2013年04月01日

連載小説「龍の道」 第108回




第108回  鞆  絵 (ともえ)(6)



「さてと、射撃を訓練するに当たって、先ずは──────────────」

「ええーっ、さんざん銃社会についての講義をやって、この上まだゴタクを・・?」

「ン・・ゴタクだぁ?」

「あ・・いえ、その・・つまり、たいへん貴重な御託宣(ごたくせん)をタクセン(沢山)拝聴したいと思っております、ハイ。ははは・・・・」

「ふぅーん、上手く逃げるわねえ〜ェ──────────────」

「カケイですね、化勁、ははは・・・ふぅ、アブナイ、アブナイ」

「化勁じゃなくて、射撃の練習をするんダロが!、もぉ、マジメに聴かんかいっ!!」

「は、はいっ、失礼しましたっ!!」

「まず、素人が観光射撃場で銃を撃つのと、ココで学習する射撃は何が違うと思う?」

「そりゃぁもう、何もかも違うでしょうねぇ。正しい銃の扱い方や、様々な標的の狙い方、銃の手入れの仕方やら管理の・・・」

「そんなんじゃないのよ、もっと ”決定的な違い” があるけど、何だか分かる?」

「決定的な違い、ですか────────────?」

「ハハン、やっぱり分かっていないわね!」

「何ですか、その ”違い” というのは?」

「私たちが銃の訓練をするのは、ひたすら ”人に中るかどうか” ということなのよ!」

「ひ、ヒトに、あたるかどうか・・・!!」

「当たり前でしょ!、的に当てるために銃を撃つんだったら、夜市の神槍手(射的)やスポーツ射撃と同じでしょ?、人に命中させるための訓練をして、はじめてプロと言えるのよ、わかる?!」

「ま、まあ、理屈ではきっとそうなのだろうな、ということは分かりますが・・・」

「リクツじゃないのよ。実際にその意識で撃つ訓練をしていなければ、たとえ理屈でいくら分かっていても、イザという時にはトリガーを引けないわ!」

「イザという時・・・?」

「そう。実際に銃が使われる状況というのは、当然相手も銃を持っているのよ。そして相手は自分を標的として、容赦なく撃ってくる────────────
 自分を標的にされるってコトは、敵は自分の命を狙って来るということ。もし相手に命中させることを目的としない訓練をしていたら、そんな時に絶対に対応できないでしょ。
 自分の命を狙ってくる相手に対しては敢然と立ち向かって撃つ、という強い意識が養われていなければ、それはただの趣味のシューティング、観光射撃や夜市の神槍手と、本質的には何も変わらないものなのよ」

「はい・・分かりました──────────────」


 分かりました、と頷きはしても、宏隆の心のなかは、まだすっきりしない。
 頭の中には、台湾に向かう「大武號」が北朝鮮の偽装船に襲撃された時に、自分もライフルを取って敵の銃弾が飛び交う中で応戦したことや、台北のホテルでの、徐たち工作員との死闘・・・それらが渾沌と入り混じって思い出されていた。
    (編集部註:「龍の道」第19〜21回<澪標>、第50〜59回<綁架>を参照)

 台北のホテルで徐が敵であることを見破ったあの時も、何とか取り上げた銃を相手に向けたが、徐はその宏隆に向かってこう言ったのである────────────

『いくら訓練場の標的に当てるのが上手だと言っても、昨日今日、訓練をはじめたばかりのヒロタカさんに、果たして生身の人間が撃てるでしょうか?』

 それに対して宏隆は、

『人間は撃たない─────だが、人間の皮を被ったようなケダモノが相手なら、いつでも躊躇せずに撃ってやるぞ!』

 精一杯、そう啖呵を切ったものだが、しかし本当は実際にそうする自信などなかった。
 拉致されて北朝鮮に向かう "HONG YANG 415" の船上でも、最後に徐に銃を向けることになったが、本気で撃つつもりなど、やはり自分には無かったのだと思える。


