2009年03月08日

連載小説「龍の道」 第8回




 第8回 南京町(3) 


 開かれた扉の向こうには、さっきこの部屋に自分たちを案内した、あの、如何にも屈強そうな大男の中国人の顔があった。
 男は、一歩部屋に入ると、そのまま入り口を塞ぐように立ち止まり、何かを確認するかのように、少しのあいだ部屋の中を隅々まで見回していたが、すぐに歩を横に移して、塞いでいた路を開けた。

 大男の後ろには、黒い長袍(チャンパオ)という裾の長い中国服に身を包んだ、五十絡みの男性が立っていた。

 K先生がその人を目にした途端にスッと席を立ったので、宏隆は慌てて飲みかけの茶碗を卓上に置いて起ち上がった。
 K先生はその人と親しげに握手をし、中国語で二言三言、何やら簡単な話をしていたが、すぐに宏隆の方を向いて、中国語と日本語でそれぞれに紹介した。
 「王 (wang) 」という名前であるというその人は、身長は宏隆よりもやや低いが、スラリと細身の、穏やかそうな感じがする人であった。

 宏隆が姿勢をあらため、深くお辞儀をして日本語できちんと挨拶をすると、その人は笑顔で彼にも椅子を勧め、自分も席に着いて、親しげに流暢な中国語でK先生と話をし始めた。
 K先生がこれほど中国語に堪能であるとは全く知らなかったので、宏隆はちょっと驚いたが、K先生の父が特務機関員として中国大陸で活躍していたという事を思い出し、おそらく「東亜塾」は、未だに大陸と大きな関わりを持っているのだろうと想像した。

 王先生という、その武術家は、見かけはごく普通の人と何も変わらないように思える。
 長袍の服は神戸ではそれほど珍しくはない。南京町の料理店で食事をすると、近くの席にそのような服に身を包んだ中国人たちが円卓を囲んでいるのも、よく見られる光景である。
 この人は長袍がとても似合っているが、きっと三揃えのスーツを着せても、中国服に負けないくらいよく似合うだろうと思える。そんなモダンな感じのする紳士である。

 K先生と話をしている様子からは、この人が穏やかで温かな人であることがありありと分かるし、その話しぶりも、中国語で何を話しているのかは解らないのだが、多く教養を積んできた知的な人であるということが感じられる。また、表情や仕草にも品格があって、よく南京町で見かける中国人の顔とは、ちょっと雰囲気が違っている。
 そして、よく見れば、その彫りの深い顔に光っている眼差しは奥底が深く、眼光の片隅には鋭い輝きが時折り見え隠れする。それはK先生が言うように、決してこの人が平凡な歳月を無為に生きて来た人ではない、優れた武術家であることを想わせた。

 ただ、宏隆が先刻(さっき)から気になってならないことがある。
わが目を疑いたくなるような、何とも奇妙な感覚が、そこにあった・・・
 何故だろうか、椅子に座っているその人の姿が、何だかまるで宙に浮いているような気がしてならないのである。果たして、普通に、きちんと腰掛けているのかどうか・・・?
 話をしている二人を邪魔せぬように、そして、それに気付かれないように気を遣いながら、その人の着座している辺りを、ちらちらと、何度となく眺めてみるのだが・・・
 そんな馬鹿なことが、と思いながらも、見れば見るほど宙に浮いているように見える。
宙に浮いているような、水に何かを浮かべて、その上に座っているような・・・
 しかし・・そう感じられはしても、やはり、どう見てもきちんと腰掛けているのである。
普通に考えれば、椅子に座っている人が宙に浮いている訳はないのだが、何故かそう見えてしまうことの何かが、宏隆には不思議でならなかった。


 K先生はしばらくの間、その人と談笑していたが、やがて、宏隆に向かって、

「君はとてもケンカが強いそうだね・・・と、王先生は仰っているが・・・」

 K先生が通訳をして、いきなりこう言ったので、宏隆はその突然の言葉に、ちょっと面喰らってしまった。初対面の者に対する最初の言葉にしては、いかにも唐突である。しかし、その中国人の先生の言葉遣いや態度はとても丁寧で礼儀正しかったので、ごく自然に、

「はい・・まあ、そうですが・・・」

 などと、つい、そんな風に答えてしまったのだが・・・
 そう言ってから、すぐに後悔した。

「君は武術が好きかね・・?」

 しかし、後悔する暇もなく、続けて問いかけてくる。

「はい、とても好きです」

 今度は迷わず、ハッキリと答えた。

「では、なぜ、それほど武術が好きなのだろう? ・・ケンカに勝つためかね?」

 少し微笑んで、その人が訊ねてくる。

「はい・・あ、いえ、それも少しありますが、本当はもっともっと強くなりたいからです」

「そんなに強くなって、いったいどうするつもりなのだろう?」

「・・・わかりません。ですが、自分の弱さがよく分かるからです」

「自分が弱いから、だから強くなりたい、ということかな?」

「・・はい、ケンカには少しばかり自信がありますが、自分の心はとても弱いものです。
いつも何かに怖れを抱いたり、いろいろなことに挫けそうになったりもします。
 武術をやっているときにも、そんな自分がたくさん出てきますが、稽古をしている時には冷静にそれに向かっていられます。そこでなら負けないようにしていられるし、もっと違う何かが得られていくような気がするのです・・・」

