2009年05月18日

連載小説「龍の道」 第15回




 第15回 不 動(3)


「お父さん・・・ど、どうしてそれを?」

「ハハハ・・それは、親として当然の義務ではないか。それに、南京町は、お前よりも私の方が、ずっと古くからの “客” なのだよ。
 ついでに言えば、お前の師、王先生を神戸に招き容れた人も私の旧くからの友人で、私もそのささやかなお手伝いをさせて頂いた一人なのだ」

「あ・・・やはり、お父さんとは関係が・・・!?」

「お前は内緒にしていたつもりかも知れないが、それは王先生との約束。私はその友人から、既にその辺りの経緯を詳しく聞いていたのだ」

「済みません・・師との約束とは言え、親を偽っておりました・・・」

 頭を下げて、宏隆が言う。

「いやいや、内緒にしていただけで、別に偽ったわけではなかろう。お前に騙された覚えはないし・・・何しろ、私は初めから知っていたのだからな。
 それにお前だって、私が彼らに関係していることは薄々感じていたのだろう・・?
だからまあ、そんなに気にする必要はない」

「はい・・・」

「それより、昨日はずいぶん、ご活躍だったそうだな?」

「はい・・あ、いや、いいえ・・・でも、何故そんなことまで?」

「ゆうべ、報告をもらったのだよ・・・」

「・・ほ、報告? ・・・警察が来たのですか?!」

「ハハハ・・流石の “ケンカの若大将” も、警察は困ると見える・・・警察ではない、いつも私の側に居てくれる陰の友人たちからの報告があったのだ」

「陰の・・友人・・・?」

 ・・そう聞いて、宏隆には、直ぐに思い当たることがあった。

 小さい頃、父のクルマで一緒に出かけると、黒いセダンが何処からともなく現れて、自分たちに従(つ)いてくることに気付くことがよくあった。家に戻るまで、まるで父の護衛をするかのように、着かず離れず、ずっと追従してくるのである。
 それを訝しがった運転手が父に問うと、「・・ああそうか、気にせんで良い」と、疾(と)うに承知しているような口ぶりであったことを思い出す。

 また、父の会社や自宅には、父の財力や事業を利用しようと、手を替え品を替えて、如何わしい人間がたびたび訪れ、半ば強引に暴力を以て脅しをかけるような輩まで居たが、そんな時にはいつも、どこからともなく父を護る人たちが現れ、穏便に、しかし有無を言わせぬ威圧を以て立ち去らせる・・・そんな話が母の口から出たこともある。

 父が「陰の友人たち」と言うのは、その人たちのことに違いなかった。


「し、しかし・・・」

「お前の言いたいことは分かる・・・
 学校の帰りに馬鹿な不良どもに遭遇してしまい、兄が殴られたのをきっかけに、三対一の不利を押して瞬く間にそ奴らを屠り、機転を利かせて、警察が来る前にその場を離れた。
 しかし、昼下がりのあの時間、誰も通る人とて居ない緑深い閑静な山の手の公園での出来事を、一体そのことを誰が、どのようにして知り得たのか、と・・・」

「そ、そうです・・!あそこには、あの場所には、私たち以外、誰も居ませんでした!!」

「誰も居ないように思えた・・・とも言えるのではないかな。
 彼らは本国で “陰” としての特別な訓練を積んできている。人目を忍ぶことくらいは朝飯前だよ。ちょうど昔の忍者のようなものかな・・」

「お父さんだけではなく、私たち兄弟にまで、そのような人たちが “陰” として付いているのですか?」

「そうだ、彼らは何よりも義侠心を重んじるからな。昔あった或る出来事に・・私が彼らと関わったある事柄に深く恩義を感じてくれているのだよ。
 それに、特にお前は、彼らにとっては私よりもずっと大切な人間でもあるし・・・」