「台湾での事件を、想い出しているのね──────────────?」

「・・え、なぜ分かるんですか?」

「分かるわよ────────────私も、生まれて初めて人に対して銃口を向けた時には、とても複雑な気持ちだったわ。でもね・・・」

「分かっています。今度はためらわずに、きちんと撃てるように訓練します。それが銃を持つことの意味だし、銃を撃つ訓練をすることの厳しさなのだと・・・
 人の命を尊ぶ心と、愛する人や自分の生命を理不尽な暴力から守ることを一緒クタにしてはいけない。生半可な気持ちでは、決して銃を持つことはできないのだと思いました」

「えらいわね──────────────」

「そのことも、もっと勉強します」

「さて、それじゃ、やるか!!」

「はい、お願いします!」

「銃を扱うための四つのルールについては、よく分かっていたみたいだけれど、最も重要なことは何か、もう一度言ってごらんなさい」

「それは ”安全に扱う” ということです。銃は安全を確保することが最も重要なことです。
 標的以外の物や他の訓練者に銃口を向けたり、間違っても自分の足を撃ったりしないように呉々も注意しなくてはならない。如何に銃弾を標的に当てるかと言うことではなく、先ずは安全に取り扱えるように、正しい訓練を受けなくてはならない、ということです」

「そのとおりね。観光射撃場では、観光客自身にその意識が訓練されていないので、危険極まりないワケよね、ホント。いつ何どき、隣のブースから弾丸が飛んでくるか分からないような・・・ではその次に行きましょうか」

「次は、何ですか?」

「いよいよ実際に、銃を手に取って訓練するのよ」

「ふう、やっとそこに辿り着いたか!」

「でも、その前に────────────────」

「えぇー、まだ準備があるんですか?」

「服装のチェックよ」

「服装って・・これじゃ駄目なの?」

 宏隆は、半袖Tシャツとジーパン、スニーカーという、普通の若者の恰好である。

「話にならないわね・・・銃の訓練をするときには、襟付きの長袖シャツ、帽子、厚手のパンツ、コンバットブーツ、などが最低でも必要よ。それに加えて、実際の射撃では、ゴーグルとイヤーマフはもちろん、出来ればグローブの着用が望ましいの。そんな ”真夏の果実” のような出で立ちでは、どうしようもないわよ」

「スニーカーが適さないのは分かるとしても、Tシャツがどうしてダメなんですか?」

「ヒロタカはこれまで、Tシャツを着たまま銃の訓練をしたことがあった?」

「ありません。意識的にそうしたのじゃなく、偶然だと思いますけど」

「Tシャツだと、排出された薬莢が襟首に飛び込んでくる時があるのよ。薬莢は熱いので、それに驚いて思わずトリガーを引いてしまうこともあるわ。帽子をかぶるのも、ゴーグルをするのも、それを防止するためなのよ」

「ああ、なるほどね。それじゃ、ブーツを履くっていうのは?、射撃ブースの訓練でもいちいち戦闘用のブーツを履くんですか?」

「そのとおりよ。軍隊や警察など、プロのコンバット・ブーツは銃で射撃をすることを想定して作られているからね」

「・・と、言うと?」

「厚すぎず薄すぎない靴底の厚さ、絶妙なヒールの高さ、水や油、砂や氷にも滑りにくいビブラムのアウトソール、足首から脹ら脛までを正しくホールドするシャフト、後ろ側がカットオフされたトップエンド、締めやすく、動きやすいシューレース(靴紐)とフック。プロのブーツは厳しい任務を完遂するに相応しく、念入りに設計されているのよ」

