2012年03月15日

連載小説「龍の道」 第84回




第84回 龍 淵(7)


 小春日和の、穏やかな光が降り注ぐ海岸線を、真紅のジャガーが駆け抜けてゆく。

「ねえ、宗少尉、いったい何処まで行くつもりなの?、もう明石の天文台も過ぎてしまったけど・・・」

 宏隆は、猫のように手足を伸ばしてから助手席に座り直し、宗少尉に訊ねた。

 明石海峡に金波の漣(さざなみ)が煌めいて見える以外には、宏隆にはそれほど珍しくもない、いつもと余り代わり映えのしない景色が続いている。
 ワインディングを飛ばしているわけでもなく、ポカポカとした陽気に加えて、心地良く回るエンジンの音を聞いていると、否応なく眠気が襲ってくる。今日の予定も何も分からない宏隆は、何かをするための心の準備も、何も整えようがないまま、ひたすらボンヤリとしてしまう他はない。

「あ、今のが明石天文台?、日本の標準時となる東経135度の子午線の真上ね?」

「そうじゃなくって、いい加減に行き先くらい教えて下さいよ」

「ははは・・それはナイショよ、着いてからのお楽しみ、ってコトね!」

 昨日は朝から六甲山でスリル慢点のスポーツドライブを楽しんだ後、やれ芦屋のカフェに行こうとか、老舗の美味いタコ焼きが食べてみたいとか、三宮のデパートへ買い物に行きたいなどと言って散々神戸中を走り回った挙げ句、ようやく南京町の地下施設に到着した頃にはもうとっぷりと日も暮れていて、そこでほんの少しばかり拳銃の扱い方の復習をすると、今日はもう終わりにして北野ホテルでディナーを食べよう、などと言いだして、結局それにも付き合わされ、北野の加藤邸に戻ったときにはもう夜の11時を回っていた。
 明日は遠出をするから、早起きをするようにと言われたのだが、何処へ行くのかと訊ねても、楽しみにしていなさいねと、笑って答えない。ただ、いよいよ明日から本格的に訓練を始めるから、とだけ告げられただけであった。

 ──────────────そんなわけで、今朝は二人で北野の加藤邸を出て、国道2号線をどんどん西へと向かっている。真紅のジャガーは、滅多に運転する暇のない多忙な主人である父に代わって、久々に良い乗り手を見つけて喜んでいるかのように、心地良い排気音を高らかに響かせながら走っている。

 今でこそ日本中に高速道路が整備されてはいるが、この物語の背景となる昭和40年代後半にはようやく東名高速が開通したばかりで、首都高や阪神高速なども未だごく一部しか完成しておらず、神戸から西に向かう山陽道へはひたすら国道を走って行くほかはなかった。
 けれども、道から見える風景は現代のそれとはまるで違っていて、至って長閑(のどか)で、いかにも穏やかな瀬戸内の佳き風情が感じられ、このような小春日和に、海を見ながらオープンカーでドライブするにはうってつけの道であった。

 やがてクルマは高砂の港を左手に見ながら、能楽で知られる高砂の「尾上の松」を通り過ぎると、高砂市内で43号線を北上して20キロほど内陸へと入って行き、「法華口」というところへ出た。
 広々とした田圃(たんぼ)や養鶏場、古墳のようなこんもりとした森などが見える鄙びた田園の風景の中をしばらく走って行くと、田圃でも畑でもない、そこだけだだっ広く開けた野原が現れてきて、宗少尉はそこでクルマを停めた。

「・・・ふう、あぁしんど。ずいぶん田舎に来ましたね。一体ここは何処なんですか?
 休憩するのなら何処かの喫茶店にでも入れば良いのに。それとも、トランクにパーコレーターでも入っているのかな・・・でも、まさかココが目的地じゃないでしょう?」

「いいえ、ここが今日の目的地よ」

「えっ?、この、なんにもない、ただの野っ原が?・・・ここで何をするんですか?」

「まあ、黙って私について来なさい──────────────」

 その草原には、触れれば壊れてしまいそうな、古い木の柵が境界として造られている。
それを跨いで乗り越え、草の中を少し歩いて行くと、野原の中央に突然広々とした舗装路が現れてきた。幅は五、六〇メートル、長さは1キロ半から2キロもあるだろうか。

