2009年11月14日
資料映像#15「陳清萍の忽雷架 その6」
陳氏太極拳第15世陳清萍伝
楊虎系「忽雷架」 徐紀(Adam Hsu Ji)老師
徐紀老師は、1941年・上海生まれ。1949年に家族と共に台湾に移住。
徐紀氏が主宰する「止戈武塾」の公式ホームページによれば、徐紀氏が就いた中国武術
の師は八名、学んだ拳種は十数種類にも上る。
ここでご紹介する忽雷架は、「資料映像#6」の陳慶雷や「資料映像#13」の王晉讓と
同じ、陳名標の系統を伝承する杜毓澤(と・いくたく)より、徐紀氏が学んだ忽雷架で
ある。
杜毓澤へ陳氏太極拳が伝わった経緯は、当時「河南都督府秘書長」であった杜毓澤の父、
杜厳(と・げん)の要請で、陳家溝の隣村である清化鎮杜府に、当時七十余歳であった
陳氏第16世・陳延熙(ちん・えんき)が招かれ、息子の杜毓澤に陳氏太極拳老架式を学
ばせた事によるとされる。
また、陳延熙が高齢であった為、杜毓澤は後に、陳延熙の甥で楊虎の弟子である陳名標
に就いて忽雷架を学んだという。
楊虎系「忽雷架」 徐紀(Adam Hsu Ji)老師
徐紀老師は、1941年・上海生まれ。1949年に家族と共に台湾に移住。
徐紀氏が主宰する「止戈武塾」の公式ホームページによれば、徐紀氏が就いた中国武術
の師は八名、学んだ拳種は十数種類にも上る。
ここでご紹介する忽雷架は、「資料映像#6」の陳慶雷や「資料映像#13」の王晉讓と
同じ、陳名標の系統を伝承する杜毓澤(と・いくたく)より、徐紀氏が学んだ忽雷架で
ある。
杜毓澤へ陳氏太極拳が伝わった経緯は、当時「河南都督府秘書長」であった杜毓澤の父、
杜厳(と・げん)の要請で、陳家溝の隣村である清化鎮杜府に、当時七十余歳であった
陳氏第16世・陳延熙(ちん・えんき)が招かれ、息子の杜毓澤に陳氏太極拳老架式を学
ばせた事によるとされる。
また、陳延熙が高齢であった為、杜毓澤は後に、陳延熙の甥で楊虎の弟子である陳名標
に就いて忽雷架を学んだという。
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