2011年11月15日

連載小説「龍の道」 第77回




第77回 構 造(12)


「 Immovable Body というのは、とても意味深い表現ですね────────────
 順身が、固定されて動かせない身体だとは・・・何と言えば良いのでしょうか、その言葉自体が自分には大きなショックでした。でも、陳師兄と手合わせをして頂いたお陰で、ほんの少しですが、その動かせない、拘束された不動の身体というものが太極拳に必要なのだということが実感できたように思います」

 宏隆は、何かが体中に染み通ったような気がしていた。
 物事を理解していくとは、このような事であったのかと、改めて思えるのである。

「それは良かった──────────だが、真の武術功夫の追求は、ここから始まる。
 架式の理解は歩法への理解を生み、歩法の理解は勁(チカラ)への理解を生みだす。
 そして、身体を正しく用いられるだけの ”意識” が、先ず何よりも必要になる。
実感さえ得られれば構造を理解して行けるというものではない。最も必要なことは常に正しい意識の在り方であり、固定され、拘束されるべき不動なるものは、決して身体だけのことではないのだ」

 ひとつひとつの言葉を噛み締めるように、宏隆は王老師の話を聴いた。

「はい、ありがとうございます。心して訓練に励みたいと思います。しかし、こんなに凄いことが陳氏太極拳の中で何百年も脈々と伝承されてきているというのは、本当に素晴らしいことですね」

「そうではない──────────────」

「えっ、そうではない、と仰いますと・・?」

「河南省陳家溝の陳一族には、これらに関わる練功はおろか、もはや太極拳の正しい構造さえ、ほとんど残っていないかもしれないのだ」

「まさか、そんなことが・・・現在も進行中の、文化大革命がそうさせてしまった、と言うことでしょうか」

「いや、それは革命の遥か以前から始まっている。 ”紅い皇帝” と呼ばれる毛沢東が1949年に共産主義・新中国の国家主席に君臨して以来、栄え(はえ)ある伝統武術はソ連の猿真似をしてスポーツへと転換が図られてきたのだ。
 毛沢東にとってスポーツとは、競技や娯楽のための運動に過ぎない。国家体育運動委員会が伝統武術を否定して急速にスポーツ化を図るその第一の理由は、人民の間に反政府的な軍事力や革命力を温存させないことにある。新しい為政者が民衆を手懐(てなず)けるにはそれまでの伝統が陳腐だと認識させ、野生の闘争本能を奪い、新しい未来を夢見させることが大切なのだ。
 彼らは、”押陳出新(古臭いものを退けて新しいものを進める)” とか、”古為今用(昔のものを現代に役立てる)” などと称して、伝統武術を健康体操やスポーツとして、西洋風の魅力ある運動に変容させることに躍起になってきた。新中国では武術家などは全く無用の長物で、政府の言いなりになる国際社会向けのスポーツマンこそが求められているのだ」

「しかし、陳氏の直系の子孫たちは、太極拳の真伝奥義を密かに、共産党の圧政の目を掠めながら、大切に受け継いでいるのではないのですか?」

「そうであって欲しいと願うが──────────しかし残念ながら、現存する陳氏太極拳は、この二十年間ですでにその殆どが形骸化しつつあると聞いている。今や陳家溝を代表する若手たちの中には、本来の正しい纏絲勁の構造で動いている者は非常に少ないという、ある筋からの報告もある」

「もしそうだとすると、伝承する責任のある人たちがそれでは、太極拳はいったいどうなっていくのでしょうか?」

「滅びていくしかない─────────────────」

「そ、そんな・・・」

「いや、ある何かの動きが起こると、行き着く処まで行かなければ、それが途中で留まることは無い。それが法則だ。太極拳の真伝は、もしそうであれば滅びるしかないだろう。
 何しろ陳家溝には、陳氏拳術の謎を解く最大の鍵である秘伝書、”三三拳譜” の写本さえ残されていないというのだ。いくら何でも、それでは本家の面目が立たないし、若い世代の気概にも大きく関わってくる」

