2009年05月28日

連載小説「龍の道」 第16回




 第16回 金 剛(1)


 夕刻・・・・

 「扇の港」と形容される、扇形に広がる神戸の港が瀬戸に落ちる夕陽に赤く染まり、街の灯がぽつらぽつらと灯される頃になると、宏隆はいつものとおり南京町に出かけてゆく。

 広東料理店の「祥龍菜館」は、まだ開店するかしないかの時間で、宏隆が入っていくのを誰かに見咎められることもない。何より、学生である彼は、誰が見てもそこの従業員のアルバイトか何かに見られるに違いなかった。

 例によって奥の「予約専用室」に通され、内側から鍵を閉め、飾り棚の後ろの秘密の入口から薄暗い階段を降り、初めに案内された応接室を通り越して、迷路のような細い通路を少し歩いていくと、やがて地下の秘密の道場の扉が見える。

「もう、一年以上にもなる・・・あれから何回、ここに通って来ただろうか。
 ここで、あの、悪夢の三週間のテストを受けたんだったなぁ・・・」

 入門前の過酷なテストをちょっと懐かしく思い出しつつ、ポケットから合い鍵を出そうとすると、珍しく部屋の灯りがドアの下から洩れている。
 扉を開けると、中にはすでに王先生が壁際の椅子に腰を掛けて宏隆を待っていた。

 ・・・急いで、その人が腰掛けている席のすぐ傍らまで歩み寄り、片膝を床に着いて深々と礼をする。両手は、ちょっと不思議な組み方をして、低く下げた頭の前に掲げる。

 この礼式は、初めて指導を受けた時に教わったものであったが、王先生が属する門派独自のものであり、これまでに日本の武道しか知らなかった宏隆にとっては、礼儀や作法のすべてが新鮮なものとして映った。
 やはりこの武術は、文化のまったく違う異民族の、その中でも特異な、優れた知性を持った一族によって創られたものなのだと思える。そして、その民族や、太極拳を創造した人々の「考え方」が解らなければ、決してこの武術をトータルに習得することは出来ないだろうと思えた。

 いつの間にか・・・後ろにはいつもの通訳の男が入ってきて居て、ちょっとドキリとさせられる。その男は、これほど図体が大きいのに、如何なる修練を積んできたのか、まったくと言って良いほど、常にその存在の気配が感じられない。
 宏隆はその男に対しては、立ったままで右手を拳、左手を掌にして合わせる普通の包拳礼で挨拶をした。


 王先生は、すでに椅子から立ち上がってきていて、宏隆に語り始める・・・

「今日から套路(Tao-lu)の第一段階を教える。
 基本功で学んだ動きは、最も単純な身体の構造を示している。それは “手(shou)” と呼ばれる。 “手” とは、扱い方や手立て、その有り様といったものを表している」

「 “手” が集まれば技法としての動きとなり、それを “着(zhao)” という。
 将棋の一手も同じ “着” と呼ばれるが、 “着” とは届く、到り着く、つまり技法として通用する構造となったもの、という意味だ」

「さらに “着” が連なったものを “勢(shi)” と呼ぶが、これは “着” が他へ正しく影響を及ぼせるものになったことや、その活動のチカラを表している」

「そして、そのような “勢” がいくつも集まったものを “套(tao)” という。
 套路という名称は、そのような意味から成り立っている・・・」


 ・・・丁寧に、噛んで含めるように、そう教えられる。

「君は、1年と数ヶ月の間、柔功、站椿、開合勁などの基本を練習し続けてきた。
 今日からは、いよいよ陳氏太極小架の “套路” の学習に入る。つまり “手” を “着” へと発展させ、 “着” を “勢” にすることを学んでいくのだ」

「套路(タオ・ルゥー)・・・」

 そっと、口の中で復唱してみる。

 王先生は、続けて、

「套路には、陳氏太極拳のすべてがそこに詰まっている。
 基本功も、身法も、歩法も、戦闘法も、
 太極拳のすべてが、その理解の鍵として、そこに示されて在るのだ。
 そして、何よりもそれは、武術としての “構造” を学ぶために造られている」

