2011年02月09日

連載小説「龍の道」 第60回




 第60回 入 門(1)


「さ、この服に着替えて ──────────」

 両腕に抱えた瑠璃色の服を、宗少尉が大事そうに差し出した。

 ここは円山大飯店の八階にある一室である。
 あれからもう一週間という時間が過ぎているが、宏隆が拉致されたときの九階の部屋は、いまだに警察の取り調べのために使用できず、張大人が新たに「菁英豪華套房」つまり、プレステージ・グランド・スイートを用意してくれたのである。
 日中に風が強かったせいか、角部屋の広い窓からは、紅い欄干のテラスの向こうに台北の夜景が殊のほか美しく輝いて見える。


「絹の中国服ですね、綺麗な色だなぁ・・・これを着るんですか?」

「そうよ、貴方の体格に合わせて造ったオーダーメイド。今日は一生に一度の大切な入門式なのだから、目一杯ドレスアップしなきゃね!」

「オーダーメイドって・・僕の体のサイズなんか、誰も測りに来ていませんよ?」

「私が、この目でサイズを測ったのよ」

「目で?・・・サイズを測った?・・・・」

「あはは・・・まあ、いいから着てごらんなさい。もし具合が悪かったら、すぐにテーラーを呼んで直すから。ハイ、それと、この靴も履いてちょうだいね。これは北京の ”内聯昇(ないれんしょう)” という老舗の靴屋さんが造ったもので、本体は皮だけど、靴底は千層底といって幾重にも重ねた布で造られているのよ」

「へえ、何だか女性のパンプスみたいですね」

「これも、ヒロタカの脚(ジャオ)にピッタリのはずよ!」

「参ったなぁ、何だか宗少尉には僕のことを全部知られているみたいで・・・」

「あら、何も困ることはないじゃないの!、それとも、迷惑・・?」

「あ、いえ、決してそんなことはありませんが・・・・」

「あははは・・・ほら、早く着替えてらっしゃい!、モタモタしていると、私がお着替えをお手伝いして差し上げるコトになるわよぉ~!」

「うわわっ ────────────!!」

「あはははは・・・・・」


 生まれて初めて、宏隆は中国服を身に纏った。

 スタンドカラーの襟、襟元から右脇へと向かう上衣の合わせ目と飾りボタン、手の先まですっぽりと隠れるほど長い袖丈と、膝下までダラリと伸びる裾が特徴で、その下に同じ生地のズボンを履く。
 小さい頃からきちんと羽織袴を身に着けさせられた機会も多かったし、居合の稽古でも袴を履き、正月や祖母の招きの茶会に赴いたりするときには絹の和服に角帯を締めるが、中国服はこれが初めてである。

 一般的に、中国ではこのような伝統的な服装を「旗袍(Qi-pao=チィパオ)」と呼んでいる。しかし、本来の漢民族の伝統衣服はこの旗袍ではなく、むしろ和服や韓国の服によく似た、合わせ襟の「漢服」または「華服」などと呼ばれるものである。
 世界四大文明のひとつ、三千年、五千年の歴史と胸を張る中国ではあるが、彼らが伝統衣服として愛用する「旗袍(チィパオ)」は、実は漢民族自身がそれを着用し始めてから僅かに360年ほどしか経っていない。

 この服装がそのように呼ばれるのは、清王朝(1644~1912)として中国を支配していた満州族を「旗人」と呼び、彼らが着る詰め襟の防寒用の衣服を「旗人が着る長い上衣」という意味で「旗袍」と呼ぶようになったからである。
 今日では礼服としてもデザインされ、中国武術の象徴のようにも用いられている詰め襟の中国服は、元はその漢民族の王朝を滅ぼした夷狄(いてき)のひとつである、満州族の衣服であったわけである。

 「旗袍」が中国服となった経緯は、明朝が滅んだ後、満州族が支配する状況に不満を募らせていた漢人社会の連帯感を弱めるための政策として、漢民族独自の合わせ襟の漢服を徹底して禁止したことに始まる。
 当初は断固として拒否した漢族の者たちも多かったが、清朝の有無を言わせぬ強要政策によって、徐々に満州族の服装である「旗袍」のスタイルが受け容れられるようになり、やがて庶民が結婚用の衣装とするほどにまで一般社会に定着していった。今日、中華航空の女性客室乗務員が着る制服のデザインも、スタンドカラーの太極拳の表演服も、元をただせば皆この旗袍がベースとなっている。
 