「うわあ、やっぱり靴も立派な道具のひとつなんですね。でも ”絶妙なヒールの高さ” というのはどういう意味なんですか?」

「履いてみれば分かるわ。その棚にヒロタカの靴を用意してあるから、取ってらっしゃい」

「えっ、ぼくの靴が?」

「そうよ、普段そんなペラペラのスニーカーや、お気に入りのチャッカ・ブーツばかり履いていると解らないだろうけど。まあ、プロ用の靴を試してごらんなさい」

 そう言われて、宏隆は後ろの棚に置かれていた真新しいブーツを手にした。

「これですか?・・・何だか、兵隊が履く靴みたいですね」

「みたい、じゃなくて、実際に兵士が履いている靴なのよ。履いてごらんなさい」

「あ、ぼくの足のサイズにピッタリです」

「当たり前よ、宏隆のサイズで注文したんだから────────────あらあら、そんな紐の締め方じゃダメねぇ・・・・」

「特別な締め方があるんですか?」

「そりゃもちろん。私が靴紐を結び直すから、一緒にやって覚えなさい」

 そう言って、宏隆に分かりやすく靴紐を結んで見せる。

「ほら、こうしておけば、絶対にほどけてきたりしないでしょ。そして余った紐をこうして処理すれば・・・はい、出来上がり、っと─────────────」

「なるほど。こりゃすごいな、これなら特殊部隊の任務にも使えそうですね」

「これは特殊部隊用の結び方よ。アメリカ兵なんかは自分の好きに結んでいる人が多いけれど、軍隊では靴紐の結び方まで決められているのが普通よ・・さて、さっき質問したカカトの高さの感じはどう?」

「うーん、確かに絶妙ですね。高すぎず、低すぎず、フラットよりは気持ち少し高めのヒール、といったような設定ですか?」

「そのとおり。では、何故そうなっているか、分かるかな?」

「歩きやすいから、ですか?」

「それもあるけれど、大事なことは、銃を撃つ時は、ややカカトが浮くぐらいにした方が撃ちやすいという理由からよ。重心がほんの少し前気味になるような、そんな身体のポジションなら、銃は撃ちやすくなる。カカトをほんの数ミリ高くすると動きやすいし、銃の反動に対してバランスが取りやすくなる。反対にヒールが高すぎると、野戦時の下り坂では行動しにくいし、荒れ地ではかえって歩きにくく、足が疲れやすいのよ」

「すごいなぁ。靴ひとつを取り上げても、やっぱりプロの世界はスゴイんですね!!」

「靴は、銃と同等に大切に扱われるのよ。よく覚えておきなさい」

「靴が?・・銃と等しく扱われているんですか?」

「そう、履いている靴を見ればその兵士の実力が分かる、と言われるほど、軍人は靴を大切に扱うの」

「そう言えば、警察官や自衛隊員のブーツはいつもピカピカですね。年中訓練してドロドロになるはずなのに・・・その兵士の実力にまで関わってくるのは何故なんですか?」

「ちょっと考えたら分かるコトよ。靴がダメになったら、兵士はその時点で行動することが出来なくなるでしょ。敵に向かっていくどころか、撤退することも出来なくなってしまう。だから靴は兵士の命、身を守る銃やナイフと同じ価値を持っているのよ。軍隊では訓練後の手入れを怠ってブーツが汚れたままでいると、それだけで厳罰に処せられるのよ」

「そうか、なるほど──────────────────」

「何も兵士に限った事じゃなくて、登山靴やスポーツ靴、仕事用の靴、下駄でも草履でも、みんな同じことね。靴の手入れが悪い人間に、まともなコトが出来るはずがないわ。
同じように、きちんと靴紐が正しく締められていたり、靴紐自体が伸びたり切れそうになっていたりしないことも大切よ。ヒロタカは、自分の靴は自分で手入れをしている?」

「自分で手入れをするのは登山用のブーツくらいですね。普段履いている靴や通学用の靴なんかは、全部使用人が手入れをしています」

「やれやれ、こまったお坊ちゃまねぇ──────────────」

「でも、これからは自分で手入れをします。このブーツも、大切に使わせて頂きます」

「よろしい。それじゃ、ロッカーに訓練用のシャツとズボンがあるから、着替えていらっしゃい。帽子やゴーグルはここに用意してあるから」

「ありがとうございます」

「それから、着替えた帰りに武器庫から自分の好きな銃を持って来なさい」

「はぁーい!!・・・さあ、これでやっとこさ銃を撃てるぞ!」

 更衣室で指定された服に着替える。いかにも戦闘用だと思えるズボンには、専用のベルトが付属し、傍らにはホルスターまで置かれている。宏隆はもう一度ブーツを履き直し、念入りに靴紐を結ぶと、武器庫に寄って銃を選んだ。

