2012年09月15日

連載小説「龍の道」 第96回




第96回 インテリジェンス (5)


 幾千年にもわたって度重なる異民族からの侵略と支配を繰り返されながら、なぜ漢民族は滅びることなく、今なお中国の人口の94%を占めているのか────────────

 宏隆のその疑問に対し、宗少尉は ”漢民族の定義” が問題だと言ったが、そのとき宗少尉の目が一瞬、キラリと輝いたような気がした。

 宗少尉自身も、おそらくは紛れもない漢民族の出身であろう。漢民族の定義を明らかにすることとは、自分のルーツを明らさまにすることでもあるのだ。

 しかし宏隆には、宗少尉の目が輝いた理由が、まだよく分からなかった。


「本当はね、 ”漢民族” などというものも存在しないのよ───────────────」

 ちょっと投げやりな感じで、宗少尉が言う。
 
「ええーっ!!、またしてもそんなアブナイ発言を・・・さっき中国という国は無かったと言ったばかりなのに、今度は漢民族まで無かったと言うんですか?!」

 さすがの宏隆も、こうなってくると従いて行けない。
 歴史学者でも何でもない普通の女性・・・いや、決して普通ではないが、台湾海軍の少尉であり、特殊部隊の猛者たちを指導する格闘教練でもあるような人が、いきなりそんなことを言い出すのである。 いったい何を根拠に、そんなとんでもないことを口に出来るのだろうか。

「そのとおりよ────────────事実なんだから、仕方がないわね」

 しかし、凜としてそう答える。

「だって、太極拳にしても少林拳にしても、中国人は ”漢民族の宝” だと言っているじゃないですか。この地下基地でお茶を淹れてくれる女性だって、上の ”祥龍菜館” の従業員だって、みんな胸を張って、自分は漢民族だからって言ってますよ。その人たちもみんな漢民族ではないと言うんですか?・・・というか、その漢民族自体が存在しないのなら、太極拳は一体誰がつくったもので、これから先はどうなってしまうんでしょうか?」

「太極拳が何処でどう発生してどうなったのかは、私は門外漢だからよく知らないけど、それとは別に、漢民族というものが存在しないというのは事実なのよ」

「それなら台湾の張大人も、王老師も陳中尉も────────そして宗少尉、ご自分もまた漢民族ではない、と仰るのですか?!」

「台湾では自分のことを ”中国人” とは言わないわね。台湾では人口の84%が本省人、15%が大陸から渡って来た外省人、残りの2%が原住民とされているのよ。
 本省人というのは台湾省の人、つまり日本が戦争に負けて中華民国に台湾が帰属する以前から台湾に住んでいた漢民族と客家のことで、外省人は日本の統治以後に中国から台湾に移住してきた人とその子孫を指すものね。外省人の大部分は漢民族と言われているから、私たち結社の人間も、分類としてはほとんど漢民族ということになるわね」

「・・で、ですから、宗少尉は漢民族なのでしょう?」

「胸を張って自分のことを漢民族だと言いたいところだけど、歴史的・学問的に厳密に言うなら、漢民族など何処にも存在しないのよ」

「うーん、そう言われても俄(にわか)には信じられないなぁ。そこのところを詳しく説明して下さいよ」

「それじゃぁまず、さっき話に出た ”黄河文明” というものが何処でどう発生してきたのか、ヒロタカが説明してごらんなさい」

「黄河文明?・・・・なるほど、漢民族の中華文化発祥の地である ”中原(ちゅうげん)” に発生した文明から説いていこう、という寸法ですか?」

「まあ、そんなところね」

「黄河文明は、紀元前16世紀から15世紀頃にかけて、黄河流域の中ほどにある洛陽盆地を中心に発生した文明です。広大で肥沃な黄河流域に、治水や灌漑を通じて農耕文化が盛んに発展し、農耕民族の人口が密集して誕生した古代文明です」