 因みに、中国人の特徴ある髪型として知られる「弁髪(べんぱつ=前頭部を剃り後頭部の髪を長く伸ばして編む髪型)」も、元は漢族ではなく、満州族のヘアスタイルであった。
 1644年に満州族が清朝を樹立するとすぐに「薙髪令」が出され、漢民族に弁髪を強要した。儒教では毛髪を剃ることはタブーとされていたので漢族は弁髪に抵抗したが、清朝は『頭を残す者は髪を残さず、髪を残す者は頭を残さず』と言い放って、出家僧侶と禿頭以外で弁髪を拒否する者はどんどん極刑に処した。この「薙髪令」は1911年まで、260年以上も続いたが、それまでの間に弁髪は完全に漢人社会にも普及し、「旗袍」の服装と同じように中国の風習として定着していったのである。



「わぁ・・・よく似合うわね ────────────」

 宏隆の凛々しい旗袍姿に、ちょっと驚いたように、宗少尉が言った。

「本当によくお似合いです。これじゃぁ、どっちが中国人だか分かりませんね」

 宗少尉に付き添って来た、部下の伏(ふく)曹長も、盛んに頷きながら笑顔でそう言う。

「中国服を着るのは初めてです。身体が締め付けられず、ゆったりしているんですね」

「そう、日本の和服よりはゆったりしているかもね。よく太極拳の表演で着られる絹のチャイナ服なども、西洋人からはシルク・パジャーマーズと悪口を言われたりするし・・・」

「ははは、そう言えば、あの感触はパジャマと言えなくもないですね」

「・・あ、陳中尉!!」

 伏曹長が入口の大きなドアを開けて入って来た陳中尉に気付き、姿勢を正して敬礼する。

「おお、ヒロタカ・・・いやぁ、これは驚いた、とってもよく似合っているね!!」

「ありがとうございます、でも ────────────」

「でも?────────────」

「いえ・・ただ、今日のこの姿をひと目、徐さんにも見て貰いたかったと思って・・・」

 その言葉に、徐が壮烈な最期を遂げたあの日のことを誰もが思い出し、しばし沈黙したが、やがて宗少尉が、

「そうね・・・徐は敵のスパイだったけれど、自分の生まれた国や背負った運命をどうすることもできずに、多くのことを悩み、悔やんでいたようにも思うわ。彼が今ここに居てくれたら、きっとヒロタカの立派な姿を心から祝ってくれたでしょうね」

 少し目を潤ませながら、宏隆に向かって言った。 

「はい ────────────」

「さあ、もう湿っぽい話はやめにして。私はこれから始まる儀式についてヒロタカに説明しなくては・・・・」

「きっと難しいコトがたくさんあるわよぉ、本番でトチらないようによく覚えてね!」

「宗少尉、あんまりヒロタカを脅かすなよ。緊張すると本当に失敗するから」

「あの・・・お二人とも、まるで僕が間違えるのを前提としているみたいですね」

「そう、ヒロタカは、ちょっとオッチョコチョイなところがあるからね!」

「ホントにそうですよ、白月園の訓練場であれほどの射撃の腕を見せるかと思えば、夜市の射的で、手を伸ばせば届くようなところの的を撃っても当たらないんですから!」

 伏曹長も陳中尉に盛んに同意し、笑ってそう言う。

「ほんとに、ちょっとトロイところがあるわよねぇ・・!」

「あはははは・・・・」

「わははははは・・・・・・・」

 こんなに顔をほころばせて、皆で笑ったのは久しぶりだった。


「さあ、今夜の式典の概要を説明をしよう。
 先ず王老師が伝承する陳氏太極門への入門式が行われる。そこでは王老師の陳氏太極門を正式に受け継ぐ者としての、拝師入門の儀式が執り行われる。
 入門式を終えたら、次に玄洋會の一員としてヒロタカを認証する入会式が行われる。
 これは入門式と違って、それほど大掛かりな儀式ではないが、参入にあたって張大人からお言葉を戴き、入会誓約書が読み上げられて、その場で署名血判をして貰うことになる。
 その後、同じ式場に他の参会者が入場して、拝師入門の祝賀会と、ヒロタカを玄洋會の家族の一員として迎える歓迎会を、同時に併せて行う」

