハ・・
の ら:むわぁったく、調子がいいんだから。
猛王烈:そんじゃ、纏絲勁ってのは、「らんま2分の1」ならぬ「勁力10分の1」みたいなもん、てコトですよね?
の ら:むっ!・・水かけパンダのマンガと一緒にするんじゃないっ!!
猛王烈:す、すンません!・・その「纏絲勁」ってのは、結局何なンでしょうね?
纏絲勁はふたつでひとつ
の ら:最もきちんと認識すべきことは、纏絲勁には「内外ふたつの働き」があって、それがひとつになって纏絲勁として成り立っている、というコトよ。
猛王烈:ナイガイ?・・オレは「ナイスガイ」っスけどね、がはははっ!
の ら:バッシィーッッ!!───────ウチとソトの ”内外” だろおがああっっ!!
猛王烈:ひいっ!、のらさん、ケイがきいてるなぁ。(こりゃ ”五郎くん” の再現っスね)
の ら:纏絲勁には、内には「意・気・神」で導かれる内纏(nei-chan=ないてん)という運行があって、外には「筋・肉・骨」に由来した外繞(wai-rao=がいじょう)という螺旋の動きが生じている、ということなのよ。
猛王烈:へえ〜っ、そんなコト初めて聞きましたよ。
の ら:だから、もっとホームページをよく読みなさいってば、モッタイナイ。
そもそも、陳氏は家伝の拳術について著したものが非常に少ないのよ──────────
書籍として世に残した人は陳鑫と17世の陳子明、それに18世の陳績甫の、わずか三人だけ。
それも陳鑫以外の二人は理論面ではすべて「図説」から採用しているから、少ないと言うよりも、拳学の理論を著述したのは、実際には陳鑫先生だけと言ってもいいでしょうね。
猛王烈:鳴歩道ぉ・・じゃ、そこに書かれた一言一言は、とても貴重だということですね。
の ら:そういうコト。(あて字でしゃべるの、やめなよね)
猛王烈:・・で、その「ネ〜チャン」とか「ワイらよ」つうのは、ナンですか?
の ら:ネイチャン(内纏)と、ワイラオ(外繞)でしょ──────!!
そんなこと、仮に私が知ってたって安易に口に出来ることじゃないわよ。纏絲勁の真相は、たとえ拝師弟子であろうと、後継者として後世に正しく伝える力を持った信頼に足りる弟子にしか伝えないと、師父もハッキリ言われているんだから。
猛王烈:そうかァ───────そんじゃ、末席を汚すチャランポランなオレなんかにゃぁ〜、絶対に教えて貰えるワケがないっスよね・・・(しょぼーん)
の ら:まあ、そう嘆くこともないわよ。師父はいつも、太極拳の原理は非常にシンプルで誰でも理解出来るものだと仰っているでしょ。それに、原理を解き明かすための練功を毎回の稽古でたっぷりと教わっているんだから、その気になれば私たちにだって太極拳の核心を解明して行けるはずよ。
猛王烈:そうか、よぉし、頑張るぞっ!、のらさん、もっと纏絲勁について教えて下さい。
の ら:いえ、私だってそんなによく分かっていないし、何よりも、まだ纏絲勁が実際に体に現れてこない状態なのよ。だけどね・・・
猛王烈:だけど─────────?
の ら:いつだったか、師父の後ろについて套路をやった時に・・・そう、初めの金剛搗碓の終わりから懶扎衣 (ランチャーイー)までを詳しく教授されたときに、師父の真似をして動いていたら、突然自分の体が、ササッ、ササッと・・・コシやハラを中心に、腿や脚が、まるで忽雷架のように、勝手に動いたことがあったのよ。
猛王烈:おおっ、コツライカ────────!!
突然、雷光が閃いたように動くという忽雷架式ですね。あんなふうにササッ、ササッと動くのはエラいことですよ。師父はコトも無げにやって見せてくれますけど、オレたちが真似すると足で蹴るしかないし、片脚しか動かないんです。
師父はすごく滑りにくいマットの上でも両足が同時に動いていて、脚が水に浮かんでいるようにさえ見えますよね。あの動きって・・アレが纏絲勁ってコトなんスか?!
の ら:いい質問ね。けど、あのような動きは忽雷架独自の動きだから、陳氏太極拳とはぜんぜん関係ない、なんて言う人もいるけど、モーくんもそう思う?
