2012年08月08日

門人随想 「武人に学ぶ ② 〜姿三四郎とシンクロナイズドスイミング〜 」

                    by マガサス (一般武藝クラス)



 ”姿三四郎” というタイトルを見て、「おっ!」と思った方は柔道をやっていた人か、或いはちょっと古い人(笑)かも知れません。姿三四郎はよくご存知の富田常雄の長編小説で、たくさんの映画やTVドラマになった大ヒットの小説ですね。
 あの黒澤明が初めて監督をした映画も「姿三四郎」(1955年)だと言います。他にも岡本喜八監督で三浦友和が主演したもの(1977年)などがありますが、私は昨年亡くなった竹脇無我さんの「姿三四郎」(1970年)が最も心に残っています。

 この姿三四郎のモデルになったのが、「西郷四郎(さいごう しろう)」という人です。
 小説と同じ会津の生まれで、実父の志田貞二郎は戊辰戦争で新撰組副長の土方歳三の配下として戦いました。戊辰戦争のために三歳の四郎は母と共に新潟の津川に疎開しますが、七歳の時に大東流柔術を学び始めます。四郎の柔術修行は、歳を重ねる毎にメキメキと上達していきました。

 そんな四郎を見出したのが、もと会津藩家老の西郷頼母(さいごう・たのも)です。
 西郷家は代々会津藩の家老職を務める千七百石の名門の家柄ですが、現職時代に会津藩が「京都守護職」に就任することに反対した為に、家中から「会津家訓十五ヶ条」の第一に、「会津藩は将軍家を守護すべき存在であると書かれている」と押し切られ、「腰抜け家老」と罵られ、それが元で家老職を解かれて蟄居(ちっきょ)の処分を受けます。
 歴史に名高い「新撰組」は、この京都守護職・松平容保(まつだいら・かたもり)の配下として京都の治安維持をしていたわけです。

 余談ながら、会津若松城の戦いでは、戦さの足手纏いになるのを危惧した頼母の母や妻子ら一族二十一人の女性たちが白装束に身を固め、辞世を詠んで自刃するという悲劇がありました。
 この時、妻の千鶴子(34歳)が9歳の田鶴子と4歳の常磐、2歳の季を刺し、その後自らの喉を突いて自刃します。13歳であった次女の瀑布が「けなげにも、手をとりて共に行きなば迷はじな」と上の句を詠むと、16歳の姉の細布が「いざ辿らまし、死出の山路」と下の句を継いで詠み、二人で互いの喉を突いて果てました。
 私たち現代人の女性に、こんな覚悟があるでしょうか。戦後世代は命を大事にすることばかりを強調されて教育されてきましたが、かつての日本人は、命よりも大切にすべきものがあったのだと思います。

 西郷頼母は、会津若松城がいよいよ落城する際に、切腹をしようとする主君の松平容保に対し、『殿が切腹されれば臣下たちは皆後を追って自害します。そうなれば会津は滅びてしまうでしょう』と進言し、自刃を思い留まらせて降伏を勧め、自らは榎本武揚や土方歳三と共に、函館の五稜郭に立て籠もり、最後まで戦い抜く道を選びます。
 五稜郭の戦いに敗れた西郷頼母は禁固刑を受け、後に福島にある霊山(りょうぜん)神社の宮司となり、そこで「大東流合気武術」を編纂します。大東流は新羅三郎義満(源義家の弟)が創始したとされる武術で、甲斐源氏の武田家が代々伝承してきた秘伝の武藝ですが、会津藩ではこれを「合気之術」と呼び、上級武士だけに伝承されていました。
 また、この時に武田惣角(たけだ そうかく)が訪ねてきて、頼母が惣角に大東流を伝授したと言われています。西郷頼母はその後、会津若松の地で74歳の生涯を終えます。