「・・うわぁ、僕のような人間のために、そんなことをして頂けるのですか」

「そうです。ヒロタカはもう、王老師の太極門にとって無くてはならない存在ですからね。
 それに、拉致された時にあれだけの活躍が出来るのだから、すでに立派な玄洋會のメンバーだと言えます。ヒロタカもそれを自覚して、立派な王老師の後継ぎとしての正門人、立派な玄洋會のメンバーとして自分を磨き、成長していって欲しいと願っています」

「ありがとうございます。ご期待に添えるよう、精いっぱい精進します」



 入門式が行われる式場は、円山大飯店の十階にある「長青庁」と名付けられたVIPルームである。軽く6~70人は入れるであろう、150畳以上もありそうな大きな部屋には落ち着いたグリーンの絨毯が敷き詰められ、周りの窓枠がすべて ”瓢箪形” をしている。

 中国の昔話には、かつて世界が大洪水に見舞われたとき、水に浮かんだ瓢箪から二人の男女が出てきて、彼らはやがて夫婦になり、そこから人類が誕生したという、中国版のアダムとイブの物語がある。瓢箪は漢語では葫蘆(hu-lu=フゥルゥ)と言い、福禄(fu-lu)と同じ発音で通じる縁起物であり、子孫繁栄や無病息災、悪霊退散、財運隆盛などの意味があり、日本と同じように慶賀のデザインとして広く用いられている。

 また、瓢箪には呪術的な側面もある。
 瓢箪は八卦の「兌(だ)」と「乾(けん)」に当たり、金運と財運を司り、五行の元素は「金」になる。八卦記号に見る兌の開いた線には「天の医者」という意味があり、病に効果があるとされ、その為に昔の中国の医者は薬を入れるのに好んで瓢箪を使っていた。
 西遊記で金角・銀角が持っていた瓢箪は、呼びかけられて返事をしてしまった人間を吸い込んでしまうという魔力を持っていたし、八仙人の李鉄拐が宝物として携えている瓢箪の中には別天地があり、仙人同士の戦いで火炙りにされた際に、その瓢箪の中に逃げ込んで行った。
 中国では瓢箪を葫蘆(hu-lu)と呼ぶと述べたが、壺のことも「hu」と呼び、瓢箪とほぼ同じ意味で用いられる。腰の括れた瓢箪は女性の身体に似ているし、子宮の形として出産や再生のシンボルとされてきた。
 瓢箪は、標高六千メートル以上の高山が二百峰以上も連なる「崑崙山脈」にも喩えられる。崑崙山は天上界と地上界を結ぶ、神々が降臨したり仙人が昇天する所でもある。
 そもそも瓢箪(hu-lu)は、崑崙(kun-lun)や渾淪(hun-lun=カオスの意)と発音や意味が近似している。中国の古い地図には黄河の水源が瓢箪で描かれていたりするが、それは崑崙山を表しているのだという。
 そう言えば「五行」が生成される序列は、水ー火ー木ー金ー土であり、一番初めに「水」が来ている。崑崙山は中華文明を育み潤す水源となり、大黄河を生むものとして太古の昔から崇められていたのである。

 円山大飯店のVIPルーム「長青庁」の瓢箪形の窓には、そのような慶賀と神秘、物事の根本、根元という意味が込められているのに違いないし、この部屋が宏隆の入門式に選ばれたのもまた、正しくその意味があったに違いなかった。


 八階の部屋から、独りで十階の式場へと向かう。
 エレベーターに乗り合わせた同じ階のスイートルームの西洋人客が、宏隆の姿をジロジロと眺めながら、不思議そうな顔をしている。

 すでに王老師の拝師門人である陳中尉は先に式場に行って待っているが、宗少尉や伏曹長は太極拳の門外漢なので、その部屋には入れない。
 部屋を出る時に、後で宴席で会いましょうと、笑顔で宏隆を見送ってくれた。


 式場となる「長青庁」に近づいてゆくと、入口の大きな扉の前に体格の良い二人の男が直立不動で立っている。
 宏隆がその扉の前に来て立つと、右側に立っていた男が宏隆に向かって慇懃に礼をしてから、その扉を五回、大きくゆっくりとノックをした。

「入りなさい ────────────」

 ドアの向こうから低く静かな声がして、二人の男は観音開きの扉を開いた。
 開かれた扉の向こうには、天井のシャンデリアに眩く映える緋毛氈が、部屋の突き当たりまで真っ直ぐに伸びて長々と敷かれている。

