2009年12月18日

連載小説「龍の道」 第36回




 第36回 武 漢 (wu-han)(8)

 
「宗少尉は、相手の黄(こう)くんとは過去に何度も稽古し、数多く手合わせもしている。そして、これまでは圧倒的に少尉の方が上手(うわて)でした。しかし、今日は彼の方が優勢です。これは、彼が宗少尉を超えるために、密かに厳しい練功を積み上げてきた成果だと思わなくてはいけない・・・
 この世界では、自分の方が強いとか、優れていると思った途端に、自分よりも弱いと思えた相手に、それを覆されてしまうのです」

「はい・・・・」


 武藝の修行というのは何と厳しく、そして深いものなのだろうか・・・・
 宏隆は、陳中尉の言葉にあらためて己の精神(こころ)の貧しさを知り、それを恥ずかしく思った。自分がやってきたことなど、素人のケンカの域を少しも抜けてはいない・・・つくづく、そう思えたのだ。

 武術とは、ただひたすら絶対的な “強さ” を求めていくこと、それを必死に追求することなのだと、そんな感覚がこれまでの宏隆にはあった。
 どれほど理想を並べて道場訓を謳い上げ、神ながらの道、一打必倒などと嘯(うそぶ)こうと、現実として凶悪な暴漢の一撃に屠(ほふ)られてしまうような武術など、何の意味もない。先ずは強くあってこその武術、不敗の神技を求め、必死に闘い、勝ち続けてゆく事にこそ、武術が極めるべき真実があるのだと・・・そう信じて疑わなかった。

 しかし、本当の強さとは、厳しく己と向かい続け、吾が身の未熟さを思い知りながら、高度で端厳たる学習体系の正統に身を委ねて、恣意放埒のままに見過ごしてきた己の傲慢を糺(ただ)して行くことによってのみ、正しく養われていくものなのである。
 そしてそれは、武術に限らず、茶道でも、囲碁将棋の世界でも、能や歌舞伎などの伝統芸能でも、それを「道」として捉え、歩んで行くことに於いては、全く同じことであった。

 陳中尉が宏隆に語った言葉は、決してうわべだけの精神主義ではない。
 人間各個人は、それぞれが等しく「一個の存在」として在るのだ。その時々の利己に乗じて、この時はこうして、この場合はこうして居れば良いというような、得手勝手に都合良く立ち回る事など、本来は有り得ぬことに違いない。
 たとえ自分がその都合の良さを巧みに熟(こな)せているように思えても、人は実際には自己という「ひとつの存在」から出た「ひとつの考え方」で全てを対処するしかないのだ。物事に対して、その時々を小賢しく巧みに立ち回れたとしても、それはそっくりそのまま、己が本当に手にしたいこと、真摯に学んで身に付けたいことにまで、己の性質としてそれが直截に反映されてしまうのである。
 ただ単に、その場だけの勝利や優位性ばかりを追求するような、自分本位な姿勢からは、深遠な武藝術理の奥妙などは到底理解されるわけもなく、その根源を修得できるはずもない。

 そして、その「ひとつであること」を大切に養い、誠実に育んでいく姿勢は、陳中尉や宗少尉たち、命を懸けて戦場に赴く立場にある者たちが、使命を果たしつつ、必ず無事に帰還することの出来る方法として選んだ「戦い方」の根本に貫かれている姿勢でもあった。


「あはは・・またしても、先輩ぶって偉そうなことを言ってしまいましたね・・・」

「・・・いいえ、ありがとうございます。
 自分は、実際の戦闘と、戦闘の為になされるべき訓練を、全く同じものだと誤解していたようです。ケンカ三昧の中で運良く勝ち続けて、すっかり良い気になっていたようです。せっかく王老師に教えを受けているのに、恥ずかしいことです」

「いや、私にも覚えがあります・・・最初は誰もそう思いますよ。相手を叩きのめせなければ強くなったことが実感できないと思って、ムキになってしまうのです。
 しかし、実際の戦場で生き残るには、正しい学習体系に合った正しい稽古をするしかない。それは勝つための稽古ではなく、確実に相手を制して生き残れるような、そんな高度な原理を、実際に身に付けるための稽古なのです。
 相互に傷つけ合うことによって確認するのではなく、相手を尊重して労(いたわ)り、互いにその高度な原理をきちんと学び合えるような稽古こそ、真の戦力を養ってくれる唯一のものです。この両者の闘いも然り・・・・どのような場合に於いても、武藝の訓練とはそうあるべきものだと、私は思っています」

