2009年06月07日
練拳 Diary #17 「馬歩の実験」
数多くの柔功や基本功を学び、小架の套路を慎重に練っていくと、全ての練功は、ひたすら ”馬歩(ma-bu)” を理解するために用意されているのではないかと思えてきます。
なぜならば、それらの型や形を取ろうとしたとき、もしも身体が正しい馬歩になっていなければ、足を一歩出すことはおろか、姿勢を真似ることさえ儘ならないからです。
「馬歩が分からなければ太極拳は何も理解できない」
「太極拳は馬歩に始まり馬歩に終わる」
稽古で毎回のように詳しく説明され、ホワイト・ボードに図を書いて解説されたり、ときには骨格模型を使って詳しく指導が行われるほど、私たちにとって「馬歩」は大切なものであり、侮らず、疎かにせずに、深く追求していく必要性を感じるものです。
ある日、歩法の稽古の途中で、「馬歩」が正しく取れている事を確認するための、簡単な ”実験” が行われました。
まず、イスをひとつ用意して、足を肩幅より少し大きめに開いて馬歩の形で腰掛けます。そこから両手を前に出し、その手を正面から引っ張ってもらうというものです。
用意されたのは、比較的ゆったりと深く腰掛けられるタイプの、アマン・リゾートにでも似合いそうな肘掛け付きの白いイス。そこに門人のAさんが深く腰掛け、背もたれに身体を着けた状態となりました。
両手をゆっくり引き始めると、しばらく腕に重さがきていたのですが、途中で限界点がきたような、まるで壁に突き当たったような感覚が伝わってきました。
さらに力を込めると、急に引っ張っていたチカラが軽くなり、Aさんの身体がフワリと浮いて立ち上がってきたのです。
限界点に感じられたものは、引かれていることに抵抗していた足や背中の筋肉の限界だったようです。
これは、カタチは馬歩でも、身体の構造としては馬歩で立てておらず、イスに寄り掛かっている状態を引き起こされたと言えます。
次は、門人のBさんがトライ。
Aさんと同じように、イスに深く腰掛けます。両手をゆっくり引いていくと、逆に向こうに引き返されているような重さが掛かってきました。
こちらも、さらに力を込めて引こうとすると、Bさんのお尻が浮いてきましたが、背中の上部はイスに着いているままで、身体は上がってきませんでした。
これは、上半身の角度と重さを利用して、引っ張られないようにした結果であり、そこからさらに大きな力が加えられた場合には、容易に引き起こされてしまうことが分かります。
馬歩の実験と言うよりは、イスから引き起こされないための工夫と言えるでしょう。
「・・皆さんは、引かれると思うと、用心してずいぶん深く腰掛けますね」
そう言ってイスに座った師父の姿勢は、お尻が乗る程度に浅く腰掛けられ、背中も真っ直ぐに立っていて、背もたれからはずいぶん離れている状態で、一見して、いとも簡単に立たされてしまうような姿勢に見えたのです。
ところが、いざ師父の手を引こうとすると、まずその感触の違いに驚かされました。腕に緊張がなく、とても柔らかいのですが、引けども引けども、ビクともしないのです。
例えてみれば、それはまるで細くて握りにくいビニールヒモを使って、地面に埋まっている100キロくらいの荷物を、2,3歩離れたところから引き上げようとしているかのような感覚です。
それに比べると、AさんやBさんの場合には、多少重いとは言っても、せいぜい自分の足下にある大根を、ヨイショと引き抜く感じです。
師父の腕は、決して持ちにくいわけではないのですが、自分の力を100%出し切れない感覚が、まるで細くて握りにくいヒモを持たされているように感じられるのです。
・・そして、さらに力を入れようとした瞬間、フッと向こうに引き返され、いつもの対練のように、吹き飛ばされた弾みで一気に道場の端まで猛ダッシュすることになりました。
