2014年03月01日

連載小説「龍の道」 第128回




 第128回 春  陽 (はるひ)(1)



 高校三年生の冬が過ぎようとしていた。

 初めは高度な武術を修得したいという、ただそれだけの望みで師に就いたのであったが、師と関わる人たちがすべて、世間一般とは懸け離れた立場にあったために、当然のこととして、自分が置かれたところは凡常とはまるで縁のないものとなった。
 いや、それは決して王老師や張大人、陳中尉や宗少尉に限らない。日本文化や伝統の古武術を教授してくれたK先生や父の光興(みつおき)までが、実はその人たちと浅からぬ因縁で繋がっていたのである。

 そして、その縁を感じ始めた途端に起こり続けてきた様々なこと────────
 まだ年端も行かぬ高校生だというのに、台湾に渡航してから今日までに経てきたことは、普通の人が一生掛かっても経験できないような内容に違いない。
 けれども、その普通では有り得ない危険で目まぐるしい非現実的な時間に、宏隆は途方もない充足を感じられるのだ。

 これはもう、自分に与えられた運命というしかない────────

 宏隆はそう思った。それを悔やんでもいないし、苦痛にも負担にも思っていない。
 むしろ自分がその人たちの中で武芸の奥妙を追求しながら、その人たちと共に行動することで、それが結果的に何らかの形でこの社会の役に立っていくのだと、直感的に信じられるのであった。



「まだこんなに寒いのに、どうして新春なんていうのかしら────────」

 寒そうに、カシミアのコートの襟を立てながら珠乃が言った。

「春の気配なんか、何処にもあるように思えないわ」
 
 確かに、外灯の点り始めた北野の路を二人で歩いていると、ついこのあいだ ”新春” を祝ったばかりとは思えないような、体の芯から凍えてしまいそうな寒さが感じられる。
 もちろん珠乃は ”新春” という言葉の意味ぐらい知っているが、六甲颪(ろっこうおろし)の冷たい北風が真っ直ぐに吹き下ろしてくると、ついそう愚痴りたくなってくる。

「だって、みんなが年賀状に ”寒中お見舞い申し上げます” なんて書いたら、まるで日本中が喪中みたいじゃないか」

 宏隆も、ユーモアを交えてそれに答える。

「あはは、上手いこと言うわね────────」

「中国や台湾じゃ ”春節” と言って、今でも旧暦の正月を祝っているけどね」

 宏隆も、手をコートのポケットに突っ込んでいる。
 坂の多い神戸では、東西に延びる道は平坦で歩きやすい。今の新神戸駅がある布引(ぬのびき)から三本松のお不動様を過ぎて、異人館を左右に観ながらゆるゆるとくねって諏訪山の方に続く北野の路は夜でも良い散歩道だ。この路では交番までが洒落た煉瓦作りになっている。


「そう言えば、南京町の春節祭はもうじき、今月の末から2月の始めごろだったわね。
でも旧暦の新春にしたって、すごく寒いことには変わりはないわ。ああ、寒い・・!」

「でも、中国じゃ漢の武帝以前は元旦の日付がまちまちで、統一されていなかったんだよ。
 夏(か)という王朝では立春を年の初めとしていたし、殷(いん)では冬至から一ヶ月後が正月だった。周(しゅう)では冬至が年初とされ、始皇帝の秦(しん)になると、十月を端月(たんげつ)としたというから、各王朝ごとに正月が違っていたってことになるね」

「端月?・・どうして正月とは言わないの?」

「秦の始皇帝の諱(いみな)である ”政(zheng)” が正月の ”正” の字と同じ発音なので、 瑞という字に改めたんだよ。畏れ多くもカシコクも〜、ってことなんだろうね」