猛王烈:いいえ、オレは師父が見せて下さるものは、何であれ全部ホンモノの太極拳の精髄だと思ってますし、それに、忽雷架だろうが、騰梛架だろうが、代理架だろうが、どう見たってアレは、小架の套路そのものじゃないか、と思えるんですが。
の ら:そう、ホームページの「歴史と伝承 Page5」に書かれているように、忽雷架は、天才・陳清萍が考案した「代理・忽雷・騰梛・領落」の四つの架式の内の一つよね。
それは元々ひとつの套路を「四つの練法」に分けたものと考えられるから、小架式を修めたウチの師父が、その中のひとつの架式を表現できても、ちっとも不思議はないのよ。
猛王烈:その系統を汲んでいれば、直接「忽雷架」を学んでいなくても表現可能だと?
の ら:そういうコト。現に師父は忽雷架をご存知なくても、身体が自然とあんなふうに動くでしょ。それは、太極拳の原理を身に着けた人なら誰でも「その構造」で動ける、ということを意味してるんじゃないかしら。それに──────────────
猛王烈:それに・・なんスか?
の ら:こんなこと、言っていいのかどうか分からないけれど・・・
猛王烈:珍しくモッタイぶりますねー、隠しゴトは良くないっスよ。
の ら:現在、太極武藝館で指導されている套路は、玄門架と呼ぶべき小架の拳套だけれど、以前、師父が見せて下さった、古い陳子明系の套路は────────
猛王烈:えっ?、えっ?・・そ、それを見たことがあるんですか?(オレも見たいよぉ!)
で、その古い套路というのは、どんな套路だったんですか?
の ら:それはね、まるで陳清萍が創った、代理架や騰梛架のような動きだったのよ!!
猛王烈:え”えええぇ〜っっっ────────────!!
の ら:驚いたみたいね?(「え」が濁音になってるニ・・)
猛王烈:驚きますよ!、オレなんか、小架と言えば陳伯祥、陳立靖、陳瑞華などの各老師、あるいは日本在住の陳沛山先生などがすぐに頭に浮かんできますけど、そこに趙堡系の雰囲気なんかはカケラも見られなかったスよ・・・
の ら:けれども、陳子明の父・陳復元は陳仲生(陳鑫の父)に小架と大槍を学び、陳耕耘(陳長興の子)からは老架と春秋大刀を、そして陳清萍には趙堡を学んだのよ。
息子の陳子明は幼少期から家伝の拳術を学び、十数歳の頃から陳鑫に学んだというから、はじめに身体に染み込んだ套路には、陳清萍の太極拳の占める割合が三割以上はあったと言うことよね。
猛王烈:うわぁ、歴史ってスゴイんスね。それじゃ陳子明先生の『陳氏世傳太極拳術』の中身には、陳復元と陳有本と陳清萍の套路がミックスして入っているってコトなんですか?
の ら:そのとおり。それらを統合して創られた独自の拳と言えるでしょうね。
その拳架は「引蒙入路」、入門に導く套路と呼ばれているの。そこには陳氏太極拳の精髄がそこかしこにちりばめられているというワケね。
猛王烈:なるほどなぁ。師父が散手であれだけ繊細に動けるのは、そんな複合的な套路をずっと訓練して来られたからなのかも知れないっスね。
の ら:そうね。そして、さらにそれが玄門に伝わることで、実際に軍隊で使われるほどのレベルにまで高められ、武術としてより実戦的な構造になっていったのだと思うわ。
猛王烈:構造?・・・ああ、また「構造」が出てきましたね!!
の ら:纏絲勁は、「纏絲の構造」と言い換えれば、もっと分かり易くなるでしょう?
纏絲の構造
猛王烈:纏絲の構造・・・・うわぁ、何だかものすごく新鮮な響きっスね!!
