2009年01月08日
練拳 Diary #2 「稽古始め」
今年の初稽古は、拳学研究会が3日に始まり、一般クラスは6日に行われました。
年末に三日間をかけて念入りに磨き上げられ、ワックスも新たに施された武藝館ビルの階段を上がると、二階の道場の入り口には注連縄の正月飾りが掛かり、記帳台には緋毛氈の上に三宝に載った鏡餅と、華やかに活けられた生花が飾られています。
入り口の向こうをガラス越しに見れば、丁寧に掃き清められた床や、一寸の乱れもなく整えられた道場の内部を隅々まで見渡すことができ、お正月休みを終えて、今年初めて道場に訪れた人の意識を一瞬にして「道場」に引き戻す力を持つその空間は、出席簿に自分の名前を書くという行為だけで心身に一本の軸が貫かれ、あらためて心が引き締まる思いがします。
拳学研究会の稽古では、1月3日の初日から10時間以上にわたる稽古が行われ、少人数ならではの、密度の濃い充実した稽古を行うことができました。
特に、「動く」ということに対する各自の発想や考え方が間違っていては、この先何万回稽古を積み重ねようと正しい功夫は全く身に付かない、と師父が仰り、やはり太極拳の原理を最も確認しやすい「基本功」の稽古が中心となって行われていきます。
案の定、その原理への理解よりも、安易に身体の状態を太極拳のフォルムに似せて修正しようとするような考え方が未だに各自に見られましたが、その考え方自体が日常的なものに過ぎず、そのように逆に日常へと修正されてしまった身体は、時が経てば容易に元に戻ってしまい、真の太極拳功夫とは成り得ないということをあらためて発見することができたように思います。
見た目の、部分的な修正ではなく、根本的に、原理として何が違っていたのか・・・
「太極拳というものは、君たちが想像しているものとは全く違うものだ」
「3分間打ち合ったら1分間休憩するような身体構造は、太極拳には存在していない」
「一度、自分の考え方を全面的に否定することが出来なければ、何も見えてこない」
師父のお言葉と、自分たちのやっていることを照らし合わせるのですが、まだまだ一般日常的な考え方に支配されていて、深遠な太極拳の原理法則が見えず、充分に感じられないのです。
自分の持つ尺度をどのような大きさにすれば太極拳が測れるのか、ではなく、
まずその「尺度」そのものを捨てることから始められなくてはならない、ということ・・・
今年初めての稽古がそこから始められたおかげで、各自の課題がずいぶん明確になったように思います。
一般クラスでは、稽古開始に先立って師父より年頭のご挨拶がありました。
この貴重な太極拳の拳理拳学を、より多くの心ある人々に正しく伝え、門人は后嗣と正式弟子を中心に、その伝承と研究が絶えることの無きよう、尚一層日々研鑽すべきであること。
また、本年は太極武藝館が創立15周年という大きな節目を迎えており、吾が門が更なる成長を遂げるべき年としたい、と話されました。
また、新設したブログは、すでに多くの方々にもご覧頂いており、ご好評も戴いて大変ありがたく、喜ばしいものであるが、太極武藝館の門人としての自覚を持ち、ご覧になっている門外の先輩方に恥ずかしくないよう、心を引き締めて更なる学究に励んで欲しい、とのお言葉がありました。
気持ちも新たに始められた初稽古では、柔功や歩法など、基本功が中心に行われました。
各自復習の時間に入ると、師父がひとりずつ見て回り、問題点を指摘していきます。
「うーん・・・今の一歩目はまあ良いとしても、二歩目は全く違っていますね」
「・・ほら、ほら、そんな動きは太極拳には無かったでしょう・・・?」
「それこそが、拙力の大いなる源になるものですよ・・」
先ずは上級者に対して、師父のご指導がある。
皆、自分なりに懸命に修正をしようとしているが、それでもまだ間違っていると、師父はその人に対して「何がどう違う」などといった説明は一切仰らずに、ただご自分の隣りで一緒に合わせて動いてみるように仰います。
そして、それを近くに居た門人たちにも見て貰いながら、師父と何が違うのかを皆で比べていくように指示されます。
動き始めると、さっそく、見ている先輩たちが指摘していきます。
「・・ああ、なるほど、まずここが違っていますね」
「あ、ここは・・・ここでは、まだそこまで動いていません」
「そこへ行くまでの動きが、もっと、こうで、こうなるべきなんですよ」
「頭では理解されているようですが、まだ原理で身体が動けていないようですね・・」
「そこでの身体の向きが、そちらの身体の部分と合っていません。
それは、そこで、このような原理が、こう使われていないからです・・・」
・・・見てくれている先輩たちは、目を皿のようにして師父とその人を見比べ、自分の理解の範囲で見えるところをすべて指摘しながらも、自分もまた、懸命にこの「謎」を解明していこうとしています。
師父は、構造のポイントとなる各々のところで動きを止めて下さるのみで、やはり、何も多くは語られません。
ふと気がつくと、先ほどまで個人々々で稽古していた中級者以下の人たちまで、全員が動きを止めて近寄り、お二人の周りを大きく囲む形になっていました。
同じ姿勢を取って鏡で見比べている人、腕を組み、眉間にシワを寄せて微動だにしない人、自分も比べてもらおうと、二人の後ろに付いて動き始める人、ここぞとばかりに師父にピッタリと付いて一緒に動いている人、床に這いつくばって師父の足を見ている人・・・
これは普段と変わらぬ、決して珍しくない光景なのですが、稽古始めに目の当たりにすると、ああ、いよいよ今年も稽古が始まったのだなあと、しみじみと実感されたことでした。