「・・・・・・」

「・・ああ、ついでだが、灘(なだ)の署長には、私から一報入れておいたので、この度のお前の活躍は、事件にはならない・・・安心するが良い」

「ありがとうございました。ご迷惑を掛けて、申し訳ありません」

「ははは・・いいさ、私の若い頃は、もっと派手にやったものだ。それに、親に迷惑もかけられぬような優等生など、息子としては、ちと心許ない」

「はい・・・・」

「さて、もうメシにしよう・・稽古は、もう区切りが付いたのだろう?
 今朝はとても気持ちが良いから、外で一緒に食べることにしようか。隆範も呼んで、昨日の武勇伝でも詳しく聞きながら、な・・ワハハハハ・・・」

 父はそう言って笑うと、パンパンと手を鳴らして使用人を呼び、噴水の泉を前にした石造りのテラスに朝食の用意をするように命じ、兄の隆範もこの庭に呼ぶように言った。

「かしこまりました、先にボランジェをご用意いたしましょうか・・?」

「うむ・・・」

「’66年のものがよく冷えておりますが・・」

「それでよろしい」

 初夏の風が心地良い爽やかな朝に、久々に戸外で息子たちと共に朝食を楽しもうという主人の気持ちを汲んで、食前に主人の好みのシャンパンを添えようという使用人の心遣いに頷くと、父は、再びパイプの煙を燻らせた。

 父のパイプ煙草は、ボルクム・リーフというデンマークの銘柄で、煙草嫌いの人でも思わずその匂いに惹かれてしまうような、上質のモルトウイスキーにも似た甘く上品な香りがした。それは、いかにも世界を舞台に学び、成長して、日本の貿易の土台を造ってきた人に相応しい香りのように思えた。


 さっき、父が自ら語ったように・・・この一家は、いつの時代にも中国とは浅からぬ縁があった。

 父の光興(みつおき)は、当時日本の統治下にあった台湾で生まれた。
 宏隆の祖父にあたる、光興の父・隆興(たかおき)が、台湾総督府の高官として赴任していたためである。

 少年時代を台北で過ごした父は、祖父が邸内に呼び寄せた武術家に「内家拳」と呼ばれる中国武術を学んだ。この内家拳とは、今日、太極拳、形意拳、八卦掌などの内功拳術の総称とされるものではなく、明末に存在した北派短打拳術の一種が南方の温州に伝来したと言われる、南派拳術に近似した武術のことである。

 当時の台湾には柔道や剣道を教える日本人がほとんど居なかったということもあったが、祖父自身も武術に優れ、中国独自の武術を高く評価していた。また、光興も子供ながらそれに興味を持ち、熱心にこの異国の武術を学んだという。

 やがて祖父と共に家族は日本に戻ったが、父は上海の「東亜同文書院」という、当時アジアで最も大きな大学に留学をした。
「同文書院」は、当時の日本が中国との文化交流の架け橋を創らんとする大いなる構想を実現しようとするものであり、また、欧米諸国の脅威に敢然と立ち向かえる人材を育てる大きな学府をアジアに設置する目的もあった。そこには日本中から選りすぐられた英才たちが集い合い、優秀な者は国費で留学することが出来たが、その入学試験は日本で最も狭き門としても知られていた。

 同文書院を卒業した父は、その後数年間、見聞を深めるために大陸を放浪して歩いた。
 放浪中には或る馬賊に捕らえられてしまったが、その場で頭目の息子と激しい素手の勝負をし、その戦いっぷりが頭目に気に入られ、半ば馬賊の一員として迎えられ、そこで射撃や馬術を訓練した。
 また頭目の口利きで、馬賊と所縁(ゆかり)の深い道教の寺院を紹介され、滞在して武術の名師に就いて学ぶことを許され、幼少から身に付けた武術に更に磨きをかけた。

