2009年06月24日

歩々是道場 「甲高と扁平足 その3」

                     by のら (一般・武藝クラス所属)


 そも、ヒトが直立して二足歩行をするようになったのは、気の遠くなるような昔・・・今から370万年も前のことなのだそうだ。
 1976年に発見された有名なタンザニアのラエトリ遺跡には、その証拠である2列の足跡が残っており、精巧な模型がタンザニアの国立博物館に展示されている。それは人類の最も古い足跡ということになるが、最近の研究では、それよりさらに200万年も前から、すでに人類の二足歩行が行われていたとする説もある。

 また、今年の2月27日に、約150万年前のものと見られる原人の足跡の化石がケニア北部の地層で発見されたと、アメリカの科学専門誌「Science」が発表した。
 その全ての足跡は現在の人間のように母趾が他の指と並行になっており、木の枝を掴む必要のあった類人猿のように母趾が他の指と大きく離れているものとは全く異なっている。
 発見された化石は二足歩行に関わりがある特徴のあるもので、まず「土踏まず」の構造が見られ、今の人類と同じように指が短く、踵から母趾球、母趾へと体重を移動させる特徴的な歩き方をしている。つまり、この原人の足の構造は基本的に現生人類と同じであり、彼らは現在の私たちと同じ歩き方をしていたことになる。

 では、ヒトは一体いつから「靴」を履くようになったのだろうか?
 私にとって、それは人類が二足歩行で歩き始めた時よりも遥かに気になっていたことなのだが、それが推定三万年前のコトだと判って、飛び上がるほど驚いた。私の感覚では、人類学的には未だつい最近の、精々がエジプト時代ぐらいの話だと思っていたのである。
 しかし、昨年7月に出た「National Geographic News」に、人類は四万年前から靴を履いていたことがワシントン大学の人類学者、エリック博士(Dr. Erik Trinkaus, PhD.)の新しい研究で明らかになった、と書かれているのを見つけて、なお驚かされた。
 一体どうして、化石を見ただけで靴を履いていたかどうかが判るのだろうかと不思議でならなかったが、もちろん四万年前の人間が履いていた”靴の化石”が発見されたというわけではない。
 エリック博士の研究によれば、靴を履いている人々と裸足で暮らしている人々を比べると、前足部の中節骨(足先から二つ目の骨)のサイズと強度に大きな差異が認められ、その部分に掛かる力は履物を用いると軽減され、靴を履き続けていると骨の構造自体が弱くなるのだそうだ。その発見された化石は、裸足の化石に比べて中足骨が小さく華奢(きゃしゃ)になっているので、履物を履いていたことが判る、ということなのである。

 歴史上確認できる「靴」の歴史は、紀元前二千年頃のエジプトで履かれていた、シュロの葉や動物の皮で作られたサンダルである。それは貴族たちのためのもので、一般人や奴隷はそれまで通りの裸足のままだった。王家の人たちは、そのサンダルに更に宝石などの装飾を煌びやかに施して履いたという。
 B.C.1000年頃には、現在のトルコの辺りに在ったヒッタイト帝国に於いて、『爪先が反り返り、踵が高い、長めの靴』が履かれたという記録がある。
 ヒッタイトというのはヒッタイどういう人たちか(笑)・・というと、彼らは人類で最初に鉄の製法を発明した民族であり、バビロニアを滅ぼしラムセス2世のエジプトを撃退したというスゴイ王国で、彼らだけが知るその鉄の製法は、帝国が滅びるまでの間、トップシークレットとして厳重に秘密にされた。

 B.C.500年頃のギリシャ時代には山岳民族がモカシンのようなブーツを履いていたが、B.C.100年頃のローマではすでに街に靴屋が軒を並べ、靴屋の組合まで存在していた。
 ローマの女性たちは皆、素足にサンダルを履き、男性市民は一枚皮のモカシンの靴を履いていた。皇帝はムレウスという名の特別なスリッパを履き、裁判官は赤い靴を履いたという。
 貴族や兵士は革のサンダルを履き、シーザーは兵士のサンダルの底に「進軍」「ローマ万歳」などと鋲で文字を書かせ、その足跡を遺すことで他国を威嚇したというから面白い。
 しかしまあ、21世紀の現在になっても、靴底に「NIKE」とか「adidas」なんて彫ってあるんだから、人間のやることは何千年経ってもあまり変わらないのかもしれない。