試しに、先ほどの二人に師父と同じ格好で腰掛けてもらって両腕を引いてみたところ、いとも簡単に、軽々と引き起こせてしまいました。なるほど、浅く腰掛けた格好では体重や寄り掛かりが使えないため、先ほどよりは楽に引けたということでしょう。
それでは・・と、今度は師父に深々と腰掛けて頂き、背もたれに身体を預けた状態で引いてみたのですが、結果は同じで少しも引くことができず、背中をイスから浮かすことも出来ないまま、またしても非常に軽い力で引き返されてしまいました。
ひとたび馬歩が理解されれば、外見はどのような姿勢をしていても構造は変わらないのだと、改めて実感されました。
「これは、引く方も同じ馬歩の原理なんですよ・・・」
・・と師父が付け加えられ、Bさんにもう一度イスに深く腰掛けるように指示しました。
出来るだけ体重を後ろに掛けられるように、身体に大きな角度をつけて座ります。
その姿勢で手を前に出すと、見た目はぶら下がるような格好になってしまいましたが、師父はその両の手に軽く触れ、ヒョイと、まるで箸で蕎麦をすくい上げるような動きをすると、Bさんは身体に斜めの傾斜が着いた格好のまま、真上に飛び上がり、見事に立たされてしまったのです。
さて、実験はこれだけに留まらず、続けてその恰好で「足踏み」が行われました。
これは先ほどと同様に浅くイスに腰掛け、足踏みをしながら相手に両手を引いてもらう、というものです。
イスに腰掛けたまま、足踏みをする・・・
普通に考えれば、ガッチリ踏ん張りを効かせて固定していた方が動かされにくいはずですし、足踏みをすることで常に片足しか地面に着いていないことになりますから、どう考えても不利です。
案の定、門人CさんとDさんで試してみると、ごく小さなチカラで軽々と引かれてしまいました。ところが、師父がイスに座って足踏みをされると、むしろ先ほどよりもさらに強力になったように感じられたのです・・!
もう、こうなると100キロの荷物なんてものではありません。
エンジンを掛けて前進しようとしている車の後ろにロープを着け、なんとか引っ張ろうとしているような感覚です。これでは、たとえ数人掛かりで引っ張ったとしても、到底動かせないことでしょう。
足踏みをした方が、より力強く感じる・・
それについて師父は「当たり前のことだ」と言われました。ただ「立っている」だけではなく「歩いている」のだから、当然構造は強くなる・・と。
「足踏み=歩くこと」であれば、静止していたときより強力であることも頷けます。
しかし、それも「馬歩」が正しく理解されていなければ、イスに腰掛けた時点で馬歩は失われ、立つことも動くことも出来ないような、居着いた身体となってしまうのです。
居着いた状態で足を上げ下げすれば、その運動はただ左右の足を交互に上げ下ろしするようなものとなり、さらに居着きは強くなり、簡単に崩されてしまうというわけです。
それはまるで、重たくてとてもひとりでは動かせないドラム缶が、自分から左右にゴットンゴットン傾いてくれているようなもので、ドラム缶の角を利用すれば小さな力で転がしていけるという事と似ているようにも思われました。
今回の実験では、馬歩が正しく理解されていれば、例えイスに腰掛けた姿勢でも、身体は馬歩站椿の状態が守られており、相当な力を持ってしてもその構造を崩すことは容易ではなく、そこから足踏みを始めれば、即歩いている身体の構造になる、ということが体験できました。
そして、ヒトとして最も効率よく身体を使える構造であると思われる「馬歩」が、自分に起こり得る如何なる状況に於いても崩れることがないように、基本功から套路まで実に様々な状況を設定されているのだと、改めて実感されたことでした。
(了)