「まあ!・・日本じゃこういうのを ”馬子にも衣装” って言うんでしょ、あはは・・・」

「なにが可笑しいんですか、もう・・失礼なんだから!」

「いや、ステキよ、なかなか似合うじゃないの、あははは・・・・」

 オリーブ色のシャツとズボンは、宗少尉の言うように、よく宏隆に似合っている。それに下ろしたての軍用のコンバットブーツを履いているので、なかなか精悍に見えるのだ。

「ところで、このワッペンは?」

 シャツの袖のところに付けられているワッペンを指差して、宏隆が言う。

「それは玄洋會の、戦闘部隊の識別ワッペンよ」

「胸のワッペンの記号と数字は?」

「それはヒロタカの所属国と個人の識別番号。我々は名前を明かせないからね・・・」

「ええーっ!、それじゃ僕はもう玄洋會の戦闘部隊ってコト?」

「当たり前でしょ。そのための訓練をしてるンだから」

「そりゃぁそうですけどね・・・でも、なんだか・・・・」

「ゴタゴタ言わないで、ほら、銃を見せてごらん!」

 宏隆が選んできたのは、陳中尉のもとで訓練した時のものと同じ、ベレッタである。

「へえ、Pietro Beretta(ピエトロ・ベレッタ)、M92 を選んだのね?」

「選んだというよりも、ハンドガンの訓練では、これしか撃ったことがありませんから。
でも、コイツとは何となく相性が良いような気がするんです」

「ふふ・・銃を ”コイツ” と呼ぶようになってきたら、少し上達してきたというコトね。
 さて、そのベレッタを正しく取り扱って、銃を撃てるようにセットするまで、説明をしてごらんなさい」

「はい・・・先ず、このベレッタはスライドが引かれておらず、マガジン(弾倉)もセットされている状態なので、外からは銃弾が入っているかどうかは判別できません。従ってより弾丸が入っているものとして扱わなくてはなりません。このように、決して銃口を人に向けずに、スライドを引いてチャンバー(マガジンから弾丸が送り込まれる所=薬室)に弾丸が無いのを確認し、マガジンも抜いて弾倉がエンプティであることを確認します」

「ふむ、なかなかよろしい。それじゃ、次は?」

「次は弾を込めます。このマガジンを・・」

「ちょい待ち!、その前に、やってもらいたいコトがひとつあるわね」

「何でしょうか?」

「Dry firing よ────────────」

「ドライ・ファイアリング?」

「弾を込めていない状態で ”空撃ち” をすること。ドライファイアとも言うわね」

「空撃ちのことですか・・・陳中尉にも教わっていませんが、実銃ではいちいちそんなことをするんですか?」

「初めて撃つ銃は、銃の重量や持ち具合は無論、たとえ新品でも、トリガー(引き金)の重さやスライドの反応の具合、その個体独自のフィーリングを掴むために、ドライファイアをした方が良いのよ」

「モデルガンでも、あまり空撃ちをするのは良くない、なんて言われますけど・・」

「実銃の場合は、9ミリの口径なら心配は要らないわ。実弾を撃つ前に、ドライファイアで感覚を取っておく方が、より早く自分に馴染むのよ」

「なるほど────────────」

「もっとも、教官によってはドライファイアを勧めない人も居るけどね」

 宏隆は弾丸の入っていない銃を構え、幾度か空撃ちをしてみる。

「・・どう?、なにか分かる?」

「はい、これはやってみる価値がありますね。ベレッタがこんな感じの銃だということが、実弾を撃っているときよりも、かえってよく分かる気がします。ぼくの手のひらがそれほど大きくないということもありますが、トリガーを引くと、少し銃口にブレが出ます。ドライファイアでブレていては、実弾射撃ではもっとブレてしまいますね」