「・・単に見た目の運動を真似ても、それは套路を学んだことにはならない。
 カタチを真似る本当の意味は、その “動作” ではなく、“構造” にあるのだ。
 それら套路の動作は、即、実戦に向けての雛形ではない。
 それは太極拳という武術の構造を身体に叩き込むために創られたカタチなのだ。
 短絡な発想でそれを誤解すると、太極拳は何も分からなくなってしまう。
 呉々も注意が必要だ・・・」

「先ずは “構造” に興味を持つこと・・・
 何故その位置に足が置かれるのか、何故その方向へ移動するのか、
 何故そのように動くのか、
 その際の、動作のひとつずつの、細かい “構造” はどうなっているのか、
 そのようなことが深く理解されなくてはならない。
 ・・・分かるかね?」

「はい、よく覚えておきます」

「よろしい、では、実際の動きに入って行くことにしよう。
 いちばん初めの動作は、Jin-gang-dao-dui と言って、 “金剛搗碓” と書く・・・」


 道場の壁に掛けられた小さな黒板に、漢字ばかりの文字が書かれる。
 それは見慣れない文字だったが、その意味よりも先に、王先生が黒板にチョークで書く文字そのものが、宏隆の五感を強く刺激してならない。

 宏隆は書が好きだった。家にはいつも幾つかの書が掛けられてあり、それは季節によって、来客によっても掛け替えられた。中には作家や俳人、中国の書家のものもあった。
 大徳寺の高僧が書いた禅語に、宏隆がとても気に入った墨跡があり、その茶掛けの小さな軸を、大切にするからと父に頼み込んで、どう見ても不釣り合いな洋間の自室に掛けさせて貰ったこともある。

 しかし、この人の字は・・・

 ごく普通に、粗末な黒板にさらさらとチョークで書かれたものであるのに・・・・しかも、それが詩歌や散文でもない、ただの動作の名称に過ぎないのに、何故かその文字は、心の奥底にまで、鮮烈に響いてくるのだった。

 漢字が創られた土地で育った中国人が書くものとは言え、それは、文字としても軸が通った藝術であり、書く人の存在の深さや大きさ、その生きざまを如実に表しているように思えてならなかった。


「金剛搗碓の前には、套路の身体の構造を整えるための、予備の動作がある・・・」

 ・・・そんな想いを巡らしている内に、もう、王先生が先に立って、実際にそれらの動作を示し始める。

「これが無極・・・そして、これが太極、あるいは起勢と呼ばれるものだ。
 無極は、すでに一年以上続けてきた無極椿と同じなので、その通りに立てばよい。
 太極とは、無極椿から太極椿に移るときの変化そのものだ。
 つまり、これらはすでに君が基本功で学んできたものだ・・・」

 ・・・王先生の後ろに従(つ)いて、寸分違わぬようにその動きを真似る。

 套路(Tao-lu=とうろ)と呼ばれるその動作は、初めて眼にする宏隆に、とても綺麗な動きとして映った。これほど優美な、こんなにも綺麗な動きが、どうして、かつて何メートルも軽々と自分を宙に舞わせた、あのような強力なチカラになるのだろうかと、とても不思議な気がする。


「これには全部で六十ほどの動作がある。それは “十三勢” と呼ばれている。
 それらの動作が、十三の “勢” で構成されているからだ・・・」

「初めの無極椿と起勢(qi-shi)は準備のための動作で、十三勢には入らない。
 十三勢の第一番目、第一勢は、この金剛搗碓ただひとつ、この一着だけだ・・・」

「金剛搗碓は、この一着に “太極の理” がすべて備わっていると言われる。
 つまり、これは唯の一着にして一勢を成しており、この一着が理解されなければ、この後の動作は決して理解できず、これが誤解されれば以後の動作はすべて誤解のもとに行われることになる」