*深く腰掛けて足を突っ張られると、なかなか引けませんが・・・

*浅く腰掛けていると、ご覧の通り、割と簡単に引けてしまいます。

*男性が女性を引くと、このとおり・・・

*女性が、男性を引いても、やはり、こうなります。

*しかし、少し馬歩が正しく出来てくると、引いた方が崩れて・・・

*男性が女性を引こうとしても、簡単に崩されてしまいます。

*馬歩が出来ていないと、軽く引かれても、このとおり・・・

*また、このとおり・・・

*またまた、このとおりに・・・

*馬歩が出来ていると、頑張って引こうとすればするほど、ひどく崩されて・・・

*足踏みをしているところを強く引いても、やっぱり崩されてしまいます。
なぜならば、それらの型や形を取ろうとしたとき、もしも身体が正しい馬歩になっていなければ、足を一歩出すことはおろか、姿勢を真似ることさえ儘ならないからです。
「馬歩が分からなければ太極拳は何も理解できない」
「太極拳は馬歩に始まり馬歩に終わる」
稽古で毎回のように詳しく説明され、ホワイト・ボードに図を書いて解説されたり、ときには骨格模型を使って詳しく指導が行われるほど、私たちにとって「馬歩」は大切なものであり、侮らず、疎かにせずに、深く追求していく必要性を感じるものです。
ある日、歩法の稽古の途中で、「馬歩」が正しく取れている事を確認するための、簡単な ”実験” が行われました。
まず、イスをひとつ用意して、足を肩幅より少し大きめに開いて馬歩の形で腰掛けます。そこから両手を前に出し、その手を正面から引っ張ってもらうというものです。
用意されたのは、比較的ゆったりと深く腰掛けられるタイプの、アマン・リゾートにでも似合いそうな肘掛け付きの白いイス。そこに門人のAさんが深く腰掛け、背もたれに身体を着けた状態となりました。
両手をゆっくり引き始めると、しばらく腕に重さがきていたのですが、途中で限界点がきたような、まるで壁に突き当たったような感覚が伝わってきました。
さらに力を込めると、急に引っ張っていたチカラが軽くなり、Aさんの身体がフワリと浮いて立ち上がってきたのです。
限界点に感じられたものは、引かれていることに抵抗していた足や背中の筋肉の限界だったようです。
これは、カタチは馬歩でも、身体の構造としては馬歩で立てておらず、イスに寄り掛かっている状態を引き起こされたと言えます。
次は、門人のBさんがトライ。
Aさんと同じように、イスに深く腰掛けます。両手をゆっくり引いていくと、逆に向こうに引き返されているような重さが掛かってきました。
こちらも、さらに力を込めて引こうとすると、Bさんのお尻が浮いてきましたが、背中の上部はイスに着いているままで、身体は上がってきませんでした。
これは、上半身の角度と重さを利用して、引っ張られないようにした結果であり、そこからさらに大きな力が加えられた場合には、容易に引き起こされてしまうことが分かります。
馬歩の実験と言うよりは、イスから引き起こされないための工夫と言えるでしょう。
「・・皆さんは、引かれると思うと、用心してずいぶん深く腰掛けますね」
そう言ってイスに座った師父の姿勢は、お尻が乗る程度に浅く腰掛けられ、背中も真っ直ぐに立っていて、背もたれからはずいぶん離れている状態で、一見して、いとも簡単に立たされてしまうような姿勢に見えたのです。
ところが、いざ師父の手を引こうとすると、まずその感触の違いに驚かされました。腕に緊張がなく、とても柔らかいのですが、引けども引けども、ビクともしないのです。
例えてみれば、それはまるで細くて握りにくいビニールヒモを使って、地面に埋まっている100キロくらいの荷物を、2,3歩離れたところから引き上げようとしているかのような感覚です。
それに比べると、AさんやBさんの場合には、多少重いとは言っても、せいぜい自分の足下にある大根を、ヨイショと引き抜く感じです。