「それは、ちょっと違うわね─────────────────」

「でも、学校でそう教わりましたけど」

「学校の教科書ほどアテにならないものはないのよ。テレビや新聞もダメ。そういったものは皆、時の政治や圧力によって、どんな具合にもコントロールできるものだからね。歴史というのは必ずしも事実の記録ではなく、時の権勢に都合よく創られたものが多いのよ」

「その、穿った(うがった)モノの見方は、インテリジェンスの基本ですか?」

「ま、そういうコトね。でも、”穿った” という本来の意味は、モノゴトの本質を的確に言い表すことであって、慣用的な歪めたものの見方や邪推とは違うのよ。日本人はもっと日本語を大切にしましょうネ」

「むむっ、確かにそうですね(シナ人に日本語の誤用を指摘されてしまったぜぃ・・・)
 それで、ぼくの黄河文明の認識は、どこが間違っているのでしょう?」

「実際に行ってみれば分かるけど、そもそも黄河流域というのは農業に適した肥沃な土地ではないのよ。数年毎に必ず大洪水に見舞われるし、水路もあっという間に激変してしまう。上流は黄河の浸食が激しくて住めない・・・そんな場所で農業が隆盛になったために人口が増え、都市が誕生するというのは、ほとんど有り得ないコトでしょう?」

「それじゃ黄河文明はどうやって発生したですか?、中国というクニはなかった、漢民族は無かった、ついでに黄河文明も無かった、なんて言うんじゃないでしょうね・・・」

「・・・あのね、私は何も想像でモノを言っているのではないのよ。中国というクニが存在したことは無いし、漢民族というものも存在しない、これは学問的な事実なのよ。学問として研究すればそういう結果しか出てこないの。漢民族については今から説明するけど、黄河文明にもウソや誤解がたくさんあるわ。黄河文明が存在し得たのは、農耕が発展したからではなく、”交易” が栄えたからなのよ」

「交易──────────────?」

「そう、黄河は全長5,400キロにも及ぶ大河だけど、洛陽盆地から西は両岸が険しくて流れも急、東側では水の氾濫と水路の激変が起こる。その長くて危険な大河で、向こう岸に渡れるのは唯一、洛陽盆地の周辺だけだったのよ。そこで黄河文明が発生したというワケ」

「唯一、黄河を渡れるところ・・・うぅむ、そんなこと考えてもみませんでした」

「漢民族にとって自分たちの中華文化の発祥地は、”中原(ちゅうげん)” と呼ばれる、黄河の中下流域の平原部を指すのだけれど、この地域は海抜が低く、水質は塩分を含んで飲用水を確保することさえ困難な土地なのよ。実際に、古代の都市国家の分布を見ると山西高原の東にある太行山脈の東麓に沿って起こっているし、その東には平原の中に点在する丘陵の上に都市国家があったことが分かるわ。黄河の水利工事がなされる以前の古い集落はすべて、河を離れた山の中腹や丘の上で営まれていたの・・・これだけでも農業なんかに適した土地ではないというのが分かるでしょ?」

「ふむふむ・・・なるほど、よく分かります」

「けれども、洛陽盆地だけは直接黄河の氾濫の危険に脅かされることもなく、原始的な灌漑工事でも充分に治水のできる土地だったわけ。洛陽から鄭州(ていしゅう)、開封(かいほう)までの長さ200kmほどの地域は水流もゆるく、両岸も低くて渡河も容易なところだったのよね。しかも、この区間の北側にはアジア各方面からの陸上交通路が集中していて、南には水上交通路が集中している・・・こんな便利なところは他には無かったのよ」

「うーん、こうしてお話を聴いてみると、学校で単に ”中原に中華文化が発生した” と習っても、ぜんぜんイメージが違っていますね。よく ”南船北馬” と言いますけど、これは正に南船と北馬の出会う所そのもの。交易には最も適した土地だったと言えますね」

 註記:「南船」と「北馬」は、中国の交通手段のことである。南方は川が多いので船が用いられ、北方は山が多いので馬を用いることになる。そのことから東奔西走と同じく、忙しく走り回ったり頻繁に旅をするという意味になった。

