2010年01月06日

練拳 Diary #25 「初稽古」

 新年明けましておめでとうございます。
 昨年は「練拳ダイアリー」を多くの方にご覧いただき、誠にありがとうございました。
 本年もどうぞよろしくお願い致します。

 今年は1月2日に門人の皆さんが大勢お年始に来られたかと思えば、もう翌3日(日)には拳学研究会の稽古が行われ、昨日、1月5日(火)は「一般・武藝クラス」の稽古始めとなりました。
 年末年始の一週間ほどは、週に2〜5回の稽古に続けて通っている門人にとっては、一年のうちに三日以上稽古の無い日が続く唯一の期間に当たります。

 『何ごとも、登るのは大変だけれど、落ちるときには一瞬で落ちてしまうものです。
  毎日稽古をしていないと、あっと言う間に身体も功夫も元に戻ってしまう・・・
  気を抜かずに、この年末年始を、ご自分の稽古に励んでください』

 稽古納めを終えると、師父は必ずそのような言葉を門人の皆さんに向けられます。
 それはつまり、この一年間で養われた功夫を大切にして欲しいという心遣いと、いつものように道場で稽古をするのではなくても、自分で自分の稽古ができるかどうか、さらには太極拳の修練が心の奥底から求めて止まないことであるかどうかが、自分自身に問われる期間になるのだということを、同時に言われているようにも思います。

 道場があって、稽古をする時間が十分あるときには、誰でも比較的容易に稽古することができます。しかし、道場に来られない期間に自分がどれほど太極拳と向かい合えるのか、どれほど自分自身と向かい合うことが出来るかどうかで、その人の太極拳に対する思いや覚悟の大きさが自ずと見えてくるに違いありません。

 太極武藝館の初稽古は、まさに一年の内で唯一度稽古の無いその期間に、各自がどのように過ごしてきたかを思い知らされる最初の稽古であり、自分自身の現状と今年の課題を実感することになる、独特の緊張感に包まれた稽古となります。


 さて、今年の初稽古は、平常どおり「柔功」や「圧腿」などの準備功から始められました。
 思いのほか身体が鈍っていたり、前年からの課題がまだクリアできていなかったり、或いは年末年始の自主トレーニングによって、わずかでも進歩の形跡が見られたりと、やはり人それぞれ、思い思いの年末年始を過ごしてきたことが見受けられます。
 そして、そのことを最も強烈に感じているのはその人自身であるということも、こちらに伝わってくるかのようでした。

 毎年想うことではありますが、初稽古の良いところは、各自が新しい年の幕開けと共に、頭も身体もリフレッシュされ、気力が充実し、頭脳も明晰になっている、というところです。
 つまり、新年という大きな節目を越えたことによって、目の前に広がる全ての物事に対して、新しい気持ちで向かい合うことが出来ているように感じるのです。
 「考え方を変える」「日常に囚われない」ということを常に念頭に置いて稽古している私たちにとって、国も地域も家庭も、周りの環境の全てが「新年」という新しい気持ちで過ごしているということは、自分のアタマを変える絶好のチャンスになるような気がしました。

 次は、近ごろ一般クラスでも教授されるようになった「站椿功」が行われました。正面に立つ師父を囲むようにして、門人たちが一挙一動をつぶさに観察しながらの稽古です。

 「なぜ皆さんは腰が高いのか・・いくら膝を曲げても、腰は落ちません」
 「腰を低くするとは、膝を曲げることではなく、腰が落ちる構造にすることです」
 「結局は、如何に立つかということに尽きる。それが解らなければ太極拳は有り得ません」

 昨年の終わりに師父から、「私はこれまで細かく説明し過ぎたかも知れない。来年からはあまり説明をしないようにしましょう・・」というお言葉にあったとおり、今回は初心者に必要な站椿で要求される基本的なことと、各自への目立った注意点以外は、ことさら指導や指摘が無いままに、ただ「見せる」ことを中心に稽古が進められていきました。

 「物事を観ることのできる力」は、そのまま何かを「理解できる力」になる、と私は思っています。説明されていることを聞いているだけで分かったようなつもりになったり、出来ているような気になっていても、それは全くの間違いであり、ましてや太極拳を理解していく力には決してなり得ません。稽古で見たそのままをその場で体現しようとして、それに必死になることによって、初めてそこで言わんとしている練功の真意が見えてくるものだと思うのです。

