2013年09月10日

門人随想 「今日も稽古で日が暮れる」 その20

 「人類の黎明期より その4」

                     by 太郎冠者
(拳学研究会所属)


それを「伏線を張る」という
 
 三回にわたって、ネアンデルタール人から続く人類、我々ホモ・サピエンスの話を書いてきた。ネアンデルタール人と我々の身体の違い、狩りの仕方、あるいは成長の過程。
 それから我々人類が文化の最初期から、交易による他部族との交流を行っていたという話などである。
 
 そんな遠い昔の話が、いったい太極拳にどんな関係があるの? と、やきもきした読者もいたかもしれない(そんな稀有な読者は、いなかったかもしれないが・・・)。
 実は、そんなように遠回りをしてえんえんと述べてきたことが、意外なポイントを経ることによって、大いに関連しあってくる、と僕は思っているのである。

 それは、太極拳において、構造が「合う」と言われる仕組みに関してである。

 太極拳を知らない人が見て、あるいは体験していちばん驚くと思われるのが、ほとんど力も使わずに、まるで魔法のように体が崩れていってしまうことや、相手に対して当てるつもりで攻撃をしていっているのに、それが相手が回避しているわけでもないのに、当たらない状態。
 というよりも、むしろ自分の攻撃が逸らされていってしまうような不可思議な現象。
 これらのことではないだろうか。
 
 もちろん、深遠な武術の原理そのものに感動するのもあるだろうが、俗な言い方をしてしまえば、こういった日常や普通の考えではありえないような現象に気をひかれるものではないだろうか。ましてやそれが、高度な武術の体系として成立しているとすればなおさらである。
 
 実はそのキーワードに関しては、以前書かせていただいた「カガクする心〜」の中でちらっと触れていたのだが、そのときはほとんど掘り下げずに触りだけ書くにとどまっていた。なぜかというと、「書いて大丈夫かな?」という懸念があったのと、それが人間の構造、ひいては武術の構造についてどのように作用していて、かつ太極拳の原理とどのようにかかわっているのかが自分の中でしっかりまとまっていなかったからだ。
 それからしばらく時間が経ち、自分自身が(少しは)得るものがあったことと、「書いても体験しないことには絶対わからない」という確信が持てたのもあって、少しだけ書いてみようかと思ったのだ。
 
 とは言いつつも、それだけをポンと書いたところで「ふーん、そうなんだ」となってしまっても面白くないので、こうしてネアンデルタール人まで登場していただき、長々と続けてきたわけである。え、書くのためらっていたんじゃないかって? いやはや、否定はできません。え、いいから早く話を進めろって? そんな稀有な読者が(略
 
 さて、ここから先、我々は自身の脳の構造、神経のメカニズムと社会的な作用について、もっと深く見ていく必要がある。
 ではさっそくはじめてみよう。
 
 まずは最初の話題、投槍器について。
 

すでに当たっているのだヨ
 
 あまり行儀のいい行動ではないが、少し離れたゴミ箱に自分がいるところからポイっとゴミを投げいれたことは、多くの人にあると思う。別にゴミでなくてもいい。キャッチボールでもいいし、だれかにものを投げ渡すときでもいい。
 おそらくだれでもやったことはあるだろう。うまい下手はあったとしても、まったく見当違いのほうにしか投げられない、という人はおそらくいないのではないだろうか。つまり人間は、だいたいは自分が狙った的に向かって投げることが出来るのだ。
 
 これって、すごく不思議なことではないだろうか。
 
 自分から隔たった場所にものを投げるとき、人間の脳はどのような処理を行っているのだろうか。
 機械がそれを行おうとする場合、ものすごく大変な計算を行わなければならない。
自分と的までの距離、向き、角度、投げる物体の重さ、かける力、それから投げる際に必要な腕の動き、全身の制御、さらには投げることで生まれる反作用をどのように相殺するか、云々。あげていけばきりがないのだが、それを人間は別に苦も無く、いとも簡単に行ってしまう。
 もし狙いが外れても、何回かやっていればだいたい届くようになる。これは人間の脳の、高度な処理能力の賜物である。
 