「洛陽は、現在の河南省西北部の伊洛盆地に位置しているわね。南は伊水が守り、北は邙山(ぼうざん)が城壁のように外敵を阻み、東には虎牢関(ころうかん)、西には函谷関(かんこくかん)がある、天然の要害と言っても良いでしょうね。洛陽は中国大陸に興亡を繰り返した幾多の王朝がそこに都を置いたので ”九朝之古都” などと讃えられたのよ」

「うわぁ、すごい所ですね。”〇〇関” というのは険しい山岳地帯に創られた要塞や関所のことですね。函谷関は日本の文部省唱歌にも出てきます。♪ 箱根の山は天下の険、函谷関もモノならず、万丈の山、千仭の谷ぃ・・・ってね」

「日本の歌にも函谷関が登場してくるの?、面白いわねぇ。箱根は峻険で山が深いけれど、函谷関は大陸的で、開けた平野から漏斗状に狭まった谷を抜けていく所にあるのよ」

「へえ、ぜんぜんイメージが違うなぁ・・・で、その洛陽盆地に農業ではなく交易が栄えたことと、漢民族は存在しないというのと、何の関係があるんですか?」

「実はそれこそが、”中国人はどこから来たか” ということを解くカギになり、”漢民族とは何か” を理解するための重要なポイントとなるのよ」

「うーん、何だか面白くなってきましたね。王老師にフッ飛ばされたり、敵と戦ったりすることにもすごく興奮しますが、こうして少しずつ歴史を紐解いていくことにも同じようにワクワクします」

「あはは、それが歴史の魔力よね。正しい歴史を知るのは大変だけれど・・・」

「そうですね、これまでのお話を聞いているだけでも、自分がいかに正しい歴史を教わっていないかよく分かります。外国は無論のこと、特に日本の近代史、明治維新から敗戦までの期間となるとなおさらですね」


「よしっ、漢民族を語る前に、珈琲をもう一杯飲むか────────────!!」

「それじゃブラックじゃなくて、イタリア式のミルクコーヒーなんかどうです?」

「なにそれ?、何だか美味しそうね・・・」

「イタリアのバールでは、カッフェー・マッキアートなんかがよく飲まれます」

「末期アート?」

「そ・・そうじゃなくて、Macchiato、マッキァートですよ」

「ふーん、カプチーノと、どこが違うの?」

「カップチーノは泡立てたミルクを注ぎます。マキアートは泡立てたミルクでも良いんですが、本来のマキアートは普通のミルクを少量注ぐのです。まあ、バールによっても個性が異なりますけどね。シアトル系のカフェで出されるものとはモノが違います」

「わぁ!、いいわねー、それ淹れてくれる?」

「かしこまりました」

「でも、こんな薄ぎたない地下基地に、よくエスプレッソマシーンがあるわね?」

「薄汚いじゃなくて、薄暗いでしょ、もぉ・・・マシーンと言っても、ビアレッティ社製の直火で立てる家庭用のヤツです。イタリアじゃどこの家庭にもあるんですよ、コレが・・・一家に一台、ビアレッティ!!」

「うーん、なんだかウチの結社も、ヒロタカが来てから変わったかなぁ?」

「そんなコトありませんよ、美味しいモノは誰だって好きでしょ。王老師だって、陳中尉だって、美味しいものは大好きだって仰ってましたよ」

「やれやれ・・・まあ、私もそのクチだけどね」

「あはは、ちょっと待ってて下さいね、すぐに淹れますから。ミルクはトロリと美味しい、六甲牧場の搾り立て、っと・・そうだ、エスプレッソの量はどうしますか?」

「量って・・エスプレッソってのは、例の可愛いデミカップに僅かひと口でしょう?」

「日本やアメリカだと細かい規定がないんですけど、イタリアでは30ccがカフェと呼ばれる普通のサイズ、20ccをコルト、40ccをルンゴと言って、好みで量を決めるんです」

