2012年07月15日

連載小説「龍の道」 第92回




第92回 インテリジェンス (1)


「うーん、これはもう、理屈抜きに美味しい珈琲ね。台湾にも日本人が遺してくれた珈琲農園があるけれど、まだこのレベルには程遠いと思えるわ」

 宗少尉は手にした珈琲カップをテーブルに置こうともせず、その味わいに浸っている。

「にしむら珈琲の ”グァテマラ・アンティグア・パストレス” ですよ。
 摘み取った珈琲の実を天日乾燥をして、脱穀後は地元女性たちの手で一粒ずつ丁寧に選別され、木造の倉庫で豆が落ち着くまで熟成させます。グァテマラは珈琲農園が国土の25%を占めていて世界第三位の珈琲生産国だそうですが、僕はこのハッキリした苦みや渋みの中に秘められた甘みが絶妙に調和しているような味が好みです」

「うぅーん、至福の一杯っ!!、スゴイわねぇ、ここまで来ると自分も珈琲の味を追求してみたくなるわ。豆の色も凄いわね、まるで鋼のようなツヤ。でも、このクラスの豆ともなると、すごく高価なんでしょう?」

「いいえ、それが全然高くない。そこらの珈琲屋さんの量り売りと何も変わらないですよ。
 それが ”にしむら” のスゴイところです。珈琲鑑定士の何某がブレンドした究極の珈琲!、なんて宣伝をしているバカ高い珈琲と比べても少しも遜色しないというか・・・僕はこっちの方がよほど素直に美味しいと思えますけどね。この至福の一杯は豆で買うと200gで千円くらい。にしむらの珈琲店で飲んでも一杯600円くらい。明らかに一級品と言える豆がその程度の値段で提供されているのは、とても良心的と言えますね」

「へぇ、信じられない!、うーん、それにしても、この極上のアロマ!!」

「オホン・・・あのね、さっきからひたすら珈琲のコトばかり感心しているけど、その美味しい珈琲を淹れたのは、僕なんですけどね」

「あ、とっても上手よ、ホント!、素人とは思えないほど美味しいわ。これなら珈琲店を開けるかもね。私、ジョーレンサンになってあげるわよ」

「まあ、こうみえても僕は、”フジワラノモカマタリ” の末裔ですからね。血統として珈琲を上手に淹れられるのは当たり前というか──────────」

「アハハハ、上手い!、そんな冗談を言えるところが加藤さん家(ち)らしいところね。
 それにしても、この珈琲は美味しいわね、私も台湾へ買って帰ろうかな」

「あらら、もう帰国する話?、にしむらの珈琲は台湾の明珠さんがいつもストックしているから、その前にインテリジェンスの講義をして下さいよ」

「そうだったわね──────────それじゃまず、ヒロタカがインテリジェンスについてどのように考えているのかを聞いておこうかしら」

 そう言いながら、宗少尉は手にした珈琲カップをしげしげと眺め、香りと一緒に飲むように、再びゆっくりと口を近づけた。

「そうですね・・・・まあ、インテリジェンスという言葉自体からも、それが知性や知識、情報に関することを指すのだということは想像できます。政治方針や経済情勢、今後の計画などを他国に知られないように進めたり、反対に他国の動向を探ったりする活動全般のことを指すことではないかと思いますけれど」

「ふむ、まあその程度は常識かナ。で、それに対してどんなイメージを持っているの?」

「やっぱり、CIAとか、MI6とか、KGBなんかの、秘密情報部員が暗躍するスパイの世界、かなぁ・・・昔は日本にも有名な美人スパイが居たとか・・」

「やれやれ、やっぱりヒロタカでもそう思うのね────────────」

「だって、実際に現実もそのとおりなんでしょう?、007の原作者イアン・フレミングも、元は本物のMI6の情報員だったって言うし、東洋のマタハリ・川島芳子も実在の人物じゃないですか」

「川島芳子は日本人ではないわ。本名は愛新覚羅顕子(あいしんかくら・けんし)、清朝の皇族で、粛親王の第十四王女よ」

「へえ、てっきり日本人女性かと思っていました」

「信濃国松本藩士・川島良顕の長男、川島浪速の養女として育てられた人よ。川島浪速は、上海に渡って清朝に雇用された満蒙独立運動の先駆者。粛親王とは義兄弟の契りを交わすほど近しい関係で、清朝で重要な役割を担った人ね」

