2009年03月04日

練拳 Diary #10「ボール乗り番外編 ”なんちゃって太極拳発見器”」

 ある日の稽古で、套路を練っていた時のこと・・・

 その日もまた、身体の使い方が細部に渡って比較、検証され、腰勁のはたらきはどうか、胯の要求はどうか、その動きは基本功の原理と異なるから、太極拳にならない・・・等々、門人同士で疑問や問題点を出しては、ひとつひとつを掘り下げていく稽古が行われていました。

 しかし、どれほど原理を見直しても、基本功と照らし合わせてみても、どうしても師父のような套路の動きにならないところがある・・というのです。
 もちろん、師父の動き ”そのもの” になど、そう簡単になれるわけがないのですが、基本原理として見て、あまりにもそれが違和感をもって感じられるので、皆がそう言い始めたのです。

 それは、師父の足がフッと浮くように揚がるところで、未だ足が上がる状態になっていなかったり、大きく足を横に踏み出して靠(カオ)の姿勢で入るような時のタイミングが、どうしても遅くなってしまう、というものでした。

 しかし、足を上げようとしてもその構造にならなければ決して上がるものではありませんし、動きが遅いからといって、その動作を速くすれば良いわけでもありません。
 そもそも、「身体の使われ方」が違うために生じている、各個人の身体に染みついてしまった「間違った構造」が問題なのであって、表面的に足を上げ、素早く動いたとしても、それでは太極拳になるはずもありません。
 また、当然ながら、その状態では「勁力」も生じるわけがないので、試しにそのスタイルで誰かに「靠」を受けてもらえば一目瞭然、相手には何の作用も生じないことが確認できます。

 ・・やはり身体の使い方、いや、使い方に対する認識自体が間違っているのではないか?

 各自がそんなことを考え始めた頃、師父が套路の練習を途中で止められ、
突然、「ボールを持ってきなさい」と、仰いました。

 一体何が始まるのだろうと思っていると、ボールに腰掛けてバウンドするように言われます。
 「腰掛けバウンディング」は「ボール乗り」の第一段階で、バウンドしてボールから離れていく時には足が床から離れ、お尻がボールに着いていく時には足も着地するという、お馴染みの
シンプルな練習法です。

 さて、皆がボールに腰掛け、ボーン、ボーン、ポーンと軽快にバウンドを始めると・・・

 「うーん、やっぱり違っているね・・それこそが、套路で動けない原因ですよ。
  身体の動かない原因というか、身体が動く必要のない構造でやってしまっているね・・」

 と、師父が言われました。

 よく見れば、その運動には身体の状態が太極拳としては有り得ないような違和感が感じられ、身体は高くバウンドしているのに、足が床からあまり上がっておらず、むしろ身体が上に行く時に足が下がりたがっている、という誤りが目に付きました。
 また、バウンドする度に空中で馬歩の姿勢が崩れ、腰掛けていた膝の角度がグンと伸び、股関節は蹴り上げる方向にはたらき、上体は後方へ仰けに反るような格好になってしまいます。
 これは、站椿で云えば、足で蹴って立ち上がってしまい、腰が落ちていない、という初歩的な誤りの状態です。床の上では、見かけで正しい馬歩のスタイルが取れているように思えた人も、ちょっとボールに腰掛けてバウンドしただけで、その構造の誤りが如実に現れてしまう、ということになります。

 「もっと、身体と一緒に、膝が高く上がるようにして・・・」

 しかし、そう言われると、今度はなおさら足を蹴ってから膝を上げようとしてしまい、膝を上げようとすればするほどお尻だけが高く弾み、膝はますます上がらず、むしろだんだん膝が下がるような動きになってしまうのです。・・これには皆さんも四苦八苦でした。

 套路などで、一見よく動けていても、ちょっとボールでバウンドするだけで、その人の体の使い方と、此処で要求されている身体の在り方を比較することができ、オマケにまだ整えられていない身体の中身が簡単に発見できることから、この練習法はその場でさっそく、
「なんちゃって太極拳発見器」 ・・と命名されました(笑)


 師父がボールに腰掛けて、示範をされ始めました。
 実にゆったりとした動きで、馬歩の形のまま上下に高く弾んでいき、小さな動きでも、大きな動きでも、身体の状態は全く変わらず、完全に足が離れ、浮き上がって降りてくるまでの間に、「馬歩」の姿勢がそのまま変わりません。
 そして、時には、空中に浮いている間に、床と身体の間でボールが何度かドリブルされてしまうほど、ゆっくりと、高く、大きくバウンドしておられるのです。

 門人たちの動きと比べてみれば、一見、同じように弾んでいると見えるものが、よく見れば、そのリズムも、弾むタイミングも、速さも、すべてが違っているのが分かります。
 特にボールから離れて戻るまでの滞空時間は、比べものにならないほど長いものです。

