2012年06月01日

連載小説「龍の道」 第89回




第89回 龍 淵(12)


「やれやれ、ひどい朝だったなぁ──────────────」

 珠乃と二人して並木道を歩きながら、宏隆がそう言った。

「でも、あのテキ屋のボスさんは、どこか憎めないところがあったわね・・・」

 珠乃は、カバンを胸の前に両手で抱えるようにして歩いている。

「うん、そりゃまあ、もちろん本当の悪人じゃないんだろうけどね」

「ところで──────────────」

「ん・・?」

「宏隆がなにをやっているのか、ちゃんと私に教えてよ。あの宗さんとかいう、何やら怪しい中国人の女性も、私には明かしても大丈夫だって言ってたでしょ?」

 歩を止めて、ちょっと怒ったような顔をして宏隆に詰め寄ってくる。

「怪しい中国人?・・・ははは、ホントにそうだね!」

「こらっ、また誤魔化そうとするっ!!」

 怒った珠乃が、手にしたカバンを振り上げて宏隆の頭を叩こうとする。

「あ、ゴメン・・分かった、分かったよ、後でちゃんと話すよ、話すから・・・まったくもう、女のくせに、口で言うより手の方が早いんだから!!」

「後でって、いつのことよ?、宏隆の ”後で” はちっともアテにならないんだから!」

「僕がアテにならないって、何のハナシだよ・・?」

「今度あそこのカフェにお茶を飲みに行こう、夏休みには瀬戸内海の無人島にヨットで連れて行ってやる、摩耶山からの冬の夜景が綺麗だから見に行こう、あの映画は面白そうだから週末に二人で観に行こうか・・・って、クチばーっかりで、めったに実行したためしが無いじゃないの!!」

「あ・・そういえば、そんなコトもあったっけ?・・・・」

「ほぉら、ごらんなさい、自分が言ったことさえ次の瞬間には忘れてるんだから!、だからせめて、今回みたいなオオゴトはきちんと私に説明して、って言ってるのよ」

「わかったよ、しかし女ってのは細かいことばっかり覚えてるんだなぁ、まったく・・・・でも、そう言う珠乃にも不思議なことがあるよな。さっきの、あのホウキで構えてあいつらを叩きのめした技は、いったい何なんだ?」

「・・ああ、あのこと?、あれは薙刀(なぎなた)よ」

「ナギナタって、あのバターナイフのお化けみたいなヤツのことか?、お前、そんなこと、いつの間にやっていたんだよ?」

「小さい頃からよ・・・母は若い頃から薙刀を長年やっていて、女学校では敵う者が居ないほどのウデだったそうなの。私は神戸に越して来て、小学校ではずっと母から教わって、中学からは母の勧めで京都にある道場に通っていたのよ」

「わあ、そりゃスゴイなぁ!、それじゃ級位とか段位なんかも持ってるの?」

「去年の春に、二段を頂いたばかり。師範が仰るには、実力ではもう三段に匹敵するのだそうだけれど、まだ資格最少年齢の19歳に満たないので、それまで待つしかないって」

「なるほど、道理でそこらのテキ屋ごときじゃまったく敵わないはずだ」

「そうでもなくってよ。とても怖くて、必死だったからあんな風に出来ただけ・・・・」

「いやいや、ご謙遜だね。あのとき箒を構えた珠乃の眼は怖いほどだったし、助けに来たつもりだったのに、ちっとも僕の出番がなかったからね」

「宏隆が、きっと助けに来てくれるって、信じてたから・・・・」

 珠乃はあの時の怖さを思い出したのか、俯いて、ちょっと涙ぐんだ。

「さ・・さて、どこかへ行こうか・・・もう今日は学校に行く気がしないしな」

「それじゃ、学校をサボって、宏隆の好きな海でも見に行く?」

 珠乃の顔が輝いた。

「お、いいね。でも珠乃が ”サボる” なんて言うのは珍しいな」

「あら、私だって普通の女子高校生よ。それに、サボるというのは元々フランス語、おフランスの言葉なんだから、私にも似合うでしょう?」

「フランス語・・?」

「そうよ、もとはサボタージュという言葉。仕事を滞らせて能率を落とし、経営者に損害を与えることで労働問題を解決しようとする紛争のやり方、つまり ”怠業” ってことね」