「では太極拳は、このような高度な武術文化は、やがて失われてしまうのですか?」

「失われる前に──────────────先ずは、上辺の形だけを真似たニセモノが大手を振って横行するようになるだろう。
 やがて間もなく、日本と中国は国交を回復することになるが、それを切っ掛けに、太極拳を筆頭とする多くの中国武術が日本に流れ込んで行くことになる。
 中国武術は日本のみならず世界でも大きなブームとなり、華やかにメディアで取り上げられ、様々な団体が創られ、新しい本が何十冊も出版され、世界中で中国武術の映画が数多く上映されることになるに違いない。その結果、中国は世界に受け容れられ易くなる。毛沢東は周到にその準備を重ねてきているのだ」

「日本と中国が、国交を回復する・・?!」

「そう、まだこれは、政府関係者しか知らないことだがね」

 これまで政治に殆ど関心がなく、日頃からテレビのニュースや新聞もロクに見ない宏隆にとっては、これはまさに寝耳に水の大事件であった。

「こ、国交を回復というのは────────────つまり日本が、中国共産党の率いる、文化大革命の最中にある、中華人民共和国と国交を回復するというのですか?」

「そのとおり。そして日本はこの国、中華民国・台湾と国交を断絶する」

「え・・ええっ!!」

「今年7月に就任したばかりの日本の田中角栄首相は、この2月に訪中を実現したニクソン大統領を出し抜いて、米国より先に中国と国交を締結する ”日中共同声明” を近々発表するつもりだ。大陸と台湾の両政府は、他国による ”中国” の二重の承認を認めていない。従って、日中国交回復は、即ちこの台湾との国交断絶を意味するのだ」

「複雑な政治のことは、まだ僕にはよく分かりませんが、日本と中国はどのような関係になっていくのでしょうか?、この台湾も含めて────────────」

「それは未だ分からないが、それを機に大陸の ”一つの中国” という主張が強くなることは必至だろう。またアメリカも、中国に媚びて台湾と断交することになるだろう」

「 ”一つの中国” とは、決して台湾を独立させない、という中国共産党の主張ですね」

「うむ。だが台湾人の大方は、表向きは現状維持でも、台湾独立が本音なのだ。
 1945年、蒋介石は台湾に逃げ延びて中華民国を造った。彼ら国民党は台湾で生き延びる大義として ”大陸反攻” を掲げ、台湾全土に戒厳令を布いて台湾を独裁統率し、軍事力を背景に絶対的な権力を得てきた。長い戒厳令は今だに続いているが、やがて台湾も民主化の道を辿るのは必至だろう。国民の直接投票によってこの国の政治を決める日が、近々やって来ることになる」

「日中が国交を回復した後は、台湾と日本の関係も変わってくるのでしょうか?」

「台湾は世界一の親日国家であり、歴史観も日本と極めて近しい。それは今後も変わらないことだろう。やがて来る台湾民主化に伴い、日本と台湾は自由と民主主義の価値観を共有する国同士になるが、中国共産党はそれに反して、ありとあらゆる手を使って軍事力と経済力を上げ、台湾を統合し、そして日本を統合しようとしてくる筈だ。この五月に米国から日本に返還されたばかりの沖縄への侵攻も、石油埋蔵の発見で近ごろ俄(にわか)に領有権を主張し始めた沖縄トラフにある尖閣諸島も、彼らの国家百年の大計としてターゲットに入っているのだ」

「大変な時代がやって来るのですね。台湾にとっても、日本にとっても・・・・」

「そうだ。だから君たち若い者たちには、心して頑張ってもらわなくてはならない。
 これは日本や台湾のみならず、東アジア、インド、東南アジアまで含めた大きな問題なのだ。中華思想を掲げた中国の傲慢さは、領土を広げて世界を支配しようとして止まることを知らない。ミャンマーやインドにはすでに手を出し始めているし、アフリカの豊富な資源も虎視眈々と狙っている」

「張大人にも申し上げましたが、僕はもっと歴史や政治について勉強し、太極拳を修練していくことによって、もっと自分自身を磨いて成長させていく必要があります。この激動の時代に生まれた人間にしては、余りにも表面的な平和に慣れ、能天気に過ぎました」