「あはは、役に立ったみたいね・・それじゃ、マガジンに銃弾をセットしましょうか」



                                (つづく)




  *次回、連載小説「龍の道」 第109回の掲載は、4月15日(月)の予定です

taka_kasuga at 23:23コメント(16)連載小説:龍の道 | *第101回 〜 第110回 

コメント一覧

1. Posted by 円山玄花   2013年04月03日 14:08
射撃の訓練が、”的に当てるため”ではなく、”人に当てるため”だというのは、ずいぶん大きな違いですね。たとえば、試合でポイントを取るために練習することと、敵を完全に仕留めるために訓練することの違いと同じだと言えるでしょうか。
毎回の稽古で、「稽古では実戦のように、実戦では稽古のように」と言われている意味が、このようなところでもみえてきます。

また、装備については、これもとても重要なことですね。
「時間が無かったから」「取り敢えずこれで」「まあ何とかなる」という考え方がひとつでもあると、命取りになる・・なんて、普通ではあまり考えられません。
でも、実際にきちんとした装備でなければ、それによって自分の行動が遅れ、自分の身が危険になるだけではなく、自分の周りの人間まで危険に晒すことになります。
プロの世界では、その「きちんと」が、靴紐ひとつの結び方にも出てくるわけですね。

余談ですが、もう私はヒールのついたパンプスでお出掛けは、できません(汗)
 
2. Posted by マルコビッチ   2013年04月03日 16:54
軍用の靴やバッグ、サングラスなどを見せていただいた事がありますが、感じたことは美しさでした。
ちょっと相反するようですが・・・機能的と言ってもごちゃごちゃ沢山の機能が備わっているのではなく、戦う場で必要な物が機能的に使えるように、動けるようになっているのです。
それは全体を見るととてもシンプルで、私には美しく見えたのです。
このことは、師父の套路や対練での動きと重なります。
無駄のない動きは、無駄なく相手を倒すことが出来、その機能的な道具を無駄なく使いこなすことが出来る!
また、そこまで行き着くためには、銃を撃つことにおいてもこのように段階を踏んで、用心深く意識的でなければならず、厳しい厳しい訓練を積まなければならない!・・そしてその姿は精悍で美しい・・と思うのは私だけでしょうか?!

次回も楽しみにしています(^o^)
 
3. Posted by bamboo   2013年04月03日 23:36
観光射撃場、服装、靴…。いやぁ…撃たれたことはないですが、そんな心地です =(+_+)=D
とくに手入れや整頓などは取り組みつつある課題でもあり、グッサグサと刺されたような(これも経験は無いですが)…自分がはっきりするまでしばらくコメントできませんでした。
入門以来、ずっと心の奥で気になっていたことでもあり、今回の宗少尉の「本質的には…」というお言葉に、師父のときどき仰る同じお話も思い出され、やはりグサーーッときました(苦笑いすらできないです)。そうですよね…「本質的なところがどうなのか」ということは、とても重要なことなんですよね…。太極拳への向かい方、服装や言行。一見些細なものとして流してしまいがちなことにこそ、その人の本質が表れる。自分などあまりにもひどすぎて恥ずかしすぎて、せっかく頂いた新しい稽古着を着ることへ申し訳なさを感じていた訳がよりはっきりしました。浅かった…アッサイなぁもぅ!!…以上、心の叫びでした。

余談ですが、玄花さんのドレスやパンプス姿、今一度拝見したかった…いや、命取りでしょうか^^;
 
4. Posted by 太郎冠者   2013年04月04日 23:28
革命家で反体制派の象徴にもなっているチェ・ゲバラは、
「人生に大切なのは武器と靴だ。私はいつでも動けるように常に靴を履いている」
ということを言っていたらしいです。

…波乱万丈な人生を生きた革命家と同じことをしたいとはなかなか思いませんが(笑)、
静岡ではいつ大きな地震などの災害が起きてもおかしくないので、常に動きやすく丈夫な靴や服を用意しておくのは必要なことですね。

