2012年11月15日

連載小説「龍の道」 第100回




第100回 インテリジェンス(9)



「孔子の ”仁・義・礼・智・信” の崇高な精神が説かれた国。そしてその孔子を心底から畏怖させ戦慄させた、”道(タオ)” を説く老子を生んだ国・・・・
 日本人は、論語、道徳経、四書五経を始めとする多くの中国の書物を大陸から持ち帰り、古くから中国の影響を受け続けてきたわけですが、これまでのお話を聞いていると、それはいったい何であったのかと、改めて考えさせられますね」

 宏隆は、まだ少し呆然としている。

 これだけ様々な話を聞いてみると、真の中国の姿が余りにも自分のイメージと懸け離れていたことが分かり、宏隆には大きなショックだった。
 歴史にしても、中華民族の成り立ちにしても、漢民族にしても、自分が知っていたものとは全く違っていて、学校で習ってきた事と、宗少尉のような ”中国をよく知る中国人” から聞くものとは大違いであった。

「・・・そう、日本人は昔から漢籍、つまり中国の書物、漢書を教養として身に着けてきたわね。日本人なら誰でも論語の一節や漢詩のひとつやふたつはスラスラ出て来るし、日常用語の中にもそれらを起源とするものがたくさんある。それは文化としてスゴイことよ」

「確かに、江戸時代の寺子屋では、読み書きソロバンとは言っても、百人一首や徒然草はもちろん、四書五経から十八史略、唐詩選などの漢籍の多くを素読させ、諳記させていたわけですからね。現代の子供たちがそれをこなすことはかなり大変だと思います。
 当時、寺子屋は江戸だけで千軒以上もあって、最盛期には日本全国に二万軒も存在していたそうで、その時代に庶民のレベルでそれほどの教育が行われていた国は世界でも珍しいと言われていますね」

「けれど、漢籍に書かれた漢文をそのまま ”中国” だと思うことは、とても危険なコトよ。
なぜなら、それを作ったはずの中国人は、いまだに漢文が読めないんだから」

「・・え?、中国人が、漢文を読めないって?・・そんな、まさか!?」

「まさかと思うでしょ、でもそれが真実。この二千年間、漢文と中国語はまったく何の関係も無いものだったのよ。それは少しでも中国語を学んだ人なら誰でも分かることだけど。
 現代中国語をどれほどマスターしたとしても、決して漢文の読解力には繋がらない。現在の中国語は話し言葉を忠実に再現する目的で作られているから漢文とは全く異なっているのよ。北京語でも上海語でも、たとえどれほど中国語を話せるようになっても、論語や漢詩を返り点のない ”白文” で読み下せるようには、決してならないのよ」

「ちょっと、にわかには信じられませんが・・」

「例えば、杜甫の書いた ”春望” という有名な漢詩があるでしょう?」

「はい、 ”国破れて山河あり、城春にして草木深し” ・・という美しい詩ですね」

「そう、日本人なら殆どの人がそうやってスラスラ口をついて出てくるわね。だけど、それを正確な中国語の発音で読んで中国人に向かって聞かせたとすると、その朗読を聞いて正しく意味の分かる中国人は、まず存在しないのよ」

「え?・・ええーっ・・・・!?」

「ヒロタカだけじゃなく、それを聞いた世界中の人が目を丸くして驚くでしょうけど、それは紛れもない事実なのよ。もちろん、あらかじめその詩を知っていれば別だけれどね。
 実際問題、中国人にとって漢文というのは、そのままでは全くどうにもならないもので、音で聞いても文章で読んでも全く意味が不明、それが中国人にとっての ”漢文” なのよ」

「うーむ・・それじゃまるで、日本人がお坊さんの読むお経を聞いても何の事だか分からない、少しでも経典を勉強した人でないと、何を言っているのかチンプンカンプン、というのと同じじゃないですか」

「そのとおりよ。中国人にとって漢文とは、一般日本人にとってのお経と同じだと思って間違いないと思うわ。日本人が漢字だけで書かれたお経を読むのがほとんど不可能なように、中国人に ”般若心経” を見せても同じように読めないし、意味もサッパリ分からないのよ」

