2009年08月04日

練拳 Diary #19 「腰相撲(こしずもう) その1」

 私たちが稽古する重要な練功のひとつに、「腰相撲」というものがあります。
 「腰相撲」とは、馬歩や弓歩などの様々な架式で立っているところを、ひとりから複数の人に腰を押してもらうというものです。

 この練功が、何ゆえに重要であるとされているのかといえば、他の練功と同様に武術的な身体が作られるのはもちろんですが、その最も大きな理由は、腰相撲が太極拳のチカラである「太極勁」を理解し、訓練していくためのものであるからに他なりません。

 太極武藝館で学ぶ門人は、誰でも「勁」という太極拳独特のチカラについて分かりやすく説明され、実際にその「勁」を身体で受けて、一般日常的な「拙力」との違いを明確に分けて理解することができ、さらに各自のレベルに応じて、勁が生じる、勁を用いる、勁を発する、などといったプロセスを実感することが、その学習体系によって可能となっています。

 そして腰相撲は、「太極勁」の中でも特に「腰勁」についてたいへん理解し易い練功法となっており、その習得のために、立ってそれを行うもの、座って行うもの、ぶら下がって足を着けずに行うもの等々、実に様々な方法を用いて、段階的に詳しい指導が行われています。


 最もオーソドックスな腰相撲は、足を前後に開いて弓歩の架式を取り、前方からゆっくりと腰を押してもらうもので、ここでは、自分の取った架式が正しいものであったかどうかをきちんと確認することが出来ます。

 よく注意されるポイントは、最初に取った架式を崩さないことです。
 まだ架式そのものが理解できていないレベルでは、押された力に対し、それに”対抗する”という事から始めてしまうことが往々にしてあり、その結果、前足の膝を大きく前に出して重心を落としたり、後ろの膝を曲げて大腿の前面・側面の筋群などを支えとして用い、相手の力をすべてそこで受けようとする事などが見受けられます。
 一般的に見て、力に対抗できるのはそれに勝る大きな力ですが、そのような考え方では「勁力」を習得するための訓練にならないことは明らかです。
 高度な武術の訓練が「站椿」から始められるという事実を見ても、それが決して力の出し方の工夫や追求ではなく、「心身がどのように在るか」ということへの追求によってこそ、非日常的なチカラである「勁力」が、ようやく理解できるのだと思えます。

 実際に、正しい架式で立つことが整っていれば、足の突っ張りなどで頑張って耐える必要もなく、相手がある一定の力以上では押せなくなってしまうことに気が付きます。
 お互いに「弓歩」という同じ条件で立ち、相手の方が大きな歩幅と低い姿勢で押して来るのに対し、こちらは踏ん張るわけでもなければ、相手にも寄り掛かるわけでもなく、稽古で指導される「立ち方」の要求をひたすら守っているだけで、相手が「押せない」状態になってしまいます。
 そして、正にそれこそが「腰相撲」を使って理解されるべき第一のポイントであり、一般日常の「力」に対する考え方をくつがえす最初のきっかけになります。

 これは理解のための練功ですから、当然のことながら、押す側にも押す力がきちんと相手に伝わるように、正しい姿勢で行われることが要求されます。
 入門したばかりの初心者に、「蛮力でも、拙力でも、後ろ足の蹴りでも、何でもいいから相手を押して、動かしてみなさい」と言うと、大抵の場合、歩幅を大きく取り、足腰を固めて、おもむろに両手を相手の腰にピタッと密着させ、そこから一気に自分の全体重を掛けようとして、前足の膝を抜きながらドォーッと押してきます。ボディビルや腕立て伏せ、スクワットなどの筋トレをたっぷりと訓練して来た人には、そのような傾向が見られます。
 しかし、正しい立ち方や歩き方の基本を教わってきた人であれば、その姿勢を見ただけで、たとえどれほど強い力であろうと、それを前方に伝えるには大変効率が悪い格好であることが明らかに見て取れます。正しく立っている相手には、拙力の馬力だけではどうにも太刀打ち出来ないことが押す以前から分かるのです。

