2014年02月15日

連載小説「龍の道」 第127回




第127回  T E R R O R (8)



「いいだろう─────────────────」

 あっさりそう頷くと、王老師は金縛りに遭ったように座り込んだまま動けずにいる高山に近寄ってポンと肩を叩き、

「さあ、もうこれで自由に動けるはずだ」

 ごく普通のことのように言った。

「うぅーむ・・・・」

 高山は、ようやく呪縛が解けたように起き上がってきて、不思議そうに肩や腕を動かしている。

「どうかね、気分は────────?」

「さっき宗少尉が ”魔法” と言ったが、まんざら冗談とも思えない。あんなふうになったのも不思議だが、それがあっという間に解けてしまうのも不思議だ・・もう何ともない、元どおりに体が動くようになったよ。部下たちも同じように元に戻してやってもらえないか?」

「良いとも────────」

 銃を手にしたまま妙な恰好で転がって呻(うめ)いている部下たちの間を、王老師がスタスタと歩きながらポン、ポンッと肩や背中を叩いて回ると、その順番に、深い溜め息をする者、首や肩を回す者、やがて背伸びをして深呼吸をする者、と・・ようやく不可解な呪縛から開放された安堵の顔が各々に見えはじめる。

 それが無駄だということが本能的に分かるのであろう、王老師に向けた銃は未だ全員の手にあるが、もう誰も再び銃を構えようとはしない。それどころか、高山の命令がないのに、すでに銃をホルスターに仕舞おうとする者まで居る。

「さあ、約束よ。その男を置いて、さっさとPD(警察署)に帰るのね!」

 高山にそう促す宗少尉は、まだ彼らへの戦闘態勢を解いていない。

「分かってるよ。こんな妙な仕事をしているが、オレも男だ、二言はない・・だが、その前にその爺さん、いや、王永斌(おうえいひん)さんに聞きたいことがある」

「ほう、何かな?」

「今の技は─────オレたちをあっという間に動けなくした、その技はいったい何なんだ?、とても人間業とは思えない。もしかして、それが近頃よく耳にする、中国の ”気” だとか言うチカラなのか?」

「気というものを素人に説明するのは少々難しい。太極拳では拳を練ることの主たる内容が運気、つまり気を運ぶことだと言う人もいるが、反対に、別にそんなことをしなくとも充分に太極拳を修められると言い切る人も居る────────────」

「太極拳の話を聞きたいワケじゃない。貴方は、王さんはどうなんだ。たった今オレを無力にさせたその技術は、いわゆる気のチカラの所為(せい)なのか?」

「そうではない──────気それ自体が、人を拘束する力を持つことはない」

「では、何がこのような力を生むのだ?、オレは指一本触れられないまま、こっぴどく拘束され、動けなくさせられた。たった今、生身で体験してもなお信じ難いことなのだ。どうしてそんなことが起こるのか、それを知りたい」

「ふむ・・どうして、それを知りたいのかね?」

「この銃や、自分の学んできた武道の訓練が子供だましに思えるからだ。武器を構えても、指一本向けられるだけでやられてしまうのなら、何を訓練しても始まらない。貴方が敵だったら容易に殺されていたところだ。
 それに、人間が持つチカラには、まだまだ知らないことが沢山あると思えてきた。俺は生まれて初めて、自分が本当はこの世界の事を何も知らず、実は人間について何ひとつ分かっていないのではないかと思えてきたのだ」

「ふむ・・人は己よりも高みに在るものに触れたときに初めて謙虚になる。だから己が高みに居ると思い込んでいる者は傲慢になるしかない。何も武芸に限らず、傲慢な者は、一見高みを目指して頑張っているようにも見えるし、実際に社会的な成果も上げるが、実は本人は自分より低いところばかりを見て生きているのだ。本当の高みを観ることが出来た人間は、その時から謙虚になるより他はない・・傲慢さを維持できるところで生きている者は、まだ ”真の高み” に出会ったことがないのだ」

「利己や傲慢のあるうちは、そのような高度な技藝は修得できない、ということか?」

「学ぶとは受容性を指している。どのような芸術でも学問でも同じことだ。そして、その高みには ”モノ” が無いのだ。物が無いのだから、カネも地位も、肩書きもプライドも無い。
そんなものを目標にしている間は、”高み” にあるものは見つからない──────」

