2011年12月24日

門人随想 「今日も稽古で日が暮れる」 その14

「 カガクする心 探求する心(7) ―だァから歩いて行くんだね!― 」

                      by 太郎冠者
(拳学研究会所属)


 今年もいくつか記事を書かせてもらったが、相変わらず結論めいた事は書かれていない。自分の感じたこと、考えたことを太極拳に関連付けて自由に書かせてもらった。

 3月からは、「カガクする心」ということでシリーズ化し、太極拳を科学的に見てみるということで何回か連載させてもらった。二ヶ月に一度ほどの、牛の歩みのようなゆっくりとしたペースであった。(…皆様、申し訳ありません)

 今回が「今日も稽古で・・・」の今年最後の記事となるようなので、総括代わりにあらためて、科学的とはどういう態度か、について考えてみようと思う。


カガクする

 僕はこれまでの記事で何回か執拗に、「気などの効果を謳う武術の神秘性の排除」を念頭に置いて内容を書いてきた。こう言うと、僕が徹底的に科学信望者で、証明されていない神秘性を徹底的に嫌っていると思われるかもしれないが、実際はそんなことはない。
ではなぜ、神秘性を排除しようとしていたのか。

 それを言うためには、科学的とはどういう状況かということに、改めて踏み込まなければならないように感じる。もちろん、連載を始めたときとは自分自身の考え方に変化している部分もあるからだ。変化がなければ進歩はない。
 少しだけでも自分が進歩していることの表れだと、素直に喜びたいところだ。

 シリーズの二回目を見てみると、僕は『科学』について考えている。
 曰く、未開の地を、先人の残した地図・コンパスを頼りに自らの足で進んでいく行程、といったようなことを。

 これは、科学についての追求と物事を探求していく心を重ね合わせて表現したもので、シリーズのサブタイトルそのものについて言っている。
 その後数回は、現代の物理と照らし合わせて、太極拳で言及されていることについて考察をした。その中では、いくつか物理の用語や現象などについても解説を入れた。

 科学的とは何か。
 それは、「再現性」があることだろう。つまり、自分で出来たそれが、自分以外の誰かも同じように出来ること。再現できることだ。

 確かに太極拳は人間の体で行われる物理的な現象であり、だからこそ物理で説明がつく。
 しかし、それを物理的に解明することには、太極拳を武術的に稽古して強くなる上では、最重要な課題ではないように感じる。
 もちろん、認識の再確認等の意味はあるとは思うが、それだけではトータルではなく、片手落ちになるように感じるのだ。

 それでも、物理的な構造解析を行う。詳細に構造を解析する。
 それは、物理的に解析された現象であれば、他者への伝達が具体的で容易になるし、再現性が高くなるからだ。
 ここに、神秘性を排除しようとした理由がある。

 つまり、「気」だなんだという話になると、再現性に乏しい。
 「気の武術」で、敵を倒す技術が身についたとする。しかしそれを、他者の再現はもちろんのこと、自身で百パーセント再現することができるのだろうか。
 武藝館の稽古では、相手が吹っ飛んでいくなど見た目に派手な現象でも、少なくとも師父ならば百パーセント、同じことを再現することが出来る。

 同じような現象が起きたとしても、「ここに気を溜めて…」なんて話になってくると、信憑性がどうのということではなくて、具体的に何がどうなったらどうなるのか、というのがあまりにあやふやで、再現のしようがない。あまりに感覚的なものに寄り添いすぎているからだ。
 体調のコンディションは毎回違うものだから、もし明確な再現性のある基準が確固としてあれば、それに感覚をあわせるということが出来るが、感覚主体の気の表現であれば、それこそ感覚が変われば全体が変わるという本末転倒なことが起こりかねない。

 そんなことで、実際に相手が刃物を持って襲ってくるような状況を乗り切ることが出来るだろうか。
 少なくとも自分だったら、怖くてそんなものに頼ることは出来ない。
 はっきりしたこと、出来うる限りのことをする。その上で運の要素が働くのだとしたら、仕方がないが…。


 ここに、太極拳の学習体系というものの重大性が見えてくる。
 学習体系────────────常々言われるような、学問としての太極拳である。
 太極拳学の中の物理科目という意味で、物理的に解析することは大いに有意義なことであると思う。

