2013年09月15日

連載小説「龍の道」 第118回




第118回  T A C T I C S (6)



「時計を合わせて・・・2025(two-ou-two-five=午後8時25分)」

「2025、時計よし!」

「突入1分前─────────────────」

「1分前を確認っ!」

「突入用意─────────────────」

「突入用意よしっ────────────────」

「・・・3,2,1,突入っ!!」

「突入っ!!」


 迷路のように入り組んだ建物のセットの中へ、愛用のベレッタを構えて、あちこちを注意深く見回しながら敵の存在を確認しつつ入って行く。

 訓練とは言っても、玄洋會ではほとんどの場合実銃が使われていて、この訓練でも弾丸には「ペイント弾」がセットされている。
 ペイント弾というのは、金融機関やコンビニエンスストアに設置されているカラーボールと同じように、液体の塗料を弾頭のカプセルに詰めた弾丸で、敵側の役割をする相手をそれで撃つと染料の入ったカプセルが被弾した所で破裂し、命中したことが容易に確認できる。
 エアガンや空砲を使う訓練とは違って、普段どおり実銃が使えるので、実戦さながらの緊迫感で訓練をすることが可能となるのである。

 あれから、もう何週間か経った。
 学校が終わると、もうすでに校門の前に宗少尉が迎えに来ていて、そのまま住吉の浜にある訓練場に────────正式には「神戸湾岸訓練場」と呼ぶ、大きな倉庫や工場が群がって建つ広大な埋立地の、見事にカムフラージュを施された秘密訓練場へと連れて行かれる。
 そして、週末は訓練場に宿泊して、ウィークデーの2倍以上の訓練をこなす。

 宏隆はこのところ、そんな日々を送っている。

 今日の訓練は、建物内に囚われている人質を奪還するための、敵の制圧訓練である。
 チームは5名。作戦行動中は訓練でもNo.1〜No.5という呼称で呼び合う。
 この訓練の全くの初心者である宏隆はNo.5。開始時にはチームのちょうど真ん中の三番手の位置に居て、前の二人がやったことを真似しながら、後に続いていく。

 ──────────とは言っても、ただ単に真似をして動くわけではない。建物への侵入訓練では、チームが五人居れば五人とも異なる動きをしながら、交互に位置を変えつつ、徐々に目的の場所へと近づいて行くのである。
 例えば、五人全員が銃を同じ方向に構えながら侵入して行っても、実際にはどうにもならない。五人がそれぞれ異なる方向に注意を払いながら、主要ポイントで交互に入れ替わることを繰り返しつつ進んでいく。敵の行動を察知し、安全確保を行いながら素早く侵入して行かなくてはならない。
 ここでは、いかに合理的に、効率的に侵入するかを訓練するのである。

 敵はいろいろな所に潜んでいて、こちらを発見すれば直ちに攻撃してくる。
 ドアの陰、ソファの裏側、廊下の突き当たりの角、二階のテラスや、時には天井裏にまで敵が潜んでいる。何処に潜んでいるか分からないし、人数もおよその数しか判らない、どんな武器を用意しているのかも分からないが、そんな敵の反撃をものともせず、敵地に侵入して制圧し、目標の人質を救出奪還する訓練を行うのだ。
 

 サササッ、と────────────────
 素早く、足音も立てずに、五名の隊員が建物の内部へ向かって侵入をしていく。
 無論、誰も声を立てる者はいない。

 映画ではよく、警官やFBIが建物に入っていく時に、「クリアーッ!」と言い合いながら、各部屋に誰も居ないのを確認していくのが見られるが、このような特殊部隊では敵地に入ったら一切声を立てずに行動する訓練を積む。
 もちろん無線のヘッドセットを装着しては居るが、それはお互いが離れて見えない場合に小声で用いるもので、目視できる近距離で行動を共にする時には、前進、停止、後退、伏せろ、二人ずつ左右に二手に分かれて進め、一名は残って見張れ、一名は偵察に向かえ、などと、すべては隊長(チームリーダー)の手のサインによって、細部にわたって命令が伝達されるのである。

 そして此処でも、最も大切なことは「自分勝手なことをしない」ことに尽きる。
 つまり「チームワーク」が一番重要であり、それこそが最も尊ばれるべき事とされるのである。
 チームワークの中で訓練を積んできた兵士は単独行動でも立派に動けるが、もし仮に個人的に独りで兵士の訓練をしてきた者が居たとすれば、その人間はチームワークを必要とする作戦には全く使えない。クールな一匹狼の存在はマンガや映画の中では持て囃されるが、実際の戦闘では、たとえ単独での行動を余儀なくされる際にも、チームワークの中でどれほど訓練したかという事がそのまま本人の実力に反映されることになる。

