2010年08月01日

連載小説「龍の道」 第50回




 第50回 綁 架(bang-jia)(1)


 その夜、宏隆は久しぶりに圓山大飯店のホテルに戻り、徐さんと夕食を共にするために、早速ホテルにある広東料理のレストラン「金龍庁餐庁」へディナーの予約をした。
 そもそも、圓山大飯店というホテル自体が、台湾の迎賓館のような役割を担ってきたものであり、中華民国総統の就任披露宴や、海外から訪れる国賓の宿泊にも使われてきた。
 この金龍庁餐庁もまた、台湾で最高級と言われる料理を饗するレストランであり、普段は世界中からやって来る食事付き団体ツアー客で賑わっているが、台湾を訪問する政治家や著名人などもわざわざ立ち寄るほどであるという。

 ─────あの時、確かに宏隆は徐に「お礼にぜひ一緒に食事をさせてほしい」と言ったのだが、どこか近くの屋台で担仔麺や大根餅でもつっつきながら親しくお礼を言うつもりが、宗少尉の「圓山大飯店の高級料理など、滅多に味わえないからそうしなさい」という一言で徐を金龍庁に招待することが決まってしまった。
 相手の徐もまだ若いとは言え、初めは宏隆も、年下の自分がそんな高級料理をご馳走することに躊躇(ためら)いを感じたが、せっかく宗少尉が勧めてくれたことでもあり、ここは成り行きに任せようと思ったのである。
 それに、初めて張大人宅を訪問する際に腹拵えに頼んだ飲茶の味を思い出すと、ディナーともなれば一体どんな料理が饗されるのか、生来の食いしん坊である宏隆には、この機会がとても楽しみでもあった。

 宏隆は窓際の席を予約した。金龍庁レストランには席が二百もあるが、台北の景色が一望できる窓際の席はそう多くはない。普通ならそれを当日に予約することは難しいが、ホテルとしては当然宿泊客が優先であり、加えてこのホテルは玄洋會と何らかの繋がりがあるので、ボーイに身を俏(やつ)している程さんに予約を取ってもらって、それが可能となったのである。

 「淡水川を望む、見晴らしの良い窓際の席を・・」と、レストランの予約を程さんにお願いすると、「まるで美しい女性(ひと)でも招待するみたいですね」とからかわれたが、
 「お易いご用ですよ、今日はどういうわけか見張りが一人も居ないようですし、それに新入りとは言え、訓練成績の良い徐が一緒なら、私も安心ですし・・」と言われた。 
 宏隆にしてみれば最近組織に入ったばかりの若い徐とは話もしやすいし、強の良き ”弟分” として可愛がられている徐と親しくなることが出来れば、同じ玄洋會の人間として、少しは ”兄貴分” の強とも真面(まとも)な付き合いが出来るようになるのではないか・・それに、どうせ楽しく食事をするなら見晴らしの良い席の方がいい、今日は自分を見張っている奴らも居ないことだし・・・と思えたのである。


 金龍庁餐庁─────ゴールデン・ドラゴン・レストランは、圓山大飯店の二階奧にある。
 ホテルの正面玄関からこのレストランまでの道のりは、赤い巨大な円柱に真紅の毛氈と、至る所に漢民族文化の象徴である龍をはじめ、獅子、梅の花などが配され、中国的な彫刻や螺鈿などの工芸と、天井から吊り下げられた絢爛豪華な角灯、紅い欄干付きの階段などが、まるで故宮の内部を歩いているような絢爛豪華な雰囲気を醸し出し、先日の士林夜市の雑踏と比べれば、正しく龍宮にでも迷い込んだような心地がする。

 レストランの入口では「金龍」の名のとおりに、金色に輝く三枚爪の龍が出迎える。
 余り知られてはいないが、実はこの龍は、かつてこの地に存在した「台湾神宮」の境内に在った銅製の龍の像であった────それを誰かが密かに保管し、後に24金メッキまで施されて、このレストランの入口に飾られるようになったのである。

