2011年12月15日

連載小説「龍の道」 第79回




第79回 龍 淵(2)


 何という閑かさだろうか─────────────────

 わずか二畳の、驚くほど小さな茶室の片隅に切られた炉に、シュウシュウと茶釜の音だけが響いている。

 秋日和の暖かな昼下がりに、ぼんやり薄暗い室内で黙然と釜鳴りを聴いていると、何とも寛いだ気持ちになってきて、ついつい瞼(まぶた)が重くなってくる。無論、本物の茶室には電灯も無ければコンセントも無い。
 こんなふうに寛げるのは本当に久しぶりのことで、緊張に次ぐ緊張の連続だった台湾から突然帰国して来た吾が身にとっては、その寛ぎは虚脱状態にも近いと思える。母国日本が生んだ偉大な文化にとっぷりと浸っているこの午後にあっては、それは尚更のことであった。

 襲ってきた眠気を覚ますつもりで、背筋を起こし、首を振って室内を見渡す。
 亡き祖母が好んだこの茶室は、国宝・待庵(たいあん)の写しとして造られたものだ。
 祖母は若い頃に憧れの待庵で催された茶会に招かれたことがあり、実際に客としての貴重な体験をし、それに感動していよいよ待庵に惚れ込み、何時かは邸内に待庵の写しを造りたいと口癖のように云っていたという。
 祖母の家、つまり母の実家は神戸市内に小さな茶道美術館を持つほどの家で、邸の中には茶の家元も驚くような立派な小間と広間の茶室や侘びた茶庭があり、祖母に可愛がられた宏隆は小さい頃からよく遊びに行っては小遣いを貰い、茶室では子供であることを厭わず美術館に展示するような本物の楽茶碗や萩、織部の名品に触れさせてもらい、それで散々お茶を頂いた記憶がある。

 京都・大山崎の妙喜庵にある「待庵」は、千利休が建造したと確信される、現存する唯一の茶室である。
 天正十年(1582)の六月、本能寺の変の報せを聞いた秀吉は、水攻めで名高い備中高松城の戦いに決着をつけると、わずか十日間という驚くべき機敏さで大軍勢を畿内に引き返し、天王山の麓、山崎で信長を討った明智光秀の軍勢と激しく戦った。光秀はこの戦いの折に、落ち武者狩りの百姓の竹槍による最期を遂げている。
 その山崎の合戦の折に、妙喜庵にほど近い島本にある利休屋敷から、侘び茶の極みである二畳隅炉の茶室が、秀吉の陣中にある妙喜庵に移築されたものが、この待庵だと伝えられている。


 母から聞いたそんな話を思い出しながら、改めて室内を眺めてみる──────────

 頭を使い始めると、先ほどまでの眠気も少しは増しになってくる。
 この茶室には幼い頃から何度か来てはいるのだが、何故か今日はこれまでとは全く違ったものとして感じられる。台湾で過ごした非日常的な日々が、宏隆にそのような感覚を与えているのかも知れなかった。

 二畳の小間にしてはやや大ぶりの躙り口は、陣中にある秀吉のために少しでも潜り易くする工夫をしたのだろうか。その躙り口の上にある明かり取りの小窓からは、障子を通じて光がほんのりと優しく射し込んでいて、この部屋全体を薄明で包み込み、訪う者を和んだ心にさせてくれる。
 かつては、たとえ高貴な武士であっても茶室の手前で手挟む太刀を置き、身分の上下なく無一物の境地で皆同じ躙り口を潜ったというが、一億総中流意識などと言われ、高度経済成長に現(うつつ)を抜かす昨今の日本人がもう疾くに忘れてしまったであろうそんな心を、この空間では沁み沁みと思い出させる。
 秀吉が同じ利休に命じて造らせたという黄金の茶室とは陰陽の対比も正反対に、そこら中に藁苆(わらすさ)が見え隠れする粗壁(あらかべ)は、永年のあいだ囲炉裏の煤にまみれてきた貧しい百姓家の壁のように鈍く黒ずんでいて余分な光の反射を防ぎ、幽玄な雰囲気を醸し出している。