 K先生が通訳をし易いように、宏隆はできるだけ簡単な言葉を選んで話した。
 
 その人は・・・王先生は、何も表情を変えず、椅子に座った姿勢にも全く乱れがないまま、続けて宏隆に問いかけてくる。

「弱い自分に負けたくないから、ケンカ三昧をするのかね?」

「そうかもしれません・・・でも、戦うのは好きです。
戦っているときの自分は、他のどんな時よりも、充実しているように感じられます」

「戦った後は、気分が良いかね・・?」

「いえ・・・なぜか、いつも空しくなります。
勝ったこと自体は気分が良いですが、なぜ自分がそのような、戦うことを選んだのか、何故そうせざるを得なかったのか、相手を傷つけない、もっと違う方法がなかったのか・・いつも振り返っては、後悔することばかりが多いです」

「ふむ・・・・
ところで、君は本当の武術を見たことがあるかな?」

「K先生のところで、いつも素晴らしい居合いの技を拝見していますが・・?」

 すると、初めて、その人は少し笑って、

「ハハハ・・K先生の居合いは素晴らしいものだが、今の時代の日本で刀をぶら下げて歩くわけにはいかないし、刀で斬り合いをするわけにもいかないだろう・・・
サムライではない・・・私が訊ねているのは、武器を持たなくとも戦える武術のことだよ」 

 ・・と言った。

「K先生に柔術を教えて頂いていますし、少しですが、空手を学んだこともあります」
 
「カラテは好きかね・・・?」

「空手も嫌いではありませんが、沖縄の伝統のものと違って、流行りのキックボクシングのような感じで・・・練習は筋肉の強化や試合用の組手ばかりで・・・入門早々、初心者の僕でも黒帯を何人も倒せてしまったので、先輩方にも煙たがられて、自分も嫌になって辞めてしまいました」

「ほう・・近ごろのカラテは、そんなものかね・・・」

「・・・ですから、結局は自己流の戦い方です。でも、まだ負けたことはありません」

 自信ありげに・・・最後につい、胸を張ってそう言ってしまったことを、またしても、宏隆は後悔したが、

その人は、静かに微笑みながら、

「君はなかなか元気がある。 父君のお噂も以前から聞いているが・・どうやら君は、お兄さんの隆範くんよりも、ずっとお父さんに似ているようだね」

「父のうわさを・・・?」

 宏隆は、父や兄の事をどうしてこの中国人が知っているのか、とても不思議に思ったが、
そんな想いも、次のひと言でどこかへ消し飛んでしまった。


「・・ちょっと、私を打ってみないか? 打つなり、蹴るなり、好きなように・・・
 それとも、君には、私を打つ勇気がないかな・・・?」

 微笑んで、そう言いながら・・・

 その人は、すでに音もなく席を離れて、部屋の広いところに立っていた。


taka_kasuga at 20:08コメント(8)連載小説:龍の道 | *第1回 〜 第10回 

コメント一覧

1. Posted by マルコビッチ   2009年03月08日 23:01
え〜〜、またしてもここで続くですかあ〜?!
ちょっと、宏隆くんやばい雰囲気じゃないですかあ?
でも何で、この謎の中国人は宏隆のお父さんやお兄さんを知っているんだ?
ちょーっとどうなっていくんだか・・・18日が待ち遠しいですう!

2. Posted by ほぁほーし   2009年03月09日 00:25
ふむむ・・・ますます面白くなってきましたね!
しかし、今回初登場の王先生は、私が想像していた人物とはずいぶん違いました。
もっと厳しい表情の、見るからにコワイ人かと思ってましたから・・。
宏隆くんとの問答も、意味深く感じました。
つい、答えてしまってから後悔する・・というところなど、共感してしまいます。
次回が楽しみです!

3. Posted by まっつ   2009年03月09日 23:33
王先生・・・
怖すぎです・・・
特に最後のフレーズなど・・・

本当に恐ろしい人は、人間の底が見えない深さだと思います。

いよいよ手に汗握る展開となってきましたね。
どーなるんだ次回!
期待してます!

4. Posted by 春日 敬之   2009年03月10日 02:56
☆マルコビッチさん
>え〜〜、またしてもここで続くですかあ〜?!

ははは・・そうしないと、連載として面白くないので・・・すみません。
謎の中国人は、いよいよ本領発揮です。お楽しみに!!

5. Posted by 春日 敬之   2009年03月10日 03:06
☆ほぁほーしさん
>もっと厳しい表情の、見るからにコワイ人かと・・

名人、達人、奇人、安左之无、などは、私たちの想像に反して、
意外と優しい人だったりしますね。

>・・共感してしまいます

若さとは、きちんと後悔できることであるかもしれません。
「愛するとは、決して後悔しないこと」なんていう副題の映画も、
その昔にありましたが。(いいなぁ〜)

6. Posted by 春日 敬之   2009年03月10日 03:12
☆まっつさん
>本当に恐ろしい人は、人間の底が見えない深さだと思います。

そう、武藝館のファミリー・モットーのひとつにある通り、

「怖ろしいものは美しい。美しいものは怖ろしい。」

ですね。

容易に底が見えてしまうものなど、美しくも怖くもありません。

・・次回を乞御期待!!

7. Posted by のら   2009年03月12日 18:10
>名人、達人、奇人、安左之无、などは、私たちの想像に反して、
>意外と優しい人だったりしますね。

スティングの名曲「Shepe of My Heart」が聞こえてきそうな・・・♪

 He deals the cards as a meditation
 And those he plays never suspect
 He dosn't play for the money he wins
 He doesn't play for respect
 ・・・・・・

 I know that spades are swords of a soldier
 I know that the clubs are weapons of war
 I know that diamonds mean money for this art
 But that's not the shepe of my heart

8. Posted by 春日敬之   2009年03月15日 15:15
おっ、スティング、いいっすね〜・・

 知ってるさ
 スペードは戦士のツルギ、クラブは戦争の武器、
 ダイヤはそれを支えるためのお金だって・・
 でも、それは、ぼくの心のかたちじゃぁない・・・


これがテーマソングになった映画も、良かったッス!!

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