「へえ、こりゃ驚いた。それじゃ重複するという意味の ”ダブる” とか、いっしょに歌って ”ハモる” なんていうのと同じ、外来語の造語ってコトか?」

「・・ま、そういうことね」

「うーん、こりゃ勉強になったぞ・・マドモワゼル・ド・サボール、か!!」

「ねえ、サボると決まったら、どこへ行く?」

「そうだな──────────なんだかお腹が減ったから、先ずはオリエンタルで海を眺めながら食事をしようか」

「いいわね、ついさっき朝食を頂いたばかりなのに、何だか私もお腹が空いたわ」

「よし、早めのランチ、”早弁” にするか!!」

「わぁ、ステキね!、私、早弁って初めての経験よ!」

「あはははは・・・・・・」

「はははは・・・・」


 国玉通りから市バスに乗れば三宮まで出るのは造作もないことだし、そこからオリエンタルホテルのある旧居留地辺りまでぶらぶら歩くのは、宏隆の好きな散歩のコースだった。
 久しぶりに珠乃と二人になったこの日も、宏隆は敢えて三宮駅でバスを降り、そこから海に向かってのんびりと歩いた。
 
「うーん、この街は、いつ歩いても風が気持ちいいわね─────────────」

 息を深く吸い込みながら、珠乃が言う。

「そうだな、やっぱり僕は、何と言っても神戸がいちばん好きだ」

「この夏に行った、台湾はどう?」

「台湾は、お祖父さんが政府の仕事をしていた所だから、前から行ってみたかったし、屋台のメシもすごく美味しいって言うから行ってきたんだよ」

「あはは、まったく、どうしようもない食いしん坊ね、宏隆って」

「それに・・・」

「それに?」

「いや、後で話すよ───────────」

「いいのよ、いつだって。宏隆が話したい時でいいから────────ところで、今日はどうしてオリエンタルホテルに行こうと思ったの?」

「何となく、好きなんだよね、あのホテルが──────────ウチの父なんかは、よく仕事や接待に使っているし、台湾にいたお祖父さんもこよなく愛したホテルだっていうし、僕なんか、まだ乳母車に乗っていた頃から、散歩の途中でよく母が立ち寄ったって・・・」

「あはは、それはすごいわね、赤ちゃんの頃から宏隆サマ御用達のホテルだったの?!」

「・・・うーん、わが家とオリエンタルは、何かご縁でもあるのかなぁ?」

「私は小さい頃に奈良から引っ越して来たから、自分も ”神戸っ子” みたいなつもりでいたけど、生粋のコーベ・アイト、神戸っ子の中身はもっと奥が深そうね・・・」



 オリエンタルホテルは、明治3年(1870)に神戸の旧居留地に開業し、以来、百年以上にわたって神戸の顔として存在し続けた、日本最古の歴史を誇る、名実ともに最高級の西洋式ホテルという賞賛を受け続けてきたホテルである。

 明治40年(1907)にメリケン波止場近くの海岸通りに移転したホテルには東洋で初めてのエレベーターが設けられ、素晴らしい料理を提供することで知られるレストランは、日本にも優れた西洋料理が存在することと、神戸ビーフの美味しさを世界中に知らしめた。
 因みに、宮内省御用達の「上野精養軒」の全盛時代を築いた、「料理名人」と言われた鈴木敏雄は、かつてオリエンタルホテルの第五代目の総料理長を務めた人であり、大正・昭和に亘る「天皇の料理番」として知られる秋山徳蔵とは無二の親友であった。
 
 昭和20年の神戸大空襲でホテルが被弾半壊し復旧できずに取り壊されたが、僅か4年後には旧居留地に移転して営業を再開した。屋上に世界初の「公式灯台」を設置したモダンなホテルには皇族をはじめ、ジャングル・ブックの著書で知られる英国ノーベル賞作家のラドヤード・キップリング、マリリン・モンローと野球選手のジョー・ディマジオ夫妻や、ヘレンケラー、孫文など、多くの著名な人たちが訪れた。キップリングは世界最高峰の料理と高く評し、ヘレンケラーは生涯で一番美味しい料理だと語った。また二十年近く神戸市内を転々と移り住んだ作家・谷崎潤一郎の「細雪」の中には度々このホテルが登場する。