(了)
年末に三日間をかけて念入りに磨き上げられ、ワックスも新たに施された武藝館ビルの階段を上がると、二階の道場の入り口には注連縄の正月飾りが掛かり、記帳台には緋毛氈の上に三宝に載った鏡餅と、華やかに活けられた生花が飾られています。
入り口の向こうをガラス越しに見れば、丁寧に掃き清められた床や、一寸の乱れもなく整えられた道場の内部を隅々まで見渡すことができ、お正月休みを終えて、今年初めて道場に訪れた人の意識を一瞬にして「道場」に引き戻す力を持つその空間は、出席簿に自分の名前を書くという行為だけで心身に一本の軸が貫かれ、あらためて心が引き締まる思いがします。
拳学研究会の稽古では、1月3日の初日から10時間以上にわたる稽古が行われ、少人数ならではの、密度の濃い充実した稽古を行うことができました。
特に、「動く」ということに対する各自の発想や考え方が間違っていては、この先何万回稽古を積み重ねようと正しい功夫は全く身に付かない、と師父が仰り、やはり太極拳の原理を最も確認しやすい「基本功」の稽古が中心となって行われていきます。
案の定、その原理への理解よりも、安易に身体の状態を太極拳のフォルムに似せて修正しようとするような考え方が未だに各自に見られましたが、その考え方自体が日常的なものに過ぎず、そのように逆に日常へと修正されてしまった身体は、時が経てば容易に元に戻ってしまい、真の太極拳功夫とは成り得ないということをあらためて発見することができたように思います。
見た目の、部分的な修正ではなく、根本的に、原理として何が違っていたのか・・・
「太極拳というものは、君たちが想像しているものとは全く違うものだ」
「3分間打ち合ったら1分間休憩するような身体構造は、太極拳には存在していない」
「一度、自分の考え方を全面的に否定することが出来なければ、何も見えてこない」
師父のお言葉と、自分たちのやっていることを照らし合わせるのですが、まだまだ一般日常的な考え方に支配されていて、深遠な太極拳の原理法則が見えず、充分に感じられないのです。
自分の持つ尺度をどのような大きさにすれば太極拳が測れるのか、ではなく、
まずその「尺度」そのものを捨てることから始められなくてはならない、ということ・・・
今年初めての稽古がそこから始められたおかげで、各自の課題がずいぶん明確になったように思います。
一般クラスでは、稽古開始に先立って師父より年頭のご挨拶がありました。
この貴重な太極拳の拳理拳学を、より多くの心ある人々に正しく伝え、門人は后嗣と正式弟子を中心に、その伝承と研究が絶えることの無きよう、尚一層日々研鑽すべきであること。
また、本年は太極武藝館が創立15周年という大きな節目を迎えており、吾が門が更なる成長を遂げるべき年としたい、と話されました。
また、新設したブログは、すでに多くの方々にもご覧頂いており、ご好評も戴いて大変ありがたく、喜ばしいものであるが、太極武藝館の門人としての自覚を持ち、ご覧になっている門外の先輩方に恥ずかしくないよう、心を引き締めて更なる学究に励んで欲しい、とのお言葉がありました。
気持ちも新たに始められた初稽古では、柔功や歩法など、基本功が中心に行われました。
各自復習の時間に入ると、師父がひとりずつ見て回り、問題点を指摘していきます。
「うーん・・・今の一歩目はまあ良いとしても、二歩目は全く違っていますね」
「・・ほら、ほら、そんな動きは太極拳には無かったでしょう・・・?」
「それこそが、拙力の大いなる源になるものですよ・・」
先ずは上級者に対して、師父のご指導がある。
皆、自分なりに懸命に修正をしようとしているが、それでもまだ間違っていると、師父はその人に対して「何がどう違う」などといった説明は一切仰らずに、ただご自分の隣りで一緒に合わせて動いてみるように仰います。
そして、それを近くに居た門人たちにも見て貰いながら、師父と何が違うのかを皆で比べていくように指示されます。
動き始めると、さっそく、見ている先輩たちが指摘していきます。
「・・ああ、なるほど、まずここが違っていますね」
「あ、ここは・・・ここでは、まだそこまで動いていません」
「そこへ行くまでの動きが、もっと、こうで、こうなるべきなんですよ」
「頭では理解されているようですが、まだ原理で身体が動けていないようですね・・」
「そこでの身体の向きが、そちらの身体の部分と合っていません。
それは、そこで、このような原理が、こう使われていないからです・・・」
・・・見てくれている先輩たちは、目を皿のようにして師父とその人を見比べ、自分の理解の範囲で見えるところをすべて指摘しながらも、自分もまた、懸命にこの「謎」を解明していこうとしています。
師父は、構造のポイントとなる各々のところで動きを止めて下さるのみで、やはり、何も多くは語られません。
ふと気がつくと、先ほどまで個人々々で稽古していた中級者以下の人たちまで、全員が動きを止めて近寄り、お二人の周りを大きく囲む形になっていました。
同じ姿勢を取って鏡で見比べている人、腕を組み、眉間にシワを寄せて微動だにしない人、自分も比べてもらおうと、二人の後ろに付いて動き始める人、ここぞとばかりに師父にピッタリと付いて一緒に動いている人、床に這いつくばって師父の足を見ている人・・・
これは普段と変わらぬ、決して珍しくない光景なのですが、稽古始めに目の当たりにすると、ああ、いよいよ今年も稽古が始まったのだなあと、しみじみと実感されたことでした。
(了)
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