「では、少林寺の坊主になって修行すれば優れたカンフーが身に付くという道理か?」

「いや、出家をして頭を丸めても凡俗は超俗にはならない。世界に名高い日本のサムライ、宮本武蔵は、”神仏は尊し、神仏を恃まず” と言ったが、世の中には利己の成就を神仏に祈る者さえ多い。我欲と成長の区別も付かないのだ。ゆえに、環境を変えさえすれば、そのものになれるわけではない。本人の高度な理解が必要だ。どんな優れた師に就いても、どれほど社会的に成果を上げても、本人の理解が ”高み” に及ばなければモノにはならない」

「モノにならないとは、何にならない、ということだ?」

「人間に、だよ────────」

「・・では、どうすれば良いと?」

「まずは謙虚に、原初の一個の生命に還ること────────────
 そして、何処にいても、何をしても、そこに ”自然の法則” を見出そうとすることだ。
 天の陰陽のエネルギーは、姿を変えて万物を生み出している。物事がカタチを成すところには、必ずそこに天から授かった本来の根元的なエネルギーがある。
 そのエネルギーを、仮に ”気” と呼んでもかまわない。
 気は理を離れず、理は気を離れない。気は理なしでは道理を表すことが出来ず、理は気なくしてはそれを行うことが出来ない──────古の智者はそのように言う。
 そのふたつは互いに互いを必要とし合っている。自然の法則は ”相互依存" なのだ」

「自分を銃で撃とうとしている敵に対しても、相互依存の気持ちで臨む、というのか?・・そうすれば、あのようなチカラが使える、と・・?」

「ははは、それ以上を知りたければ、”法則” を理解した人間の弟子になるしかないな」

「貴方の弟子になれる人が羨ましいな────────」

 王老師の話にじっと耳を傾けている宏隆の方を見て、高山が言った。

「彼は最後の弟子だ。私はこれ以上誰かに教えるつもりはない」

「そうか・・神秘は、やはり神秘として残されるのかもしれないな」

「どのような科学も、哲学も、最後にはそのような神秘に行き着く。すべての学問が行き着くところには神智の領域が待つのだ。だが反対に、神秘から科学は解いて行けない。
 どれほど高度な武術であっても所詮は生身の人間がやることだ。科学的なアプローチなしには、肉体の原理を科学的に解明せずには、決して肉体を超える高みには到達しないのだ」

「なるほど──────良い勉強をさせて貰いました、感謝します」

「うむ・・・」

 王老師に向かって高山が深々と頭を下げ、王老師も優しく頷いた。


 だが、そのとき─────────────────

「主任っ!、ダメですよ、そんな男の口車に乗っては!!」

 いつの間にか密かに後ろに回っていた一人の捜査官が、王老師に向かって銃を構えた。

「よせっ、山住(やまずみ)、俺は約束を守る。もう引き上げるんだ!」

「ふん。台湾の秘密結社ごときに、日本の外事警察がナメられてどうするんだ。さっきは油断して、ついコイツの催眠術に掛かってしまったが、もうその手は喰わない。自分は催眠術に掛けられない方法を知っている──────見ていてください!」

「すぐ銃を下ろして床の上に置きなさい!、そうしないと遠慮なく撃つわよ!!」

 その山住と呼ばれた男が銃を構えたと同時に、反射的に宗少尉と宏隆も、その男に向けて銃を構えていた。

「ふん、お前たちのような非合法組織の奴らが、日本の公安を撃ったらどうなるか、わかってるのか?!・・・邪魔立てをするんなら、お前も撃ってやるぞっ!」

「いい度胸ね。それじゃ、試してみる・・?」

「ちょ、ちょっと待て、宗少尉、待ってくれ・・・い、いま止めさせるから!──────
山住っ、馬鹿な真似はやめるんだ!、それに、この人がやった事は催眠術なんかじゃない。銃をしまえ、収まうんだ!・・・山住っ、これは命令だ!!」