 例えば1968年以来、現在でも雑誌連載が続いている劇画「ゴルゴ13」の主人公は、強靭な肉体と強い精神力、高い集中力を持ち、拳銃やナイフは無論、ライフル、バズーカ砲、対戦車ミサイルから吹き矢に至るまで各種の武器をこなし、パラシュート、スキューバダイビング、馬術、犬ぞり、空手、柔術、サンボ、中国拳法まで習熟し、医学や火薬、毒物の知識まで持っている。また、F-15の後部座席に搭乗し、12Gもの重力加速度で旋回して前席のパイロットを失神させたりもする人物として描かれている。

 漫画だから、と言えばそれまでだが、ここで超一流のプロとして描かれている主人公の人物像は、現実のプロとしてその世界で実務に携わっていた人間たちから見ると、決して元からの ”一匹狼” で殺し屋稼業を営んでいたスナイパーでは有り得ず、必ずどこかの特殊部隊で一定期間、厳しい訓練を積んだ人間のはずだ、と思えるに違いない。

 兵士は、チームワークの中でこそ戦闘が何であるかを学ぶことができる。ドン・キホーテにも風車という敵が必要だったように、どのような戦いも独りでは成立しない。
 したがって、戦いの訓練も独りでは出来ない。戦いを専門とする集団の中で繰り返し訓練をし、戦闘が何であるかが分かるようになれば、ようやく個人で行う戦闘を ”組み立てる” ことも出来るようになる。

 ─────────因みに、F-15は実際には外部兵装を搭載していないクリーンの状態で9Gに耐えられるよう設計されている。安全係数をとって13G程度までは耐えられるように造ってはいるが、もしその状態で飛んでしまったら、帰投後に念を入れてX線で細部の検査整備をしないと次回は怖くて使えない。
 航空自衛隊の入間基地には、12Gを発生するパイロット訓練用の遠心力発生装置がある。民間機でも航空機のパイロットになるには7Gで10秒間耐えられなくてはならない。自衛隊のパイロットは普段から8Gくらいで飛んでいるが、この装置での訓練は対Gスーツ無しで行われるから、9Gの設定でも負荷が11Gに匹敵することになる。
 ゴルゴ13がそのときに ”対Gスーツ” を着用していたかどうかは知らないが、普通は継続的に8Gや9Gに耐えられる人間は存在しないし、F-15イーグルなどは9Gになると ”Over G !!, Over G !!” と赤いランプが点いて警報が叫ぶ。警報システムを搭載していない古いタイプのF-15だと最大が7,3Gに制限されている。
 だから、12Gの旋回ともなると人間はほんのわずかな瞬間しか耐えられないはずである。
まあ「Golgo-13」と言うくらいだから、13Gまでは耐えられるのかも知れないが。

 余談ついでに、F1レースのコーナリングでは横方向に5Gの力が掛かる。体重が60㎏の人なら、その時だけ300㎏の負荷が感じられるわけだから、大変なことだ。
 けれども一般人でも、別に戦闘機やレースカーに乗らなくとも、誰でも容易にこれを体験できる乗り物がある────────遊園地のジェットコースターである。

 かつて東京・豊島園にあった「シャトルループ」で発生するGは、何と6,7Gもあった。
 これは人間が耐えられるGの限界に近いもので、ジェット戦闘機で空中戦をしている時に匹敵する数値である。これが続けば息も出来ないほどだが、パイロットはそんな状況の中でパソコンの作業のようなことを平然と続けている。
 瞬間的とは言え、そんなすごいGを発生するジェットコースターは日本にたくさんある。戦闘機の疑似体験をしてみたい方は乗ってみる価値があるかもしれない。



「ダダンッ、ダダダンッ─────────────────!!」

 二番手の位置に居た隊長が、先頭の隊員がドアを開けた途端に、素早く部屋の中に飛び込み、即座にライフルを撃った。
 敵が撃ち返す暇も無く、あっという間に室内の二人の敵の胸に2発ずつ弾が命中する。
 隊長に選ばれる人だけはある、すごい射撃の腕である。
 