「本当ですか?・・・インドから中国に仏教が渡ってきたから、訳されたお経は漢字で書かれている、だから日本人は漢文を解読しないと意味不明なワケですけれど、本当に中国人は母国語で書かれた漢文、つまり ”漢字で作られた文章” が理解できないのですか?」

「それが古典だから難しいというわけではなくて、日本人が漢文を読む時のような送り仮名や返り点の無い白文を読むのは本当に至難のワザね。中国人にとって漢文というのは外国語のようなものなのよ。
 そもそも漢文には日本語のように、これは動詞、これは名詞といった品詞の区別が無い。
たとえば ”歩” という文字が、歩くことなのか、踏むことを表すのか、ある段階を示すことなのか、ルールが無いのでどうとでも取れるし、 ”言” という字が ”言う” という動詞なのか、”発言” という名詞なのか、それを明確に判断する方法が何もないのよ。それに加えて、普段は ”歩く” を表すのに ”走” という文字をあてたりしているから余計にややこしい・・・というか、こうなるともう、”処置なし!” という感じね」

「そういえば、いつかもそんな話をしてくれましたね」

「台湾でそんな話をしたわね。父が歴史家で言語学者だったから、私も自然とそういうコトに興味が出た、って・・・」(編集部註:龍の道・第40回参照)

「そうでしたね。士林の夜市に連れて行ってもらった時に・・古都西安の郊外にある碑文には、二千年経った今も中国人が読めない文字が書かれていて、その文字が日本の古代文字、神代文字やアイヌ文字とも似ているというお話も、そのときに伺ってビックリしました。
 漢字の元になった甲骨文字が漢民族の創作ではなかったことは、今日初めて知りましたけど、中国人が漢文を読めないと言うのも、同じように驚きです」

「日本人は漢文を見て、こんな返り点も、送り仮名も、点も丸も無い文章を中国人はスラスラ読めるのだから、とても高度な文化が存在している、などと思ってしまうのでしょうけれど、ほとんどの中国人は日本人と同じように漢文が読めないのよ。まるで笑い話でしょ?、ウソみたいなホントの話ね!!」

「でも、ほとんどの中国人ということは、もちろん、中には漢文をスラスラ読める中国人も居る、ということなんでしょう?」

「古典や漢詩は、かつて ”科挙” の試験を受けるような人には必須だったけれど、そうでない一般庶民にとっては全く無縁の世界だったワケね。だから漢文を読めるのは、いつの時代もその勉強を特別にした人だけ。
 たとえば、日本の書店には、論語や儒教の本だけでも無数にあるでしょ。つまり日本人は今も昔もそれらをとても大切にしてよく学んで来たのだけれど、中国の書店にはそれらの書物が日本ほどの数も種類も置かれていないの。日本は中国人よりも中国の伝統文化をよく学び、よく知っていると言えるのよ」

「そうなんですか・・・想像していたのと全く反対ですね」

「けれど、もっと重要なことがあるのよ────────────」

「もっと重要なこと?」

「それら古典が示している孔子や孟子、老子や荘子が説いたような人間性の高みについても庶民にとっては同じように全く無縁の世界だということ。
 たとえば、日本人はビジネスの世界で論語の言葉を指標として用いたり、武道家には老荘哲学が重んじられていたりするけれど、肝心の中国人にはそんな考え方は全然ないのよ。
 論語を生んだ国だからと言って、中華民族にその精神が活かされているはずだ、などと考えて付き合っていると日本人はとんでもない目に遭うでしょうね。たとえ口先で論語を引用して高尚に見せかけたとしても、実際にはその精神とは全く無縁の人たちなのだから」

「なるほど─────────────────」

「今言ったような ”漢文の特殊性” を世界で初めて指摘したのは、スウェーデンの言語学者、ベルンハルド・カールグレン博士よ。彼は、漢文は全体の意味が分かっていなければ文章の切り方も分からないし発音も分からない、という研究成果を発表したの。
 ただし、媚中派・親中派でなければ相手にされない日本の学会では、彼の研究から中国に都合の良い事ばかりを取り出して報告されているみたいだけれどね・・・」