「さすがは宗少尉は一流のスパイだなぁ、よくそこまでご存知ですね!」

「アホ言わないの。だけど、インテリジェンスというものを理解するには、映画や小説のレベル、スパイの世界に対する興味や憧れなんかで考えていてはダメなのよ」

「と、いうと────────────?」

「本物のスパイたちは、実はジェームス・ボンドよりも、もっとスゴイのよ。スパイ経験のある小説家だって007のイアン・フレミングだけじゃないし。”月と六ペンス” を書いたサマセット・モームや ”第三の男” のグレアム・グリーンも、MI6に所属していたレッキとしたスパイだからね」

「へーえ、そんなこと初めて聞きました!!」

「インテリジェンスというのは Intelligence Agency(情報機関)のことで、国内外の情報を収集分析することで政策の立案に役立てようとする国家機関の総称のことよ。
 その目的は安全保障。英語では National Security といって、国家や国民に様々な脅威が及ばぬように、あらゆる手段で安全な状態を保障する体制や組織ということね。だからNSA(National Security Agency)は、国家安全保障局って呼ばれているでしょ。
 国際関係においては、防衛がその保障の主眼に置かれるのは言うまでもないことよね。
 ついでに言うと Security というのは ”安全を確保すること” という意味だけど、もとはラテン語の Securitas(セクリィータス)から来ていて、”心の平穏” という意味。それを日本語では ”安全保障” と呼んでいるワケ」

「なるほど、”心の平穏” か・・国民が安心して生活できるための、という意味ですね」

「そう。だから、国家や国民の ”心の平穏” が何によってもたらされるのかという事こそが、インテリジェンスの基本だということになるわね」

「うーん、すごく分かりやすいなぁ。インテリジェンスというのは、いきなりジェームスボンドに飛んではイケナイということですね。宗少尉は、軍人や秘密結社なんかより学校の先生の方が向いているんじゃないですか?」

「はは、オダテても何も出ないわよ!・・それじゃカトウ君、そのインテリジェンスで一番大切なことは何でアルか、述べてみなさい」

「いちばん大切なこと?、そりゃあもう、国家予算を充分に取った立派な情報機関の設立と能力のある情報員の育成に決まってるでしょ?」

「いいえ、そうじゃないわ────────────」

「え、そうじゃない?・・だって、それ以外に何があるんですか?」

「インテリジェンス、つまり ”国家安全保障” にとって最も重要な事は、情報機関や情報員、あるいは軍備の充実などよりも、何をさて措いても、その国に属する ”国民の意識” が第一なのよ。自国を脅かす危機や、自分たち国民自身に直接降りかかってくる脅威に対し、国民自身がどれほどの正しい知識や、それに対する意識を持っているかということこそ、真っ先に問われるべきことなの」

「あ・・ああっ・・・・!!」

 そう言われてみれば、本当にそのとおりだと、改めて気づかされる。しかし、果たして自分が一人の国民として、少しでもそのような意識を持ったことがあるだろうか・・・いや、そもそも ”ひとりの国民” であるという意識さえ、自分はこの年齢まで少しも養われてきていなかったことに気付き、宏隆は愕然とした。

「よく考えれば確かにその通りだということが、誰にでも分かるはずだわ。仮に政府にどれほどの国家意識があろうと、国民自身に自分の祖国を守ろうとする意識が無ければ、国家としてお話にならないのは当然でしょ」

「本当に、そのとおりです─────────────────」

「さて、それじゃ今の日本人は、経済危機を始めとして、他国からの脅威や侵略について、どれほどの知識や意識を持っているかしら?」

「うーん・・・大方の日本人は戦争が ”罪悪” だと思っていて、ともかく戦争を避けることが第一で、他の国と仲良くすることが平和で、軍事力を持たず、他国への経済協力や援助を惜しまない姿勢を貫くことこそが平和友好に繋がると考えていると思います」

「アハハハ、失礼だけど、それはとても幼稚な考え方ね。国民の大半がそんな甘い考え方をする国家は、生き馬の目を抜くような国際社会では絶対に生き残れないでしょうね。
 戦後日本が中国や韓国からユスリ、タカリに等しい目に遭いながら、なおかつアメリカに甘い汁を吸われ続けているのは当然のことかも知れないわ」

「でも、今の日本人たちの大半は、ごく普通にそう思っていると思います。それがどうして甘い考えなのか、幼稚なのか、それが国際社会では何を意味するのか・・・説明してもらえますか?」