「へえ、それは知らなかったわ────────────」

「イタリア人は、コルトにお湯をスプーンで一杯足してくれとか、ルンゴでちょっと多めにとか、出勤前の混雑時でも結構みんな注文がうるさくて、バリスタは大変です。
 それに、砂糖は必ず入れるもので、バールには日本のスティックシュガーみたいな物は絶対にありません。Banco と呼ぶカウンターには巨大な砂糖壺が置いてあって、大抵そこら中に砂糖がこぼれているんです」

「あはは、楽しそうね。私は珈琲の量は多い方が好きよ。そう、ルンゴで多めに・・ね!、砂糖は少なめにしようかな、っと!」

「イタリア人は必ず2〜3杯の砂糖を入れます。まるでそれがルールのようにね。でも絶対にかき混ぜません。それもルールですね・・・さてと、ボクもお相伴しようかな、ちょっとスッキリさせないと頭がこんがらがってきたし。これから先、どんな突拍子もない話がいっぱい出て来るかも知れませんからね」

「ン?、聞き捨てならないなぁ、”突拍子もない" じゃなくて、とても難しいとか、自分の考えも及ばないようなお話・・でしょ!」

「そ、そうです。もちろんそういう意味です。またぁ、すぐに腰のホルスターに手を回す!
ほんとにアブナイ人なんだから、もぉ・・・」

「フフ・・口の利き方には気をつけなさいヨ。人呼んで、早撃ちの宗麗華・・・」

「またバカなこと言ってらぁ・・・」

「バカ・・?!」

「あ、違います・・空耳です、気のせいです」

「ふ・・この世はツネに強者が支配するのだヨ、キミぃ!」

「強者じゃなくて、短気でケンカっ早いだけでしょうが、もぉ・・」

「ン・・また何か言った?」

「言いません、言いません。はい、どうぞ、これがホントの ”末期アート” ね!!」

「うわぁ、美味しそうなマキアートねぇ・・ヒロタカ、良いハズバンドになれるわよ!」

「ボクは日本人ですからね、レディス・ファーストの価値観はありませんよ」

「あーら、でも珠乃さんには、すっごく優しいじゃないのォ〜!!」

「・・そ、そ、そんなこと、ありませんよ」

「あ〜ら、そうかしらね〜ぇ・・・・」

「・・さ、さあ、早く続きを聞かせて下さいよ。読者だって、また珈琲の話かと思いながら辛抱強く待ってくれてるんだから」

「あはは、ヒロタカ、顔が真っ赤よ〜!」

「うぐぐ・・もう珈琲を淹れてあげないからね!」

「よし、ウブなボーヤをからかうのはこの位にして次に行くか。♪ ボーォヤァ、ヨイコダ、ネンネシナァ〜・・っと」

「ムッ・・お願いしますっ・・・」


「えーっと、ところで何の話だっけか・・?」

「洛陽盆地に農耕ではなく交易が栄えた事こそが、”中国人はどこから来たか” ということを解くカギになり、”漢民族とは何か” を理解し、”漢民族は存在しない” ということを証明するポイントになる、ってハナシです」

「一服してバカ話をしたばかりなのに、よくスラスラ言えるわね。さすが現役学生・・・」

「宗センセイ、脱線せずに、どんどん講義を進ませましょう!」

「よっしゃ。それじゃさっきチョイと出てきたけど、東夷(とうい)、北狄(ほくてき)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)というのがあるわよね?」

「はい、中華思想による世界観ですね─────────────────」

「ヒロタカは、いったいそれを何だと思う?」

「中華思想は円で表せますね。円の中心に皇帝・天子が居て、そのすぐ外側の円に皇帝を取り巻く内臣と外臣が居て、さらにその周りには朝貢(ちょうこう)の国々があって、そこから外は化外(けがい)の地・・そこに東夷・北狄・西戎・南蛮という四夷(しい)、あるいは夷狄(いてき)などと呼ばれる未開の野蛮な異民族が存在するわけです」