 日本が世界に誇るスーパーコンピュータ『京』が最近一部で話題になっていたのだが、記事によると脳の神経回路の一部をシミュレートしたとのことだった。
 どれくらいを再現したかというと、人間の脳の1パーセントにあたる神経接続の一秒間分の働きをシミュレートしたらしい。それもかかった時間は40分(!)だという。
 人間の脳の1パーセントというのは、だいたいおサルさんの脳と同じくらいの神経接続数になるらしい。人間の脳のたった(というのもなんだが)1パーセントしかない、おサルさんが「ウキッ」といってる間に行える全脳領域の活動を再現するのに、現在世界第四位の計算能力を誇るスパコンが、多大な電力を消費し発生する熱を冷却しながらうんうんうなりをあげて40分も掛けて計算するのだ。一秒考え事をしたっておサルは汗もかかない。40分もかかったらあくびはするかもしれないが。
 
 どれだけ脳がすごい計算処理能力を持っているかお分かりいただけただろうか。厳密にいえばコンピュータとは少しメカニズムが違うみたいなのだが、「とにかくすごい」と思っていただければ十分だ。
 

 話を戻すが、人間が物を投げるとき、あるいはもっと大きい範囲で道具を扱うとき、脳はいったいその道具たちをどのように処理していると思うだろうか。
 答えは非常に簡単で、脳はその道具を「自分の体の一部」として認識している。
 ボールを投げるときはボールが手の延長になり、槍を持てば、槍が手の延長となるのだ。
 延長というと正しくないかもしれない。脳の運動野の認識からすれば、それはもう手の一部として扱われるのである。
 
 ネアンデルタール人は体躯の違いから肩の自由度がホモサピエンスより少なかったため、槍を投げるのがあまり得意ではなく、その行為を発展させなかったという説もある。
 大型の彼らは大型の獲物を狙い、小柄であったホモ・サピエンスはウサギなど小動物を狙うようになったという話もあり、それによりアトラトラのような道具を発展させたという説もある。
 詳細は別途研究を当たってほしいが、ホモサピエンスがネアンデルタール人より道具を発展させ、遠距離から集団で狩りをしていたというのはほぼ間違いないようである。
 そのためには上に書いたような高度な脳の認識能力が必要となっているのだ。
 
 道具作りの文化の継承、それの使用、さらには仲間同士の連携。それらを行うには、やはり他の動物には見られない能力を磨いていく必要があった。
 

 鏡よカガミ、ふたたび登場
 
 それこそが「カガクする心〜」の五回目で触れた、ミラーニューロンの働きである。
 
 ミラーニューロンとは、簡単にいえば「相手の動きを自分の中に真似する脳細胞」のことだ。発見されたのはだいたい20年ほど前で、いまだ研究途上の分野であり詳細が分かっていないことも多い。
 実験室でサルの脳内にある運動野を調べていた科学者がいた。実験のため脳に電極をプスリと刺されたおサルさんの協力のおかげである。サルがものをつかんだとき、運動野がどう働くかを観察していたのだが、あるとき科学者のひとりが、たまたま何かをつかむ動作を行った。そのとき、接続されたままになっていたサルの電極が信号を発した。最初は何かの間違いだと思われたらしい。なぜなら、サルは何も「掴んでいなかった」からだ。なのに、その信号は何かをつかんだ働きを脳がしたことを示していた。
 こうした偶然から発見されたミラーニューロンは、じわじわと評判を広げ、ある科学者には「生物学におけるDNAに匹敵する発見」とも言われている。
 
 たとえば電極プスリのおサルのミラーニューロンは、人間あるいは別のサルがリンゴをつかむ動作をするのを見ていると、あたかも自分もリンゴをつかんだかのように神経信号を発火する。それを口まで運んで食べるのを見れば、まるで自分も食べているかのように、運動する神経が働く。
 面白いことに、物をつまんで、「食べる」という意図をもった動作のほうが、物をつまんでどこかに「動かす」だけという動作より、強くニューロンが反応する。食べることのほうが生存には重要だからというわけだが、面白いのはミラーニューロンが、その行動の意図まで察して働いているという点である。
 
 相手の動きを見ただけで、脳の一部は自分が動いたつもりになっていて、そのように働いている。この働きはとてもすばやく、それも視覚だけに頼らない。
 極端な例では、家の中でだれかがどこかで立てている物音を聞くだけで、家族のだれが何をしているのかまでわかってしまうし、ピーナッツの皮をむいて食べてる音を聞かせるだけで、自分もピーナッツを食べてるつもりになってしまう。
 また、人間の場合、書かれた言葉や文章を読むだけでも(これはかなり抽象的な認識能力だ)、それを自分がしたかのように脳は働く。
 
 しかもこの働きは、共通する動きが出来る生き物同士だったら作用するらしい。
 手を使って物を食べるという行為は、サルとヒトも共通して行える行為だったために、サルのミラーニューロンは作用した。だが、人間がパントマイムをしてもサルのミラーニューロンは働かない。サルはパントマイムをしないからだ。しかし人間が人間にパントマイムをすれば、人間のミラーニューロンは働き、自分もパントマイムをしたつもりになってる。
 書いていてややこしいことこの上ない。
 

あなたがなにを考えているのかぜんぜんわからない・・・のか?
 
