2009年03月18日

連載小説「龍の道」 第9回




 第9回 南京町(4)


 初対面の、それもたった今、お互いに二言三言、言葉を交わしただけに過ぎないのに、この人はもう、自分に向かって「打ってこい」と言うのである。

 そう言われても・・・と、救いを求めるようにK先生の方を見ると、

「せっかく、そう言って下さっているのだから・・・
この際、良い勉強だと思って、何でも試させていただきなさい」

 にこやかな顔をして、K先生が言う。

 宏隆は仕方なく、ともかく立ち上がって、その人の前に行った。


「遠慮は要らない・・・君の得意なやり方で、好きなように私を攻撃してごらん」

 そう言われても、まだ、なんとも気乗りがしない。
 だいたい、稽古でもケンカでもないのに、打って来いと言われても、ハイそうですかと人を打てるものではない・・・
 
 そう思いながら、宏隆が渋っていると、

「来(ライ)・・・!!」

 突然、雷鳴のような声が宏隆を貫き、思わず、身体がビクッと震えた。
「さあ、来い!」と言っていることは、通訳して貰わなくとも、宏隆にも分かった。

 しかし相手は、その王先生は、ただ普通に立っているままである。

「よし、そんなに言うなら、やってやる・・・
 でも、そんな恰好で突っ立っていて、このパンチが当たっても知らないぞ!」

 持ち前の負けん気がムクムクと持ち上がって来て、宏隆はようやく、日頃のケンカ大将のギラギラした目つきになってきた。

 まるで空手のように、両手を軽く拳に握って、体の前に構える。
 しかし、宏隆の構えは単なる空手に似せた構えではない。それは小さい頃から今日まで、数限りない百戦錬磨のケンカ三昧の経験の中から得られた、相手に対して最も動きやすく、攻防に有効なように工夫に工夫を凝らした、彼独自の「構え」であった。

 そして、こんな時の彼は、ジリジリと間合いを測ってからおもむろに戦うなどといった、小説に出てくる名人同士のような戦い方とは、まるで正反対であった。

 構えた途端に・・・相手にも、そして自分にも、考えるゆとりをまったく与えず・・・

「ィヤァーーーッ!」

 躊躇なく、唐突に飛び込んで、得意のパンチを真っ直ぐに、構えもせずただ突っ立っているだけの、その人の顔面に叩き込んだのである。

 ・・これは、確かにかなり速い突きであろう。宏隆の実力を知らない並の相手であれば、この一撃だけで容易に倒されてしまうかも知れない。
 何より、その突きを出すための身体の移動が速いのである。一歩踏み出して拳を打つまでに要する時間は、空手の組手などで見かける突きと比べてもかなり早い。少なくとも、このような鋭い突きは、ただのケンカ大将のレベルで出来ることではなかった。
 先ほど彼自身が語っていた、空手の道場に入門してすぐ、黒帯の先輩たちを手玉に取ったという話も、決して大袈裟な話ではないことが分かる。
 彼の一撃は、よく研究され、訓練された速さを持つ、レベルの高い突きであった。

 しかし・・・・

 宏隆の拳は、彼の意に反して、虚しく中空を打っていた。

 いや、そればかりではない。
彼が打ったと思える方向とは、まるで違うところに、自分の拳が伸びていたのである。
 
「・・えっ? ・・・ど、どうなってるんだ?」

 いつ移動したのか・・・

 その人はすでに、自分が打ったところからは、少し離れたところに、さっきと同じようにスラリと立っている。

 しかし宏隆には、相手に攻撃を躱(かわ)された、という感覚がまったく無い。
実際のところ、相手の身体がいつ動いたのかさえ、分からなかったのである。

 ・・もしかすると、自分がちょっとヘマをしたのかもしれない、と思える。
 いや、そうであっても不思議はないかもしれない。何しろ今日という日は、この南京町に足を踏み入れてから、常識では有り得ないことばかり起こり続けている。
 有名な中華料理店の奥の部屋から、怪しげな地下に降り、秘密の通路を長々と通り抜けてこの部屋に案内され、美人の汲む熱いお茶を飲み、まったく言葉の通じない中国人の武術家に紹介され、挙げ句の果てにはその人から「好きに打ってこい」と言われているのである。
 それで平静を保てるのは、よほどの図太い神経か、鈍感な奴かのどちらかだろうと思う。