「ほい、良く出来ました。その ”化外の地” というのは王化の外、つまり王朝統治の及ばない土地、という意味よね。そして、その元となる考え方はこの洛陽盆地から始まったのよ」

「えっ、本当ですか?」

「そんなに驚くことじゃないでしょ、漢民族は洛陽盆地から始まったんだから」

「そうアッサリ言われると、やっぱり驚かされます」

「これからもっと驚いてもらうわよ・・・それじゃ、そもそも ”化外の地” というのは何処を指していて、四夷とはどんな人たちを表す言葉かしら?」

「えーっと、東夷は日本や朝鮮などの東方諸国。西戎は西域と呼ばれていたシルクロードの西の果ての国々でしょうか。北狄は匈奴や鮮卑、蒙古などの北方諸国。南蛮は東南アジア諸国や南方からやって来た西洋人のことでしょうね・・・大体こんなモンでしょう?」

「ははは、ぜんぜん違うわね─────────────────」

「・・え、どうしてですか?、教科書にはそう書いてありますよ。北狄、匈奴、鮮卑なんて呼び方はみんな相手を卑下している言葉だし、日本にも倭人、漢ノ委ノ奴ノ国王、卑弥呼なんて、すべて蔑んだ無礼千万な呼び方をされているんだから、東夷の中に入りますよね」

「だから、教科書なんぞアテにならないって言ってるでしょ。本当のことは常に隠されていることが多いのよ」

「そうかなぁ─────────────────」

「いいこと、まともな歴史学者が語る真実は、こうよ・・・よく聴きなさい」

「はい・・」

「その昔、先史時代に遡れば、洛陽盆地とそれを取り巻く地域には、様々な生活様式の人たちが住んでいた。洛陽盆地の東側には黄河、准河(わいが)、長江の大きなデルタ地帯の中で農業や漁業で生活をし、河川と湖沼を船で往来する人々が居た。その人たちは ”夷(い)” と呼ばれていた。夷というのは ”低” や ”底” と同じ意味で、”低地に住む人” という意味。
彼らは洛陽盆地の東に住んでいたので ”東夷(とうい)” と呼ばれた・・・」

「う、うぁ・・・・」

「洛陽盆地の北方、山西高原がモンゴルから黄河の北岸にまで接している辺りは大森林地帯で、そこに住む狩猟民は毛皮や高麗人参などを平原に住む農耕民に持ってきては農産物と交換する交易を繰り返していた。この狩猟民の名は ”狄(てき)” と言った。
 ”狄” というのは、交易の ”易” と同じく ”変える・換える” という意味である。彼らは北方の人々なので ”北狄(ほくてき)” と呼ばれた・・・」

「す、すごい・・・次を・・早く次を教えて下さい」

「洛陽盆地の西、現在の甘粛省(かんしゅくしょう)の南の草原に住んでいた遊牧民たちは ”戎(じゅう)” と呼ばれていた。彼らは平原に住む農耕民たちに羊毛やそれで作った製品を持ってきては農作物と引き換えていた。”戎(じゅう)” は、絨毯(じゅうたん)の ”絨” と同じく ”羊毛” を意味する言葉であり、彼らは西方の住人なので西戎(せいじゅう)と呼ばれていた」

「だ、駄目だ!・・もう、じっとしていられません・・・・」

 宏隆がたまらなくなって、ガタンと椅子から起ち上がった。

「洛陽盆地の南側の山岳地帯には、焼き畑農業を営む農耕民族が住んでいた。”蛮” とは彼らの言葉で ”人(ヒト)” という意味であり、南方に住む彼らは ”南蛮(なんばん=南の人)” と呼ばれた・・・」

「うーん、まさに目から鱗が落ちるようです!、歴史の教科書には、そんなことは唯のひとつも書かれていません。本当にすごい話ですね!!」

「・・ね、面白いでしょう?、そして、洛陽盆地を取り巻くこれらの異民族たちは、交易を求めて定期的に洛陽やその周辺に集まるようになって、やがては彼らが交易を行う所を中心に都市が発生していったの。古代、洛陽に発展した黄河文明は商業都市としてのカタチを持っていたというわけね」