 兄が座っている上座の横には四尺幅の床の間があって、本来四角いはずの床(とこ)の四隅は壁や天井との境目が円く塗り回され、柱や梁の材がすっかり隠された室床(むろどこ)と呼ばれる手法で造られている。室床の”室”とは、山腹などに掘って造った岩屋や穴蔵のことであり、また古代の寝室などに用いられた周囲を壁で塗り込めた部屋のことである。
 この塗り回された壁の円さのせいで、客のすぐ前の床の間の空間は、黒ずんだ粗壁の色と相俟って遠近感が失われた独特の雰囲気を醸し出しているのである。室床の前に座っていると、まるでプラネタリウムを見上げているような、あるいは暗い洞窟の中に迷い込んだような、そんな不思議な感覚がある。
 こんな床(とこ)の造りは、日本広しと雖(いえど)もそう滅多に有るものではない。
それもこれも、すべてが千利休の創意なのだとしたら、やはり佗茶の完成者、名利すでに休せし茶聖と呼ばれる天才であると、ひたすら感心する他はない。

 利休の孫である千宗旦(せんのそうたん)は、大徳寺の名僧・春屋宗園の許で得度修行をし、秀吉に千家の再興を許されて後は還俗して祖父利休の佗茶の普及に努めた。
 その清貧に徹した佗びの茶風は「乞食宗旦」と呼ばれるほどであったが、秀吉が曾て死を命じた利休から召し上げた茶道具を宗旦に名指しで返したことから、実質的な利休の後継者と目されるようになったとも言われている。
 その宗旦は、利休が創作した室床に、さらに床畳から框(かまち)の所までを土塗りした土床(つちどこ)を作り、祖父を超える更なる侘びの精神を追求した。

 宗旦と言えば、あまりにも有名な逸話がある。
 千宗旦は敢えて仕官もせず、茶と禅の一致を求めて清貧の中で佗茶を追求し、晩年には利休の造った僅か二畳の茶室から、さらに一畳の四分の一を切り取って板敷きにし、床の間も廃して壁にそのまま花や軸を掛ける”壁床”にし、もうこれ以上小さな空間は作れないと思える「一畳台目」の茶室を完成させた。慶安元年(1648)、宗旦が七十歳の時の事である。

 その真新しい草庵の席名を大徳寺の清巌和尚に命名して頂こうと招待したところ、約束した時刻になっても和尚がやって来ない。待つうちに生憎(あいにく)宗旦にも急用が入ってしまい、仕方なく『もし清巌和尚が来られたら明日もう一度ご足労頂くよう、宜しく申し上げてほしい』と弟子に言い遺して外出をした。
 やがて遅れてやって来た清巌和尚は宗旦からの伝言を聞くと、弟子に筆を所望し、真新しい茶室の腰張り(茶室の壁の下部に衣服の擦れを防止する為に貼られた和紙)にサラサラと『懈怠比丘不期明日(けたいのびく・みょうにちをきせず)』としたためると、また飄然と帰って行った。

 「懈怠の比丘明日を期せず」とは、遅刻して来るような怠惰な坊主である私は、明日のことなど前もって定(き)められる筈がない、という意味である。
 急用を終えて帰って来た宗旦は、腰張りの文字を見ると、一寸先がどうなるかも分からぬ人の世に、明日の約束を求めた自分の軽薄さを深く反省し、早速その足で大徳寺を訪ねて清巌に陳謝し、『今日今日と云いてその日を暮らしぬる、明日の命はとにもかくにも』と歌を詠んで、明日の命も分からない人生であるのに、大切な今日を疎かにして暮らしているのはたいへん愚かなことでしたと、その心を清巌和尚に伝えたという。
 以来その一畳台目の茶室は、その折の教訓に因み、宗旦自らが命名して「今日庵」と呼ばれるようになった。現在も京都上京区の裏千家に重要文化財として残る「今日庵」である。



