2011年12月01日

連載小説「龍の道」 第78回




第78回 龍 淵(1)


 高く澄んだ青空に、鱗雲が出ている。

「もう、すっかり秋だなあ・・・・」

 檜皮(ひわだ)で葺かれた深い庇の先の、疎(まば)らな木洩れ陽の隙間から見える小さな空を眺めながら、宏隆はポツリとそう呟いた。

 ここは神戸北野の加藤邸──────────その一隅にある茶庭の露地である。
 今日は宏隆たち兄弟に母が折り入って話したいことがあるというので、和服姿も凛々しく兄の隆範と二人して腰掛け待合いに座り、母の迎え付けを待っているのだ。

「いったい、何の話なのだろう?」

「え・・?」

「母の話というのは何なのだろうか、と訊いたんだよ」

「ああゴメン、すっかり秋になったなあと思って、空を見ていたんだ」

「空って・・・樹が覆い繁って、此処からはそんなに空も見えないじゃないか。相変わらず暢気だなぁ、お前は。まったく、羨ましいくらいだ。台湾から帰ってきてからは、以前にも増してボーッとするようになったみたいだが」

「うん、そうかもしれない」

「まあ、短い間にあれだけ色々と大変なことが起こったのだから、無理もないが・・・」

 兄弟が語らう言葉も、普段よりもひときわ控えめに交わされている。
 自宅の敷地内とは言っても、茶室のある一帯は侘びた寒村のように閑静で、風が枝葉を揺らす音や、時おり聞こえる小禽(ことり)の鳴き声こそすれ、すぐ外には人口百二十万の大都市が広がっていることさえ忘れてしまえるほどの別世界が創り上げられていた。


 あれから、もう二ヶ月以上にもなる─────────────────

 王老師の指導を受けている最中に祖母が倒れたという報せを聞き、急ぎ父と共に日本に帰ってきたのだが、高齢の祖母は意識不明のまま、間もなく他界した。
 四十九日の法要も済ませて、さらに何週間か経った今日、秋晴れに恵まれたその週末に、兄弟二人して小間の茶室に来るようにと、母から言われたのである。

 母の静栄(しずえ)は、縁あって中学生の頃から祖母に就いて利休古流の茶道を学んできた。この家に嫁いできたのも、江戸初期の大名・池田輝政の後裔という立派な家柄は無論、その品性の高さや真摯に学ぶ姿勢を祖母が甚く(いたく)気に入って、父に娶れ、娶れと強く勧めたからに他ならなかった。
 丁度戦後の経済復興が漸く隆々と波に乗ってきたこの時代に、貿易の事業に繁忙を極める父に成り代わって加藤家の茶風を守ってきたのはその母であり、この侘びた趣きの茶庭も、待庵を写した小さな茶室も、四畳半の方丈の茶室も、みな祖母の薫陶を得た母の念い(おもい)によって丁寧に維持されてきたものであった。

 ひとつ屋根の下で暮らす家族だというのに、どうして改まった茶事のように母が息子を茶に招くのか──────────広々としたリビングで、秋日和のテラスで、お気に入りの紅茶でも淹れて母子(おやこ)で語らえば良いではないかと、一般の家庭ではまず有り得ないようなこの状況を普通は不思議に思うかもしれない。
 しかし、この加藤家にあっては、曾祖父の代に始まった ”茶の湯” は単なる趣味には留まらず、始祖・利休居士が生涯を懸けて追い求めた「茶味禅味・味々一味」「茶の湯は仏法を以て修行得道する事が其の第一也」と語った通りの禅の道であり、茶道にあっては茶室は真理を修めるための道場、茶庭は三昧の禅堂に向かう準備を整えるためのアプローチに他ならなかった。

 そして、たとえ親と子の語らいの場としての気軽な茶であろうと、主客が交わる正式な茶事の場であろうと、その意味は何ら変わらない。この家の息子たちにしてみれば、茶室に誘(いざな)われること自体が、彼らがその人生で如何に真摯に「道」を求めているかどうかを問われていることでもあり、実際に待合に座って外露地を眺めるだけでも、改めて心が引き締められる思いなのである。