「四方の夷狄(いてき)も、初めは決して異民族への蔑称ではなかった。洛陽盆地に文化が発生した頃には、化外の地に住んでいる人たちを野蛮な異民族だなんて全然思っていなかったんですね。それどころか、交易による文化交流をしていたなんて・・・歴史のことでこんなに感動するのは久しぶりです!!」

「まだまだ話の続きがあるわ。きっと、もっと感動することになるわよ!」


                                 (つづく)
 



  *次回、連載小説「龍の道」 第97回の掲載は、10月1日(月)の予定です

taka_kasuga at 22:23コメント(14)連載小説:龍の道 | *第91回 〜 第100回 

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2012年09月18日 00:04
夷狄を「人」として解釈する説は始めて知りました。
とても面白いと思います。

試みに四夷の解釈を紐解くと、
武器、兵士、人ではない物(虫や犬)に、
準える通念が一般的だと思います。
すなわち文明度の高い中華が、
野蛮な周辺異民族を支配する正統性を謳う為の、
差別的な蔑称としてです。

でも本来の位置づけ、語義の発生過程では、
シンプルな、そのものの意味しかなかったのであれば、
その意味が時代の流れの中で変化していった理由に、
大いに興味があります。
 
2. Posted by マルコビッチ   2012年09月18日 12:45
六甲牧場のトロリと美味しい搾り立てのミルク・・・でマッキアート・・(*^_^*)
いや〜〜うわ〜〜・・って、まさにコーヒーブレイクなお話にめちゃくちゃ反応してしまうマルコです (^_^;)

”漢民族”は存在しないというところから始まった今回のお話。
学生時代に教わった中国の歴史は、私には意味がよく分からず、ただそういうものだと覚えただけで、今となっては全て忘却の彼方です (¨;)
ですが、この宋少尉のお話・・
黄河文明発生の正しい歴史!
中華思想の正しい認識!
これは、まるで訳の分からなかったミステリーの謎が解けていくいくような、あるいは驚くようなマジックの種があかされるような、何とも小気味よいくらい、
”そうだったのか!!”と納得できます。
今、尖閣諸島の問題で反日感情剥き出しにしているお隣の国の原点!
この先のお話が楽しみです。
 
3. Posted by とび猿   2012年09月19日 00:05
四夷や夷狄と聞くと、蔑んだような言い方であると思っていましたが、元々の意味にそのようなことは無かったとは驚きです。
黄河文明に関しても、この様に紐解いていくと面白いですね、
学生時代、歴史は記憶することで手一杯で苦手でしたし、疑問も湧かず、とてもつまらないものでした。
一連の流れの中で見ていくと、いよいよ面白さが増してきますし、疑問も出てきます。
勿体ないことをしたなと思います。
 
4. Posted by 太郎冠者   2012年09月19日 03:05
なんてこった、漢民族なんて存在しなかったんやー!?

正直なところ、その時代の歴史のことはぜんぜん知らないので、勉強になります。
しかし、歴史的に見て存在しないものを主張し続けるとは。

妄想乙、と言ってやりたいところですな。

龍の道に出てきたかの国の侵略政策が、すでに現実のものとして見え始めた今、今後の展開からますます目が離せませんね。
 
5. Posted by ユーカリ   2012年09月19日 11:27
とっても面白い展開になってきましたね!
日々刻々と緊迫してくる日中間を思うと、今、中国の歴史を正しく理解する事、また、自身の意識を目覚めさせる事の大切さを感じずにはいられません。
国も存在せず、漢民族もいなかった‥…。
そんな、重大な事実が隠され、大きな嘘をまるで事実かの様にかえてしまえる事に、びっくりしてしまいます。
そして、それを何の疑いもなく受け入れてしまえる私たちにもびっくりです。。。
黄河文明として私たちが教わってきた事も、まるで違うと宗少尉の説明で合点がいき、それぞれの生活様式の人々の呼び方を表す漢字の意味も非常にわかりやすく、当時交易をしていた人々の様子が目に浮かぶ様でした。
今後の感動の歴史に、宗少尉と宏隆君の軽快なやりとりに、目が離せませんっ!!
でも、なんとも絶妙なタイミングで入るコーヒーブレイクと、まめ知識に心がとろけてしまいます〜(^^)
 