「うわぁ、何てこった。そんなところまで中国の魔手が及んでいるんですか?、日本に住んで居るのがだんだん不安になってきますね」

「学問の世界でも、反日勢力はどんどん増えているわよ。特に東京大学なんかは反日左翼の巣窟のようなもの。入学式には国歌斉唱もないし、自衛官を絶対に大学院に入学させない事でも有名でしょ。中国と朝鮮のお先棒を担いで南京大虐殺や従軍慰安婦問題をでっち上げたり、日韓併合は日本の植民地支配だと呆れたデタラメを言ってのけるような、日本を貶める先兵となっている連中は、東大教授や東大出身者が圧倒的に多いのよ」

「あの東大が・・・何故そんなことになってしまったんでしょうか?」

「東大に左翼が多くなったのは、戦後のGHQ占領政策の一環で、当時主流派だった保守派の教授を学内から排除し、左翼系の教授をどんどん採用したという経緯があるわね。
 彼らは、中国がお父さん、韓国がお兄さん、日本が弟、という関係性を定着させたくて仕方がないのよ。まあ、こんな隣国ドモがすぐ隣で好き放題に暴れて、国内にはそれに協力する亡国反日勢力が巨万(ごまん)と居るんだからコレは大変なことよ。日本はよほど気を引き締めて掛からないと、近い将来とんでもないコトになるでしょうね」

「これまで宗少尉の ”インテリジェンス講義・中国編” を受けて、日本人が思うような中国という国家は無かった、中国人という人種も、漢民族という民族も無かった、ということがだんだんハッキリしてきました」

「思い付くままに話したから、分かり難かったかも知れないけど、基礎知識としては役に立つと思うわよ。ヒロタカのお役に立てて、とても嬉しいわ!」

「どうも日本人の中には日本と中国は ”古くからの良き隣人” であるような感覚があるみたいで・・中国とは理解し合える、という前提で付き合っているような気がするんですが」

「あはは、お人好しの日本人らしいわね───────────────」

「けれども、本当は何も知らない。今日のお話を聞いているとそれがよく分かります。
日本人が親しみ、知っているつもりでいるのは ”漢籍に書かれた中国” や ”戦後のメディアによって作られた中国” なのかもしれませんね」

「そのとおりよ。明治以降、多くの日本人が漢籍に書かれていた中国に憧れて大陸に渡り、そして大きく期待を裏切られ、みんな絶望して帰って来たの。姿三四郎のモデルになった西郷四郎もその一人ね。史記や三国志に登場してくる信義や礼節に篤い中国人と出会えるはずが、実際にその地を訪ねてみれば、油断も隙もあったもんじゃない、シタタカで抜け目のない、自分本位な連中ばかり──────────阿倍仲麻呂や空海が生きた時代の人が熱く憧れた支那と、今の中国とは全く違うのよ。もしその時代に現在のような中国だったとしたら、誰が危険を冒して、海を越えてまで行こうとするかしら?」

「なるほど、日本が学ぼうとした唐や宋の時代は、漢民族が支配した時代では無かったわけでしたね」

「そう、今の共産主義中国というクニは、かつての日本人が学んだ支那とは全く別のモノであって、思想も信条も、その行動も全く異なるものよ。本当は何も知らない、分かっていない、中国や中国人のことを何も知らないのだという自覚を持たなければ、永遠に中国を知ることが出来ないと思うわ。
 地理的にはとても近いところにあるけれど、相互理解にはまるでほど遠い。同じような顔をしているのに、これほど理解が出来ない、これほど全く考え方が違う隣り同士のクニの例というのは、世界でも珍しいわね」

「中華人民共和国と、空海が生きた時代の人が学んだ中国は同じではない。日本人はこれをキモに銘じなくてはいけませんね」

「ついでだけれど、その ”人民” というのはどういう意味か知ってる?」

「人民、ですか?・・それはもちろん中国国民のこと。国民と財産を共有する搾取や差別の無い平等な社会をめざす、共産主義の理念で作られた社会に生きる市民のことでしょう?」