 初回に書いたナイチンゲールの話だが、彼女は実は、現代の医学でいうところの「正しい理屈」に従ったわけではない。
 ナイチンゲールは入院病棟の状況改善に取り組んだのだが、それは彼女が「瘴気論」の信望者だからであった。瘴気論とは、悪い空気(瘴気)によって病気がもたらされるという考え方だ。
 現代のウイルスや感染などの免疫システムとして解明されているものと共通点はあるものの、瘴気論は、現在の医学から見れば前時代の考え方であるといわざるを得ない。

 しかし統計学者でもあった彼女は、現実的に病院全体のシステムを見直し再構築し、実際に入院患者の死者数を大幅に減らし、現代にも通じるシステムを作り出したという偉大な功績を残した。これは彼女が何を信望していたかは関係がなく、確固とした事実として、つまり再現性のある事象として世界中に広まったからだ。

 だから、太極拳が「気の武術」であっても何も問題はない。現代の科学では理解できていないことが多いのは間違いのない事実なのだから。
 問題は、「気の武術」であるとしてしまったときに思考停止に陥ること、あるいは自身での再現性・他者への伝達が不可能なシステムに変質してしまうことにあるように思う。
 「気の武術」だったらそれはそれで、具体的に「気」が作用するメカニズムを解析し、十中八九再現性のあるシステムとして構築していく必要があると思う。
 そうでなければ机上の空論、ただの夢物語で終わってしまう。


探求する

 科学的であることが再現性のあるものだということは述べた。
 これは、学問としての在り方から見ても筋が通ると思う。

 しかし人間は、合理性それのみによって進むという事が、なかなか難しい生き物なのだ。悲しいことに。

 もっと、こう、なんというか…心をガッと掴まれるような、大きな可能性に開かれているようなもの、あるいは美を感じるもの。
 そういったものがないと、モチベーションにならない生き物でもある。


 いきなり話が飛ぶが、オランダのアーティスト・科学者にテオヤンセンという人がいる。
 もしかしたらご存知の方もいるかもしれないが、彼の作り出した作品に、砂浜を歩くパイプで出来た奇妙な物体、『ストランドビースト』というものがある。
 僕ははじめて映像を見たとき、なんとも不思議な気分になったし、とても楽しくなった。
検索してもらえれば映像はたくさん出てくるのでぜひ見てもらいたいが、あの、まるで生物のようなウネウネした動きが、実に興味深い。

 ただのプラスチックパイプのカタマリなのだ。
 それが、ある一定の数値にしたがって(これをヤンセンはホーリー・ナンバー、聖なる数字とよんでいる)配置されている一組のパーツ、それをセルと呼ぶらしいが、それが規則的に配置されている、いわばそれだけの物体である。

 それが、風を受け、あるいは何かの力を受け、連動して動き出す。
 その中に我々は、不思議と生物的なもの、生きたものを感じてしまうのだ。

 僕はこれに興味を持って、個人的に色々と調べた。
 興味のある人は、簡単に作れるキット付きの本も売っているから、買ってみるのもいいかもしれない。
 ちなみに僕は買いました。

 とにかく調べてみたが、そうするとわかったことがいくつかあった。
 まず、一定の周期で足が動くような機構、これを「リンク機構」ということ。
 リンク機構には、筋肉のような能動的な組織がなくても、一定のリズムを持って「歩く」ような動作が可能であること。
 そういったロボットを研究している人達がいて、そのロボットを受動歩行ロボットということ。

 人間の構造を模した受動歩行ロボットを研究している人がいて、実際にモデルをくみ上げて実験、発表していた。
 それは、坂道になっているところにおいておくだけで、自動的に人間の歩行を模したリズムで歩き続けること。つまり、動力がない=能動的なエネルギーを使わない、故に受動歩行なのだ。

 つまり人間を模したシステムでそれが再現できるということは、人間には本来その仕組みが備わっていることを意味している。

 また面白いことに、それを四足にしてくみ上げたロボットを作り出すと、ある早さでは歩行の状態、それが少し早くなってくると、馬でいうトロット(速足)の状態に自然に移行していくのだという。