6. Posted by 円山玄花   2012年09月20日 18:47
これは、宏隆くんでなくとも興奮しますね。
まるで、もう一度歴史を旅しているような気分になります。

・・漢民族は洛陽盆地から始まっており、その彼らは様々な生活様式を営む人々と、
交易による文化交流をしていた、と。そうして黄河文明は商業都市として発展していった、
ということは分かりました。
でも、なぜそれが「漢民族は存在しない」ということを証明することになるのでしょうか。
また、いつから交流・交易の相手を「野蛮な異民族」と言うようになったのでしょうか。
宗少尉の話の続きを、待っています!
 
7. Posted by ゆうごなおや   2012年09月20日 21:31
エスプレッソで頭をシャキっとさせて、この物語?を読み、現況をしっかり考えていこうと思います。次回が待ち遠しいです!
 
8. Posted by taka_kasga   2012年09月25日 14:00
☆まっつさん

私たちは中国の歴史や文化を、中共が言うところのものであるかのように教えられ、伝えられ、信じ込まされているわけで、事実はどうか、実際にはどのような国であるか、人民であるかをきちんと見極めなくてはなりませんね。
政治体制である共産主義と太極拳は関係ない、という人も居ますが、私は大いに関係があると思います。文革が起こり得る土壌、国民性、民族性、歴史の経緯、それらのものが彼の地で誕生した武術と無関係であるとは到底考えられません。

よく知られる四夷夷狄の語義がどのようにして発生していったのかは、中国の歴史を紐解けば
誰にでもよく理解できることでしょう。この物語の中でも、じっくりとそれを説明していきたいと思います。
 
9. Posted by taka_kasga   2012年09月25日 14:05
☆マルコビッチさん

>六甲牧場

残念ながら、昔ながらの六甲牧場の牛乳は今はもうありません。
昔は六甲のガードの南側の、今のダイエーがある辺りに瓶詰め工場兼出荷センター
のようなものがあって、神戸市内に配送していたんですけれどね。
今は神戸市が経営している六甲牧場が牛乳やチーズをつくっています。
神戸産のワインやチーズも、なかなかのものですよ。

>マジックのタネが明かされるような・・・

本当にそうですね。
中国が巧く創作した自慢話や都合よくでっち上げた歴史を正しく知ることで、
私たちが彼らとどう付き合っていけば良いのかが理解できると思います。
これからも、がんばって書きますので応援して下さいね。!(^^)!!(^^)!
 
10. Posted by taka_kasga   2012年09月25日 14:10
☆とび猿さん

歴史に限らず、何にしてもそうですが、ただ「教わっているだけ」では駄目ですね。
何ごとによらず、全身全霊で体験し、自分の目で確かめたことだけが真実であると、
私は思います。

太極拳にしても、教わっているだけで何かが理解できることはひとつもありません。
棒ほど望んで針ほど叶う、という諺を聞いたことがあります。
自分が絶対にこの道の第一人者になるつもりで研究に励み、
他の誰にも成し得なかった太極拳原理の研究と科学的な解明を行おうとしてやらないと、
一流には到底及ばない。結局は二流三流でお茶を濁して満足するしかありません。

どうせやるなら、この世界で最高と言われるところを学び、それを修得し、さらに発展させて
斯界に貢献するところまで出来なければ、生まれてきた甲斐も、武術を学んでいる甲斐も、
まったく無いではありませんか。