 ふと、その露地の奥から水音が聞こえてくる───────────────

 兄弟は幾度か茶事の経験もあるので、それは蹲踞(つくばい)の水を新ためている音だということが分かる。それは、間もなく母の迎え付けがあるということでもあった。

 やがて、露地の先にある中門の向こうに母の姿が見えたのを機に、二人は待合の席を立って、兄を先頭に、その門に向かって静々と歩んでゆく。

 竹葺きの小屋根を載せた侘びた中門までの曲がりくねった道のりは、あたかも鬱蒼とした雑木林の中を往くかのように設えられてあり、よく打ち水をされた飛び石を伝いながら、
”露地透かし” という、敢えて不揃いに刈り込まれた樹々の、微かな木洩れ日の中を閑かに歩んでゆく。

 母は煤竹で造られた格子の扉を開くと中門の手前で蹲い、敷居に手指を着いて迎え付けの礼をとる。兄弟もまた門のすぐ手前に蹲って、低頭して黙礼をする。
 母親に茶に呼ばれたからと言って、すぐに茶室に入って行けるわけではない。茶室を道場として用いるからには、先ずはこのように、共に道を歩む主客(しゅかく=主人と客)として中門の敷居を挟んで互いに蹲い、礼を交わすことから始められるのである。

 礼を終えると、母は門扉に少し手掛かりを残して閉じ、茶室へと戻ってゆく。
 宏隆たちもまた、今いちど待合の腰掛けに戻って座り、一呼吸を入れてから円座を腰掛けの隅に片付け、再びいまの露地を歩いて中門を潜り、いよいよ茶室のある内露地へと入ってゆく。

 茶庭の露地の美しさは、其処いらの植木屋が庭をいじったような美しさではない。
 言わば人間の手が入れられていない閑雅な山里の風情を、その自然な雅味が醸し出されるように、無作為の作為というべき巧みな手入れが繊細に行き渡って為されている。

 露地というのは茶室に付属する庭のことを指すが、それは屋根の無い、雨露が直に当たるところという意味ばかりではなく、鏡に映したように己の姿を露(あらわ)にする処という意味合いが含まれている。
 茶道をよく知らぬ人は、窮屈な礼儀作法を強いられて狭い茶室で苦い抹茶を飲む、というイメージがあるかも知れないが、これは人の真理を求めることに目覚めた者が、世俗を離れて、侘びた山里の風情に誘われながら求道の門に辿り着き、やがてその門を潜ることを許されて、門の内側の世界を垣間見ながら身を清め、心を新たにして遂に修行の禅堂に入る、という求道のプロセスが表現されたものでもある。

 いったん中門を潜ると、そこには内露地と呼ばれる、禅の三昧を修する本拠である茶室に臨む、幽玄の世界を想わせる庭が眼前に広がっている。
 招かれた客は、手水に蹲って神社に参拝するように手を清め、口を漱ぎ、茶室の小さな入口の前で再び蹲って室内を拝見し、かつて自己が育まれた胎内へ還って行くように、その薄明の小空間へと身を縮め潜らせてゆくのである。


「折角の休日のところを、よく来てくれましたね──────────」

 壁に掛けられた軸の前に並んで座った兄弟に、水屋から出てきた母が丁寧に指を付いて挨拶をした。
 もう知命の年齢に手が届くばかりだというのに、かつて北野の小町と呼ばれた母は、その美しさに厚みが増しこそすれ、すでに身体的には疾(と)うに盛年期を超えた人であることを微塵も感じさせない。

「お茶に招いて頂いてありがとうございます。この小間に入るのは久しぶりです」

 掛け軸に近いところに座った兄の隆範が、母の言葉に応えて言った。

 茶事では、何人招かれようと、主客(しゅきゃく)のみが招いた主人と話をすることができる。それ以外の同席者は特に話しかけられない限り、黙って主客に従うのが礼儀である。