 平成7年(1995)、阪神大震災により大きな被害を受け、営業が困難となり廃業。
建物は取り壊され、125年の長い歴史に幕を下ろした。
 平成22年(2010)、阪神大震災から15年の歳月を経て、旧オリエンタルホテルの跡地に新しく三井不動産による ”ORIENTAL HOTEL” がオープンしたが、古き良き時代のオリエンタルホテルを知る神戸っ子には、受け継がれたロゴも変り、サービス精神も薄っぺらで昔の面影は無く、全くの別ものであるとする人も多い。

 なお、1987年にダイエー傘下に入ってすぐ、新神戸オリエンタルホテルや、神戸メリケンパークオリエンタルホテルという姉妹ホテルが建設された。メリケンパークの突堤の先端に立つ、帆船の白いセールを想わせるホテルには、居留地に在ったかつてのオリエンタルのように屋上に真白い灯台が据えられ、いまも伝統の光彩を神戸の海に注いでいる。
 


「さてと・・ここへ来たら、やっぱりビーフカレーを食べるしかないな!」

 窓の外に広がる美しい神戸港の眺めよりも、若い体には食欲が優先するらしい。
 宏隆はメニューも開けずに、座るなり珠乃にそう告げた。

「ふぅん・・ここのカレーって、そんなに美味しいの?」

「おいおい、子供の頃からずっと神戸に住んでいるくせに、オリエンタルのカレーを食べたことがないのかい?」

「うん、わが家は割と和食が多いからね。父や母もそれほど好んでカレーを食べないし」

「へえ、そんな神戸人も居るんだなぁ・・・・」

「加藤様──────────────ではありませんか?」

「・・あ、宮田さん、こんにちは。お邪魔してます」

「これは宏隆さま。この時間に、学生服姿でお見えになるのはお珍しいですね」

「ははは、ちょっと今日はワケありで・・・珠乃、このレストランのチーフマネージャーの宮田さん。いつも家族でお世話になっているんだ。こちらは同級生の息長珠乃さんです」

「ようこそお越し下さいました・・・いや、これは大変失礼いたしました、あちらの眺めの良い席にご案内いたしましょう。さ、お手数ですがこちらへどうぞ」

 マネージャーはそう言って、先に立って二人を上席に案内する。どうやら学生服姿のカップルと見て、宏隆の顔を知らないボーイが安易に席に案内してしまったらしい。

「まあ!、席ひとつで、こんなにも眺めや気分が変わるものなのね」

「そうだね、こっちの方がずっと落ち着く」

「いつものカレーをお召し上がりになりますか?」

「そう、それをお願いします。珠乃も食べてみるかい?」

「それほどのお勧めなら、いちど頂いてみようかしら」

「畏まりました、しばらくお待ち下さいませ────────」

 マネージャーはそう言って注文を通しに行く。途中、さっき宏隆たちを席に案内したボーイにさりげなく合図をして、奧に連れて行った。
 行き届いた優しい気配りのあるサービスと、優れた味わい、落ち着いて寛げる環境、その何れが欠けていても一流のホテルには成り得ない。従業員一人ひとりが常に前向きに自己を磨き続けるというスピリットが感じられる、この古き良きホテルは、いつ訪れても宏隆に何かを勉強させてくれる。

「宏隆は、いつ何処へ行っても、加藤家の御曹司としてこんなふうに扱われているの?」

 神戸港の景色に見とれながら、珠乃がそう言った。
 少しフロアが高くなっているその席は、確かにさっきの処とは眺めも、居心地のよさも、まるで違っている。

「はは・・父の七光りというか、加藤家の威光というか、どこに行ってもこんな具合で・・
まあ、仕方がないんだけどね。けれどそれは、周りが加藤家のお坊ちゃんとして扱いたいだけで、僕個人の人生には全く関りないことだよ」