「・・・それでいて、実際の戦場で闘えば、その成果が如何なく発揮されるのだから、本物の武術の訓練体系とは、本当に凄いものですね」

「そう、単にひたすら殴り合う稽古をしていても、戦場では何の役にも立ちません。
 まるで逆説のように思えますが、実際に命懸けの戦闘に役立つ稽古というのは、むしろ外見は柔弱に見えるもので、そのような学習方法を知らぬ者から見れば、呆れるほど頼りなく思えてしまうものです」

「こんなヤワな事をしていて、本当に闘えるようになるのだろうか、と・・・?」

「・・そのとおり! もっと激しく打ち合う訓練をしなければ、実戦には使えないと思えてしまう。しかし、それでは “本物” を学んできた人と向かい合ったときには、瞬時にやられてしまいます。貧しい学習体系の中で、闘志や体力ばかりを強くしてもどうにもならない・・本物の武術の訓練は、非常にレベルが高いのです」

「ああ、自分は、もっともっと勉強しなくては・・・・
 宗さんが危うくなっているのを見て、いつの間にか、何とか勝たせたいという判官びいきのような気持ちが強く出てきて、これが学習であり、レッキとした訓練なのだということが何処かへ行ってしまいました」

「ははは・・・・まあ、イヤでも理解していくようになりますよ。
 要は、そのような訓練を持つ学習体系と巡り会えるかどうか、という事に尽きます。そして、幸いにしてそれと出会えたら、もう、半分は自分のものになったようなものです。それと出会えるということ自体が、その人自身の器量だと言えますからね」

「そう言って頂けると、少し救われるような気がしますが・・・・」

「宗少尉も、いま、此処で学んでいるのですよ。
 それが優勢であれ、劣勢であれ、必ずそこから学ぶということ・・・・
 ほら、ご覧なさい! 少尉の動きに、少し変化が出てきましたよ!!」


 ・・・見れば、宗少尉は、相手が躱(かわ)そうとするところに、さらに追撃を仕掛けている。円圏の渦に揉まれ、躱されただけでも身体がどこかへ崩れてしまいそうになるのに、それを何とか押し留めて、相手がクルリと翻った方へ、次の攻撃を繋いでいるのだ。
 つい先ほどまでは不可能と思えたそんな動きが、わずかな時間の間にそれを可能にして、何とか自分の劣勢を挽回しようとしている・・・・

「あんな風に、戦いながら学習を高めていくことは大変なことなのですが、宗少尉は、これまでの時間を無駄にせず、必死に相手の動きを学ぶことに使ったのでしょう。
 ・・まあ、黄くんの八卦掌には敵わぬまでも、そうむざむざとヤラれてしまう人でもないですからね・・・」

「では、やっぱり、あの相手には歯が立たないと・・・?」
 
「・・そう、よほどの “気付き” がない限り、この一戦では相手が優勢でしょう」

「気付き・・・・・?」

「・・そう、戦闘では、瞬間瞬間に “気付いていくこと” が、とても重要です」

「・・・・・・・」


 陳中尉が言ったとおり、宗少尉の動きが変わった途端に、相手の動きもそれにつれてさらなる変化を見せた。
 これまでは、その激しい少林拳の攻撃を流水のように身を躱し、旋転して背面を取っていたのだが、そうして宗少尉の攻撃を躱したところへ、さらに体当たりや、予測の付けにくい背面打ちなどで迫ってくるので、相手はその流水の渦を更に小さく、急激なものにして、少尉の反撃をし難くさせている。

 そして・・・・

「スタァーーーーーン!!」

 またしても・・・宗少尉は拳を突いていった途端にその技を無効にされ、それと同時に綺麗に足を払われ、大きく宙を舞ってマットに叩き付けられていた。

「あ、ああ・・・・・・!」

「いやぁ、見事ですね・・・まさに、あれが八卦掌の怖ろしいところです。
 一見柔らかく、サラサラと躱しているだけの円やかな動きに思えるので、つい此方はだんだん強く力みながら、それを追いかけさせられてしまう・・・・
 ところが、それは罠のようなもので、八卦掌と戦う相手は、周到に用意されたそのようなワナに、突然陥ってしまうのです」