 そして、力を正しく前に伝えることの出来る姿勢できちんと押してくる相手に対しても、自分の姿勢を崩したり、無理に耐える必要が全く無いのであれば、そこには、正しい架式によって生じたチカラ=勁力が働いていると言えます。
 それはひたすら、始めに立ったところから弓歩の架式を取るに至るまでの過程が、正しい意識と要求に沿って導かれたものであったということになります。
 それが可能になると、相手に精一杯力強く押されている最中でも、前足を軽くヒョイと上げて片足で立てたり、そのままで後ろの踵をトントンと上げることもできます。
 前でも後ろでも、足を上げる際には少しも身体が振れることなく、相手の方に寄り掛かることもないまま、身体を自在に動かすことが出来るのです。
 実際、師父などは多人数で押していても、片足で立ったまま先頭の人の体を前足であちこち蹴って見せてくれます。

 反対に、押される力に抵抗して耐えなくてはならない状態では、まず押された力を後ろ足の踏ん張りで耐えようとしてしまい、身体は力んで固く不自由なものとなり、前足を上げようとしただけであっと言う間に架式が崩れ、軽い力でも簡単に押されてしまいます。
 そんな時には、門人の誰もが、架式の精度や、站椿で養われるものの重要性を改めて感じさせられます。


 ・・さて、強い力で押されても、その場で変わらず立っていることが出来、なおかつ姿勢を崩さずに身体を動かせることが確認できたら、そこから相手を返していきます。

 私たちの稽古する「腰相撲」が、他所で見られるものと比較してユニークに思えるのは、相手に十分押させたところから、反対にそれを返していくことでしょうか。
 返し方は、弾き飛ばすものもあれば、歩いて前に出て行くもの、その場で崩し倒すもの、架式を変えたものなど、方法は様々ですが、いずれにしても、強く押されても何も変わらずに立っていられることと、そこから返せることは、同じ「勁力」の働きであるという考え方から始まっています。
 よって、たとえ押されずに立っていることが出来ても、その「押されないこと」が何によって成立しているのかが大切なことであり、それを確認する意味でも、そこから更に相手に正しく返せることが稽古として要求されているわけです。
 
 また、返すと言っても腰のアオリで入力したり、前の下方向への落下を利用するような、そこに存在した体軸が崩れてしまうようなことを行うのではなく、あくまでも初めの姿勢を崩さず、基本功の動きによって相手がその場に立っていられなくなり、結果として返すことが出来る、ということが大切です。
 姿勢を崩して受け止め、更に崩れて前方に押し返そうとしても、正しい稽古を積んだ相手は、そう簡単には崩れてくれません。その場合は反対に、自分の方が後ろに吹っ飛ばされてしまいます。

 返される側の感覚は、力強く押していった接点が強く押し返されるものではなく、むしろ押している感覚は何も変わらず、まるでパラシュートを着けて立っている人が突風に吹かれたように、突然、後ろから頭部や腰の辺りを、急激に後方の上に引っ張り上げられたような感じで吹っ飛ばされます。
 それは、人数が二人、三人と増えた場合にも同様のことが起こり、先頭で直接押している人から最後尾の人まで、ほとんど同時に、浮かされるようにして飛ばされて行きます。

 師父や上級者の腰相撲を見ると、これ以上強い力は出せないと思えるほど強力に押してきた相手に対して、それに対抗して強く押し返そうとするような動きは全く見られません。
 試みに、腰相撲の最中に、押されている人の真横から、押している相手の姿だけを隠すようにしてその動きを見てみると、まさに普段の基本功や套路そのものの動きがそこに在り、基本功と対練が種類の異なるものではなく、いずれも「太極勁」を理解して練り上げていくために編み出された重要なものであることがつくづく実感されます。
 
 今では、ほとんどの門人が腰相撲で相手を軽々と返すことが出来ますが、師父は、大きく飛ばし返せるかどうかが問題ではない、と言われます。
 また、どんなに小さくても勁力は勁力であり、反対にそれがどれほど影響力が大きくとも、拙力は拙力に過ぎないと言われます。
 大切なことは、その場での相手への影響力の大小ではなく、自分自身に「勁力」というものが理解できる稽古になったかどうかであって、そのために自分がどのように立ち、どのように受け、どのように返したかが問われているわけです。