 躱された気がしないのは不思議だったが、それよりも、決して日頃のケンカのような本気ではなかったとは言え、自分のパンチが掠りもせず、何よりも、これっぽっちも相手を脅かしていないことに、宏隆は少し腹が立っていた。

 すると、そう思った矢先に、

「・・それだけかね? 君の武術・・いや、ケンカ術というのは・・・」

 追い打ちを掛けるように、そう言葉を浴びせられ、ちょっとカチンと来て、

「よし・・それなら、今度はお望みどおり、本気で当たるように打ってやるぞ」

 意を決して、まだ先ほどと何も変わらず、同じように立ったままのその人に向かって、今度は隙を窺いつつ、ジリジリと間合いを詰め、慎重に、しかし思い切りスピードを乗せて渾身の気合いと共に拳を出した。

「ウリャアァァァァ!・・・」

「当たった・・!!」

 ・・・と、そう思えた。見事な、会心の突きだったのである。

 しかも相手は、自分の拳を躱すべきタイミングの時に、まだ避(よ)け始めてはいない。
狙った標的である相手の顔が、まだそこに、そのままあったのである。
 今度こそ確かに、その拳を、完璧なまでにヒットさせたはずであった。

 ・・・しかし、またしても同じことが起こっていた。

 宏隆の拳は、今度は当たらぬどころか、期待を裏切って、まったくあらぬ方向に・・・
自分が打ったつもりのない方向へと、大きく、空しく逸れていたのである。

 当たった、と思ったその人の顔は、
残像だけを残して、そのまま、一歩も動かずにそこに立っていた。

 まるで霧のスクリーンに投影された虚像に向かって打って行ったように、相手が避けもしないのに、ただ自分が大きく崩され、相手の居ない空間に拳を突いていたのである。
 しかも、宏隆は自分の拳が当たらなかったことを認識してからようやく、自分が崩されたということに気付かされたのであった。
 
「・・・な、何だ、これは? ・・なぜ当たらない? こんな馬鹿な・・・!」

 宏隆には、まるで狐にでも化かされているような感覚があった。

 これは、言ってみれば相手が自分の攻撃を躱したのではなく、わざわざ自分の方から相手を避けて突いて行っているようなものなのである。宏隆が真っ直ぐその人に向かって突いて行ったと思っているパンチの軌跡は、明らかに、初めから相手の居ない空間を目指して突いてしまっているものであった。

「・・・こんな事があるはずがない」


 もう、宏隆には、何の遠慮も、躊躇い(ためらい)もなかった。

 二撃、三撃と、可能な限りの速さで、どんどん拳を打ち続けて行く・・・
しかし、どの角度からでも、たとえ僅か5〜60センチほどの至近距離からでも、どれほど速く打っても、彼の打ち出す拳は、まったく相手に掠(かす)りもしない。

 それどころか、打った拳が顔に触れるほど近いはずの間合いが、何故か自分が思った距離よりも遠いのである。近いと思って打てば遠く、また近づけたと思って打っても、結局は相手が遠くに居るのである。
 それに、素早く連打をしようとしても、初めの一打ですでに大きく崩されてしまうので、連打をさせてもらえないのだ。かといってゆっくりと連打をしても、それでは当たるわけもない。

 たとえジャブのように軽く様子見で打っても、打ち始めたときには、もう身体が崩されている。本来はその後のストレートにつなぐための牽制なのである。その後に打たれるはずの強力なパンチは、すでに崩されている身体から打つことを強いられるので、ますます当たるわけがなかった。

「駄目だ・・・当たらない・・・・」

 ここぞ、という処で拳を素早く出せば出すほど、それに比例して自分が崩されていく。
しかも、その崩され方は、だんだん大きく、だんだんひどくなっていくのだ。

 一体、どう避けられ、どう躱されているのか・・・

 かと言って、相手が素早く走り回って避けているわけではない。
 相手は・・・王先生は、足の位置をほんの少し、わずかに2〜30センチほどゆっくりと移動するだけで、ほとんど動いていない。相変わらず手をダラリと下げたまま立っていて、宏隆が打って来るところを避けようともしていないのである。