 宗少尉が今にも撃ちそうな状況に、高山が慌てて声を掛ける。

「構わんよ。撃ちたいなら、撃ちなさい。だが、ヤマズミくんとやら、私は催眠術を知らないから、さっきのような訳にはいかないよ。少し覚悟をしてもらおうか・・」

「王老師、危険です、やめてください!」

「王老師─────────────────!!」

「良い機会だな、ヒロタカ・・宗くんも、よく見ていなさい」

「こ、こいつ!、今オレがその化けの皮を剥がしてやるっ!!」

「山住っ・・・う、撃つなっ!!」

「ダァ────────ン!!」

「ああっ──────────!?」

「ズゥ・・・ン・・・」


 その瞬間──────────誰もが自分の目を疑った。

 王老師に銃口を向けた山住という男は、5メートルほど離れたところから王老師に向けて銃彈を放ったが、その引き金を引く寸前に後ろへ仰向けに飛ばされ、勢いよく3メートルも宙を舞った。飛びながら引き金を引いたので銃弾は天井に撃ち込まれ、本人はそのまま後頭部から床に落ち、昏倒したのである。

 これが武術的なチカラの一種なのだとすれば、王老師は山住が引き金を引くよりも早く、彼に何らかの作用を与えていた、と言うことになる。そうでなければ、山住が撃った銃弾の方が先に王老師の体を貫いていたに違いないのだ。

「山住っ、山住っ・・しっかりしろ!・・おい、大丈夫かっ!?」

 公安の仲間が駆け寄って介抱をするが、頭部を強く打って意識はなかなか戻らない。
 高山が、倒れた山住の銃を手から外して取り上げた。

「大丈夫、ただの脳震盪だよ。しばらく静かにしておけば気がつくだろう。だが・・・」

「だが・・・何ですか?」

「高山くん、その男の名前はヤマズミと言ったね。どんな字を書くのか?」

「マウンテンの ”山” に、リヴの ”住む”、という字です」

 手のひらに字を書きながら、王老師に示す。

「ふむ。身元は、確かかな────────?」

「公安警察ですから、身元の調査は万全を期していますが、何か・・?」

「この男が銃口を向けたときに、私への殺意が感じられたのだ」

「それは・・失礼ながら、さっきはこの私も本気で貴方を撃つつもりでしたから」

「いや、高山くんはプライドのために銃を撃とうとしていたが、この男は明らかに私を殺す目的で引き金を引こうとしていた。だから敢えて激しく吹っ飛ばしたのだよ」

「・・ど、どうしてそんな事が分かるんですか?、いくら何でもそれは考え過ぎでしょう」

「聴勁と言ってね、長いこと拳を練っていると、自ずと分かるようになるものなのだ。
 それに、山住という名前は、上下に重ねて書くと ”崔(cui=ツイ)” という字になる。
 崔は朝鮮人の名前だが、その字を山と住のふたつに分けて作った日本名とも考えられる。無論、山住という名が全てそうだと言うわけではないが───────朝鮮の工作員は日本の警察や自衛隊関係にも多く入り込んでいるという噂を聞く。もう一度、きちんとこの男の身元を洗った方が良い」

「わかりました。念のため、山住の身辺調査をやり直してみます」

「高山さん、この男、こんな物を持っているわよ」

 高山が王老師と話している虚(すき)に、宗少尉が、倒れている山住のポケットから何かを取り出して言った。

「え・・宗さん、そこで何をしているんだ?」

「いや、ちょっと気になったので、所持品を調べさせて貰ったのよ」

「ヤレヤレ、かなわねぇなあ、公安警察のお株を奪われちゃ・・」

「そんなコトよりも、これは外事の正規の装備品かしら?」

「うっ・・こ、こいつ、こんな物を持っていたのか!」

「ご愁傷さま、どうやら王老師の直感が正しかったようね?」

 山住の上着から取り出した黒い革の手帳には、普通のメモが日本語で細かく書かれていたが、手帳に付けられた薄い住所録の最後の数ページには、ハングル文字と並んで何やら単語や記号がぎっしりと書かれている。

「日本の公安が、わざわざウリグル(北朝鮮でいうハングル文字)を使った暗号で通信をするワケは無いわね。多分こいつは北のスパイよ!」

「主任、上着の襟のウラからも、こんなものが────────」

「むっ、これは鍼灸に使うハリじゃないか?」

「はい。それに、鍼の先端に何かが塗られていますが・・・」

「公安じゃ、暗殺用の隠し武器も正規の装備品なの?」

「いや、こんな物は所持しないし、許可した覚えもない。おいっ、山住の所持品を没収して手錠を掛けろ!、署に帰ってから厳重に調査だっ!!」

「はいっ────────」

「初めっから、王老師を狙っていたのね。さっき貴方たちが銃を構えた時に、高山さん以外は誰も本気で撃とうとは思っていなかったでしょうけれど、この男は王老師を殺す目的で撃つつもりだったはずよ」