「いいわよ。それじゃ、例えば ”核武装” について、日本人はどう思っているかしら?」

「日本は世界で唯一の被爆国なので、もちろん大多数の国民が核を持つことに反対しています。国民感情としてそれを許せないようなところがあって、広島・長崎のような惨劇を産み出す兵器を持つこと自体、多くの人が否定しています」

「そうでしょうね。でも世界の先進国はそうじゃないわ。例えばフランスは国民の70%以上が核武装に賛成している。反対する国民はわずか三割程度。これはフランスに限らず、先進国では何処(いずこ)も共通している現象よ」

「え、どうして?、ちょっと驚きだな・・・日本と全く反対じゃないですか。フランス人だって、日本に原爆が二回も投下された事実やその悲惨さを知っているはずなのに。それに、核武装どころか、原子力発電所さえ世界ではどんどん減ってきているって聞きましたけど」

「やれやれ───────────やっぱり日本人が知る情報は操作されたモノね。確かにドイツのように原発を減らしている国はあるわ。けれど、そのドイツは電力をフランスから高いお金を出して買っているのよ。フランスの原発で作られた電気を、はるばる長いケーブルで引いて来てね・・・」

「えっ、そうだったんですか・・?」

「物事を正しく見るためには、その物事すべてに光を当てないと駄目なのよ。そうしないと全体像は見えてこない。だから逆に、それを上手く誤魔化したい、ある特定の偏った情報を相手に与えたいと思えば、その物事の都合の良い一部だけを取り出して、それがあたかも全体であるかのように伝える工夫をすれば良い、ということになるわね」

「それも、インテリジェンス─────────────」

「そうね。たとえば、戦争戦略とは無関係に思えることでも、世界的な猛暑が続けば地球温暖化だと騒がれ、冷夏や酷寒が続けば寒冷化だ、地球の滅亡だと騒ぎたてる・・でも、コトの全体を見れば・・つまり、いつ、誰が、何を、何のために、それを何であると言い始めたかということを詳細に見ていけば、必ずその真実が明らかになっていくのよ」

「うーむ、インテリジェンスの基本は ”5W1H” ってコトですね・・・」

「地球温暖化で北極の氷が溶ける、世界の海の水位が上がって、やがて陸は水没すると言われて、北極の氷が崩れ落ちる映像を見せられて、住むところの無い白熊が映し出されると、ああ大変だ、本当に温暖化が進んでいるんだ、文明が地球を破壊している!・・と思ってしまうのは、あまりにも短絡で単純過ぎると思うのよ。
 その北極の氷が溶けている映像はいつ撮影されたのか、夏なのか、冬なのか・・夏に氷が溶けるのは当たり前だけれど、冬でもどんどん溶けていたら本当に一大事かも知れない。
 けれど、もし故意に夏の影像だけを見せられているのなら、それは何者かによる、紛れもないプロバガンダ(情報戦を勝ち得るために意識や心理、世論を誘導すること)が働いているに違いないでしょ?。そして、それを言いだしたのは一体どこの誰か、どの国で発表されて、どんな人たちが同意し賛成したのか、ということも重要になってくるわね」

「なるほど─────────────────」

「どこかの国が大地震に襲われて原子力発電所が崩壊した、放射能漏れの事故で周辺何十キロは危険で立ち入り禁止、その後わずかな時間でどんどん子供のガンが増えている、それによってその国の北側三分の一が居住不可能になると主張して退避勧告を出す・・・なんて言うのは怪しいわね。誰がそれを強く吹聴しているか、それが外国人の発言なら、先ずはその情報を疑ってかかるべきなのよ」

「 ”5W1H” を使って、検証していくんですね?」

「そのとおり。ただ外国のエラい人がそう言っているから本当だ、国際機関がそう言うから真実だ、というのでは、知性的(インテリジェンス)な人間とは言えないでしょう?。
 きちんと真実を見抜くためにはどのような意識が必要で、物事はどのように検証していくべきなのか、それが最も大切なコトよ」

「外国や外国人からの情報には、必ずウラがあると思った方が良い、ということですね」

「そう、要は国民一人一人がそのようなことを見抜ける眼を、そのような全体を観る意識を持つことがインテリジェンスの基本なのよ。そうであれば、政府は国民に嘘をつけないし、国民は政府に騙されない、政府と国民が常に ”ひとつ” になって動いていける・・・これこそが、ありとあらゆる脅威や侵略を防げる、優れたオトナの国家だと言えるでしょうね」