 さて、16歳の時に会津藩家老・西郷頼母(たのも)の養子となった西郷四郎は、明治15年(1882)、17歳で上京し、新宿の井上敬太郎の道場で天神真楊流柔術を学んでいたときに嘉納治五郎に見出され、翌年には講道館に入門し、四天王と言われるまで腕を上げます。
 ちなみに、この井上敬太郎の弟子にあの「前田光世(まえだみつよ)」が居ました。
 前田光世もまた明治30年(1897)に講道館に入門していますが、後にブラジルに渡って、グレイシー柔術の創始者、エリオ・グレイシーに柔術を教えた日本人、コンデ・コマ(コマ伯爵=前田光世のブラジルでの通名)として余りにも有名です。
 グレイシー柔術には、400戦無敗を誇る天才・ヒクソン・グレイシーが居ますが、この前田光世は明治37年(1904)、柔道四段の時に日本柔道使節団の一員として渡米して以来、柔道普及の目的で、1千ドルの償金を賭けてアメリカ全土を巡って回り、賞金目当てに名乗りを上げる腕自慢のボクサー、レスラー、中国拳法家などを次々に倒し、その後もメキシコやヨーロッパで異種格闘技戦を行って全戦全勝、何と1,000回以上もの試合をして終始無敗であったと言いますから、いやはや、上には上があるものですね。

 前田光世がそのような「全米異種格闘技ツアー」をする切っ掛けとなったのが、親日家で知られるルーズベルト大統領が行った、ホワイトハウスでの日米親善試合でした。
 しかし、柔道の強さを白人に知らしめるはずの試合が、四天王のひとり、富田常次郎(姿三四郎の作者・富田常雄の父)が体重160㎏の巨漢に敗れ、そのニュースが大きく報道されてしまいます。前田光世は日本人の名誉と柔道の威厳を守るために、あえて償金千ドル付きの全米ツアーを行ったのです。戦後の平和と経済繁栄の中でヌクヌクと育った私たちと比べると、やはり当時の日本人はものすごく気骨(ホネ)があったのだなぁと、つくづく思います。

 そう言えば、あの谷亮子選手も「女三四郎」とか「柔ちゃん」などと呼ばれていた事がありましたね。彼女も柔道一直線でやっていたらカッコよかったのに、と思うのは私だけでしょうか。今では谷亮子選手も民主党、いや「”国民の生活が第一” 党」の参議員。中国人民解放軍の野戦司令官と公言して憚らぬ金権政治のシンボル・小沢一郎に ”地球を覆うほどの愛” を感じて代議士になる決意をしたと言いますから、嗚呼、人間ってフクザツなのネ・・・
 ま、ヤワラちゃんが何故そんなコトになったのか、このあたりの事情はインテリジェンスに通じているカスガさんの方がよっぽど詳しいと思うので、ばとんたっちぃ〜、ッス。

 ・・あ、ハナシがすごく逸れてしまいましたね。(汗)

 さて、西郷四郎の得意技は、かの有名な ”山嵐(やまあらし)” です。 
 ♪ 締めた黒帯一生かけて、ワザも捨て身の山嵐、男だったらやるだけやるさぁ〜と、村田英雄が歌う「姿三四郎」にもありますね。(懐かしいなぁと思うのは、私だけか?)

 この山嵐は、相手の重心を最短距離で崩して最速で投げる、講道館柔道の投げ技のひとつですが、今でも非常に難しい技とされています。西郷四郎は幼い頃から漁船に乗って手伝いをしていたそうで、波に揺れる不安定な船の甲板に、足の指が吸盤のようにピタリと吸い付くような強い力を持っており、相手の足を刈り払うのにそれを活かしたと言われています。
 西郷四郎の山嵐は、『ソノ得意ノ技ニ於イテハ、幾万ノ門下イマダ右ニ出タル者ナシ』と嘉納治五郎に言わしめたほど卓抜したもので、西郷四郎は明治19年の警視庁武術大会でこの技を用いて他の柔術諸派にことごとく勝ち続け、この大会で講道館柔道が柔術の諸派に勝ったことによって、講道館が警察の正課として採用されるに至りました。
 
 しかしその後、西郷四郎は23歳の時に、忽然として講道館を去ってしまいます。
これまで、その理由は全くの謎である、と言われていましたが、実は支那(シナ=China)の解放運動に身を投じ、東京で革命の義勇軍を募る活動をしていたのです。

 その頃の支那では清朝が民衆を支配し、人民たちは大変辛く苦しい生活を強いられていました。・・と言っても、まあ中国の歴史は常に支配者の圧政と暴虐の歴史で、それが何千年もの間、ただひたすら繰り返されてきたわけですから、何も清朝に始まったことではありません。