「・・さ、どうぞ中までお歩み下さい」

 ドアを開いた男が、日本語でそう言って、宏隆を促した。

 陳中尉に教えられたとおりに、両手を手首の辺りで胸の前に交差させ、僅かに腰を屈めるように、頭(かしら)を少し垂れて、ゆっくりと正面の祭壇に向かって歩いて行く。

 正面に近づくにつれて、緋毛氈の両側に設えられた席に座っている人たちの顔が見え始める。意外なほど多くの人がこの場に参じてくれているのが分かる。

 そして、さらに歩みを進めて、参会者たちの先頭近くまで来た時に、宏隆は和服の後ろ姿を目にして、思わずハッとして立ち止まった。

「お父さん ────────────!!」

 父が入門式に呼ばれているのは以前から知っていたが、拉致の事件を経て、改めてこの席で父の姿を目にすると、やはり熱いものが胸に込み上げてくる。

「おお、立派な姿になったな。そして、この度は無事で何よりだった・・・」

 父が立ち上がって振り返り、眼を細めて、この半月余りの間に著しく成長を遂げた吾が子を繁々と見つめながら、そう言う。

「・・・本当に、ご心配をおかけしました」

 泣いてはならないと思いつつも、涙が溢れてくる。

「皆さんのお陰だ。お前を命懸けで救って頂いた御恩を忘れてはならないぞ」

「はい・・・」

「そして、掛け替えのない、大きな勉強をさせて頂いたことも・・・」

「はい、そのように、肝に銘じております」

 父の光興(みつおき)は、息子が拉致されたことの連絡を受け、張大人が急ぎ迎えの飛行機を寄越すと申し出ても、私が駆けつけてもどうにもならない、息子は大丈夫です、必ず戻って来ますからご心配は無用です、万一の際にも、覚悟は出来ております、と断言し、愚息の為に皆さまに大変なご迷惑を掛けますと、却って張大人や玄洋會のメンバーを労うほどであった。

 張大人や陳中尉ら、玄洋會の面々はそれを聞いていたく感激し、日本ではまだ武士道精神が廃れていない、日本人の魂はいまだ健在である、と認識を新たにした。
 宏隆は、無事に拉致から解放された後に陳中尉から父のことばを聞いて、自分が本当に心から父に信頼されていたのだということを初めて実感し、とても幸せであった。


「さあ、皆さんをお待たせしてはいけない。
 かつて私が参入した家族に、今日からお前も参入するのだ。前に進みなさい・・・」

「はい ────────────」



                                (つづく)

taka_kasuga at 22:19コメント(14)連載小説:龍の道 | *第51回 〜 第60回 

コメント一覧

1. Posted by マルコビッチ   2011年02月11日 16:33
待ってました!!「龍の道」!!
いや~、宏隆君が台湾に渡って随分と時がたっているように感じますが、
数々の困難を乗り越えて、いよいよ入門の儀式が執り行われるんですね。
たんなる読者ですのに、まるで自分のことのように感慨深いものを感じます。
入門式へと進められていく物語のなかにも、「旗袍(チィパオ)」の由来ですとか、
瓢箪に関する歴史等を書いて下さって、私の知識も広がり、大変面白いです。

ちょうど10年前の2月24日、太極武藝館でも「后嗣認証式と拝師入門式」が執り行われた
ことを思い出します。
昔の機関誌「太極武藝」を引っ張り出し、儀式が行われた式場に立たれている師父と玄花后嗣、
拝師弟子の方々のお写真、そしてその下に記されている ”数千年の道統を受け継ぐ者たち”
という文章を読んでいたら目頭が熱くなってしまいました。

宏隆君もこの偉大なる遺産を受け継いでいくんですね!
次回も楽しみにしています。
 
2. Posted by とび猿   2011年02月12日 13:28
本年第一稿目、何とも内容が濃い回ですね。
胸に熱いものが込み上げてきます。
恥ずかしながら、涙が出てきました。
 
3. Posted by bamboo   2011年02月12日 20:59
自分も人の親になった身、このようにありたいと思いました。
それにしても儀式というのは、とても大切なんですね。
 
4. Posted by ユーカリ   2011年02月15日 03:53
「親の背を見て子は育つ」
「子は親の鏡」
と言いますが、子に見られて恥じぬよう、映す鏡が曇らぬよう、歩み続けてゆきたいです。
丁寧にきちんと生き、謙虚に物事を受け止めてゆきたいです。
 