 帰国後には柔道で三段、剣道で五段の腕前になったが、ちょうど神戸の御影(みかげ)で琉球唐手を本土に普及するため指導していた達人「本部朝基(もとぶちょうき)」を知り、その拳理の高度さに感動し、熱心にその武術を学んだ。
 それは「御殿手(うどんでー)」と呼ばれる、琉球王家を外敵の侵略から守るための、王族だけに伝えられる特別な武術であったが、父が幼少から学んだ内家拳や大陸の道教寺院で学んだ武術にも共通するものが多くあったという。

 父が学んだ武術はそのように多岐に亘っていたが、その実力は、終戦直後の神戸三宮駅構内でわがもの顔に乱暴狼藉を働いていた三国人の暴力集団にただ独りで立ち向かい、やがて武器を手に加勢に駆けつけた仲間が徐々に増え、総勢が三十名ほどにもなったが、全員を完膚無きまでに叩きのめし、その内二十数名を病院送りにしたというすさまじいエピソードだけでも、充分に理解できるものであった。

 日本の警察力自体が GHQ によって弱体化されていた当時、その事件は大きなニュースとして市民の知るところとなり、敗戦のショックから覚めやらぬ人たちに大きな勇気を与えた。また、そのニュースは、同じ思いでその暴力集団を一掃しようと独自に自警団を結成し始めていた、神戸の有名な日本人暴力団組長にも深い感銘を与えたという。

 やがて父は、親族が経営する商社にしばらく身を置いて経営を学んだ後、自ら新しく貿易会社を興して青年実業家となった。事業は祖父の旧友たちの惜しまぬ援助もあって見事成功し、今日、神戸でその名を知らぬ者はなく、特に自他共栄の精神でアジアの力を高めようとする真摯な姿勢は、アジア諸国から大きな信頼を得るものとなった。


 その息子、宏隆に、実業家の才があるかどうかは兎も角・・・大学生の不良グループ三名を瞬く間に一蹴してしまった彼の武術の才は、紛れもなくその父の血を色濃く受け継いだものに違いなかった。

taka_kasuga at 20:20コメント(8)連載小説:龍の道 | *第11回 〜 第20回 

コメント一覧

1. Posted by tetsu   2009年05月19日 21:08
これまた・・・お父さんのエピソードがすごいこと・・・。
宏隆君は生まれた時から何か運命(さだめ)というものがあったのでしょうね〜。

2. Posted by 春日敬之   2009年05月20日 13:36
☆ tetsuさん
コメントをありがとうございます。

>お父さんのエピソードがすごいこと・・
はは・・そうですね。
大化の改新にも、戦国時代にも幕末にも、かつての日本にはこんな人がゴロゴロ居たモンですが、
今じゃすっかりカゴの鳥ばかりになって、エサを貰っているカゴの中から騒ぐばかりで、
独りで立ち上がって天下のためにひと働きしよう、などというような熱い血潮が無い・・・
表面的な平和とお金が有って、ほどほどの自己主張が出来さえすれば満足、
という人間ばかりが、この国に増えたように思います。
・・まあ、この小説ではこんな人も日本に居たのだと、こんな人が日本を支えてきたのだと、
少しでも読者に感じていただければと思い、筆を走らせた次第です。

>何か運命(さだめ)というものが・・
この親にしてこの子あり、と言いましょうか。
ナウシカの『サダメならねぇ・・』と言うくだりは、ちょっとした流行語にもなりましたが、
ほんとに、サダメというのは自分ではどうにもならないものですね。
宏隆くんも、そのサダメを嫌というほど身に染みて感じていると思うのですが、
サダメし今後の彼は、サダメに甘んじて生きるのではなく、それに真っ向から立ち向かい、
それによって自分を高め、どんどん成長に利用していこうとするはずです。
今後の彼の成長に、どうぞご期待下さい。