 しかし、何という、不思議な歩法だろうか・・・・

 八卦掌には、「走圏(そうけん)」という、円の中心に向きながら、ひたすら円周線上を歩く基本功がある。素人はそれを見て、実戦でも相手の周りをグルグルと回りながら攻防を行うのだと勘違いしてしまうが、そうではなく、実はそれによって八卦掌独自の身体の “在り方” を練っている。歩法が、単なる“歩き方”ではないことが、これを見ているとありありと分かる。
 そして戦闘法とは、どのような武術に於いても、ただひたすらそのような高度な身体の在り方を練ることによってのみ、成り立つものであった。

 それが、これ迄どうあっても敵わぬ相手であったという宗少尉を超えるための修練や工夫であったのかは分からないが・・・・この黄という男は、そのような八卦掌の在り方、つまり繊細な身体構造を、かなりのレベルでマスターしていると思える。
 普通、人は右から左に身体を向け変えるときには、右足に重心を移して左に向き直さなくてはならないが、この相手は、いま右を向いていたかと思うと、もう左に向かっているし、激しい少林拳の攻撃を左に避けたかと思えば、次の瞬間には右の背中側に回っているのだ・・その自在な動きは、宏隆にはほとんど信じられないほどの、普通ではまったく有り得ないような不思議な動きに思えた。

 ・・・・倒されても、直ぐに立ち上がりはするが、もう、すでに、宗少尉の息は上がってきている。そしてその相手・・・八卦掌を遣う、武漢班のナンバーワンと呼ばれる男は、と言えば、その息遣いは間近に耳を欹(そばだ)てても計れず、スサッ、ササッ、と早足で動いているその足音さえ、まったく聞こえてこない。

「こうなったらもう、宗さんの勝ち目など、ほぼ無いに等しいかもしれない・・・」

 宏隆は、自分が次に戦う相手となることも忘れて、いつのまにか勝って欲しいと応援していた宗少尉に、そんなことを思い始めていたが・・・・・

「・・・・ああっ!!」

 宏隆は、思わずリングに張られたロープを握り締めて叫んでいた。
 相手の八卦掌が、ついに攻撃に転じ始めたのである。

 それまでずっと、宗少尉の猛攻に対してひたすら守勢に回り、少尉の間合いや攻撃の速さ、タイミングなどを慎重に計っていた相手は、少尉が自らの攻撃に疲れ、動きにやや衰えが見え始めたところを狙って、ついに反撃を開始したのだ。

 それも、宗少尉が相手を狙って攻めてくる、その同じ瞬間に、少尉が上を攻めれば下を、右を攻めれば左を、というように、交差するように反撃を返し、その返し方がすべて立体的な円圏の動きから出ているので、ほとんど予測がつかない・・・・

 幾たびか・・・少尉の腹や背中、首の辺りにもその反撃が入り、それが効く度に苦悶する表情になる。それは、少しばかり小突かれるような、見ていてそれほど強くは思えない打撃ではあるが、それが度重なるにつれ、少尉の動きが少しずつ鈍くなってきているような気がする・・・・

 そして、円圏を自由に空間に描いたような、その見事な反撃は、やがて足技にまで至りはじめている・・・まるで燕が低く飛ぶような恰好で、スゥーッとマットに座るように下がり、同時に宗少尉の脛(すね)の内側や、大腿骨の上の辺りに、その低い蹴りが、ピシリ、ピシリと、的確に入る・・・・
 軽い蹴りなので倒れはしないが、見た目よりもダメージは大きいようで、それを喰らった宗少尉は蹌踉(よろ)けて攻撃の機会を失うか、しばらくは足を重く引きずるようにせざるを得ない。

 そして・・・・

 ついに、相手はその勢いに乗って決定打となる一撃を打とうとしているのか、その男の表情がより厳しくなり、動きもまた、より速くなったように思えた、その時・・・


「・・・・ハァッ!!」
 
「ズダァーーーーン!!」

「グァッッッ・・・・・・!!」


 その時、そこに居合わせた誰もが、目の前で起こったことに、「ああっ!!」と、大きく目を見張った・・・・・

 ヒラリと、宗少尉が旋転したかと思うと、両手の掌で打った打撃が、そのまま見事に相手のわき腹を捉え、相手は身体が拗(ねじ)れたような恰好で、そのまま大きく宙に舞い、まるでマットの上で魚が跳ねるような恰好で、向こうの端まで転がって行ったのである。
 ズダーン、という大きな音は、少尉が掌打を放つ際に、前足で強(したた)かにマットを震脚したことによるものであった。