「分かりやすいなぁ、正にそのとおりですね。僕は主権が国民にある民主主義国家というのが、ただ選挙で代議士や政党を選ぶ権利があるだけのようなイメージを持っていました。
 国民の一人一人が国を造り、国を守り、国を立てていく一員だという意識を持って存在するからこそ民主主義国家が成り立つのだと、生まれて初めてそう実感しました」

「そう、それはとても良いコトね。それでようやくインテリジェンスの一年生!
 それで、さっきの話だけれど、核武装している国は、イザとなれば敵国に打ち込むために原爆を持っているのではなくて、国際的な発言力や交渉力、抑止力などのためにそれを保有しているのよ。本気で撃つために核ミサイルを持っている国なんかどこにも無いの。
 だから、単に核ミサイルを持つ、と言うだけでヒステリックに騒いでしまう日本人は余りにも国際オンチが過ぎる。国際的な交渉力や抑止力が弱い国は、他国の言いなりになって、結局のところ戦争を避けることが出来ず、やがては侵略されてしまうのが国際社会の常識。どの先進国も、それこそが軍事力を強化する第一の目的だと考えているのよ」

「うーん・・果たして我らが日本政府は、そういうコトを理解しているのでしょうか?」

「インテリジェンスには ”理解力” という意味もあるのよ。日本政府はそれを理解はしていても、誰もそれを推進する勇気がないんでしょうね。私はね、日本の国会で核武装の話をどんどんやることこそが健全な民主主義ってモンだと思うのよ。だけど日本人はそれが民主主義だと思っていない。政治家は大事な問題ほど避けてフタをしたがるのよ。
 すぐ隣の中国が核を持って、危険な北朝鮮にも有る、日本が核武装をしなければこの極東地域(The Far East)は安定するワケがない。核論議を封じ込めて自分の政治生命の安泰を図ろうとする政治家は、結局は己の利権を追求する最低の官僚ね。そんな人に票を投じてしまうのも、国家というものに対する国民の ”意識” の低さゆえのことよ」

「国家意識か・・ちょうど僕らの年代から下になると、国家とか日本人とか、もうそんな事を言う人さえ滅多に居ないですよ。そんな意識自体、ほとんど絶滅に瀕している状態です」

「その意識が無いのではなくて、敢えて ”国家” を意識しなくなるような教育をされた、というコトも大きいのよ。それを推進してきたのが戦勝国アメリカと、獅子身中の虫である左翼反日勢力。そこにコレ幸いと付け込んでくる中国、韓国、ロシア・・・政治、経済、メディアの中に反日体制が確立されることで、日本はメチャメチャになってきたし、これからもっとひどい状態になって行くでしょうね」

「けれど自分たちは、その戦後体制こそは、戦前の軍国主義体制が崩壊して出来上がった、誇るべき民主主義体制なのだと、そう教えられてきました」

「あはは、それこそさっきの地球温暖化の話と同じよ。もっと目を大きく見開いて ”真実” を見なさい!、と言ってあげたいわね。それがこの国の国民たちに出来なければ、やがてはこの国は滅ぼされ、他国に支配されるのは眼に見えているわ。中国、朝鮮、韓国、ロシア・・日本を支配したい、手に入れたい国はそこら中にあるのよ」

「中国は、いつごろ核を持ったのでしたっけ──────────?」

「1960年の10月。中国が核を保有した時には、日本でも大々的な核論議が起こったのよ。
当時の佐藤栄作首相は、所信表明演説で ”中国の核保有はけしからん” と言って、ライシャワー(駐日アメリカ大使)を呼びつけ、"もし中国が核を持つのなら日本も核を持つのは当然だ” と堂々と述べたの。日本が核武装することについて、日本国中で賛否両論の意見が出て、戦略のために核武装をすべきだ、いや、非核三原則を貫いて核を持つべきではない、いや、いっそ日本を非武装地帯にするべきだ・・・などと、まさに百家争鳴の論議を呼び起こしたのよ」

「それで、結果はどうなったんですか?」

「案の定、アメリカのインテリジェンスが介入して、”日本の核武装は阻止すべきだ、日本には平和利用のプルトニウム輸出はするが核兵器は作らせない、日本をNPTの体制に入るように進めていくことにしよう” ・・ということにさせたのよ。日本の意志も何もあったものじゃないわね!」