「けれども想定外のことが起こって・・つまり、王老師の凌空勁(りょうくうけい)で全員が動けなくなって、次のチャンスを狙っていた、と?」

「そういうことよ、ヒロタカ」

「凌空勁、というのか、あれは・・・・」

 ボソリと、高山がつぶやいた。

「あら、ちょっとヒロタカの口が滑ったみたいね」

「貴方たち玄洋會は、どうやら中共だけじゃなく、北朝鮮からも狙われているみたいだな。今回の王永斌さんと張大人への襲撃はどうにか逃れられたが、これからの闘いは一層激しくなっていくに違いない」

「もとより承知の上よ。高山さん、ここで逮捕するのはこれで二人目になったけれど、お互いに得た情報を交換をしながら、協力してやっていきましょう」

「そうさせてもらうよ、宗少尉。でないとまた、巻き添えを食ってとんでもない目に遭わされそうだからな──────────」


                              (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第128回の掲載は、3月1日(土)の予定です

noriko630 at 23:24コメント(14)連載小説:龍の道 | *第121回 〜 第130回 

コメント一覧

1. Posted by 円山玄花   2014年02月18日 17:25
最後まで気の抜けない、躍動感溢れるストーリー展開でしたね!

生まれてから何十年か生きてくると、どうしても「自分は、こうでなければならない」という思いが形成されてきてしまいます。”〇〇の何とか”という肩書きを持っていれば尚のこと、
「だから自分は強くなければならない」とか、「理解できなければならない」などというように、
自分本来の在り方を追求する姿勢から外れて行くような気がします。

自分は、まずは人間としてどうであるのかというところが大事なのであって、
王老師が言われた、『まずは謙虚に、原初の一個の生命に還ること』が必要だと感じられました。

次回も楽しみにしています。
 
2. Posted by 太郎冠者   2014年02月19日 00:07
>凌空勁
すごいですねぇ、コレ!
出来るようになりたいッス、本当に。

って、そのために連日連夜稽古に励んでいるはずなんですけども・・・(笑)

先は長いどころか、その先さえも見えてこないですからね。
ちゃんとした師のもとについていてさえこんなですから
(もちろん、自分個人の能力もあるのですが・・・)
もしこんなことを独習やビデオ教材なんかで、なんて
考えるだけ時間の無駄ですよね、はい。
 
3. Posted by とび猿   2014年02月19日 07:34
太極拳を学んでいると、触れずに崩されたり、押されてもいないのに吹き飛んだり、
抑え付けられていないのに身動きが取れなかったり等、それまでの日常から見たら
まるで魔法のような、不思議な体験の連続です。
しかし、外部の人間ならともかく、それを理解していこうとするならば、
いつまでも神秘だとばかりは言っていられないと思います。
今回も、自分にとって大変勉強になりました。
ありがとうございました。
 
4. Posted by マルコビッチ   2014年02月19日 21:04

>人は己よりも高みに在るものに触れたときに初めて謙虚になる。・・・・・・

自分は知っている・・自分は正しい・・と思っているうちは、新しいことは入っては来ない。
しかし、人は少なからず自分が正しいと言うことを基準に周りを見るし、物事を考える。
私は太極武藝館に入門し、自分のそういう傲慢という”モグラ”の頭を叩いているのだと思います。


>朝鮮の工作員は日本の警察や自衛隊関係にも多く入り込んでいるという噂を聞く。

ちらっと聞いたことはありましたが、こうして「龍の道」のこの展開の中で登場すると、小説なのにリアルに感じます。
さすが、王老師のような方は見抜いてしまうのですね!
外事警察も玄洋會と協力することになって、ヨカッタ!!かもですね(^ニ^)
 