 ともかく、当時の日本には後に「中国革命の父」と呼ばれる孫文をはじめ、多くの優れた人たちが学んでおり、東京には2万人もの支那人留学生が居ました。
 長い間、満州民族の植民地とされてきた漢民族の孫文などは「独立革命をしたい」と日本に亡命し、頭山満などの力で活動費と生活費の援助を得ていたのです。住まいは犬養毅が斡旋していました。孫文は現在でも台湾と共産主義中国の両側で尊敬されている希少な人物であると言えます。
 彼らは日本の優れた文化を学び、日本の文字や言語のシステム、日本の教科書まで支那に持ち帰り、大陸に革命を起こし、日本の立憲君主制を手本に、大日本帝国憲法を手本にした憲法を作って支那の地に日本と同じような近代国家を建設する、という志を抱いていたのです。

 西郷四郎は、友人である宮崎滔天(アジア主義運動を深め、支那の革命運動を援助。宮本武蔵の二天一流の使い手でもある)らと共に孫文や蒋介石を援助し、東京で『中国革命同盟会』を結成し、義勇軍と共に支那に渡り、孫文と支那の秘密結社である哥老会、三合会、興中会の三派団結を実現させて、辛亥革命の基礎を作ったのです。
 なお、中国の歴史は「中国人の歴史観」を理解しないと決して分かりません。ここではテーマが異なるので詳しく触れませんが、中国人は日本人や西洋人とはまったく異なる、特異な歴史観を持っているからです。今後、もし機会があれば、そんなお話もブログに書いてみたいと思っています。

 そして、その13年後─────────────────
 辛亥革命の理想も空しく敗れた西郷四郎は日本に帰国すると、長崎で『東洋日の出新聞』という新聞社の編集長をするかたわら「長崎遊泳協会」の設立に加わり、同協会の監督として「日本泳法」の指導者として大いに活躍します。
 何と、あの姿三四郎のモデルになったかつての講道館の四天王は、中国で辛亥革命を推進していたばかりでなく、帰国後は水泳の指導をしていたのです!!
 これには皆さん、さぞ驚かれたことでしょう。

 「日本泳法」というのは、日本古式泳法とも呼ばれ、大鎧と胴丸、腹巻で総重量が40㎏以上もある重い甲冑(かっちゅう=よろい・かぶと)を着けたままで泳ぐ方法や、水中での格闘術、立ち泳ぎをしながらこれまた15〜16㎏もある重い火縄銃を射撃する技法など、世界にも希な高等技術を持つ日本古来の水泳術です。昔は武士のたしなみのひとつとして、どの藩でも大いに重んじられていたものでした。

 そして、オリンピックですっかりお馴染みのシンクロナイズド・スイミングを日本に導入したのは、この「日本泳法」の団体でした。日本泳法の技法にはシンクロナイズド・スイミングと大いに共通するものがあり、体格や筋力でどうしても西洋人に劣る日本選手たちは、日本古来の実戦的・秘伝泳法を指導されることで世界と覇を競えるようになりました。

 事実、日本選手団は1984年の大会から現在(ロンドン五輪以前)に至るまで、全ての大会に於いてメダルを獲得しており、上位6位の国々・・・ロシア、アメリカ、カナダ、日本、スペイン、フランス、中国、の中では最もメダル数の多い、計12個を獲得してきています。
 因みに、最下位の中国はメダルが1個でしたが、これは前回の北京オリンピックで初めての銅メダルを獲得したものです。

 中国のシンクロナイズド・スイミングは、オリンピックでも、世界選手権でも、それまでのどの国際大会に於いても、決して6位、7位、8位の成績から上には行けませんでした。
 ところが、日本にメダルをもたらし続けた名コーチ「井村雅代」が中国のコーチに抜擢されるや、その後わずか三ヶ月間でメルボルンの世界水泳でメダル寸前の4位の座を獲得し、そして、ついに北京オリンピックでは初の銅メダルを獲得したのです。

 そりゃもう、中国はメンツの国。自国で開催するオリンピックにメダル無しではメンツが立たないっっ!!というワケで、もうナリフリ構わず、日頃から敵対視し見下しているあの日本から優れたコーチを引き抜いてでも何でもいいからメダルが欲しいっ、ええい、メダルを取れいっ、取らんかぁっ!、というワケだったのでしょうか。
 北京五輪では開催国の意地で金銀銅、キリよく計100個のメダルを獲得し、51個という世界最多数の金メダルを奪って、見事にメンツを守り、五輪で世界第一位となったのは皆さんご存じの通りです。