「一般庶民の私たちからすると、まるで昔の華族みたいな感じね」

「そりゃまぁ、元々はホントの子爵家なんだから、ある意味仕方がないけどな」

「でも、偉いわね。宏隆は家や親の威光を嵩(かさ)に懸けて威張るでもなく、きちんと自分の人生とは別のものだという自覚を持って生きているんだから」

「だって、家柄や血筋と、自分の価値観や人生観を一緒にされたらかなわないよ。そういえば、今まで珠乃の家系のことをこれまで気にしたこともなかったけど・・・珠乃のウチは、奈良から引っ越してきたんだよね」

「そうね、実は、私のところも随分歴史の古い家なのよ。もともとは滋賀県がその発祥だと聞いているわ」

「息長(おきなが)っていう名字自体、かなり珍しいものだよね」

「その ”オキナガ” で、何か思い当たらない?」

「おきなが、おきなが・・・そうだ、”オキナガタラシヒメ” なら知ってるけど」

「そう、そのオキナガよ─────────────────」

「ええっ・・!!」

「古事記や日本書紀には、息長という名の豪族や皇族がたくさん登場してくるのよ。滋賀県には今でも息長という地名が残っているけれど、息長氏はそこに本拠を誇っていて、京都の南部から奈良の北部、大阪東部にかけて広く隆盛を誇っていたというわ」

「へぇ、そうだったのか、初めて知ったよ」

「継体天皇が大和に入るのを助けたのも、この息長氏だということよ。息長氏はもともと、第九代・開化天皇の玄孫(ひ孫の子)である息長宿禰王(おきながすくねのみこ)から出ていると言われていて、その娘が息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、つまり仲哀天皇の后である神功皇后(じんぐうこうごう)というわけなのよ」

「神功皇后と言えば、夫である仲哀天皇(日本武尊の第二子)が急死した後、お腹の中に後の応神天皇である子を宿したまま、玄界灘を渡って新羅を攻めたという歴史があったね。
 いまの学校教育じゃそんなこと教えないけど、戦前には学校できちんと教えていたって、父から聞いたことがあるよ」

「戦後は左翼学者による神功皇后や仲哀天皇の存在さえ否定するような ”架空論” まで出ているのだけれど、今どきの若者にしては、宏隆は日本の歴史に詳しいわね」

「そうでもないよ、僕は自分の興味のあることしか勉強しないタイプだったからね。K先生や張大人にも、もっと広く見識を高め、まずは自分の国のことをきちんと勉強しなくてはいけないって、さんざんお叱りを受けているんだ」

「その、K先生や張大人っていうお名前、私、初めて聞くわ・・・・」

「うん、そのことも後から説明するよ・・・・それで、つまり珠乃は、その息長氏の直系の子孫っていうわけだよな。しかし、なるほどねぇ、道理で───────────」

「どうりで・・・何よ?」

「いや、お腹に赤ちゃんが居ようと何だろうと、自ら先頭を切って朝鮮に攻めに行くところなんか、今朝の珠乃の勇ましさとダブってくると・・・」

「まあっ!!──────────────」


 カレーが運ばれてきた。

「おおっ、来た来た・・・・さあ、いただこうか。うーん、この香りを嗅ぐと、メチャクチャに食欲が出て来るんだよね」

「本当に。カレーって不思議なお料理よね。もとはインドやインドネシアの料理だったはずなのに、こんなにも日本に定着してしまって──────────────」

「そうそう、日本のカレーはインドのカレーとは全然違っていて、もはや日本独自の料理と言っても良いんじゃないかと思うよ」


 かつて1世紀以上にもわたって、このホテルの代名詞にもなっていた「ビーフカレー」は通常とは作り方が異なっていて、三井系に代替わりをした現在の ORIENTAL HOTEL ではシェフがその幻の味を復活させるために大変な苦労をしている、という。

 その新しいオリエンタルの開業日は2010年3月3日であったが、その日に間に合わせようと三ヶ月も前から、昔のオリエンタルホテルで供していたビーフカレーを再現しようと味の再現に努めていた越智伸一朗シェフは、とうとう開業日までに間に合わせることが出来ず、幻のビーフカレーをメニューに載せることができなかった、というエピソードがある。