「うわぁ、これは?・・・使われなくなった旧道にしては、ずいぶん広いなぁ・・・」

「道じゃなくって、滑走路よ、昔の──────────────」

「滑走路?・・・すると、ここは飛行場だってコト?」

「そうね──────────────」

 頷きながら、宗少尉はその広い道の真ん中をどんどん歩いて行く。

 しばらく行くと、掲揚塔に掲げられた旗がぽつんと風に棚引いているのが見えてくる。

「あれは・・・・旭日旗じゃないですか?!」

「そう、国旗掲揚塔の下に記念碑があるから、行って読んでごらんなさい」

 近づくと、旭日旗の下には地面より一段高く造られた立派な記念碑が建っていて、真新しい花が供えられている。

「姫路海軍航空隊・鶉野(うずらの)飛行場跡・・・・あ、海軍の飛行場だったんだ!!」

「私にはちょっと難しいけれど、こちら側の文字は和歌のようね?」

 石碑の右側には、達筆な字で和歌が刻まれている。

「美しく空に果てたり鶉野の、雲夕焼けて朱くたゆとう──────────────」

 その左側には「神風特別攻撃隊白鷺隊記」と記されてあり、次のような碑文があった。

「神風特別号撃退白鷺隊は、姫路海軍航空隊員より編成され、この地鶉野飛行場において日夜訓練を重ねた。隊長 佐藤 清 大尉以下六十三名は、その保有する艦上攻撃機二十一機をもって、昭和二十年四月六日より五回にわたり鹿児島県串良基地より出撃し、沖縄周辺の米軍艦艇に対し飛行機もろとも体当たり攻撃を加え、壮烈な戦死を遂げた。
 戦いは遂に国土防衛戦に入り、膨大なる物量を誇る米軍の強襲に、わが沖縄守備隊の戦力では如何ともしがたく、菊水作戦が発動され航空機による特別攻撃隊の投入となり、海空による総攻撃が開始されたのである。
 姫路空白鷺隊も決然としてこれに加わった。隊員たちは出撃に際し遥か故郷の愛する家族らに別れを告げ、再び還ることなき特攻に若き命を捧げ、武人の務めを全うしたのである。
 今ここ鶉野の地に碑石を建立し、この史実を永遠に伝え、謹んで殉国された勇士の御霊をお慰めし、併せてそのご加護により永遠の平和の実現を切に願うものである」


「ああ・・・・・」

 宏隆は、それを読んで、何も言葉が出なかった。
 もういちど、石碑に書かれた和歌を見る。

「美しく、空に果てたり、鶉野の──────────────」

 見ていると、いつのまにか、涙が止めどなく溢れてきた。

 時代も違う、社会的な背景も、国際事情も、その頃とは何もかも違っている現代の、戦後生まれの若者である宏隆だが、しかし──────────────

 同じ国に生まれ育ち、同じ民族の血が流れる、同じ日本人として、特別攻撃隊として散った彼らと同じ国の、同じ若者として、この文を読むと、この和歌を見ると、どうしようもなく涙が溢れてならないのだった。

 国を思う気持ちを、自分たち戦後の教育を受けて育った人間は、すっかり忘れてしまっているような気がする。いや、むしろそれを罪悪とさえ感じるような傾向すら、否定できないのだ。

 宏隆は石碑の前にひざまずき、手を合わせ、頭を深く垂れて、彼らの冥福を祈った。
 宗少尉もまた、同じように手を合わせて瞑目し、姿勢を正して敬礼をした。


「ヒロタカ──────────────」

「ごめんなさい、これを読んだら、どうしようもなく涙が止まらなくて・・・・」

「ううん、分かるわよ・・・でもね、今の日本の平和は、若い命を捧げてまでこの国を守ろうとした、この人たちの存在があってこその平和──────────日本人は、決してそのことを忘れてはならないわね」

「そう思います・・・学校では日本がアジアの国々を侵略していく軍国主義という間違った道を選択したために大きな戦争に突入してしまったのだと教えているけれど、今の僕にはそうは思えない。台湾から帰ってから沢山の本を読んで、当時の日本やアジアの状況、欧米との関係を調べたんです。そうしたら、学校で教えている歴史とはまるで食い違っていて、知らされていない本当の歴史がだんだん見えてきました」