 さて、ロンドン五輪のシンクロナイズド・スイミング世界選手権の最終予選ではライバルのウクライナを抑え、5大会連続で五輪出場権を死守した日本代表ですが、ご存知の如く、ついこの間のロンドン五輪では「デュエット」の種目でカナダを抜けず、初めてメダルを逃しました。
 日本がこの種目で表彰台を逃したのは、シンクロナイズドが正式種目となった1984年以来初めてのことです。因みに、あの井村雅代コーチ率いる中国チームは、ロシアとスペインに次いで見事に銅メダルを獲得しました。 

 しかし、これはかつて東京オリンピック(1964年)で柔道が外国人に負けたのと少々ダブりますね。あの時、ほとんどの日本人はテレビに釘付けになって、そのシーンを信じられない表情で見つめていたと言いますが、やはり余りにもショックが大きくて、オリンピック後は門弟激減で柔道の道場がどんどん潰れていったと言います。
 そして何と、日本を破ったオランダのヘーシンクを海の向こうでそこまで強力に育てたのは、他ならぬ日本人柔道家であったのです!!

 さあ、ロンドン五輪シンクロナイズド・スイミングには、まだ「チーム」の競技が残っていますが、この記事が出る頃には、もう結果が出ているかも知れません。
 「マーメイドジャパン」の大和撫子たちは、どんな活躍を見せてくれるのでしょうか。
 大震災という大きな国難に加え、名コーチを中国に奪われ、さらにはメダルも奪われるという二重三重の大きなショックを乗り超えて、どうか頑張ってほしいものです。


 今回は、あの姿三四郎のモデル・西郷四郎が、明治時代の有名な「日本泳法」の指導者でもあった、というお話でした。最後までご覧頂き、ありがとうございました。
 

                                  (了)




    【姿三四郎のモデル・西郷四郎】
     



              【大東流合気柔術中興の祖・武田惣角】
               



【日本泳法・重さ40㎏以上の甲冑を装着して様々な泳ぎ方をする】
 



          【骨盤が完全に水の上に出る見事な演技を見せる日本チーム】
           





disciples at 23:58コメント(18)門人随想  

コメント一覧

1. Posted by tetsu   2012年08月09日 10:58
これは、これは!大変楽しい内容でした。まさか会津藩の話から西郷四郎、大東流合気武術、グレイシーのことから最後はシンクロナイズド・スイミングにくるとは・・・。
しかし、自分も古式泳法のことを言われ、「ハッ!」としました。
確かに・・・シンクロナイズド・スイミングと古式泳法、基本は同じじゃないか・・・と・・・。
稽古(練習)の内容によってパフォーマンスが全然違ってくるのだと思いました。
今回の日本の柔道は金メダルが一つもとれないという残念な結果になってしまいましたが、柔道もスポーツとしてではなく、今一度原点に戻り「武道」として稽古を再考していけば、また外国にも負けない動きが取れるのではないでしょうか?日本人の体格や筋力が劣っているのではなく、考え方や稽古の仕方が問題だと思うのは自分だけでしょうか?
日本人、もっと原点に戻り頑張ってほしいです。
 
2. Posted by ゆうごなおや   2012年08月09日 21:52
楽しく読ませていただきました。
武人の話はいいですね。読みながら背筋がビシッとしていきます。
福島の子供たちは、会津の話は小さい頃から聞かされており、
彼らに負けずに強く生きていかなければ、と思っているはずなんですが…
言い訳せずに稽古に打ち込みます。
次回も楽しみしています!
 
3. Posted by bamboo   2012年08月09日 23:00
色んな方がいるんですねぇ…功績だけでなく、生き様についても、
恥ずかしながらほとんど初めて知りました。
今度川に行くので、重りや服を着たまま泳いでみようかと思います。
米海兵隊のForce Reconで武装したまま泳ぎ続ける訓練映像を、
以前youtubeで見ましたが…さすがに鎧兜で泳いだら人目につくでしょうね^^;
 
4. Posted by まっつ   2012年08月09日 23:56
40kgもの重装備でも人間は水に浮いていられるのですね・・・
吃驚です。

昨今の武道、武術は単一科目として学ばれる例が多いので、
水泳を武術と関連付けて捉える事には違和感が先立ちますが、
現代でも各国の特殊部隊では戦闘水泳技能を重視しており、
日本の武芸十八般には水練も含まれていますので、
「水泳は戦闘技能だ!」と改めて言われればナルホドとも思います。