「今の中国に当てはめると全くお笑いだけれど、一般的な定義としてはその通りね」

「そういう意味ではないのですか?」

「人民は、もちろん中国の国民を意味する言葉だけれど、中国でいう ”民” という文字には、とんでもない意味が潜んでいるのよ」

「とんでもない意味、って・・・?」

「別に難しいことじゃないわ。どんな辞書にも意味が載っているはずだけれど、誰もあまり関心がないみたいね。
  ”民” という文字の成り立ちは ”眠・氓・盲” という字が元になっているんだけれど、それは ”針で突いて失明させた奴隷” を表しているのよ。昔の中国では、奴隷が逃げ出さないように矢尻が付いたような針で両目を突いて失明させていた。人民の ”民” という字は、そのように ”目に針を突き刺した形” が変化してできた象形文字なのよ」

「うわぁ!・・・なんという国・・何という文化なんだ・・・!!」

「ちょっと見ただけでは、とてもそんな陰惨な歴史を秘めている文字だとは思わないでしょう?、私も父からそれを聞いたときには本当に驚いたし、きちんと歴史や民族のことを学んで理解しなければいけないと、あらためて思ったものよ。
 この文字はその後、盲人のように実際に物が見えない人とか、正しく判断が付かない人、権力の支配下に置かれた ”愚民” と呼ばれる大多数の人々、ということを意味する文字として使われてきたのよ。だから、目偏が付いた ”眠” という文字は、目を突かれて盲目にされた人の目の状態を表していて、目をつぶって眠るという意味になったワケね」

「すごい・・そんな謂われがあったんですね。こうして本当のことを知ると、ものの見方や考え方が否応なしに変わってきます」

「あの孔子サマも、”民は之(これ)に由(よ)らしむべし、之を知らしむべからず” と論語に書いているわね。民は言われるとおりにやっていれば良い、何故なら民は知る必要が無いからだ、というような意味・・・それは権力者である政府と支配層に従順な愚民を良しとして、愚民であるからこそ支配しやすいのだという ”愚民政策” の表現そのものね」

「孔子が?、そんなことを言っているんですか・・・」

「その愚民政策は、今の中国でも何も変わらない。毛沢東が民衆の支持を集めて大成功をしたのは、彼が初めて愚民たちに土地を分割して貸し与え、発言する権利を与えたからよ。
 今でも農民たちの間で毛沢東ほど偉大な指導者は居ないという強い崇拝があるのはその為よね。ただし、中国ではその土地は永遠に自分のものにはならないし、農民の発言がきちんと聞き届けられることなど、ほとんど有り得ないコトだけど」

「知識人たちはどうなのですか?、中国人の大部分は支配しやすい農民でも、いつの時代にでも高い知識人の層があったはずですが・・・」

「文革で反文化思想が膨れあがって専制主義が横行してくると、知識人たちは生き延びるためにその政治理念に従属するしかなかった。誰よりも蹂躙され、抑圧され、歪められながら人間性や良心を抑えつけて、共産中国という新しい社会が規定するところに従って生存していく方法を模索し、必死に保身哲学を身に着け、それを固守していくしか他に方法がなかった・・・というのが中国の知識人たちの実情なのよ」

「宗少尉のお父さんも、そのような知識人として弾圧され、迫害されたのですね・・・?」

「そう、けれど、父はそれに頑として従わなかった。
 だから私は、そのような支配者も、社会も、決して許せないの───────────」

「そういう人たちも多く居たのでしょうね。本当に中国の社会を憂い、本当の意味で民族を大切にしようとした、歴史や文化の尊さを理解できる人たちが・・・」

「そういう人たちは、ほとんど殺されたり強制収容所送りになったけれどね。そんな目に遭わなかった知識人は、取り敢えず上手く調子を合わせたり、身分を隠して潜んだ人たちよ」

「聞けば聞くほど、知れば知るほど、中国とはよくよく心して付き合わなくてはならないと思えてきます。ただボクがすごく不思議なのは、なぜあんなに性急に田中内閣は日中友好条約を結ばなくてはならなかったのか・・・それが全然解せないんですよ」

「良いところに気がついたわね。その ”日中平和友好条約” こそがクセモノよ!!」

「くせもの、って・・・?」



                                (つづく)
 