「それは結構なことだ。若者がそのような心掛けを持ってくれることは頼もしいし、それでこそ吾が弟子、吾が門の後継ぎに相応しい態度だと言える」

「王老師から学ぶ、この陳氏太極拳が絶えることの無いように頑張ります」

「いや、私は陳氏だの、楊氏だのと言うことには、それほど興味は無い」

「えっ・・・・?」

「どこそこの一族に伝わる武術がどのように優れている、といったようなことよりも、私は太極拳という武藝そのものの真髄を、生涯を懸けて追求してゆきたいと思うのだ。
 所詮、陳氏は血族以外には決して本当の意味での真伝を認めようとはしないし、よほどの事がなければ、一族以外の者にその奥義を明かしたりはしない。それは当前のことだし、そうでなくてはやがて陳一族以外の者が陳氏太極拳を治めるようなことにも成り兼ねない。日本の伝統文化である茶道や歌舞伎の家元は、すべて一族の血縁で固められていると聞いている。それはそうでなくてはならないと思うし、素晴らしいことだと思う。
 華南の田舎で、近隣の少林拳に似た、極くありきたりの拳法だった陳氏拳術が、何時しか回族の武術である心意六合拳の原理を得て高度な武術に発展していったように、陳一族ではない私は、陳氏太極拳を研究し尽くし、そこからもっと高度な、私自身の太極拳を模索して行きたいと思っている」

「大変ご立派なお考えであると思います──────────────
 ですが、ご覧のような能天気で愚鈍な自分は、王老師の後を継げるかどうかさえ分かりません。自分自身の太極拳を創造するなど、夢のような話です」

「先ずは自分を信じて、自分に与えられた運命を受け容れて、それに対してひたすら誠実に学び、一生懸命に努力していくことが大切だ。それに、たとえどのような時代になっても、どのような事があっても、真の武術は必ず遺されていくと、私は信じている」

「自分も、それを信じて、真の武術を守って──────────────
それを守って、未来に遺していけるような人間になれるよう、きっと努力していきます」

「おお、そうか、そうか、なかなか頼もしいな、君は。はははは・・・・」

「王老師、もう少し陳師兄と散手をして頂いてもよろしいでしょうか?、今のうちに、もっときちんと順身の構造を確認しておきたいのです」

「うむ、そうして貰いなさい。私はこれから張大人や君の父君と会う約束があるから、もうそろそろ行かなくてはならない」

 向こうの壁に掛かっている時計を見上げながら、王老師が言った。

「あ・・父とお会いになるのですか」

「そうだよ。張大人と一緒に、久々にじっくりお話できるのがとても楽しみだ」

 父と王老師の関係については、まだ宏隆には詳しくは明かされていない。
 だが、以前から秘密結社・玄洋會に関わってきた父が、張大人や王老師とどのような関係にあるのか、暢気な宏隆にも、それほど想像には難くなかった。

「父君の加藤光興(みつおき)氏は、私たちの組織に多大な貢献をしてくれています。
 今回の拉致事件についても、息子が大変お世話になったと言われて、私たちに新型のヘリコプターを1機寄贈して頂きました。丁度古くなっていたので、とても助かります・・・」

 陳中尉が、宏隆に説明をした。

「今では玄洋會の結社にとって、父君はなくてはならない存在だ。せっかく台湾にご足労を頂いたのだから、今夜は張大人と共に大切にお持て成しをして来ることにしよう」

「ありがとうございます」

「ビィ──────────────ッ」

 ちょうど宏隆がそう言ったときに、戦闘訓練室の入口でベルが鳴った。

「あ、姉です・・・」

 訓練室の入口は自動的にロックが掛かるようになっている。その扉の内側の壁に、陳中尉の姉、明珠さんの認識番号のランプが点き、ロックが解除された。
 しかし、明珠さんは王老師が室内で指導中であると知っているので、入口を開けて入っては来ない。