「これには、陳氏太極拳の多くの秘密が隠されている。
 第一勢の金剛搗碓は、よくよく、心して学ばなくてはならない・・・」

 ・・そう聞いて、神妙に「はい」と頷くと、

「金剛搗碓(ジンガンダォドゥイ)は、三つに分けると、その意味するところが理解し易い。 
 ・・・これが、そのいちばん初めのところだ」

 王先生がまず範を示して見せ、すぐに、

「・・・では、今のところをやって見せなさい」

 ・・と、言われる。


 これまでに学んだ基本功もそうであったが、王先生は学習の初めに、その動作をただ一回見せただけで、すぐに、それをやって見せなさい、と言うのである。

 宏隆がこれまでに経験した日本の武道の練習では、師範が何度となくそれを見せ、弟子もまた何度となくその後ろについて同じことを反復し、そうすることで習い憶えていこうとするのだったが、王先生の指導はまったく違っていた。

 ただ一度だけ・・・・初めにその動作の模範を自らがやって見せ、まるで唯の一回で彼がどれほど見て取れたかを試すかのように、しばらくの間は宏隆が “ウロ覚え” のまま、それを何度も反復して試行させるのだった。

 幾度となく・・・そのウロ覚えの動きを繰り返しているうちに・・・
 やがて、王先生の指摘が入り、

「その処は、初めに教えた、この基本の原理によって、こうなるのだ。
 それは、構造上、そうなるしかないことだ・・・
 ・・よって、右脚は、自ずと外に開かれることになる。
 それは足で開くのではない、構造によって、自然にそこに開かれるのだ・・・」

 ・・と、詳しく説明される。

 そのような指摘は常に、一回に付き、だだ一点であった。
 その指摘された誤りを、そのつど宏隆が十全に直せたのかどうかは分からない。
 ただ、間違っていれば指摘され、直ちに修正されるので、何の指摘もなければ、それは多分、何とか原理に適っているのだろうと思えた。


 修正された動作を、幾度も、ゆっくりと繰り返していく。
 基本練習の時もそうであったが、太極拳はどのような動きでも、武術の修練とは思えぬほど、とてもゆっくりと動いていくのである。

 そして、そのようにゆっくりと動くのには、理由があった・・・





 


taka_kasuga at 21:00コメント(11)連載小説:龍の道 | *第11回 〜 第20回 

コメント一覧

1. Posted by ほぁほーし   2009年05月30日 02:46
>その動作をただ一回見せただけで、すぐに、それをやって見せなさい、と言う・・

王先生の宏隆くんへの教え方と、宏隆くんの学び方に目を惹かれますね。
なるほど、宏隆くんが最初にテストを受けさせられたことも、頷けます。
時間を掛けて習い憶えるのではなく、その一回に全身全霊を懸けなければならない・・
それだけで、ものすごい意識の訓練だと思います。

ウチの門人にも、もっともっとその「ただ一回」に大きな執念とエネルギーを持って
取り組んでほしいですね。

2. Posted by tetsu   2009年05月30日 21:54
ついに套路の稽古が始まりましたね。
この小説の中身はフィクションといえども太極拳を学ぶ者にとって大変勉強になります。
武術の稽古は「教えてもらう」ものではなく、自らが「学ぶ」ものだと思います。

>修正された動作を、幾度も、ゆっくりと繰り返していく

これはまさに武藝館で行われている稽古と同じですよね!

さて、太極拳がゆっくりと動く理由は如何に・・・?

3. Posted by オボルト   2009年05月31日 01:26
丁度、今回の龍の道が出された次の日の稽古で、
本当は今のような稽古は有り得ない、と師父が仰ったことが胸に響きました。

分からなければ何回でも教えてもらえる、
できるまで指導を受けることが出来る、
見過ごしても、誤解しても、幾らでもやり直して訂正してもらえる・・・

師父が学んだ頃には、そんなことは有り得なかった・・
本当の武術の修行では、そのような状況は起こりえない・・
君たちは、ただの一回見ただけで、これが取れるだろうか、
ただの一回しか見せられなくとも、道場に通ってこれるだろうか・・
そう言われました。
おそらく其処に居た誰もが気持ちが引き締まり、
皆、襟を正す思いだったと思います。

この小説で描かれている稽古の様子は、
太極武藝館で行われている稽古そのものです。
ただし、一般門人の私たちは、本来そう指導されているはずの稽古を、
一般クラスであるからと、自ら甘くしているようにも思えます。