5. Posted by まっつ   2014年02月21日 00:27
全てに陰陽太極の理を観ようとしてみると、
「自分」の強い領域では洞察が浅く、
物事が良く見えてこない状態に陥ります。
そこでは「自分」自身も不明瞭に感じられます。
その不明瞭な「自分」に対する認識に始まり、
そんな「自分」を訪ねて、その輪郭が明瞭になれば、
思わずとも「自分」の強さからは自由になり、
そこで陰陽として働く理が見える状態が、
自ずから生起するように思います。
処世の道徳律ではなく、実践的な修養法として、
「自分」を知る事を追及できるかが課題なのだと思います。
 
6. Posted by ユーカリ   2014年02月21日 03:15
自分に銃を向けた相手の精神状態の質の違いまでをも感じとることができてしまうなんて、さすが王老師です。

普段の稽古でも、「ユーカリの普段の生活までは知らないけれども…。」と師父からご指導いただく一言一言は、ぴたりと私の日頃の状態や精神状態と一致していて、恐ろしいほどです。更には、自分でも気づいていないようなことまで、見えてしまうので、本当にごまかしは利かないと感じます。

>まずは謙虚に、原初の一個の生命に還ること
>そして、何処にいても、何をしても、そこに ”自然の法則” を見出そうとすることだ

自分自身に備わる、本来の根元的なエネルギーを無視して、歪めてしまうから、在り方も、他の人や物事との関係性も歪んでしまうのですね。
「自分で」とか「自分が」とか、一方的な働きかけでなんとかなると思っているそこには、自然の法則の中での相互依存も循環も失われてしまうから、空回りしているように感じていたのか…。
 
7. Posted by bamboo   2014年02月21日 18:53
武藝館への入門をお許しいただいてから何年か経ちましたが、正直なところ規約を窮屈に感じたことがありました。今思えば社会のルールや人間関係、自分自身の大切なはずの事ですら意識のどこかで鬱陶しく感じることが多かったような気がします。
しかし最近の暮らしのなかで、「今どれだけやれているか」がどうしようもなく気になり、整えながらそれを楽しんでは吹き出してしまうことが増えました(笑)。こんなことは入門前の自分には決してなかったですし、それだけ挙げてみても何とも表現できないありがたい想いが湧いてきます。…すみません、自分、不器用ですから…。
今朝も日の光を受けながら練功していたとき、やはり太陽や風に師父を感じました。師父や王老師のようになるために、人間になるために、もっと自分をブッ壊したいと思いました。

>傲慢さを維持できるところで生きている…
…受け手の器がかなり試されるんですけど…(苦笑)
 
8. Posted by taka_kasga   2014年02月25日 17:46
☆玄花さん

人間は、どんな人生を歩んでいようと、所詮は大自然の法則から離れては生きていけない。
科学や文明がどれほど発達しようと、そればかりは外せないのだと思います。
ボクもこの歳になってやっと、そんな事に気付かされ、せめて残りの人生をその法則と共に生きたいと心から願うようになってきました。
 
9. Posted by taka_kasga   2014年02月25日 17:46
☆太郎冠者さん

凌空勁は、太極拳を学んで居さえすれば誰にでも出来る、
というワケではありません。
それは、独自の武術的なセンスが必要であり、
同時に、遊びのセンスも必要だと思います。

 キミはケンカが強いかね?

 ケンカの強いヤツは、ダンスも上手い。
 ダンスが上手いヤツは、絵や詩の心がよく分かり、
 食べ物の味も、酒の味も、人生の味も、よく味わえる。

 だが、ケンカが強いだけではダメだ。
 ダンスも出来ずに、ケンカが強いだけでは────────
 この意味が分かるかね?