日本人が凄いなと思うのは、
泳法一つにしても、高度に洗練された技術を体系化できるという事です。
日本の伝統文化はとても面白い・・・と最近は感じます。
型を基本としていますが、
その内に籠められた「考え方」がとても興味深いです。

その「考え方」を学び直す事は、
現代において忘れられた、かっての日本人を訪ねる事であり、
きっと今の時代に足りない「在り方」を、
再発見できる事に繋がるのだと思い始めています。
 
5. Posted by ユーカリ   2012年08月11日 03:55
今回も,大変興味深い内容の記事をありがとうございました。
西郷四郎・武田怱角両氏の姿に、かつての武人・日本人の在り方とはこのようであったのかと、精神の軸の太さや繊細さ、大きさに改めて「凄いっ!!!」と思いました。
自身の都合など通用しない、生きる事は死に繋がっていると実感し、覚悟を持って幼い頃から日々生活していたかつての人々を想うと、やはり、自身の甘っちょろさに直面します。
我が子を刺し、自刃するなど、到底できません。

武術と日本泳法が、シンクロナイズドスイミングが繋がっているとは、思いもよりませんでした。
水泳が教育として登場した古代ギリシャでも、その目的は軍事上の必要性と溺死から身を守る為の物であり、古代オリンピックでは、水泳は競技種目になかったそうです。
十年以上も前になりますが、日本泳法の一つである横泳ぎを教えて頂いた事があります。水飛沫をたてず水面を滑るようにして進む泳法に不思議な感覚を覚えました。全身を一定方向に使う事がなかったと記憶しています。
40kg以上もの甲冑を身につけて水中に身を置くという、かなり拘束された中で動く為には、中心から動く事を余儀なくされるのだろうと思います。
それ以来,横泳ぎなどした事もありませんでしたが、今度思い出しながら挑戦してみたいです。
 
6. Posted by 円山玄花   2012年08月11日 19:11
多岐にわたる内容で、とても面白かったです。
サラリと凄いことを言えるのは、やはりマガサスさんならでは、でしょうか。

>命よりも大切にすべきもの
現代の若者が選ぶ”三種の神器”が、携帯とコンビニと電子レンジでしたっけ?
さすがに「命よりも」とまでは思っていないのでしょうけれど、
もうちょっと何とかならないかな〜と思います。
私も、自分の次の世代、そのまた次の世代の子供たちが、日本人として誇りを持って雄々しく生きられる魂や気概を伝えていきたい、またその基盤となる国家を残してあげたい、と考えるようになったのは、ごく最近のことですが、ちょっと遅すぎたかなと後悔することもあります。
昔の若者は十代の頃から「第二世代のために」とその身を特攻に捧げたわけですから、
彼らが守ってくれたこの地で、私たちが安穏と日々を過ごしていていいはずがない、と思います。

>日本泳法
これには驚きました。
あの西郷四郎が水泳の指導をしていたとは!

そういえば、私が師父に最初に教えていただいた泳ぎ方は、横泳ぎだったと記憶しています。
それが日本泳法だなんて当時は知りませんでしたが、滑らかな、無理のない動きでしたね。

日本は6852の島を有する、海の国。海国日本で生活する私たちは、全ての国民の嗜みとして
日本泳法を習っておいてもいいのではないか、とさえ思います。
私も今後機会を作って勉強してみたいと思います。

谷亮子選手が参議員になったり、シンクロナイズド・スイミングの名コーチが中国に引き抜かれたりと、そのあたりの事情はぜひとも詳しく聞きたいですね。
次回も楽しみにしています。
 
7. Posted by とび猿   2012年08月11日 23:05
とても面白く、ボリュームのある記事をありがとうございました。 
いろいろな人が、物事が繋がっていて改めて考えさせられました。 
  
甲冑を身に着けたままや、手に何かを持ったまま泳ぐ、自然の中で泳ぐ等、 
拘束のある状態で泳ぐということは、とても大変なことだと思います。 
日本泳法の映像を見ましたが、普段目にする競泳とは違うものに見えました。 
柔道とシンクロナイズドスイミングというと、違和感を感じるのですが、 
柔道や柔術、シンクロナイズドスイミング、日本泳法というと、繋がりを感じられます。 
西郷四郎というと、柔道のイメージが強いのですが、 
日本泳法の指導をしていたというのは驚きでした。 
 