 門人たちは、師父と同じサイズのボールで弾んでも、倍くらいの速さで小刻みにしかバウンドできなかったり、初めのうちは同じテンポで出来ても、どうしても徐々に速くなってしまうような現象が起こります。これでは套路で速さが違ってくるのは無理もない事かもしれません。

 ゆったりと弾んでいるように見えても、その動きを捉え難い、テンポを合わせ難い・・・
それは、ふと、対練で相対したときの師父の動きを連想させました。
 周りで見ているだけなら何でもない、スローテンポにさえ思える動きが、目前に相対している者にとってはこの上なく速く、非常に危険なものに感じられる動きなのです。

 今回のような、ボールでバウンドするという単純な運動であっても、武術的な身体を得ていれば、その動きは武術的な速さとなり、反対に身体が一般日常的であればあるほど、やはり、生じる速さは日常的なものにしかならないのだと、改めて思えました。
 
 そういえばスポーツの分野でも、その走り方ひとつを取って見れば、金メダリストと最下位の人とでは、金メダリストの方がよりゆったりとした動きに見えますし、クルマのレースでも峠のドライブでも、何故か速い人の方がゆったりとスムーズな動きに見えるから不思議です。
 武術に限らず、どのような分野でも「絶対的な速さ」の見え方には共通点があるような気がしました。

 「なんちゃって太極拳発見器」は、シンプルながらも実に様々なことを私たちに教えてくれています。中にはこの腰掛けバウンディングが「膝立ち」や「狛犬」よりも難しいと言う人も居ますが、それでもこの練習を地道に続けているうちに、少しずつ身体が武術的に整えられてくるのが分かります。

 そして皆さんの動きは、「正しいイメージ」を持つことで、さらに大きく変わってきました。
 ボールに対して上手に弾もうとするのではなく、自分がボールそのものになったようなイメージで行うことや、足の「蹴り」を使ってタイミングを合わせるのではなく、身体が「ひとつ」の状態になって動かざるを得ないように、自分の中心を整えていく方法が細かく指導され、さらに実際にそのイメージを目の前で見せられることによって、皆さんの動きが大きく変容し始めたのです。この練習をする前と後とでは、全員、套路での身体の動きが大きく違っていました。

 ボールの上に立つことは、誰もが怖れを抱きながらも憧れてしまう「非日常」の状態です。
 しかし立つだけであれば、武術的に間違った在り方を用いても、何とか無理矢理立ってしまうことも出来なくはありません。しかし稽古ではその反対に「出来なくても良いから、解る稽古をしなさい」と、毎回のように繰り返して注意されます。

 私たち門人は「出来ること」を求めて原理から外れてしまうことを怖れ、「解ること」を求めて行こうとします。けれども、その「解ること」の、何と繊細で、何と難しく、何と強靭な意志が必要とされることでしょうか。
 全ての運動神経を動員して、自分なりに、勝手に立つ練習をする方がどれほど楽なことだろうか、と思えなくもありませんが、高度な武術を修得するには、その優れた学習体系に身を委ねなければ完成するはずもありません。

 「ボール乗り」を太極拳の練習に役立てるためには、正しい基礎の在り方の上に、自分の身体構造を確かめながら、バウンディング、腰掛け、正座、膝立ち、狛犬・・・と、ひとつひとつのパートを確実に身に付けていくことが大切なのだと、つくづく思えました。

                                 (了)



*門人にお願いして、正しいものと間違いとをやって貰いました*


    

    ↑ これは誤りの例。
     バウンドをすると腿が伸びてしまい、足もあまり床から離れていません。



    

    ↑ 誤りを横から見たところ。身体が後方に反っているのがわかります。
     また、頭の高さの変化ほどには、脚が上がっていません。



    
        
    ↑ バウンドすると、後ろにのけ反ったり、お尻だけが後ろに引かれたり・・・



       

       ↑ 比較的良くできている例です。
        身体の中心とボールの中心が合い、膝も引かれています。



    

    ↑ 良い例の連続写真。なかなか綺麗にバウンドできています。
     膝がもっと上に引かれれば、かなり上級レベル。



       

       ↑ まずまずの模範例です。
        腿と膝の角度がこのくらいでバウンドできるようにします。
        つま先がもっと引かれ、脚(ジャオ)が水平になればパーフェクト。

xuanhua at 21:10コメント(14)練拳 Diary | *#1〜#10 

コメント一覧

1. Posted by tetsu   2009年03月04日 21:48
「なんちゃって太極拳発見器」・・・これまたすごいネーミングですね(笑)。
確かに器具を使い、その「運動」をしようとすると
外見だけの「運動」だけにとらわれてしまいかねませんね・・・。