この螺旋シリーズの「その3」でも、運動と構造の違いについて語られていたけれど、オレは纏絲勁というのが「運動」や「チカラ」のことだとばかり思っていましたね。纏絲勁とはいったいどう ”動かす” のか、どうやって、どんなふうに ”動かして” 力を発するのだろうかって・・・
の ら:よく陳家太極拳の入門書などには、「纏絲勁は螺旋のネジリをともなった動き」であり、「それによって働く力を纏絲勁という」などと定義されているわね────────
猛王烈:日本じゃ、そういう考え方が「纏絲勁とは何か」をイメージする代表的なものになった、という感じがしますけど。
の ら:そうでしょうね。でもそれは多分日本だけじゃなくて、今の中国でも、そういう認識が大部分を占めてきているんじゃないかしら。ある本には、こうも書かれているわ・・・
『纏絲は、ただ手のみをねじるものではなく、足・膝・腿・体などが協調して行われるものであり、纏絲によって強大な力(勁)が十分に発揮できるのである』
猛王烈:・・ってコトはつまり、手だけじゃなくて体ごと協調してヒネル、ネジル。それが纏絲であり、それによって強い勁力が出る、という意味なんでしょうか?
の ら:そう解釈できるわね。つまり一般的には、纏絲勁は基本的に「ヒネル」「ネジル」ものと考えられている、ということになるのかしらね。
猛王烈:それを体中で協調して行うと、モーレツな纏絲勁の発勁になる、と?
の ら:まあ、普通にはそう信じられているんでしょうね。
猛王烈:でも、ウチの師父の発勁は、体をヒネってもいないし、ネジってもいない・・・
の ら:そういうコトよね・・
猛王烈:つぅーことは、つまり・・・・
の ら:そう、つまり、それは・・・?
猛王烈:つまり、それは───────────────
” ウ チ の 師 父 が 全 面 的 に 間 違 っ て い る ” ・・・と!!
の ら:ブゥワァアアアアッシィイイイ〜〜ッッッッッッ────────!!
猛王烈:痛(つ)ううううっっ!!(ま、またしてもモーレツなケイが・・)
の ら:アホか!、弟子のクセに、オドレの師匠が信じられンで、どオするンじゃいっ!!
猛王烈:ひ、ひぃっ、す、すンません、つ、つい・・・・
でも、「螺旋の構造・その3」以来、それが疑問で仕方ないんスよ。そこからパラレルとかスパイラルなんて、スキーのターンみたいな話になって、いくらハイハイをしても分からなかったんですよぉ。「新タイ爺歩き」なんか、ますます混乱するばかりだったし────────
(のらさん、今度は広島弁じゃけぇ・・いびせえ(怖い)のォ・・)
(つづく)
コメント一覧
1. Posted by 円山玄花 2014年03月12日 23:48
今回はいつになくヒネリの効いたキョーレツな記事ですね。
こうなると、もうブログのレベルではないような気もします。
「太極拳」という名前を出していながら、相手を脚力と腕力で思いっきり押し飛ばしていたりする映像などが散見されるのも、やはり纏絲勁が何であるのかを分かっていない故なのだと思います。
かく言う私も、太極拳を学んでいながら、「陰陽」についてボンヤリとしか考えていなかったことに気がつき、愕然としたことがあります。自分は一体、何をせっせと毎日稽古していたのかと思いましたね。
小さな人でも、身体をきちんと整えられれば、2〜3倍大きな人を相手に影響を及ぼすことが出来る太極拳。その核とも言える纏絲について、今後どのような対談が続けられるのでしょうか。
次回も楽しみにしています。
こうなると、もうブログのレベルではないような気もします。
「太極拳」という名前を出していながら、相手を脚力と腕力で思いっきり押し飛ばしていたりする映像などが散見されるのも、やはり纏絲勁が何であるのかを分かっていない故なのだと思います。
かく言う私も、太極拳を学んでいながら、「陰陽」についてボンヤリとしか考えていなかったことに気がつき、愕然としたことがあります。自分は一体、何をせっせと毎日稽古していたのかと思いましたね。
小さな人でも、身体をきちんと整えられれば、2〜3倍大きな人を相手に影響を及ぼすことが出来る太極拳。その核とも言える纏絲について、今後どのような対談が続けられるのでしょうか。
次回も楽しみにしています。
2. Posted by 太郎冠者 2014年03月13日 00:08
関係ないですがテンシといえば、聖書においては神の名のもとに人間に裁きを与える荒くれ者(失礼)の集まりですからねぇ・・・。
道場で人が飛ばされてる様子を見ると、さしずめ羽が生えてしまったか、あるいはこの惑星の生き物ではないのでは? と思わせるような動きをしますから、あながち無関係ではないのかもしれません(笑)
それはともかく、
>” ウ チ の 師 父 が 全 面 的 に 間 違 っ て い る ” ・・・と!!