「どうぞ、先ずはお菓子を──────────────」

 いつの間にか母が水屋(勝手)から菓子器を運んできてそれを兄の前に置き、茶道口でそう言うと、襖を閉めて水屋へと下がって行った。

 深さのある四角い赤絵の菓子鉢には伸び伸びと団龍紋(団円に描かれた龍紋)が描かれており、器の中には紅葉色の美しい生菓子と、小ぶりの干柿に大徳寺納豆の詰め物をしたものが二つずつ入っている。
 兄は宏隆に「お先に」と軽く指を付いて会釈をすると、懐から懐紙を取り出して畳の縁より内側の膝の前に置き、添えてある取り箸でそこに菓子をひとつずつ取ると、懐紙で箸先を清め、取り箸を菓子器に戻して、弟の方に菓子鉢を回した。
 宏隆も同じように鉢から懐紙に菓子を取り、躙(にじ)って勝手口の前に置き、後退りをして席に戻ってくる。
 本来の茶事は主客のために催されるのであり、それ以降の次客、三客と連なる客は相伴客とされる。一番最後の相伴客は「お詰め」と云って、茶室側で茶事の進行がスムースに行われるための大切な役割を担うのだが、これは大概ベテランの人があたる。
 今日の場合は正式な茶事ではないが、この兄弟は小学生の頃から母に茶道を仕込まれており、宏隆がお詰めの役割として、手慣れた所作で菓子鉢を勝手口に返したのである。


「ほう、これは美味そうだな・・・さ、いただこうか」

 兄の隆範から先に菓子の乗った懐紙を取り上げ、懐から楊枝を出していただく。

 深山の紅葉を想わせる菓子は中々旨いが、ふと、団龍が描かれた赤絵の菓子鉢があまりこの菓子とは調和しないように思える。母にしては珍しいな、と宏隆は思った。
 しかし、黒く鈍く光る室床に掛けてある、大徳寺物の「夢」の一文字の掛け軸を見ても、今日のこの席が亡き祖母を偲んでの、母子水入らずの茶のひとときであるという事は、この兄弟には容易に理解できることであった。
 そして、それならば、この菓子器もおそらくは祖母が愛用の品か、何か祖母に関わる謂われのある品かもしれないとも思えるのである。


「如何でしたか──────────────」

 茶道口から出てきた母が、菓子の味を訊ねる。

「たいへん美味しくいただきました。先ほど京菓子と言われましたが────────」

「松琴堂の ”秋の深山(みやま)” です。もうひとつは、わが家の庭の柿を干して大徳寺納豆を詰めたもので、私が製(つく)りました。何れもお祖母様がお好みだったものです」

「ああ、やはり今日の茶席は、亡くなったお祖母様を偲んでのものなのですね」

 上座の隆範が言った。

「そうです。お二人には既に分かっていたとは思いますが、お祖母様はあなた方二人の孫の行く末をとても楽しみにしておられ、まるでご自分のことのように、やってくる未来について、隆範はああであろうか、宏隆はこうであろうかと、それは楽しみにしておられました」

「とうとう最期にお話が出来ず、本当に残念なことでした」

「やはり、ぼくが心配をかけた所為で、突然あんなことになったのかもしれません」

 宏隆が少し俯き加減に、ぽつりんと言った。

「虫の知らせはあったかもしれませんが、それは宏隆の責任ではありません。それに、お祖母様がお元気だったら、きっと台湾での武勇談を目を輝かせて聞かれたことでしょう」

「・・え、本当ですか」

「娘の私がそう思うのですから、きっとそうですよ」

「ありがとうございます。何だか少し楽になりました」

「宏隆は落ち込むのも早いけれど、立ち直るのも早いですわね」

「まったく、そのとおりですね──────────────」

 兄が宏隆の顔をつくづく見ながら、そう言った。

「あはははは・・・・・」

「ほほほ・・・・・・」

 親子水入らずで朗らかに笑ったのは、本当に久しぶりのことであった。


「────────────では、お濃茶を差し上げましょうか」

 そう言うと母は水屋に下がり、やがて手に茶碗を持って現れた。

 どろりと苦い濃茶はどうも苦手だという人が居るが、宏隆は薄茶よりもそれを好んだ。
 濃茶とは、抹茶を濃いめに茶碗に入れ、ただ湯を入れて茶筅で練るだけのものであるが、良い香りのする上品質の抹茶を用いなければ決して美味しくは入れられない。