8. Posted by マルコビッチ   2012年08月15日 14:41
>かつての日本人は、命よりも大切にすべきものがあったのだ・・・

昔の人が決して命を粗末にしていたわけではなく、大切にすべき命にたいする考え方が違っていたのではないかと思います。
大切にするべきものがあっての命と言いましょうか・・
自分のことで考えても、世界が違うように感じますが、たかだか150年前の話ですよね!
これほど骨抜きにされてしまっていても、まだDNAはいきているはず!!
小さな火種が消えないうちに、風を起こし大きな炎としたならば、日本人が日本人としてどう生きて行ったらよいかが見えるのではないでしょうか。
私たちが何を大事に生きたら良いのか・・!!

オリンピックでは日本人皆が日本を応援し、日の丸が揚がると感動し、普段感じていない若者でも自分は日本人であることを再認識すると思います。
そのような場で、柔道やレスリングはあまりに日本が強いために、ルールが改正されたと聞きました。
その上、シンクロの優秀なコーチをとられ、めっちゃ悔しいです!

歴史に名を残した武人の足跡をたどっていくと、思わぬ所に繋がっていて面白いですね!
ってことは、日本のお家芸は柔道だけではなく、シンクロナイズド・スイミングもってことになりますかしら?
皆が、この「武人に学ぶ」をよく読んで、世界に合わせるのではなく、日本独自の技をもっと大事にして強い日本を取り戻したいです!!
私ももっと勉強していきます。
次回も楽しみにしています。
 
9. Posted by マガサス   2012年08月17日 01:15
☆ tetsu さん

ロンドンオリンピックでは、日本選手は奮闘してくれましたが、やはり全体としては、
日本の国力の低下、激動する世界の中での日本国民の底力の低下を感じざるを得ませんね。
韓国などは相変わらず反則をものともせず、ケンカ同然に日本選手を潰しにかかる姿が目立ち
ましたが、それが反則に取られないことまで計算してオリンピックの場に臨むような、ある意味
での「したたかさ」が日本人にも無くてはいけない、敵がそうしてくることを前提とした精神性を養わなくてはならないと思えます。

戦後骨抜き政策でどん底にまで落ちた日本人が、見事に復活できるのはいつの日でしょうか。
それを信じて祈るのではなく、私たちひとり一人が復活をしようと強く願い、実際に行動して
その気運を盛り上げていくことこそ必要なことであり、武術を学ぶ者ならなおさらのことだと、
私は思います。
 
10. Posted by マガサス   2012年08月17日 01:17
☆ゆうごなおやさん

>言い訳せずに稽古に打ち込みます

いいなあ、その言葉!!
日本にもまだ、男が居るんだと、頼もしく思います。

門人として学んでいる限りは、
ぜひ、武藝館を背負っていけるような門人になってください。
それでこそ、日本男児ですよね!!
期待しています。
 
11. Posted by マガサス   2012年08月17日 01:17
☆ bamboo さん

>今度川に行くので・・・・

あの・・どうか気をつけて下さいね。
自然の川や海は非常に危険ですからね−。
最初はプールの足が立つところで実験した方が良いと思います。たぶん。
 
12. Posted by マガサス   2012年08月17日 01:18
☆まっつさん

>各国の特殊部隊では戦闘水泳技能を重視しており

水の中で戦闘訓練を積んだ者と、その経験がない者とでは、
実際にそうなった場合に戦闘能力に雲泥の差がある。
陸上で強い者は水中でも強い。陸上で強くても水中で弱い者は本当の強者とは言えない。
・・などというお話を師父から伺ったことがあります。

>「考え方」を学び直す事は・・・かつての日本人を訪ねる事であり

そう思って私も、及ばずながらこんな記事を書かせていただいております。
 
13. Posted by マガサス   2012年08月17日 01:18
☆ユーカリさん

>自分の都合など通用しない、生きることは死に繋がっていると実感し、
>覚悟をもって生活していたかつての人々を思うと

 「武士道と云ふは、死ぬことと見つけたり」

という「葉隠」の有名な言葉がありますね。
新渡戸 稲造(にとべ・いなぞう)は、

 武士は如何に生きるかと同時に、如何に死すべきかを考える。
 正しい生き方があるのと同じように、正しい死に方がある。
 生命を粗末にするのではない。無駄に死ぬことを武士は犬死にという。
 無論、天寿を全うして死ぬのが良いのだが、
 もし死なねばならないときに誇りを捨てて不正義の中に生きることを武士は選ばない。