 それも、どのような条件でそう変化していくのかは、具体的に計算できていないらしく、非線形科学的に変化していくのだという話だ。


 こうして、実に面白いことになってくる。
 興味を持ったことが、どこかで響きあっていく。
 太極拳の動きがダイナミックで、それでいて優雅で美しいと思うのも、こういった本質が人間に備わっているからではないか。

 また、本来人間が、“余分な力を使うことなく”動けるのだとしたら?
 それを動かすのに、力む必要などあるのだろうか。

 その仕組みを、ただ普通に生活している我々が、知らないだけなのだとしたら。

 まだまだ、探求の旅は終わることはないようである。


終わりに

 旅は終わらない、結論めいたことは出てこない。

 シリーズとして科学に焦点を当てて書いたが、そろそろほかの話題にも振ってみたい、というのが書き手の勝手な思いであったりする。
 そういうわけで来年は、カガク以外の事柄にも触れるようなものを大幅に取り入れていきたい、と思う。
 いや、もちろん科学的に考察しないというわけではない。
 ただ、それ以外の全体的な人間の豊かさを稽古で味わっているので、それを書かないわけにはいかないという欲求があるのだ。

 来年のことを言うと鬼が笑う、というが、鬼ってなんだろう。
 そもそも自然の営みの中には、年の瀬、新年などというものがない。
 人間が認識しているだけだ。
 人間が作り上げた枠組み、フレーム、型。それが人間とどう関わりがあるのか。
 あぁ、追求したいことはいくらでもある。

 しかし、一旦幕を引き、新たな旅立ちの準備をしようと思う。

 『カガクする心 探求する心』

 おしまい。

 ここまで読んで頂き、ありがとうございました。




【参考映像】

     
 
     


     
 
     

disciples at 16:00コメント(13)今日も稽古で日が暮れる  

コメント一覧

1. Posted by マガサス   2011年12月27日 15:23
このシリーズを読ませて頂き、たいへん良い勉強をさせて頂きました。
ありがとうございます。

のらさんが「螺旋の構造#4」で、科学というのは、ある目的や方法で種々の事象を研究する認識活動のことだと書かれていましたが、太極拳の武術的な構造はすべて科学的に解明できる、と師父も常々言われています。
そして科学的に解明しなければ、太極拳はただの神秘で終わってしまうと思います。何しろ日本にはこの陰陽虚実の原理を「呪術的妄想」だと言っちゃう武術家まで居るんですからね(唖然)。
私のレベルから見てもそれじゃ余りにも勿体ないので、どんどん研究していかなくちゃならない。だから、カガクすることはとても大切だと思います。

・・え? それなのに「おしまい」ですって?・・(-_-)
ま、次回がどのようなテーマであっても、期待しております。

>Theo Jansen's Strandbeests

わおっ!! 大感動っす!! ストランドビーストはスゴイっす!!
ストランドビーストというのは、岸辺の野生動物って意味でしょうか?
しかし、これをこの海岸で、間近で見てみたいっ!!
この音楽も良いなぁ・・・

太極拳の構造は何の力みも必要ない、というのが、これを見て何となく実感できました!!
 
2. Posted by 円山玄花   2011年12月29日 03:27
私たちの稽古では、教えられることに曖昧なことは一切無く、実に単純明快です。
ならばなぜ、それらのことが容易には理解できないのかといえば、受け取る側が単純明快ではないからだと思います。これまでの人生の経験や培ってきた知識が邪魔をするのかも知れません。
結局、言われたこと、示されたことに何も挟まず、唯それだけを追求することができるかどうかにかかっていると言えます。
そしてその為にも、太極拳を科学する、科学的に解いていくことは、とても意味のあることだと思います。なぜなら、そのことによって同時に自分の「考え方」を明確に認識することになるからです。

テオ・ヤンセンのストランドビーストは、ちょうど少し前に見つけたのですが、
余りのすごさにしばらく思考停止になりました(笑)
そういえば、太極拳の套路を見たときも、まったく同じ気持ちになったことを覚えています。
 