 かつて日本が統治した時代には、この地に総檜造りの「台湾神社」が存在していた。
 社格も高く、台南へ出征中に薨去した北白川宮能久親王を始め、開拓三神と呼ばれる大国魂命、大己貴命、少彦名命が祀られ、後に天照大神を増祀して「台湾神宮」と改称された。
 1923年に皇太子(後の昭和天皇)が台湾に行啓した際には延長3.2kmの勅使街道が参道として造られ、その道は今も「中山北路」として使われている。
 また円山大飯店の駐車場には社務所近くの遺構である日本風の石垣が残されており、巨大な中国式の門の傍には、元は「台湾神宮」の境内に在ったと思われる一対の大きな狛犬が、ホテルの守り神のように飾られている。


 ─────またまた話が脱線するが、この物語の今後の展開にも関わってくることでもあるので、ここで日本人に余り知られていない、「圓山大飯店」の創立にまつわるエピソードをお話ししておこうと思う。
 筆者がそれを調べるきっかけとなったのは、この「圓山大飯店」は蒋介石夫人の宋美齢が ”無許可” で建てたホテルだという話を小耳に挟んだからである。

 日本が連合国に敗れてからは、かつて清国から割譲された台湾の土地、建物、銀行、企業など、日本の資産は全て、国民党が支配する中華民国台湾省政府が管轄する資産として接収され、台湾に在った各地の神社もすべて取り壊されることになった。
 この「台湾神宮」の跡地もまた台湾省政府の財産として接収されたが、やがてある人が大抜擢され、この地に「台湾大飯店」というホテルを建てるから経営せよと命じられた。

 その人物の名を、何是耕(か・ていこう)さんという。
 何是耕さんは1919年台中生まれ。'39年に東京に行って日本大学に入学し、卒業してからは持ち前の語学力を活かして、中国の開封市で日本総領事館の外交官として通訳を務めた。 
 大陸では'46年に国民党が「国共内戦」に突入したので、命からがら台湾へ戻り、日本統治時代に整備された台中の学校で英語教師をしていたが、同じ教員の女性と結婚した後、日本交通公社の台湾支社を前身とする「台湾省交通処」が管轄する「台湾旅行社」へと転職した。
 ここで勤務成績や人柄を買われ、やがて台北支社に転属して「台湾大飯店」というホテルの創立準備を一任されるようになり、創立後は支配人として経営を任されることまで決まっていた。

 「台湾大飯店」は1951年に竣工・開業をし、営業も順調であったが、翌年の5月に突然上司から連絡が来て、このホテルを台湾省の官営から独立させ、ある民間団体の経営にする移管手続きを行うので、急いで引き継ぎの準備をするように命じられる。
 何是耕さんにとって正に寝耳に水の話であったが、その引き継ぎの相手である民間団体の代表は「徐潤勲」という、蒋介石夫人・宋美齢の秘書であった。
 こうして何是耕さんが支配人となった「台湾大飯店」は、わずか一年ほどで民営化され、ホテルも丸ごと大改築されて、その名も「圓山大飯店」と改められた。中国の宮殿を思わせるこのホテルの建築デザイナーは、蒋介石やその夫人に認められ、故宮博物院や中正紀念堂のデザインを手がけた「楊卓成」であった。

 台湾神宮の跡地であり、台湾省政府が管理するホテルの敷地は、現在も変わらず国有地のままであるが、この土地は現在もその民間団体によって管理されている。
 また「台湾大飯店」の建設に当っては、日本統治時代の莫大な資産が遺されていた「台湾銀行」を国民党政府がそっくり接収して経営していた同名の「台湾銀行」が巨額の出資をしていたのだが、そのまま勝手に「圓山大飯店」に建て替えられており、しかもそれについて政府が何ひとつ追求せず、放置している状態が六十年も続いている。
 これは、国有地である場所に、国費を投じて建設した国営ホテルという国家資産を、民間に払い下げるわけでもなく、ただ管理と運用の権利を民間団体に移譲するという極めて特殊なケースであった。
 しかし、この民間団体がいったい誰の経営であるのか、誰もが同じことを想像し、同じ人物に行き当たっていた。そう、この団体は「宋美齢の側近たち」が経営する団体であり、このホテルは一夜にして宋美齢とその一族の私的財産となったのである。
 しかし、その団体の経営者の何処にも宋美齢本人の名前は見当たらず、圓山大飯店の関係者にも名を連ねてはいない─────正に、台湾省政府と国民党の一党独裁体制の姿が如実に浮彫にされている話ではある。