 ペイント弾の塗料にまみれた敵側の隊員は、そこで倒れたまま訓練が終わるのを待つことになる。

 隊長がそのまま先頭となって進み、宏隆は必然的に二番手となった。

 先頭が右を確認すれば、二番手は左、三番手は上方や後方といった具合に、互いに異なる方向を確認しながら交互に進んでいく。
 一番手が部屋の内部を確認している間に二番手が先に進み、二番手が次の場所を確認している間に三番手がさらに前に進む────────このような行動を交互に繰り返しながら、目的地へと侵入を進めいくのである。

 窓のあるところは腰を低くして、見えないところは伸縮する警棒の先端やライフルの銃床にミラーを装着し、目立たぬように注意深く覗いて確める。

 廊下を伝って、やや広い部屋の入口に到達すると、隊長が三番手の隊員にミラーを使って内部を確認するようサインを出した。

 腰から警棒を取り出し、先端に小さなミラーを取り付けた隊員は、廊下の窓にゆっくりとかざし、回転させて、そっと中を覗き始めた。

 だが─────────────────

「ズダダダダダッッッ!!・・・」

 部屋の中から一斉に射撃を受け、粉々になったガラスが頭上に降りかかってくる。

「チィッ、見つかったか──────────────!!」

 室内灯か何かに、その小さなミラーが反射し、気付かれたのであろう。

 動物はみな、光に敏感である。ミラーを使うときには、光が反射して敵に悟られないように、光源の存在やミラーの角度に注意する必要がある。

 偵察をしていた隊員は、撃たれて壊れた窓ガラスの隙間から、これ幸いとばかりに室内を観察し続ける。

 その情報をもとに、隊長が次の行動を素早く指示した。

「敵は室内に五名、ライフルが一人、拳銃が三人、ナイフが一人。
 防弾装備、ヘルメット、ゴーグル、サングラスの装着は無し。
 北の隅に、人質が椅子に座って捕らえられ、首にナイフを突きつけられている。
 他の入口は無し。窓は西に大、南に小の一ヶ所ずつ────────」

「了解っ!!」

「作戦は、まずスタングレネード(閃光弾)を室内に投擲。
 爆発と同時にNo.4がドアを破壊し、4秒後、No.1とNo.2がドアから侵入。
 No.4はドア付近に残って後方を確認。
 No.3とNo.5は窓を破って飛び込み、人質の奪還に向かう。以上──────────」

 これだけの内容を、ほんの僅かな時間にサインで指示し、役割分担する。

 閃光弾を使用する時には、ゴーグルとマスクの着用が必須である。
 クリアレンズのゴーグルは、すでに侵入を開始したときから装着済みなので、全員が素早く防煙マスクを取り出して着用する。

 No.5の宏隆は、窓を破って飛び込み、人質を確保・奪還する役になった。
 自分の背中を踏み台にしてNo.3を先に飛び込ませ、後に続いて飛び込むのだ。

「突入用意っ─────────────!」

「用意よし!!」

「スタングレネード、準備っ!」

「準備よし────────」

 No.2が、黒い円筒形の閃光弾を手に、安全ピンに指を掛けて抜く準備をする。
 円筒形になっているのは、普通の手榴弾のような卵形だと、転がして使用するときに戻ってくる可能性が有るからである。

「レディ・・ゴーッッ!!」

 銃撃を受けた窓から、閃光弾が投げ入れられた。

「ボンッッ─────────────────!!」

 閃光弾は、ピンが抜かれてから爆発までの時間が、普通の手榴弾よりもずっと短い。
 敵に投げ返されることを防ぐために、信管の遅延秒時が約1秒程度にセットされているからである。だから投げ入れたらすぐに顔を背け、耳を塞ぎ、大閃光と爆発音を回避しなくてはならない。

「よし、カウント・スリーで突入する・・・ワン、トゥー、スリー、突入っっ!!」

 これらの指示も、すべて手によるサインのみで行われる。
 突入した後は、閃光弾の煙が充満しているため、ヘッドセットで通信が行われる。

 閃光弾・スタングレネード(Stun-Grenade=気絶用・擲弾)は、1960年代に英国陸軍特殊部隊(SAS)がテロに向けて採用して以来、世界中の軍隊や警察に用いられている。
 アメリカ軍の「M84」というスタングラネードは、百万カンデラの強い閃光で一時的に視力を奪い、160〜180デシベルの爆発音で聴力を麻痺させてしまう。これを用いられた相手は瞬時に視聴覚が奪われ、最低でも45秒間はまったく身動きがとれない。