3. Posted by まっつ   2011年12月29日 17:58
巷間に広まる太極拳に対する様々な解釈に触れると、
合理、非合理を問わず困惑を覚える事が多くあり、
よくよく見るにつけ、
それが「その人」の世界観という土台の上に載った解釈である事を、
つくづくと感じます。

太郎冠者さんのアプローチは、
そんな主観的な立ち位置から少し離れて、
客観的に観察し、再現性の取れる事実まで引いてみた辺り、
ユニークかつ有意義な一石だったと思います。
とても面白かったです。

ストランドビーストの動きには、
自然の神秘とは本質的にはシステマティックなのだと、
強く印象付けられました。

今年一年、楽しく拝見させて頂きました。
来年も楽しみにしています。
 
4. Posted by マルコビッチ   2011年12月30日 03:14
人間が考えたり想像したりすることに、不可能なことはないと聞いたことがあります。
同じように、全ての事象は科学で解明できるのではと、この記事を読んで思いました。
師父は、太極拳の構造もはっきりと説明の出来るものだとおっしゃっています。
故に、誰でも出来ることなのだと・・だから面白いのかもしれませんね。
あんな凄いことが、自分にも出来る可能性が見えるのだから。

テオ・ヤンセンのストランドビースト! これは凄いですね!!
あの動きはまるで生きているようですね!
「リンク機構」ですか・・ホーリー・ナンバーって・・
ちょっと調べてみたくなりました。

今年一年、私の知らない世界を紹介してくださりありがとうございました。
来年はどんなことを書いてくださるのか、楽しみにしています。
 
5. Posted by 太郎冠者   2011年12月30日 19:54
☆マガサスさん
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

僕自身、神秘的なことは好きです。ただ、それ故に神秘を
神秘で終わらせたくはないのかもしれません。
といいますか、こうして生きてることそのものが、最大の神秘
だと思いますし。
太極思想を呪術的幻想と仰る方もいらっしゃるようですが、
つきつめて研究してみればその科学性に驚かれると思うのですが…。
つきつめれば、ですけどね。
何事もそれが大事だと思います。

strandbeestはオランダ語で、訳せば、
砂浜の生命体 という意味になるそうです。

ちなみにテオヤンセンさんは、ストランドビーストのみならず、
加工用の工作機械までも手作りしてしまったらしいです。
やはり何事も…でしょうかね。
 
6. Posted by 太郎冠者   2011年12月30日 20:01
☆玄花さん
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

>それらのことが容易には理解できないのかといえば
>これまでの人生の経験や培ってきた知識が邪魔をするのかも
仰るとおりです。近年、認知科学の分野で多く実験されていることでもあるのですが、
人間は「自分の」知識によって、簡単に騙されてしまうらしいです。

なので、太極拳とは関係のない分野においても、考え方に対する考え方を
改めなければならないと、そういう見方が多く出てきているのも事実です。
って、これもまた知識ですが(笑)

>余りのすごさにしばらく思考停止になりました(笑)
気に入っていただけたのか、暮れの稽古で師父が散々、
ご自分のことを「ヨゲランドビースト」と仰ってたのですが…

これでようやく道場の皆様にも伝わったかなァ、と思います(笑)
 
7. Posted by 太郎冠者   2011年12月30日 20:09
☆まっつさん
読んで頂き、ありがとうございました。

>「その人」の世界観という土台の上に載った解釈
上にも書きましたが、人間は騙されやすい生き物のようです。
何よりも、自分自身に騙されてしまう。

故に、いかに「ただ観る」ことが出来るか、それが肝要なのかと思います。
科学的なアプローチで至った結論が、禅の思想とも共通する。
世界とは不思議なものですね。

>ユニークかつ有意義な一石だったと
ありがとうございます。
しかしまぁなんといいますか、裏を返すと、これだけ手段を講じてあらゆる角度からつつかねばならないほど、
僕自身の覚えが悪く頭が固まっている、ということなのかもしれません。
いやはや面目ない。


>自然の神秘とは本質的にはシステマティック
それでいて合理的です。
最近、個人的に『ゲーム理論』に注目して、こそこそと調べております。
太極拳に関係あるかと言われると、「?」ですけどね!