 そして、こんな小さな茶室では主客共に、どんな所作をしてもその心が全て露わに見えてしまうものだが、母の点前(てまえ)をじっと眺めていると、その洗練された美しさに身も心も清められる気がしてくる。

 しかし、よく見ればそればかりではなかった。 
 それは単に所作として完成された礼法の美しさだけではなく、ある意味では猛牛をさえ手懐けてしまえるほどの力強さや激しさ、そしてそれを隅々まで見守ることのできる内省観心の意(こころ)と、底知れぬ慈みや優しささまでが内側に感じられ、茶を練るという行為の閑寂枯淡とした外観の趣と相俟って、まるで優れたオーケストラによる上質の音楽を聴いているような心地になってくる。

「これは、武術と同じだ──────────────」

 湯を汲み、茶を練っている母の姿は、まるで心閑かに真剣勝負の場に臨む武人のようにも思える。或いはまた、白無垢に身を包み、自らの死に臨む人のような─────────

「もし、茶を練る母の手に、真剣を持たせたら・・・・」

 そう想うと、宏隆はにわかに緊張を覚えた。
 自分には到底勝ち目はない、と素直に思える。

「ああ、僕はまだまだ駄目だ──────────────
 茶道の家元でもない母でさえ、これほどの容(すがた)を見せるのだ。そして母がこうなる迄にはどれほどの努力や精進が人知れず為されたことだろうか。王老師に就いて中国武術の真髄を学び、次代へ受け継ごうという立場の自分が、この程度の努力では到底それを修めていけるわけがない──────────────」


 宏隆はあらためて己の甘さを思い、その未熟さを嘆いた。


                               (つづく)






【参考資料:待庵の腰掛け待合と露地、茶室内部、躙り口、および見取り図】


        



                  

  




  *次回、1月1日は著者のお正月休暇のため、お休みをいただきます。
   連載小説「龍の道」 第80回の掲載は、1月15日(日)の予定です


taka_kasuga at 23:38コメント(14)連載小説:龍の道 | *第71回 〜 第80回 

コメント一覧

1. Posted by bamboo   2011年12月17日 00:58
茶室ってこんなに狭いのですか!想像の半分ほどしかなかったです・・。
室床の影響もあってか、ここにいる人・ある物の有様はかなり浮き彫りになりそうですね;
ただならぬ雰囲気・・ ただの観光などではなく、相応しい態度で入りたいです。
・・と思いきや、ここ入れないのですね!!残念!!

しかし、今まで見てきた多くの名所も、これからは違うものに感じられそうで楽しみです^^
ありがとうございます。
 
2. Posted by とび猿   2011年12月19日 22:45
どの様な世界の人でも、それにきちんと向かい合っている人は、
軸が違って感じます。
何かを修行してきた人は勿論のこと、ごく一般の人でも、
自身や物事への関わり方が丁寧で、凄い人が沢山います。
その様な人に会うと、本当に自分はオコチャマだと痛感しますが、
それでも、恥ずかしくないように生きていきたいと思います。

今回は、美しく、そして凛とした回で、本年一年を振り返り、次の一年をより良く生きる為、
心が洗われ、新たな力が湧いてくるかのような思いがします。
本年一年も、とても勉強になりました。
ありがとうございました。
 
3. Posted by まっつ   2011年12月20日 01:02
人の立ち居振る舞いからその内面が汲み取られるとは、
当に武術的であると思いました。

思えば日常の中でも、言葉以前に垣間見られる人の仕草や挙措には、
その人を物語る兆しが確かに宿っていて、
無言の内に多くが語られているのですね。

問題は他人の事は虚心に見えても、
自分を自分で見る事が難しい事でしょうか。
省みると、つくづくと自分の側は見れていないと思います。
むしろ見たくない、見る事が怖いものが自分です。