 だが、もとより今日の母の招きには、それほどの堅苦しさは無い。

「今日は茶事というわけではないのですが、お祖母様が亡くなってからずっと貴方たちと話す暇(いとま)も無かったので、お祖母様がこよなく愛されたこの小間の茶室で、久々に母子でお話がしたかったのです」

「私たちも、あれからずっとそのように感じていました。兄弟でもっとお手伝いが出来れば良かったのですが、何分若輩で気が利かず、申し訳なく思っています」

「そんなことは良いのですよ。貴方たちはご自分のお仕事である学業に専念して、お父様や御祖父様のような、世のため人のために尽くせる立派な人間になって頂きたいものです」

「はい、そのように努力いたします。なあ、宏隆──────────────」

「ああ・・はい、本当にそうですね・・・・」

「・・ば、馬鹿、ボーッとしないで、もっとしっかりしないか」

 小声でそう言いながら、自分の左側に座った宏隆の膝を突っつくが、外の腰掛けで待ち草臥れたのか、本人は欠伸でも出そうな顔をしてまったく締まりがない。
 尤も、どれほど小声であろうと、この二畳の空間では、向かい合った主客の顔とわずか数尺の隔たりしか無いので、何を言っても丸聞こえではある。

「もう台湾の疲れは取れましたか・・?」

 母がそんな宏隆を見ながら、綻ばせた顔を少し傾けるようにして訊ねてくる。

「あ、はい、台湾の疲れというか、何というか──────────────」

「ほら、お母さんにきちんと答えないか」

 横から兄が、再び宏隆の膝を突っつく。

「そう・・本当はすぐにでも台湾に戻って勉強したいのですが、お祖母様の葬儀やら、学校やらで、なかなかそうも行かず──────────」

「台湾では、ずいぶん色々な勉強をしたようだと、お父様から伺っていますが」

「はい、とても良い勉強をさせて貰えました」

「何か、危険な目にも遭ったようですね」

「はい、往路(いき)の航路で遭遇したような不可避の事件もありましたが、拉致の件については、自分にはまだまだ隙があったので、そのような事になったのだと思います」

「亡くなったお祖母様は、ずいぶん宏隆のことを心配されていました。台湾で起こった事件は決してお耳に入れないようにと呉々もお父様から念を押されていたのですが、毎日のように宏隆は無事か、宏隆は大丈夫か、と訊ねられて、こちらが平静にお話をするのが大変でした。何か虫の知らせのようなものがあって、お前のことをそのように案じられていたのかも知れません

「申し訳ありません。小さい頃からずっと、ご心配ばかりをかけます」

 宏隆は正座をしている膝を少し改めるように座り直し、如何にも申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。

「ほほ・・・貴方は、たとえ縛っておいても自分でその縛(いまし)めを解いて、好奇心の航海に旅立つような性格でしょうから、ある意味ではわたくしも、信頼こそすれ、それほど心配はしていないと言えるかも知れませんね」

「縛めと言えば・・・・そう、いつだったか、宏隆が ”オデッセイア” の本を持ってきて、
兄さん、僕はこんな人間になりたいんだ、そこを通過する船乗りたちに、この世のものとも思えぬ美しい歌声を聴かせて狂わせ、岩礁に難破させて餌食にしてしまうという怪物サイレンの棲む魔の海峡に、敢えてその美しい歌声を聴こうと、部下の船員たちに蜜蝋で耳栓をさせ、自分を帆柱に縛り付けさせて、危険を冒してわざわざそこに入って行くような、そんなすごい航海の出来るような、そんな熱い人生を歩めるような人間になろうと思うんだ・・・と言っていました。あの時の宏隆のキラキラした眼差しは忘れられません。もっとも、同じ兄弟でも僕にはそんな危険な情熱は全くありませんが・・」