 ──────さて、「台湾大飯店」を追われた何是耕さんは元の「台湾旅行社」に戻ることになったが、やがてそれが民間に払い下げられたのをきっかけに、1961年4月1日、有志社員15名と共に「東南旅行社」を新たに設立した。資本金はその15名の退職金だったというから、言わば社員全員が共同経営者であり、もう政府や国民党の顔色を窺うことなく、ただ直向きに旅行代理店としての彼らの実力を遺憾なく発揮すればそれで良かった。社長となった何是耕さんの経営理念は「周到なサービスと、誠心誠意のガイド」であった。
 この「東南旅行社」は台湾最大の旅行代理店として現在も業務が続いており、近年では、日本のJTBと合弁会社をつくって日本人観光客の受け入れを大々的に進めている。
 考えてみれば「台湾旅行社」は元々日本の「交通公社=JTB」であったのだから、何是耕さんたちの「東南旅行社」は、立派にその後を継いだ正統な後継者なのである。

 1945年、ポツダム宣言で日本が降伏調印した後、台湾は国民党政府に明け渡され、日本軍は中国本土から撤退し、国民党政府は大陸の一部と台湾を共に領土とした。
 しかし国民党政府はソ連が支援する中国共産党に対する劣勢を挽回できず、結局は『国共内戦』に敗れて台湾に落ち延びることになる。
 その後、およそ五十年の永きにわたり、国民党は与党として台湾の政権を担ってきたが、1996年の『総統民選体制』の始動によって、ついに一党独裁の体制に幕を下ろし、2000年の総統選挙では民進党の「陳水扁」に敗れて初めて野党となり、翌年には議会でも第二政党となった。李登輝総統が本土化(中華民国を台湾人による台湾の政権と位置付ける概念)と民主化を強力に推進してきた結果であった。
 2005年には陳水扁に敗れた国民党主席の「連戦」が北京を訪問し、共産党総書記で国家主席の「胡錦濤」と実に六十年ぶりの国共両党トップ会談が行われ、『台湾の独立に反対する』という認識で一致協力することを確認し合ったという。
 しかし、2008年には、降って湧いたような数々のスキャンダルと、機密費流用容疑による逮捕によって陳水扁が完全に失脚し、国民党主席の「馬英九」が中華民国総統に選出され、八年ぶりに国民党が政権与党に返り咲いたことは記憶に新しい。
 
 ────日本が台湾を統治した期間中に、緻密なインフラの整備によって台湾全土に蓄積された莫大な資産は、敗戦と共に「中華民国=国民党政府」に全て接収され、’50年代以降には上述のケースのように、どんどん民間にも払い下げられていった。
 それらの資産の殆どは、国民党系の政治家と財界人たちがタダ同然で手に入れ、近代台湾の高度経済成長の中で、その資産価値を巨大に膨らませていったのだが、それこそが五十年にもわたる「国民党」の金権政治の一大基盤となったことは論を俟たない。



 閑話休題──────

 宏隆は、約束の時間よりもかなり早く、金龍庁レストランに行った。
 夕暮れに染まり始めた淡水川の流れを眺めながら、ゆっくりと待つことにしたのである。

 圓山大飯店は、剣澤山の稜線が淡水川に向かって岬のように迫り出してきた丘陵地帯の先端にある、小高な円い丘の上に建てられている。
 先史時代、ここには台北湖という湖が広がり、圓山はその中にある小島であった。
 日本統治時代に東京帝国大学がこの地を発掘調査した際に、台湾では珍しい多文化層遺跡が発見された。紀元前2800年から紀元前500年にかけて「圓山文化」というものが存在していたことが判明したのである。圓山西麓では貝塚が発見され、次いで玉器、陶器、骨角器、墓葬跡などを次々に発掘し、台湾の人類学に多大な貢献をした。現在も台湾大学には、細密な発掘調査を行った伊能嘉矩や宮村栄一の膨大な研究資料を蔵した「伊能文庫」が存在している。


 ──────さて、金龍庁の入口に鎮座する金色の龍が、曾てこの地に存在した「台湾神宮」の歴史的な遺物であるということなど、いまの宏隆には知る由もないが、あの激動の時代に台湾総督府に赴任していた彼の祖父も、それに同行した祖母も、そしてこの台北で生まれた父親も、同じ圓山の地を訪れ、祖国日本と、日毎に西欧列強に追われる亜細亜の行く末に思いを馳せながら台湾神社に参拝し、この同じ景色を眺めていたに違いないのである。