「そのとおりね。張大人もそう仰っていたでしょう?」

「はい、台湾人の方が、君たち日本の若者よりも日本の歴史を良く知っている。君たちが何も知らない、何も教わっていない、本当の歴史をね・・・と仰っていました」

「日本人はもっと自分たちの民族に誇りを持つべきだと思うわ。あの戦争がアジアへの侵略戦争だったとウソを教え込まれて、すっかり気持ちが萎えてしまっている。自分たちは悪いことをしたのだと、もうそれを繰り返してはならない、軍備も戦争も否定しなくてはならない、ってね。
 真の平和というのは、戦争をしないことや、戦争を放棄することではないはずよ。
 国の平和や国民の安全を守るためには、たとえどんな強国が相手であっても、侵略行為には背中を見せず、中途半端な妥協をせず、全国民が一丸となって敢然と立ち向かう、という民族の基本的な精神があってこその事だと、私は思うのよ」

「そのとおりですね。たとえそれが経済的な侵略であっても、文化的な侵略でも、侵略は侵略ですから。それに、戦争を放棄すると言っても、オオそうかい、それじゃ遠慮なくお前の国を頂こうか、と平然と言うような強かな国々に、すでに日本は囲まれてしまっているんだから・・」

「今の日本人は、戦争を放棄すること、武器を持たないことが平和だと思っていて、すぐお隣の国はそれに付け込んで、まずは報道機関を押さえ、学校教育を押さえ、徐々に文化を変え、国民の考え方を変えていくことで、武器を使わず、攻め込まずにじっくりジワジワと侵略できる計画を進めている。そんな脅威や国家の危機を、日本の国民はちっとも分かっていないみたいね」

「本当に、そう思います。ここに祀られている若者たちは、黄泉の下で今の日本をどう思っていることか・・・」

 宏隆は、青空にはためく旭日旗を見上げた。


「ところで、僕をここに連れてきたのは?・・・この記念碑を見せたかったんですか?」

「いいえ、もちろん訓練をするために来たのよ」

「訓練って言ったって、こんな荒れ果てた飛行場で、いったい何を・・・?」

「予定では、そろそろ来る頃なんだけどね─────────────────」

 腕時計をチラリと見て、宗少尉が北の空を見上げた。

「え・・・?」

「ほうら、時間ピッタリね。向こうから音が聞こえてきたわ!」

 そう言われて、耳を澄ますと、遠くの空からエンジン音が聞こえてくる。

「飛行機─────────────────?」

「そう、あれを待っていたのよ」

「飛行機に乗るんですか?」

「そうよ、だってここは飛行場なんだから」

「そういう意味じゃなくて・・・今日これから、飛行機に乗るんですか、って・・・」

「そのとおり!、ココが神戸から一番近い飛行場だったのよねー」

「飛行場って言ったって、もう随分使っていない・・・管制塔も何も無い、戦時中の滑走路の跡地じゃないですか!」

「だから借りたのよ、ここなら人目につかずにじっくり訓練できるでしょう?」

「借りた?」

「そう、K先生がクチを利いてくれたのよ」

「K先生が?・・・K先生が誰にクチを利いてくれたんですか?」

「自衛隊─────────────────」

「じ、自衛隊っ・・・!?」

「一応、ここは陸上自衛隊の管理で、鶉野訓練場って呼ばれているのよ。滅多に使うことは無いみたいだけれどね」

「・・・・・・・・・・・」

 ついさっきは豆粒のように見えた機体が、もうすぐそこに見えている。
 セスナと呼ばれる、アメリカのセスナ・エアクラフト社が製造している小型機だ。

「こんな古い飛行場に降りてきて大丈夫なのかなぁ・・・」

「大丈夫よ、昨日ウチの者たちが整備したから」

「あ・・だから昨日は一日中、遊んでいたんだ」

「ビンゴォ!・・ほら、もうすぐ着陸してくるわよ!」

「滑走路としては、そんなに長くないみたいだけど、これで距離が足りるのかなぁ・・・」

「アハハ、以外と心配性なのね・・・大丈夫、ちゃんと計算済みよ!」

「計算って、そんなこと、どうやって計算するの?」

「安全上必要な滑走距離は、セスナなら通常の離陸で500m、着陸には400m必要とされているけど、離陸・着陸共に、風速、気温、気圧、滑走路面の乾湿具合などによって変わってくるのよ。気温が高ければ滑走距離は増えるし、標高が高いところでも滑走距離は増えるの」