自分も師父のバウンドを拝見させていただきましたが、自然なのだけれど、何か違う・・・。
真似をしようとしても、中身、構造が違うので真似ができない・・・。
頭をどんなにひねり、真似だけしようとしても「できない」ので、
本当に師父の構造をとっていくしかないですね・・・。

2. Posted by まっつ   2009年03月04日 22:01
「正しいイメージ」
この一事を成し遂げる事が、稽古のほぼ全てと言えば言い過ぎでしょうか?

正しいイメージが自分の中に入れば、
不思議と然るべき働きは起こるもの。

イイ稽古したな〜という日は。
身体もさりながら、頭のほうが疲れてたりします。

ふー

3. Posted by トヨ   2009年03月04日 23:04
最初に拝見したときは頭に「!?」が浮かびました。

座ってる形そのままで跳ねてる…。

>自分がボールそのものになったようなイメージ
>身体が「ひとつ」の状態
そうなんですよね。まさにこの通り。

そうなるためにも、
>高度な武術を修得するには、
>その優れた学習体系に身を委ねなければ完成するはずもありません。
とするべきところを、
「わかっちゃいるけどやめらんね〜」という自分や、
「…zzz」と眠っている自分が居るように思います。

見直すべきは、自分の内側ですね。

4. Posted by ほぁほーし   2009年03月05日 04:01
☆Tetsuさん
先日は稽古お疲れさまでした。
今回は少し期間があったにも関わらず、基本功が上達されていましたね!
ボール乗りも、とても初めてとは思えませんでした。

真似をするということは、とても難しいですね。
考えてみれば、太極拳の動きそのものが非日常的で、しかも武術的なのですから、
そう簡単に見えたり真似できたりするものではないように思います。
まずは師父と自分の「構造の違い」がわかることでしょうか。

5. Posted by ほぁほーし   2009年03月05日 04:03
☆まっつさん
>正しいイメージ
まっつさんが「稽古のほぼ全て」と言われるのも頷けます。
人間とは自分勝手な生き物で、僅かな一挙一動でも、
巧みに自分の都合の良いようにイメージさせる力を持っているようです。
自分抜きで物事を観られれば、そのときこそ「正しいイメージ」となるのでしょうね。

>身体もさりながら、頭のほうが・・・
おお!正しい稽古をされている証拠ではありませんか。
私の場合は、イイ稽古したな〜というときは、
ピチピチした新しい細胞が、♪わんさかわんさ〜と増えているような感じがします。

6. Posted by ほぁほーし   2009年03月05日 04:05
☆トヨさん
自分が弾むのではなく、ボールを弾ませようとすると見事に足の蹴りになりますね。
套路などでもそうなっているかと思うと、ゾッとします。

>「わかっちゃいるけどやめらんね〜」
やめらんね〜自分自身を、本当に分かっちゃったら、
とてもやっちゃいらんね〜かもしれませんですね。(笑)

7. Posted by マガサス   2009年03月05日 19:55
いやはや、これはマサに「なんちゃって太極拳発見器」ですね〜!!
何故かと言うに、私がまともに飛べない、きちんとバウンドできない(涙)
つまり、わたしのタイジィチュァンは「なんちゅぁんって」であったとは・・嗚呼!
これぢゃ、「なんちゃって珍式太極拳・どう小架ぁ〜」になってしまふ(汗)

自分の姿を見ると、バウンドしようとした時にどうしても腿が伸びてしまいます。
・・で、ハイ、爪先が地面を蹴りましたよン、とばかりに下を向いている。
おまけに、上体は後ろに、グビーンと反りたがる・・
なのに、ボールはそれほど弾んではいない・・(自分ではすごく飛んでるつもり!)
こりゃあ、もう、立派な「なんちゃって」ですねー(笑&泣)
しかし、馬歩って一体なんなのかしらん・・?
「ああ、そんな馬歩ぢゃ、完全に落馬しますよ」と師父に言われたっけかね。

ボールには、どうにかこうにか立てるようになってきたのですが、
先日も師父に、「もっと不安定で、もっと動いていいのだよ」と言われ、
套路でも「もっとココでコレがこんなフウに動くのだよ」と言われ・・
・・・それがまだ何のことだか、よく分からないままであります。ハイ。

8. Posted by タイ爺   2009年03月06日 07:10
いやいやいや・・・こりゃまたずいぶんと跳ねていますねえ。
なにがどうなったらこの形でこんなに跳ねちゃうんですか??
マネっこしてみたら尻餅ついちゃいました。もう、ズドーンて感じです・・
あー、また娘の冷たい視線が・・・。