3. Posted by のら   2009年05月21日 02:21
勿論、この物語はフィクションで、登場人物は全て架空のものなのでしょうが、(笑)
王先生やK先生、宏隆くんの父、馬賊の頭目やその息子、本部朝基・・・
そう遠くない時代に、本当に「武術」を真剣に生きていた人たちが居たということに感動します。
そして、本物の武術を学んできた人の、何という強さでしょうか。
この小説には、本物の武術を身に付けた人の人間的な深さや味わいが描かれていて、
いつも楽しみに読ませていただいております。
それに、ボランジェは私の好きなシャンパンでもありますし・・・

4. Posted by マルコビッチ   2009年05月22日 00:46
いやー、宏隆君のお父さんって凄い方なんですね!
武術にもすぐれ、実業家でもあり・・
もし目の前にいらしたら近づけないでしょうね(汗)

太極拳や八卦掌のことではない内家拳・・
南派拳術に近似した武術ってどんなのだろう・・
見てみたいなあ!
宏隆君のお父様にも怖いけど会ってみたい!!(小説だってば)

5. Posted by 春日敬之   2009年05月22日 12:03
☆のらさん
ちょっと昔までは、この国にも「漢(おとこ)」が居たんですねー。
「益荒男」とか「日本男児」なんて言葉は、とっくに死語になりました。
おっと、「大和撫子」ってのも、もう絶滅しましたかね〜(涙)
今の日本の若者を観るに、ちょっと未来の日本を支えるのは難しいような・・
この時代から見て、宏隆くんはどんな人間に映るのでしょうね。

・・うーん、どうなってるんだ、日本!!

ボランジェはコクがあって美味いですね。
何でも、黒葡萄を使う比率が高いゆえとか・・・

6. Posted by 春日敬之   2009年05月22日 12:06
☆マルコビッチさん
コメントをありがとうございます。

>もし目の前にいらしたら近づけない・・
うむ。私もきっと近づけませんね。ジロッと見られた途端に逃げ出しそうです。
でも、こういう人ほど、意外と気さくだったりして・・・(笑)

>怖いけど会ってみたい!!
・・よろしかったら、今度ご紹介しますよ(小説だってば〜)
でも、朝からテラスでボランジェなど頂いてみたいもんッスね〜・・・

7. Posted by まっつ   2009年05月23日 01:29
朝からシャンパンですか〜
ムム、しかも'66年のボランジェは秀逸だとの噂・・・
実にウラヤマシイです!

ボランジェは、力強くてスケールが大きい、
当に漢(おとこ)のシャンパンですね。

紳士でありながら、豪儀な一面を併せ持つ、
不動明王のようなお父さんにはぴったりですね。

フィクションとは思えない位に、
生々しい息吹を感じる展開!
どーなるんだ次回!(C)
期待してます!

8. Posted by 春日敬之   2009年05月23日 10:36
☆まっつさん
・・おっ、今回は日数が余裕のコメントですね、ありがとうございます。(笑)

シャンパンは、人生をきちんと歩んできたオトナに相応しい酒ですね。
そこらの若造が・・いや違った、若者が、それを飲んでも似合わない・・・
散々手間暇をかけ、さらに大切に、時間を掛けて寝かせて造ったサケは、
まだ何の手間暇もかけていない、何の熟成もされていない青いボウズたちが、
知ったかぶりをしながら見様見真似で飲んでも、何十年も早いように見えます。
宏隆くんの父親のような、人生の功夫を積んだ人にのみ与えられるべき物だと、
サケ好きの私としては、思います。
でも、若造の皆さまにこそ飲ませて、味わわせてあげたい、
こんな凄い世界もあるんだゾ、ということを伝えたいとも思いますが・・

>フィクションとは思えない位に、生々しい息吹を感じる展開!
うーん・・名文だなぁ・・・
事務局さん、今度まっつさんに武藝館のコピーを書いて貰ったらどうでしょうかね?
こんな文章を書ける人に、この小説を代わって書いてほすい、と、
ニワカ小説家のフリをしているアタシは、つくづく思いますね。(汗)

・・そうだ!、確かもうひとり、何とか賞候補の小説家志望の門人も居ましたよね!(笑)


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