2012年03月01日

連載小説「龍の道」 第83回




第83回 龍 淵(6)


 今日も神戸は清々しい秋晴れが続いている。
 加藤邸のガレージから通りに出た途端に、真紅のスポーツカーは滑るように走り始めた。

 それにしても、何てすごいクルマなんだろうか、と宏隆は思う。こうして助手席に座って野太いエグゾースト・ノーツ(排気音)を聞いているだけでも、クラシカルな風情の計器パネルを眺めているだけでも、このクルマの良さがひしひしと伝わってくる。
 
「いやぁ〜、やっぱり、ジャグァーは良いわねぇっ〜、もうっ、最高ぉ〜っ!!」

「だ、ダメですよ宗少尉、あんまり飛ばしちゃぁ・・・あ、危ないってば・・!」

「あーら、ガンガン飛ばさなくって何がスポーツカーなのよ?!、まだ若いのに老人みたいなことを言っていると大物になれないわよ!、飛ばすのが怖いんだったら、お抱え運転手付きのベントレーの後部座席にでもマッタリと乗っていなさい!」

「まったく、もう・・・コレだからなぁ・・・・」

 幌を開けてオープンにした ”ジャガーEタイプ” は、まるでオートバイにでも乗っているかのように、自然の風をたっぷりと受けて、乗る人を底抜けに開放的にしてくれる。

 1961年に誕生した4,235cc、265馬力のエンジンを持つジャガーEタイプは、1964年に初のマイナーチェンジが行われ、自社製のフルシンクロ4速ミッションとなって、より素早いシフトチェンジが可能となった。また、内装も随分豪華になって快適性が向上し、正にGT(Grand Touring)と呼ぶに相応しい装いとなった。

「ィヤッホー!!、ねぇヒロタカ、これって最高速はどのくらい?」

「知りませんよ、そんなこと──────────────」

「またぁ、トボケちゃって・・・正直に言わないと、もっとカッ飛ばすわよ!」

「・・わ、分かりました、言います、言いますよ。けど、それを聞いたからって、飛ばしちゃダメですよ──────────たぶん、時速240kmぐらいかな?」

「ワオッ!、そんなに出るの?、まるでシンカンセン並じゃない!!」

 そう言いながら、さらにアクセルを踏み込む。

 何の偶然か、この車の年式と東海道新幹線の開業は同じ1964年(昭和39年)である。
 また、最高速度が240km/hというのは、'60年代ではかなり驚異的なスピードであった。何しろ、1969年に日本で発表され、70年代にアメリカで大評判となった日産フェアレディZが、北米仕様の240ZGでさえ最高速度は210km/hだったのだから。

「・・だ、ダメだってば、日本は台湾と違って制限速度があるんだから!!」

「あーら、台湾だってイチオウ速度の表示はあるのよ。ただ・・・」

「ただ・・?」

「だーれも、滅多にそれを守らないのヨネ、アハハハ──────────────」

「・・だ、ダメだっての!、ここはニッポンなんですからね!!」

 加藤邸から南京町の地下訓練施設のある南京町までは、車でならそう遠くはない。
 三宮まで下って元町に向かえばすぐそこの距離なのだが、クルマの好きな宗少尉は宏隆の父から、神戸に滞在している間は自分のジャガーを自由に使っても良いと言われて、夜も眠れないほど興奮し、今朝は早くから加藤家の運転手に頼んで車庫を開けてもらい、エンジンを掛け、随分と気の早い暖機運転をしながら車に見惚れていた。
 今も出発早々、目的地の三宮方面とは反対に、加藤邸の南側にある国玉通りを東に向かって突っ走り、護国神社を通り過ぎて、六甲登山口の交差点が赤信号になったのでようやく停車した。

