2009年01月18日
連載小説「龍の道」 第3回

第3回 兄 弟(3)
いったい、何が起こったのか・・・
突然、宏隆の腕を抱えていた子分のひとりが腹を抱えて地面に転がり、のたうち回って苦しんでいるのである。
そして、仲間が地面に転がったのを見たもう一人が、それに驚いて、つい彼を拘束していた手を弛めてしまったのだが、宏隆はその機を逃さず、その男の鳩尾(みぞおち)の辺りにそっと右の拳(こぶし)を触れるように押した・・・
・・かのように見えたのだが、その途端に、男は声もなくその場に沈んで、そのまま・・・
まるで泥酔者のようにグッタリとしてしまった。
「・・な、何や、このチビ! こいつらに何しよったんや?!」
兄の腹に、さらにトドメの蹴りを食らわそうとしていた不良のボスは、思いもかけない光景を目の当たりにして明からさまに狼狽し、もう倒れた兄に追撃を食らわせるのを忘れていた。
「何でもいい・・ けど、ちょっとお前は、許せないな・・・」
七〜八歩くらいは離れているだろうか。
弟は、兄を足蹴にした格好で突っ立ったままの不良のボスに向かってこう言い、
一歩一歩距離を測るように、足音も無くゆっくりと近寄って行く。
ボスは、この弟が今までのケンカの相手とは全く違うタイプであることをすぐに悟り、
大きな怖れを感じて、思わず、少し後ずさって身構えた。
何より・・・眼が違う、のである。
決して眼光が鋭い、というわけではないのだが、敵である自分を見ているようで、自分を見ていない。言わば、もっと遠く、もっと大きなものの中に自分が属しているような捕らえ方をされていて、年上で、体格も大きな、百戦錬磨のはずの自分が、まるでちっぽけな存在に思えてしまうのだ。
「・・並のヤツは、こんな眼をしとらん」
そんな想いが頭の中をかすめて、心は次第に焦っていく。
「コイツは、本物や・・・ このチビは、ホンマに強いで・・・」
いやでも、そう認めざるを得ないものが、ひしひしと感じられる。
「間合い」さえ、うまく測れないのである。
わずか数歩を近寄ってくるだけであるのに・・・
それは決して真っ直ぐではなく、さりとて曲がっているわけでもない。
まるで流れる水のように、捉えどころのない動きに思えた。
ボスは、その対処の仕様の無さに、とっさに、こう言い放った。
「ちょ・・ま、待て・・話し合おや・・・な、話せばわかるでぇ!」
「ハナシか・・ 話ってのは普通・・ ヒトを殴る前にするもんだよ・・・」
・・そう微笑むように言う宏隆には、ちょっとゾッとするほどの迫力があった。
こんな場合に、普通の高校生が、強そうな体つきの不良大学生に向かって、そんな余裕を
持つことは、通常ではなかなか有り得ないことに違いない。
「・・せ、せやったな、えろう悪かった。
なあ・・・すまん・・・オレが悪かったさかいに・・」
怯えて頭を下げ、大きな身体がひとまわりも小さくなったように見える不良のボスは・・
しかし、実はそう言いながら弟を油断させつつ、弟が自分の射程距離に入るまで、
近づいて来るのを、したたかに待ち受けていたのである。
そして、密かに間合いを測り・・・
ついに、満を持して、いきなり宏隆に殴りかかってきた。
・・・奇襲である。
「ああっ!!」
傍らに倒れたままの兄が、それを見て思わず声を上げたが、それと同時に、
「うあっ! グ、グエェーッ!」
突然、辺りを劈(つんざ)く、異様な悲鳴が起こった・・・
悲鳴の主は、奇襲を仕掛けたはずの、不良のボスの方であった。
いや、その悲鳴よりも、一体、どうやったら、この、ほんの瞬くほどの間に、
ふたりの人間がこんな奇妙な格好になれるのだろうか。
奇襲はどうやら不発に終わったらしいが、どうして立場が逆転しているのか・・・
おそらく、逆転されたボス当人にさえ、よく分からないのではないかと思える。
この状況を解説することはかなり難しいが、敢えて試みるならば・・・
宏隆の左腕が相手の首にアゴの下から巻き付いて、たった今、奇襲攻撃を仕掛けたボスは、
立ったまま宏隆の左腕で仰向けに反らされ、首を絞められている。
その左腕は、普通なら、相手の首の後ろから前に向かって巻き付くところであろうが、
この場合は逆に、前から後ろに巻き付いているのである。
また、弟を襲ったはずの彼の右腕は、手首を宏隆の右手の指に軽く掴まれただけで肘を完全に伸ばされ、そのまま宏隆の胸の前で肘関節を逆に極められている。
不良のボスは、あっという間に身体の自由を奪われ、しゃがむことも逃げることも出来ずに、その場で身体を海老のように反らされたまま、強力に首と肩肘の関節を同時に極められ、完全に拘束されていた。
左腕だけは辛うじて自由のままだが、この格好ではいくらその腕を振り回しても届くところもないし、首に巻き付いた宏隆の腕にさえ、触れ難い。
しかも、その格好になるまでの僅かな時間には、すでにボスの腹部と後頭部に、先に発せられた宏隆の左手によって、二度もの痛烈な打撃を加えられていたのである。
見るからに奇妙なその格好は、その二度の打撃の後のわずかな時間に整えられた、相手を強力に拘束するトドメの極め技に違いなかった。
しかし、当の宏隆は、と言えば・・・
彼はまるで、軽い体操でもしているかのように、顔色ひとつ変えていない。
それどころか、予期せず突然起こった、この非日常的な危機の状況をこれぞとばかりに楽しんでいるかのように、眼は喜々として光り、口元にはうっすらと笑みさえ浮かべているのである。
その奇妙な格好から、わずか十秒と経たないうちに・・・
宏隆がスゥーッと手を緩めると、不良のボスは声もなく地面にずり落ち、
その格好のままグッタリとして、まったく動かなくなった。
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