「あの・・NPTって、何のことですか?・・初めて聞きます」

「やれやれ、今どきの日本人は ”PTA” にしか興味がないのかしらね?」

「スミマセン・・・勉強しますから、教えて下さい」

「NPTとは、”核拡散防止条約(Nuclear Non-Proliferation Treaty)” と言って、核兵器の廃絶を主張する政府や団体によって、核兵器の廃絶を目的として制定された国連の条約のことよ。核兵器の削減と核兵器保有国がそれ以上増えないようにするために、つまり核拡散を抑止することを目的に、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の五カ国以外が核兵器を保有するのを禁止する事を決めた条約で、1963年に国連で採択されて、1970年に発効したものよ」

「ええっ、そ、そんなバカな!!、それじゃまるで、その五カ国だけが軍事的に優位で居られることを保障するようなものじゃないですか!。国連の条約だというのに、そんなの全然平等じゃないでしょう!?」

「全くそのとおりよ。条約が制定される以前に核を保有していた国に関しては、誠実に核軍縮をしていく交渉を続けること、という以外には何の義務も課していないので、実績を問われるわけでもないし、査察が入るわけでもなし、核を保有したまま、こっそりどんどん核ミサイルを増やしていても、実際にはお咎め無しの状態ね」

「それじゃ、その条約自体が、特定の国の ”軍事的優位” を作り出す、インテリジェンスの策略であると?!」

「そのとおりね─────────────────」

「こ、国連って、そんなところだったんですか?」

「ん?・・ヒロタカは、国連がどういう所だと思ってるの?」

「どういう所って・・・国連は ”国際連合” なんだから、国際的平和の安全維持と社会への貢献を目的に、国際協力を実現するための機関でしょ。そのくらい知ってますよ!」



                                 (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第93回の掲載は、8月1日(水)の予定です

taka_kasuga at 21:53コメント(16)連載小説:龍の道 | *第91回 〜 第100回 

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2012年07月17日 00:11
ごく最近、
にしむら珈琲の豆を師父に分けて頂いて試してみましたが、
下手が淹れても吃驚の美味しさでした。
上質な珈琲だけに感じられる透明感があり、
苦味に嫌味が無く、後味が極めてクリーンな飲み口でした。
一流の仕事とは斯くの如きという気概を堪能させて頂きました。

気概・・・!
自分も含めて最近の日本人は薄まってきていると感じます。
自覚がないままに薄まって生きる事に馴染んでいないかと、
薄ら寒い不安を覚えます。

それが何の影響によるものであれ、
その生き方を選んだのは自分なのだから、
現状を是と出来ないのなら、
妥協せずに信じた道を貫くしかないと改めて思いました。
(ただし、頑固すぎてもイケマセンが・・・)
 
2. Posted by 円山玄花   2012年07月18日 12:57
インテリジェンス。
なにか、自分の勉強不足をガシン!、と突きつけられたような気持ちです。それと同時に、自分も宗少尉の座学に参加しているような感覚にもなりました。
宏隆くんじゃないですけど、本当に分かり易かったです。ありがとうございました。
今後も楽しみにしています。

しかしこうも知らないことだらけだと、9年間の義務教育でいったい何を学んできたのか…いえ、何を学ばされ、どの様な人間になるよう仕向けられたのかが、ようやく見えてくる思いです。

無気力・無関心・無責任といった、いわゆる「三無主義」という言葉が使われはじめたのが1970年頃。最近ではそこに無感動を加えて「四無主義」と言うべきだなんて意見もあります。
私は、これこそが戦後教育の生み出した、現代日本の若者に見られる「病(やまい)」の総称ではないかと思えるのです。
国家、祖国への関心の無さは、果たして自己の追求や探求への関心をも奪い、人生の目標を見出すことを困難にさせ、目先の利益、一時の満足のために、貴重な時間を食いつぶす人を生み出したのではないでしょうか。

国家意識の不在、国民意識の不在、自己存在意義の不在。
それらのことが、ある人達によって意図的に仕組まれ、実行されてきた結果だと思うと、情けなくも腹立たしくなってきます。
しかし、吠えているだけでは始まりませんので、やはりもう一度勉強しなおして、改めて日本という国家、そして世界の中の日本という目で見られるようにしたいと思います。
インテリジェンス一年生、5W1Hで世界を見極めます!
 