「ふう・・す、スゴイGだ・・・しかし、何て運転をするんだ、もう・・」

「・・ん?、何か言った?」

「いえ、何も──────────────」

「まあ、この通りはずっと桜並木なのね。満開の桜の中をこのクルマで飛ばしたら、さぞかし気持ちが良いでしょうね!」

「はは・・そりゃもう、傍(はた)迷惑なこと、この上ないでしょうね」

「えーっと、ROKKO TOZANGUCHI、って書いてあるわね、ここ・・」

「そうですよ、六甲登山口──────────ま、まさか!?」

「あーら、よく私のココロが分かるわねぇ・・・愛してるのね、ヒロタカ・・・」

「も、もう・・朝から何を言ってるんですか・・・そんな・・・」

「ブォオオオオオンッッッッッ!!」

「う、うぁぁああああっっっ!!」

 ジャガーは凄まじいスリップ音を立てながら、タイヤハウスにもうもうと煙を上げて交差点を左折すると、次の瞬間には百メートル先の六甲カトリック教会の前を通過した。

「こんなクルマに乗っていたら、ワインディングを走らないと勿体ないでしょ!、私ねぇ、前から一度、六甲山のテッペンから神戸の街を眺めてみたかったのよ」

「ろ・・六甲山は、夜景の方がもっと美しいかと──────────────」

「そうか、”一千万ドルの夜景” ね。それじゃ夜もドライブしましょう!」

「グゥ・・・これじゃぁ、誰も貰ってくれる人が居ないワケだよな・・・・」

「ん?、また何か言った?」

「言いません、言いません。六甲ドライブウエイを走りたいんですね。よっしゃ、行きましょう。ココをひたすら真っ直ぐに、ずっと登っていけばいいですから」

「よぉーっく見てなさい、スパイはジェームスボンドみたいに、クルマもレーサー並みに運転できなきゃダメなのよ」

「だから、ぼくはスパイじゃないってば!!」

「・・あら、そう?」

「そうですっ!」

「だって、もう玄洋會の構成員なんだから、立派なスパイでしょ?」

「スパイってのは、人間や国の内情や秘密なんかを密かに探る、昔の忍者みたいなモンでしょ、ボクはニンジャじゃありませんからね」

「オーッ、ニンジャ!、ニンジャーッ!、私はニンジャが大好きよ!!」

「ダメだこりゃ・・・ジャガーのせいで、すっかりハイになってしまっている」

「キキキキィーッッッッ!!、ブロロロォオオオオン・・・!!」

「・・う、うっ、い、胃がひっくり返る─────────────────!!」

 ヘアピンカーブがいくつもある、表六甲ドライブウエイのかなりきついワインディングを散々飛ばして走り、ようやく山頂にあるホテルの玄関先に滑り込むようにクルマを着けた。

「ああ、気持ち良かった!、ヒロタカ、ちょっとひと息入れましょうか」

「ふう、やっとクルマから降りられる・・・・」

「うーん、どうも、まだ日本人はスポーツカーの文化が乏しいようね」

「はは・・自転車の大洪水の中で生活してる中華文化の人が、ナニ言ってんだろか・・・・でも、よくこんな所にホテルがあるって知ってましたね」

「お父様が、滞在中は自由にクルマを使っても良いって言って下さったので、折角だから、トレーニングの前にウォーミングアップがてらドライブしようと思って、手頃なドライブウエイが無いか、夕食の後でメイドのハナさんに訊いておいたのよ」

 そう言いながら、出てきたベルボーイにクルマの移動を頼んで、入口に向かって歩く。

「ウォーミングアップがてら?」

「そうよ、スポーツカーを駆るのは、それだけでスポーツ、ってコトだから」

「はん、なるほどね・・・」

「ハナさんは、私の部屋まで神戸の地図を持ってきてくれたのよ」

「ああ、ハナは、気もハナもよく利きますからね」

「ついでに、ヒロタカのことも、いろいろと聞いたのよ─────────────」

「え?、またぁ・・根掘り葉掘り、ぼくのコトを調べたんでしょ」

「そう、たぁーくさん、いろいろと聞いちゃった!、あはははは・・・・!!」

「むむっ─────────────────」


 六甲山ホテルは、緑豊かな六甲山頂のほど近くに立つ、1929年(昭和4年)に創立された関西有数の歴史を誇る瀟洒なホテルである。 ”阪神間(はんしんかん)モダニズム” と呼ばれる、主に阪急電鉄の周辺を中心とする、戦前の神戸から大阪にかけての私鉄沿線地域で育まれた独自の芸術や文化を代表する施設のひとつに数えられる。

 標高768メートルに位置する、ヨーロッパのリゾートホテルのような外観を持つホテルからは、眼下の神戸市街は勿論のこと、遠くは紀伊半島の先端まで大阪湾が一望にでき、日中は ”雲の上のオーシャンビュー” 、夕暮れからは ”一千万ドルの夜景” を堪能することができる。

