2009年02月24日

美し店・美し宿 「 蛸 長(たこちょう)」

 旅に出て、その見知らぬ土地に到着した日の夕餉に「おでん」を食べる、などという機会は、まず、あまり無いかも知れないと思える。
 少なくとも私にとって「おでん」というのは、自分が棲み、働いている街で、仕事が終わってからヒョイと立ち寄って、安酒を一杯引っ掛けながら熱々をつまむものだ、などと勝手に定義をしていた。

 しかし、京都の「蛸長」を知ってからは、「おでん」に対する考えが全く変わってしまった。 
 何が変わったのかというと・・・

 まず、生粋の関東生まれの関東育ちである私が、京都のオデンなんぞ、味が薄くて、しょっぱいだけで食べられないだろうと思っていたことと、京都のことだから、多寡がおでん屋のクセにやたらと亭主が偉そうにしていて、「ご紹介者はおありでっか? 一見さんはお断りどすけど」
とか何とか、例の気分の悪いセリフを平然と言ってのけるかも知れないぞ、とか・・・

 たとえ運良く店に入れても、地元の常連ばかりが周りを占めて、旅行者の自分などはロクすっぽ相手にしてもらえないかも知れないし、下手をすると、おでんを食べたいと言っただけで、
「ウチのおでんは、まずこの懐石コースを食べてもろて、その後で特別にお出ししてますけど、どないしまひょか・・・」などと、客を小馬鹿にしたようなことを平然と言うんじゃないだろうか・・・もしそんな事を言われたら、星一徹や海原雄山のように、テーブルをバーンとひっくり返して出て来てやろうか・・・

 ・・などといった種々の妄想が、すべて、ものの見事にはずれてしまったからである。


      


 初めて「蛸長」を訪れたのは、折しも冷たい比叡降ろしが四条河原に吹き荒れ、その風に雪さえ混じってきた、とても寒い冬の夜だった。
 以前から師父よりその店の話を伺い、また、案内書やネットなどでも予め確認しておいたその店は、少なくとも外観からは自分の想像していたような敷居の高さなど全く見えず、文字通り、道路とガラス戸一枚で隔たれているだけの、ごく普通の「おでん屋」であった。

 「蛸長」と染め抜かれた暖簾をくぐると、店主と思しき人から「おいでやす」と声が掛かる。
 こちらも「こんばんは」と返し、「あの・・良いですかね・・?」と恐る恐る訊くと、サッと奥の席を指して、「はい、こちらへどうぞ・・・」と勧めてくれる。
 この店にはカウンターしか無い。それも、せいぜい十数人も入れば、熱いおでんを食べるにはいささか暑苦しいのではないかと思える程の広さなのである。
 しかし、店主が私に勧めてくれたその席は、おでん屋のすべての仕事を目前にできる、銅製の見事なおでん鍋の真ん前であった。

 普通、こんな席には常連さんが陣取って、新聞なんぞを広げながら徳利を傾けているものだ。
 旅をして、他所の土地の店に入って、何の気なしにそんなところに座ってしまうと、主人から「ああ、其処はダメ、こっちへどうぞ・・」などと言われ、ちょっとムッとしながらその他大勢の席に座らせられる・・なんてことは往々にしてある。

 そのとき、店は混んでいなかった。
 まだ時間がやや早いせいだろうか、奥の方に京都人であることが丸判りの中年の夫婦と、入り口の前に、これまた京都弁丸出しの仕事帰りの”男はん”が二人・・・
 とすれば、これからのゴールデンタイムに常連さんがやってくる可能性は大いにあり、独り旅の余所者である私などは、まず、入り口の前にでも置いておくのが常套かと思える。
 しかし、この店は、いかにも常連の好みそうなその席を・・・ひと目で旅行者と判るはずの、しかもどう見ても東戎(アズマエビス)にしか見えない私にわざわざ勧めてくれたのである。