 日本では、四世紀頃の古墳時代に、藤の繊維で織られた布の靴が履かれていた。
 八世紀から九世紀の奈良平安の頃には、宮中では内側に絹を張った烏皮沓(くりかわのくつ・黒塗りの牛革製)を履き、一般人もだんだん裸足から草履やワラジを履くようになってくる。また、兵士は皮の短靴や半長靴を履いており、靴底にはグリップを良くするために漆に砂粒を混ぜて滑り止めとしていた。
 鎌倉時代後期の「蒙古襲来」の絵にある軍人の靴を見ると、まるでマガサスさんが此処に書いた「内聯昇」の革靴とそっくりで、もちろんヒールなんぞはどこにも見当たらない。
 初めに履かれた靴は、藁で編んだ淺沓、或いは短沓型のものであったのだろう。徐々にそれが日本の風土に合わせて、私たちの良く知る草鞋や草履になってきたのだと思える。
 そして、とても画期的なのは、その藁沓を底だけにして「鼻緒」を付けた、ということである。履物に鼻緒を付けるという発想は、アジアと西洋の大きな違いであろう。

 鎌倉時代には、足半(あしなか)という草鞋が、一般人から上級武士に至るまで履物として愛用された。足半というのは、履くとカカトがすっかり出てしまう、文字通り半分サイズのワラジのことである。「信長公記」の刀根山合戦の逸話には、信長が自分の腰に提げていた足半を兼松又四郎に下賜する場面が出てくるから、信長も足半を使っていたということになる。因みにこの時の足半はその後兼松家の家宝となり、昭和43年に名古屋の秀吉清正記念館に寄贈されて話題になった。

 足半が面白いのは、カカトが無いこと、つまりヒールどころか、カカト自体が無いことにある。これは原材料のワラを節約したわけではない。こんな履物は、欧米人には考えも着かないことであろう。
 この足半は、かつて研究用に外門の友人であるタイ爺さんが太極武藝館に送って下さったことがあり、終いには門人全員の分までお願いして、稽古や研究に用いることができた。
 今でも稽古で確認に使われることがあり、稽古前に足半を履いてせっせと歩いている門人をよく見かける。そうすればきっと何かが理解しやすいのであろうと思う。
 足半をご紹介下さったタイ爺さんには大感謝である。


 さて、靴に「ヒール」が付けられるようになったのは、何時のことなのだろうか?
 ハイヒールを履けば、もう、必ずと言って良いほど「外反母趾」になることは良く知られている。いや、ハイヒールに限らず、カカトに高さが付いて、先の狭まったスマートな靴を長年常用して履けば、男女の別なく、多かれ少なかれ外反母趾や内反小趾になってくる。
 それはヒトの本来の足の形にはほど遠い。それに、考えてみれば、元々ヒトのカカトには高さが付いているのだから、更に靴のヒールをプラスすれば構造が崩れるのは必至であろう。日本ではついでに水虫になるというオマケまで付いてくる。その ”諸悪の根元” が一体どこから始まったのか、とても興味が湧く。

 ヒールの元祖は、先に述べたヒッタイトの靴であろうが、そのスタイルがヨーロッパ中に浸透するのは中世になってからである。
 「チョピン」と呼ばれるその靴は多分ショパンとは何の関係もないが(笑)、その高下駄のように高いヒールが流行した理由は、ひたすら背を高く見せるためであったという。
 これはヒールというよりは「厚底靴」とでも言うべきもので、そういえば、日本でも少し前までそんなクツを履いている女性が多く見られたこともあった。セータカ願望には時代も国境もないのであろう。そのチョピンはトルコからベニス、スペイン、イギリス、ドイツへと広く伝わって行った。

 もっとも、一般市民から貴族に至るまで、部屋の窓から下の道路にゴミや汚物を投げ捨て、窓から汚物を撒く際に「お気を付け遊ばせ・・」と断るのがレディの作法だとされたていた中世のパリなどでは、見てくれよりも先に、高いヒールの靴は必需品であったのだろう。
 尾籠な話で恐縮だが、かの ”ベル薔薇” のベルサイユ宮殿ですら禄にトイレらしきものも無く、夜ごと舞踏会に集まる何百人もの淑女たちは携帯オマル持参で「薔薇の花を摘みに」と言う隠語で庭園で用を足し、中身は従者がそこらの庭に構わず捨てたので宮殿は常に悪臭に満ちていたと記録にあるほどで、ましてやゴミや下水、糞尿処理をすべて生活の路地で行っていた街中では、誰でも高いヒール付きの靴を履きたくなるものであったのだろう。
 ようやくパリに下水道の整備が始まったのはナポレオンの時代であった。美意識の違いなのだろうか、道にはゴミひとつ無く、排泄物を肥料に変えて、紙や蝋燭までリサイクルして使っていたという江戸時代のわが国とは大違いである。