師父の腕は、決して持ちにくいわけではないのですが、自分の力を100%出し切れない感覚が、まるで細くて握りにくいヒモを持たされているように感じられるのです。
・・そして、さらに力を入れようとした瞬間、フッと向こうに引き返され、いつもの対練のように、吹き飛ばされた弾みで一気に道場の端まで猛ダッシュすることになりました。
試しに、先ほどの二人に師父と同じ格好で腰掛けてもらって両腕を引いてみたところ、いとも簡単に、軽々と引き起こせてしまいました。なるほど、浅く腰掛けた格好では体重や寄り掛かりが使えないため、先ほどよりは楽に引けたということでしょう。
それでは・・と、今度は師父に深々と腰掛けて頂き、背もたれに身体を預けた状態で引いてみたのですが、結果は同じで少しも引くことができず、背中をイスから浮かすことも出来ないまま、またしても非常に軽い力で引き返されてしまいました。
ひとたび馬歩が理解されれば、外見はどのような姿勢をしていても構造は変わらないのだと、改めて実感されました。
「これは、引く方も同じ馬歩の原理なんですよ・・・」
・・と師父が付け加えられ、Bさんにもう一度イスに深く腰掛けるように指示しました。
出来るだけ体重を後ろに掛けられるように、身体に大きな角度をつけて座ります。
その姿勢で手を前に出すと、見た目はぶら下がるような格好になってしまいましたが、師父はその両の手に軽く触れ、ヒョイと、まるで箸で蕎麦をすくい上げるような動きをすると、Bさんは身体に斜めの傾斜が着いた格好のまま、真上に飛び上がり、見事に立たされてしまったのです。
さて、実験はこれだけに留まらず、続けてその恰好で「足踏み」が行われました。
これは先ほどと同様に浅くイスに腰掛け、足踏みをしながら相手に両手を引いてもらう、というものです。
イスに腰掛けたまま、足踏みをする・・・
普通に考えれば、ガッチリ踏ん張りを効かせて固定していた方が動かされにくいはずですし、足踏みをすることで常に片足しか地面に着いていないことになりますから、どう考えても不利です。
案の定、門人CさんとDさんで試してみると、ごく小さなチカラで軽々と引かれてしまいました。ところが、師父がイスに座って足踏みをされると、むしろ先ほどよりもさらに強力になったように感じられたのです・・!
もう、こうなると100キロの荷物なんてものではありません。
エンジンを掛けて前進しようとしている車の後ろにロープを着け、なんとか引っ張ろうとしているような感覚です。これでは、たとえ数人掛かりで引っ張ったとしても、到底動かせないことでしょう。
足踏みをした方が、より力強く感じる・・
それについて師父は「当たり前のことだ」と言われました。ただ「立っている」だけではなく「歩いている」のだから、当然構造は強くなる・・と。
「足踏み=歩くこと」であれば、静止していたときより強力であることも頷けます。
しかし、それも「馬歩」が正しく理解されていなければ、イスに腰掛けた時点で馬歩は失われ、立つことも動くことも出来ないような、居着いた身体となってしまうのです。
居着いた状態で足を上げ下げすれば、その運動はただ左右の足を交互に上げ下ろしするようなものとなり、さらに居着きは強くなり、簡単に崩されてしまうというわけです。
それはまるで、重たくてとてもひとりでは動かせないドラム缶が、自分から左右にゴットンゴットン傾いてくれているようなもので、ドラム缶の角を利用すれば小さな力で転がしていけるという事と似ているようにも思われました。
今回の実験では、馬歩が正しく理解されていれば、例えイスに腰掛けた姿勢でも、身体は馬歩站椿の状態が守られており、相当な力を持ってしてもその構造を崩すことは容易ではなく、そこから足踏みを始めれば、即歩いている身体の構造になる、ということが体験できました。
そして、ヒトとして最も効率よく身体を使える構造であると思われる「馬歩」が、自分に起こり得る如何なる状況に於いても崩れることがないように、基本功から套路まで実に様々な状況を設定されているのだと、改めて実感されたことでした。
(了)