 練功の真に意味するところを読み取ることが出来なければ、やはりパワー志向、スピード志向といった、日常の安易な考え方から抜け出すことができずに、太極拳の高度な練功もただの筋トレもどきになってしまうことでしょう。
 要点以外の詳しい説明を無しに、ただ「見せる」だけの稽古を行うことで「見る目」を養い、感じられる「アンテナ」を開発し、それを体現できるだけの「自己統御」ができるようになれば、その貢献するところは大きいものです。それは太極拳のみならず、家庭や社会に於いても、また自分の人生に於いても必ず役立てられ、それらがより豊かなものになるに違いないと、門人の皆さんの站椿訓練を見ながら鮮烈に感じられました。

 稽古はその後「纏絲勁訓練」と各種の「基礎歩法」が組み合わされ、さらに高度な構造を学ぶための、円圏で膝を伸ばして歩く歩法が長時間に亘って行われ、それらの練功を通じて各自の站椿のレベルを再認識できるように工夫されていました。そして、各々の今年の課題が各自にようやく見えてきた頃、仕上げに対人訓練が行われました。

 初稽古で行われた対練は、昨年このブログでもご紹介した「腰相撲」で、《弓歩の腰相撲》と、《腰相撲の投げ》の二種類が行われました。どちらも自己の有り様を見直し、太極拳の「考え方」に照らして観るには最適な練功です。

 基本である弓歩の腰相撲では、要求を守って架式を丁寧に整えれば、そこに美しくバランスの取れたひとつの「構造」が生じています。その構造は、相手に前方から押されることによって、その内容がより分かりやすく、鮮明なものになっていくように思えます。
 関わってきた相手に対して、抵抗するのでもなければ、ただ受け入れるのでもないという、非日常的な「もう一つの考え方」によって、相手の力は見事に無効化され、自分のチカラよりも遙かに大きな力が加えられても、そのチカラはゼロにされてしまうのです。

 後ろ足の突っ張りや、前方に身体を緩めての寄り掛かりなどといった、日常的に相手の力を回避する工夫をしなくても、自分が正しく放鬆して立てたときには、誰もが必ず、そこに深遠なる「太極拳の原理」を垣間見ることができます。
 実際に、正しい原理で歩法が理解できている門人は、相手に正面を向けた《馬歩の腰相撲》でも、押されながらその場で足踏みをしたり四股を踏むことが出来、そこから前に歩いたり、相手を返したりすることが出来ます。
 その稽古の様子は、新年の幕開けに相応しく、門人の皆さんが大切に育んでいる太極武藝館という名の樹が、またひとつ、正しく年輪を重ねたように思えました。

 各種の腰相撲が「太極拳の原理」を理解するための練功であるならば、《腰相撲の投げ》は「太極拳の戦闘方法」を理解するためのものだと言えます。
 初心者がこの練功を見ると「相手と組んで投げ倒す方法」であると勘違いしやすいのですが、この日も常日頃から指導されているとおり、私たちには「打ち方、蹴り方、投げ方」などと分類して稽古するような考え方は欠片も存在して居らず、たったひとつの「在り方」というものを《腰相撲の投げ》という練功を使って学んでいるに過ぎない、ということが示されています。

 そして、それが「在り方」であると言うことの証しに、六十歳を過ぎている女性に対して若い男性が投げに入ろうとしても、まったく倒れないという現象が起こり、師父に至っては、投げに行く動作さえ出来ない、足を挙げた途端に自分が転がる状態になります。

 散手などでも、師父が棒立ちになっているところに、様々な角度から突いたり蹴ったりしていく稽古が行われますが、師父は全く受けの動作をされず、足の一歩も、肩の一センチも動かさないのに、相手の突きや蹴りは常に師父の身体から何十センチも離れたところにしか届かない、という不思議な現象が起こります。
 師父は、ただ基本を守っているに過ぎないと仰るのみですが、私たちはそのようなことを目の当たりにして、初めて、本当に「在り方」だけが必要なのだと、心底実感させられることになるのです。

 まだ入門してから出席日数の少ない初心者にとって、対人訓練は特に実感するのが難しい練習のようでしたが、それでも目の前で繰り広げられる非日常的な現象の数々が、決して手の届かない遠い存在ではなく、基本功で示されている立ち方・歩き方などを地道に正しく積み重ねていくことで必ず手に入ると確信しているようであり、師父が示範される姿を見ている眼光の鋭さには、先輩たちにも負けないものがあって、つくづく感心してしまいます。


 こうして今年初めての稽古を終えてみますと、自己の在り方を整備すること無くして深遠な太極拳の原理など理解できるはずもなく、また、太極拳の原理を外れては、その高度な戦闘法など見えてくるはずもない、とつくづく思えます。
 それら目前に広がる「至宝」を手にするためには、何よりも自己の中身を絶え間なく磨く必要があり、そうして自分を磨くことによってこそ、ひとつの武藝が人間を存在の高みへと導くという事も有り得るのだと思えます。
 そして同時に、自分を磨き、鍛えるためだけに使える貴重な「道場」という場が此処に存在しているということが本当に有り難いことであると思えました。