3. Posted by 太郎冠者   2012年07月18日 15:29
現在も勉強中なのですが、それまで習ってきたことと、本当はそれらがどういう意図を持って行われてきたのかという差異には、とても驚きました。

特に学校教育では、近現代史の学習はかなり省略されていますし、特に戦後については、学校のみならずあらゆる方面で意図的に歪曲された情報が流されています。
それはGHQ(CIA)が徹底的にその体制を整えたからなのですが、その意味では彼らの作戦は成功しているといえるのでしょうね。

メディアの偏向報道が目立ちますが、日本のテレビ放送網の由来を考えればさもありなん、それどころかむしろ正しく機能しているといえるわけですし。
国連に関しても…次回に書かれるのでしょうが、笑ってしまいますね。いったい、日本はドコにどれだけの金を払ってるねん、と(笑)

本当に、ひとりひとりが覚めた目で物事を見ていかないと、あっという間にダメになるでしょうね。
 
4. Posted by tetsu   2012年07月18日 15:30
実は私も、つい最近武藝館に稽古に伺った折、まっつさん宅でにしむら珈琲をごちそうになりました。本当にクセがなく、何ともまろやかな味で、おもわず「これは美味しい!」と唸ってしまいました。コーヒー一杯の味も値段が高い、安いじゃないのですね。その栽培から精製までの過程が大事と・・・。
そういえばこの間の稽古の時も師父が「稽古も過程が大事なんだ」と仰っていました。
 
5. Posted by とび猿   2012年07月18日 23:21
にしむらの珈琲は本当に美味しいですね。
雑な味がなく、とても美味しく感じました。

インテリジェンスということについて、非常に勉強不足です。
不足というよりも、勉強してこなかったというほうが適切かもしれません。
恐らく、何十年か前には、このようなことは常識だったのだと思いますが、少なくとも、
学校や集団の中では学んだことはないですし、殆ど話題にも上らなかったように思います。
また、そのようなことを話すだけで、その人は奇異の目で見られるような雰囲気がありました。
今、改めて考えてみても異常です。
 
6. Posted by ユーカリ   2012年07月20日 01:41
先日の稽古でも、体感部と四肢が一致していないと玄花后嗣からご指導頂きました。また、事ある毎に「エネルギーは一つ」であると言葉をかけて頂いています。

太極拳はトータルなものである、という認識はあったものの、日本や日本国民の歩んできた歴史や世界の動きとそれとの関わりなど、興味も持たず、見ないようにしてここまで生きてきてしまった自分が、太極拳全体を受け取れるわけがない‥…と愕然としてしまいました。

物事の全体を照らしてみないと、光の当たる部分と陰になる部分が実際にどうなっているかもわからないし、それがどう入れ替わってゆくのかもわかりません。想像でしかなく、自分の都合のいいように変えてゆけてしまう,不確かなもので身を固めて、真実が何か見極める事ができない状態、いろいろな情報に踊らされてしまう自分から脱皮したいと思いました。

また、今までの「在り方」の認識や追求はごくごく部分的な物であったと感じます。
これからは、もっと実際的、総合的に物事や自身と向かい合いたいと思います。
 
7. Posted by マルコビッチ   2012年07月20日 11:35
初めて水平線から上っていく日の出を見たとき、初めてアルプスの山を目の前に見たとき、初めて師父の套路を見たとき、そして初めて一瞬の隙もないほどの本物の珈琲を味わったとき、言葉にならない感動が全身を満たす!
その感動が世界を広げ、人生のスパイスになり、潜在意識を刺激するのだと思います。

今回のインテリジェンスの話は私にも分かりやすかったです。
私も大方の日本人と同じで、平和を疑いもせず、知ろうともせず、のほほんと生きてきましたので、「龍の道」では毎回驚くことばかりです。
選挙では、人の言うことや雰囲気で投票し、あとはそんな政治家にこの日本をお任せし、操作されたニュースの前でお茶を飲みながら怒ったり、諦めたりしている。
これは国民が民主主義国家であることを拒否してるようなものですね!
自分自身にも腹が立ちますし、NPTの話にも腹が立ちます。

本物に感動できる心、本当のことを知ろうとする勇気と知性、そんな精神を磨いていくことが必須の私にとって、「龍の道」は教科書です。
次回の ”国連” の話、楽しみにしています。
 
8. Posted by taka_kasga   2012年07月20日 17:11
☆まっつさん

「気概」という言葉自体、最近は随分使われなくなってきたなぁと思います。
言葉という言葉は当然、社会でその意味が薄まってきた時には滅びてくる・・・
つまり、自覚がないままに薄まってくるモノなので、
今の時代には気骨も根性も気概も殆ど無いに等しいのではないか、と思えてきますね。