 このミラーニューロンの働きが一番何に役立っているのかというと、それは同じ種族同士のコミュニケーションの場で発揮されている。
 あきらかにミラーニューロンは人間に、「共感」する能力を与えている。
 
 だれかが悲しい顔をしていれば、その人は悲しいのだろうなと思うことが出来る。
 
 それは、悲しい顔をしている様子を見て、論理的に筋道立てて考えた結果、悲しいという気持ちを共感しているわけではないらしい。
 
 仕組みでいえば、ある意味でもっとすごい。
 
 相手が悲しい顔をしているとき、それに必要な顔の筋肉などの運動を真似して、その表情を人間は頭の中で再現する。そして、自身のレパートリの中から、この表情のときはこういう感情だというデータを引き出してくる。結果、その人は悲しんでいるのだと共感することができる。
 
 注目していただきたいのは、共感を生み出すメカニズムとしてのミラーニューロンが、基本的に運動に関するニューロンに属しているという点である。
 
 一部の科学者は、言語を人間が習得する過程においてミラーニューロンが決定的な働きをしていると考えている。人間の赤ちゃんのことを考えてみると、赤ちゃんは言葉をしゃべる前から、明らかに大人と身ぶり手ぶりでコミュニケーションをしている。それは表情による感情の共有もそうだし、具体的、あるいは抽象的な物事のやりとりでさえ、言葉を使うようになる前から行っているし、誰しもそれが自然のこととして理解できている。
 とくに母親と赤ちゃんの関係は絶大で、おなかがすいている、眠い、おむつを替えたいなど、多くの情報を自然と察知できている母親の姿をあなたも見たことがあるに違いない。
 
 ネアンデルタール人に比べてホモサピエンスは未熟な期間が長いと書いたが、その間、脳の可塑性は非常に高く大人より変化に富んでいる。ミラーニューロンもまた最初から完成された神経ではなく、脳の可塑性によって働きに強弱が生じる。つまり未熟な期間が長く、大人に世話されている間に、その特性としてミラーニューロンは周囲の行動を真似し続け、それによって神経の働き事態も強化されていくというループをたどることになる。
 発話による言語獲得の前段階として、ヒトはミラーニューロンの作用によって身ぶり手ぶりを憶え、それによって世界のさまざまな物事と、また耳で聞いた「言葉」を関連付けていく。それによってはじめて、自らが言語の話者としてその世界へ参入していくことになっていく。
 
 言葉についての話は話題が少し違うので打ち切るが、人間を考える上では興味深い分野である。
 また、なぜそれらとは全く関係なさそうな太極拳に「詩心が大切だ」と言われるのか。
 そういった意味でも関係があるのだろうと推測するのは、想像に難しくない。
 
 
赤あげて、白は、どこ?
 
 さて、文明の最初期から交易があったらしい人類は、どこかで言葉がまったく通じない部族とも出会ったに違いない。彼らが使えるコミュニケーションの手段は、いわゆるボディランゲージや物や絵を使った会話だったであろう。すでに見てきたように、別の星のまったくチガウ生き物ではない同じ人類同士であれば、なんとなく動きや身ぶりを見て、なんとなく意味がわかってくるということがけっこうざらで、おそらくそんな感じで交易をおこなっていたのではないだろうか。文章まであやふやだ。

 「え、なにそれ、ほしい!」
 「じゃ、それと交換ね?」
 「これ? いいよ。ひとつでいい?ぼくそれふたつほしい」
 「ふたつ? いいよ、それはひとつでいいや」

 これくらいだったら、まったく言葉の通じない海外でも買い物出来そうではないか?
 