 しかしその後、阪神大震災で廃業したオリエンタルホテルで働いていたシェフが書いたノートが遺族から提供され、当時のカレーのレシピを知るに至り、幻のビーフカレーの再現に希望を持てるようになった。 

 オリエンタルホテルのカレーの最大の特徴は、ルウにする玉葱を揚げることにあった。
 通常、カレーを作るときには玉葱を炒めるが、オリエンタルでは揚げていたのである。
 新オリエンタルの越智シェフは、それによって深い味わいの甘さを再現できたが、まだ何かが違っていると思い、どうすればかつての深い味わいが甦るのかに悩みに悩んだという。

 しかし、遂にかつてオリエンタルホテルの厨房でカレーを作っていたシェフを探し当て、詳細にわたってレシピを教授してもらえることになった。

 その深い味わいの秘密は、思いもよらないことにあった。
 それは、その日に残ったカレーの上に、さらに新しく造ったカレーを足していくことにあった。そのことによって、当日に造られたカレーよりもコクのある、深い味わいのカレーが出来上がるのである。
 昔のオリエンタルホテルでは、それを何十年も変わることなく繰り返してきた結果、他に真似の出来ない、信じられないほど深みのある味わいが創り出されたのである。

 同じ手法は、日本料理の出汁(だし)にも用いられてきた。
 おでん屋として創業百数十年を誇る老舗として知られる京都の「蛸長(たこちょう)」でも、そのように毎日出汁を作っては足し、作っては足し、親から子、子から孫、孫から曾孫へと、代々百数十年間にわたって倦まず弛まず毎日繰り返し続けてきたのである。
 優れた味、深い味わいには、やはりそれなりの理由がある、ということであろう。



                                 (つづく)






【阪神大震災で倒壊した旧居留地のオリエンタルホテル。屋上に灯台が見える】

   




【神戸メリケンパーク・オリエンタルの屋上にある公式灯台。夕暮れには灯が点る】

     



  *次回、連載小説「龍の道」 第90回の掲載は、6月15日(金)の予定です

taka_kasuga at 20:33コメント(19)連載小説:龍の道 | *第81回 〜 第90回 

コメント一覧

1. Posted by マルコビッチ   2012年06月03日 11:02
オリエンタルホテルのカレー、食べたいです!!
不思議ですね! 残ったものに足していくということ・・それで味に深みとコクが出るって! 
陰の中の陽、陽の中の陰・・考えすぎですね! でも真っ先に思いついたのが、止まらない師父の動きだったものですから・・(^_^;
しかしその味を追求していくシェフの姿勢も、やはり妥協せず、諦めず、追求していくために自分と闘って来られたのだと想像します。
代々受け継いできたレシピ通りに作ったって ”その味” はでないと思います。
その中での追求の仕方、その人の人生における在り方で、味というものが出てくるのではと思います。
太極拳、先人より受け継いできたこのすばらしい武術も、正しく受け継がなければ ”味” は終わってしまうと感じます。

珠乃さんの技、やはり薙刀でしたか! 凄いものなのですね!!
ちょっと実際に見てみたくなりました。
それに家系も由緒あるもので・・加藤家の隣に引っ越してこられるのだから、それもそうだと思いますが・・いいなあ・・
私も以前、「私だって、絶対由緒ある家柄に違いない!!先祖に何かあるはず・・」と、叔母から貰った古〜い戸籍謄本を端から端まで見て、「おっ、九州なの? えっ、でた!皇族の乳母?・・・」オイオイ、ちょっとまてと友人が指さした一番初めのところに、大きく "平民” (へいみん)と書かれているではありませんか!! ショ〜〜ックっっ!!! 
それからというものしばらくの間、私は「たいらたみ」と呼ばれていました(;。;)
 