武藝館の稽古着としても、一般クラスのカンフーパンツとは別に研究会はタクティカルパンツの着用が許されていますが、実際に作戦に赴く人間が使うために作られた服は、普通の運動着などとも違い動きやすくて丈夫で、よくできていると思います。
あれに履きなれると、動きにくさを感じてしまって普段着にジーンズを履く機会がだいぶ減ってしまいました。
動きやすさは大事ですね。
 
5. Posted by とび猿   2013年04月04日 23:35
身に付ける物一つ一つ、頭の先から足の先まで丁寧に考えられていて、とても繊細なものに感じ、また、それは、常に考え続け、工夫し続けているもののように感じます。
そして、素人考えを正し、心構えを説かれ訓練にあたることによって、そこで身に付いていくものが、日常で得られるものと全く違ってくることは、容易に想像できます。
この龍の道を読んで想像される光景と、武藝館の稽古が、自分の中で重なって感じます。
これからどの様な訓練に進んでいくのか、続きが楽しみです。
 
6. Posted by まっつ   2013年04月05日 00:28
靴の扱い・・・(汗)
今の自分を省みると全くなっておりません。
危機が少なく、真の緊張感の少ない生活で、
文字通り足元がおろそかになっていたのだと、
改めて気付かされました。

そもそも靴のみに限らず、
生活の隅々まで意識が通っていないのだと知れます。
自分と自分を延長したモノを管理できずに、
武術で人を制する事はできない相談です。
先ずは靴磨きから始めます!
 
7. Posted by ユーカリ   2013年04月05日 01:45
常々稽古の中で、日常生活で、そのものの「意とすること」や「違い」をかなり曖昧に流してしまっています。
その為に、理解ができなかったり、見えなかったり、一つのことを常に同じようにできなかったり、自分自身の問題点を問題と認識できず繰り返せてしまったりという結果を招いています。
「龍の道」の登場人物、師父、玄花后嗣は常に、物事に対する説明が明確で、正しい正しくないという基準ではなく、意味することの違いを基にしていらっしゃいます。
服装や道具の扱い一つで命が守れるか守れないか、に大きく影響してくるのですね。
日頃から、「もしもの時に〇〇すればいい」という考え方なので、対練で始まりがかなり遅く、相対した時には終わっている状態にはなれないはずです。。。
常に実践を念頭に、生活してゆかなければいけません。
 
8. Posted by tetsu   2013年04月05日 16:25
銃を扱うことの心構えと、靴(自分の持ち物)を常に大切に扱うという姿勢は将に武術の稽古と一緒ですね。
真の武術であるためには相対する敵を的確に仕留めたり、制することが出来なければ、自分の命がいくつあっても足りません。
またよく「足元をみられる」と言いますが、靴の手入れや玄関先の整理整頓具合でその人(道場や団体)の人間性がよくみえますよね。
その点武藝館は本当によく道具や門人の持ち物がきれいに整理整頓され素晴らしいと思います。
 
9. Posted by 春日敬之   2013年04月12日 16:11
☆玄花さん

そう、フルコンなどの試合を経験してきた人は、どうしても「ポイントを稼ぐ」ような傾向がありますね。相手が打ってきて、躱せない場合は亀の子みたいに縮こまってでも、ポイントを取られまいとしたり、避け続け、逃げ回って、大きなポイントを取られまいとしたりしますね。
つまり、それは「戦闘」ではなく、「スポーツ」であり「ゲーム」の論理です。
ところが、自分を殺そうとする敵が存在する実際の戦闘では、そんな事は通用しない。
亀の子になった時点で、逃げ回ろうとした時点で、見事に殺されてしまうわけです。
だから僕は、試合の強者イコール実戦の強者では決して無いと思っていますし、
知り合いの米台軍人たちも皆、口を揃えて同じことを言います。
もちろん、スポーツとしての格闘技が存在することには何の疑問もありません。
結構なことだし、それをビジネスとしている人が大勢居るんだし、それはそれです。
問題は「格闘技」をやっている人がそれを「実戦」だと勘違いしてしまうことで、
本当に実戦に使える武術原理をその感覚でしか観られず、本物の武術を取れないことです。
常々言われるように、本人の「考え方」が「スポーツ武道」を脱却しなければどうにもならない。
それには先ず、謙虚になって自己を省みるしかないと思います。
 