 なお、この練功法は、太極武藝館のホームページの中の「太極拳を科学する」にも詳しく解説されておりますので、そちらも是非ご参照下さい。

                                  (了)
    




        

   *1対1の腰相撲です。押される側の重心の移動や、前方への落下が全く見られません。
    相手が空中でひどくバランスを崩していることが分かります。
    初めの一歩で飛ばされる距離は3メートルほどで、
    その後、相手は足が地面に着き難いまま後ろ向きに走り、反対側の壁に激突します。




        

   *上から順に、押されたところ、前足を上げたところ、返した後の写真となります。
    写真では判りにくいのですが、前足を上げた時にも、相手は顔が赤くなるほど、
    精一杯強く押し続けています。
    また、ここでは足を上げた事による相手への寄り掛かりが見られません。




          

   *男性が3人掛かりで、1人の女性門人を押している写真です。
    男性の体重合計は210キロ、押されている女性の体重は50キロに満たないものです。
    押す側は、姿勢に注意しながら真っ直ぐに、そして最大限の力で押していきます。




          

   *同じ女性門人による、腰相撲の四人掛けです。
    人数が増えても、押される側の姿勢が何も変わっていないことが分かります。

xuanhua at 12:57コメント(6)練拳 Diary | *#11〜#20 

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2009年08月05日 01:04
テーマは「腰相撲」ですか・・・!
武藝館では、最も基本的な対練の一つですね!

振り返れば、当初はこんなヒョロっと立ったような形で、
押せない/押されない訳が無いと疑っていましたね(遠い目)。

でも、本当に、心底押せないのだという経験を得て、
「何か」があるのだという納得が腹に落ちたものです。

なんとも不思議な練功で、
上手くいく時ほど、何もしている気がしなくて、
戸惑いを覚える事しばしでした(今も)。

さて、小生のような迷える仔羊にも、
理解を促して頂ける「シリーズ腰相撲」の今後、
大いに楽しみにしております!
 
2. Posted by トヨ   2009年08月05日 12:38
稽古のたびに、整った架式から生じるチカラに驚かされます。
大きい小さいではなく、正しい在り方によって生じるチカラなので、
そのたたずまいには美しささえ感じます。

ただ、チカラはチカラなので…
迂闊に近寄ると怪我しますね(笑)
 
3. Posted by tetsu   2009年08月05日 21:27
この練功は大変勉強になります。
私より背の低い、体重も軽い女性を押してもビクともしません。
その上反対側の壁まで吹き飛ばされます。
逆に私が脚でどんなに踏ん張っても軽く崩されます。
しかし、師父にちょっと手直しされると「あら、不思議!」相手のチカラを感じず、
逆に相手を飛ばしたりもできます。
いかに「正しく在るべきか」「正しい架式がとれているか」なんですね。
 
4. Posted by ほぁほーし   2009年08月06日 20:59
☆まっつさん

日常の、力対力の発想になっていると、一見、押せそうな気がしてしまいます。
やはり、押す側でも、押される側でも、自分で納得できることが一番ですね。

まっつさんの仰る、”上手くいく時ほど、何もしている気がしない”というのは、
恐らく、部分的な調整ではなくて、「全体」が整えられていたからではないでしょうか。
その感覚は、自分の在り方を整えていく上で、重要な鍵になると思います。

今後をお楽しみに!

5. Posted by ほぁほーし   2009年08月06日 21:02
☆トヨさん

>そのたたずまいには美しささえ感じます。
確かに、そうですね。
架式が整えられていく様子は、たとえば大自然の中の大樹を目の前にしたときと、
同じ美しさが感じられます。
考えてみれば、自然界に存在するものは全て、無駄が無く、不足も無く、
そこにはすでに、チカラが生じているように思います。

6. Posted by ほぁほーし   2009年08月06日 21:05
☆Tetsuさん

腰相撲はシンプルですが、奥が深いですね。
チカラの出し方ではなく、心身の在り方が追求されるからこそ、
筋力の少ない小柄な女性でも、可能になるのだと思います。

毎回の稽古で、僅かな手直しで状況が一変するところを見たり、体験したりすると、
何か特別な技術が必要なのではないのだと、つくづく感じさせられます。

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