 にもかかわらず・・拳を打つ度に、宏隆は大きく崩され、飛び跳ねさせられてしまう。
そして、崩された身体は、すぐには元に戻らない。一度拳を打てば、身体を立て直すまでの間、部屋の中を何歩か走らせられるのである。
 おそらく、素人が傍(はた)から見ていれば、まるで宏隆だけがあらぬ所に向かって腕を大きく振り回し、踊り狂っているように見え兼ねないような有り様なのであった。


「・・それだけかね? 君の、ケンカの強さというのは・・・」

 まったく避けるような動きもせず・・・
また、手を出して宏隆の攻撃を捌くような仕草もまったく無く・・

 こちらから見れば、ただ立ってユラユラしているだけにしか見えないその人の、少し笑みを湛えた声が、早くも息が荒く上がってきた宏隆には、大きな侮蔑に聞こえた。




      

                          *写真はイメージです

taka_kasuga at 20:20コメント(12)連載小説:龍の道 | *第1回 〜 第10回 

コメント一覧

1. Posted by トヨ   2009年03月18日 23:06
>宏隆の拳は、今度は当たらぬどころか、期待を裏切って、まったくあらぬ方向に・・・
>自分が打ったつもりのない方向へと、大きく、空しく逸れていたのである。

う〜む、ついに出ましたね…。
このようなことが可能とは、武術とは本当に驚愕に値します。

いや、でも、これはフィクションとあるし…。
あれ、でも似たような経験があるような?(笑)

腕に自信のあった宏隆くんにとっては、ショックな出来事だったことでしょう。
しかし、ここからまた新たな世界が開けるのですね。
展開がますます楽しみです。

2. Posted by まっつ   2009年03月18日 23:43
風雲急を告げる展開ですね!

むむぅ・・・
拳がA地点からB地点にただ動く事が妨げられるとは、
物理法則に反しているではないですか!

はっ、さては王先生は空間を捻じ曲げる超能力者とか・・・

さぁ、宏隆くんは一矢報いる事ができるのか?
どーなるんだ次回!
期待してます。

3. Posted by ほぁほーし   2009年03月19日 04:30
う〜ん、おもしろくなってきましたね!
宏隆くんが一撃を放った後の気持ちが、よ〜くわかる気がします。

・・ホントに当たらないんですよね。
いや、動きを制せられるとか、打たせてもらえないというわけではなくて、
きっちり腕が伸びるくらいに打っているのに、掠りもしないんですよ。
連打をするように言われても、それが出来る身体の状態にならないんですから、
もう、お話になりません。(笑)

・・ジャブ?
無理です。

それにしても、この後どうなるんでしょうか。
王先生が攻撃に転じるのか。
それとも宏隆くんが自分の経験を生かして策を練るのか。

楽しみです!

4. Posted by 春日敬之   2009年03月19日 22:33
☆トヨさん
>・・あれ、でも似たような経験があるような?(笑)

そりゃもう、あーた・・コレこそが太極拳のナニっちゅうモンですからねー(笑)
特に陳氏は、こんなコトのために、わざわざあんなコトして稽古するんですから、
ソレを経験しているコトこそが、すんごい武術を学んでる、っちゅう証しカモですよ〜

・・というワケで、どうぞ次回も乞期待!!

5. Posted by 春日敬之   2009年03月19日 22:36
☆まっつさん
>拳がA地点からB地点にただ動く事が妨げられるとは・・・

そ〜なんですよ、川崎さん・・・じゃなかった、まっつさん(古・・)
犯人は、一見これが「物理法則」に反しているように見える、ということを利用して、
A地点からB地点に向かう間の何処かで、この犯行に及んだのだと思われますね。
いや、もしかすると、A地点という出発点の以前からそれが始まっていたのかも知れない・・
そんなニオイさえ感じられます。 
う〜ん、何れにしても、犯人はなかなか強かですね〜・・・

また、王先生のような人の前に立つと、空間が捻じ曲がっているように感じられるのでしょうが、
それは、実は王先生の体軸が余りにも非日常的に整っているために錯覚させられていて、
自分の身体の軸の不備や捻れが、鏡のように王先生に反射してそう思えるのではないでしょうか。

・・と、いうわけで、川崎さん・・じゃなかった、まっつさん・・・(再古・・)
どーなるんだ次回! の、「龍の道・第10回」を、乞御期待です〜!!