「まあっ、なんて傲慢なんでしょう!」

「あはは、仕方ないよ。何てったって二千年に及ぶ中国皇帝の先駆者なんだから」

「 ”中国” という国号は、まるで歴代王朝をひと括りにしたようなイメージがあるけれど、実際には 1912年(日本の大正元年)に中華民国が建国されるまで、支那には国家という概念はどこにも無かった────────って、宏隆が教えてくれたわね」

「ああ、宗少尉からの受け売りだけどね。支那ではクニは王朝の周辺に存在していて、朝廷から国王に封じられた者を長としたんだ。つまり政治支配はあれど国家なし、支那には王朝はあっても国家は存在しなかった。国は王朝に隷属するものだったというわけだよ。
 周、唐、宋、元、明、清・・そういった名称は王朝を表すもので、国家の名前じゃない。各王朝は、それぞれみんな異なる民族だから当然と言えるし、秦の始皇帝が即位した時から清朝のラストエンペラーまで、2,100年間に漢民族以外の民族が支配していた期間は、全体の75%にも当たるからね」

「うわぁ、そうなんだ────────何だか全然中国のイメージが違ってくるわね。
 近ごろよく ”中国何千年の歴史” なんていうフレーズを耳にするようになったけれど、決して漢民族主体の統一された歴史ではないのね。宏隆の話を聞いていると、学校で習った事と実際の歴史とは、まったく違っているような気がしてくるわ」

「その ”歴史” という言葉も、明治時代に英語の ”ヒストリー” の和訳として日本人が考えた言葉なんだよ。それを日清戦争の後に、清から日本に来た留学生が支那に伝えたってワケ」

「えっ、そうだったの────────?」

「現代中国語の70%は、実は日本人が作った漢字の組み合わせで出来ているんだよ」

「ええっ?・・そう言われても、ちょっと俄(にわか)には信じられないわね!」

「でも、生粋の支那人の宗少尉がそう言うんだから間違いないよ。それに、それまでの中国には ”歴史を学ぶ” という概念自体が存在しなかったと言っていい。そこには歴代王朝の皇帝の事績や、王朝の正統性を記した ”証明書” が存在しただけ。その証明書を最初に作った人物が、かの司馬遷(しばせん)という人、ってことだよね」

「あの ”史記” を書いた人ね─────────宏隆もずいぶん歴史に詳しくなったわね。それも宗少尉のおかげかしら?」

「そりゃそうだよ、中国の歴史は、何てったって支那人に聞くのが一番だからね。ボクもインテリジェンスの講義でずいぶん勉強させてもらったよ」
                (編註:詳しくは「龍の道 第92〜102回」を参照)

「ふぅ〜ん、宏隆は宗さんといつも仲が良いのね────────」

「仲が良いって・・・ボクにとってあの人は優れた先輩で、ウチは家族ぐるみで付き合っているし、まあ、姉みたいなものだけどね」

「ま、いいか・・そうそう、中国の歴史も大事だけれど、宏隆の歴史はどうなるの?」

「ぼくの歴史────────?」

「そうよ。”人に歴史あり” じゃないけれど、お互いもう高校生活の終わりでしょ。もうすぐ卒業、その後はどうするのか、これからの事をちっとも話してくれないんだから・・」
 (編註:『人に歴史あり』は、名アナウンサー八木治郎が各界著名人へのインタビューで綴った人気テレビ番組。1968~1981年)

「・・あ、そうか。そんなこともボチボチ話さなきゃいけないね」

「ぼちぼちって、遅いくらいでしょ?、もう、暢気なんだから!」


 今の新神戸駅がある布引の交差点あたりから、俗に異人館通りと呼ばれる洋館の並んだ山沿いの路を二人で歩いてきて、風見鶏の館が見える坂路を海に向かって下りて行く。
 さっき外灯が点り始めたばかりなのに、もう辺りはすっかり暗くなって、坂の下に広がる街の灯りが星屑をちりばめたように輝き始めている。