  *次回、連載小説「龍の道」 第101回の掲載は、12月1日(土)の予定です

taka_kasuga at 22:21コメント(11)連載小説:龍の道 | *第91回 〜 第100回 

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2012年11月17日 01:43
「龍の道」記念すべき連載100回目おめでとうございます。
毎回刺激に充ちた世界にいざなって頂き、
そのブレの無い世界観を通して、
自分の側を問う良い機会とさせて頂いています。

自分がブレていると、
真っ直ぐな物に向かい合う事は難しいと、
つくづく思い知らされました…

この先の物語でも、
宏隆君に置いていかれないように、
精一杯追いかけさせて頂きたいと思います。

今後も楽しみにしています。
 
2. Posted by ゆうごなおや   2012年11月17日 14:02
連載100回おめでとうございます。

毎回楽しく読み、そして勉強させていただき、ありがとうございます。読みながら姿勢を正され、目が開いていくような思いです。

中国の歴史。「龍の道」の内容そのままを中学生の息子に話してやってます。

次回を楽しみにしています。
 
3. Posted by とび猿   2012年11月18日 12:19
連載100回目、おめでとうございます。

現代中国に対し自分が思っていた幻想と、現実が見えてきました。
今まで見聞きしてきたことも、この基礎知識があるとないとでは、違って見えてきます。
さて、その現代中国と我が国との関係はどうのようになってきたのか、これも今まで全く見えていなかったことが山程ありそうです。
 
4. Posted by マルコビッチ   2012年11月19日 18:41
「龍の道」第100回 !! おめでとうございます!
超長編小説ですね (^_^) ありがとうございます m(__)m 

さてさて今回も私にとっては、よーく読まないと頭がコチャコチャになりそうな内容でしたが (^_^;) ・・・私たちはたしか中学、高校で(だったかな・・)古文漢文ってやりましたよね!
李白とか杜甫とかの漢詩がでてきたような記憶が・・・
当時は、レ点とか1,2とかで何とか読んでいけば、中国語は出来なくても中国の文とかは読めるんだ!なんて思っていました。(^^ゞ

老子や荘子は中国の歴史には関わってくるとしても、中国人の祖先でも何でもない
ということになります・・か・・
空海は日本人の祖先であって、いまなお真言宗の教えを持って多くの日本人のなかに生きておられますが・・・その昔、空海も長安で学んできたそうですし、日本人は中国の書物から、それこそ老荘思想から日本人として研究し日本の文化に取り入れてきた。 しかし中国人はそうはしていないということなんですね?!
日本人は、優れた物事を研究し更に深めていくことのできる民族なんですね。
太極拳もしかり・・・がんばります!!
 
5. Posted by 太郎冠者   2012年11月19日 22:17
連載100回達成、おめでとうございます!

ん〜、じつにすごい。
ふつう、片田舎のいち武術道場のブログでここまでやりますか?やりませんよ(笑)

何かで目にした記憶があるのですが、論語や四書五経の研究は、日本がとても進んでいたそうです。
明治時代に入り、多くの日本人が、
「伝来してきた日本でこれだけのものがおこなわれているのだから、本家である中国(当時はないですけど)では、さぞかし素晴らしい研究がなされているのだろう」
と期待を胸に留学したものの、その内容の無さにがっかりして帰ってきた、という話があったそうです。

これと同じようなことが、太極拳にはおこっていないことを祈るばかりですね。
 
6. Posted by 円山玄花   2012年11月20日 00:59
「龍の道」連載100回目、おめでとうございます。
100回と言うのは簡単ですが、実際にこれだけの内容とボリュームで月に2回の連載を100回継続するのは、本当にたいへんなことだと思います。ありがとうございます。

今回は、中国人が漢文を理解できないということにとても驚きました。
陳氏太極拳図説や三三拳譜は白文で記されていますが、それを正しく読み解ける人は、中国人にはいないということになります。科挙の試験を受けたという陳鑫老師が図説を著せたのは解るとしても、それを一体誰のために残したのだろうか、という疑問が残りますね。
それとも、陳鑫老師の時代には白文をスラスラ読める中国人が多少は居たのでしょうか…。

また、現代中国人の「勉強」についても気になります。
彼らは、日本人のように、休日に家で読書をしたり、図書館に通ったり、通勤電車の中で愛読書を広げていたりするのでしょうか。