「うわぁ!、素晴らしい景色ね。これは、夜になったらさぞ綺麗でしょうね!」

 6階にあるレストラン「レトワール」の窓際に案内されて座り、宗少尉はそこからの雄大な景色にすっかり見惚れて居る。

「あーあ、珈琲の飲み直しだな。何だかひどい運転で胃がひっくり返ったまんまで・・」

「まあ、今日は体調があまり良くないのね、可哀想に・・・」

「うぅ・・・免許を取ったら、宗少尉を隣に乗せて走ってあげますからね!」

「まあ、嬉しい!!、でもコースアウトして崖から落ちないでね」

「フン、誰が落ちるもんかいっ!!」

「・・さてと、飛ばしたらお腹が減ったわね、何か食べない?」

「このホテルは、1962年からやってる自家製のアップルパイが美味しいんですよ」

「わぁ、私、アップルパイ大好き!」

 ボーイを呼ぶと、ケースに入ったパイを見せに持ってきてくれる。

「全部手作業で焼いていて、折り込んだパイ生地の層は500以上にもなるんだって」

「生地の層が五百もあるの?!、それはすごいわね!」

「それも、気圧の低い標高768メートルのホテルで焼き上げるから、平地よりも大きく膨らんで焼けるんだそうですよ・・・」

「まあ、若いのに随分いろいろと詳しいのね、ヒロタカ・・・」

「そりゃもう、生粋の神戸っ子ですからね!」

「食いしん坊なだけじゃないの?」

「むむ・・・・・」

 ボーイが笑っている。

「でも、これは珈琲だと折角の味が分からなくなりそう。やっぱり、アップルパイには美味しい紅茶でなくっちゃね」

「そうか、仕方がない、紅茶で付き合うかな・・・」

「加藤様、いらっしゃいませ─────────────────」

 ホテルの副支配人が席までやって来て、宏隆に慇懃に挨拶をする。

「ああ、どうも。朝からお邪魔してます」

「ジャガーの音が聞こえてきまして、てっきりお父様がお越しかと思いましたが、今日は宏隆様がお美しい方とご一緒で・・・お出で頂いてありがとうございます」

「こちらは、台湾海ぐ・・・」

「・・・台湾から参りました宗と申します。昨日から加藤さんのお宅に滞在させて頂いておりますの。またこちらの夜景を見に来たいので、その際はよろしくお願いします」

 宏隆がつい、台湾海軍の・・・と紹介しそうになったので、それを遮るように、宗少尉が慌てて自己紹介した。
 いつでも、何処でも、どんな場合でも、秘密結社の人間は自分の身分を決して明かさないようにし、ごく普通の社会人として振る舞う。そうしなくては、何処で自分が狙われたり、仲間に被害が及んだりしかねない。宏隆の父・光興(みつおき)にしても、台湾の玄洋會と関わりがあるなどとは、光興が関わる実業界の誰も、夢にも思ってはいないのである。

「ディナーにも、是非お待ち申しております。間もなく次のパイが焼き上がる頃ですので、焼きたてをお持ちいたしましょう。どうぞごゆっくりとお過ごし下さいませ」

 副支配人が、そう挨拶をして下がってゆく。

「気持ちいいわね、神戸の人って」

「そうですか?」

「何だか、どの人もみんな開けていて、それでいて礼儀正しくて、スマートで、ちっともわだかまりを感じないの──────────」
 
「早くから国際的な文化が開けた港町だからでしょうかね。ぼくは地元だから、特別そんなことを感じたことはないけれど」

「同じ港町でも、横浜とはまた違っているわね。神戸の方が空が広い、って感じ。それに、ごく普通の市民なのに、着ている服や靴がとてもセンスが良くてお洒落なのよ」

「宗少・・・いや、宗さん、横浜に行ったことがあるんですか?」

「ちょっと前に、仕事でね─────────────────」

「中華街の・・・?」

「まあ、そんなところ」

「ふぅん・・何だかんだと、結構ウチの ”会社” も忙しそうですね」

「そうね、特にここ数年は ”ライバル会社” の勢力が大きくなってきているから・・・」

「・・・本当は、僕がやる仕事も、もう決まってるんでしょう?」

「えっ──────────?」

「ぼくに与えられる仕事がすでに決まっているから、急いで宗さんが神戸に来た・・・・
違いますか?」

「よく分かるわね、ヒロタカ・・・とてもその年齢とは思えないわ」

「ははは、感ですよ、ただのカン!」

「そう、お察しのとおりよ。それが分かるんだったら、もう隠す必要もないから言うけど、貴方には、近い将来アメリカに行ってもらうことになるの」

「・・あ、アメリカぁ?!」

「そう、U、S、A、のアッメーリカ」

「何のために・・・どんな任務で行くんですか?」

「それは私も詳しくは知らされていないし、知っていても私の口からは言えないわ。いずれ張大人からお話しがあるでしょうけれど、今すぐってワケではないし、何よりもまず、ヒロタカのトレーニングをきちんと終了させないと、任務も何も無いからね」

「そりゃそうですけど、そんな事を聞くと、何だか気になるなぁ・・・・」

「任務といっても、ヒロタカをもっと成長させることが、その第一の目的なのよ。何もアメリカへ行ってスパイの仕事をするわけじゃないから、安心しなさい」

「スパイなんて、僕に出来るわけないでしょ!」

「そんなコトないわよ。敵船とは銃撃戦ができるし、拉致されても、ちゃんと自分で脱出して来るし。それはもう、普通の人じゃぁない、立派なシークレット・エイジェントよ」

「あれは、ただ必死だったから─────────────────」

「普通の人は、必死になっても出来ないこともあるのよ。貴方は普通の人とは違うことが出来るから、王老師や張大人の眼鏡に適ったと思うの。それは凄いことなのよ」

「・・で、今日からの訓練は?、昨夜言っていたような・・ライフルとか、拳銃を?」

「いいえ・・・先ずは身体を鍛えてもらおうかと思うの」

「鍛えるって、ボディビルとか、走り込みとかするんですか?」

「そんなことなら独りでも出来るでしょ、ヒロタカは体力もあるし、必要な筋肉も肺活量も既に充分に持っているから、もっと非日常的なことを訓練するのよ」

「非日常的、って?」

「体力があっても、筋力があっても、多少ケンカが強くてもダメなのよ、それではプロとして通用しない。その身体が非日常的に使えるようにセットし直さなくてはいけないの」

「具体的には、何をやるんですか?」

「ははは・・・それは、始まってからのお楽しみ─────────────────」



                                 (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第84回の掲載は、3月15日(木)の予定です

noriko630 at 20:18連載小説:龍の道 | *第81回 〜 第90回 
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