・・と、師に言われたことがあります。
 
10. Posted by taka_kasga   2014年02月25日 17:47
☆とび猿さん

神秘は、自分がそれを体験したときから、
すでに神秘ではなくなっています。

なぜなら、神秘を体験する機会が与えられた人は、
そこに行くためのチケットを手に入れたようなものだからです。

あとはそのチケットを手に、列車に乗るだけ。
その列車に乗りさえすれば、誰もが目的地に到ります。

ただし、その列車に乗るのが怖くて、
「やっぱりボクは次の列車にします・・」なんて言ってしまうと、
その目的地には着きません。

それは別の列車だからです。
 
11. Posted by taka_kasga   2014年02月25日 17:47
☆マルコビッチさん

傲慢のモグラ叩きは、なかなかホネが折れます。

自分の傲慢さとモグラ叩きをするのは、
慣れてくれば、ある意味では楽しくもあるのですが、
他人の傲慢さが相手だと、どうにもなりません。

その人は、それが傲慢さだなんてちっとも思っていないし、
ホントに傲慢さだとしても、「それでナ二が悪いっ!」って言いますしね。

うーむ、クワバラ、クワバラ・・
 
12. Posted by taka_kasga   2014年02月25日 17:48
☆まっつさん

陰陽太極を云々する人は多いですが、
それを実際的な人生の指標として明示できる門派も道場も、
現実にはあまり見当たりません。
それどころか、今日では陰陽太極理論を呪術的幻想だとか、
他門への理論武装などと馬鹿をほざく輩まで出る始末・・・

太極拳は陰陽理論を都合よく武術に当て嵌めたわけではなく、
その拳理が当に陰陽太極の原理そのものであるがゆえに、
これを太極拳と呼ぶようになったのだと思います。

まっつさんは「太極拳」の陰陽がどうこうではなく、
実際に「自分」を見つめることの中に陰陽の原理を見出しているのですから、
それは「活きた学習=道」であり、「活きた原理」です。
その活きた学びが出てこないうちは、何ひとつ始まりません。

そして、学ぶこと、学べることとは、自然の法則のひとつです。
纏絲勁の修得と嘯いてグルグルと体にロープを巻く愚と比べれば、
それが如何に高度な学習であるかが分かります。
まっつさん自身が大いなる「法則」に目覚め始めた、ということでしょうね。
 
13. Posted by taka_kasga   2014年02月25日 17:48
☆ユーカリさん

何かが「見える」というのは、他人や物事を見る能力が備わったのではなく、
様々な物事を経験し、人間としての懊悩煩悶を繰り返すなかで、
否応なしに「自分」という人間が見えるようになる、ということなのです。

まるで小説やドラマの中の出来事のように、その時々の自分を眺めながら、
ああ、これはこういうことだったのか、と他人事のように見ていても、
決して「自分」の問題は解決しません。

「自分」の問題は、自らに対して誠実に、前向きに関わろうとせずに、
どれほど巧妙にそれと付き合っていても、真の解決は永遠に起こりません。
真摯に自分自身と向かい合う「自分との闘い」から逃れて、
それを少し離れたところからどのように見ようと、考えようと、
一時しのぎの回答は与えられても、「解決」は与えられません。

生涯に巨万(ゴマン)と生じる問題を解決できるところは「自分」の内側以外にはありません。
自分からの距離を取って、表面的な「逃れ方」や「辻褄の合わせ方」を模索するよりも、
誠実に「本当の自分」と向かい合うことが何よりも大切なことであると思います。
 
14. Posted by taka_kasga   2014年02月25日 17:49
☆ bamboo さん

>正直なところ規約を窮屈に感じたことがありました

その感覚はとても正しいです。
何故なら、規約というのは、ひたすら門人を窮屈に縛り付けるためにあるからです。

太極武藝館のような「門人規約」を有する門派が内外にどれほどあるでしょうか。
それが本格的な武術門派でも、ここまで窮屈な規約はあまり存在しないでしょうし、
ましてや、太極拳のサークルや教室のレベルで、もしその内容を要求したら、
誰ひとり参加する人がいないと思われます。

それは何故なのかと言えば、
私たちがひたすら「自分勝手に学びたい」からに他なりません。
私たちは元々「自分なりに」「ほどよく」学びたい、
それがいちばん楽であるし、何よりも、そうしておけば「自我」が安全であるからです。

だから師父は、敢えて細部に亘って門人を雁字搦めにする規約を作りました。
「自我」の入る余地が少なければ少ないほど、「本物」が手に入るからです。
これはどんなに優れた学習体系よりも大切なことかもしれません。


>自分をブッ壊したいと思いました

宏隆くんがかつて京都の大徳寺に参禅していたとき、
和尚さんに同じことを訊ねました。

 宏隆:和尚、ボクはもう、こんなアホな自分をブッ壊したいです!

 和尚:ほ、そうか。ホしたらワシがブッ壊したるから、その「自分」をここへ持ってきてみぃ。
 

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