 予約は受け付けていない。女性週刊誌などの情報によれば、それゆえに、今夜のような寒風の吹きすさぶ中、開店を今や遅しと待つ人の列が四条大橋に至るまで(?)連なることさえある、という。
 幸い私は、ここに来る前に四条通りの突き当たりの祇園さん(八坂神社)にきちんとお参りをしてきた甲斐があってか、寒空に肩を窄めつつ空席を待つこともなく、しかも初訪にも関わらず良い席にまで恵まれたのであった。

 
      


 さて、カウンターに落ち着くと、ようやくそのカウンターの凄さに気付かされる。
 これは明治初期の創業以来、永年に亘って使い込まれた、この店の主客が織りなす歴史の染み込んだ、見事な「檜」のカウンターなのであった。
 その檜の手触りと、目の前に温かな出汁の湯気の立ち上っている、よく手入れをされた銅鍋にしばし心を奪われていると、ご主人の方から「一本お付けしましょうか」と訊いてくれる。
 こういった商売の人は、その客が呑ん兵衛かどうか、顔を見ただけで判るらしい。
 根が酒呑みで、三倍醸造やミテクレだけのウソ酒以外なら内外を問わず何でも呑む私は、
「うれしいねぇ、寒い中、鴨川沿いをスタコラ歩いてきた甲斐があるってものじゃないか・・」などと心中で想いつつ「お酒は何ですか?」と訊くと、「ウチはごく普通の白鶴です」と言う。
「ほぅ・・ごく普通の、ね・・こいつぁ益々面白くなってきたなぁ・・」と思った。
 
 名の知られた店などに行くと、矢鱈と「名酒」が並んでいて興醒めすることがある。
 日本列島、北から南まで、有名な酒が見事に勢揃いしているのは大迫力で誠に結構なのだが、その店が何を飲ませたいのか、その店の料理には何が合うのかが、こっちには全く判らない。
 で、「今日の料理にはどれが合いますか?」と店主に訊くと、アンタ、そんな、ウチにあるのは全部すごいサケだから何でも合いますよ、って、こんな酒知ってますかと言わんばかりの答えが返ってくる。
 いやいや、そも、サケってのはそういうモンじゃないだろっ、今日ビ、パリの有名店だって日本酒がメニューに載っていて、Sake au Japon est très bonne ! ・・なんて、料理に合わせてソムリエが選ぶ時代なんだよ、日本人がそんなテキトーでどうするの、って・・・
 そんなアホな店ばかりが多くなって飽き飽きしていたところ、この店じゃ「普通の白鶴」しかないと来たので、ほ、これは面白いな、と思ったのである。

 その ”普通の酒” をお燗してもらっている間に「おでん」を注文しようと思ったが、目の前のナベをどれだけサラのようにして探して見ても、この店の看板である「蛸」が入っていない。
 うーん、タコ・・タコ・・・肝心の蛸ちゃんはイズコ・・・?

 ・・で、折角タコチョウまで来て、タコがなかったらどうしようかと、ちょっと慌てて、
ご主人に「まずは蛸が食べたいな・・やっぱり明石のでしょ?」と訊くと、
「はい・・でも、蛸はちょっとお時間をいただきますんで、先に何か召し上がりますか?」
・・という答えが返ってくる。

 なるほど、そうか、やっぱり古都は文化が違うなあ・・・考えてみりゃぁ、朝から蛸をずっと鍋に入れっ放しじゃ、茹だりすぎてドロドロになっちまう、ってぇもんじゃあねぇかい・・
 ふむ、明石の蛸はすでに仕事をしてあって、それをこの銅鍋で仕上げるってェ寸法だな・・
などと、ネイティブ・アズマエビスニアンの私は勝手にそう思いつつ・・

 「それじゃ、先にこの豆腐下さい 」

 「はい、豆腐ね・・」

 因みに、京都の豆腐は、日本一旨い。 
これは、もう、絶対であり、この事実は疑う余地もない。
 これは、自他共に許す無類の豆腐好きの私が、日本全国津津浦々をウロウロ巡り歩いた上で、その土地々々の豆腐を食べ尽くし、本当に、心からそう思えたことである。