 さてまた、道具を作りその使い方を習うという上でも、相手のことを模倣することに特化したミラーニューロンは、ここでも大活躍をする。人間が高度な生き物だといわれているゆえんは、この模倣能力にあるといっても過言ではない。それによって文化の伝達が発生し、生まれた「知」がひとつのところにとどまらず、爆発的に広がっていく素養を見せ始めたのだ。
 
 
 前回登場した、魚がたくさん釣れる釣り針を作った人たちについて考えよう。
 
 そのプロフェッショナル、いわば師となる人のもとに集まった若者も、最初はそれがうまくいかない。師のように作ろうとも、なかなか同じにはなってくれない。
 
 しかし、師の作り方を見ながら自分も試す間に、だんだんと師の作ったものと似たようなものが出来るようになってきた。
 
 これは、ミラーニューロンと運動の観点でいうと、師の動きを見てそれを自らの中に映し出し、さらに自身もそれを行うことで間違いを修正し、また師の動きに近づけていくというプロセスを繰り返した結果、師のそれに近くなっていくということである。
 
 これは、太極拳に限らずどの分野でも「まなび」の根本的なあり方ではないだろうか。
 
 「まなぶ」とは「まねぶ」である。
 
 神経のレベルでも、人間は真似をすることで何かを学んでいたのだ。
 
 
あれ、肝心の・・・?
 
 どうだろう、だんだんと太極拳というワードが出始め、道場で指導される言葉の端々が見え始めてきた。
 内容は次第に確信に近づきつつあり、僕の筆ものってきたところなのだが、そろそろ長くなってきてしまったので一度区切って次回につなごうと思う。
 
 もしミラーニューロンについて気になる方がいたら、ぜひご自分で調べてもらいたい。
 ここでは書ききれないような興味深い研究結果がいくつも報告されているし、なにより専門家の文を読んだほうがよっぽど分かりやすい。
 

 押さえておいてほしいミラーニューロンの特性としては、
 
 ◇ 相手の動きを真似するために作用すること────────
   それは無意識レベルで行われているという点
 
 ◇ 自らの内部でそれをしたのと同じように再現すること────────
   行動することと、意識することに脳は差異を「ほとんど」設けていないという点
 
 ◇ 相手の行動の意図まで読み取って模倣するということ────────
   なにかのフリかどうかが分かるという点
 
 ◇ 生命維持にかかわるものに強く反応するということ────────
   同じものをつかむでも、食べるとしまうでは反応の大きさが違うという点
 
 
 ここから先、太極拳について読み解く上では、こういったところだろうか。
 勘の鋭い人なら、すでにいくつかピンとくるものがあるのではないだろうか。
 
 それは文章を通じてあなたの中のミラーニューロンが反応し、あなたの経験の中から関連する事柄どうしを結びつけたから、かもしれない。
 
 
 次回、不思議の霧をパッと晴らすべく、謎解きは続く・・・。


                               (つづく)

disciples at 15:25コメント(12)今日も稽古で日が暮れる  

コメント一覧

1. Posted by 円山玄花   2013年09月12日 19:32
たいへん興味深く読ませて頂きました。
道場のブログで、脳の構造から神経のメカニズムまで考察するところは、まず無いでしょうね。

今まで「既にある、当たり前のもの」として使っていたこのアタマも、メカニズムを認識することで、より意識的に、効率よく使用することができる気がします。
それにしても、人間は偉大なる脳味噌のわずか3%未満しか使っていないと聞きますが、おサルさんが人間の脳の(神経接続数の)1%くらいだとすると、おサルさんが三人集まると…いえ、おサルも三匹寄れば人間の知恵・・なんてことには、ならないですよね。すみません ^^;

人との関わりや意思の疎通、真似をすることから、自己修正まで、普段自分が不思議に感じていることを、科学的に考察できるのは、とても面白いですね。

次回の謎解きを、楽しみにしています。
 
2. Posted by とび猿   2013年09月13日 22:50
とても面白いです。
普段稽古していること、稽古の仕方、学び方、そして自身の在り方、見方によっては別個のものと考えてしまうようですが、今の自分には、そうは思えません。
このあたり、よりはっきりしていきそうです。

人体の構造は、解剖学的には見ることができ、研究できる期間は長かったかもしれないけれど、脳の構造をこのように研究できるようになってからは、まだそれほど経っていないと思います。
脳のことは、分かる人は分野を問わず、体験的に分かっていたのかもしれないけれど、これから、その仕組みがよりはっきり分かっていくかもしれないと思うと楽しみです。
 