2. Posted by bamboo   2012年06月03日 22:14
これは一度神戸に行かなくては…。自分の町のことも調べたくなりました。イイ店も^^
龍の道を通じ言葉遣いまで変わってきたこの頃です、ありがとうございます。

薙刀でしたか…てっきり神道夢◎流かと思いました^^
 
3. Posted by tetsu   2012年06月04日 09:31
ああ・・・カレーが食べたいですね・・・。
日本の文化(食文化も)は他国から渡ってきたものでも、日本人がその原型をまるっきり変えるわけでもなく「深み」を足していくというか、どんどん深く追求していきますよね。
太極武藝館の太極拳もこの日本できっとどんどん深くなっていくのでしょうね。
 
4. Posted by 太郎冠者   2012年06月04日 21:11
今回の小説を読んで無性にカレーが食べたくなり、
ちょうどキッチンにレトルトカレーが置いてあるのを発見しました。
しばらく悩むものの、背に腹はかえられず!とお湯に投入。
おいしく頂きました太郎冠者でした。
がしかし、オリエンタルホテルのカレーは隔絶の味なんだろうなァ、と本物を味わってみたいものです。

>その日に残ったカレーの上に、さらに新しく造ったカレーを足していくことにあった。そのことによって、当日に造られたカレーよりもコクのある、深い味わいのカレーが出来上がるのである。

先人からの文化や自身に流れる血も、自らを表現として、そういうふうに味わい深くしていきたいものです。
 
5. Posted by ゆうごなおや   2012年06月04日 22:18
この年になってもカレーはNo.1です。最高ですよね。

オリエンタルホテルのカレーのように?「優れた、深い」この武術を、自分の中のNo.1として、いつまでも追究したいです。
 
6. Posted by とび猿   2012年06月04日 22:32
オリエンタルホテルのカレーは、とてもおいしそうですね。
何だかお腹が空いてきました。

>その日に残ったカレーの上に、さらに新しく造ったカレーを足していくことにあった。そのことによって、当日に造られたカレーよりもコクのある、深い味わいのカレーが出来上がるのである。

継ぎ足していくものは、お出汁やソースで聞いたことがありましたが、どこかで一度でもおかしなことをしてしまえば取り返しのつかない、毎回の真剣勝負の積み重ねが深い味になっていくのだと思われ、とてもすごい文化なのだと思いました。
 
7. Posted by まっつ   2012年06月04日 22:55
伝統を受け継ぐとは、
地味な研鑽を積み重ねる事にあって、
決して特別の事では無く、至極普通の事ではあるけど、
平凡では無く、その普通こそが尊いと感じられます。
現代の日本では殆ど失われた価値観かもしれません。
自分が関われる事は僅かかもしれませんが、
関われる範囲で遺していきたいと思います。
 
8. Posted by 円山玄花   2012年06月04日 23:16
>その日に残ったカレーの上に、さらに新しく造ったカレーを足していく・・
>毎日出汁を作っては足し、作っては足し、親から子、子から孫、孫から曾孫へと・・・

その絶賛されるカレーに、いったいどれほどの秘伝があるのだろうか、と胸を躍らせてみれば、
何も特別な材料や技術の問題ではなかった、というあたりが、太極拳と重なります。
それは、決して想像していたことよりも簡単なことではないか、というようなことではなく、そのシンプルなことを可能にするために、どれほど自分と向き合い、スピリットを磨き続けなければならないかが分かる故の、感動とも言えます。
また同時に、日本人が日本という国を造ってきたスピリットと同じであるとも思います。
どこの家庭でも一族でも、親から子、子から孫、孫から曾孫へと、同じように守り伝えられてきた伝統があるはずで、そこに脈々と流れる精神性こそが日本を支え、造り、大きくさせてきたものだと思えるからです。
太極拳を通じて伝えていきたいこともまた、同じであると思いました。

次回も楽しみにしています。
 
9. Posted by 春日敬之   2012年06月07日 17:01
☆マルコビッチさん

>その中での追求の仕方、その人の人生における在り方で味というものが出て来る

本当に、僕もそう思います。
近頃はマジメそうな温和しい人間は増えましたが、「味」のあるヤツは滅多に居ないですね。
たまに個性的な人間が居ても、味というのを「アク」や「エグ味」と取り違えているような
人ばっかりで・・・文字どおり食えないッスね。

>たいらたみ

≧(´▽`)≦アハハハ・・爆笑ッス!! 
 