 私は、国内はおろか、蘭、仏、独、米、豪、などの Tofu なるモノまで食べてきたが、こんな旨い豆腐を創るクニは他に無い。
 彼の国々には Futon(フートン=布団)や Tofu(トーフー)が大好きだという人も多いのだが、彼らに一度この京都の豆腐を食わしてやりたいと、何度思ったかしれない。
 出張で京都に行くと、コレ幸いとばかりに豆腐屋に駆けつけ、ビジネスホテルに持って帰って夜食にする。醤油はいつも上等のヤツをバッグに持参している。
 近ごろはカップ酒でも純米の良いのがあるが、「招徳」や「富翁」なんぞをフラスコに入れていってチビチビと飲れば、もう、何も言うことがない。
 他に何も要らないのだ・・・豆腐だけで酒が呑める、これが京豆腐の実力である。

 そして、京都には「名店」と謳われるような豆腐屋が、其処らにゴロゴロとある。
日本の何処を探しても、そんな土地はたぶん他にはない。
 しかも、それぞれの豆腐屋毎に微妙に味が違う。各々水が違うし、造りも違うのだ。
いや、豆腐を造る際の水さえ「名水」と讃えられるようなものを平然と使って造っている。
 原料の大豆が国産、何てのは当たり前である。もしも、それら名店の豆腐屋が輸入大豆を使うようになったら、もう世も末だと思った方がいい。
 大体、豆腐を生で食べるような国民が、どうしてわざわざ余所の国の薬だらけの大豆を輸入して、それを作らなきゃならないのさ。味噌も醤油も納豆も、日本のものなのに・・・

 そして、そのような名店を訪ねてみれば、信じられぬほどごく普通のちっぽけな店で、入り口からすぐに豆腐の製造場があって、これがホンマに名店なんやろーかと怪訝に思えるような外観なのである。洒落た名前やパッケージの立派さだけで売っている、昨今流行りのモダン豆腐どもは、ちったぁ、この心意気を見習って欲しいもんだね。

 この、一般庶民たちが毎日食する物のレベルの高さこそが、京都が誇る文化レベルの高さであり、外つ国と比べての日本文化の高さそのものなのであると、私は思える。
 そしてそれは、奈良、神戸、金沢、仙台、博多などへ行っても、同じことが感じられる。

 私は、何処へ行ってもまず市場に行く習慣がある。どんな土地でも、そこの市民が毎日通う市場に行けば、その土地の文化レベルがすぐに見えるものなのだ。
 たとえスーパーでも、その土地の人間が何を考え、何を生きているのかが、食材が並んでいるところを観れば大体見当がつく。
 京都の「錦小路」に行けば、あの狭苦しい細長い路地に、季節の野菜や魚、漬け物、鰹節、煮干しなどが、料亭に卸せるようなレベルで所狭しと揃っていて驚かされる。
 錦の市場の中には美味い鯖寿司や穴子の棒寿司、蒸し寿司などを喰べさせる庶民的な寿司屋まで在り、近所の奥さん、オジさん、お婆さんなんかが買い物の序でにそれを食べている。
 そして、もっと驚くのは、それを有名な旅館や料理屋の板前さんから、その辺の主婦のおばさんまでが同じように肩を並べて買い出しに来ていることである。これは、この地が今日でもなお高い文化レベルを維持している事のひとつの証しに他ならない、と思う。

 ・・・豆腐を待つうちに、錫製のとっぷりした銚釐(ちろり)に入ったお燗が来る。
 先ほどからカウンター越しにご主人の仕事を眺めていると、やはりお燗の仕方に静かな気合いが入っているのが分かる。
 だいたい、飲み屋はお癇の見極めがモノを言うのだ。ロクなお燗も付けられないような店は、出てくる酒肴だって多寡が知れているので、その不味い一本をひと口で止めてしまうか、勿体なければ無理矢理呑むかで、どちらにせよ早々に退散するしかないと私は思っている。
 バイトの女の子に燗を任せているような店は、たとえそのコがどんなに可愛くても・・・
絶対に入ったりしない。