3. Posted by マルコビッチ   2013年09月14日 12:39
脳科学の世界もとても面白いですね。
知識はありませんが、大変興味があります。

昔から、伝統芸能の世界などでは、師匠の元へ内弟子に入り、朝から晩まで師匠の身の回りのお世話をし、あらゆる雑事をこなしながら、師匠の技をぬすんでいた。
教えてはくれないので、自分で見て取っていくしかない、という話は聞いたことがあると思います。
この事も、ミラーニューロンの働きが活発になり、神経が強化され、更にはそこから付随して様々な働きも起こるのかと考えました。
これは、いわゆる”五感が強くなる”とか、”感受性が強くなる”とかとも関係があるのかな?!

師父を見て、自分も師父と同じ姿で動いているように思ってしまう。
その気になって気分良く動いていたら・・・
窓に映った姿は違っていた・・・なんて事も、ミラーニューロンの仕業?!

ホモサピエンスが進化したように、脳の可能性を考えると、現在の人間も更に進化していくのではと思えます。

次回も楽しみにしています。
 
4. Posted by ユーカリ   2013年09月16日 01:55
>脳の運動野の認識からすれば、それはもう手の一部として扱われるのである。

日頃の稽古で師父が棍やナイフなど、道具を持たれた時、それらの道具が師父の体の一部のように感じられます。一方、自分は道具に気を取られ、そのものと、一体になれず、別物として道具を持っている状態になっています。
せっかく、脳の運動野では「手の一部」として認識したものを、そこに「どう扱おう(・_・;)」という自分の考えを挟んでしまったために、道具と一体になれない状態をつくり出しているのでしょうか。

>ミラーニューロンと運動の観点でいうと、師の動きを見てそれを自らの中に映し出し、さらに自身もそれを行うことで間違いを修正し、また師の動きに近づけていくというプロセスを繰り返した結果、師のそれに近くなっていくということである。

遥か昔から、このようにして師に近づこうと研鑽を積んできたことを思うと、改めてこのプロセスを「学ぶ」ために大切にしてゆかなければならないと思いました。

次回の記事も楽しみにしています!ありがとうございました。
 
5. Posted by 太郎冠者   2013年09月20日 01:02
☆玄花さん
人間の脳の解明は、まだまだぜんぜん進んでいないのが本当のところです。
今回書いたミラーニューロンなどの神経の働きも、測定する装置の中に寝転んで安静にしていないと測れないような状態だったりするので、とくに運動状態でどのようにニューロンが働いているのか?は、まだぜんぜんわかっていないというのが実態です。

もう少し技術が進歩すれば、日常生活の中や運動中、さまざまな場面での脳の働きが測定される日はくるかと思います。
出来れば太極拳で崩されているときなど、測定してみたいものですね。・・・専門家じゃないとさっぱりなのかもしれませんが。

>おサルさんが三人集まると…
実験の結果、「見ザル、言わザル、聞かザル」で三者三様の状態を示したとのことでした(笑)
もうすこし、協調性ってもんが欲しいところですねぇ。
 
6. Posted by 太郎冠者   2013年09月20日 01:09
☆とび猿さん

上にも書きましたが、脳に関してはまだまだわかっていない、研究すべきことが山積みになっています。

サルのような動物を相手だったら、脳に電極を刺して実験も行われているのですが、チンパンジーやゴリラなど、高等な類人猿以上の動物には、倫理的な問題もありそういったことは行われていません。

人間でも、医療目的でそういった処置が行われていた場合にのみ限定的に、電極を使った実験が行われているのが現状です。
技術の発達で、対象を傷つけないで行われる方法がたくさん開発され研究は進みましたが、それもまだ十分といえるレベルではないようです。
おっしゃる通り、それまで経験則でいわれていたことが実際にそうだったということも判明することもあり、人間の経験というものはやはりばかにならないですね。
 
7. Posted by 太郎冠者   2013年09月20日 01:14
☆マルコビッチさん

面白いことに、日本の伝統文化には、「和」であったり、最近ではいろいろと言われていますが、空気を読むというような文化であるような、ミラーニューロンの働きを前提としたようなものがいくつも見られます。

言葉はなくとも、相手とまるで意思疎通ができているような状態、あるいは極端な例では、庭にただぽつんと置かれただけの石。
それを通して、それを置いた人の肉体の働きや、感性までもがおのずと理解されてしまうような文化が日本にはありました。
それはすばらしいものだと思いますし、だからこそ日本ではすばらしい武術が発展し、またその土壌が現在でも(と思いたいですが)あるのではないか、と思っています。

