2009年01月28日
連載小説「龍の道」 第4回

第4回 兄 弟(4)
「兄さん・・・だいじょうぶかい?」
まだ苦しそうに地面に横たわっている兄に近寄り、宏隆が心配そうに声をかけた。
「・・こ、殺したのか?」
兄が、ちょっと興奮気味に言う。
「ハハハ・・・まさか! ちょいと眠ってもらっただけだよ」
「眠る・・? ど、どうやって・・?」
「 "落とし" たんだよ・・・
この、ちょっと足りなそうなアタマに、一時的に血が通わなくなっただけだ。
どんなバカでも、しばらくすれば勝手に目が覚めてくるから、大丈夫だよ。
・・・それより、早くここから引き上げた方がいい。
いくらこの辺りが閑静な住宅地でも、通報されたらお縄モノで、後が面倒だ。
さあ、行こう・・・立てるかい?」
ゆっくりと兄を引き起こしながら、服に着いた土埃を払ってやり、カバンを拾う。
「うむ・・・だ、大丈夫だ、こう見えても、咄嗟に避けたからな。
大丈夫、それほど効いちゃいないよ・・・」
まだ少し歩くのがつらそうな兄の腕を抱えながら、
足早に坂道の途中にある公園を抜けて、川沿いをゆっくりと家に向かって歩く。
「お前・・あれはカラテか? どこで習った? 一体いつの間に・・」
「空手じゃぁないよ・・ちょっと、それは言えないんだ・・約束でね」
「約束って・・誰と? ・・・親には言ってあるのか?」
「ぜーんぜん! そんなこと、たぶん許してもらえないだろうからね・・」
「しかし・・・なぜ、そんなに強い?
あれはもう、ガキ大将のケンカのレベルじゃないのは、僕にだって分かるぞ。
何かこう、ものすごい武術の技の・・・まるで映画を見ているようだった。
父さんには黙っていてやるから、教えろよ・・・なっ?」
「あはは・・せっかく助けたんだから、もうすこし恩に着て欲しいなあ・・」
「よし、分かった、恩に着るよ。
そして、絶対に誰にも言わないから・・だから、教えて欲しい」
「・・あ、ほんの冗談だよ、ゴメン、ゴメン。
でも、秘密は守って欲しいな。もう、自分だけの問題じゃないんだ。
それを約束してくれたら・・・まあ・・少しだけなら話しても良いよ」
「約束するとも! ・・けど、ずいぶんと勿体ぶるんだなあ・・・」
坂の途中に造られた、緑の豊かな公園を半ばまで下ってきて、兄が、
「もうこの辺りでいいだろう、ちょっとひと休みして座ろうか?」
そう言って座ると、弟も同じベンチに腰を掛けた。
「・・なあ、話してくれよ。あれは一体何なんだ?」
急くように、弟に問いかける・・・
兄の隆範も、武術が嫌いではなかった。
いや、むしろ身体が虚弱な分、いつも弟の腕っ節が羨ましく、自分を男として逞しく強くしてくれそうな武術に、常に憬れていた。
その弟が、自分の目の前で、まるで映画のように、ケンカ慣れした不良三人を瞬く間に屠ったものが何であるのかを、知りたくてウズウズしていたのである。
「いくらお前がここらで名高いガキ大将でも、あんな風に大学生のワルを三人も、あっという間に手玉に取れるわけがない。
何かを習ってるのか? いま、空手ではない、と言ったが・・」
「中国武術だよ・・太極拳というヤツ・・」
土埃りにまみれた兄の上着をはたいてやりながら、しつこい追求に、ついに観念したように、そう言う。
「・・な、なにぃ? 中国ぅ・・? タイキョン・・ケンだぁ?」
「ハハ・・ まあ、そんなもんかな・・・」
「その、中国の・・タイキョンとか何とか・・っていうのをどこで習った?」
「あ・・タイ、キョク、ケン、って言うんだけどね ・・・南京町で習っている」
腰掛けているベンチの、すぐ傍らまで、しなやかに下がってきている桜の、青々とした葉っぱをむしって、鼻の頭にこすりつけながら、弟が言う。
「ナンキンマチ?・・つまり、元町の、あの中華街のことか?
そんな所で、いったい誰に・・・?」
「ん・・・・・」
「ははぁ・・・つまり、師匠は中国人だと・・・そういうことか?」
「アタリ・・・!!
中国の文革で、家族みんなを殺されて、日本に亡命してきたヒト。
神戸に来る前は、上海を経由して、台湾へ逃亡していたって・・」
「・・と、逃亡ってことは、お前、それって犯罪者じゃないのか?!」
「うーん・・・政治犯? 反体制っていうのかなぁ・・・政治は苦手だけど。
確かに “同志” と一緒にずいぶん暴れて、共産党から追われてるんだから、あっち側から
見れば、それなりに犯罪者や逃亡者になるのかもしれないなぁ・・・」
「追われて・・って!!
そ、それってレジスタンスとか、秘密結社のタグイじゃないのか?!
・・お、お前、分かってるのか?、そんなキケンな人物と関わりを持ったら・・」
「だから、ヒ、ミ、ツ、なんだよ。 今は、それ以上は言えない・・・」
「そ、そうじゃなくって、お前の身がキケンだと言って・・・」
「あっ・・・シィーーッ!」
唇に指を立てて、兄の興奮した声をさえぎった。
弟の視線の向いている方を見ると、つい今しがた下ってきた坂の上の方でパトカーのサイレンが止まり、何やら喧噪が伝わってくる。
「行こう・・ここに居るとまずい」
弟が、すでに立ち上がりながらそう言い、念を押すように、
「今日のことはお互いに、何もなかった、知らなかった、
見たことも、聞いたこともなかった、ということにしておこう・・」
・・・そう付け加えた。
「わかったよ・・でも、何だかお前の口調まで、まるでスパイ映画みたいだな。
おい・・・帰ったら、もう少し話せよ。
下手をすると、何やらウチの家族まで巻き込まれそうなハナシだからな」
「・・いや、案外、お父さんとも関係があるかもしれないよ」
「なっ、何だって!!」
「シィーッ! 頼むから、大きな声を出さないで・・・
とにかく、帰ろう・・
さあ、普通に歩いて・・いつもどおり、何事もなかったみたいにね」
坂の下の方から、救急車が緊急灯を回しながら走って来るのが見える。
赤く明滅する光は、やがて兄弟が歩く川沿いの遊歩道を通り越して、
さっきより少し野次馬が増えてきた喧噪の場所に向かって、走り去って行った。
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