 今後は一層気を引き締め、更なる研究と研鑽、そして自己の鍛錬に励み、先達が残された大いなる遺産をより深く味わい共有できる自分になりたいと、心の底より願った今年の稽古始めでした。

                                    (了)


       *    *    *    *    *


 ご参考までに、昨年、太極武藝館の各クラスで行われた稽古回数と時間を付記します。


      *一般クラス    102回   408時間
      *特別クラス     51回   255時間
      *拳学研究会    257回  2313時間


 稽古時間は、単に多ければ良いというものではないのでしょうが、高度な拳理を得るためには多くの稽古時間を充てなければ決して正しく習得できないということも、また事実であると思えます。

 太極武藝館ではいずれのクラスも稽古時間が多く取られていますが、例えば正式弟子とその候補生たちが在籍する「拳学研究会」で行われた昨年1年間の総稽古時間は、1日に平均すると約6.4時間になることが分かります。

 これは、毎日欠かさず2時間ずつの練習を行った場合の3年2ヶ月分に当り、週に2回、2時間ずつの練習を行った場合の約11年間分、また、週に3回、2時間ずつ練習を行った場合の約7.4年分に相当するものです。

 門人の皆さんは、ご自分の稽古回数と照らし合わせて本年の稽古の参考にしてください。



xuanhua at 17:02コメント(10)練拳 Diary | *#21〜#30 

コメント一覧

1. Posted by tetsu   2010年01月06日 22:27
明けましておめでとうございます。
昨年は大変世話になりました。
今年に入って初めての「練拳ダイアリー」を拝読させて頂き、非常に身が引き締まる思いです。
遠方より通い、「外門研修生」としての籍を置かせていただいている身としては、一般クラスの
稽古日数に全然及びませんが、その分「日常」がとても大切だと感じています。
武藝館に行けない分、日々、「この間の稽古ではこんな注意点を受けた」「自分にはここが足りない」と思い、元旦からも気付けば家の外で站椿や馬歩をしていました。
まだまだ未熟で足りないところも多いですが、本年も御指導の程宜しくお願い申し上げます。
 
2. Posted by のら   2010年01月07日 21:15
>さらに高度な構造を学ぶための、円圏で膝を伸ばして歩く歩法が長時間に亘って行われ・・

今年は初稽古から、この「膝を伸ばして歩く」という事をご指導いただき、昨年ブログに掲載させていただいた、拙稿「甲高と扁平足」で追求・研究していたことの理解に、大〜きな、と〜っても大〜きな収穫がありました!!
私としては決してオーバーでなく、その大発見に恐れ戦き、これまで站椿で理解できなかったことまで、何となく分かってきそうな予感さえしています。

嗚呼・・膝が・・・膝が伸びることが・・・・
膝を伸ばすことが・・・膝を伸ばせることが、こんなにも凄いことだなんて・・・
まるで、これまで全く私の知らなかった世界が、一枚の扉の向こうに広がっていくようです。

素晴らしい稽古を、ありがとうございました。
しかし、こんなコトを正月早々に、ブログで公開しても宜しいんでしょうか・・・?
 
3. Posted by 円山 玄花   2010年01月07日 23:16
☆Tetsuさん
明けましておめでとうございます。
元旦から家の外で站椿や馬歩とは、さすがですね。
きっと今年も、実り多き一年となること間違いなしです。

稽古日数は参考までに書き出してみたのですが、
自分もこれほどの時間になるとは思っていませんでした。
毎回の稽古で大汗かいてクタクタになっていると、
一年間を通してどのくらいの稽古量をこなしているのか・・なんてことは、
気にもならなくなってしまいます。

しかし、ここに載せた稽古時間は稽古指導を受けている時間ですから、
それを正しく身につけるには、やはり道場以外での日常生活が鍵だと思います。
「日常」を大切にしたいというその心がけを大事にして、
今年も稽古に励んでください。

本年もよろしくお願いいたします。

4. Posted by 円山 玄花   2010年01月07日 23:22
☆のらさん

いや〜、そうか、のらさんは「甲高と扁平足」を書いたご本人でしたね。
しかし、初稽古では皆さん真剣な顔つきで静かに稽古されていたと思ったら、
のらさんのような大発見をしている人がいたとは・・。(汗)
稽古で悩み、自宅で稽古に励み、また稽古で照らし合わせるという、
研鑽と研究の中でしか、真の発見や理解は訪れません。
今回の大収穫は、正にのらさんの毎日の研究による成果と言えるでしょう。