色々な意味で、一度隣の国を訪れてみたくなりました。
 
7. Posted by tetsu   2012年11月21日 09:19
連載100回目おめでとうございます。思えばアッという間のような気がしますが、ブログに掲載されている小説で、ここまで長く続いているものは滅多にないと思います。

この小説を読んでいて、日本の教育でも過去の中国史だけでなく、近代の中国史をもっと検証し教科書に載せたらと思いますね。
我々が学んだ中国史はフィクションの世界かと思ってしまいますね。
 
 
8. Posted by ユーカリ   2012年11月25日 11:16
「龍の道」連載100回!!おめでとうございます!
毎月1日・15日、定期的にこのように内容深く、ボリュームある、面白い記事を出してくださる春日さんの姿を思いながら、その姿勢も学んで行かねばと、気が引き締まりました。

中国とは、本当に今まで思っていた国とはあまりにかけ離れており、毎回唖然としております。
日頃、当たり前のように使っている漢字には、中国の残虐な歴史の中から生まれたものもあるのだと、ショックでした。
いつも「眠気」に勝てない私は、目を突かれて身動きがとれない、何も観ることができない状況に陥っているなあと恐ろしくなります。

中国人のほとんどが漢文を正しく読み、理解できない状況の中、長年にわたって中国武術書を紐解き、研究され、陳氏太極拳を忠実に伝承してらっしゃる円山師父の存在は物凄く貴重であり、まさしく有難いものだと痛感します。

これからの展開にわくわくします!!
 

9. Posted by taka_kasga   2012年11月26日 22:48
☆ 読者の皆さまへ ☆

お陰さまで、この「龍の道」も連載第100回目を迎えることが出来ました。
試みに、これまでの総文字数を数えてみると、576,476文字ありました。
これは400字詰めの原稿用紙にすると約1,500枚分に相当するようで、自分でもビツクリ。
小説一冊分がおよそ8万から10万文字、多くて15万文字ぐらいだと言われているので、
この「龍の道」は、すでに四〜七冊ほどのボリューム、と言うことになるでしょうか。
文字数を誇るわけではありませんが、いつの間にかたくさん書いていたんだなと思います。
読者の皆さまには、こんな素人小説に100回もお付き合い下さったばかりか、
いつも暖かく見守って下さり、心より感謝しております。
本当にありがとうございます。
 
10. Posted by taka_kasga   2012年11月26日 22:49
☆ 読者の皆さまへ ☆(承前)

このところ「中国」の話ばかりを長々と書いておりますのは、
ぼくも含めて、日本人があまりにも中国というクニについて知らず、
それどころか「日中友好」以来、誤った情報を与えられ信じ込まされているからです。
中国や中国人のことをよく知らなければ、太極拳のことも分かるはずはない、
改めて中国を紐解くことで、太極拳の愛好家や武術修行者にもきっと益があるはずだと、
そう思って書き進めてきましたが、ヒロタカくんの勉強になっただけではなく、
ぼく自身にとっても新たな発見がたくさん出てきて、とても良い勉強になっています。
今しばらく「インテリジェンス・中国編」にお付き合い下されば幸いです。

ブログタイジィ編集室のご指示ということもありますが、
まだまだ「龍の道」を終わらせるわけにはいかないようで、
・・というか、ストーリー的にはちっとも進んでおりませんので・・σ(^_^;) 
近ごろめっきり弱ってきたアタマと体にダンビエンでムチ打ちながら、
今後どうだい?(金剛搗碓?)と期待される読者の方々にお応えするためにも、
精いっぱい「龍の道」を書き続けて行こうと思っております。
どうぞ変わらぬご声援・ご愛読を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

                            春日 敬之

 
11. Posted by bamboo   2012年12月18日 23:28
とんでもない目に遭うでしょうね。>よ〜っくわかります!! 遭いました^^;
わたしの場合、都会の若者や学者より、むしろ田舎出身者やご老人達に親しみを感じることがなぜか多かったです。

昔の歴史書でも、日本人の礼節について少し触れている物があるそうですね。

龍の道を通じ、様々な気付き・学びがありました。これからも楽しみに読ませていただきタイと思います。

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