「へえ、そうなんだ・・・・」

「ここは高砂の港から比べると、標高はおよそ50メートル前後でしょうから、現在の気温と湿度、風速と、今日の大体の気圧と滑走路面の乾燥具合を考えると──────────────」

 宗少尉はバッグから手帳を取り出して、どんどん計算をし始めた。

「・・・うん、1,180フィート、約360mぐらいかな。400mもあれば充分でしょうね。
 つまり、ココの滑走路なら充分すぎるくらいの長さだということになるわね」

「スゴイなぁ、どうしてそんなムツカシイことが計算できるんだろ?」

「あはは、こんなのはスパイの序の口よ。そのうちヒロタカもたっぷり勉強させてあげるから覚悟しなさい!」

「ぼくはスパイじゃないってば、もう・・・」

 そう言っているうちに、セスナが着陸してきた。
 宗少尉の言った通り、それほどの距離を必要としない。あっという間に着陸を終えたセスナは、機首の向きを変えて、宏隆たちの居るところまでゆっくりと移動してきた。

 機体のドアが開き、パイロットが降りてきて、宗少尉に敬礼をする。

「命令により、セスナをお持ちしました」

「ご苦労でした」

「初めまして、自分は神戸玄洋會の胡必成(こ・ひっせい)、一等兵曹です」

 そう言って宏隆にも敬礼をする。

「あ、どうも、加藤宏隆です。よろしくお願いします・・・で、宗少尉、このセスナで何をしようっていうんですか?、まさか今日は神戸港や六甲山に遊覧飛行と洒落込もうってワケじゃぁないでしょうね」

 昨日の宗少尉のノリを思い出して、宏隆が半ばからかうように言う。

「はっはっは・・・宗少尉、まだ彼には何も伝えていないんですか?」

「そう、ヒロタカがビックリする顔が見たくてね。何しろこの人は、ちょっとやそっとのことでは驚かない、キモのすわったケンカの若大将だから・・・」

「僕を驚ろかせたい?・・・穏やかじゃないなぁ、いったい何を企んでるんだろ?」

「遊覧飛行じゃなくって、このセスナから飛び降りる訓練をするのよ!」

「飛び降りるって・・・ま、まさか・・・・・?」

「そう、そのマサカよ!、これに乗って、空からダイビングをしようってワケ!!」

「・・ダ・・・ダイビング・・・・・!?」



                                (つづく)




【 姫路海軍航空隊・鶉野飛行場跡 】

      

               

     




  *次回、連載小説「龍の道」 第85回の掲載は、4月1日(日)の予定です

taka_kasuga at 23:10コメント(16)連載小説:龍の道 | *第81回 〜 第90回 

コメント一覧

1. Posted by ゆうごなおや   2012年03月18日 23:40
特別攻撃隊の若者、沖縄の地上戦で自決した人たち。彼ら彼女らの話を読み聞きすると、時代も社会的背景も違う現代にのほほ〜んと生きている超現代的思考の自分にさえも心に響いてくるものがあります。

当時の個々人の思いとはどれ程のものだったのかは、自分には考え尽きませんが、彼らに負けぬように自分を正していきたいという思いが、太極武藝館とつながったのかもしれません。
 
2. Posted by 太郎冠者   2012年03月19日 02:33
私の祖父は戦争中、少年飛行兵として出兵していて、
戦争がもう少し長引いていれば特攻するはずだった、と
よく話していました。

結局命を落とすことはなかったのですが、終戦後日本に帰国してきたら、
戦争に行く前と後では、人々の戦争に対する意見が
大きく変わっていたと、大変驚いたそうです。
いわんや、戦後65年の教育を経て、我々日本人が
どのような価値観を植えつけられているか。
想像に難しくないと思います。

戦争の是非を問いたいわけではなく、どういった考えのもとで、何が起きたのか。
これを正しく知らないことには、いま現在の社会情勢も理解できないように感じます。
 
3. Posted by 円山玄花   2012年03月19日 03:02
今の若者の中には、自衛隊の主な仕事は“災害派遣”であると、本気で思っている人がいると聞いて本当に驚きましたが、これも国を思う気持ちが失われつつあることの表れなのかと思います。
けれども反対に、我こそは有事の際に日本を守る一兵力となり・・・と、志を持って入隊を希望する若者もいます。結局のところ国家の平和は国民ひとりひとりの持つ心構えによって決まるような気がします。