「どうかしたのかな──────────師父、ちょっと失礼いたします」

「うむ、行ってやりなさい」

 陳中尉は入口のところで二言三言、明珠さんと言葉を交わしていたが、やがてすぐに此方に駆け戻って来て、軍人らしく姿勢を正し、

「姉の明珠によりますと、たった今、張大人から連絡があり、加藤光興氏の御母堂がつい先ほどご自宅にて倒れ、神戸市内の病院に運ばれ、意識不明の重篤であるとのこと。今夜予定されていた懇談会は中止して、加藤父子には至急神戸に戻って頂くように、との張大人からのご指示である、とのことです」

 そう報告した。

「祖母が──────────」

 宏隆にとっては、思いもよらない報せであった。

「おお、それはいけない。父君に連絡をとって、すぐに神戸に戻りなさい。訓練はまたいつでも、君が望むときに出来るのだから」

「今年83歳になる祖母は、夏が苦手なので、僕もちょっと心配していたのですが・・・」

 小さい頃から宏隆のことをよく可愛がってくれた、優しい祖母の顔がふと脳裏に浮かぶ。

「ヒロタカ、師父もそう仰って下さるのだから、先ずは早く父君に連絡を取って・・・・
必要であれば、自分が日本行きの便を手配しますから」

 陳中尉も、そう言ってくれる。

「はい・・・王老師、そう言うわけですが、失礼してもよろしいでしょうか」

「おお、早く連絡をしてきなさい」

「では─────────────────」

 宏隆は王老師に向かうと、ゆっくりと跪いて拝師弟子の礼を取り、また陳中尉に向かっても丁寧に包拳礼を取った。

「ありがとうございました。ご教授をして頂いている最中に誠に失礼ですが、お言葉に甘えて父に連絡を取ってきます」

 深々と頭を下げてそう言うと、やや急ぎ足に訓練室を出た。


    
                                (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第78回の掲載は、12月1日(木)の予定です

taka_kasuga at 21:05コメント(14)連載小説:龍の道 | *第71回 〜 第80回 

コメント一覧

1. Posted by bamboo   2011年11月16日 21:41
先ずは自分を信じて、自分に与えられた運命を受け容れて、それに対してひたすら誠実に学び、
一生懸命に努力していくことが大切・・

重厚な響き。以前、師父が同じことを仰られたときは自分が恥ずかしくてたまりませんでしたが、
今は胸が温かくなります。
また、武術を通じて大切な何かを、大きな何かをわが身に貫けそうな気がします・・
言葉にできないですが・・。

少し前まで感じていた恐怖や不安が、稽古の度に違うものに変化しているようです。
それが嬉しくて有難くて・・これ以上書くより、功夫で証明するのが誠意ですね‥!
 
2. Posted by 太郎冠者   2011年11月17日 21:59
世界の国家間の対立について考えていると、果たして、
自分の中にその対立はないのか? と考えさせられます。
自分自身の中でさえすでに分裂しているのに、それを他者に
ばかり向けて同調を唱えても、無駄というか、不可能だと思います。

僕は武器は好きですが、それが武器として使われることは望まない…
人間の生の営み…とでも言うのでしょうか?
自分という人間とは、勝手なものですね。

だからこそ、僕は太極拳で勉強をさせてもらっているのかもしれません。
 
3. Posted by まっつ   2011年11月18日 06:28
近現代の歴史を紐解くと、
欧米列強の植民地政策、2度の大戦、
その後のイデオロギーに起因する諸対立の狭間で、
世界各地の伝統的な文化や価値観の多くが、
その基盤ごと失われてしまった事には慨嘆の念を抱かずにはいられません。

この日本でも、戦後一貫して、
伝統という土壌は枯れつつあるように思われます。
自分も含めて足元の歴史を顧みずに、時代の表層を流されていて、
何か欠けていると感じても、それが何から生じているか分からずにいます。

人間の進化は物質面でのみ体現できるものではなく、
精神面での進化発展が伴わなければ、とても危ういものになってしまうと思います。
その精神の進化自体は、何もかも打ち壊した荒地から始められる性質ではなく、
歴史の中で先人達が積み重ねてきた伝統に根差してこそ、
花開く可能性なのだと思います。