 そして、その所為かどうかは分からないが──────眼下に淡水川を望み、台北の街を一望するこの席に座っていると、その風光の優しさとは裏腹に、宏隆の血液のどこかが無性に騒いでいるような気がしてならなかった。


「ヒロタカさん!・・・・いやぁ、お待たせして済みません!」

 入口の方から足早に近寄ってきた徐が、窓の外を見ている宏隆に向かって声を掛けた。

「いいえ、僕が少し早めに来ていたかったものですから・・・」

 立ち上がってそう言いながら時計を見ると、まだ約束の時間までには10分近くもある。

「・・どうも、わざわざ来て頂いてありがとうございます」

「いやいや、とんでもない・・・私の方こそ、こんなスゴイところへ呼んでもらって、何だか緊張してしまいますよ」

 あちこちキョロキョロと眺めながらそう話す徐は、そうは言っても、別におどおどしているわけではなかった。ネクタイこそしていないが、筋肉質の引き締まった体の上に、洗濯をしたばかりのシャツと薄いベージュの上着を羽織って、訓練場での徐とはまるで見違えてしまうような、こざっぱりとした出で立ちである。

「徐さんは、ここは初めてですか?」

「いや、初めても何も・・・こんな高級ホテルは遠くから眺めるだけで、あの巨大な門を潜ろうと思ったことさえありません。私は大家族の貧しい家の五男坊で、台風が来れば吹き飛んでしまうような荒家(あばらや)に生まれたので、こんな宮殿のような所は、見るだけでビビッてしまいます・・・」

「本当は屋台のようなところで、ざっくばらんにお話がしたかったのですが、宗少尉が此処にしなさいと言ったので、ついそのまま─────却(かえ)って済みませんでした」

「いや、そんな・・・実は、そうは言っても、ここの高級料理がどんなものか、こんな機会を逃したら一生食べられない!、と思って、張り切って来たのですよ、あははは・・・」

「あはははは・・・・」

 やはり、良い人なのだ─────と、宏隆は思った。
 初対面の相手をあっというまに信頼させてしまうような、そんな律儀で暖かな人間性がこの徐さんには感じられる。貧しい家の生まれと言ったが、どのような苦労を経てか、きちんとした教養を積んできていることも、その素朴な言葉の端々には窺えるのである。

「ところで・・・・昼間は、強さんと険悪なムードになったところを助けて頂いて、本当にありがとうございました」

「・・あ、いやいや、それこそ・・助けたなどと言って頂くような事ではありません。
 ただ、強さんは新入りの私をとても可愛がってくれる優しい兄貴分なので、ヒロタカさんと口論しているのを見て、何だか寂しくて遣り切れなかったので、つい口を挟んでしまったのです・・・私こそ、横から口出しをして失礼しました」

「強さんは日本人が嫌いなようで、以前にも一度、あの場所で一悶着あったのです」

「そうでしたか・・・強さんも、別にヒロタカさんが憎いワケではないのでしょうけれど、その昔、お父さんだか、お祖父さんだったかが、日本軍に殺されたとかで・・・・」

「陳中尉にそのお話を伺いました。何でも抗日戦線グループのリーダー格だったとかで・・僕の祖父は総督府に勤務していましたから、これも何かの御縁かもしれません」

「哀しい歴史ですね─────人は誰も好んで殺し合いをするわけではないのに・・・」

「・・あ、済みません、食事にお付き合いしていただきながら、こんな話ばかり・・・
 いま、すぐにメニューを持ってこさせます」

 会った早々そんな話になってしまったので、宏隆は慌てて手を挙げてウエイトレスを呼び、自分でメニューを開いて徐に渡した。

「うわぁ・・こりゃすごいや─────当たり前ですが、やっぱり自分が其処らの屋台で掻き込んでいるような料理とはワケが違いますね。ヒロタカさんは、いつもこのレストランで食事を召し上がっているのですか?」