「・・・よしっ、見事! そこまでっ・・・・・!!」

 これまでにない大きな拍手と歓声が、見物している兵士たちから起こった。

「・・・い、いま、いったい何をしたんだ・・・・?」

 ・・・何がどうなっているのだか、宏隆にはほとんど分からない。
 何しろ、こんな戦い方も、これらの技法も、生まれて初めて目にするものばかりだ。
 目を大きく見開いたまま、驚きを隠せない宏隆に向かって、まだ肩で息をしている宗少尉が、渡されたタオルで汗を拭いながら、爽やかな微笑みを向ける。

「・・この技が不思議なの? これは南少林拳の “胡蝶掌” という技・・・」

「南少林拳・・? コチョウ・・ショウ・・・・」

「・・そう、福建省に南少林寺が在ったという伝説がありますが、その南少林拳を源流とする武術は南派とか南拳などと呼ばれていて、詠春拳や白鶴拳、洪家拳のように、非常に強力な拳法が多いのです。
 胡蝶掌はその南拳の絶技のひとつで、蝶のように舞って相手を打つので、その名が付けられたのでしょう。宗くんは、南派少林拳も勉強したのですね・・・・」

 ・・・陳中尉が、宗さんに代わって説明をしてくれる。

 確かにあの瞬間、宗少尉は、まるで蝶のようにヒラリと舞っていた・・・
 宗少尉の攻撃に対して相手が渦を巻くように旋転して反撃に出た瞬間、まるでそんな相手のお株を奪うように、足を交差させ、両手を大きく回しながら自分も旋転し、さらに足を違う方向に交差させながら前に出て、相手がまったく防御できず、逃げられないところに入って、両掌で腹と胸を同時に打ったのである。
 相手は、もともと身体を旋転して捻っていたところを強かに打たれて倒されながら、まるで自分でその拗(ねじ)れを戻すように、マットの上を転げ回ることになった。

「見事な極め技でした・・・あの胡蝶掌が決まるまで、宗少尉はわざと少林拳の直線的な技法ばかりを使っていたのでしょう・・・」

 陳中尉が、つくづく感心したような声で、そう言う。

「・・そして、対する黄くんは、それを八卦掌の円圏の動きで制しながら、蛇が獲物に巻き付くように、徐々にジワジワと宗少尉を追い詰めていった・・・
 ところが、追い詰められたと誰もが思えたその状態は、確かに黄くんの優勢だったのですが、宗少尉が最後まで自分の円圏の動きを隠していた故だったのです。
 手も足も出ないようにして追い詰めて、いよいよ止めを刺そうとした途端、突然に宗少尉が、それまでに片鱗も無かった強い円圏の動きをして、まるで黄くんの裏側を取るように入っていった・・・それも、胡蝶掌という、それまで誰にも見せたことのない技法でね・・・これはたまらない、この私でも打たれていたかもしれません・・・・」

 そんなことを、あの苦しそうな劣勢の戦いの中で考えていたとは・・・
 宏隆は、これまでやってきた自分のケンカ三昧など多寡が知れている、と思えた。
 本物の武術をやっている人、本物の戦場に行くための訓練を積んでいる人達は、まずその「戦い」というものに対する考え方からして、まったく違っているのだ。


「・・さあ、ヒロタカ、今度は、あなたの番よ・・・・」

 ニコリと、微笑みながらそう言う、宗少尉の目の奥が妖しく光っている・・・


                                 (つづく)



taka_kasuga at 23:55コメント(6)連載小説:龍の道 | *第31回 〜 第40回 

コメント一覧

1. Posted by ブログ編集室   2009年12月19日 00:14
☆皆さま

本日、事務局が多忙のため、「龍の道」の掲載時間が大変遅くなってしまいました。
愛読者の皆さまには、大変お待たせ致しましたことを深くお詫び申し上げます。
 
2. Posted by のら   2009年12月25日 16:32
宗少尉が闘っているシーンを読んで、私も宏隆さんと同じ気持ちになりました。
ああ、勝って欲しいな! 宗さん、そこで負けるな、ガンバレ! ・・と。
しかし、宏隆さんが中尉から諭されたことで、自分もハッとしました。
・・ああ、そうだ、コレは稽古なのだと、これは優劣を争っているのではなく、白黒を付けるのではなく、自分自身がどれほど武術を理解しているか、何を修得したかがお互いに試されている、その意味に於いてこその「試し合い」なのだと。