「そうそう、確か宏隆が中学の頃だったかしら。貴方はそれ以来、ずっとオデッセウスの物語ばかり読んでいたようでしたね」

「はい、今でも自分は、そのような情熱を大切にするべきだと思っています」

「だが、家族に心配をかけるのは良くないぞ。お前の事を皆がどれほど案じていたことか。お母さんだって、今は平然としておられるが──────────」

「隆範、もう過ぎたことなのですから、良いのですよ。貴方には貴方らしい生き方があるように、宏隆には宏隆の生き方があるのです。本当の家族というのは、それを無視せず、邪魔をせず、そこでその人がより多くを学べるよう、良きアドバイスが出来るように心掛けなくてはなりません」

「はい──────────────」

「この度の台湾の件でも、私たち家族が学ばされたことが多くありました・・・
 もちろん私は宏隆が心配でなりませんでしたが、家族とは、各々の人生に起こる物事を皆で共有して互いに学んで行くものだと、改めて考えさせられました。心配ばかりして、自分の心の不安を解消したいあまりに、本人の人生の可能性を奪ってしまうことこそ、家族として、親として、とても恥ずかしいことだと思います」

「お父さんも、同じことを仰っておられました」

 しみじみと、兄の隆範が母に言った。

「夫婦は似たもの同士、それは当然のことかも知れませんね」

「お母さん、ありがとうございます。でも、出来るだけ心配をかけないようにします」

 宏隆が珍しく殊勝な顔をして、そう言う。

「ほほほ、そんなことを言うと、何だか貴方らしくないような・・・・
 でも、何でも好きにお遣りなさい。自分の信じた道を、自分の責任で生きるのです。
それ以外に、この世に生まれてきた目的は無いはず──────────────
 さあ、折角茶室に招いたのですから、先ずは一服差し上げましょうか。今日は京都から美味しいお菓子を取り寄せておきましたのよ」

「うわぁ、それは楽しみです!!」

 甘いものに目がない宏隆は、子供のように目を輝かせて喜んだ。


    
                                (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第79回の掲載は、12月15日(木)の予定です

taka_kasuga at 23:53コメント(13)連載小説:龍の道 | *第71回 〜 第80回 

コメント一覧

1. Posted by bamboo   2011年12月02日 10:29
茶の湯について全く知らないわたしでも、整った場で交わされるやりとりで色々なことが明確になるのを感じます。
まるで寺や神社に入ったときにも似た、凛とした心地よさと、もっと温かみのあるなにか・・。
以前はこうした伝統を窮屈で苦しいと感じていましたが、入門して数年が経つ今では、跳び込んでみたい場に感じます^^
 
2. Posted by マルコビッチ   2011年12月05日 00:40
以前、ほんの少し茶の湯の世界に触れたことがありますが、
その頃は、ただその一連の流れや決まりの中で、その作法を覚える事と、
足のしびれを我慢しながらお茶を頂いていたように思います。
お茶事が何を意味しているのか、何故茶道となって何を追求していくのか、
利休さんは何を言っているのか、何もかも難しすぎて分からなかったけれど、
その余分なもののない凛とした空気、静寂とした中での茶釜の音の優しさ、
その中に身を置く事は大好きでした。
しかし太極武藝館で学び、この今回の龍の道を読み、今やっとその意味が
少し見えてきたように思います。
私たちが師父から学んでいるそのものではないかと思えるのです。

宏隆くんたちが待ち合いから露地を歩き茶室へと向かうその様子は、
読んでいるだけでその深くて美しい風景が目に浮かびます。
京都のお菓子はどんなお菓子なのでしょう?!
 
3. Posted by とび猿   2011年12月05日 04:46
茶事というものは、全く経験がなく、知らないのですが、全てが自分を見つめる内省的なもので、ただルールに縛られた形式的なものではなく、まるで一つの儀式のように、経験する度に新しく生まれ変わるもののように感じました。
この様な整えられた場が、家庭の中にあるというのは、とても素晴らしいことだと思います。
 
4. Posted by まっつ   2011年12月05日 23:57
これまで茶道に関しては縁が無く、
外側から見た印象から、教養として礼儀作法を学ぶ芸事なのだと捉えていましたが、
斯くの如く禅の世界観を表している事には驚きを覚えました。
綴られる文章の行間から、表現されている内面の美意識が醸し出されていて、
読み進めるうちに、気持ちが段々と澄んでくる感覚を不思議に感じました。
内面を訪ねるから道になるのだと、改めて感じさせて頂きました。
 