「実は台湾に来て、今日初めて、このレストランに入ったのです・・・」

「・・えっ?、だって、ここの上階に泊まっているのでしょう?」

 よく自分がこのホテルの ”上階” に泊まっていることを知っているなぁ、と思ったが・・・まあ、誰かから聞いたのだろうと、宏隆は気にも留めなかった。

「はい、そうなのですが・・・初日にルームサービスで此処の飲茶をつまんだだけで、あとは士林夜市で散々走り回ったあげく、屋台で歓迎料理を食べ、白月園の宿舎で明珠さんの手作りの朝食を食べ・・・晩メシは近所の食堂の ”担仔麺” が主でした」

「明珠さんの朝食はともかく・・・それは勿体ないなぁ!」

「・・でしょう?、だから僕も、実は今夜はとても楽しみだったのです!!」

「あははは・・何だか、ヒロタカさんと話をしていると、日本の上流家庭の御曹司だなんてとても思えませんね」

「自分でも全然そう思っていませんから、どうかそんなイメージを持たないで下さい。
 小さい頃は、余りに身なりを構わなかったので、友達から ”北野の乞食” なんて呼ばれたほどでしたからね!」

「乞食ですか?・・そりゃすごい!・・・わはははは・・・・・」

「あははははは・・・・・・」

 宏隆は、徐とは気が合う、と思った。
 少なくとも宏隆にとっては、そう思えたのである────────


                                (つづく)

taka_kasuga at 21:59コメント(8)連載小説:龍の道 | *第41回 〜 第50回 

コメント一覧

1. Posted by トヨ   2010年08月02日 12:40
たったひとつのホテルの経営に関するだけで、こうまで裏の事情があるというのは、すごいというか、なんというか・・・。

現在の日本では、重要なはずの近現代史教育が全く見当違いの方向で行われているようなので、自分が今現在生きているこの国・世界へとつながって来る重要な要素が、ぽっかりと抜けているように感じます。そのため、自分がそのつながりの中でいまに生きているという実感さえも、宙に浮いてしまっているような、あやふやなものになっているように感じるのです。
過去からのつながりがなければ、それが未来につながっていくという感覚も希薄なものになってしまう気がします。

まぁ、この国がどうなっても良いという人々もいるのかもしれませんけど。。。
しっかり目を開いていたいものです。
 
2. Posted by マルコビッチ   2010年08月02日 18:41
春日さん、お久しぶりです!

この「龍の道」を読んでいると無性に台湾に行きたくなります。
歴史にド無知な私は、圓山大飯店に行きた〜い!!と思っていましたが、
これを読んで、少し緊張しました。
やはり地下通路があるくらいですものね!!
きっとまだ驚くべき歴史があるのでしょうね。
でも、このようなエピソードを知っていて行ったら、
きっと見える景色も違うでしょうね!
・・淡水川を望む、見晴らしの良い窓際の席で、おいしい・・ムフフ・・
あっ、緊張感が淡水川に・・

久しぶりのコメントなのに、こんなのでごめんなさい!
今後の徐さんとの関係、どうなるのかしら?
楽しみにしています!!
 
3. Posted by まっつ   2010年08月02日 23:32
「龍の道」連載50回おめでとうございます。

改めて振り返ると、その世界観は骨太な筋道を通しながらも、
物語は融通無碍に展開され、いつも鮮やかな余韻を残してくれます。
特に活き活きと表現される内面の描写がとても好きです。

宏隆君を通して示される内面の働きと、
宏隆君から外の世界へ向けられる眼差しからは、
「見る」という事について多くの示唆を頂き、
小生の日々の生き方も少なからず影響を受けました。

ご多忙の中、毎回、新しく、密度の濃い内容をお届け頂きありがとうございます。
今後も益々のご活躍をお祈り申し上げます!

さて・・・
新章は波乱の展開となる事が伺われますが、
宏隆君は無事に危機を切り抜けられるのでしょうか!?
どーなるんだ、次回!(C)
期待してます!
 