ところで、さすがの宏隆くんもスカイダイビングは初めてのようですが、訓練もせずにいきなりセスナに乗るのでしょうか?
次回も楽しみにしています。
 
4. Posted by ユーカリ   2012年03月19日 04:36
戦争に勝つ為に、お国の為に、自分という物を捨てて日夜訓練に励んでいた若者たち‥…。
現代の平和ボケした世の中からは、同じ日本人が経験してきた事とは信じがたい事です。たった65年の間に激変してしまった事にも驚きます。
現代は危機感がなく、自己中心的で、自分の体裁を整える為に必死になっていると感じます。自分も例外ではなく、門人として籍を置かせて頂きながら、未だ自分の都合を優先させて言い訳ばかりを連ねています。
常に常に自分を見つめ、途切れる事なく,緩める事なく、それを継続してゆく事が私の課題です。
 
5. Posted by とび猿   2012年03月19日 20:05
>国を思う気持ちを、自分たち戦後の教育を受けて育った人間は、すっかり忘れてしまっているような気がする。いや、むしろそれを罪悪とさえ感じるような傾向すら、否定できないのだ。

学生の頃、周りの風潮は正にこの様だったと思います。
そして、その中にどっぷりと浸かってしまうと、それが当たり前のことと思えてきました。
ほんの少しでも客観的に考えれば、おかしいことなのですが、何かおかしいなと思ことはあっても、そこから目を背けてしまうような平和で知性のない時間を過ごしてしまったように思います。
もう一度、気持ちを引き締め勉強し直していかなければならないと思います。
 
6. Posted by まっつ   2012年03月20日 00:46
正直、自分のようなヘナチョコが、
特攻について何かを語れる事はありません・・・
ただ英霊のご冥福をお祈りするばかりです。

かっては波乱の世界史の只中で、国造りに精魂を傾けた人達が居て、
その生まれ育った国を守る為に、命を燃やし尽くした人達が居て、
何もかもが燃え尽きた焦土から、国を立て直そうと奮起した人達が居て、
その先人達の艱難辛苦を経て、国は立て直されたと一時の夢を見ましたが、
バブル崩壊後の世相は厳しさをいや増すばかりで、
この国の行く末に夢を見る事自体が、今は難しい・・・
と肌に感じられて切ないです。

かってのこの国を富み栄えさせたい、自らと家族の安寧を守りたいとした、
父祖達の夢が間違っていたとは思いませんが、
その夢の先たる今の時代には「何か」が欠けてしまっていると思います。
漠然と表現するなら「自分の根っ子」を知らない、
「日本」を知らない「日本人」に、自分も含めて成ってしまっていて、
漂流する各個人は「自分」を超えた夢を見られなくなっていると感じます。

やはり歴史と伝統文化の水脈の断絶、教育と報道の偏向は大きな問題だと思いますが、
今を生きる我々としては、大人自身が子供達に範を示せない事が一番の忸怩たる処です。
子供達が「自分」を超えた夢を描けるような道を・・・刻んでいきたいです。
 
7. Posted by 春日敬之   2012年03月21日 12:09
☆ゆうごなおやさん

>彼らに負けぬように自分を正していきたいという思いが、
>太極武藝館とつながったのかも知れません。

今日の武道や格闘競技に汗を流す若者たちが、皆そのような思いで武藝を修練していれば嬉しいのですが。気軽な週末のテニスや会社帰りのフィットネスを楽しむのと同じように武道の道場に通うという考え方もあり、それはそれで結構なことかもしれませんが、それが大多数を占めるようになったら、そのような世の中はちょっと怖い気がします。
 
8. Posted by 春日敬之   2012年03月21日 12:18
☆太郎冠者さん

>戦争に行く前と後では、人々の戦争に対する意見が大きく変わっていたと・・・

そうなるように世論を操作したのが、GHQとマスメディアです。
それから六十有余年、多くの放送局や新聞社は殆ど他国の国営機関のような様相を呈し、
曾ての占領国アメリカは、今や日本を見放すかどうかという瀬戸際に・・・。
まあ、国民が乗った民間機を自国のビルに平然とぶつけるような連中ですからね。
どうなるんだ、ニッポン?、と言うよりは、これでイイのか、ニッポン!!と、声を大にして
一人一人が立ち上がらなくてはならない時代が来ているのだと痛切に感じます。
このままいけば、かつて中国の主席である李鵬が'95年に発言したとおり、
「日本などという国は二十年後には消えてなくなる」のも、充分に有り得ることでしょうね。
 