人間というものが何であるか、というのは宗教性で追求できますが、
世界とは、社会とは何であるのか、というのは歴史を紐解くしかありません。
その歴史自体が改竄され、歪曲され、誰かの都合の良いようにされてきたのであれば、
私たちはもう一度正しい歴史を学び直し、認識を新たにする必要があると思います。
 
9. Posted by taka_kasga   2012年07月20日 17:21
☆玄花さん

宗麗華の「インテリジェンス・セミナー」にようこそ!!(笑)

戦後日本人の国家や祖国に対する無関心さは、占領国アメリカと反日勢力に意図されて操作されてきたインテリジェンスの成果です。その国家に属する国民の考え方を根本から変えてしまうのですから怖ろしいものですね。
日本は今、このクニの歴史始まって以来と言える、未曾有の危機に立たされています。
それを認識できないように教育されてきた私たちが、気付き、正しく立って行動することこそ、
いにしえの時代からこのクニを守り育んできた先人たちに報いることであると思います。
それが出来なければこのクニは滅び、それをしない人は他のクニの支配下で奴隷同然の生活を余儀なくされることでしょう。

現代の日本人が知らされていない「他国の脅威」や「密かな侵略」は山ほどあります。
それはこの国のメディアが触れようとせず、また触れることを許されておらず、
それに触れる勇気も、それを明かす勇気もないジャーナリストが九割以上を占めているからです。
もしそれをすべての国民が知ったら、間違いなく殆どの人が民族意識に目覚めることでしょう。
私の知る情報(インテリジェンス)を、宗少尉の知性を借りて、この小説の中で分かりやすく書いていきたいと思います。
 
10. Posted by taka_kasga   2012年07月20日 17:31
☆太郎冠者さん

近代史が学校でほとんど省略されていることについては、僕もよく学校の先生に意見を言った覚えがあります。その所為で、テストの点数は酷いものでしたが。
歴史のテストなのに、漢字の横棒が一本足りないとか、ハネがトメになっている、とか。。。。
さんざん難癖を付けられ、教師からイジメられました。よく落第しなかったものだと思います。
学生に反日偏向教育をほどこす、悪名高き「日教組」の全盛時代でした。

幸い僕は、その教師たちに偏った教育を押し付けられる事だけは避けられました。
それは、軍人であった父が敗戦後の自虐史観に陥らなかったためと、学生時代に良き師や良き先輩たちに恵まれた故であると思います。
けれども、そうでなかった友人たち、僕のような環境を得られなかった人たちは皆、日本が悪いことをして、最後にアメリカに原爆を落とされ、反省してようやく欧米並みの民主主義国家となってきた、などと思い込み、その自虐史観のまま人生を送っています。
今の政治家やジャーナリストを見ると、その教育を受け、それを信じたまま社会に出ていることがありありと分かります。

先ずは「物事を物事として正しく観る眼」を養わなければならない。
それこそが教育の基本なのだと、改めて感じます。
武術もまた同じであり、それをきちんと教える門にこそ身を置くべきだと思えます。
 
11. Posted by taka_kasga   2012年07月20日 17:41
☆ tetsu さん

にしむら珈琲を飲んで頂いたんですね。
神戸を愛する人間としては、とても嬉しいです。
試してみれば、その辺りの珈琲ショップで出されている珈琲よりも遥かに美味しいことが、
どなたにでもすぐに分かると思います。
僕も職業柄、スターバックスやタリーズなど、アメリカシアトル系の珈琲屋に立ち寄ることが多いのですが、いちど第一級の味を知ってしまうと、
「こんな物が珈琲と言えるか!」「この豆で、この味で、この値段を取るの?」
・・などと思えてしまいます。
それはきっと、武術の世界でも、同じことなのでしょうね。
 
12. Posted by taka_kasga   2012年07月20日 17:51
☆とび猿さん

そう、稽古は「過程」が大事ですね。

 今の若い人たちは「結果」ばかりを良くしようとして、地道に過程を学んでいくことを嫌う。
 マルになればオーケー、そんなふうに見えればオーケー、その場で認められればオーケー、
 内容が分からなくても、中身が理解できなくても、どれだけ筋肉を使って耐えていても、
 蹴っても、落下しても、力んでいても、結果として出来ているように見えればオーケー!!
 などという考え方がごく普通のように思われていて愕然とする。
 もし、そのような考え方で真伝が取れるのであれば、空海の口に明星が飛び込み、
 キリストが水の上を歩き、水をワインに変えることよりも、もっとすごい奇跡だと思える。