 この店のお燗はなかなか上手いな、と思えた。考えてみれば、おでんとお酒がメインなのだから、燗付けが巧くなくては、舌の肥えた京都の客が来てくれるはずもないのだ。

 よく使い込まれた錫の銚釐で、一杯、もう一杯、と気持ち良く飲っているうちに・・・

 「はい、お豆腐、お待ち遠さまです・・」

 ・・・スッと豆腐が差し出された。


        


 まず、その大きさに驚く・・・
 何処かの田舎で見た、大型豆腐の一丁分は軽くアルんではないかいな、と思える。
 京都というと、一般的には懐石料理のような、品の良いしおらしい料理を想像するのが普通なので、そのイメージからかけ離れたタネのボリュームには驚かされてしまう。
 お皿もそれに合って大きくて、ズシリとしている。

 また、嬉しいことには、そこに九条葱の刻みがたっぷり載って、七味が彩りに掛かっている。
 京都ほど、この「薬味」にこだわる土地も無いのではないだろうか。七味の好みのブレンドをしてくれるような店は、もう東京にはほとんど無いが、この京都にはそんなものはいくらでもあるし、「お香煎」と言って、辛くない薬味を薬研で擦ったものを小さな霰と一緒にお湯に浮かべて飲む、なんていう文化もある。その専門店が祇園の前に大きな店を構えて繁盛しているくらいなのだ。
 
 その豆腐の載ったお皿には、これぞ極めつけの、高く香り立つ、独自の「出し汁」が、うんと注がれていて・・その大きな豆腐の一角を箸でつまみ、口に運ぶ・・・

 これですよ、コレ・・・!!
 いやあ・・・これはもう、脱帽するしかないね、ホント。
 豆腐そのものの味が、何も毀れていない。
 そして、出汁はあくまでもその豆腐の味を引き出すための、引き立て役に徹している。

 東京にある有名な和食料理屋の殆ど全てが、関西に本店を持つものだということを考えれば、
日本の味の基本は、やはり平城京と平安京で創られたんだな、と思える。

 関東産の私は、生まれてこの方、ずっと醤油と煮干しがコッテリ利いた濃い味に慣らされて、関西の昆布と鰹の利いた上品な薄味をどこかで軽蔑していたようなフシがあったのだが、この出汁を味わうと、ああ、本来はこれこそがダシの基本なんだろうなと思わざるを得ない。これだから和食板前の見習は、みんな近畿の料理屋に行って無給でも良いから、と言って修行させてもらうのだろう。

 師父宅で御馳走になった和食も、その出汁の取り方が見事で、呻るしかなかった。
レッキとした藤原ブラッドをお持ちの師父は、DNAにヤマトの味が組み込まれて居られるのか、決して味に妥協されないのはウィークエンド・ディナーに見るが如くである。

 武藝館の専属シェフに伺うと、日高か利尻辺りの太くて幅広の上質の昆布を一晩水に浸けたベースに、これでもかっ、と思えるほどの上質の鰹節を放り込み、それが沈むのを待って、あっという間に引き揚げてしまうのだという。
 関東の人間にとっては、そんなダシの取り方は、ひたすら勿体ないように思えてしまうが、
「蛸長」のような「おでん」を一度でも食べてしまうと、もう、勿体ないなどとは口が裂けても言えないようになる。多寡がおでんで、この出汁の味なのである。この味が再現できるのなら、私もケチらずに良い昆布と良い鰹節で、手間暇掛けて出汁を取ってみたくなる。

 この店の出汁は、毎日、造っては足し、造っては足して、すでに百数十年を超える。
 京都では百年を超えた店だけがようやく「老舗」と呼ばれると聞くが、一口に「おでん屋」と言っても、親から子、子から孫、孫から曾孫へと、このダシの味を維持し、極めようとしてきた代々の主(あるじ)たちの努力には心から敬服せざるを得ない。この心意気が千二百年も続いているからこそ、平安の都には高い文化が育ったのだろうと思える。