6. Posted by 春日敬之   2009年03月19日 22:44
☆ほぁさま
>宏隆君が一撃を放った後の気持ちが、よ〜くわかる気がします。

・・いや、そう言って下さると、宏隆くんも救われますね。
自分とは、こぉ〜〜〜〜んなにも、実力の違う相手に対したときの焦りや惨めさは、
「ドングリの背比べ」に慣れて、それを体験したことの無い人には決して分かりませんね。
それが分かった人は、真に ”幸せ者” と言うべきでしょうか。
>・・ジャブ? 無理です
・・って言えるんですからね。

それが分からない人は、分からないままジャブを出してしまうし、
宏隆君みたいな目に逢っても、結局そのレベルも、そこから先のレベルも分からない。
それって、殴られても、投げられても、斬られてもまだ分からない、
その後でようやく気がつく、ってコトですよね。
うーん・・・武術の奥は深いッスなぁ・・・・
特に、この太極拳って言うヤツは、ホントに武術としてすんごいと思います。

さて、次回はどうなりますことやら・・
どうぞご期待下さいませ。

7. Posted by マガサス   2009年03月19日 23:04
いやー、たまらんッすねー、この写真・・・

この物語はフィクションであり・・・なんて、文頭に書かれておりますが、
この写真は・・・ちょっと怪しすぎます。
もしかして、ほんとに某所に取材に行って撮ってきた写真なのでは・・・?

ひぇ〜・・・ちょっと怖くなってきました〜

でも、怖い物見たさで、次は部屋の様子も出して欲すい . . . . (汗)

8. Posted by 春日敬之   2009年03月20日 00:21
☆マガサスさん
>もしかして、ほんとに某所に取材に行って撮ってきた写真なのでは・・・?

・・こ、こ、この写真は、ボクが撮ったんじゃありませんよぉ・・(汗)
事務局サンが原稿に添えてくれたんですよぉ・・
どこの写真なのか、何の写真なんだか・・・
ボクは何にも知りません、知りませんよ、ええ、知りませんですとも!・・・

9. Posted by マルコビッチ   2009年03月20日 11:27
ちょ〜っと、ちょっと、春日様!
すっごいですね〜これ!
いったい王先生って何者?
宏隆君だって相当強い腕前のはずなのに・・・
でも、これと同じことが我が道場でおこっているような・・・ハハハ・・(汗)
しかし、この写真といい・・気をつけて下さいね。
オーストラリアの海にはサメがいるんでしょ?
だけど、怖いもの見たさで次回が楽しみです。

10. Posted by とび猿   2009年03月20日 13:37
ウワッ!!どんどん凄い展開になってきました。
こちらから見れば、ただ立ってユラユラしているだけにしか見えない相手にナゼか当たらない・・
気付くと自身が崩されている・・・
こ、これは非常にコワイ(汗)
そして写真もコワイ(冷汗)
この後、どうなるのでしょうか!?

11. Posted by 春日敬之   2009年03月21日 00:25
☆マルコビッチさん
>いったい王先生って何者?
それは小説が進むにつれて、だんだん明らかになってきますね〜(笑)
・・どうぞお楽しみに。

>オーストラリアの海にはサメがいるんでしょ?
えーっと・・・そりゃもう、ウヨウヨおりますけれども(汗)
まあ、日本の海にもサメは居りますし・・・
ハリウッドにはその昔、JAWSとかいうデカイのも居りましたですね〜・・
大体サメちゃんは、比較的浅い岩場のあるところに来たがるんです。
でも、珊瑚礁の所には、彼らのサメ肌に引っ掛かるので嫌がって来ません。
そして、ボクは珊瑚礁の海が大好きなので、まず大丈夫でしょう・・(笑)

次回、まだ悪夢からサメやらぬ宏隆くんに、乞御期待です!!

12. Posted by 春日敬之   2009年03月21日 00:33
☆とび猿さん
う〜ん、世の中にはコワイことがいっぱいあって、
何だかボクも書いているうちに怖くなってきましたね〜
このコワイ写真はボクの提供じゃありませんが、
今後もっといろいろと出てくる可能性もあるので、やっぱりコワイですね〜・・・(汗)

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