9. Posted by 春日敬之   2012年03月21日 12:27
☆玄花さん

>自衛隊の主な仕事は ”災害派遣”

私たちの時代には「戦争を知らない子供たち」というのが流行りましたが、
今の時代は「侵略を知らない子供たち」とでも言うべきでしょうか。
嘆かわしいというのを通り越して、よくもまあ、ここまでヨレヨレにしてくれたなと、
ガックリ来ます。

>訓練もせずに、いきなりセスナに・・・

ははは、パラシュートを知らない人は、皆さんそう仰いますね。
ハラハラする次回をどうぞお楽しみに。
 
10. Posted by 春日敬之   2012年03月21日 12:36
☆ユーカリさん

たった六十五年間で急変してしまったのは中国も同じです。
かの文化大革命のために、中国武術はその真の伝承を殆ど失ってしまいました。
もはや本家中国には中国武術の真伝なんぞ、ほとんど何処にも存在しておらず、
中国が欲しい欲しいと統合を狙う日本に、かつて彼らが誇った文化の集大成である
太極拳の真伝がそっくり残っているのは、何とも皮肉な話です。
しかし、それがどれほど大きな意味を持つことなのか、
いつの日か、彼らはイヤと言うほど思い知ることになるでしょう。
 
11. Posted by 春日敬之   2012年03月21日 12:45
☆とび猿さん

どのような事でも、その中にどっぷりと浸かってしまうと、
それ以外のものが見えなくなってしまいますね。
恋愛しかり、仕事しかり、武術もしかり。
けれどもそれは、「ただどっぷりと浸かっていただけ」という人に限られます。
そこに平和・安寧・安息・安住・・を感じて、どっぷりしてしまったのでしょうね。
しかしそれは甘えの精神であって、探求の精神ではありません。
甘えが許されるところには探求の道は開かれませんが、
反対に、探求が為されるところには、甘えは存在しない。
「真の探求こそが人を成長させる」とは、吾が師のお言葉ですが、
そこに「甘え」の入る余地はありません。
気を引き締めるだけでは、いくらでも甘えの入る余地があるのだと、
修行者は理解していなくてはならないと、私も度々思ったことでした。
 
12. Posted by 春日敬之   2012年03月21日 12:54
☆まっつさん

かつての「戦争を知らない子供たち」は、
今では「日本を知らない日本人」となったようです。
欧米の個人主義に憧れて日本文化を否定したその果ては、
皮肉にも「漂流する個人主義」となってしまった。
Flying Duchman ならぬ、Flying Japanese ・・・・

戦後の「大きな流れ」は、急激には変えられないかも知れませんが、
一人一人が現状に疑問を持ち、その企みに気付き、失われたものを取り戻したいと願い、
もう一度この国を立て直そうとする気持ちを強く持つことこそが、
実際に流れを正すことに繋がってゆくのだと思います。
そうなれば、日本人ほど強い民族は居ません。
 
13. Posted by bamboo   2012年03月22日 01:05
毎年桜の咲く季節になると美しさに放心していましたが、とともにある種の切なさを感じるようになったのは入門してからです。
最近では更に、それまでに無かった強いシンじられそうな何かを、自身の奥深い所におぼろげながら感じるようになりました。
どうやらゆるキャラ化は避けられそうです。ジックり取り組めそうです^^ 今度は“とりあえず逝ってみる”などではなく、毎日を「飛び降りる」意識で。セスナはそれからにさせていただきます^^;
このご縁と龍の道、そして誇り高き日本人に感謝し 合掌
 