この扉は、叩かなければ開かれない・・・
その扉にはノブが付いておらず、しかも内側にのみ開かれる扉なのだと、
かつて師父が仰ったことがあります。

それらを忘れずに、一層精進していきたいと思います。

4. Posted by のら   2009年05月31日 05:58
王先生の指導は、いつも師父に受けている指導と同じだと思うのですが、
小説の中で王先生が語る言葉を目にすると、改めてショックを受けます。
いつも教えていただいている太極拳が、王先生の言葉を借りるだけで、
どれほど奥が深くて、どれほどシステマチックで、
とても効率の良い優れた学習体系を持っている・・・と感じます。

同じように指導を受けているはずなのですが、
普段の稽古では、私たちは目先のことに囚われ、それを追うことに終始し、
少し離れたところから、高いところから観る意識になれない、
小説を読むことで、離れたところから客観的に、
冷静に自分たちのやっていることを、その学び方を見る思いです。

こうなると、龍の道を読むことも、
本当に、凄い稽古なのだなと思う次第です。

5. Posted by 武 峰   2009年06月02日 23:05
うーむ・・・
台北の夜景も綺麗ですが、やはり神戸の夜景も美しいですね。
神戸はこの小説の舞台に相応しい、とても魅力的な街です。
今度は是非六甲山の上から見た一千万ドルの夜景を載せて欲しいものです。

6. Posted by 春日敬之   2009年06月02日 23:45
☆ほぁほーしさん
学習ってのは、結構難しいものですね。
教える方も、教えられる方も、ピッタリ一致しないと成り立たない。
師父が「学ぶこと」と「習うこと」の違いに言及されて、
それを混同してはいけないし、両方でようやく「学習」の意味になる、
と言われたことがありますが、まさにその通りだと思いますね。
殊に、昔と今では教え方も学び方も違っているようで。
どーなるんだ、人間は!・・という感じがしますが。

7. Posted by 春日敬之   2009年06月02日 23:47
☆ tetsu さん
>武術の稽古は「教えてもらう」ものではなく、自らが「学ぶ」ものだと思います。
いや、将にそうですね。
教えてもらうだけなら、サルでも出来る。
サルが学んでいるのは、それをやってエサを貰えると言うことだけですから、
すると、それは武術ではなく、猿回しということに・・・
げにも、「学ぶ」とは何とも大変なことであります。

8. Posted by 春日敬之   2009年06月02日 23:49
☆オボルトさん
>この扉は、叩かなければ開かれない・・・
これはオーストラリアでも、Aussie の門人を前にして仰ったことがあります。
とても深い、よくよく噛み締めて味わいたい言葉ですね。

9. Posted by 春日敬之   2009年06月02日 23:51
☆のらさん
小説「龍の道」を、そんなふうに読んでいただいて嬉しく思います。
しかし、そうなると、ニワカ小説家を演じている人間としては、
大汗をカキながら、ひたすら小説をカキつづけるしかない・・・と・・(^_^;)

10. Posted by 春日敬之   2009年06月03日 00:09
☆武 峰さん
神戸の夜景を、ぜひ六甲山のガーデンテラスや天覧台、
摩耶山の掬星台などから、ナマで観ていただきたいものです。
台北の夜景も綺麗ですねー。
私は、かつて圓山大飯店から観た夜景が忘れられません。
もしかすると、この小説に登場するカモですよ・・・(笑)

11. Posted by まっつ   2009年06月06日 00:54
おぉー、実に為になる小説です!

套路に秘められた原理は深く・・・
その意味を掘り下げる稽古とは、
このように伝えられるべきものなのかと、
改めて思い知らされます。

打てば響くような師弟の関係も、
小気味良くこの胸に迫ります。

必然の理路を歩く人の姿は美しく、
文字を介して顕れても、かくも鮮やかです。

さて、練拳編も熱気が翻り、
益々目が離せない展開!
どーなるんだ、次回(C)!

ん・・・、もうすぐだ・・・
ヨシ(グッ)!
期待してます!

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