 閃光弾はいわゆる手榴弾(てりゅうだん)の一種であるが、この場合のように人質を奪還する目的や、敵の殺傷を目的としない場合などに用いられる。敵や人質が心臓病などの病気を持っている場合はショック死する可能性もある。

 因みに、自動車のヘッドライトの光量は、前照灯一灯につき15,000カンデラ以上と定められている。また日本に5個所しかない「第一等灯台(最も大きなレンズを備えた灯台)」のひとつ、明治七年からその灯を点し続ける「犬吠埼灯台」は百十万カンデラで、光の到達距離は36㎞というから、スタングレネードはその明るさに匹敵する途方もない光量を瞬時に発するということになる。
 なお、日本にはその犬吠埼灯台の光量の10倍近くもある1000万カンデラを誇る、片手で持ち運びが出来る「懐中電灯」が市販されているというから驚きである。

 また、人間が普通に聞き取れる音は130db位で、爆発音の180デシベルというのは200m先のジェットエンジンの音が大体それに相当する。120dbを超えると音として認識するよりも痛覚として感じるようになる。
 180dbというのはそれよりも50db多いだけだが、10デシベル上昇すると聴感上は2倍になるので、50dbの増加は2×2×2×2×2=32倍の音量ということになる。
 
 使用する側は、通信用ヘッドセットがイアマフの役割を果たし、閃光弾の大音響から耳を護る役割をする。投擲後は敵が拾ったり蹴ったりする間もなく、すぐに爆発するようになっているが、耳を塞ぎ、閃光を見さえしなければ此方には支障がない。
 この訓練の場合は窓から閃光弾を投げ入れるため、自分たちが閃光の被害に遭うことはまず有り得ない。また、ここでは訓練用の閃光弾を使っているから、もちろん本物のような威力はないが、それでも大音響と共に閃光を発する迫力は一般的な日常生活からは想像もつかない。



「バァーンッッ─────────────────!!」

 予めドアを少しこじておいたドアを爆発音と同時に破壊し、数秒後に突入を開始する。
 室内の敵はパニックに陥り、もうドアを破られたことさえ認識できないはずだ。

 窓の下でじっと背中を台にして屈んでいた宏隆の上を、No.3の隊員が軽々と踏み超え、窓を割って飛び込んで行った。



                                (つづく)




  *次回、連載小説「龍の道」 第119回の掲載は、10月1日(火)の予定です

taka_kasuga at 21:53コメント(12)連載小説:龍の道 | *第111回 〜 第120回 

コメント一覧

1. Posted by 円山玄花   2013年09月18日 02:59
まさか宏隆くんが人質奪還の訓練までするとは思いませんでした!
訓練とはいえ、読んでいるこちらまで緊張してきますね。

緊張と言えば、敵は普通、森でも建物でも、努めて相手に認識できないように潜んでいるわけで、
お互い様とは言え、その中に突撃していくときの緊張感は、独特のものがありますね。
“訓練でこの緊張感なら、実戦ではいったいどれ程になるのか”と、よく考えたものです。
そして、どのような状況下でも訓練の通りに動けて、正しい判断ができるためには、
日頃からの自己統御が鍵であると、つくづく思えます。

閃光弾の音と光、できることなら体験してみたいですね(^^)
最近は、聞いて知るのと触れて分かるのとでは雲泥の差があることを、しみじみ実感しています。

次回、宏隆くんは一体どのような訓練を要求されるのでしょうか。
楽しみにしています!
 
2. Posted by 太郎冠者   2013年09月18日 22:30
>瞬間的とは言え、そんなすごいGを発生するジェットコースターは日本にたくさんある。戦闘機の疑似体験をしてみたい方は乗ってみる価値があるかもしれない

遊園地などメルヘンで作りモノの世界、漢(オトコ)には無用の長物・・・!
などと思っていましたが、これを聞いただけで行きたくなりました(笑)

>「懐中電灯」が市販されている
タクティカルライトは良いもの・・・というか特殊部隊などが使うものが市販されてますからね。武器ではないので特に規制されてないですし。
中にはそれこそ、点滅が強烈で人に向けたらマズイのまでありますから。もちろんたかがライトでも、相応のお値段ですけども。

しかしこうして文章で読んでいるだけでも、訓練された人間のすごさが伝わってきます。
幽霊や宇宙人より、生きてる人間のほうがよっぽど怖いです(笑)
 