 やがて右手に、赤煉瓦の壁に蔦の絡まる、いかにも神戸らしい瀟洒で閑かな佇まいのカフェが見えてきた。

「寒いから、そこのカフェに入ろうか」

「いいけど───────ここって、にしむら珈琲じゃないの?」

「そうだよ」

「そうだよって・・北野坂のにしむらは会員制で、特別な人しか入れないって聞いたわ」

「ああ、ボクは入れるから、大丈夫だよ」

「まあ、呆れた・・やっぱり宏隆は、どこへ行っても御曹司なのね!」

「ははは、自分が希むと希まざるに関わりなく、ね。所詮は親の七光り、これはボクの実力じゃないってことは百も承知しているけれど────────でも、暖炉があるから、こんな寒い日にはうってつけの店じゃないか」

 以前にも触れた、神戸の喫茶店の王道「にしむら珈琲店」である。
 中山手(なかやまて)通りにある本店は、1948年の創業以来、日本で初めて自家焙煎のストレート珈琲を提供した店として知られる。珈琲通が文句なしに認める厳選された第一級の豆を自家焙煎し、毎日汲みたての宮水(みやみず)を使って一杯ずつネルドリップで落とす味わいは、日本の珈琲文化を確立した店と言って良い。

 ここ北野坂店は、創業者の自宅を改装して作られた日本初の会員制喫茶店として1974年にオープンし、以後約二十年間、各界の著名人たちが集う特別なサロンとして日本中の珈琲ファンの羨望の的となった。また二階は「シェ・ラ・メールにしむら」というフレンチレストランとして多くの美食家に愛された。

 なお、北野坂店は1995年の神戸の大震災を機に、会員制を廃止して一般の人にも開放されるようになった。一般開放で全体の雰囲気が変わったことは否めないが、二階にはフレンチレストランも残り、誰もが手軽に往時のサロンを偲ぶことができる。


「これは加藤さま、ようこそいらっしゃいました!」

「こんばんは、いつも突然ですみません」

「いえいえ、お寒いなかをようこそ。今日はお食事ですか?」

「いえ、散歩をしていたらちょっと寒くなったので、寄らせてもらいました」

「では、どうぞこちらへ──────コートをお預かりいたしましょう」

 暖炉のすぐ側の席に案内され、先に珠乃を奧の方の席へと誘(いざな)う。
 ケンカの若大将とまで呼ばれた、一途に武芸を志す高校生ではあっても、家格のある厳格な家風に生まれ育ったので、紳士としてのマナーは心得ている。
 宏隆にしてみればそれは女性に対する思い遣りであって、間違っても気障な小道具としての浮薄なマナーではなかった。

「ありがとう────────」

 心が蕩(とろ)けてしまうような笑顔で、珠乃がそれに応える。

 その笑顔に接すると、宏隆はどんな時でも心の底から安らぎ、寛ぐことができる。
 若い娘によくあるような、はにかんだり科(しな)を作ったりしたものではない。それは純粋に珠乃自身の魂の奥底から出て来る、他人を敬い、思い遣る心から滲み出てくる本当の優しさであり、本当の笑顔なのだと、いつも宏隆は思った。

 珠乃の家は格別に裕福でもなければ、父親が会社の経営者や重役というわけでもない。
国玉通りの自宅は立派な洋館造りではあるが、界隈で目を惹くような豪壮な屋敷でもない。つまり神戸の山手では珍しくない、日々の生活に偓促(あくせく)することのない、ゆとりある暮らしを閑かに営む中流階級の家庭と言って良い。

 また、前にも書いたが、珠乃の出自は滋賀の旧家の息長(おきなが)氏という、記紀にも多く登場する、とても古い家系である。仲哀天皇(日本武尊の第二子)が急死したために、お腹の中に後の応神天皇である皇子を宿したまま、自ら玄界灘を渡って新羅を攻めたと言う息長帯比売(おきながたらしひめ=神功皇后)も、同じ一族であった。