此方が用意する練功はどなたにも等しく同じものですから、
あとはそれをどのように紐解き、向かい合っていくかが問題となるのだと思います。
 
5. Posted by まっつ   2010年01月09日 11:05
確かに初稽古には独特の緊張感がありますね。
お正月明けと言う事もあり、常より身も心も自由で、
稽古に対して清新に向かい合える感じがありました。

常に始めて触れる物事のように、
日々の稽古、一瞬一刻の稽古に向かうようにとご指導頂きますが、
奇しくも初稽古では自然とその状態が起こるようでした。

そのように「今、ここ」を生きる事に集中できるとは、
当人の存在にとってどれだけの恩恵があるか計り知れません。
本当に「道場」とは有り難いものです。

初心を忘れず本年も精進したいと思います。
 
6. Posted by とび猿   2010年01月09日 13:06
改めて稽古回数や時間を見てみると、凄いですね。
こんなに多いのかと、驚きます。
試しに自分の道場での稽古時間を簡単に計算してみましたが、実に情け無いものです。

また、稽古時間の多さにも驚きますが、その時間の濃密さにも毎回驚きます。
いつも、あっという間に、稽古が終わってしまいます。
一瞬一瞬の積み重ねが一日であり、その積み重ねが一ヶ月であり、その積み重ねが一年であり、
それがキッチリ自分に返ってくる。

年末年始等、節目の時期は、改めてそのような事を自覚させてくれます。
 
7. Posted by マルコビッチ   2010年01月10日 18:48
初稽古、緊張しました。
しかし、物事には何でも原因があるというもので、
私の緊張の原因は、自分では正面から見られないような、
だけど自分で明らかに解っている、
『稽古不足と昨年からずっとクリア出来ずにいること!!』でした。
まさしくこのことに私の”あらゆる弱さ”があるように思います。
もっと繊細に自分を観ていくこと!
中心を外れると、欲や傲慢さに向かい、感謝や謙虚さを忘れてしまう!
生活と稽古(太極拳)が一つになっていない為、緊張と緩みがあらわれる!
全ては、精神の構造の捉え、自己の在り方の整備が出来ていないことなのだと思います。

初稽古の後、体調を崩したのですが、
そのこともここに原因があるのです。
思えば、年末年始から小さなサインが何回かあったのに・・・

でも、この練拳Diaryと自分の体のおかげで、
自分の弱さや足りないところが、浮き彫りになったようで、
玄花先生と神様に感謝です!!
反省文のようになってしまいましたが、今後とも御指導の程よろしくお願い致します。
 
8. Posted by 円山 玄花   2010年01月11日 21:33
☆まっつさん
良い初稽古だったようですね。

思えば、「用意不用力」という要訣は、今この瞬間を観るための鍵のような気がします。
今、その一歩は膝が伸びていたか。
今、その一動作は「立つ」ことから始められたのか。
今、そこで身体はどこまで来ていたのか・・・。
動いてからそれを見直すのではなく、動くその瞬間に観るためには、
意識的に観るしかありません。
師父が稽古中に、
「足が疲れるのではなくて、アタマが疲れるようでないと正しい稽古とは言えません」
と仰るのは、そのためではないかと思います。

今年も頑張って稽古に励んでください。

9. Posted by 円山 玄花   2010年01月11日 21:36
☆とび猿さん
>一瞬一瞬の積み重ねが一日であり・・・それがキッチリ自分に返ってくる。
太極拳に限らず、物事は何であれそうなのでしょうけど、
自分が向かい合った分だけその成果がやってくるし、
ちょっと避けて先延ばしにすれば、それもやっぱり返ってくるし、
うまくコトが運んだと思っていても、実はその反対側でマイナスのことが起こっていたり・・
自分の都合でうまくいくことなど、何ひとつ無いということが実感されます。
ただひたすら、「法則」があるのみなのだと思います。
正に「陰陽太極の理」ですね。

今年も佳い年になりますように、頑張ってください。

10. Posted by 円山 玄花   2010年01月11日 21:38
☆マルコビッチさん
今年も始まりましたね。

人間てすごいな、生命って素晴らしいなと思えるのは、動物でも植物でも、
今の自分や自分の置かれている環境を、より良くしていこうとする力があって、
そこに困難や厳しさが伴っても、それを自分を鍛えて新しくなるための糧にできる、
というところです。

「何が出来て、何が出来ない」ではなくて、何であれそれを稽古し続けようとすることで、
自分という生き物が、どんどん新しくなっていくことを感じられると思います。

今年は”サイン”を見過ごさずに、頑張ってください。

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