5. Posted by 太郎冠者   2011年12月06日 03:02
茶道ですか。
僕の母方の祖父が、茶道や華道、日本舞踊などの芸事が好きな人で、
どこかの流の師範代? という話は母からは聞いているのですが、
僕自身は全く縁がありませんでした。

祖父の家に行ったとき、道具があるのだけは見たことがあるのですが、
いかんせん具体的な作法は全く知らず、興味も示さなかったという始末です。

改めて、自国の文化も見直してみたいと感じます。
 
6. Posted by 春日敬之   2011年12月14日 13:23
☆ Good day mate ! (Hello friend ! )・・・(豪州ではグッダーイ・マイトと発音します)

またまた、お返事が遅くなり、申し訳ございません。
近ごろ忙しいのなんのって、もう、今日もいつもの睡眠不足で・・・・
♪アタマガ、ヘンニ、ナッチャウヨ・・・ひいっ (>_<)
まったく、貧乏ヒマナシとはこのコトを言うんでしょうね。
師父は「私は貧乏ではあるが、決して暇な師ではない」との名言?を残されましたけど。(^_^;)

オーストラリアは、だんだん暖かくなってきております。北の方では三十度を超える日も多く
なっていて、気の早い人はもうボンダイビーチで泳いでおります。オー寒っ。(*_*)

Anyway(エニワァイと発音します)、
今年の忘年会では、なんと私メの「サイン入り色紙」が高値でオークションに・・じゃなくて、
忘年会のビンゴゲームの景品にするということで、事務局よりお達しが参りましたが、
私の色紙なんぞ欲しい人が居るワケがないですよと申し上げたところ、
いや、それが ”意外と” たくさん居るんですよ、とのことで・・・(¨;)
ウチの門人にはパソコンがなくて「龍の道」を読んだことがない人も何人か居て、春日さんの
サイン入り色紙を出すと言っても、ポッカーンとしておられる人も居ますけどね・・・と。

そういうわけで、お役に立てるならばと、下手な色紙をお送りしました。
どうぞ、よろしければ忘年会でのお楽しみのひとつにしてやって下さいマシ。(^^)
 
7. Posted by 春日敬之   2011年12月14日 13:36
☆ bamboo さん

窮屈さや堅苦しさが苦痛ではなく、その拘束に意義を見出したり、
其処が心地良くなってきたら、もうシメタものですね。
bamboo さんが架式や順体を取れるのも、すぐ近いのではないかと思えますよ。(^_^)
架式や順体を取ってからが本当の功夫になるのですから、頑張ってくださいね。
 
8. Posted by 春日敬之   2011年12月14日 13:43
☆マルコビッチさん

いやぁ、確かにお茶というのは足がシビレますなぁ。
茶事だと2時間座って、中立をしてからまた2時間、これじゃ足もたまったモンじゃありません。
けれど、正しい構造を教わるようになってからは、何故か長く正座をしても痺れが少ない、
いや、ほとんど痺れない。これは不思議ですね。
今度それをテーマに、のらさんが書いてくれないかな・・・

京都には美味しいお菓子がたくさん有って、日本は、ヤマトはスゴイ文化だなぁと思います。
和菓子は、やっぱり京都どすなぁ。
 
9. Posted by 春日敬之   2011年12月14日 13:55
☆とび猿さん

茶は自己を見つめる禅の修行であり、一期一会の精神で行われる修行・修養のための儀式であり、
武術の道場と何ら変わるものではありませんね。
家庭の中にそのような場を設けるのは、よほど本気でその道を追求している人なのでしょう。
道ではなく、見栄や娯楽で茶室を造るリッチな人も、世の中にはたくさん居られますけど。
ああ、羨ましい・・・・(^0^;)
 