10. Posted by 春日敬之   2013年04月12日 16:11
☆マルコビッチさん

衣服や靴を含めて、実際に使われている軍用の道具は美しいですね。
ところが、それをただ入手して悦に入るようなヤツも居るから、始末が悪い(笑)
道具は使ってこそ道具、自分の生命を守る用具として使えてこそ、その価値があるわけですが。
何でも恰好から入る人、まず道具を揃えたいという人は、まあ、どこにも居るワケでして・・・
ただ、プロは全くその反対で、レストランのナイフでも、赤ちゃんのスプーンでも戦えますし、
鉛筆一本、ベルト一本、帽子やコートでも強力な武器になってしまう。
オタク性の人は、ナイフは何処そこの特殊部隊も使っているコレでないとダメ、
靴はこれ、ベルトはこれ、上着はコレ、手袋はこれでないと・・と、買い漁りますが、
いやはや、そんなもの買っちゃって、ホントに使えるのかなぁ、と思いきや、
コレクションしているだけで、使っているわけではない・・・(笑)
カッコで戦闘はできませんし、本物はカッコのために造られているんじゃない。
そのことが分からないと、教わる武術も、ただのカッコだけになると思います。
私たちも重々、心したいものですね。
 
11. Posted by 春日敬之   2013年04月12日 16:12
☆ bamboo さん

>玄花さんのドレスやパンプス姿、一度拝見したかった・・・

太極武藝館の大きなイベントには、その(珍しい)お姿を目にすることができますよ。
今度は「北海道稽古会・創立パーティ」かもですね。
ヘぇーンシんッッッ!!、なんちて。

>いや、命取りでしょうか ^^;

うーむ。。。アブナイ、アブナイ、お互いにネ。。。 ・・・(゚_゚i)タラー・・・
 
12. Posted by 春日敬之   2013年04月12日 16:12
☆太郎冠者さん

タクティカルシューズで道場に通い、タクティカルパンツを履いて太極拳の実戦的訓練をするのは、おそらくウチくらいのものでしょうね。(笑)
それもこれも、師父が〇〇〇〇ですし、玄花后嗣が〇〇〇だからですが。。。???

確かに、軍パンに慣れてしまうと、ジーパンなんぞ怖くて履けませんねぇ。
大昔のジーンズはもっと分厚くて、軍パンみたいなヤツだったのですが。
動き難いこともありますが、実はジーパンは野戦ではすぐに破けてしまうのでダメです。
今の軍パンはリップストップなんて小技が効いているので、ちょいと安心。
靴も同様に、パンプス・・いや、もとい(汗)、スニーカーなどは履く気にもなれませんな。
あれを履いているときに大地震があったらどうするのか、考えるだけでもオソノシヒ。
先の大震災では、足を釘で踏み抜いたり、ガラスで刺したりする人が多く居たと言います。
私が大都会のネオンの下で遊ぶときなんか、お洒落どころか完全装備で、
普通の人がキャンプに行く仕度よりも、よっぽど重装備です(笑)
 
13. Posted by 春日敬之   2013年04月12日 16:13
☆とび猿さん

>素人考えを正し、心構えを説かれ、訓練にあたることによって・・・

そうですね。本物の武術を身に付けるには、正にそれしか方法がありません。
しかし、その「素人考え」でどうにか秘伝を身に付けられると思っている人の、
何と、何と、何と多いことでしょうか。
本物がどのようなテクニックかを書いた本は、それなりに神田にも並んでいますが、
本物を「どうすれば身に付けられるのか」、その「心得」を説く本は皆無と言えます。
武術にしても、「〇〇を科学する」なんてタイトルの本はよく見かけますが、
読んでみると科学でも何でもない、著者のただの思い込みを述べているだけだったりします。
「龍の道」は、物語はフィクションですが、主人公の宏隆クンが本物の武術をどのようにして修得していくのかを、できる限りリアルに詳しく書いていくつもりです。
 
14. Posted by 春日敬之   2013年04月12日 16:13
☆まっつさん

>先ずは靴磨きから始めます!