 十六世紀末になると現在のパンプスの原型である、幅が狭くてちょっとヒールの付いた靴が流行する。男性にはコミールと呼ばれる幅広の靴が履かれた。
 女性がハイヒールを履くようになるのは、十七世紀のバロック時代である。しかしヒール自体はそんなに細くはなく、ドテッとしていた。この時代は男性も当然のようにハイヒールを履いていた。
 現在のような細目のヒールが作られるのは、1770年以降のことである。
 それからは歴史の流れと共に、ヒールが高くなったり低くなったり、爪先が尖ったり丸くなったりと、現代の流行の変遷とそれほど変わらない。まあ、今時の日本の男たちはアシを長く見せるために、外には見えないシークレットヒールの靴を履いたりするそうだが。


 ・・さて、歴史の話が長くなったが、ヒッタイトに始まり、ヨーロッパ各地で様々な変革が続いた「靴」は、そのほとんどがカカトの所にヒールをつけて造られている。
 靴の形を横から見ると人間の脚(ジャオ)の形に似ており、そこには、靴としての見てくれの格好良さや汚物の中を歩くための工夫としてだけではなく、まるで脚(ジャオ)の逆Y字形の構造をさらに強くするという意図があったかのようにも思える。つまり、その方が歩きやすいと考えたのではないか・・とも思えるのである。

 しかし、日本の草鞋や中国の布靴、北米やギリシャ、エジプトのモカシンやサンダルなどの伝統的な履物は等しく底がフラットであり、敢えて履物のカカトに「高さ」を付けることを求めようとして来なかった。

 それは何故なのだろうか・・・?私には、ヒール付きの靴を造った西洋人の体型に、そのヒントが見出せるように思えた。

 思いたったらすぐ実験!・・というのは武藝館の伝統である。単なる思い付きに過ぎないのだが、さっそく、こんな実験をしてみた・・・

                                  (つづく)




  【 参考資料 】

     
   *タンザニアのラエトリ遺跡の発掘現場。ここは後に石と土を被せて保存された。
    右の写真はタンザニア国立博物館にある模型の足形。



    
   *ラエトリ遺跡に足跡が残された時の想像図。



          
   *ケニア北部で発見された150万年前の足跡の化石。
    足半を履いていたわけではないだろうが、カカトが踏まれていない。




   
   *4万年前の人類の、前足部・中節骨の骨の化石。小さくなった骨は靴を履いていた
    ことの証しであるという、ワシントン大学の高名な人類学者エリック博士の研究。
    左は中節骨の位置を示す参考図。




   
   *左:北方から伝来した短沓型の草鞋(わらぐつ)。
    中央:「蒙古襲来」の絵に見られる、鎌倉時代の騎馬武将が履く靴。
    右:12世紀に描かれた「国宝・信貴山縁起絵巻」に見られる靴。




        
   *「足半(あしなか)」を履いた写真。



disciples at 22:11コメント(12)歩々是道場 | *甲高と扁平足 

コメント一覧

1. Posted by ほぁほーし   2009年06月26日 01:40
よく残っていたものですよね、370万年前の足跡が・・。
「歩く」ということの中で、決して避けては通れない「脚」の構造。
それを靴の歴史から紐解いていく辺りが流石です。

サンダルにモカシンに厚底靴、草履に足半、ハイヒール・・・と、
登場した全ての履き物を履き比べてみると面白そうですね。

ハイヒールといえば、街で見かけるロングブーツを履いた女性は、
立っているだけならスラッと見えて格好いいのですが、歩き始めると、
ブーツだけが先に歩いているようで、とても歩きにくそうに見えます。
格好良く見えた構造が、ガラッと変わってしまうように思います。
日本人だからでしょうか。

脚と靴の構造、次も楽しみにしています。

2. Posted by 猫だニャン   2009年06月26日 11:58
新体操でもハーフシューズを履きますね。
 
3. Posted by まっつ   2009年06月26日 18:16
履物に見る比較文化論から、
身体構造論に繋がる展開ですか・・・!
実に面白いですね!

西洋の靴のルーツが、
騎馬民族のヒッタイトから来ている点は、
まことに納得出来ます。

鐙(あぶみ)に足を掛ける為、ヒールを付け、
落馬時に鐙から足を抜け易くする為、
爪先を細く尖らせる形に成ったようですね。

騎乗にあっては合理的な構造なのでしょうが、
馬を離れてまで履き続けているのはコレ如何に?
なんと、見目の良さから、
手放せなく(足放せなく?)なっちゃったのですね。

さてさて、その選択の是非はコレ如何に?
今後の展開に期待大です!
 