5. Posted by 太郎冠者   2011年02月15日 23:59
水というのは面白いものですね。
定められたカタチを持たず、率先して下へ下へと向かっていく様子には、学ばされることがあります。

また命の源であり、それが受け継がれていくこと、流れていく様子さえもそのうちに秘めているように感じられます。

父から子への血液の流れ、また、武術の血脈が受け継がれていくこと。
水をおさめる器としての瓢箪で象徴された部屋で、大切な式が執り行われるというのは、
これもまた、実に面白いものだと感じます。
 
6. Posted by 円山玄花   2011年02月16日 02:44
いつも思うのですが、この歯切れの良いストーリー展開と、
物語の合間に入る著者の解説が絶妙なバランスを醸し出していて、
読んでいるだけでうっとりしてしまいます。(笑)
今年も「龍の道」から目が離せません!

儀式というものは、それを受けた本人の意識を丸ごと変えてしまう力を持っていますね。
また、それが儀式の最大の目的であると思います。
10年前の自分にはそのようなことが何も分かりませんでしたが、
今は、認証式のときに変わった、チューニングされた意識が、
現在も変わらずに、濃く太く繋がっていることを強く感じています。

次回も楽しみにしています。
 
7. Posted by 春日敬之   2011年02月16日 11:13
☆マルコビッチさん

>待ってました!!「龍の道」!!

毎度ご愛読をありがとうございます。
前回が12月15日でしたから、丸々八週間も空いてしまいました。
ま、お陰さまで、その間私はノンビリと過ごさせて頂いて、
じっくりとリフレッシュ休暇を取らせて頂けました・・・
・・と、書きたかったのにぃ〜!!(涙)

>数千年の道統を受け継ぐ者たち

正式弟子や拝師候補生の方々には、本当にその自覚を強く持って頂きたいものです。
特に他の武術門派に居られた人でなくとも、玄門に伝えられている太極拳の原理構造が
非常に高度なものであるのは、入門すればたちどころに実感できると思います。
そのような道統を大切に後世に遺していくことは、その正統な内容を学ぶ機会を与えられた
人の大きな責任であり、義務であるはずです。
目頭を熱くする人たちの期待を裏切らず、しっかりと伝承を修得し、更なる研究に身を投じて
師父をも超えんとする勢いで功夫を高めてゆく覚悟が絶対的に必要となりますね。
 
8. Posted by 春日敬之   2011年02月16日 11:23
☆とび猿さん

>胸に熱いものが・・・

その熱いものこそが、私たちの求めて止まない「道統」そのものなのだと思います。
珠玉の原理をリアルに学んでいける悦びを皆で分かち合えるのは本当に幸せなことですね。
 
9. Posted by 春日敬之   2011年02月16日 11:33
☆ bamboo さん

儀式というのは、非常に大切なことだと思います。
現代では一般的な儀式が形骸化してしまって、意義のある本物の儀式を見ることが滅多に
ありませんが、絆を大切にする秘密結社やゴクドーの世界では今でも儀式が大切にされて
いますよね。
 
10. Posted by 春日敬之   2011年02月16日 11:43
☆ユーカリさん

コメントをありがとうございます。
ぼくも、吾が子は自分を映す鏡であると、いつも思います。
良きにつけ、悪しきにつけ、親は子供の考え方や行動に常に自分自身の姿を見ます。
しかし、子供は決して自分の出来の悪いコピーなどではなく、自分よりも可能性を持った、
自分を超えるべくして身近に生まれてきた存在なのだと、常に感じさせられます。

「子生まれて母危うし」という言葉がありますが、人間の存在というのはそれ自体が
奇跡なのだと思います。その奇跡を深く味わえることが人生ではないかと思います。
子供が自分を超える存在に成長して貰うためには、自分が先ず、お手本を示さなくては
ならない。怠惰で、狡賢く、上手に立ち回れるような人間ではなく、何よりもまず誠実で、
己に厳しく、是も非も同じように受け容れてゆける、何ごとからも逃げずに、きちんと真正面から学んでゆける人間に成長して欲しいと願う親は、決してぼくだけではないはずです。
 