10. Posted by 春日敬之   2011年12月14日 14:06
☆まっつさん

>内面を訪ねるから道になるのだと・・・

茶で示される世界は、とても深いものですね。
師父は信州時代に自宅内に茶室を造られましたが、当時そこに招かれた弟子たちは、
とても貴重な、生涯忘れ得ない体験をしたことでしょう。
それから二十年近く経った今も、四国から毎月のように通って来る正式弟子のN師兄などは、茶は無論のこと、師父と共に、一日中かけて軒を超える雪かきをしたり、肥え汲みをしたり、草刈りをしたり、共に同じ釜のメシを食べ、同じ部屋で暖を取り、同じ極寒の土間で練拳に精を
出した人です。
つまり、日常生活の中で「内面の在り方」を直接師父と共有した経験がある、ということですね。
それは本物の師弟関係です。多忙なN師兄が、たとえ月に一回稽古に来るだけでも、高度な伝承をどんどん習得していけるのは尤もなことであると思えます。
大切なことは物事をその場限りに小器用にこなして見せる「やり方」ではなく、
黙念師容で内面が感じられ、心が合うゆえに自然と整えられる「在り方」である、という、
大先輩が示す良いお手本ではないでしょうか。
 
11. Posted by 春日敬之   2011年12月14日 14:14
☆太郎冠者さん

>僕自身は全く縁がありませんでした

いやいや、そのお話こそが太郎さんもお茶にはご縁があるという証拠です。
きっと近々、それを実感できる日がやって来ますよ。

>改めて、自国の文化も見直してみたいと感じます

本当は、それが当たり前で、そこから始まらなくてはならないのです。
世界各国を見渡してみても、自国の文化に興味のない国民など、どこにも存在しません。
この日本は、戦後の教育政策で、それがすっかり狂ってしまったようです。
どうも、ここらで日本人は立て直さなくてはならないようですね。
がんばろう、ニッポン&日本人!!
 
12. Posted by ユーカリ   2011年12月15日 13:44
コメントが遅くなり、申し訳ありません。
コメントを書こうとPCに向かって、文章を拝読する度にああでもない、こうでもないと時間だけが過ぎ、結局第79回が掲載される日を迎えてしまいました。いかに日頃から具体的に言葉にして自分の在り方を見つめていないかを省みる次第です。。。

今まで、自らの整え方を、「其処いらの植木屋が庭をいじったように」捉えていたと、ハッとさせられました。
また、身だしなみをし、帯や道着、靴の手入れをして自身できちんと見つめられる準備を整えて道場に足を踏み入れる。
日頃から、如何にそのプロセスを大切にしなければならないかを、そしてそれがどれほど日常を丁寧に送ることに繋がるかを痛感致しました。
 
13. Posted by 春日敬之   2011年12月23日 02:16
☆ユーカリさん

こちらこそ、返事が遅くなって済みません。

今年は大災害で自衛隊員の活躍が報じられましたが、
彼らは毎日訓練を終えると自分の軍靴をピッカピカに磨き、靴紐が縒れていないか、
切れそうではないか、石ころが靴底に挟まっていないかなどを、
平の隊員から上官まで、全部自分でチェックします。
朝礼の時は勿論、真夜中に緊急集合が掛かったときにも、上から下まで、
身だしなみや装備がキチッと出来ていなければ、上官にこっぴどくブン殴られます。
銃を撃てるか、格闘術が優れているか、大砲を撃てるか、長時間の行軍が出来るか、ではなく、
先ずは己の身を整えることが出来るかどうかを、厳しく問われるのです。
そして、それが出来た者だけが訓練によって戦士となり、
母国や文化を侵略から守り、愛する人を守ることが出来るのだと、教え諭されるのです。

太極武藝館では、正しく礼をする、名札をきちんと返す、帰りにはまた元に戻す、
靴を下駄箱に揃える、正しく稽古着を着用し、帯を締め、遅参した者は蹲踞にて待つ、
などといった厳しいルールがあるのも、また同じ理由からです。
上級者になればなるほど、それらがきちんと整っているのを見ても、
それが出来る者だけが、この高度な武藝を学ぶ資格がある、
ということを思い知らされます。
 

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