2009年01月30日

練拳 Diary #6「学ぶということ」

 「まだまだ、私の動きが観られていないねぇ・・・」

 套路の稽古中に、師父の声が道場の隅々にまで静かに響きました。

 師父の後ろに付いて動いているのは、武藝館でも上級グループに位置する人たちです。
 武術経験は初めてという、主婦や会社勤めの、ごく普通の人たちですが、武藝館での稽古年数はかなり積まれていて、対人訓練ともなれば、元格闘技の黒帯が相手でも軽々と吹っ飛ばしてしまうような、見かけからは想像できないような人たちばかりです。

 その人たちが、「動きが見れていない」・・と、師父より指摘を受けました。

 毎回の稽古で注意されるのは、「出来ても出来なくても良いから、きちんと真似をしてみようとする」ということ。これがなかなか、朝早くから夕方までクタクタになるまで仕事して、アタマも身体もすっかり日常モードに変わっていると、理解するのが難しいようです。

 特に、套路の動きなどは、すでに何年も同じ動作を繰り返し稽古してきているため、動きから形まで、全て「アタマ」が憶えてしまっているのです。
 勿論それは表面的な一通りの形に過ぎず、套路の意味するところや、奥深いところは謎また謎のはずなのですが、ひとたび自分なりの思い込みに気づかずに「記憶」してしまうと、今度は、今この瞬間に、師父のすぐ後ろについて動いていたとしても、アタマはいつの間にか自分の覚えた形の記憶を呼び戻し、目の前で見えている動きとは無関係に、ただ記憶を呼び起こし、それをなぞって動くことになってしまうのです。

 ・・なんと、摩訶不思議な「ヒトの仕組み」でしょうか。
 もちろん本人は気がついていないことが多く、大抵の場合には、師父がそのことを指摘され、
「ここだ!」・・というときに動きを途中でストップされ、そこで初めて師父と自分との形を比較し、それが大きく違っていたことを各自が認識することになります。
 身体の向き、重心の位置、手足の位置などが思い思いの自分勝手な場所になっているのです。
これでは、同じように動こうとしても動けるはずがありません。

 そこから、その日の稽古は、自分たちの思い込みで記憶されていた「動き」の根本的な修正のために多くの時間が費やされます。初級グループの練習が隣で五勢、六勢と、套路の先に進んでも、上級グループは、三勢の途中の、たった一動作だけを、ときには何時間も掛けて見直していきます。

 何が原因で勝手な思い込みが生じたのか・・太極拳の考え方や原理と、一体何が合っていないのか、人間の精神の奥深いところまで掘り下げ、入念に観ていきます。

 私たちは、套路を用いて太極拳の考え方や身体の構造を学んでいきますが、たったの一動作、一着(一技法)でも、一度として同じ動きを見せられたことはなく、見る側の目と心の持ちようによっては、毎回、毎瞬、それまでには分からなかった、素晴らしい発見があるものです。
 ところが、「自分は知っている」「動きを憶えている」「次はこの動きだ」などという意識があると、それだけで、目の前の動きが見えなくなってしまうようです。
 見ているつもりでも、自分の見方や意識の持ち方ひとつで、見えなくなってしまうわけです。

 套路などの稽古中に、こちらが「そこが違いますね」と指摘しても、首を傾げる人がいます。
 そのような時には、言葉だけでは何度同じことを説明しても分かってはもらえず、本人は腑に落ちない、といった顔をしています。 ・・やはり、見えていないのです。

 そして、何回か同じところを指摘してから、その瞬間に動きを止めて、
「ほら、ココがこうだから、コレが違っているんですよね・・」と、形を比べてもらうと、
ようやく、「・・ああ、ホントですね!」・・と、納得するわけです。

 動いている時には分からなかったことが、静止することで理解しやすくなる、ということについては、站椿が「静」の状態から始められなくてはならないという重要なポイントを思い起こさせ、その真意を垣間見れたような気がしました。
 しかし、分かってもらえてホッとしたのも束の間、「そこまで詳しく言うの・・?」と師父に横目で睨まれ、ちょっぴり冷や汗をかきつつも、さらに細かく見ていくのです。

 そのような稽古の後には、いつものように、全員で道場の掃除を終えたあとで、
「本当にあんな姿勢になっていたんですね。自分ではなかなか観られないものですね・・」
・・などと、声を掛けられることもあります。

 この「観る」ということが、とても重要なポイントです。
 常日頃から注意されているように、「思い込み」や「先入観」を全く挟まずに、ありのままを見るためには、常にそれを初めて学ぶ気持ちで見られるという事と、たった今、目の前に見えていることが、太極拳を学習していく上で、非常に大切なことだと実感できること、そして、そのような、ほんのささやかな「鍵」ひとつで、実はたくさんの「謎」を、「Tai-ji Code」を解いていくことができるのだと、心から実感できることが大切です。