誰にとっても自分と向き合うのは厳しいです。
でも、そこで自分を知る事が解放になり、
変化の一歩になるのだとも太極拳は教えてくれました。
その小さい一歩こそが、とて貴重で得難い宝物なのだと感じています。
そのような機会を得られる事とは、本当にありがたい事だと思います。
 
4. Posted by 太郎冠者   2011年12月20日 02:59
ここのところ、ずっと疑問に思っていたことがありました。
それは茶道のこともそうですし、武術や文化といったことに
共通する何かでもあったのですけど。
それがようやく腑に落ちた気分です。一時的なものかも
しれませんけど。

稽古のみならず実生活の中で疑問に思ったことが、ふとした出来事、
たまたま目に付いたものによって繋がっていくのです。
面白いものですね。

>湯を汲み、茶を練っている母の姿は、まるで心閑かに真剣勝負の場に臨む武人のようにも思える。或いはまた、白無垢に身を包み、自らの死に臨む人のような─────────

生と死が離れることなく在ること、自然の営みでしょうか。
この一文に触れただけでも、自分の中の何かが変わったように感じました。
 
5. Posted by 円山玄花   2011年12月20日 13:09
これまで、茶事は始めから終わりまで緊張に包まれたものである、という印象がありましたが、
先日の散手の稽古を思うと、もしかしたらそうではないのかも知れない、と思えます。
散手の稽古で見えたものは、架式がこの上なく決まっているからこそそこに最大に寛げるという、
緊張が一切生じていない様子でした。そして、最大に寛げるからこそ、それ以上ない早い動きが可能なのだとも思いました。
ただそこに、外れることのない規矩があるために、その規矩が無い者にとってはその存在自体が
緊張に感じられ、自身が緊張に縛られるのだと思います。
私が茶事に感じた緊張もまた、同じものだという気がしています。

武道も、茶道も、修得するべきことはひとつであり、それこそが自分自身の在り方であるということを、改めて実感することができました。
 
6. Posted by 春日敬之   2011年12月23日 01:00
☆ bamboo さん

やっぱり二畳の茶室は狭いですよね。
僕の書斎は四畳半プラスαくらいしかないので、禅寺の和尚さんの部屋や海上自衛鑑の士官室ぐらいの広さですが、修行者は狭いところでヒイヒイ言いながら頑張って道を追求するのが良いのかも知れません。

名席と言われる茶室の中には見学をさせてくれるところも多いですが、ぼくが吹っ飛びそうになったのは、熱海のMOAにある、秀吉の黄金の茶室です。
百聞は一見にしかず、ぜひ一度ご覧あれ。
 
7. Posted by 春日敬之   2011年12月23日 01:08
☆とび猿さん

きちんとオコチャマであることを痛感できることが、大人になるための絶対条件だと、
僕は思います。精神的にはまだガキのくせに年齢だけで大人になっているつもりの輩は、
大人でなければ出来ないコトは、どうあがいても出来ません。
内家拳の纏絲や発勁はオトナでなくては絶対に出来ない武術だと、つくづく思います。
 
8. Posted by 春日敬之   2011年12月23日 01:18
☆まっつさん

そう、その無言のうちに語られる「何か」こそが、あらゆる藝術で追求されていることであり、
高度な武術に於いては、それを感知できるアンテナが修行者に求められているわけです。
そのアンテナは、自己観照が為されてこそ養われるのであって、故に武藝では洋の東西を問わず、
武士道精神、騎士道精神といった、精神的な成熟が問われるのでしょう。
その機会が与えられる幸運に出会ったのなら、男ならやるしかない、でしょうね。
 
9. Posted by 春日敬之   2011年12月23日 01:28
☆太郎冠者さん

生と死は、元々別のものではなく、同じ存在というものの表裏なのだ、
と師に教わったことがあります。
それを知ることも、武藝を追求する道での大切な課題であると言われました。
 
10. Posted by 春日敬之   2011年12月23日 01:38
☆玄花さん

架式がこの上なく決まっているからこそ、そこに最大に寛げる、
そして、そこに最大に寛げるが故に、「これ以上の早さは無い」という、
武術的な「最高の早さ」を手に入れることが出来る。
その最高の早さの前には、それを知らぬ者は何人も太刀打ちできない。