 口中に広がる、熱々の大きな京豆腐の味わい・・・
銅ナベの中で、さらに磨きのかかった素晴らしい出し汁と相俟って・・・

 これは、私が知る「おでん」を、遥かに、遥かに、超えていた。
ああ、寒い中、この店に来て良かったなぁと、その時、しみじみ思えたものである。

 私は、おでんは、一度に一品だけを注文する主義である。特にこんな寒い夜は、皿の上で冷めてしまうと上等のおでんに申し訳がないので、面倒でも、必ず一品ずつ注文して食べる。
 まず、先に猪口で口中を潤し、種に溶き芥子をちょいと付け、頬張って、ゆっくりと味わう。
それから、おもむろに、そのダシを飲む・・・


        


 飲むと言ったって、お皿で出されているのだから、皿ごと抱えて吸うのである。
行儀の悪いコトこの上ないが、こんな旨いダシを頂かない方がよっぽど失礼だと思える。 

 案の定、さっき入ってきた若いカップルの女の子の方が、次のタネを注文するときに、皿にたっぷり残ったまま、新しく出汁が取り替えられているのを見て、
「あ、すんまへん、うち、勿体ないから、今度から全部飲んでしまうわ」と言っていた。
 ご主人は何も言わず、ニコニコしている。

 銅ナベのタネは季節によって変わるそうだが、それから先、目の前にコトコトと煮えている美味しそうなものを、明石蛸は無論、大根、宝袋、ひろうす、海老芋と、旬の食材を手当たり次第に頼んでは食べ、”普通の白鶴” の燗を何度も替えては呑みつつ、また食べた・・・

 その間、一見サンの旅行客といったような差別扱いなどは微塵も無く、また、わずか十数席のカウンターに徐々に増えてきた地元京都の人たちと一緒に、まるで旧知のように肩を寄せ合い、楽しく会話しながら、その寒い夜を温かく過ごすことが出来たことは、東夷の旅人である私にとっては何よりの幸せであった。


          


 永い刻の中で擦り減って使い古された檜のカウンターに向かい、そこで堪能した古都のおでんは味わい深く、歴史や文化などといった敷居の高さなどに関係なく、気まぐれな旅人の心まで、はんなりと、大らかに包んで温かくしてくれたのであった。

                                 (了)

tai_ji_office at 19:19コメント(2)美し店・美し宿(うましみせ・うましやど)  

コメント一覧

1. Posted by マルコビッチ   2009年02月28日 16:11
良いですなあ〜・・久しくこういう風情に触れていませんなあ〜
私も東戎なので関東のおでんしか知らず、関西に行ってもおでんは食べたことがありません!
おでんに蛸が入ることさえ知りませんでした!ウウッ・・
ああ〜、でも本当にいいですね、この感じ・・
あまりあちこち行ったことがない私なので、ちょっと勇気がいりますが、
ぜひ「蛸長」に行って、おでん+αを味わってみたいです。


2. Posted by のら   2009年03月01日 01:59
少し以前に、当地の「静岡(しぞーか)おでん」が有名になり、缶詰まで出来る騒ぎで、
書店にまで、その「おでん缶」並ぶほどでしたが、
静岡おでんのルーツは「駄菓子屋のおでん」ですので、蛸長さんとはモノが違います。

実際に京都の蛸長に行ったことがありますが、
それ以来、子供の頃から親しんだ静岡のおでんが食べられなくなってしまいました。
静岡のおでんはダシを飲みません。ダシを飲んだら駄菓子屋のおばちゃんに怒られる・・・!
真っ黒なダシは味わうものではなく、煮るだけで、ダシの粉をかけておでんを食べるのです。
だから、蛸長のダシを味わったら、もうダメ。
駄菓子としてなら食べられても、食事や酒肴としては食べられなくなりました。

食の文化は全国様々ですが、文化レベルが高い土地は食事も美味しいですね。
そういったものが時代や流行に流されることなく、
文化としていつまでも大切にされることを願いたいですね。


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