2010年09月08日

門人随想 「今日も稽古で日が暮れる」 その1

    「ヒツジたちの沈思 」       by 太郎冠者 (拳学研究会所属)


 道場で非日常的な武術の構造を稽古していると、いかに自分が「飼いならされたヒツジの思考」をしているかが分かる。天敵のいない環境、群れの中で草を食み、集団から少しでも外れることがあれば牧羊犬に吠え立てられ、あわてて戻る。

 外のことなど全く知らず、知らないが故に恐ろしく、果ては想像さえもすることが出来ないヒツジ・・・自分の常識、日常をなかなか外れることが出来ない。
 外は危険で、一度出てしまったら最後、二度ともとの世界には戻れない。

 稽古では徹底的に観ること、聴くことが要求される。
 自分がどのように考え、どう動くか。 
 太極拳が、どのように考えることを要求し、どう動くことを是とするのか・・・
 自分の住む、日常の檻の中には絶対にそれはない。だから、檻から外の世界に自らのアシで飛び出し、生きていくことが必要になる。

 それは、飼いならされたヒツジではなく、ライオンやオオカミのような生き方だ。
 一人一人が自分の世界を開拓していく冒険者でなくてはならない。

 しかし、彼らも群れで生きる動物であり、統率の取れた世界を持っている。
 一人一人が自らのアシで立っているからこそ、そこに調和が生まれてくる。
 それは、太極拳の示す原理と一緒なんじゃないかと、ぼくは思う。

 師父は、稽古中によく喩え話をされる。
 それは、バケツで水を汲む話であったり、禅の公案である『隻手の音』の話であったり、はたまた自動車エンジンの構造を説明するかと思いきや、エコ減税カーの話がヒトの生き方の話へとつながっていく(!)など、千差万別、多種多様である。

 場合によってはただの雑談に聞こえることもあるけれど(本当にただの雑談に逸れることもあるけれど・・汗)、それらはすべて、あるひとつの「在り方」を指し示すためにされる話である。太極拳の原理を示すためである。

 いまの稽古とそれに何の関係が?・・と思って話を聞いていると、最終的にとても美しいほどピタリと、原理の話へと行き着くのだから、本当にすごいと思う。
 なぜかといえば、常にひとつの原理を追求し、それを体得した師父だからこそ、あらゆる表現を用いても、示すそれは常にひとつなのだ。

 太極拳に多種の練功があるのも、それらがすべて ”ひとつの原理” を示すための、喩えなのだと思う。
 
 「たとえるなら、こう動いたらこうなるよ」
 ・・と、原理を示すために先人たちが残してくれた大いなる遺産だ。
  
 それは地図であり、コンパスだ。

 本物の武術を習得するためには、正しい型(カタ)を正しいカタチで稽古することで、自分たち一人一人が自分自身に新たに発見し、開拓していかなければならないのだろう。

 檻の中でメーメー鳴くのを止めて、外の世界へ、冒険へと旅立とう。

 
                                   (了)


disciples at 21:51コメント(11)今日も稽古で日が暮れる  

コメント一覧

1. Posted by ブログ編集室   2010年09月08日 21:55
このたび、《 歩々是道場・門人随想 》のカテゴリーに、
拳学研究会に所属する若手門人・太郎冠者さんによる、新しいシリーズが始まりました。

果たして何が書けるのか、いつまで連載が続けられるのか、
ご本人もよく分かっていないと思いますが、
『今日も稽古で日が暮れる』というタイトルから想像されるように、
日々の稽古で感じたことを、素直にそのまま書き綴ったエッセイとして、
中には決して口にしてはならない禁断の秘伝、ヒデン、Hidden に触れてしまうような・・
(本人の身が)危険な言葉も登場するかも知れません。(笑)

『今日も稽古で日が暮れる』は、月に2〜3回のペースで連載していく予定です。
どうぞご愛読のほどを、よろしくお願いいたします。
 
2. Posted by 春日敬之   2010年09月09日 02:24
初めまして。
「今日も稽古で日が暮れる」シリーズのスタート、おめでとうございます。
モノを書くというのは、なかなか難しいモノなんですが(汗)、太郎冠者さんは太極拳の学習者として大切にすべき心構えや稽古の中身について、若者らしく軽快なタッチで書かれていて、とても好感が持てます。