学校の歴史の授業ならともかく、
人生という授業を、「勿体ないことをした」と最期になって嘆かないためにも、
志を大きく持ち、手を抜かず、誤魔化さず、瞬間瞬間を誠実に、真摯に学び、
精一杯努力しながら、掛け替えのない自分自身の人生を生きていくことが大切だと思います。
 
11. Posted by taka_kasga   2012年09月25日 14:16
☆太郎冠者さん

テキさんはいよいよ空母なんぞを就航させるということです。
しかし、あのウクライナ製の中古の空母、動くンかいなぁ。
中国の戦闘機乗りは下手クソで、離着陸もまともに出来ないと言うし。
何でも、着陸失敗でピカピカのミグを壊したヤツが居て、死刑になったとか。
その空母も、フックに掛けるワイヤーが自国生産できずに、ロシアの中古を着けるとか。
着艦時に切れないのかねー、そんなので。
それより何より、中国の軍隊では、兵隊同士はいったい何語で話をするんだろうか?
北京語?、広東語?、福建語?・・・無数の「異なる中国語」があって、
同じ国の人間同士でも全く言葉が通じないようなクニでは、軍人は鉄砲の撃ち方よりも、
先ず言語教育から始めなくてはならないのではないかとお察ししますが。
まあ、トイレットペーパーを盗むなとか、そこらに痰を吐くなとか、
食堂で割り込みをするなとか、人の言うことは最後まで聞けとか、
そんなことは一応、兵士教育として上官の言うことを聞くんでしょうけれど。
それと、反日反米、反東南アジア、反インド・・徹底した中華思想の四夷夷狄の教育かな。
大変なクニ、いや、大変な人たちと隣人になったもんですなぁ、まったく。
それが太極拳を生んだクニだというのだから、嗚呼、本当に困ったもんです。

だけど、差し上げません、尖閣は!!
朝鮮のアホな大統領なんぞにも、決して舐められっぱなしには、しません。
 
12. Posted by taka_kasga   2012年09月25日 14:23
☆ユーカリさん

まあ、かつてのNHKのシルクロードや西遊記、三国志などを見て、
昨今の韓流ドラマなんか見ていると、だんだん彼の「反日トライアングル」の術中に陥って、
オウムのように洗脳されていってしまうのでしょうね。本当にひどい時代です。
日本がこれほどの危機に陥ったことは、おそらく歴史始まって以来の事だと思います。
日本人は今、よほど気を引き締めて国の建て直しに掛からなくてはいけない。
そして、すでに彼の国の「見えない侵略攻撃」に感化され洗脳されてしまった人たちや、
つい左翼系知識人の言うことにフラフラと惹かれるような単細胞のヤカラたち、
反日総理、反日大臣、反日国会議員たちを何とかせんとイカンですな〜 「(´へ`;ウーム
 
13. Posted by taka_kasga   2012年09月25日 14:31
☆玄花さん

漢民族は存在しない、四夷夷狄は初期の黄河文明には存在しなかった、
これを美しくて怖ろしい宗少尉が証明していきます。
乞御期待!!
 
14. Posted by taka_kasga   2012年09月25日 14:44
☆ゆうごなおやさん

>この物語?・・・

あはは、そうですね、近ごろは小説って言うよりも、歴史対談みたいになって・・(笑)
まあ、師父が言われるところの、東海の片田舎のマイナーな道場の小さなブログに出している
素人小説の中のハナシですので、勘弁してやって下さい。

でも、ここに書いているコトは、中国武術界では「誰も書かなかった中国」だと、僕は自負していますし、小さなブログと言っても、日々のアクセス数が90以上もある、注目されているブログでしたね。
武藝館が出す映像は、資料映像を含めると世界中で476,000回以上も見られていますし、
taijimovies のチャンネル登録者はもうすぐ250人に届かんとするワールドワイド。
師父の腰相撲の映像などは、ウチだけでも40,000回近くのアクセスがあるそうです。
こんなローカル道場は、ちょっと他には無いかも知れません。

次回も楽しみにしていてください。( ̄(エ) ̄)ノ” 謝謝っ!
 

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