10. Posted by 春日敬之   2012年06月07日 17:06
☆ bamboo さん

>これは一度神戸に行かなくては・・・

宏隆くんの故郷神戸、一度と言わず、是非何度でも行ってみて下さい。(笑)
一声掛けて頂ければ、良い店や良いスポットをご紹介致します。

>神道夢〇流

小説では、珠乃さんの武藝の描写があまり細かくなかったので、そう思われたかもしれません。
日本の杖術も、スゴイですね。
あの宮本武蔵にも「導母の一手」が出てきますね。
 
11. Posted by 春日敬之   2012年06月07日 17:11
☆ tetsu さん

>太極武藝館の太極拳も、この日本で・・・

そのとおりだと思います。
伝統文化というのは、猿まねのコピーで次の世代に伝承されるのではなくて、
その中身を正しく知り、咀嚼することで、さらに昇華していく性質を持っています。
真に価値ある文化は、本物が何で出来ているかを嗅ぎ分けられる人たちによって、
さらに大きく成長していけるものだと思います。
基本功や套路の表面的な恰好を上手に真似しても、
肝心の太極拳の中身、すなわち纏絲勁の構造が分からなくては何もなりません。
今の世の中には、表面的なものを伝承とすることの、何と多いことでしょうか。
太極武藝館が果たす役割は、きっと途轍もなく大きなものに違いありません。
 
12. Posted by 春日敬之   2012年06月07日 17:17
☆太郎冠者さん

レトルトとは桁違いのモノとは識りつつも、誘発された食欲には抗いがたい・・・
ということでしょうね。よく分かります。(笑)
今回の龍の道を読んで下さった方も、翌日はカレーを食べた人が多かったかも知れませんね。
 
13. Posted by 春日敬之   2012年06月07日 17:23
☆ゆうごなおやさん

師父のカレーを食べたことがありますか?
え?・・何?・・未だ無いって?・・・嗚呼、それは可哀想ですね。(笑)
師父は信州に住んで居られた時も「究極のカレー」を三日がかりで作り、
かつて伊豆でセミナーが開かれた時にも自ら40人前ものカレーを作って、
セミナー参加者全員の初日の夕食にされたのだそうです。
それは、オリエンタルに勝るとも劣らない・・・か、どうかは知りませんけど、
皆さんには大いに喜ばれ楽しんでもらったということです。
もし機会があったら、ぜひそれを逃さずに召し上がってみて下さい。
「究極のカレー」なのか「太極のカレー」なのかは、分かりませんけどね。(笑)
 
14. Posted by 春日敬之   2012年06月07日 17:29
☆とび猿さん

>どこかで一度でもおかしなことをしてしまえば取り返しのつかない、
>毎回の真剣勝負の積み重ねが深い味になっていくのだと思われ・・・

まさにそうですね。
けれども今の時代に、金儲け以外に真剣勝負をしている人は滅多に居ないような。。。
大和魂、という言葉が使われなくなって久しいですが、
せめて武藝館の人間は、日本人の気骨をもって生きて欲しいものですね。
 
15. Posted by 春日敬之   2012年06月07日 17:38
☆まっつさん

伝統を受け継ぐとは正にそのようなことなのでしょうね。
そして、伝統を受け継ぐためには、
先ずその内容や価値、存在意義などが充分に理解できることと、
その内容に心からの敬意を払えること、
その存続と発展に自分が寄与貢献することに大きな意義を感じ、
それを誇りに思えることなどが条件となります。

内容や価値、存在意義などが ”充分に” 理解できること、と言っても、
実際には十全に受け継ぐまでの間は珍紛漢紛かも知れず、
それはひたすら直感的、感覚的なものである場合もありますが、
何れにしても、それは非日常的な地味な研鑽を積むことに係っています。