「沈思」は「deep meditation」のことですから、飼い慣らされたヒツジさんたちが、自分たちのことをよ〜っく考えようとしている、言わば ”前向きな姿勢” ってことですね。(笑)
これがヒツジたちが「沈黙」してしまうと、ちょっとオゾマしい話になる。
・・まあ、「み〜んな悩んで、大きくなった!」ということで、沈思黙考は大切です。

因みに、沈思は英語で Muse(ミューズ)と言いますが、元はギリシャ神話の詩歌、音楽、舞踊、歴史を司る女神たち(九姉妹)のことで、ミュージックも、ミュージアムも(英語に限らず)みんなこの女神に由来しているのだそうです。

・・ということで、次回も楽しみにしています。
 
3. Posted by 円山 玄花   2010年09月09日 16:13
「今日も稽古で日が暮れる」シリーズ第一号、おめでとうございます。
一見新しい風のようでありながら、武藝館テイストがあちこちに感じられます。

>一人一人が自らのアシで立っているからこそ、そこに調和が生まれてくる。
これは同感です。立つことをどこかに依存していたり、
立ちたいところを主張しているだけでは、調和は生まれません。
もちろん本当に「立つこと」も出来ませんし、ね。

不調和も調和となるような、そして調和さえも消えるような世界を、
太極拳は見せてくれるような気がしますが・・・さてさて。(笑)

今後も楽しみにしています。
 
4. Posted by マルコビッチ   2010年09月09日 18:42
太郎冠者さん、「今日も稽古で日が暮れる」シリーズのスタートおめでとうございます!
とても興味深く、面白く拝読させていただきました。
群れの中の、管理された世界で生きていくことは、
ヒツジにたとえて考えると、窮屈でかわいそうと思えるけれど、
実はとっても楽なことなのかもしれません。
それ故にそこから飛び出ていくことは、ものすごく勇気が必要ですし、
恐怖なのだと思います。

いつもの自分とはちがった行動をしてみたり、いつもとちがう考え方を
してみることも、外の世界へ旅立つ準備運動になるかもしれませんね!

ヒツジビッチのつぶやきでした。
その2も楽しみにしていま〜す!!
 
5. Posted by 太郎冠者   2010年09月09日 19:47
☆春日敬之さん

コメントありがとうございます!

正式弟子のある方には、本当は40代だ、、、などといわれておりますが、
まだ実年齢20代でがんばっております(笑)

そういったステキな先輩方にも恵まれ、日々取り組んでいる稽古のことや感じたことなど、
紹介できたらいいなと思っています。

いやはやそれにしても仰るとおり、書くのは難しいです(汗)
連載小説を書いている春日さんには遠く及びませんが、僕も負けじと頑張っていこうと思います。

>沈思は英語で Muse(ミューズ)
・・・なんと!
そのような方向にまで話がつながるとは、驚きです・・・。

実はこのタイトル、師父が考えてくださ・・・
あれ、これ、オフレコだったかしら(汗)

いずれにせよ、自分自身の修行不足を痛感しました。
もっともっと精進したいと思います。

今後とも、よろしくお願いします。
 
6. Posted by 太郎冠者   2010年09月09日 19:55
☆円山 玄花さん

コメントありがとうございます。
道場でたくさんの汗を流し、先輩方をはじめ、いろいろな人と交流させていただき、
多くを勉強させてもらっています。
武藝館テイストが感じられるとしたら、そのためではないかと思います。

>不調和も調和となるような、そして調和さえも消えるような世界
その先にはなにがあるんでしょうね。あるいは、なにも無いのかもしれません。

・・・無極!?