今一度、先に進むためにも、
精神が深く根を張れる基盤を取り戻す必要があると強く感じました。
 
4. Posted by 円山玄花   2011年11月18日 13:07
>「・・実感さえ得られれば構造を理解していけるというものではない。最も必要なことは
>常に正しい意識の在り方であり、固定され、拘束されるべき不動なるものは、決して身体
>だけのことではないのだ」

この言葉は、本当に太極拳を研究し、同時に自己を深くまで掘り下げていった人でなければ、
出てこない言葉だと思いました。

私は以前から作法やマナー、礼儀というものに興味があり、日常生活の中でも折に触れて
考えさせられてきました。そうして思うことは、それらの”きまり”は、意識を芽生えさせ、
意識をつくり、意識を高めるための「型」ではないか、ということです。
そうだとすれば、意識も身体も「型」によって整備され、初めて機能するものだということに
なります。また、このことは、視野を広げると日本文化にみられる躾や教育の軌跡を辿ること
にも繋がるような、そんな気がしています。
 
5. Posted by とび猿   2011年11月18日 23:59
伝統武藝を修練することも、生きていく上でも、本筋をきちんと辿っていくのは、
とても覚悟がいることなのだと思います。

>ある何かの動きが起こると、行き着く処まで行かなければ、
>それが途中で留まることは無い。それが法則だ。

行き着く処まで行かなければ、それが途中で留まることは無いのであれば、
正しい流れの中に身を置いて、抗わず、正しく在れば、
正しい方向性を持って進めるのではないかと思えてきます。
本道、本筋というものをきちんと見つめて、
いろいろなものに踊らされる事無くいきたと思います。
 
6. Posted by マルコビッチ   2011年11月22日 01:10
中国で生まれたこの素晴らしい武術が、発祥の国自らの政治的圧力によって失われていく事は、来る日も来る日も稽古し、研究に研究を重ねてこの太極拳というものを築き続けてきた先人たちを思うと、非常に切なく哀しく無念に思います。

以前、師父が・・正しく立とうとする事は、正しい考え方を生む・・
というような事を仰っていたことがありました。
国が正しい姿勢であるためには、国民一人一人が正しく立ち、己を省みる意識を
持たなければならないのではないかと思います。
現代の街行く若者の歩き方、立ち方を見ていると、日本は非常に危ないのではと
思います。
一人でも多くの日本人が正しく立つ意識を持てると良いのですが・・・

日本人として太極拳を深く追求して下さっている師父のもとで、
私も自分を信じ、今やるべきことを受け容れて、学んでいきたいと思います。
 
7. Posted by 春日敬之   2011年11月22日 16:00
☆ bamboo さん

>これ以上書くより、功夫で証明するのが誠意ですね!

そのとおり!!
私たち門人のやるべきことは、きちんと学び、きちんと自分のものにすること、
それが最も誠意ある態度だと思います。
詳細な伝承は伝承者である拝師弟子の方たちにお任せするとしても、
一般門人の我々は、教えて頂いたことをひとつ残らず自分の功夫にすることと、
武藝館で学んだスピリットを人生に活かすことにあると思います。
お互いに、頑張りましょう!!
 
8. Posted by 春日敬之   2011年11月22日 16:05
☆太郎冠者さん

対立や分裂は世の常、ヒトの常ですね。
人間がもう少し進化すれば、この世に対立や分裂は非常に少なくなると思えます。
ただし、進化ではなく、進歩発展と称して他への侵略を図る力に対しては、
打たれた反対側の頬を向けることでもなければ、武器を捨てて平和を唱えることでもなく、
敢然と立ち向かうことが必要であると、私は思います。
 
9. Posted by 春日敬之   2011年11月22日 16:10
☆まっつさん

精神が深く根を張れる基盤は、非常に優れたものが古くからこの日本にも存在していました。
私たちの血液の奥深くに隠されてしまっているその基盤こそが、
滅びつつある伝統武藝を甦らせ、進化させることが出来るものであると思えます。
失われた中国伝統武術は、ヤマトの魂によって、その真の姿が甦るかも知れません。
 