3. Posted by とび猿   2013年09月18日 23:15
とても細かい内容で、読みながらどんどん引き込まれました。

龍の道の中で戦闘という言葉が沢山出てきますが、正しく理解するのは難しいものですが、とても大事なことであると思います。
素人や格闘技ファンならば仕方ないと思いますが、専門家を名乗る者や目指す者も、このあたりの認識がずれていて的外れなことをしていたり、折角の教えのその真意をくみ取ることができず、内容やそれ自体が全く変わってしまったりしているようです。
これでは、伝統は消えてしまうと思います。
それを理解するための切っ掛けや場面は沢山あると思います。
そこにもっと注意深くなければならないと思います。
 
4. Posted by マルコビッチ   2013年09月19日 00:40
今回の訓練の様子も、大変リアルで面白かったです。
流れるようなチームの行動と瞬時の判断は、お見事と言うしかなく、めちゃくちゃ心が揺さぶられます。
壊れた窓ガラスの隙間から観察し、得た情報で素早く行動を指示する。
この僅かな時間に行動していく様子は、これまでの日頃の厳しい訓練が想像できます。
道場で、稽古を始めるとき、すぐに周りの人との距離や状況をのみこんで、自分の位置を確保できないとか、師父が動き始めているのに遅れてしまう・・・などと言うことがありますが、これを読んでいると、まるで子供のように感じます。
その事が命取りになるのだと思いました。

次回も楽しみにしています。
何だか、スパイものとかアクションものの映画が観たくなりました (^_^)
 
5. Posted by ユーカリ   2013年09月20日 02:26
> そして此処でも、最も大切なことは「自分勝手なことをしない」ことに尽きる。
 つまり「チームワーク」が一番重要であり、それこそが最も尊ばれるべき事とされるのである。

今まで、根っこにはいつも「自分さえよければ」という考え方があり、集団の中にいてもどこかで周りと交われない、正確には交わりたくない自分がいたことに気づきました。

それ故に、対練では実際に相手にかかわることができなかったり、相手の全体を捉えることなど頭になく、一部分をどうにかしたかったり、「何とかして崩したい」が先走ってしまいます。
この状態ではもちろん動けばどこかを固めて、その支点を基に動き始める事になりますし、自分の躰のパーツ一つ一つが単独で動きたがるような精神状態では、一動作で動けるわけがありません。

自分との関わり方、家族との関わり方、周りの方との関わり方、お仕事との関わり方、全てにおいて、自分勝手を見逃さない、許さない生活に切り替えてゆきたいと思いました。

それにしても、この状況下で、チームが一つになり、隊長のサインひとつで、瞬時に各自が各々の役割を正確に把握し任務を果たせるなんて、物凄いです!

次回も楽しみにしていますっ!!
 
6. Posted by まっつ   2013年09月21日 01:18
考えてみればチームとして1個の機能を示せるという事は、
凄い事だと思います。単純な足し算ではなく、
個の力を含んで超える働きが発現するので、
真に高度であると言えるのだと思います。
高度とは狭さを追求する事なのだと再認識しました。
 
7. Posted by taka_kasga   2013年09月24日 18:00
☆玄花さん

人質に取られた経験者が人質奪還の訓練をするとは、コレイカニ。。。

本物の軍事訓練で生じる緊張は、経験者しか理解できないと思います。
仰るとおり、如何なる状況に於いても訓練どおりに動けるには、
ひたすら日頃より自己統御する習慣を身につける以外にありません。

なお、秘密結社や探偵屋さんなどは、M84のような派手な閃光弾は使わず、
もっとコンパクトで適度なモノを用います。
それなら体験をすることもできそうですが、あまりお勧めはしません。
 
8. Posted by taka_kasga   2013年09月24日 18:00
☆太郎冠者さん

>ジェットコースター

”オトコは黙って” ・・乗ってみるのもイイかもネ。

>懐中電灯

いやいや、タクティカルライトなんて粋なモノじゃなくって、
コレが本当の「懐中電灯」なんですよ。
よくホームセンターなどで売っている、レンズの大きな手提げ式の形で、
重さが4キロくらいだったかな。どこで使うんでしょうね。
空に向けると低い雲まで照らせて、パチンコ屋の広告用サーチライトみたいです。
 
9. Posted by taka_kasga   2013年09月24日 18:01
☆とび猿さん

「武術」を名乗る以上は、戦闘についての定義がハッキリしていて欲しいものです。
戦闘の意味について問われても、ただ「闘うことだろ?」と答えるようでは、プロではありませんよね。