ほう。。そういう見方もありますか。
しかし不思議なのは、師父のみならず、指導を受けた一般の門人が、その場で即、力を使わずに相手を制することができるようになるということ。
もし師父が間違っているのなら、その「結果」も間違っているということになり、であれば我々はその結果をどうやって解釈すればいいのでしょうねぇ。
そして、長い時間をかけて何を稽古しているのでしょうね・・・?
道場で人が飛ばされてる様子を見ると、さしずめ羽が生えてしまったか、あるいはこの惑星の生き物ではないのでは? と思わせるような動きをしますから、あながち無関係ではないのかもしれません(笑)
それはともかく、
>” ウ チ の 師 父 が 全 面 的 に 間 違 っ て い る ” ・・・と!!
ほう。。そういう見方もありますか。
しかし不思議なのは、師父のみならず、指導を受けた一般の門人が、その場で即、力を使わずに相手を制することができるようになるということ。
もし師父が間違っているのなら、その「結果」も間違っているということになり、であれば我々はその結果をどうやって解釈すればいいのでしょうねぇ。
そして、長い時間をかけて何を稽古しているのでしょうね・・・?
3. Posted by とび猿 2014年03月13日 07:21
凄いシリーズが始まりましたね。
纏絲勁について、巷にあふれる記事の中で私が見たことがあるものは、
やはり、「ヒネル」「ネジル」ようなものばかりであり、
構造という視点から述べられているものはなかったように記憶しています。
続きを楽しみにしています。
纏絲勁について、巷にあふれる記事の中で私が見たことがあるものは、
やはり、「ヒネル」「ネジル」ようなものばかりであり、
構造という視点から述べられているものはなかったように記憶しています。
続きを楽しみにしています。
4. Posted by マルコビッチ 2014年03月13日 15:10
久しぶりに、のらさんと猛くんの掛け合い!めっちゃおもしろいですぅ。
でも、このめっちゃおもしろい掛け合いの中に、何度も読み返してしまうようなことが・・・”歩くアイキョー”なんて上手いこと言うなぁ・・と大きな口を開けて笑っていたら、その口を開けたまま止まってしまうような感じです。
私は武藝館での太極拳しか知らないですが、初めの基本の時に、まわさない、ひねらない、ねじらないと教わりますので、ヒネル、ネジルことからテンシ勁が生まれてくるなんて信じられません。
しかし、これを読んでいると自分の勉強不足を思い知らされます。
猛くんがのらさんにビンタを喰らうたび、私もパソコンの前で小さくなってしまいました。
ありがとうございました。しっかり学んでいきます。
でも、このめっちゃおもしろい掛け合いの中に、何度も読み返してしまうようなことが・・・”歩くアイキョー”なんて上手いこと言うなぁ・・と大きな口を開けて笑っていたら、その口を開けたまま止まってしまうような感じです。
私は武藝館での太極拳しか知らないですが、初めの基本の時に、まわさない、ひねらない、ねじらないと教わりますので、ヒネル、ネジルことからテンシ勁が生まれてくるなんて信じられません。
しかし、これを読んでいると自分の勉強不足を思い知らされます。
猛くんがのらさんにビンタを喰らうたび、私もパソコンの前で小さくなってしまいました。
ありがとうございました。しっかり学んでいきます。
5. Posted by bamboo 2014年03月13日 20:49
纏絲の構造ですか…ついに始まりましたね…。
過去数年分を読み返してみると、いかにとんでもない内容かが実感されますね(もうアレしか残らないじぁないですか…!)と^^;
ネ〜チャン、ナイスガイ… 少なくともここまでは許される範囲なのですね^^; わたしも踏み込める功夫がほしいです(笑)
過去数年分を読み返してみると、いかにとんでもない内容かが実感されますね(もうアレしか残らないじぁないですか…!)と^^;
ネ〜チャン、ナイスガイ… 少なくともここまでは許される範囲なのですね^^; わたしも踏み込める功夫がほしいです(笑)
6. Posted by まっつ 2014年03月14日 00:03
>まだ纏絲勁が実際に体に現れてこない状態・・・
纏絲勁が「現れてくる」という表現がとても象徴的です。
この表現からは、纏絲勁自体がそれをなす主体から離れて、