来年もまたよろしくお願いします。
 
8. Posted by 太郎冠者   2011年12月30日 20:26
☆マルコビッチさん
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

稽古中の師父の話で印象に残ったものがあって、人間の
作り出したものは、全て本来人間が持っているものだ、
というものでした。
つまり、離れたところで会話できる携帯やパソコンなども、
元来人間が持っているもの、ということになります。
考えてみると、確かにそうかもと思いました。
(詳しい説明は省きますけど)

ということは、人間が作り出したものの中に、人間の本来持っている
構造の萌芽が現れていてもおかしくないわけですよね。

そう思って今回、ストランドビーストを紹介した…のか、
単なる思い付きかは神のみぞ知る、ということで、ひとつ(笑)

>これは凄いですね!!
>ちょっと調べてみたくなりました。
ぜひ調べてみてください。特に、これがマルコビッチさんに
馴染みのないジャンルだとしたら、なおさらです。

いや、嬉しいですね。
ここまで書いてきた甲斐があったように感じます。
これこそまさにシリーズの最初に書いた、未知なるものに進んでいく、
探求する心だと思うのですが、いかがでしょう?v(^^)
 
9. Posted by とび猿   2011年12月31日 15:07
自身にも他者にも再現性があるということは、武術にとってとても大切なことであると思います。
明確であり、再現性があるものでなければ、実際には使うことはできず、恐ろしくて身を任せることができないと思います。
また、「こんな感じ」で終わるのもならば、生涯追求していくという気にはなれないでしょうし、明確な発展性も無く、道にはならないのではないかと思います。

ストランドビーストはとても面白いですね。
映像ではなく、実際に見て、触れてみたくなりました。
 
10. Posted by ゆうごなおや   2011年12月31日 15:29
今回は、いつにも増して面白い記事と映像で楽しませて頂きました。
このビースト君の動き。師父、玄花さんの基本功の動き。自分にはあのうねり方が同じように見えました。
毎回ヒント満載でありがとうございます。来年も是非参考にさせてください。
 
11. Posted by 太郎冠者   2011年12月31日 19:44
☆とび猿さん
読んで頂き、ありがとうございました。

>「こんな感じ」で終わるのもならば、生涯追求していく
という気にはなれない
仰るとおりだと思います。そもそも、学問の中にはこんな感じ
といった曖昧なものはないはずです。
といいますか、こんな感じィ? では、戦うどころか車だって
まともに走らせることは出来ませんよね。

武術と学問、それと藝術としての太極拳。
挙げれば車輪がどんどん増えてしまいそうですが、とにかくそれらを車輪として、進んでいきたいものです。
 
12. Posted by 太郎冠者   2011年12月31日 19:50
☆ゆうごなおやさん
読んで頂き、ありがとうございました。

なにかお役に立てたのなら、幸いです。
>あのうねり方
そうですねぇ。
仮説としては…もしかしたら師父は「ヨゲランドビースト」という新種の人類、
そして玄花さんはその二代目なのかもしれません…。

すいません冗談です。

もっとも、人間はビースト君のように多脚ではなくて二本足ですからねぇ。
我々の足はどうしたら増えるんでしょうねぇ。

ヒントじゃなくて、ピントがずれてるみたいです(笑)

こんなノリでよければ、来年もよろしくお願いします。
 
13. Posted by ユーカリ   2012年01月08日 04:07
コメントがすっかり遅くなってしまい,申し訳ありません。
今回の記事で、今までスケルトンと自身の構造が一致していなかった事に気づかせて頂きました。
「骨」「構造」とこれまで何度もご指導頂いてきたのに、動く為には筋肉の助けが必要、とどこかでその事が拭いきれず、なかなか筋肉に頼る事をやめられずにいます。
この筋肉に頼る事で、「蹴る・捻る・回す」という動きを招き、毎回違った動きになってしまう=再現性がない=理解できておらず説明ができない、∴研究に至らない自分がいました。
まず,ストランドビーストと同様に、我が身が骨というピースが配置されいる生命体であるという認識のもとに、全てを始める必要があると感じます。
このシリーズで、これから太極拳を学び,研究してゆくための再認識をさせて頂きました。今後の太郎冠者さんの記事もおおいに期待しています。ありがとうございました。
 

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

Categories
  • ライブドアブログ