9. Posted by ほぁほーし   2009年03月07日 01:00
☆マガサスさん
>「なんちゃって珍式太極拳・どう小架ぁ〜」
お〜い、ザブトン一枚、差し上げておくれやす!!(笑)

・・そういえば馬に乗るのでも、ウマい人は後傾姿勢になったり、
頭が大きく上下したりしませんね。

「なんちゃって・・・」は、私たちが稽古で使うためのモノですので、
正確には「武藝館の・なんちゃって太極拳発見器」となりますね。
これができなきゃ、太極拳ぢゃない・・というワケでなし。
武術の原理なんぞ、ゴマンとあるでしょうから。
・・あ、でも、ウチの太極拳の原理にはなり難いですね。

10. Posted by ほぁほーし   2009年03月07日 01:08
☆タイ爺さん
私も、初めて師父のバウンドを見たときは半分信じられませんでした。
ポーン、ポーンと何回でも同じ場所でゆっくりと跳ねるので、
その場所だけ重力が少なくなっているのではないかと思ったほどです。
ボールなのに、まるでトランポリンみたいで・・・

>マネっこしてみたら・・・
もしかして床に尻餅をつかれたのですか?
どうかくれぐれもお気をつけてくださいね。

11. Posted by とび猿   2009年03月07日 11:49
正しいイメージを取ること、これがいかに大切で凄い事であるのか、
毎回の稽古でいつも思います。
稽古中、各々のイメージが修正されていくと、
短い時間で、傍目にもはっきりと分かる程に変わっていきますね。
これがピッタリと合わせることが出来るようになった時、
まさにその時、その状態から、太極拳の稽古が始まるのでしょうか。

12. Posted by マルコビッチ   2009年03月08日 13:21
腰掛けバウンディング、本当に難しいですう!
一連のボールの稽古では、いかにシトウキンを使っているかを
思い知らされています。
弱いくせに意固地な強さが身体に出ているのでしょう・・
日常の中で、沢山の事や考えに左右され、いろいろな考えが頭の中を
走くりまわり、自分の軸が立たずに周りを固めてガードする・・
思い込みや考えを持ちながら、師父の動きを拝見していても、
お話をお聞きしていても、正しいイメージをとることは不可能ですよね!
このダイアリーを拝見して、自分のイメージが全く反対だったかも・・
で、やってみたが・・う〜ん・・こんどは何も考えず、ここに書いてるように、
身体が「ひとつ」になって、自分の中心を整えていく意識でやってみたら、
上半身がガチガチに緊張していて、とてもじゃないけどボールに座る事さえ
出来ないであろう状態だとわかりました。あ〜〜・・・

13. Posted by ほぁほーし   2009年03月09日 15:57
☆とび猿さん
イメージの持つチカラは、おもしろいですね。
たとえば、相手と拙力でしか関われなかった人が、
イメージひとつで勁力に変わったりしますから、本当に不思議です。
もちろんその人の功夫によっても発揮される内容は違うのでしょうし、
身につくかどうかは、また別の問題だと思いますが。

14. Posted by ほぁほーし   2009年03月09日 16:01
☆マルコビッチさん
>あ〜〜・・・

自分の経験ですけど、知らない間に「ひとつ」とか「中心」とか、
その言葉そのものが自分なりの解釈でイメージされていたりするんですよね。
そうなると、頑張れば頑張るほど師父からは遠くなり、
ムキになるほど、何がナンだかワケが分からなくなってしまう・・と。
そういうときは、一度止めてみるといいと思います。

自分の頑張っていること、分かったつもりの色々なこと、全部やめてみるのです。
何か新しい練功を始めるとき、その最初の説明って、すごく大切なんですよ。
多くは語られず、その練功の核心となることだけをシンプルに説明されるのみで、
「以前に確認したコノ要求がココではコウなって、忘れちゃイケナイのがコレで・・」
などということは、全くないはずです。

問題は、自分の創り出した小難しい説明がグルグル回っていないかどうかなんですよね。
何かを説明されたとき、高度な身体も知的な頭脳も、なーんにも必要では有りません。
ただ、静かに、言われたことと示されている姿・形にチューニングしてみることです。
そうすると、あるとき突然、必要なことがブワッと勝手に溢れ出てきたりします。
それは、その日のその瞬間かもしれないし、数日後、数ヶ月後かもしれません。
でも、ひとたび勝手に湧き出てくると、一見何の関係もなくそこら中に転がっていた
様々なことが、つるつると繋がり始めます。

自分のモノの見方、考え方が変わったと感じられるときは、大抵そのようなときです。
そうして、また知らない間に自分なりの解釈が入り込んでいないか、
注意深く観ていくわけですね。

私の場合は、そんなことを、もう何遍も繰り返してますよ・・(汗)

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