と、こんなノリでやっていこうとおもいます(笑)
よろしくお願いします。
 
7. Posted by 太郎冠者   2010年09月09日 20:03
☆マルコビッチさん

コメントありがとうございます。

少し話しがそれるのですが、このシリーズ、
「今日も稽古で日が暮れる」というタイトルがついているのですが・・・
この間、研究会の稽古が終わったのが、午前1時過ぎでした。

これでは、「今日も稽古で日が暮れる」のではなくて、「今日も稽古で日が変わる」です。
タイトルが間違ってます。それもたまにではなく、よく日付が変わります。
改題したほうがいいのではないか、、、と。

冗談はさておき(笑)
新しい地平を切り開いていくことは、実にエキサイティングで面白い=楽しい、
ことだと思うのです。

本当の「楽」は、檻の外にあるのだと思います。

とはいうものの、まだまだ自分はメーメー鳴いているわけですが、
これがどうなっていくのかも含めて、このシリーズ、よろしくお願いします!
 
8. Posted by まっつ   2010年09月10日 00:49
新シリーズの幕開けですね。おめでとうございます。

確かに稽古に臨むにあたっては、
未だ知らない世界を航海するような気概が必要ですね。

見知らぬ外の世界とは、一寸先で何が起こるかも分からない、
決して安全ではない世界です。
だからこそ全てが眼に新しく、常に色鮮やかに迫ってきて、
生きる力が試されます。

後ろを顧みない情熱と、前を見定める冷静が求められる、
熱さと冷たさが混淆した、生きて変化する世界です。
刃金が火と水の間で鍛えられるように、
人も剥き出しで打たれてこそ鍛えられるのだと思います。

武藝館という絶好の金床と鎚の間に居るご縁を得たのですから、
小生も太郎冠者さんに負けないように頑張りたいと思います。
今後の連載にも大いに期待致します!
 
9. Posted by 太郎冠者   2010年09月11日 01:19
☆まっつさん

コメントありがとうございます!

人間というのは元来みんな、オオカミやライオンのような精神を持っているものだと思います。
それが、長年かけて教育(あるいは洗脳)され、自分はか弱いヒツジでしかないと思うように
なってしまっているのではないでしょうか。
それは、多くは善意であったり、または、悪意であったり。
しかし最終的には、それらは全て自分で選んで、ヒツジさんの毛皮を被ってしまっているんだと
思います。

ならば、自分で脱げない道理はありません。

世の中には、虎の威を借る狐・・・(のフリしたヒツジの毛皮を被ったオオカミ)、という
複雑な人物が・・・まぁ居るかどうかは知りませんが、そういう人の言動・視線・評価は
気にせず、自身が本当の姿に気づいて、脱いでいくのが必要なのだと思います。
オオカミは怖いものだと信じ込んでいたら、自分がオオカミだなんて事実、怖いですもんね(笑)

こんな感じですが、よろしくお願いします。
 
10. Posted by とび猿   2010年09月11日 13:00
太郎冠者さん、「今日も稽古で日が暮れる」シリーズのスタート、おめでとうございます。

太極拳の稽古を通じて、太郎冠者さんが感じていること、
考えさせられることが、軽やかで爽やか(?)に書かれているようで、
思わず「ウン、ウン、そうだよな」と、頷きながら読ませて頂きました。

最近、企業の社長さんや、新分野の研究者の方々の講話を聞く機会がありました。
みなさん、冒険心に溢れ、それぞれの分野に挑戦している方々ですが、
同時に、物事を深く、静かに観ていこうとされているように感じました。
自分もそう在りたいものです。

それでは、「今日も稽古で日が暮れる」その2も楽しみにしています。
 
11. Posted by 太郎冠者   2010年09月12日 21:00
☆とび猿さん

コメントありがとうございます!

実際は重たくて暑苦しい人間なので、文章だけでも
>軽やかで爽やか(?)
と言っていただけると、じつにうれしいですね(笑)

物事を切り開いていくには、ただ我武者羅につっこんでいくだけではダメで、
静かに聴く・観ることの出来る状態も必要なのだと思います。

さすがに、第一線で活躍されている方々ともなると、そういう精神を持っているのでしょうね。
僕も勉強させていただきたいものです。

このシリーズがどうなっていくのかわかりませんが、がんばりたいと思います。
ネタの提供、お待ちしております(笑)
 

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