太極武藝館では、玄花后嗣をはじめ、数名の正式弟子が存在し、
その下に数名の拝師候補生が居り、
さらにその下には研究会門人が居るわけですが、
玄花后嗣以外に、いったい誰が十全に真伝を受け継ぐのかは、
未だ誰にも分かっていません。
「真の伝承と研究の成果」を正しく受け継ぐ気概や気骨のある人間が
一刻も早く、一人でも多く現れてくることが期待されています。
 
16. Posted by 春日敬之   2012年06月07日 17:47
☆玄花さん

>いったいどれほどの秘伝があるのだろうか、と胸を躍らせてみれば、
>何も特別な材料や技術の問題ではなかった・・・

限りなく高度なものの真実とは、常にそうであるという気がします。
私たちが学ぶ太極拳も、また然り。
そのシンプルなことを可能にするために、
本気で自分自身の内側と向かい合わなくてはならない、
スピリットを磨き続けねばならない、
ということこそ、武術を学ぶ意義に違いありません。
 
17. Posted by ユーカリ   2012年06月12日 12:52
在り方が正しければ、必要な事は入ってくる‥…
全ては陰と陽からなり、循環しているのだと、日頃の稽古でもよく師父や玄花后嗣から
ご指導頂いています。が、これをなかなか真に理解できずにいます。
日頃、やはり「正解が◯で不正解が×」「これは良くて,これは悪い」二つに一つ的な
発想を拭えずにいます。
宏隆君と珠乃さん、二人のご家族・ご先祖、オリエンタルホテルを支える従業員、
蛸長を受け継ぐ方々の姿勢に、心の緊張がほぐされました。
物事や自身を正しく理解して、学んでゆく手順や環境をきちんと整えて、
それを日々続けてゆくことで見えてくる物があるのだと、気づかせて頂きました。
記事をじっくりと自分に落とし込み、自ら感じた事を文章にしてみる、
それを、ペースを乱さず、言い訳を作らず続け行く事‥…
日常の生活も然り‥…
きちんと、稽古として向かい合わねばならないと省みました。
 
18. Posted by 春日敬之   2012年06月13日 17:52
☆ユーカリさん(その1)

「それを日々続けてゆくこと」の、何と難しいことでしょうか。
けれども、それを続けようと努めることで見えたものと手に入ったことは、
紛れもなく自分自身の宝物であり、自分が関わっている人や社会に対して、
広く分かち合って行けるものでもあるのです。

かつてこの国には、そのように真摯に自己と向かい合った人たちが大勢居ました。
何百年も何千年にもわたって、そのような人がそれを続けていったお陰で
私たちは世界で最も裕福な現在の繁栄があり、平和があるのだと思います。

しかし、私たちがそれに甘えてノウノウと生きていると、
やがて民度は著しく低下し、この国の偉大な文化は徐々に消え失せ、
子孫たちがそのツケを払って苦労しなくてはならない時代がやって来ることは明らかです。
真の太極拳が大切に守られ、より発展するよう惜しみない努力が為されてきたように、
私たちもまた、この国や民族を家族同様に守り育んで行かなくてはなりません。

その国の発展と、個人の発展は、全く等しいのだと私は思っています。
例えばその度合いが中華民族に勝るなら、日本の太極拳は中国をはるかに越えて、
新しい高度な文化として開花させ、わが国に定着させることが出来ると思います。
 
19. Posted by 春日敬之   2012年06月13日 17:53
☆ユーカリさん(その2)

そして、もし日本や日本人がそのように成り得ないのであれば・・・

いつの間にか異文化のドラマや音楽、食べ物、価値観がこの国中に溢れ、
異国に堂々とモノを言えない政治家たちが政権を担当し、
国民は何やら肩身の狭い思いをしながら、正しい情報も得られないまま、
やがて徐々に国土が狭められ、異国に併合され、再び占領され、
異国の文化や文字、言語を学ぶことを強制され、
異国の利益のために働かされ、あらゆる自由を奪われて、
ただ悶々と虐げられた生活を余儀なくされる日がやって来るのだと思います。

現にたった今、この地球上にそのような人たちが大勢居るのです。
すべての日本人は、この日本で、そして世界で起こっていることを正しく把握した上で、
「明日はわが身」という言葉を深く噛みしめる必要があると思います。
 

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

Categories
  • ライブドアブログ