4. Posted by 春日敬之   2010年08月07日 12:25
☆トヨさん

教育というのは、とても大事ですね。
それは何も、戦後の自虐史観や日教組の偏向教育に限ったことではなく、
例えば、太極拳のことをロクに知らない先生が、自分のやってきたスポーツや武道の知識で、
太極拳の原理はきっとこんなモノで、発勁はきっとコレ、戦闘法は多分こうに違いない・・・
などと勝手に思い込んで生徒さんに教えていたら、エラいコトになりますよね。
当たり前ですが、真実を伝えられたり、教えられたり、自分で発見した人というのは、
いつの世も非常にその数が限られていて、滅多に存在しません。
けれど、世の中には「師」と呼ばれる教育者が巨万(ゴマン)と居られる─────
いや、とても五万じゃ済まないでしょうけど。(笑)
だから三年掛けて良師を探し出せるかどうかは、これはもうウン、運、運しかないカモです。
太極拳はとても「素晴らしいもの」ですが、それを取り巻く世界は「ヒトの営み」であることに
変わりはなく、とても「WONDER-FULL」なものでもあります。
 
5. Posted by 春日敬之   2010年08月07日 12:33
☆マルコビッチさん

やあ、お久しぶりですね、またADSLがトラブりましたか?(笑)
ナニナニ、近々ヒカリに換わると・・? 
ヒカリは西へ────よかったですね〜!

圓山大飯店は、今ではごくフツーの、ただの大観光ホテルです。
主な客は中国や日本からやって来る食事付きのツアー客で、
ホテル側が「客の避難通路」だと言っ張っている秘密めいた地下通路も、
そのうち観光名所として一般に公開するかもしれません。(モチ、有料!)
小説に登場する金龍庁餐庁も、近頃のお味はどうも・・・という声もチラホラです。
私たちはただ、歴史の流れを感じながら、遠い過去に想いを馳せ、
その真実に耳を傾けることが出来るだけです。

台北の美味しい店なら、いくらでもご案内しますよ!!
 
6. Posted by 春日敬之   2010年08月07日 12:41
☆まっつさん

・・あ、ホントだ、図々しくもいつの間にか50回も連載してしまって・・・(汗)

こんなド素人の小説を、皆さん飽きもせずに毎回読んで下さって・・・
「龍の道」の掲載予定日には、昼間っからブログのアクセスがグンと上がると言いますから、
本当にありがたいことだと思っております。m(__)m

小説家というのは普通、売れなくては生活が出来ませんし、出版社だって良い顔をしない。
その点アタクシは、プロの小説家ではないし、従って報酬も無いし、殆ど何の制約もなく、
書きたいことを書きたいだけ書かせて貰っているのですから、
コレは始末が悪いですよね────(笑)

さて、新章はタイトルが示す如く、またまた「宇宙少年ソラン」・・・
いや、「太極少年ハラン」の展開です。
えっ?、そんなのシランって・・・・・?????

果たして宏隆君は・・いや、原稿は、〆切の日に間に合うのかどうか・・・
うーむ、どーするんだ、次回っ!!・・(^_^;)
 
7. Posted by とび猿   2010年08月07日 13:27
毎回大変勉強になり、刺激を受けます。
「龍の道」に登場する人々は、皆さん生き方にスジが通っていて、
強力な軸があるように感じられます。
円山大飯店のお話しも、大変興味深いです。
どのようなものや事柄も、歴史や原因があるのでしょうが、
太極拳に出会うまでは、物事の表面や現象にばかり目がいっていたように思います。
そのようなことでは、人間としての軸など育たず、対練と同じように、
自分の状態も分からず、簡単に崩され、一方的にやられてしまう、もしくは、
やられていることにすら気が付けないということになってしまうように思います。
あー、もっと勉強しないと。
 
8. Posted by 春日敬之   2010年08月08日 13:05
☆とび猿さん

>あー、もっと勉強しないと。

何かを深く追求し始めると、モノゴトを物事として正しく観ることの必要性と、
物事の仕組みや成り立ちが理解できなければどうにもならない、ということが分かってきて、
ようやく己の未熟さや、無知さ加減を思い知らされることになりますね。

そうなってくると、人は本当に謙虚にならざるを得ません。
武術を真に極めていける人というのは、物事を観る見方がとても繊細で、
しかも独り善がりではなく、広く、深く、全体をトータルに観て、どんな事にも学ぶことが出来、
それによって自分の小ささが見えてくるので謙虚にならざるを得ない、ということでしょうか。
それこそが、どのような危機に直面した際にも、それを回避できる智慧なのだと思います。

そして、どの分野に生きようと「勉強すること」は一生ついて回りますから、
こうなったら徹底的に観てやろう、トコトン勉強してやろう、と思うしかありませんね。

────吾らが宏隆くんにも、そのような事をシッカリ学んでもらいたいと思います。
 

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