武藝館の門人である自分たちも、日々道場で武術の稽古をしているのだけれど、それは決して生死を懸けて戦いにいく兵士としての稽古ではありません。それはそれで当たり前かも知れません。
しかし、この小説に登場する、国家や民族を護ろうとする秘密結社や軍隊の訓練を自分たちの稽古と照らして考えると、やはり自分たちにはとんでもなく「甘え」がある。それはもっと、武術として同じ質、同じ厳しさを持つものでなくてはならないのだと、あらためて思いました。

宏隆さんの活躍を読んでいると、つい彼が自分たちと同じ武藝館の門人であるような錯覚をしてしまいますが、反対に、私自身も小説の中に飛び込んで、宏隆さんと一緒にいろいろな体験や勉強をさせてもらっているように思えてなりません。

今年一年、この連載を愛読しながら、とてもリアルに、ワクワクしながら本当にいろいろな勉強をさせていただきました。ありがとうございました。
春日さんには、来年も変わらぬご健筆を心より願っております。
 
3. Posted by tetsu   2009年12月31日 00:42
宗さんの闘いぶりも見事ですが、その合間合間に語られる陳中尉の言葉の重みを感じますね。
この小説では単にドタバタのカンフー劇を描いているのではなく、武術とは?生き方とは?ということを実感させられます。
また武術を学ぶ我々にとっても、その心の持ち方や向き合い方を常に考えさせられます。
私にとってはこの小説を読むことも稽古のうちに入っていますね。
来年からの展開も楽しみにしております。いよいよ宏隆君が宗少尉と闘うのですか・・・?
う〜む・・・本当にどきどきワクワクしてきました。
 
4. Posted by とび猿   2009年12月31日 01:08
これまた凄い試合ですね。
最後の最後にこのようなことになろうとは・・・
今までの全てが伏線だったとは、全く気が付きませんでした。
今まで圧倒的に上手だった宗少尉にここまで迫る黄さんも凄いのですが、
さらにそれをも上回る宗少尉の戦略に、思わず息を呑みました。


>相手がまったく防御できず、逃げられないところに入って

この試合の中で幾度か出てきましたが、円圏の動きとは、何と恐ろしく、圧倒的なのでしょうか。
師父との対練や散手を体験させて頂いたり拝見したりすると、いつもその圧倒的な関係が、
美しく、感動的で、そして、なんとも恐ろしく感じます。


この「龍の道」は、毎回、とても勉強になります。
春日さん、本年中はまことにありがとうございました。
来年の更なる御活躍と御健勝を心より御祈念申し上げます。
 
5. Posted by トヨ   2009年12月31日 03:35
稽古中に師父が八卦掌の動きを示してくださったことがありますけど、
ただ歩いているだけなのに、相手がどんどんと追い詰められていき、恐ろしいものだと思いました。

>まずその「戦い」というものに対する考え方からして、まったく違っているのだ。
tetsuさんも仰ってますが、本当の戦いの場を知らない自分にとってもこの小説を読み、知らない世界を知ることは稽古の一部だと感じます。
もちろん、読み物としても大変楽しませてもらっていますけれど!

来年もまた楽しみにしています。
 
6. Posted by まっつ   2009年12月31日 20:43
うーん、良い意味で全く予想を裏切られる展開でした。
ヒロインなのに負けちゃうんだ・・・と、
前回までの印象では、この実力差では宗少尉の勝ちの目は無いと思われましたが、
このような乾坤一擲の奥の手を秘めていたとは吃驚仰天です。
当に「兵は欺道なり」ですね。
つくづく武術の実力とは人間としての総合力なのだと感得されました。

鎬を削り合う一瞬一刻の戦闘の最中で、
自分を丸ごと投げ込んで試せる宗少尉の姿勢こそが、
この勝機を呼び込めた因(よすが)なのだと思います。
誰にとっても生き抜いていく事の厳しいこの世界で、
生き残れる力とは何かを象徴していると感じました。

小説「龍の道」も本年は最終稿になるのですね・・・
凜とした世界観の中で綴られる人間のドラマ、実に楽しませて頂きました。
1年間ありがとうございました。
来年もどんどん成長するだろう宏隆君の活躍を期待しながら、
自分も負けずに精進しないといけないなと感じています。

さぁ、どーなるんだ次回!(C)
来年も期待してます!

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