4. Posted by トヨ   2009年06月27日 01:31
そういえば子供の頃、夏場はずっとビーチサンダルを履いてました。

草履や雪駄、とはいきませんが、ビーチサンダルでも十分、
走ったりするのが大変だった記憶があります。

ということはそれだけ、普段の体の使い方が、
鼻緒のある履物に適したものではなかったのでしょう。

もっとも、最近の若い人は履物に関係なく、
とんでもねー歩き方をしているものですが…どうしたものか。
 
5. Posted by tetsu   2009年06月27日 10:42
古代の化石からの考察はすごいですね!
履物の歴史への研究も本当にすごいです。

私も“のらさん”に触発されネットで脚のこと、歩き方などを調べてみましたが、
現代の人は歩き方が悪いために腰痛、肩こり、頭痛などを引き起こしているらしいですね。
自分の姿勢や歩き方を見直し、「正しい構造」をとっていけば、やれ按摩だとか整体、
電気治療などしなくても改善していけるのではないでしょうか?

我々はもっと自分に向き合い、自分の身体を見つめ直さないといけませんね。
このブログでこのような記事を発信することはとても重要で貴重なものだと思います。
 
6. Posted by タイ爺   2009年06月29日 07:03
明智光秀が本能寺の変の際、桂川で草履、足半を新しい物に取り返させた。
という話を聞き「この足半で戦かよ!」とびっくりした事があります。

最近、実家で高下駄を発見したまに履いていますが。
現代人の歩き方ではない方法で歩いていたんだな、と実感したところです。

のらさんの考察は面白すぎてさらっと読んでしまいますが、
とても深く読み返すたびに発見があります。
続きを楽しみにしています。
 
7. Posted by のら   2009年06月30日 15:38
☆ほぁほーしさん

アシと靴の関係は切っても切れないものだと思って、
以前からずっと気になっていました。
西洋の靴と、日本の鼻緒付きの履物は何が違うのか、
その辺りの考察もしてみたいと思っています。
 
8. Posted by のら   2009年06月30日 15:40
☆ネコ先生

ハーフシューズとは、まさに足半を直訳したような言葉ですね。
学生時代の友人が新体操の選手だったのですが、
ハーフシューズは確かに裸足よりもターンがし易くなるけれども、
汗で猛烈に臭くなるので不潔でイヤだ、などと言っていました。(笑)

足半は、カカトが出ているのに地面に着きませんが、
ハーフシューズは踵が床に着くことを前提に薄く作られていますので、
その目的が異なっているのかもしれません。
 
9. Posted by のら   2009年06月30日 15:42
☆まっつさん

仰るとおり、西洋の靴は騎馬民族ヒッタイトの発想で、
馬に乗るときの様々な工夫が、そのまま靴の工夫になったのだと思います。

格好良さに憧れるのは人間の常ですね。
馬にヒラリと跨って颯爽と走っていく人には、それだけで憧れてしまいます。
 
10. Posted by のら   2009年06月30日 15:44
☆トヨさん

鉄下駄を履いてみると、鼻緒の効用がよく分かるような気がします。
(私は履きませんが・・笑)
しかし、最近の若い娘は、夏の祭りに、ミニ丈の浴衣に下駄履きの恰好で、
それも鼻緒を何処の指の間に入れて良いかも分からない。
第二趾と三趾の間に鼻緒を挟んで歩いている姿は、もう、笑うに笑えません・・・

うーむ、どーなるんだ、ニッポン!!
 
11. Posted by のら   2009年06月30日 15:46
☆ tetsu さん

その「正しい構造」が何であるか、ということを勘違いしている人も多いと思います。
特に「武術的な正しい構造」などということになると、もうバーリトゥード状態で・・(笑)

師父が指導される「正しい構造」は、ヒトであることの根本から外れず、
それを聞いた人が感動さえする、スゴイことです。
まだそれについて語った人は、誰も居ないと思います。
もちろん、このシリーズでも公開できませんが。(笑)
 
12. Posted by のら   2009年06月30日 15:48
☆タイ爺さん

昔の人は、足半で戦をしていたんですよね!、驚きです。
ウチの門人にも、一本歯の高下駄を履いて通って来ていた人が居ました。
足半や高下駄を履くと、西洋の靴との違いが実感できて、多くの発見がありますね。

足半をご紹介して下さったタイ爺さんには、本当に感謝しております。
ありがとうございました。
 

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