 その同じ血液を、千八百年経った今でもどこかに宿している所為(せい)だろうか、誰もが心和まされるその優しさの奧深くには、かつて護国神社の裏で宏隆と共に襲われた時のように、庭箒(にわぼうき)一本で不良どもに敢然と立ち向かい、叩きのめして追い払ってしまえるような、ただの現代女性とは到底思えない胆力と不屈の気概がある。

 宏隆は、そんな珠乃と幼馴染みであり、家ぐるみで付き合ってきた。
 これもまた、何かの深い縁────────特に近ごろはつくづくそう思えてくる。


「ああ、暖かい──────────────」

 有田焼の白い珈琲カップを手で包みながら、珠乃が言う。

「火って、見飽きないわね。いつまでも見ていられる───────────」

 ぽつりとそう言って、揺れる炎を見つめている珠乃に、宏隆は見入っていた。
 ゆらゆらと踊る火が珠乃の頬を紅く染めて、ふだん全く気付かなかった珠乃の美しさを有り有りと映し出していた。

「どうしたの──────────?」

 ふと、宏隆の視線に気付いたが、

「い、いや・・・・」

「え・・?」

「ごめん、その・・綺麗だったから────────」

「・・なにが?」

「お、お前が・・・た、珠乃が、すごく綺麗だったから」

「まあ・・・・」

 映った火の紅さにも増して、珠乃が頬を赤らめた。


                              (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第129回の掲載は、3月15日(土)の予定です

noriko630 at 23:23コメント(14)連載小説:龍の道 | *第121回 〜 第130回 

コメント一覧

1. Posted by 太郎冠者   2014年03月05日 00:55
な、ななな・・・、なんですかこの甘酸っぱい空気は!

やはり死線を潜った男は格好いい、ということですか!
自分のダラダラした甘酸っぱいどころかしょっぱい、
ほろ苦いというよりただ苦い青春を思い出すと・・・はぁ。

(気を取り直して)日本人のように、先祖代々祓い禊を行ってきた民族はまずいないでしょうね。
稽古中に師父からもそういった興味深いお話がありました。

まるでナンセンスで前時代的にも思われかねない冷水を浴びるなどの行為も、科学的に見て、脳の排熱を促して能力を向上させるという意味がある、という話を読んだことがあります。
コンピュータは熱には弱いですからね。脳という高性能生体コンピュータなら、言わずもがなです。
 
2. Posted by 円山玄花   2014年03月05日 01:47
今回の『龍の道』は、テロから一変してほのぼのしますね。
人の歴史も、世界の歴史も、最初は小さな各々の「縁」の繋がりによって、徐々に太く長く紡がれてゆくのだということを強く感じました。
そして、その「歴史」という言葉も日本人が考えた言葉だとは驚きです。

そういえば、自分の歴史など考えたこともありませんでした。
これを機会に、少し考えてみようと思います。
 
3. Posted by ユーカリ   2014年03月05日 05:16
暖炉の炎を見つめる珠乃さんに、思った通りを口にした宏隆君に、思わず拍手を送ってしまいました。
あれほどまでに、多くの非現実的な出来事に遭遇し、乗り越えた後だからこそ余計に、心から寛ぎ、彼女を大切な人だと感じ入っているのでしょうね。

今後、二人がどういう道を歩んでゆくのか、気になります。
 
4. Posted by とび猿   2014年03月05日 06:58
宏隆君は、まだ高校生なのですよね。
短い間に沢山のことが目まぐるしく起こり、とてもそうは思えません。
今思い返しても、自分の高校時代はどうだったのだろうか・・・

宏隆君の、自分の身に起こることを一つ一つ受け止め、
己の糧にしていくところ、とても男らしく感じます。
 
5. Posted by まっつ   2014年03月05日 23:57
運命────────
人の物語を俯瞰できる視点があれば、
その存在の確信を得られるのでしょうか。

小生の場合だと、
お陰様で、ようやく立つ事の輪郭は見えてきましたが、
日々、惑い続けています。
はたして天命を知る日に辿り着けるのやら・・・です。
せめて頑固爺様にはならないように、
縁を大事に、「耳順ふ」は心掛けていきたい思います。
 