10. Posted by 春日敬之   2011年11月22日 16:15
☆玄花さん

「型の文化」というテーマで、論文を書いてみたいですね。
武術の型、作法の型さえ形骸化し尽くした感のある昨今、
「型」は、まさにこの時代に忘れられ、失われているものだと思います。
 
11. Posted by 春日敬之   2011年11月22日 16:20
☆とび猿さん

覚悟は、必要ですね。
覚悟の無い貧弱な魂は、何をやっても、何に巡り会っても駄目です。
ましてや、本筋を、本道を辿るには、相当な覚悟が要ります。

「覚悟」というのは仏教から来た言葉で、迷いから脱して真理を得ることの意味で、
自己を覚醒し、世俗の塵埃を脱することを人生の目的とする決意があれば、
どのような物事を前にしても、怖れたり迷ったりすることがなくなる、
というブッダの教えでした。

正しい流れを目前に用意されても飛び込めないようでは、
大海に往き着く術もないわけですね。
迷わず、怖れず、踊らされず・・・・
正しい流れに身を任せることこそが、私たちに求められているのだと思います。
 
12. Posted by 春日敬之   2011年11月22日 16:25
☆マルコビッチさん

ヒトは、正しく立とうとすることによって、他の動物よりも脳が発達し、
万物の霊長と呼ぶべき存在になったのだと思います。
つまり、正しく立つことは人間の基本であり、人間が更に進化する基本でもある、
ということになりますね。
太極拳は素晴らしい!!・・と、つくづく思います。
 
13. Posted by ユーカリ   2011年11月23日 03:10
>最も大切なことは常に正しい意識の在り方であり、
>固定され、拘束されるべき不動なる物は、決して身体だけの事ではないのだ。

正しい意識で身体の在り方を整えるからこそ、物事を正しく理解してゆけるのですね。
自分の在り方を常にありのまま感知でき、そこから示された事に合わせて自身を修正して
ゆけるようでありたいと思います。
物事を学ぶシステムが身に付いているからこその、幅広く深い知識と教養。
ああ、何と我が身の薄っぺらく貧粗な事か‥…と嘆かわしく思います。
が、そんな自分を認めて受け入れる、そこからスタートしなければ。
 
14. Posted by 春日敬之   2011年11月23日 16:59
☆ユーカリさん

太極武藝館では、まず何よりも「学ぶための在り方」を指導されますね。
いきなり站椿のやり方や纏絲勁練功、十三勢套路をやりましょう、これは真伝ですから、
スゴイ発勁が出来るようになるから、どんどん教えましょう・・・ではなく、
本物を学ぶためには、まずその本人がどう在るべきか、ということを教わります。

武藝館の道場で太極拳を学ぶ為に最も重要な練功とされるものは「無極椿」です。
無極椿は、わずか十種類ほどの簡単な要求をひとつひとつ守っていくだけの、
たとえ三十分間立ったままでも足が痛くならない、一見つまらなく思える站椿ですが、
これが何であるかを理解できない限り、太極拳は何ひとつ見えてこない、と教わりますね。

そして、もっと重要なことは、その ”整え方” ではなく ”関わり方” にある、とも指導されます。
その「関わり方」こそは、私たちが日常を過ごしている「やり方」に他ならず、
日頃の生活、自分の人生に対する「自分の意識」に他ならないからである・・・と。
それを顧みずに物事は何ひとつ始まらない、己の意識の在り方に直面するからこそ、
站椿が示す太極拳の「真実の構造」に直面できるのだ、と教えられますね。

私たちにとって「太極拳を学ぶこと」とは、単に真伝の高級な武術を学ぶことではなく、
自分の人生を、自分の生き方を、その学び方によって観つづけなさい、問い続けなさい、
と言われているわけです。

ユーカリさんの、今の姿勢を大切にしてほしいと思います。
 

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

Categories
  • ライブドアブログ