独立している事を示唆しているようです。
つまり、纏絲勁には解釈の余地が無い明確な定義がある・・・
という事でしょうか。
師父と対練をさせて頂くと、
続けて何度も同じ崩し方を示して頂く事があります。
百発百中で同じ現象が再現できるという事は、
明確な理路がなくては適わない事です。
太極拳を修めるには、
先ず「理解」こそが必要なのだと、つくづくと思います。
纏絲勁が「現れてくる」という表現がとても象徴的です。
この表現からは、纏絲勁自体がそれをなす主体から離れて、
独立している事を示唆しているようです。
つまり、纏絲勁には解釈の余地が無い明確な定義がある・・・
という事でしょうか。
師父と対練をさせて頂くと、
続けて何度も同じ崩し方を示して頂く事があります。
百発百中で同じ現象が再現できるという事は、
明確な理路がなくては適わない事です。
太極拳を修めるには、
先ず「理解」こそが必要なのだと、つくづくと思います。
7. Posted by のら 2014年03月20日 17:06
☆玄花さん
次回はもっとヒネリを効かせて、
そして、「その疾きこと空勁の如し」と言われるようにしたいです。
(いつも原稿アップが大幅に遅れるので・・汗)
次回はもっとヒネリを効かせて、
そして、「その疾きこと空勁の如し」と言われるようにしたいです。
(いつも原稿アップが大幅に遅れるので・・汗)
8. Posted by のら 2014年03月20日 17:06
☆太郎冠者さん
>テンシと言えば・・・
「人が飛ぶ」という現象は、ウチの道場ではごく当たり前の事になってしまっていますが、
やはりこれはフツーのコトではないのでしょうね。
やはり、纏絲勁を ”マイケル”(マイケル=大天使ミカエル/Michaelの英語読み)
と言って憚らない、ウチの師匠のユーモアに付いていけないと、纏絲勁は学べないっ!!
・・のだと思います。(^_^;)
>テンシと言えば・・・
「人が飛ぶ」という現象は、ウチの道場ではごく当たり前の事になってしまっていますが、
やはりこれはフツーのコトではないのでしょうね。
やはり、纏絲勁を ”マイケル”(マイケル=大天使ミカエル/Michaelの英語読み)
と言って憚らない、ウチの師匠のユーモアに付いていけないと、纏絲勁は学べないっ!!
・・のだと思います。(^_^;)
9. Posted by のら 2014年03月20日 17:07
☆とび猿さん
>凄いシリーズが始まりましたね・・
うっ・・あと一回で終わろうと思ったのに、
そう言われると、終わることが出来ないじゃないですか・・(^_^;)
>凄いシリーズが始まりましたね・・
うっ・・あと一回で終わろうと思ったのに、
そう言われると、終わることが出来ないじゃないですか・・(^_^;)
10. Posted by のら 2014年03月20日 17:07
☆マルコビッチさん
ある門人が入門してきたときに、師父が、
その、必ず基本で指導される、「まわさない」「ひねらない」「ねじらない」を、
「ひねらない」「めだたない」「におわない」・・と言われたことあります。
その人はしばらく「ぽかーん」としていましたが、
「あはは、冗談だよ、ジョーダン、ひねってるとサロンパスを貼るコトになるからね!」
と、仰って・・・・
やはり、ウチの師匠のユーモアに付いていけないと、纏絲勁は学べないっ!!
・・のだと思います。(^_^;)
ある門人が入門してきたときに、師父が、
その、必ず基本で指導される、「まわさない」「ひねらない」「ねじらない」を、
「ひねらない」「めだたない」「におわない」・・と言われたことあります。
その人はしばらく「ぽかーん」としていましたが、
「あはは、冗談だよ、ジョーダン、ひねってるとサロンパスを貼るコトになるからね!」
と、仰って・・・・
やはり、ウチの師匠のユーモアに付いていけないと、纏絲勁は学べないっ!!
・・のだと思います。(^_^;)
11. Posted by のら 2014年03月20日 17:08
☆ bamboo さん
>少なくともここまでは許される範囲なのですね・・
いやいや、本当は範囲なんかなくて、
師父の冗談は無間地獄、ぢゃない、無限宇宙空間に広がっていきますからね。
私たちもケチケチとリミットを持つようなことはしてはイカンと・・はい。
やはり、ウチの師匠のユーモアに付いていけないと、纏絲勁は学べないっ!!