・・・とは、師父のお言葉ですが、
深く考えさせられることであると、改めて思います。
 
13. Posted by taka_kasga   2012年07月20日 18:01
☆ユーカリさん

太極拳は、その昔、人間がもっとトータルに生きていた頃に成立したのでしょうね。
或いはまた、トータルなエナジーを持った知的な人たちの手によって長年にわたって研究され、
どんどん高度に形成されてきたのだと思います。

よく師父が、こんなお話をされていました。
壁で囲ったところに一頭の象を入れ、その東西南北に穴を開けて、
まだ象を見たことのない四人の人に、中に居る象を見てもらう・・・
北から見ると、大きな顔と、長い鼻が見え、
その人は、象という生き物は大きな顔と長い鼻のようなものだと信じ込んだ。
東や西から見た人は、横から見たその動物の大体の形は分かったけれど、
まるで絵に描いたように平面的に見えたので、そんなものだと思った。
南から見た人は、大きなお尻と細い尻尾が見えたので、それを象だと思い込んだ。
・・・さて、物事をトータルに観る、行うとは、どのような事を言うのだろうか、と。

僕は、「全体性」とは常に物事が指し示している紛れもない事実であり、
それを観ていくことや、その中に入って行くことは、ただちょっとした勇気が必要なだけだと、
そう思っています。
 
14. Posted by taka_kasga   2012年07月20日 18:11
☆マルコビッチさん

そう、感動ほど自分の世界を広げてくれるものは、他にありませんね。
つねに嬉々として感動の中に身をおける人こそ、最高の人間の姿であると思います。
そして、常にその感動を起こす条件や原動力となるのは、
あふれる情熱と、好奇心や探求心、勇気なのだと思います。

今の若い人たちは・・・・とグチるような年齢になってしまいましたが、
そんな人をすっかり見かけなくなったのは、いったい何故なのか────────────
それを宏隆君と一緒に、解いていきたいと思います。
 
15. Posted by bamboo   2012年07月21日 11:42
結局…(信じられる自分でありたい)そういう生き様は、自ずと方向性が定まってくるものなのでしょうか…
研ぎ澄まされていく喜びというか、そうならないことへの拒否というか…よく「寛ぐ」という言葉を頂きますが、国や自分たちの環境への姿勢も含めて、ニシムラを飲みつつ、黙然しそれに浸ってみたいと思います。

それにしても、安気にコーヒー楽しみながら暗記はキビシイです(笑)
 
16. Posted by taka_kasga   2012年07月24日 01:23
☆ bamboo さん

いつもコメントをありがとうございます。

「寛ぐ」というのは、現代人にとって非常に難しいものですね。
太極拳の「放鬆」という概念は「寛ぐ」という言葉だけでは説明しきれませんが。
私個人の考えでは、寛ぐというものにも段階があるような気がしています。

ひとつ目は、自分が「寛ぎたい」「寛いでみよう」と思えば、それだけで寛げること。
つまり、少しばかり自律神経へ働きかけるだけで得られる初歩の段階です。
もうひとつの段階は、潜在意識というか、それよりもさらに深い・・・・
仏教では、自分の「存在」の源泉からやってくる「安らぎ」であると言われています。

私たちが思う「自分」というのは、とても小さな範囲のことであり、
その小さな場所で、自分の存在をとても小さく考えて、小さな自分に名前が付けられ、
国家や民族、人種の区別、良し悪し、優良可などの区分でレーベルが貼られています。
言わば、それは海の表面の波のようなもの。
波がどれほど大きかろうと、その波の下には、深い深い大いなる海があります。

第一段階の寛ぎや安らぎを造り出すことが出来たら、
次の段階の「大きな安らぎ」がやってくる準備ができる。
そうなったらもう、第一段階の「安らぎを呼び込む」テクニックは不要です。
もう自己催眠は必要ない。
自分はただ心を開いて「待っていれば良い」ということになります。

そんなことも、武藝館で太極拳を学んでいるうちに分かってきますし、
師父のセミナーでは、そのような事に深く入っていくことも試みられます。
太極拳の真伝を得るためには、そのような学習が不可欠であるからです。

にしむら珈琲を飲みながら、ゆっくり寛いで下さいね。
 

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