6. Posted by taka_kasga   2014年03月06日 21:37
☆太郎冠者さん

そうッスねー、
やっぱ、青春の後ろ姿を、ヒトはみな忘れてしまうもンですが、
できれば、あの頃の私に戻って、アナタ〜に会いたい♫・・もンですなぁ。
 
7. Posted by taka_kasga   2014年03月06日 21:38
☆ユーカリさん

男女の出会いや運命というのは本当に不思議です。
自分のことを振り返っても──────────

「個人」というのは、きっかり「人類の数」だけ存在するのですから、
自分勝手に理想を追求しても、そんなことが起こるワケはない。
太極拳の対練のように、相手と共にきちんと循環しないと、どうにもならないわけですが、
ヒトは皆、自分の都合の良いように世界が回ってほしい、相手にそうしてほしい・・
けれども、それは大抵は失敗し、うまく行かなくなるので、
そもそもそれを選択したのは自分である、という事実さえ忘れて、
「相手が悪い」「自分はひどい目に遭わされた」「貧乏クジを引いた」
・・などと、いうことになります。

愛することと支配すること、心と物との違いさえ、
現代人は分からなくなっているのかも知れません。
 
8. Posted by taka_kasga   2014年03月06日 21:38
☆玄花さん

国の歴史がクニによって作られていくように、
自分の歴史は日々刻々、自分が作っていっているわけですね。

その「歴史」自体まで歪めて、テメェの都合の良いコトばかり言いながら
他国を非難し侵略しようとする中韓の態度はヒジョーに許せんな、と思います。


『中国は平和を愛する国、他国を侵略した事はない。どの国も脅かした事はない』
 
  スイス・ダボスの世界経済フォーラムでの、
  中国工商銀行 姜建清 会長(61)の発言です。
  会議場では各国の政治家、国際機関、学者たちの失笑の渦が湧き起こりました。

『海軍は周辺国に挑発的行為を取ったことは無い』

  シンガポールの「アジア安保会議」における、
  中国人民解放軍 副総参謀長 戚建国 中将(61)の発言です
  さすがにフィリピンの国防相が怒って反論しました。
  『南シナ海で実際に起こっている現実と全く違う!!』
 
9. Posted by taka_kasga   2014年03月06日 21:38
☆とび猿さん

現代では、「男らしく」などという言葉が死語になりつつある(なった?)らしく、
若い人に「もっと男らしくしろ」などと言っても、キョトンと首を傾げられます。

ひどい時代になったなぁ、と思いますね。
 
10. Posted by taka_kasga   2014年03月06日 21:39
☆まっつさん

運命というものが存在するかどうかは分かりませんが、
何かを運命(天命)だと感じることはよくあります。

ジャングルで道に迷ったハンターの話を聞いたことがあります。

三日間のあいだ、彼はその密林から抜け出る道を尋ねようにも、誰にも出会えませんでした。
食べる物も無く、彼はだんだん恐慌状態に陥ってきました。
絶えることのない野獣の咆吼の中で、彼は眠れない三日間を過ごし、
蛇や野獣を恐れ、彼は樹の上で座ったままウトウトしていました。

四日目の朝早く、彼はその樹の下に座っている人間を見つけました。
彼は大喜びで樹から飛び降り、その人に駆け寄って抱きしめると、こう言いました。

「ああ、嬉しい、やっと人間に出会えた!」

すると、相手も彼を強く抱きしめ返して、こう言いました。

「ああ、本当に、本当に嬉しいよ!!」

二人は途方もない幸せに、躍り上がって喜びました。

けれども、しばらくして、ふと彼らはお互いに訊ね合いました。

「ちょっと待って下さい、あなたは何がそんなに嬉しいのですか?」

樹の上から下りてきた男が言いました、

「私はこの密林で道に迷ってしまい、誰かに出会えたらと願っていたのです」

すると、樹の下に座っていた人が言いました、

「私も道に迷ってしまって、誰かに出会えたらと思っていたんです
 でも、あなたも道に迷っているのだとしたら・・・
 だとしたら、この喜びには何の意味もない────────
 私たちは、二人とも道に迷っているんですよ!!」
 