*深く腰掛けて足を突っ張られると、なかなか引けませんが・・・

*浅く腰掛けていると、ご覧の通り、割と簡単に引けてしまいます。

*男性が女性を引くと、このとおり・・・

*女性が、男性を引いても、やはり、こうなります。

*しかし、少し馬歩が正しく出来てくると、引いた方が崩れて・・・

*男性が女性を引こうとしても、簡単に崩されてしまいます。

*馬歩が出来ていないと、軽く引かれても、このとおり・・・

*また、このとおり・・・

*またまた、このとおりに・・・

*馬歩が出来ていると、頑張って引こうとすればするほど、ひどく崩されて・・・

*足踏みをしているところを強く引いても、やっぱり崩されてしまいます。
コメント一覧
1. Posted by タイ爺 2009年06月08日 16:33
え、ええ、えええええ・・・??
6列目と最後の画像は脚が浮いているんですが・・・。
いやいやいやいや・・・そんなはずは・・・
・・・やっぱり浮いていますよね。
こりゃ一体全体???です。
6列目と最後の画像は脚が浮いているんですが・・・。
いやいやいやいや・・・そんなはずは・・・
・・・やっぱり浮いていますよね。
こりゃ一体全体???です。
2. Posted by tetsu 2009年06月08日 20:48
これはまた・・・すごいですね!
しかも今回は師父の写真まで掲載されて・・・。
門人の方と師父の姿勢を比較してみますと色々ヒントがあります。
馬歩がいかに重要で、根幹であることがこのような実験で明らかになりますね。
しかも今回は師父の写真まで掲載されて・・・。
門人の方と師父の姿勢を比較してみますと色々ヒントがあります。
馬歩がいかに重要で、根幹であることがこのような実験で明らかになりますね。
3. Posted by ほぁほーし 2009年06月08日 23:18
☆タイ爺さん
コメントをありがとうございます。
>6列目と最後の画像は・・・
その画像は、足踏みをしている途中の、足が浮いた瞬間が撮影されたものです。
引き始められてから、けっこう長い時間足踏みをしているのですが、
姿勢は、最初に腰掛けた状態と何も変わりませんでした。
門人もはじめは苦労しているようでしたが、
馬歩の要求や要訣をひとつずつ整えていくことで、
徐々に引かれなくなったり、軽い足踏みができるようになってきました。
非日常的に思えることでも、馬歩ひとつでそれが可能になってしまうのですから、
本当にすごいことだと思います。
コメントをありがとうございます。
>6列目と最後の画像は・・・
その画像は、足踏みをしている途中の、足が浮いた瞬間が撮影されたものです。
引き始められてから、けっこう長い時間足踏みをしているのですが、
姿勢は、最初に腰掛けた状態と何も変わりませんでした。
門人もはじめは苦労しているようでしたが、
馬歩の要求や要訣をひとつずつ整えていくことで、
徐々に引かれなくなったり、軽い足踏みができるようになってきました。
非日常的に思えることでも、馬歩ひとつでそれが可能になってしまうのですから、
本当にすごいことだと思います。
4. Posted by ほぁほーし 2009年06月08日 23:22
☆Tetsuさん
コメントをありがとうございます。
姿勢は構造の現れとも言えますから、そこから得られることは大きいですね。
師父と同じイスに腰掛け、同じ人に引いてもらうと、姿勢の違いがより明確になります。
今回の実験による最も大きな収穫は、馬歩が足の形ではないということを、
各自が実感し、理解できたところだと思います。
これでまた、歩法や套路への取り組みが変わるような気がします。
コメントをありがとうございます。
姿勢は構造の現れとも言えますから、そこから得られることは大きいですね。
師父と同じイスに腰掛け、同じ人に引いてもらうと、姿勢の違いがより明確になります。
今回の実験による最も大きな収穫は、馬歩が足の形ではないということを、
各自が実感し、理解できたところだと思います。
これでまた、歩法や套路への取り組みが変わるような気がします。
5. Posted by マガサス 2009年06月09日 02:01
椅子に座っても馬歩の構造が失われずにいるつもりで、師父に「さあ、引いてください」と
挑んでみましたが、結果はやはり「グェ〜ッ」と声を上げ、打ち上げられたロケットのごとく