と、書いています。
我が子を刺し、自らも自害して果てるなど、現代人には有り得ないことでしょうが、
日本人は、ほんの少し前まで、男も女も、そのような人間がたくさん存在したのだということは
覚えていなくてはならないことだと思います。
 
14. Posted by マガサス   2012年08月17日 01:19
☆玄花さん

「死んだら靖国神社で会おう」

かつてそう言って笑って水杯を交わし、特攻に散った若者たちを思うと、
「戦争を知らない子供たち」である私でも、日本の総理大臣が靖国参拝をしないことや、
他国が靖国問題と称して日本人の精神性まで否定し破壊することが許せません。

日本人の血を持つ者でありながらそれに同調する国内の反日勢力や、
日々、日本と日本人の恩恵を受けながら反日活動をする在日外国人たちについても、
同様に、絶対に許せないという気持ちになります。

「右寄りですが、何か?」と平然と言えなくては日本人の誇りを保てないような、
そんな哀しい国になってきたと思います。
なんとかしなくては!!


>谷亮子

春日さんにくわしくお聞き下さい(笑)
 
15. Posted by マガサス   2012年08月17日 01:20
☆とび猿さん

西郷四郎が講道館で四天王になったのは、
やはりそれ以前の古流柔術の基礎が限りなく役に立ったのだと思います。
小説や映画では昔の唐手や柔術家が悪役にされていることが多いのですが、
実際には小説で書かれるほどには、そんなことは無かっただろうなと思います。

オリンピックなどで柔道を見ていると、日本人は柔術をもっと勉強して、
世界の檜舞台でそれを試すべきではないかと思えてきてしまいます。
あの1,000戦不敗の前田光世も、その基本は柔術だったのですからね。
 
16. Posted by マガサス   2012年08月17日 01:22
☆マルコビッチさん

そう、「強い日本」を取り戻しましょう。

中国や韓国、北朝鮮やロシアになめられているままで引き下がっては、
大和撫子や日本男児の名誉に関わります。
舐められているだけならまだしも、国を売られて、国を盗られて、
国を亡き物にされて、日本民族が滅びて、
それで良い、それで嬉しいという人間が居たらお目にかかりたいです。
ソ奴らはきっと、日本人の皮を被った「V=ビジター」に違いありません。

かつて古代メソポタミアやエジプトで始まったレスリングが、
アテネでは最も人々を興奮させたオリンピック五種競技のひとつとなり、
やがて西洋でルールのある競技として確立されたものが、
今ではその技術に於いて、日本人が最も繊細で最も強くなりましたね。

わが太極武藝館の太極拳も、武術原理の研究と実践に於いては、
決して大袈裟ではなく、もはや本家中国を凌駕していると思われます。
私たち門人の誰もが、それを日々わが身で感じ、体験しているはずです。

「強い日本」が、ここにもあります!!
 
17. Posted by 太郎冠者   2012年08月17日 13:30
もともとオリンピックも、古代ギリシャ以来の戦闘技法を細分化して訓練しよう、という発想からきているらしいですね。
近代になってライフル射撃競技が追加されているのはそのためですが、それでも「甲冑を着て泳ごう」というところには行きつかなかったようですね。

コメントにも書かれていますが、近代的な戦闘においては装備状態での水泳は重要な要素であり、
いずれ「男子400メートル40キロ装備」なんて珍妙な競技ができたら、古式泳法を身に付けた日本人選手が活躍するのでしょうか。
ちょっと見てみたい気もしますが(笑)
 
18. Posted by マガサス   2012年08月20日 00:35
☆太郎冠者さん

>もともとオリンピックも・・・

そう言うお話を聞いたことがあります。
でも、それゆえにライフルが競技に追加されているとは知りませんでした。

アーマーや武器を身に着けての水泳競技を五輪でやったら面白いでしょうね。
そうなったら自衛隊と米海兵隊の一騎打ち? o(^^o)(o^^)oワクワク
日本も相当強いと思います。

\(*⌒0⌒)bがんばっ♪ [ ● ] 日の丸〜♪
 

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