それは人間本来の構造という、誰にとっても外れようのない規矩が存在するがゆえに、
その構造に寛ぐことが出来る、つまり拘束され尽くすのであるが、
その規矩を無視して「自由に動ける」ことを追求する者は、
人間本来に定められた構造自体が不自由な緊張に思え、それを手に入れることが出来ず、
その構造に束縛されているように感じられて、思うように動けない。

嗚呼─────────────────
本物の武藝の、真の太極拳の、何と深いことでしょうか。
 
11. Posted by マルコビッチ   2011年12月28日 10:42
今年最後の「龍の道」だというのに、コメントがこんなにも遅くなり
すみません m( _ _ )m
私が初めて待庵の写真を見たときは、何も分からなかったにも関わらず、
その待合いや露地の簡素な美しさから一変した、お茶室の不思議な空間に
何とも言えない怖さと、心の中がきりきりしながらも吸い込まれていくような
感覚になったことを思い出しました。
少し前まで、稽古で道場に向かうとき、支度をして家を出てだんだん道場が
近づいてくるとき、それに似た気持ちでした。
一体何なのでしょう!
茶道にしても武術にしても、その真髄を掴むということは並大抵のことでは
ないということを、この今年最後の「龍の道」でつくづくと、切に、大きく、
感じさせて頂きました。
今年一年「龍の道」で多くのことを学ばさせて頂きました。
ありがとうございました。
来年も楽しみにしています。
お祖母様に関わりがありそうな”団龍紋”の菓子鉢も気になりますし、
干し柿に大徳寺納豆を詰めたというお菓子も気になります!!
来年もよろしくお願い致します。
 
12. Posted by ユーカリ   2011年12月29日 22:46
『今日今日と云いてその日を暮らしぬる、明日の命はとにもかくにも』
今日を、そして今この時を真剣に生きているだろうか。
今まで「生きる事」をあまりに安易に捉えてきてしまった気がします。
ここに語らう母子のそれぞれが自らを律し、一つ一つを、一瞬一瞬を大切に生きる姿勢こそが、言い訳を作らず、互いを思いやることのできる、真に強さに繋がるのだと感じます。
決められた枠を歪めたり、勝手に引き伸ばそうとしたりしている自分をきちんと受け止め、向き合い、謙虚に生きてゆかなければと思います。そして、真に強く、穏やかで優しい人間になりたいと、強く思います。
自分を見つめる機会を、修正してゆける場を与えて頂けた事に、心から感謝致します。
今年一年、本当にお世話になりありがとうございました。
来年こそは、流れにきちんと身を置き、稽古もブログでの学びも吸収してゆきたいです。
 
13. Posted by 春日敬之   2012年01月12日 19:03
☆マルコビッチさん

お返事がたいへん遅くなり、失礼しました。
年末年始の忙しさで、ついコメントを見落としておりました。(←言い訳ッス)

仰るとおり、ただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかりなりと知るべし、と言われる茶道が、
これほどまでにエラいことだというのは、太極拳もまた同じことですね。
タイジとは、ただ中正に立ち尽くし、歩くばかりと推して知るべし・・・なんてね。
本年もどうぞよろしくお願いします。
 
14. Posted by 春日敬之   2012年01月12日 19:19
☆ユーカリさん

マルコさん同様、お返事が遅くなり、たいへん失礼しました。

私たちが育ってきた時代は、「生きること」を安易に捉えやすかった時代であったと思います。
自らを厳しく律し、自己観照を余儀なくされる玄門太極拳の「道」は、そんな私たちに生きることの本質を誰よりも分かりやすく教えてくれているような気がします。
ひとつひとつの物事にきちんと向かい合って、きちんと関わっていくことは大変なことですが、
それによって自己が問われ、それによって自己が養われていくのですから、
私たちはそれをきちんと遣るしか他に道はありません。
同じ道を往く門人同士、今年もよろしくお願いいたします。
 

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