宙に浮かされてしまいました。
師父は、足踏みをしていようが、脚を浮かそうが、椅子の上でアグラをかこうが、関係なし。
これほど構造に天地ほどの違いがあるのだから、門人が束になっても敵うはずがありませんね。
うーむ、恐るべし、陳氏太極小架・・・!!
私はひたすらマ歩(マガサス歩)にならないように、馬歩、マァーブゥー・・と頑張ろうっと。
しかしマァ、なぜ師父は椅子に座っていてもあんなに躍動的なのでしょうか・・・?
挑んでみましたが、結果はやはり「グェ〜ッ」と声を上げ、打ち上げられたロケットのごとく
宙に浮かされてしまいました。
師父は、足踏みをしていようが、脚を浮かそうが、椅子の上でアグラをかこうが、関係なし。
これほど構造に天地ほどの違いがあるのだから、門人が束になっても敵うはずがありませんね。
うーむ、恐るべし、陳氏太極小架・・・!!
私はひたすらマ歩(マガサス歩)にならないように、馬歩、マァーブゥー・・と頑張ろうっと。
しかしマァ、なぜ師父は椅子に座っていてもあんなに躍動的なのでしょうか・・・?
6. Posted by トヨ 2009年06月10日 01:11
こりゃあまた、文字通りぶっ飛んだ写真を持ってきたものですね…。
写真はのってませんけど、イスに座っている師父の、
手ではなくて足を引っ張っても変わりませんでしたからね。
馬歩は足の形ではないという、見事な証拠だと思います。
じゃあなにで立って歩いてるのよ。。。
ってところですね。
写真はのってませんけど、イスに座っている師父の、
手ではなくて足を引っ張っても変わりませんでしたからね。
馬歩は足の形ではないという、見事な証拠だと思います。
じゃあなにで立って歩いてるのよ。。。
ってところですね。
7. Posted by ほぁほーし 2009年06月10日 02:49
☆マガサスさん
いや、ホントに皆さん見事にロケットのように浮かされていましたよね。
ついつい目が師父ではなく、飛ばされていく相手を追ってしまいました。(汗)
>構造に天地ほどの違い・・・
う〜ん、これはなかなか言い得て妙ですね。
発想に天地ほどの違いがあるのならば、構造もまた然り。
自転車に乗って束になっても、戦闘機には適うはずもありません。
>なぜ師父は椅子に座っていてもあんなに躍動的なのでしょうか・・・?
そのことは、ただ立っているだけに見える站椿が、
よく見ればものすごく躍動的に見えることと、共通しているように思います。
やはり、外見に囚われないことが大切ですね。
いや、ホントに皆さん見事にロケットのように浮かされていましたよね。
ついつい目が師父ではなく、飛ばされていく相手を追ってしまいました。(汗)
>構造に天地ほどの違い・・・
う〜ん、これはなかなか言い得て妙ですね。
発想に天地ほどの違いがあるのならば、構造もまた然り。
自転車に乗って束になっても、戦闘機には適うはずもありません。
>なぜ師父は椅子に座っていてもあんなに躍動的なのでしょうか・・・?
そのことは、ただ立っているだけに見える站椿が、
よく見ればものすごく躍動的に見えることと、共通しているように思います。
やはり、外見に囚われないことが大切ですね。
8. Posted by ほぁほーし 2009年06月10日 02:52
☆トヨさん
今回の実験を初めて目にしたとき、本当に驚いたのですが、
よく考えてみると、なにか、太極拳の格好をしていないと
馬歩にならないような、そんな先入観があったようです。
馬歩の構造が守られていれば、どのような格好をしていても、
手や足を引かれても、何も変わらないのですね。
>じゃあなにで立って歩いているのよ。。。
いや、だから、ほら、それですよ。
・・ってところですね。(^^;)
今回の実験を初めて目にしたとき、本当に驚いたのですが、
よく考えてみると、なにか、太極拳の格好をしていないと
馬歩にならないような、そんな先入観があったようです。
馬歩の構造が守られていれば、どのような格好をしていても、
手や足を引かれても、何も変わらないのですね。
>じゃあなにで立って歩いているのよ。。。
いや、だから、ほら、それですよ。
・・ってところですね。(^^;)
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