ボクがどうしても解せないのは、太極拳の戦い方を套路の「動作」で説明する人が多いことです。
真伝が「動作」で説明がつくモノだったら、真似すれば誰だって出来ることになる。
武術の深奥はそんなアホな・・いや、そんな単純なものではないと思うのですが。
 
10. Posted by taka_kasga   2013年09月24日 18:02
☆マルコビッチさん

武術性というものは、どのような場合でも問われるモノですね。
よく師父がいわれる「礼をするときの間合いやタイミング、気や心の配り方」は、
定歩の対練や散手などにも増して、私たちが最も武術性を問われる状況だと思います。

特に一般の門人に多い例は、

◇礼をする相手との間合いがバラバラで、何も気にしていない

◇全員で「お互いに礼」をすると、次の相手を探してしまい、マゴマゴする

◇稽古に来て道場での入場礼、師父や教練とお会いしたときの礼、先輩への礼、同輩への礼など、
 それらをどう区別して良いか分からず、つい適当にやってしまう

◇来るときは比較的丁寧に礼をするが、急いで帰るときは礼もそこそこに靴を履く

などなど・・・・

こんな状態で「高度な武術をやりたい」とか「強くなりたい」と考えているのなら、
もう一度よ〜く考え直した方が良いと、ぼくは思いますが。
 
11. Posted by taka_kasga   2013年09月24日 18:02
☆ユーカリさん

ひとは誰も、「心から自然に寛ぐこと」が苦手だと思います。
それは、他者との関係性で「神経症」になっているからで、
原因は人によって様々でしょうが、非常に大雑把にいえば、
「こうすると、こう思われてしまう」という観念が常に自己を支配しているからだと思います。

つまり、誰もが過去において何らかの「不本意な経験」が沢山あったわけで、
自分はこう思っているのに、実際にはそうならなかったり、そう伝わらなかったり、
誤解されたり、歪曲されたり、とんでもないことになったり、
嘘をついたり、つかれたり、裏切られたり、裏切ってしまったり、
意地を通したり、通されたり、傷ついたり、傷つけてしまったり・・・

それは人間として生きて行くには不可欠の、
誰もが毎日毎瞬のように経験しながら、その中で喜怒哀楽を繰り返している事なのに、
何らかの理由で「その中のある特定のこと」が、自分にとって「傷」になってしまったために、
自分勝手で居ることで「それ」を回避しようとしているから、寛げないのだと思います。

ですから、自分勝手を「見逃さない、許さない」などと思っても、
その根本の原因となっていることを見逃していれば、それは改善されようがありません。

大切なことは、人間というものに深い興味を持つことと、自分自身を受け容れること。
自分がやって来たことを赦し、その原因となった全ての物事を赦すことです。
真の武術は、それを教えてくれます。
 
12. Posted by taka_kasga   2013年09月24日 18:03
☆まっつさん

優れたチームワークを発揮できる人は、同時に優れた個人でもあります。
チームワークに優れた人は、必ずと言って良いほど、個人的にも強者です。

チームワークで思い出すのは「多人数捕り(取り)」です。
武術の訓練には多人数への対処法が存在し、
有名な先生もビデオで公開していて非常に興味深いですね。
多人数の敵をどう捌くかは、その人の考え方に由るわけですが、
自分から積極的に、敵に一人ずつ順番に突っ込んで攻撃していく人や、
やって来る敵の攻撃を一人ずつ丁寧に躱そうとする人、
或いは多少の被害は気にせず、ひたすらその群れから脱出しようとする人、等々。

太極拳では敵が多人数でも「ひとり・ひとつ」として考えますから、
「ひとつ」の条件に当て嵌まらない所から相手が崩れ始め、それによって総崩れが起こりますね。
面白いのは、敵がチームワークの訓練をしていなかったり、
チームとして攻撃を想定していない場合には、相手はいとも簡単に崩れてしまい、
こちらが容易に反撃できるということです。

そして「チームワークの訓練」をしていなくとも、
日頃の一対一の対練や散手で、きちんと「相手と合わせる」練習をしている人は、
それ自体がチームワークの訓練と同じことなので、
多人数で襲われても、まるで敵と「チームワーク」を組んだように、
敵と一体になって、敵の集団の中で敵を崩すことができます。

武術的に優れている事とは、常に自分がどうであるか、
そして相手がどうであるかを繊細に、明確に感じ取れることであり、
「他との調和合一」こそが武術の真髄なのだと、つくづく思います。
 

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