・・のだと思います。(^_^;)
>少なくともここまでは許される範囲なのですね・・
いやいや、本当は範囲なんかなくて、
師父の冗談は無間地獄、ぢゃない、無限宇宙空間に広がっていきますからね。
私たちもケチケチとリミットを持つようなことはしてはイカンと・・はい。
やはり、ウチの師匠のユーモアに付いていけないと、纏絲勁は学べないっ!!
・・のだと思います。(^_^;)
12. Posted by のら 2014年03月20日 17:09
☆まっつさん
>つまり、纏絲勁には解釈の余地が無い明確な定義がある・・・
>百発百中で同じ現象が再現できるということは・・・
ぬぬっ、なにを仰る、ウサギさんっっ!!
ス、スルドイゴシテキっ・・・(^_^;)
>つまり、纏絲勁には解釈の余地が無い明確な定義がある・・・
>百発百中で同じ現象が再現できるということは・・・
ぬぬっ、なにを仰る、ウサギさんっっ!!
ス、スルドイゴシテキっ・・・(^_^;)
13. Posted by ユーカリ 2014年03月23日 10:38
コメントが大変遅くなり、申し訳ありません。
自分がいかに怠慢で、自分の在り方や考え方が、いかに利己的で平面的・断片的であったかを省み、また、その状態では習得など、できるわけはない、と思いました。
太極拳が、繊細で複合的であり、師父が、それを習得するために、考え方・立ち方から始まり、実にシステマチックな学習体系を稽古だけでなく、ホームページでも文字にしてまで、細やかに伝授してくださっていることを、自分の狭い狭い、針の穴ほどのいや、針の先程の視野の中で処理しようなど、何と傲慢でおバカな事をしようとしていたのだろう、と思いました。
そもそも、示して頂いているところではない場所に自分は立っていました。
自分がいかに怠慢で、自分の在り方や考え方が、いかに利己的で平面的・断片的であったかを省み、また、その状態では習得など、できるわけはない、と思いました。
太極拳が、繊細で複合的であり、師父が、それを習得するために、考え方・立ち方から始まり、実にシステマチックな学習体系を稽古だけでなく、ホームページでも文字にしてまで、細やかに伝授してくださっていることを、自分の狭い狭い、針の穴ほどのいや、針の先程の視野の中で処理しようなど、何と傲慢でおバカな事をしようとしていたのだろう、と思いました。
そもそも、示して頂いているところではない場所に自分は立っていました。
14. Posted by のら 2014年03月27日 21:14
☆ユーカリさん
稽古では、「こうでなければ、まともな太極拳(人間)とは言えない」
というところが示されているのではなくて、
「人は物事をこのように考え、このように捉えてしまいがちである」と示された上で、
「だから、このように考えれば、物事はスムースにはこび、大きな成長も可能になる」と、
指導されているのだと思います。
もし、教えられ、示されていることの中身を捉え違えてしまうと、
私たちはもっと、ジャングルの中で道に迷ってしまうことでしょう。
「道に迷ったら、できるだけ高いところに行け」という格言があります。
つまり、そのような「高み」では、全体が見渡せるので、
自分がどこで迷い、どこへ行こうとしていたのかがよく分かる、
ということなのかも知れません。
太極拳の「立ち方」ひとつをとっても、
そこでは、私たちが「どう立てば良いのか」が示されているのではなくて、
「どう立っているのか」「どう立ちたがっているのか」を自分で理解するための、
「高み」から見渡せるような「考え方」を示されているのだと思います。
稽古では、「こうでなければ、まともな太極拳(人間)とは言えない」
というところが示されているのではなくて、
「人は物事をこのように考え、このように捉えてしまいがちである」と示された上で、
「だから、このように考えれば、物事はスムースにはこび、大きな成長も可能になる」と、
指導されているのだと思います。
もし、教えられ、示されていることの中身を捉え違えてしまうと、
私たちはもっと、ジャングルの中で道に迷ってしまうことでしょう。
「道に迷ったら、できるだけ高いところに行け」という格言があります。
つまり、そのような「高み」では、全体が見渡せるので、
自分がどこで迷い、どこへ行こうとしていたのかがよく分かる、
ということなのかも知れません。
太極拳の「立ち方」ひとつをとっても、
そこでは、私たちが「どう立てば良いのか」が示されているのではなくて、
「どう立っているのか」「どう立ちたがっているのか」を自分で理解するための、
「高み」から見渡せるような「考え方」を示されているのだと思います。
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