11. Posted by マルコビッチ   2014年03月07日 00:41
コメントが遅くなってすみません。

高校生でありながら、普通の人では経験できないような様々な事を、短期間で経験した宏隆くん。
こんな事になるなんて予想もしていなかったに違いありません。
家計や仕事は計画できても、人生を計画することは出来ないでしょう。
たとえ計画してもその通りになるとは思えません。
計画した人生を外さないように生きるとしたら、それはまるで立つ位置を決めて固定するようなもののように思います。
計画はしないけど、目的を持って、大事なことは外さずに、来る物事を見極め関わっていく。
それは従って流されるのではなく、まるで武藝館で行っている対練のように関わり、意識をもって生きていくこと。
宏隆くんのこの夏の経験を考えたら、人生をこのように考えてしまいました。
そして、この経験はきっと彼の人生の歴史に大きな1ページになるのでしょうね。

珠乃さんとの行く末は? 宏隆くんのこれからは?
楽しみにしています。
 
12. Posted by taka_kasga   2014年03月07日 17:24
☆マルコビッチさん

今回の物語に出てきた「人に歴史あり」のテーマ曲を作曲した人は、映画監督の木下恵介の弟、
木下忠司さんで、あの水戸黄門の主題曲「ああ人生に涙あり」を作った人でもあります。
そう、♫ ジーンセイ楽ありゃ、苦もあるサ、ってヤツですね。
同じ作曲家が同じテーマで大ヒットをしたというのは、面白いですね。

百恵ちゃんの「ひと夏の経験」は、フツーの女の子の「誘惑の甘い罠」でしたが、
宏隆くんが王老師と出会ってからの経験は「とんでもないコト」の連続です。
さてハテ、これからどうなりますことやら・・・・
 
13. Posted by bamboo   2014年03月08日 01:18
人生の荒波のなかに訪れるほんのひと時の安らぎを、大切なはずのひと時を大切な人と味わう…。ほんの一瞬の、ほんのわずかな揺らぎや関わりが、運命や人生の行方を大きく左右する。(武術とよく似てる…いや…同じだ…。)いま、そう感じております。
(人の心は繊細だ…どんなに固い決意でも、人生の嵐のなかで訪れる一瞬の安らぎや悲しみに、ほんのわずかでも波が立つものなんだ…。皆同じなんだ…。もっともらしい大義や理屈を並べてはできるかどうかもわからないことに挑む恐怖から逃げてきた自分…「〜しなきゃ」「〜のせいで」「〜さえ無ければ」そんな多くの後ろ向きな言い訳で大切な何かを大切にしてなかったのは俺自身じゃないか…。そんなのもう終わりにしよう…もうブッ壊れて目茶目茶になってもいいから、新しいニンゲンを始めよう…今から…)

稚拙なこの想いを産声とし、童のごとくいつも本気で遊び生きていく私のこれからを以って誠意を表わして参ります…。
まず風呂入って、魯肉飯食べてぐっすり寝ます^^
 
14. Posted by taka_kasga   2014年03月11日 14:57
☆ bamboo さん

大切な人との、大切なひとときは、
たとえほんの一瞬でも、大いなる安らぎを与えてくれますね。

そしてそれは、運命や人生の行方を大きく左右する──────────────

ボクも、本当にそう思います。

魯肉飯かぁ、ウマそうだなぁ・・ハラヘッタ…..ρ(= ̄ε ̄≡ ))
 

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