あはは・・その心がけは、とても結構なことですね。
ただし、靴の磨き方にも、いろいろあるんですよ。(笑)
靴は磨いているだけではダメで、きちんと「管理」できなくてはなりません。
磨き方も靴によって違うし、使う前、使った後、そして何にどれだけ使ったかによっても、
管理の仕方が違います。
加えて、正しい靴紐の結び方や、末端の始末の仕方、
正しい履き方、そして正しい ”脱ぎ方” ・・・
そこまで言ったら、「ええ〜っっ!!」と思うんじゃないですか?(笑)

でも、本当です。
それらがきちんと出来て、はじめてタクティカルシューズを履く意味があるのです。
ツールナイフも、コンバットナイフも、拳銃もライフルも弾丸も、ヘルメットもグローブも、
すべて同じ「考え方」のもとに、正しく扱われているのです。
そして、それらの事をきちんと理論的に行えるのが「プロフェッショナル」であり、
それらの道具を集めて所有しているのが「アマチュア」です。
ちょうど、「様々な技法」を集めてつくられたスポーツ格闘技と、
常に闘争術の「本質」を追求する軍事訓練との違いと同じことです。
武藝館で学ぶ人なら、心しておきたいものですね。
 
15. Posted by 春日敬之   2013年04月12日 16:14
☆ユーカリさん

>「もしもの時には〇〇すればいい」

というのは、最も怖いことですね。
既によくご存知のように、太極武藝館には、
「相手がこう攻めてきたら、こうすれば良い」という考え方はありません。
その代わりに、常に「自分がどのように在るか」ということを訓練していくわけです。
つまり「在り方」があるのであって、「やり方」は無い。
これをしっかり頭に入れて、稽古に向かわなくてはなりません。

それでは、「在り方」とは何か────────────
実は、それを養ってくれるものこそが「立ち方」、
つまり「站椿」であり、すべての「架式」であるわけです。

よって、立ち方の不備は、その人の在り方の不備であることとなり、
人生への向かい方や考え方が、その在り方に有り有りと出ることになります。
太極拳に限らず、どんな習い事、稽古事でも、それは同じですが。
そして、そこまで追求して行ける人だけが、太極拳の深奥まで修得していけるのだと思います。
 
16. Posted by 春日敬之   2013年04月12日 16:15
☆ tetsu さん

トイレの清掃は無論、靴箱を毎日きれいに雑巾掛けしたり、
ビルの階段まで掃除している団体が、果たしてどれほど有るのか知りませんが、
少なくとも太極武藝館は、毎回の稽古で欠かさずそれをやっています。

これは裏話ですが、(ウラ話を紹介したらオモテ沙汰になる?・・汗)
袋井に道場が移った時、そこは以前、某有名〇〇空手の支部道場だった所で、
物件を見に行った際に、何故かそこら中に殴ったり蹴ったりした跡がたくさん残されていて、
台所の流しはボコボコ、郵便受けもボコボコ、階段や壁や入口のドアには擦った黒い跡が無数にあって、師父や事務局の人はその殺伐とした光景に随分驚いたそうです。

ところが、武藝館の門人たちは道場開きの前にそれらを徹底的に綺麗にしました。
汚れ放題だった階段はスチームで掃除して、毎週ワックスを掛けてピカピカにし、
壁も床も天井も、トイレの中も、自分たちで出来ることはすべてやって、
一週間以上かけて、元のビルの一室とは思えないほど綺麗にしました。
出来上がったとき、門人たちはみな口々に「とても初めて来た時と同じとは思えない!」
と言ったそうです。

ただ、入口のドアだけは高価だったので、いまだ取り換えることが出来ずに、
やむなくそのままにしてある、ということですが。
道場はこれから、さらに綺麗になっていくことと思います。
 

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