 思い込みは、武術的に誰かと対峙したときだけでなく、日常生活に於いても常に戒められるべきことだと思います。
 例えば、「いつも通っている道だから事故が起こるはずがない」とか、「この天ぷら鍋の火はまだそのままにしておいても大丈夫だ」「大放送局が伝えるニュースなのだから真実に決まっている」「大新聞の世論調査だから正しい」などといった、自分にとって都合の良い解釈や考え方が少しでもあれば、その為に、今、現実に起こっていることをトータルに正しく感じられず、結果として事故を起こしたり、火事を出したり、社会に飛び交う情報をそのまま信じ込む、といった大きな原因に成り得るように思います。

 太極拳に限らず、何かを学び、自身の成長の糧とするための、学ぶ側の正しい姿勢・・・
それがあって初めて、何かを学んだり、快適な日常生活を送るということが可能になるのだと、つくづく感じられた次第です。

                                 (了)



   


xuanhua at 19:00コメント(6)練拳 Diary | *#1〜#10 

コメント一覧

1. Posted by タイ爺   2009年01月31日 00:32
うわー!きれいな蹲踞ですねえ!!
見るからに足元が軽く感じます。

思い込みと習慣で何気なく套路を打ってしまうことがなんと多いことでしょう。
すごく反省いたしました。

2. Posted by 円山 玄花   2009年01月31日 04:49
☆ タイ爺 さん
コメントをありがとうございます。
・・蹲踞はとても難しく、そして深いですね!

思い込みと習慣・・ホントに、稽古でも日常生活でも、
いつの間にかそう思っていた、ということの、何と多いことでしょうか。
私も、いつも反省させられることしきりです。
毎回、毎瞬を、よほど注意深く観ていかないと、
なかなか気がつけるものではないな、と感じます。

3. Posted by とび猿   2009年01月31日 10:53
学ぶ者の姿勢というのは、とても大切ですね。
おそらく、子供の時は誰でも、もっと自然に物事を吸収できていたのでしょうが、
いつの間にか、観ることや真似をすることが出来る状態から遠ざかってしまうと、
何かを受け取る、理解するということが、難しくなってきてしまうようですね。

4. Posted by マガサス   2009年01月31日 14:29
思いこみや記憶で稽古をすることは、いつも自分では戒めているところですが、それでも、
ついつい身体がこれまでの習慣だけで勝手に動いているトコロを幾らでも発見できます。

太極拳の学習は「ただコレをこうするのだっ!」というトコロをただ一心不乱にやるだけ
なのですが(・・いや、師父がそう仰ったんですよ)・・それがもう、大変。

原理は非常にシンプルだけれども、ソレが底知れぬほど深くて天井知らずに高い。
原理のハタラキ方も、見た目はとてもシンプルだけれど、非常に高度。
これができたら、ほんとのヒジョーのライセンスっす・・・(汗)

それもこれも、ただひたすらに自分への向かい方の問題です。兎にも角にも。

Anyway, まだまだ、とても玄花后嗣のようには蹲踞が出来ません・・(再汗)

5. Posted by 円山 玄花   2009年02月02日 04:58
☆ とび猿 さん
コメントをありがとうございます。
子供の頃というのは、何を観ても、何を聞いても、それに対して判断を下すということが、
出来なかったように思います。”良いこと”にも”悪いこと”にも見えず、”期待”も無ければ、
”失望”も無い。ただそこにある、其れそのものがストレートに入ってきて、
純粋な”感動”というエネルギーを生じるような気がします。
私たちも、余念を挟まず、無心で向かい合うことを、意識的に訓練していくことで、
何が自分の思い込みや都合であったのかがハッキリと認識することができ、その結果、
もっとたくさんのことを受け取ったり、理解していく道がひらけるのだと思います。

6. Posted by 円山 玄花   2009年02月02日 05:13
☆ マガサス さん
コメントをありがとうございます。
そうなんですよ。原理はシンプルだけど、自分の解釈を単純なものにしてはいかん・・と、
常日頃から研究會でも注意されているところであります。
そのためにも、思い込みや記憶は、常に排除され続ける必要がありますね。
思い込みを後生大事に取って置いても、秘蔵のナンセンスくらいにしかなりませんから・・(汗)

私も蹲踞はまだまだですが、その場でジッとしているよりも、蹲踞で歩いてみたり、
ボールの上でしゃがんだ姿勢をする「狛犬」の形を取ってみると、良いかもしれません。


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