14. Posted by マルコビッチ   2012年03月25日 03:40
コメントが遅くなり申し訳ありません。
この「龍の道」はいろいろなことを考えさせてくれますね!
つい先日、ファミレスで食事をしていたら、隣の席の若者数人(たぶん大学生)
がワイワイべらべらと話しに興じているのですが、何の話かと思ったら、どうもゲームの話題で盛り上がっているらしいのです。
ああ〜本当に日本はどうなってしまうのだろう・・男4人で他に話すことはないのか・・と、帰りの車中でちょっと興奮してしまいました。
私より少し上の人達は”戦争を知らない子供たち”ですが、それでも学生運動を起こしたり、哲学を語ったり、生きることの意味に立ち向かっていたように思います。
現代では”戦争を知らない”という言葉さえ、どこかに葬り去られているように思います。
日本は昨年の震災で大きな被害を受けましたが、その時の日本人のとった行動の素晴らしさ、強い精神力は海外でも感動と賞賛を受けたようです。
この事は、今を生きる若者の心にも何かを呼び起こすものがあったと思います。
日本人という優れた民族、素晴らしく優れた文化に多くの人がもっと目を向けていけたらと思います。

また、特攻隊として命を持して突撃していった若者を思うと、究極に拘束された中で自身の魂に深く向かい合う強烈な勇気と純粋さを感じます。
1972年に「恥ずかしながら帰ってまいりました」と帰還した横井庄一さん、その後ルバング島から帰還した小野田少尉を思い出すと、胸が熱くなります。
小野田少尉は帰還後、政府からの見舞金100万円と義援金の全てを、靖国神社に寄付したそうです。
インターネットで小野田少尉の事を見てみますと、”その他エピソード”に大変興味深いことが載っていました。
興味のある方はぜひご覧ください!
遅くのコメントで、とりとめなく長くなってしまいすみません。
 
15. Posted by 春日敬之   2012年03月25日 04:55
☆ bamboo さん

>毎日を「飛び降りる」意識で。セスナはそれからに・・・

飛び降りるといえば、「清水の舞台から飛び降りる」てのは、もう死語に近いんでしょうか。
近ごろはめっきり使われなくなったような気がします。

この「清水の・・・」は、思い切って何かを行うことの喩えに使われますが、清水寺の森清範貫主によれば、実は本当の意味はそうではなく、「観音さまに一切をお任せする、観音さまと一緒に歩む気持ちになる、そうすれば見守って下さる、心の安らぎが得られる・・という意味」なのだそうです。

ところが、人間の気持ちというのは中々難しいもので、江戸時代には「清水の舞台から飛び降りさえすれば願いが叶う」という庶民信仰が流行し、なんと実際に飛び降りた人が240人以上も居て、明治になって政府が「飛び降り禁止令」を出して、やっと下火になったと言います。
確か歌舞伎にも、実際に飛び降りるシーンのある演目があったと思います。

bamboo さんはそんなコトないでしょうけど、「飛び降りる気持ち」も、ひとつ間違えば・・・という分かりやすい例かも知れません。
実際のところ、清水の舞台から飛び降りるよりも、セスナから飛び降りる方がはるかに安全で楽しいものなんですけれど。
・・あ、なんだか話がゴチャゴチャになってしまいました。すみません。
 
16. Posted by 春日敬之   2012年03月25日 18:58
☆マルコビッチさん

ぼくも、久々の日本でファミレスに入った時に、若い女の子たちの椅子に座った恰好が、裸足で
アグラをかいたり、立て膝をして食事をしているのを目にしてビックリしたことがあります。
連れのズボンを尻の半分まで下ろしている男の子たちの方が普通に?思えて、ちょっとショックを受けました。この子たちの親は、子供に何を教えているんだろうか、いや、今の日本の教育はどうなっているんだろうかと、本当に危機感を覚えました。

日本人は戦後じっくりと長い時間を掛けて ”或るタイプ” に「変容させられた」のだと思えます。
従順で、素直で、芯が強く、頭の良い民族である日本人は、自分たちが貪欲な侵略者で、その戦争を国家的犯罪だと認識させられたことで、侵略への備えを必要としない手放しの平和、表面的な幸福や目先の利益に向かい、その結果、教育は学校の先生任せになったのだと思います。
侵略を狙う国は、そのことを予想して何十年も前から教育に目を付けていたのですから、大したものですね。百年単位でモノゴトを考えている国や民族は、相手が気付かないようにジワジワと長い時間を掛けて攻めてきます。

小野田少尉は、終戦も、著しい日本の変化も承知の上で、ルバング島に留まり続け、上官の命令を待っていたそうですね。小野田さんは武藝館からもそう遠くない、天竜にある陸軍中野学校・二俣分校で訓練を受けています。こんな日本人が、昔はそこらじゅうに居たんですね。
 

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