もちろんそれがすべてだなんてことは絶対にないのですが、こうして最新の科学の知見と伝統を照らし合わせるのも、日常で凝り固まった我々の頭を溶かすには良いのではないかと思います。
 
8. Posted by 太郎冠者   2013年09月20日 01:21
☆ユーカリさん
もちろん、ただ道具を持てばそれですぐ一体になれる、という簡単な話でもないです、が、面白い話もあります。

脳が変わって行けるのは脳自体が持っている特性のためで、程度の差はあれ、それは人間でも実験に使われるようなおサルさんでも変わりがないらしいのです。

実は、研究者がサルに対して、道具を使わせる訓練を辛抱強くさせ続けた結果、それまで道具を持っても反応しなかった脳神経が、強く反応するようになっていたという実験結果があるらしいのです。
つまり、それまでサルでは使われていなかった機能が、開発されてしまったのです!

もともとなかったおサルさんでさせそうなのですから(失礼)、人間も訓練によって、持っている能力をどんどん増やしていけるということです。
そしてそれを否定しているのも、つまり慣れた回路だけでそれを行ってしまって新たな能力を開発しないのも、脳が持っている特性のひとつであったりもします。

だから、科学的に見ても、何事にも興味を持って検証して取り組んでいくという過程こそが、脳、ひいては能力の発展に欠かせない大事な要素となっているといえるわけですね。

こうして結論だけ書いてしまえば、じつにありきたりなことしか言っていなかったりするのです(笑)
 
9. Posted by まっつ   2013年09月21日 01:17
人は他人の仕草から、
対応する内面の働きまで認知する事が出来ますね。
いわゆる空気が読めるとも言えますが・・・
真実は、ほんの些細な仕草を鋭敏に捉えているのだと思います。
それが分かるのは「合う」ことがあるからなのでしょうね・・・
小生もせめて空気が読める男にはなりたいものです。
 
10. Posted by bamboo   2013年09月21日 22:47
純真さと可塑性・共感…。それが体現できていたら「〜一代」のあの方も眉毛剃って山に籠らずに済み、わたしもアトラトラを試さずに済んだのでしょうか…(笑)
稽古で試されることが、科学的にも優れていることだと論理でも証明できるのは、たいへん貴重なことですね。
 
11. Posted by 太郎冠者   2013年09月26日 22:06
☆まっつさん
いわゆる聴勁というのも、人間が持つこのあたりの能力に由来しているのかもしれません。

相手が何がしたいのかが察知できるのは、戦いの場面のみならず、日常生活でも実に有効な能力だと思います。
しかし、顔色ばかりうかがっていてもダメなときはダメなので、そういうときには、自分で判断を下し、適切な行動をとらないといけないでしょうね。

たとえば街中などで誰かが倒れたりしても、「誰かが助けるに違いない」と各人が判断してしまって、人が多ければ多いほど、倒れた人が見捨てられたままになる、などということもあるようなのですが、これもまたあまりよくない意味で空気を読んでいるということなのでしょうか。
しかしそんな状況でも、誰かが動いて、その場にいる人に適切に指示を出せばみんな従ってくれるらしいので、やはり人間とは群れで生きるようにできているのかもしれません。

その意味では、相手のことが分かるというのは必要不可欠な能力なのかもしれませんね。
12. Posted by 太郎冠者   2013年09月26日 22:11
☆bambooさん
>稽古で試されることが、科学的にも優れていることだと論理でも証明できるのは、たいへん貴重なことですね。
そう言ってもらえると素晴らしいことのようですが、僕がやっていることなど実はこじつけにすぎなかったり・・・(笑)

世の中わかっていないことばかりですし、それは武術に関しても同じなので、少しでも皆さまに考えていただけるきっかけとなったら幸いです。
それ以上に本当は、自分自身が一番考えさせられているのですけどね。

>わたしもアトラトラを試さずに済んだのでしょうか
そんなことないでしょう!何かを実際にやってみるというのは大切なことです。経験によって多くのことを知る、とこれまた当たり前のことですけど。
そして僕自身、そんなふうにいえるほどの経験は積んでいないのですけども(笑)

なので山にこもることも必要な要素だと思います。
が、別に眉は剃らなくても・・・いいですよね??

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