11. Posted by 春日敬之   2011年02月16日 11:53
☆太郎冠者さん

達磨から禅の真髄を伝承した六代祖師・慧能の正伝の禅法を「曹源の一滴水」と言うように、
大切な伝承を「水」にたとえることは多いですね。
かつて機関誌「太極武藝」に、陳家溝の傍へと続く黄河の水源地の写真がありましたが、その根元となる「一滴の水」の大切さを、吾々修行者はもっともっと切実に感じられなければならないと思います。

───────こんな話を思い出しました。

中島兼吉の子・光蔵が仏師になりたいと思い、高村東雲を訪ねますが、東雲は入門について
何も言わず、井戸の水を汲んでこいと命じます。
しかし光蔵の水汲みの様子を見て大変怒り、彼を激しく罵りますが、何が悪かったのか、
当の光蔵には全く理解できません。
東雲は、光蔵に向かって次のように教え諭しました。

「仏像は人から拝まれるものだ。拝まれるものを造る者には、拝む心が無くては駄目だ。
お前の水汲みを見ていると、多少のことなら其処らに水がこぼれても平気でいる。
一滴の水といえども、天地自然のたまものである、お前のように、多少の水なら捨てても
こぼれても省みないような人間に、人が拝む仏像が造れると思うのか!!」

光蔵はこのときの師の一言に感銘し、深く反省をして入門を許されます。
この人物こそ、後に仏師・彫刻家として大成する高村光雲その人でした。
 
12. Posted by 春日敬之   2011年02月16日 12:13
☆玄花さん

>読んでいるだけでうっとりしてしまいます

ははは・・いや、どうもおおきに、ありがとうございます。けれど、自分の本業は小説家ではありませんし、そんなコトを言って頂くと穴があったら入りとうなります。

>儀式は本人の意識を丸ごと変えてしまう力を持っていますね

うーむ、やはり実際に本物の「儀式」を受けた人の言葉は重く、リアルですね。
ニワカ小説家のお粗末な想像力なんぞでは、まったく及びませんです。(汗)
 
13. Posted by まっつ   2011年02月18日 06:51
いわゆる中国服のルーツが満州族にあったとは・・・驚きです!
悠久の彼方から今日まで中国人の着衣に大きな変化は無いものと、
漠然とイメージしていましたので、なんとも意外です。
三百年も時間が立てば、偽者、借物も本物と成り変わるものなのですね・・・

それにしても髪の結い方一つで命を奪うとは・・・
中国を含めて大陸の歴史は日本人の感覚からすれば凄絶に過ぎるものがあります。
近現代における共産党政府のチベット同化政策等々もまた然り、
中世以来の呵責も容赦も無い支配の原理が貫かれ続けています。
現代に於いても欧米や中国、イスラム、ユダヤ等々はその本性を失わずに、
明に暗にと覇権の綱引きで鎬を削っている中で、
昨今の日本は本来のアイデンティティから切り離されて、
存在感を示す事が出来ていないように思われて残念です。

・・・とは言え、小生も他人事ではなく骨抜きで生きてきた一人です。
宏隆君やお父さんのように、凛と生きられてはいません。
先ずは自らを戒めつつ、日々を生きる事から始めなければイカン!
・・・と決意を新たにしました。

さて、宏隆君は決して平穏無事には生きられない旅路を自ら選び、
門に入っていきます。その眼にはどんな世界が映るのでしょうか?
本年も宏隆君の眼を借りて勉強させて頂きたいと思います。
どーなるんだ、次回!(C)
一寸、どきどきしています!
 
14. Posted by 春日敬之   2011年02月20日 12:48
☆まっつさん

>中国服のルーツが満州族にあったとは・・・

ついでに、合わせ襟の和服のルーツが満州族に支配される前の漢服だと言う、大陸文化伝播説を矢鱈とありがたがる左翼学者も居ますが、然に非ず、和服は感服に似ている部分も多いですが、学問的には衣服としての基本構成は古墳時代の大和民族固有の衣服を引き継いだものであって、近代の和服は平安時代の庶民の服装である「小袖」が次第に変化していったものだと言われています。
呉服の語源も三国時代の呉の服装の影響を受けたものだという説もありますが、これは服装のスタイルが伝わったのではなく、織物の縫製製法が伝わったということです。

>大陸の歴史は日本人の感覚からすれば・・・

一緒クタにされてはかなわんなぁ〜、と思いますね。
すぐお隣の、顔も体つきも似たような民族ですが、中身は全く異なるのだということを認識しないと、とんでもないことになります。
 

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